norisaさんのクチコミ(39ページ)全903件
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- 基本情報
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投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.5
シェーンブルン宮殿はオーストリアの首都ウィーンにある宮殿で、ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用しました。
現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されています。
建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場があります。
内部はただただ豪華絢爛です。
ベルサイユ宮殿もはだしで?逃げ出す素晴らしさーー。
なにしろ部屋数は1400以上ーーー。
そしてモーツアルトも登場する絵やら中国風の部屋その他素晴らしい内部です!
シェーンブルン宮殿は観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されており、住民がいます!!
これは1960年代にウィーンの住宅問題を解決するために考え出されたものですが、現在では居住に不便な部分も多数あり、ウイーン市民にとっての住宅物件としての人気は低いそうです。
もちろん、官舎であるため、公務員でないと入居できないそうです。
庭園は縦横に広大に広がります。
なお、この宮殿には動物園も併設されています。
その起源は16世紀後半のことですが18世紀半ばには正式に動物園として開園したそうです。
この宮殿はオーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人にもなるそうです。- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.5
ウィーンWien(ヴィーン)は英語ではVienna(ヴィエナ)ですが、いうまでもなくオーストリアの首都で、人口は175万余を数えます。
ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ (Vindobona) が起源だったそうですが、かつてヨーロッパの数カ国を支配したハプスブルク家のオーストリア帝国の首都でした。
マリア・テレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ1世の治下で整備されました。
ウィーンは、そもそもの成り立ちが2つの道が交差するところに生まれた町として繁栄しました。
即ちドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る街道と、バルト海とイタリアを結ぶ南北の道、いわゆる琥珀街道の二つの交差点です。
そこはゲルマン系、スラヴ系、マジャール系、ラテン系のそれぞれの居住域の接点にもあたり、歴史的にみても、ローマ帝国の北の拠点が建設されたのが起源でした。
オスマン帝国の隆盛時にはヨーロッパからみてアジアへの入り口にもあたっており、伝統的にも多彩な民族性を集約する都市として栄えてきました。
まー、そう言えば聞こえはいいのですが多くの兵士、そして一般市民が戦禍で犠牲になっただろうことが想像されます。
歴史の爪痕は今はほぼ目立たなくなり、美しい歴史的建造物や居心地の良い雰囲気にあふれます。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
このオペラ座は約150年前に建設されたそうです。
ですから欧州としてはそれほど古くはありません。
ここでは毎日演目を変えて上演されており、50のオペラとバレエが約300日間にわたって上演され、公演日数は世界でもっとも多い劇場です。
1869年5月25日に完成。客席数2324、面積8709平方メートルの大劇場ですが、建物は建設途上からギリシャ風、ゴシック風、ルネッサンス風とどれもこれもとりいれたありふれたリバイバル建築などと酷評されたそうです。
さら建物入口のアーチが盛り土によって車道より1メートル低くなったため「皇帝は新劇場を『沈んだ箱』と評した」という噂もたち、これら酷評に1867年に設計者の一人は自殺し、もう一人も非業の死を遂げたそうです。
これ、現在ではパワハラというのでしょうか?
いずれにろ良かれ悪しかれ話題の中心的劇場です!- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 その他の都市
総合評価:4.0
この大修道院は町に隣接する小高い丘(282m)の上にあり、トゥールの聖マルティヌスはこの丘の麓で生まれたと信じられているそうです。
確かに周囲の田園を見下ろす絶好の丘の上にあります。
歴史をたどると、996年にハンガリー初のベネディクト会修道院として、ゲーザ大公(Geza)によって創設されました。
既に1000年以上の歴史を持つわけで、日本では平安時代中期にあたるでしょうか。
修道院は1541年に大修道院となり、16世紀から17世紀にかけてのオスマン帝国のヨーロッパ侵攻にあわせて、要塞に転用されたそうです。
オスマントルコの支配の終焉でようやく損傷した建造物群の再建が行われ始め、バロック様式での建設が進められたそうです。
です。
最初は1000年以上の歴史と聞いていたのでさぞ古びた修道院かと思いましたが、オスマントルコ支配以後に再建されたため古さよりも美しさを感じます。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
ここはハプスブルグ家の有名なお妃であるエリザベートさんのお気に入りのお店だったそうです。
エリザベートは皇位とは無縁の貴族の娘でしたが母方のいとこであるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフがひと目ぼれし、求婚されたそうです。
彼女は172cmで50kg、これは現在でもモデル、あるいはグラドルとして完璧なスタイルのうえに稀に見る美貌でしたから、このプロポーズもむべなるかな。
おてんばと言われたシシ―(彼女の愛称)も仕方なく16歳で皇后となったわけです。
しかし、そのスタイルの良い彼女が頻繁にかよったこのカフェ。
ケーキは美味しいのですが、甘さや量は半端ではありません。
彼女が食したものを再現したチョコレートケーキを頂きましたが、甘い!!
