T04さんのクチコミ(234ページ)全5,048件
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- 基本情報
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投稿日 2013年10月20日
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
国学者としては賀茂真淵に学び、本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著し、歌人としては村田春海と並び称され、書では樋口一葉んい影響を与え、絵画にも優れた作品を残したという、江戸を代表する文化人の一人です。そんな文化人のお墓が身近にあるということは、東京に住んでいることの利点かもしれません。お墓に彫られた文字は、生前に自書して寺僧に渡しておいたものと言われているそうです。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 多くの人々と関係も深い江戸の文化人、自分自身が偉くなった気がします
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投稿日 2013年10月20日
総合評価:3.5
1768年に回向院で勧進相撲が開催されるようになると、1833年からは定場所の地となり、1909年には回向院境内に旧両国国技館が建設されるなど回向院と大相撲は深い関係があります。その回向院の参道には「力塚」と刻まれた石碑を中心にした「相撲関係石碑群」があり、それらを総称して「力塚」と呼ばれることもあります。「力塚」を構成しているのは相撲記者を慰霊するための「角力記」、梅ヶ谷が建立した「法界万霊塔」、歴代相撲・年寄慰霊のために建てられた「力塚」、江戸時代からの相撲の歴史を刻んだ「回向院相撲記」、角力記の続きを記した「東京相撲記者碑」です。
- 旅行時期
- 2013年10月
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 参道脇にありますから、何かのセレモニーなどがあると、ちょっと見ることが辛くなるかも
- 見ごたえ:
- 3.0
- 力士だけあって、立派な石碑です
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:4.0
幼き頃、時代劇の一番のヒーローと言えば、水戸黄門でもなければ遠山金四郎でもなく、間違いなく鼠小僧次郎吉でした。時には映画やテレビドラマの主人公として、またコントの題材として、鼠小僧は大活躍していました。当時の私にとって鼠小僧は「大名屋敷に忍び込み、奪った金子を貧しい庶民に配った」ヒーロー的盗賊であり、そうした鼠小僧像は日本国民に広く浸透していたのだと思います。鼠小僧が大名屋敷に何度も忍び込んだことは事実ですが、どうやら酒や博打に浪費し、貧しい庶民に金子を与えた事実はないということです。しかし権力者である大名家に忍び込む盗賊は、非支配者階級の庶民にとって痛快であったはずと思います。”貧しい庶民に金子を配った”という鼠小僧の虚像は、幕末に活躍した戯作者の河竹黙阿弥が書いた作品であると言われています。そうした鼠小僧の虚像像は、芝居になって世に広まったのでしょう。明治12年1月の「朝野新聞」には、歌舞伎役者の市川団升が 芝居が当った礼として碑と永代供養料10円を寄付して施主となり、墓の横に石灯籠を寄進しているとあり、これが現在「回向院」にある供養墓であると思います。学界においても、芥川龍之介が「戯作三昧」・「鼠小僧次郎吉」・「復習」と鼠小僧をモデルにした作品を著したことなどで、鼠貧しかった当時の日本において鼠小僧はヒーローであり続けられたのもしれません。また、いつの頃からか鼠小僧の墓石のかけらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」などのご利益があるといわれるようになり、墓石を欠き取る人が後を絶たなかったため、現在は墓前に欠き取り用の”欠き石”が置かれているのも面白いです。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 4.0
- お墓ですが、欠き石付の豪華版です
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:4.0
観光案内所を評価するのは初めてですが、墨田区観光の前に訪れたい施設だと思います。墨田区観光に関する多くの資料や書籍(一部有料)はもちろん、裏面がスタンプラリーになっているテーマ別の観光案内マップもあったり(スタンプ1つでクリアファイル!2つで北斎トートバッグなど)、観光をより一層楽しめると思いました。今回は「すみだ歴史読本 忠臣蔵外伝 その日の吉良邸」200円也を衝動買いしました(笑)。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR「両国」駅の隣りの「ザ・ホテル ベルグランデ」、その「国技館通り」に面した1階部分にあります
