複雑な歴史を持つ街
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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by norisaさん(非公開)
ブラチスラバ クチコミ:3件
ブラチスラバ旧市街はブラチスラバ観光のメインです。
しかし、この街には多くの歴史的遺産があります。
それは実に多彩な歴史的背景があったためですーーー。
市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかフン族やケルト人、ローマ人、アヴァール、ドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人などのさまざまな民族が関与しました。
それはこの地が交通の要所だったことを意味します。
同時に競争、争い、殺戮の舞台であったことも暗示しますーー。
実際、紀元以後何回支配者が変わったかよくわかりません。
この多彩な歴史に彩られたブラチスラバは、この500年だけでも、幾多の国家の都市として栄えました。
それは、ハンガリー王国首都(1536年 - 1783年)、スロバキア第一共和国首都(1939年 - 1945年)、チェコスロバキア社会主義共和国におけるスロバキア社会主義共和国首都(1969年 - 1990年)、チェコスロバキア連邦共和国におけるスロバキア共和国首都(1990年 - 1992年)となど、過去多くの首都としてこの地域の中心都市でした。
やはり交通の要所であり、各種地理的条件も揃っていたためでしょう。
また言語的にも、現在ではスロバキア語(かなりチェコ語に似ているそうです)が使われていますが、過去はドイツ語やハンガリー語も公用語だったそうです。
つまりそれは被占領の歴史を意味しますーーー。
今は平和そのものですし、経済的発展も遂げています。
その理由のひとつはウイーンとの近さです。
オーストリア・ウィーンとの距離は欧州の首都間距離としては最も近い約60キロメートルで、中央ヨーロッパの中心の「双子都市」となるとして注目されており、両都市を結ぶ高速道路網などの整備が進んでいます。
そして多くの旧西側企業が進出しています。
ブラチスラバの平均所得はEU加盟国平均よりもずっと多く、多くの産業が発展しています。
そして失業率も2,3%程度でギリシャやイタリアとは比べるべくもなく、イギリス、フランス、ドイツにも大きく差をつけ、アメリカはもちろん日本よりも雇用状況は良いようです。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/11/20
いいね!:6票
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