明暦の大火、鼠小僧、国技館など…内容は凄いです
- 4.0
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
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by T04さん(非公開)
両国 クチコミ:76件
江戸に幾度も起こった大火のうち、とりわけ大きな被害を出したのは「振袖火事」の名で知られる明暦の大火です。この大火は江戸時代最大の延焼面積・犠牲者を出し、天守閣を含む江戸城や多くの大名屋敷など、市街地の大半が焼失しました。犠牲者の数は10万人以上とも言われていますが、身元の分からない人も多かったということです。そこで当時の第4代将軍家綱は、そうした無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと命を出したのが回向院の始まりです。「回向院」自身が”有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの”という立場をとっている所以でもあります。かつて境内には観音堂や鎮守堂、太師堂などが建立され、数多くの像が安置されていましたが、関東大震災をはじめとした震災等により木像はことごとく焼失してしまったそうです。ただ今も境内の一角には「明暦大火横死者等供養塔」や「鼠小僧供養墓」を始め、「岩瀬京伝(山東京伝)墓」など著名人のお墓や、「塩地蔵」、「力塚」、そして「回向院」らしく多くの動物供養塔なども建てられています。また回向院は1883年から勧進相撲本場所の地となり、1909年には境内内に”大鉄傘”と呼ばれた13000人収容の国技館が建設されました。蔵前に新しい国技館が建設されると大鉄傘は日本大学講堂となり、1983年には解体されました。しかし回向院向かって左手にある「両国シティコアビル」の中庭には、当時の土俵の位置を示す円形が描かれています。不謹慎な表現ではありますが、歴史好きを吸い寄せるような魅力を持ったお寺だと思います。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- JR「両国」駅西口、目の前を走る「国技館通り」を左へ直進した突き当り…問題ない距離です
- 見ごたえ:
- 4.5
- 有名人のお墓もいくつかあります
クチコミ投稿日:2013/10/17
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