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投稿日 2013年10月17日
総合評価:4.0
江戸に幾度も起こった大火のうち、とりわけ大きな被害を出したのは「振袖火事」の名で知られる明暦の大火です。この大火は江戸時代最大の延焼面積・犠牲者を出し、天守閣を含む江戸城や多くの大名屋敷など、市街地の大半が焼失しました。犠牲者の数は10万人以上とも言われていますが、身元の分からない人も多かったということです。そこで当時の第4代将軍家綱は、そうした無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと命を出したのが回向院の始まりです。「回向院」自身が”有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの”という立場をとっている所以でもあります。かつて境内には観音堂や鎮守堂、太師堂などが建立され、数多くの像が安置されていましたが、関東大震災をはじめとした震災等により木像はことごとく焼失してしまったそうです。ただ今も境内の一角には「明暦大火横死者等供養塔」や「鼠小僧供養墓」を始め、「岩瀬京伝(山東京伝)墓」など著名人のお墓や、「塩地蔵」、「力塚」、そして「回向院」らしく多くの動物供養塔なども建てられています。また回向院は1883年から勧進相撲本場所の地となり、1909年には境内内に”大鉄傘”と呼ばれた13000人収容の国技館が建設されました。蔵前に新しい国技館が建設されると大鉄傘は日本大学講堂となり、1983年には解体されました。しかし回向院向かって左手にある「両国シティコアビル」の中庭には、当時の土俵の位置を示す円形が描かれています。不謹慎な表現ではありますが、歴史好きを吸い寄せるような魅力を持ったお寺だと思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当り…問題ない距離です
- 見ごたえ:
- 4.5
- 有名人のお墓もいくつかあります
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
「回向院」といえば明暦の大火で有名ですが、その境内では勧進相撲本場所が興業されることになり、「国技館」が建てられていたことでも有名です。現在、「回向院」敷地内の「両国コアシティビル」裏の中庭には、当時の土俵跡が円形で表わされ、往時を偲ぶことができます…と言いたいところですが、そこは「両国シティコア」に入居する店舗などの利用者用駐輪場になっていて、肝心の土俵跡が見えにくいのが大きな欠点です。見学には朝早い時間が良いかもしれません。しかし、この手狭に見える場所に13000人を収容できる国技館があったなんて、現在の町並みからは信じられません。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口を出て、目の前を走る「国技館通り」を碑へ真っ直ぐ突き当った「回向院」、その左隣の「両国コアシティビル」裏手の中庭です
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 人混みではありませんが、自転車置き場と化していて、土俵跡が見えません
- 見ごたえ:
- 3.0
- この場所に13000人収容の国技館があったなんて、信じられません…という感想は大いに湧きます
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:3.0
岩瀬京伝という名前よりも、高校の「日本史」で学んだ山東京伝という名前の方が馴染深い人も多いのではないでしょうか。「日本史」では洒落本や黄表紙を表わした戯作で有名となり、寛政の改革で手鎖の刑罰を受けたことを学びましたが、浮世絵師でもあったのですね。「回向院」のお墓には”岩瀬醒(さむる)”と彫ってあり、初めて本名を知ることが出来ました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内にあります
- 見ごたえ:
- 3.0
- 「日本史」でも学んだ著名人のお墓…と思うと、ちょっと感慨深いです
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投稿日 2013年10月18日
総合評価:4.0
江戸時代には幾度も大火がありましたが、最も大きな犠牲者・被害を出したのは「振袖火事」の名で知られる1657年の明暦の大火です。この大火では天守閣を含む江戸城や多くの大名屋敷など市街地の大半が焼失し、犠牲者の数は10万人以上とも言われていますが、身元の分からない人も多かったということです。そこで当時の第4代将軍家綱が、そうした無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと命を出したのが回向院の始まりです。1675年に建立された「天明大火横死者等供養塔」は、「回向院」の原点と言える供養塔です。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当りにある「回向院」境内です
