震災・戦災の一大メモリアルパーク
- 4.5
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
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by T04さん(非公開)
両国 クチコミ:76件
現在の「横網町公園」、隣に建つ「第一ホテル両国」や「日本大学第一中・高」の一部など、この地域一帯は、かつて陸軍被服廠があった場所です。東京市は、この地に一週300メートルの本格的トラックとスタンドを備えたグラウンドを中心に、屋外劇場や日本庭園などを併設した近代的公園を整備する計画でした。関東地震(関東大震災を引き起こした地震は、名前を関東地震といいます)が起こった時、ここは被服廠が取り壊され、広大な更地になっていました。そのため震災後には家財道具を抱えた4万人ほどの避難民であふれ返っていました。そこに震災で発生した火災が、折からの小型台風の影響もあって竜巻のような火焔となって人々を襲い、2時間にわたって人や荷物や馬を巻き上げていったそうです。震災による東京全体の犠牲者5万8千人のうち、被服廠跡での犠牲者は3万8千人、その割合は犠牲者全体の65%という膨大なものでした。この悲劇の中心地には昭和5年に「震災記念堂」が、昭和6年に「震災復興記念館」が建てられ、「横網町公園」として開園されたということです。しかし、東京大空襲などによって一帯は焦土と化し、再び未曾有の犠牲者が生まれました。戦後、震災と大空襲の犠牲者を合祀するため「震災記念堂」は「東京都慰霊堂」に、「震災復興記念館」は「東京都復興記念館」と名称が変更されました。現在の「横網町公園」は、中国の仏教徒から贈られた「幽冥鐘」、犠牲となった5000人の国民学校児童を「震災遭難児童弔魂碑」、流言飛語によって命を奪われた朝鮮人を弔う「朝鮮人犠牲者追悼碑」など震災犠牲者を慰霊する碑だけでなく、空襲犠牲者を慰霊する「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」も設置され、震災・東京大空襲両犠牲者を慰霊する一大メモリアルパークになっています。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄大江戸線「両国」A1出口からすぐです
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 子どもが遊ぶ一角もありますが、慰霊に訪れる人も少なくありません
- 見ごたえ:
- 5.0
- 公園内にある施設や石碑など、どれもが東京の重い歴史を思い起こさせます
クチコミ投稿日:2013/10/16
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