これで体型を維持したシシーに感動します!
店内は本当に落ち着いたカフェですからお立ち寄りをおススメします。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
マーチャーシュ聖堂は、ハンガリーの首都ブダペスト、ブダ城地区の中心にある教会です。
正式名称は聖母マリア聖堂というそうですが、教会の伝承によると、元々は1015年に建造されたそうです。
今日ある建造物は、14世紀後半に華麗な後期ゴシック様式で建造されたものであり、19世紀後半に広範囲にわたって修復されました。
ハプスブルク家最後の皇帝カール1世を含め、ほぼ歴代のハンガリー国王の戴冠式がここで行なわれただけでなく、マーチャーシュ1世の2度の結婚式もこの聖堂で行われました。
やがてオスマン帝国はブタを占領し、以降聖堂はブダの主要なモスクとなったそうですが、聖堂はモスクにされただけでなく、更に追い打ちをかけるように、内部の壁に描かれていた豪華なフレスコ画は白く塗りつぶされ、残っていた備品は持ち去られてしまったそうです。
やっと19世紀になり修復が行われました。
なお、現在はこの教会は素晴らしいコンサートホールとしても活用されているそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
ブダ地区の丘にある要塞「漁夫の砦」は世界遺産に登録されている「ドナウ河岸、ブダ城地区、アンドラーシ通りを含むブダペスト」の一部です。
ドナウ河の漁師がこのあたりを守っていたこと、このあたりに魚市場があったから名付けられたとのことです。
1896年、建国1000年を記念して建造された回廊展望台で、中世の城壁の上に建造されています。
もっとも砦として使われたことはなく、内部にはレストラン、ワインセラー、バーなどがあります。
夜になると美しいブダペストの夜景を楽しめるブダペストの名所中の名所です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月20日
ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り ブダペスト
総合評価:4.5
ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで、ドナウ川河岸を含め世界遺産が広がりブダ城やアンドラーシ通り、英雄広場は良く知られています。
もちろん、これはお題目で路地裏含め美しくないところもありますが、全体的な印象は美しいプラハともブラチスラバとも違う印象の素晴らしい古都でしたーーー。
ブダペストが「ブダペスト」として一つの市でドナウ川の両岸を占めるようになったのは1873年11月17日に西岸のブダとオーブダ、東岸のペストが合併してからで、それまでは別の都市でした。
人口は174万人とピークであった1989年の210万人より減少していますが、これはブダペスト周辺部の郊外化によるもので、ブダペスト都市圏(通勤圏)の人口は330万人です。
もともとはケルト人の集落であったそうですが、その後マジャール人が居住し、さらにモンゴル帝国に蹂躙され、さらにオスマン帝国による150年間の支配が続きましたが、18世紀、19世紀に新しい時代に入ると町は発展し繁栄しました。
また、1848年から1918年の第一次世界大戦勃発まで列強に含まれたオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに続く第二の首都でしたが、1920年のトリアノン条約によりハンガリーは国土の72%を失い、ハンガリーの文化や経済をブダペストがすべてを背負うようになったそうです。
ブダペストの観光客数は年間270万人に上り、ロンドンにある民間調査機関によればブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地だそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
センテンドレはブダペストの北19kmに位置し、11世紀に十二使徒のひとり、聖アンドリュー(ハンガリー語でセント・エンドレ)に捧げる教会が建てられたことに街の名前が由来しています。
14世紀と17世紀終わりトルコ軍の復讐を恐れ、逃げ延びてきたセルビア人によってかたち創られた街で、現在も街に点在する7つの教会のうち、4つがセルビア正教会のものです。
それだけオスマントルコの勢力拡大はすさまじかったようです。
今世紀初頭には、穏やかなドナウの流れとマッチ箱のような家が立ち並ぶ風景に、数多くの芸術家達が吸い寄せられてきました。
ですからセンテンドレの魅力は歴史の香りの中ののどかな雰囲気ということですーーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
エステルゴム大聖堂は紀元1000年頃、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世により聖アダルベルトの教会として建設され、その後12世紀に火災で焼失、修築されるもトルコ軍の襲撃により破壊されたという悲しい歴史を持っています。
ドナウベントはハンガリー領では北から流れていたドナウ川はハンガリーとスロバキアの間を西からの流れに変わります。
現在の大聖堂は1822年に建設を開始しましたが、1848年革命等で中断され、結局は1869年に完成したものです。
元々この大聖堂は聖イシュトバーンが聖アダルベルトを称えるために建設させたそうです。
ちなみに聖イシュトバーンはハンガリーの初代国王だったお方。
ハンガリーも複雑な歴史を持ちますが、今の民族であるマジャール人がウラル山脈の麓から移動=侵略または避難し、最終的にここを平定=占領して定住しました。
その最初の王様がイシュトバーンというわけですが、それは10世紀のことでした。