- 見ごたえ:
- 4.0
- 歴史を知っていると、重みを感じる供養塔です
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:3.0
かつての両国橋界隈と言えば、広小路を中心に芝居小屋、見世物小屋などが建ち並び、多くの私娼窟、また夜鷹が徘徊する江戸最大の歓楽街でした。現在、両国橋から50メートルほど下流に、かつて両国橋・広小路のあった場所を示す立札のみが掲げられています。かつての両国橋界隈がどのような街であったのかを知っていたため、少し江戸時代の賑わいの様子が偲ばれました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 現在の両国橋袂から、約50メートル下流です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 両国橋周辺は、かつて江戸最大の歓楽街であったところであることを知っていましたので、賑わっている様子を想像することができました
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投稿日 2013年10月17日
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投稿日 2013年10月19日
総合評価:2.5
討ち入りを成就させた赤穂浪士が泉岳寺へ向かうまで休息をとった場所が、旧両国橋東詰にあったとされる広場です。今の姿に往時の広場を偲ばせるものは何もありませんが、赤穂事件のファンであれば、何かを感じられると思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 現在の両国橋袂から、約50メートル下流です
- 見ごたえ:
- 1.5
- 立札だけですが、赤穂事件のファンであれば思いを馳せられます
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投稿日 2013年10月17日
総合評価:3.5
天下の日本相撲協会、やはり相撲に関する博物館を持っていました。場所はもちろん大相撲の殿堂「両国国技館」内ですから、やはり大きな期待を持って訪れました。JR「両国」駅に隣接する「両国国技館」の敷地に入ると、正面玄関の右手の一角に目指す「相撲博物館」がありました。入口はこじんまり、博物館を表わす表札とパンフレットのラックがなければ、通り過ぎてしまいそうな佇まいです。さて館内に入ると、思わず「えっ?これだけ?」って呟いてしまいそうな位の規模で、想像は見事に裏切られました。展示テーマはしばしば変わるようですが、今回は今まで”還暦土俵入り”を披露した9人の名横綱にスポットライトを宛て、その”還暦土俵入り”に用いた赤い綱、化粧廻しなどが、戦績などと共に展示されていました。博物館の規模は小さいですし、展示品の数も多くはありませんが、”相撲好き”の目を輝かさせる、そんな場所であると思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR「両国」駅に隣接する「両国国技館」内です
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 器が小さいため、本場所中などは混むことが多いと思います
- 展示内容:
- 4.0
- ”相撲好き”ならば、目が輝くでしょうね
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投稿日 2013年10月15日
総合評価:3.5
先月は泉岳寺に行ったので、今月は吉良邸跡に行って来ました。旧本所松坂町、現在は住宅やマンションが建て込んでいる中に吉良邸跡はありました。泉岳寺が往時の雰囲気を残しているのに対して、この吉良邸跡は29.5坪、たった18畳ほどの面積しかなく、実際には広大であった吉良邸(東西132m、南北62m)の約86分の1という面積に過ぎません。それでも昭和9年に地元の有志の方々が「みしるし洗いの井戸」を中心に土地を購入し、東京市に寄付したことで貴重な旧跡が維持されたわけですから、感謝・感謝です。さて高家の格式を示すような“なまこ壁”に囲まれた吉良邸跡に入ると、まずは吉良公の首を洗ったとされる「みしるし洗いの井戸」が目に入ります。その左手には討ち入りの際に命を絶たれた吉良家の家臣20名を祀る「吉良家家臣二十士碑」、そして「吉良上野介追慕碑」があり、井戸の右手には愛知県吉良町の吉良家菩提寺に現存する像そっくりに造られた「吉良上野介義央公像」があります。また“なまこ壁”の内側には、事件の顛末をあらわした絵や文章のパネルが展示されていました。地元では名君として有名な吉良公、やはり吉良家の菩提寺や吉良公のお墓を訪ねて見たいという気持ちになりました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「両国」駅東口から道沿いに京葉道路の「両国三丁目」交差点を渡って右に曲がり、セブンイレブンを左に入ります…初めてだと分かり辛いと思います
