河竹黙阿弥終焉の地碑
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~20件(全24件中)
-
幕末・明治の歌舞伎狂言作者
- 3.0
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
- 0
-
本人の顔写真あり
- 1.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
-
とてもためになる案内板でした
- 2.0
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
- 0
-
-
今は説明板のみがたてられています。
- 3.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
- 0
-
河竹黙阿弥とは狂言作者
- 3.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
-
ちょっと感動
- 2.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
-
現在は道路
- 1.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 0
-
-
北斎通りと区役所通りの交差点近くにありました
- 4.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
-
歌舞伎狂言作者の最期
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 0
-
歩道の植え込みに
- 3.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
- 0
-
歩道に立っています
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
-
当時この辺りは葦原だったようです
- 3.5
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
-
江戸演劇の大問屋
- 4.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
- 0
-
狂言作家
- 3.0
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
- 0
河竹黙阿弥終焉の地碑は都営大江戸線両国駅から徒歩5分ちょっと、北斎通りから路地に入ったマンションの前に案内板が立っています... 続きを読む。河竹黙阿弥は江戸時代から明治時代にかけて活躍した狂言作家で、鼠小僧が金持ちからお金を盗んで庶民に配っていたという話は河竹黙阿弥によって創られた戯作の中で語られた虚構だそうです。同じ両国にある回向院に鼠小僧の墓があり、墓の前の案内板にこの内容が書かれていました。両国の史跡はけっこう話がつながっていることが多いので、いろいろと回ってみると面白い繋がりが判ったりして面白いと思います。河竹黙阿弥は晩年はこの地において、財産分与や蔵書整理、知人の挨拶周りなどを済ませて亡くなられたそうです。余裕をもってやるべきことをしてから亡くなられたというのはとても素晴らしい最期ですね。自分もそうでありたいと思いました。 閉じる
投稿日:2017/01/20
-
遊蕩三昧の生活をしつつも
- 3.5
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
-
説明板があるだけで、碑はありませんのでご注意下さい
- 3.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 0
-
江戸時代の狂言者
- 3.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 0
-
亀沢二丁目交差点の近くにありました
- 3.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 0
-
今は何もなく、マンションの前に案内板があるのみ。
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 0
-
江戸から明治初期にかけ活躍した歌舞伎、狂言作者
- 2.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 0
1件目~20件目を表示(全24件中)
- 1
- 2
投稿写真
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
河竹黙阿弥終焉の地碑について質問してみよう!
両国に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
el-cantareさん
-
tenkuusogoさん
-
teraさん
-
densukeさん
-
ゲンさん
-
ミロヒさん
- …他
周辺スポット
周辺のおすすめホテル
-
地図で見る