ですからヨーロッパ唯二のアジア系民族国家のひとつはこのハンガリーというわけです。
1000年頃、神聖ローマ皇帝同意のもと、ローマ教皇のシルウェステル2世からこの地でイシュトヴァーン1世に戴冠し、彼がハンガリー王となったわけです。
そして歴代の王は、この都市を王国支配の拠点としたとのことですから、ブダペストよりも古い都というわけですね。
大聖堂内部の主祭壇の絵はかのミケランジェロがキャンバスの上に描いたものですが、キャンバス画としては世界最大だそうで、高さは13m以上です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
この宿は有名な宿泊チェーンである四季倶楽部の直営ですが、普通の四季倶楽部の二倍のお値段設定の「四季倶楽部プレミアム」として最近オープンしたものだそうです。
ここはお値段も高く設定していますが、それだけの価値があります。
部屋は和洋室、洋室、和室ですが、いずれも広い専有面積を持っています。
各部屋にはマッサージチェアがあり、洗面所やバスルームも広くとってあります。
大浴場も広いし、サウナも快適です。
特に食事はお値段の割に質量とも良好といえます。
アクセスが不便なのが欠点ですが、それだけ落ち着いています。- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 1人1泊予算
- 15,000円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 客室:
- 4.5
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.5
ヒルトンホテル・ウエストはすぐそばにエッフェル塔で有名なエッフェルさんが設計したブダペスト西駅があり、さらに国会議事堂や聖イシュトバーン大聖堂にも歩ける好立地です。
エントランスもひさしも建物自体もガラス張りです。
ホテルの室内ですが、ミュンヘンやプラハのホテルよりも狭いのですが備品やアメニティ、そして室内自体が新しく使いやすいホテルでした。
またホテルに隣接してブランドショップやその他のお店があり、買い物にはとても便利です。
朝食のビュッフェは食材といい、調理といい素晴らしいものです。
とても居心地の良いホテルです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.5
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 4.5
- 客室:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:3.0
ブラチスラヴァ城はドナウ川を見下ろす高台の上にあり、かつてマリア・テレジアの居ともなっていた古城で、城内からはドナウ河や付近の林野、ブラチスラヴァの市街が一望できる市内随一の観光名所となっています。
城の四隅に配されている塔をテーブルの脚に見立てて、「ひっくり返したテーブル」という愛称を持つそうですが、広い城内は国立歴史博物館になっています。
城は思ったよりも装飾が少なく、レドニツェ城などに比べてシンプルです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:3.5
ミハエル門はブラチスラバの名所です。
この門はかつて旧市街の入口だった門の一つです。
街並みにもマッチした(シャレじゃありません(笑))ツートンカラーの尖塔です。
このミハエル門、元々は旧市街を囲んでいる城壁のひとつの門でした。
それら城壁が取り壊されてこの門だけが残ったようです。
現在の内部は武器博物館となっており、世界各国の剣、槍、大砲などが展示されています。
長い歴史を見続けてきた塔ですーーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
ブラチスラバ旧市街はブラチスラバ観光のメインです。
しかし、この街には多くの歴史的遺産があります。
それは実に多彩な歴史的背景があったためですーーー。
市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかフン族やケルト人、ローマ人、アヴァール、ドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人などのさまざまな民族が関与しました。
それはこの地が交通の要所だったことを意味します。
同時に競争、争い、殺戮の舞台であったことも暗示しますーー。
実際、紀元以後何回支配者が変わったかよくわかりません。
この多彩な歴史に彩られたブラチスラバは、この500年だけでも、幾多の国家の都市として栄えました。
それは、ハンガリー王国首都(1536年 - 1783年)、スロバキア第一共和国首都(1939年 - 1945年)、チェコスロバキア社会主義共和国におけるスロバキア社会主義共和国首都(1969年 - 1990年)、チェコスロバキア連邦共和国におけるスロバキア共和国首都(1990年 - 1992年)となど、過去多くの首都としてこの地域の中心都市でした。
やはり交通の要所であり、各種地理的条件も揃っていたためでしょう。
また言語的にも、現在ではスロバキア語(かなりチェコ語に似ているそうです)が使われていますが、過去はドイツ語やハンガリー語も公用語だったそうです。
つまりそれは被占領の歴史を意味しますーーー。
今は平和そのものですし、経済的発展も遂げています。
その理由のひとつはウイーンとの近さです。
オーストリア・ウィーンとの距離は欧州の首都間距離としては最も近い約60キロメートルで、中央ヨーロッパの中心の「双子都市」となるとして注目されており、両都市を結ぶ高速道路網などの整備が進んでいます。
そして多くの旧西側企業が進出しています。
ブラチスラバの平均所得はEU加盟国平均よりもずっと多く、多くの産業が発展しています。