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人気スポットですが、敷地内は狭いです
- 見ごたえ:
- 4.0
- 小さな施設ではありますが、「みしるし洗いの井戸」などもあり、ガッカリはしませんでした
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:4.5
ずーっと、もう長い間ずーっと行きたいと思っていたのですが、やっと訪れることができました。元々が大名庭園ですし、その後も大財閥安田家の所有だっただけに、見事の一言です。島の浮かぶ大きな心字池の周囲を回遊してみると、まさしく橋あり、高台ありの多彩な嗜好ですし、更にいくつかの句碑や何やら謂れのありそうな石塔などの造形物もあり、一つ一つ調べなければと思います。また潮入回遊式公園の”潮入”について、”隅田川の水を取り入れ、隅田川の干満を利用し、眺めの変化を鑑賞する…”などといった説明がなされますが、今回実際に潮入装置の現物を見ることができましたし、公園回遊中には、まさに池の水に浸かってしまいそうな箇所もあり、”眺めの変化”の意味も実際に体験することが出来ました。隅田川の汚れもあって、現在は地下貯水槽からポンプで人工的に潮入が再現されているとのこと、ちょっと残念な話です。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR・都営地下鉄「両国」駅から、そんなに遠くはありませんでした
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 普通の公園見学者、読書をするおじさん、ベンチで寝る若いサラリーマン…多彩な人がいました(笑)
- 見ごたえ:
- 5.0
- 素晴らしいです
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:4.0
関東大震災・東京大空襲の犠牲者のメモリアルパークである「横網町公園」内、花で埋め尽くされて一際目立つ大型構造物が、この「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」です。プレートには”斜面を覆う花は生命を象徴しています。碑の内部には東京空襲で犠牲になった方々のお名前を記録した「東京空襲犠牲者名簿」が納められています”とありました。時代の犠牲者となられた方々によって現在があるわけですから、いつまでも平和に花が咲き誇る美しい場所であって欲しいと思いました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 都営地下鉄大江戸線「両国」駅A1番出口からすぐの「横網町公園」内です
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- たまに写真を撮っている方がおられるだけでした
- 見ごたえ:
- 3.5
- 美しい場所です
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:4.0
震災で犠牲となった国民学校児童は約5000名。1928年、震災の5回忌にあたり、犠牲となった児童の悲しみを象徴する記念像を建て、併せて冥福を祈ろうとする計画がまとまり、多くの人々からの浄財によって彫刻家小倉右一郎氏に製作を依頼しました。翌年発表された原型は、等身大の少年12人が猛火に包まれる像であったということです。この「横死記念像」あるいは「悲しみの群像」とよばれた像に対し、それが凄惨な光景であるとして各界から反対の声があがったため、子ども達の明るい姿を表わすものに改作されたということです。現在の「悲しみの群像」は、昭和19年に金属回収のため供出され台座だけになっていたものを、昭和36年に小倉右一郎氏の弟子であった津上昌平、山畑阿利一の両氏が、往時の群像を模して再建した2代目ということです。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 都営地下鉄大江戸線「両国」駅A1番出口からすぐの「横網町公園」内です
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 足を止める人も多くはありませんでした
- 見ごたえ:
- 3.5
- 無邪気な子供たちの姿から、その被害の痛々しさが伝わって来ます
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:4.0