そして失業率も2,3%程度でギリシャやイタリアとは比べるべくもなく、イギリス、フランス、ドイツにも大きく差をつけ、アメリカはもちろん日本よりも雇用状況は良いようです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観は、1996年に世界遺産に登録されました。
ここはもともとりヒテンシュタイン家の領地でした。
彼らは現在ではスイスとオーストリアに囲まれた立憲君主制国家として存続しています。
(ほとんど根絶やしにされたヨーロッパ最大級の王室であるハプスブルグ家とは随分異なる運命をたどったようですーーー)
リヒテンシュタイン家は13世紀半ばにレドニツェを、14世紀末までにヴァルチツェをその領地として城を建設していましたが、カール1世がヴァルチツェ城を居城と定め、レドニツェ城は夏の離宮となったそうです。
2つの城の間には1715年より道が造られ、19世紀はじめには、ヨハン・ヨーゼフ1世がイギリス式庭園を建設しました。
レドニツェ城は想像していたよりもはるかにキレイなため新築ではないかと目を疑いました。
聞くと、表面の塗装は一定年月毎に手入れをされているとのことで納得しました。
その庭は本当に広いのですが、実はこれだけではありません。
りヒテンシュタイン家は17世紀にはヴァルチツェの城を本拠地と定め、レドニツェ城は夏の離宮、いわば別荘として共にバロック様式へと改築しました。
周辺にフランス庭園などを配置してこの地域を王宮化していきます。
しかし、その後自然と建物を調和させるイギリス庭園が流行すると、変わり身早く、19世紀初頭にはこのレドニツェとヴァルチツェそしてブジュツラフ近郊に及ぶ広範囲の土地をイギリス庭園化したそうです。
庭園と二つの城を結ぶ回廊の規模はなんと約283平方kmに及びました。
19世紀に造られた温室もそのまま残っています。
100年以上前に造られたとは思えない斬新なデザインです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
旧市街広場はプラハの中心的観光地です。
広場中央にはヤン・フスの像があります。
ヤン・フスはボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者だそうです。
彼は宗教改革の先駆者だそうですが、もともとはカレル大学の総長ということですが腐敗したカトリック教に異議を唱えたため火刑に処せられたそうです。
特に寺院が資金集めに乱発していた免罪符に真っ向から反対しました。
(実際、効き目があるのなら買ってみたいものですが(笑))
しかしカトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され有罪とされました。
しかもその後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処されたということですが、いつの時代でも先駆者は大変な目にあうのですね−−−。
フスはその後のプロテスタント運動の先駆者として今でも尊敬されています。
この広場の人混みもかなりのものです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
-
投稿日 2013年11月20日
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
この橋は最初、「石橋」と呼ばれていたそうですが「カレル橋」と呼ばれるようになったのは18世紀になってからとのことです。
伝説によると、ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔を聞く役目を担っていたヤン・ネポムツキー司祭が、王妃の秘密を王に告げなかったことから、激怒した王が、司祭を捕らえて拷問にかけた後に、橋からヴルタヴァ川へ放り込んだそうです。
15世紀になってその場所には十字架が立てられました。
ヴルタヴァ川=モルダウ川はここではかなり広くなっています。
聖人像が橋の両側にあります。その数は20に上ります。登場人物はその数倍です。
17世紀終わりごろ、貴族や民衆または修道院からの寄付によって、カレル橋に聖人の像が立てられるようになりました。現在のカレル橋には30もの聖人像を見ることができます。
橋にはおみやげを売ったり、似顔絵描きさんも多くいます。
ちょっとした繁華街のようです。
唯一の難点は人が多すぎて歩くのが大変ーーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
聖ヴィート大聖堂は、プラハ城で最も大きい建築物であり、チェコで最も大きい大聖堂でもあります。
大聖堂の現在の外観は千年以上にわたる建築の発展の結果だそうです。
大聖堂はもともと10世紀に造られたロマネスク様式のロトンダ(円筒型のシンプルな教会)から始まりましたが、1344年、フランスの巨大な大聖堂に触発されたボヘミア王兼神聖ローマ皇帝カレル4世が現在見られるような堂々たる建物に改築する工事に着手しました。(やはり虚栄心や勝ち気な性格が世界の名建築を生むドライビングフォースの一助になっていることは否定できません)
建設は最も重要なチェコの守護聖人ヴァーツラフの死後1000年後の1929年に完成しました。
それにしても1000年もの歳月をかけて完成させているわけですが、ゴシック、バロック、ネオゴシックなどの様式を見事に調和させています。
メインタワーの頂点はお城のような風情です。
高さは99mという大鐘楼です。
大聖堂正面はあくまでも天空高くその尖塔を延ばしています。
こちらは高さ82mの尖塔が二本です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5




























