「第一ホテル両国」の最上階、25階に位置する日本料理「さくら」のランチ・ビュッフェにお邪魔しました。都営地下鉄大江戸線「両国」駅のA1出口はホテルに隣接しており、一歩踏み出すと、そこはホテルの敷地です。お店に入ると「ビュッフェでよろしいですか?と尋ねられ客席へ。お店の造りは機能的第一といった感じで、日本料理店らしい雰囲気や意匠を期待するとガッカリするかもしれません。ただ、清潔感がありますし、大きな窓からの眺めは良かったです。お邪魔したのが平日だったせいもあって、通常客席フロアの先客は1組のみ。お店の反対側は東京スカイツリー側で、そちらにもお客さんがいましたが、個室扱いのスペースらしく利用できませんでした。2500円(税・サービス料込、土日祝は3000円)というビュッフェの内容は…。まずメインとなる料理を4品(握り寿司、天麩羅盛り合わせ、牛肉陶板焼き、白身魚の餡掛け)から1品選び、あとの料理はビュッフェになります。ビュッフェ台に並ぶ料理の種類は、あまり多くはありませんが、通常の食事でしたら充分だと思います。料理は洗練されてはいないものの、良い意味で素朴な良さがあります。また味付けは”ここは東京だ!”といった感じで濃いめですが、これはこれで良いかと思います。特別に美味しいものはないですが、”ちゃんこ鍋”があったのは、さすが両国という土地柄…なんて落ち着いて食べていると、早々にメインとして注文した”白身魚の餡掛け”が御飯・味噌汁・お新香を伴って登場、さらに予測しなかったお刺身のワゴンサービスも来襲…心の準備が必要ですね。デザートに和風のものが多く用意されているのも良かったと思います。この内容で2500円であれば、充分であったと思います。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 都営地下鉄大江戸線「両国」A1出口に隣接した「第一ホテル両国」内ですから、アクセス最高です
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 日本食のランチ・ビュッフェで2500円なら、充分かと思いました
- サービス:
- 4.0
- 接客はホテルらしいですし、柔軟なサービスも受けられました
- 雰囲気:
- 3.5
- 店の造りに日本料理店らしい雰囲気や高級感はありませんが、綺麗ですし、大きな窓からの眺めは良かったです
- 料理・味:
- 3.5
- ”江戸の味”で、味は濃いめです
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投稿日 2013年10月16日
総合評価:3.5
昭和9年、東京の人口増加によって住宅が多数建設され、吉良邸跡地が消失してしまうことを憂えた地元両国三丁目町会の有志の方々が、邸内の「みしるし洗いの井戸」を中心に土地を購入して東京市に寄付し、吉良邸跡の一部が東京市の公園として残されることになりました。「本所松坂町公園」というのは、「吉良邸跡」として知られている史跡の公園登録名なんですね。地元の方々に感謝しなければなりません。ありがとうございました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- JR「両国」駅東口から道沿いに京葉道路の「両国三丁目」交差点を渡って右に曲がり、セブンイレブンを左に入ります…初めてだと分かり辛いと思います
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人気スポットですが、敷地内は狭いです
- 見ごたえ:
- 4.0
- 小さな施設ではありますが、「みしるし洗いの井戸」などもあり、ガッカリはしませんでした
-
投稿日 2013年10月14日
総合評価:4.0
ここ「東京都慰霊堂」が建っている現在の「横網町公園」は、かつて陸軍被服廠がありました。震災発生時、被服廠が再開発のために取り壊されて更地になっていたことから、震災後には4万人ほどの避難民であふれ返っていたそうです。そこに震災で発生した火災が、折からの小型台風の影響もあって竜巻のような火焔となって人々を襲い、2時間にわたって人や荷物や馬を巻き上げていったそうです。震災による東京全体の犠牲者5万8千人のうち、被服廠跡での犠牲者は3万8千人、その割合は犠牲者全体の65%という膨大なものでした。そこで建てられたのが、この「震災記念堂」です。しかし、その後の東京大空襲などによって生まれた未曾有の犠牲者も合祀し、現在の「東京都慰霊堂」になりました。堂内には写真家の石川光陽さんが撮られた震災や戦災の写真、洋画家の徳永柳州さんが門人の方と共に現地を取材し描きあげた油絵が展示され、その悲惨さを伝えています。関東大震災は知っていたものの、この地がどのような意味を持つ地であるかということも知らず、恥ずかしい気持ちになりました。
- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 都営地下鉄大江戸線「両国」駅1番出口から数分の「横網町公園」内です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪れる人は多くはありませんでしたが、震災や戦災でご家族を亡くされたような方も見られました
- 見ごたえ:
- 4.0
- 写真家の石川光陽さんが撮られた震災や戦災の写真、洋画家の徳永柳州さんが門人の方と共に現地を取材し描きあげた油絵が、その悲惨さを伝えています


















































































