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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(76ページ)全1,843件

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  • 来間島のランドマークタワー~竜宮城展望台~

    投稿日 2016年01月09日

    竜宮城展望台 宮古島

    総合評価:5.0

    宮古市街から国道390号線を走り田んぼの真ん中で来間大橋へと右折すると、与那覇前浜の隣を通過したあたりから右手前方に?琉球カラー?でもない派手な配色をしたお城のような建物が目に入ります。竜宮城展望台、浦島太郎伝説から命名したんだろうと思われるド派手な展望台は3階建ての建物です。与那覇前浜、東急リゾート、来間大橋が望める景色は、標高が低い宮古諸島ならではのものではないでしょうか。

    来間大橋を渡っている間もずっと見えている建物ゆえ、行くことも容易だろうと考えていたことは甘かった。集落の海側に位置しているものの、その集落内の道が結構ややこしい道であり、またナビの行先表示ができなかったこともあり止まっては進むを繰り返し、やっと来間小中学校の裏手に位置することがわかり辿り着くことができました。展望台へと上がるには結構急な階段があり、また展望台内部にもまた階段があるため、脚力は必要だと思いました。本来なら眺望に言葉を失うところなのでしょうが、残念ながら結構キツイ雨が降っている状況では、透き通る海の様子は全くわかりません。それでも階段を登って景色を眺めますが…う〜ん…イマイチってところでした。宮古島中心部にホテルを取っていてレンタカーがあると簡単に来られる場所ではあるため、天候に恵まれない時は日を変えた方が良いと思います。

    トイレと駐車場は完備しているもののそれ程台数は停められません。また展望台を目指して走るレンタカーは、皆さん場所がわからず走っているようで、周辺では結構接触事故などもあるようです。せっかくの楽しみをふいにしないように最徐行で走行して下さい。

    旅行時期
    2015年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    来間大橋入口から車で15分。
    人混みの少なさ:
    5.0
    雨の日の夕暮れは貸切でした。
    バリアフリー:
    3.0
    結構急な階段があります。
    見ごたえ:
    4.0
    確かに景色は凄いのですが、天候に左右されます。

  • 伊良部島で最も手軽に利用できるビーチです、しかし…~渡口の浜~

    投稿日 2016年01月09日

    渡口の浜 伊良部島・下地島

    総合評価:4.0

    伊良部大橋の開通によって宮古島と陸続きになった伊良部島に於いて、橋を渡ってから一番手軽に利用できるビーチと言っても過言ではないと思います。伊良部大橋を渡り左方向へととって行くと、下地島との境付近に広がる渡口の浜は、宮古空港から車で20分程で到着する頃ができます。弓状の砂浜が約800m程続く砂浜海岸は、時期によっては海水浴場としてよりも観光地の要素が高く、春先では観光バスが到着する度に多くの観光客が下車し、景色を楽しみます。

    浜を二分するように旧渡口桟橋と防波堤があり、それが外洋を遮断するような形で穏やかな海水浴場を造りだしているようにいるように思えます。以前宮古島平良港と伊良部島渡口港を結ぶ航路がありましたが、昭和15(1940)年に起こった伊良部丸の遭難事故。渡口港に迎えに来た住人の目の前での事故によって73名の犠牲者を出しました。航路の欠点で起こってしまった遭難事故によって、宮古島と伊良部島を結ぶ橋梁の必要性が言われたことはこの事故がきっかけになったという意見もあります。

    4月半ばでそれ程暖かい日ではなかったものの、伊良部大橋を利用してこの地を訪れる観光客は結構の数だったように思います。事故のことも時とともに風化してきているようにも思うものの、やはりその理由は考えなければならないと思います。

    余談ですがこの渡口の浜、海水浴客で賑わっている時ならまだしも、空いているときはあまりにも目立ちます。ゆっくりとは出来るかも知れませんが、逆に景色から浮いてしまうこともありますのでご注意下さい。ビーチ手前にある海の家では有料のシャワーサービスがありました。

    旅行時期
    2015年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    伊良部大橋から7分位。
    アクティビティ:
    3.5
    渡口の浜自体は泳ぐだけです。
    景観:
    4.0
    天気が良ければ最高なんでしょうが…。
    人混みの少なさ:
    3.0
    平日の午前中でも結構人は多いです。
    水の透明度:
    5.0
    海が荒れていないと大変きれいです。

  • 開通したての離島間連絡橋です~伊良部大橋~

    投稿日 2016年01月05日

    伊良部大橋 伊良部島・下地島

    総合評価:5.0

    宮古島から伊良部島までの間にかかる全長3,540mの伊良部大橋は、無料の橋としては日本最長です。平成27年1月31日に供用開始されました。交通路以外に水の通り道でもあり、伊良部島の水事情は飛躍的に改善されたようです。

    往年の離島間航路の歴史の中で、出迎える人々の目の前で起こった昭和15年の伊良部丸遭難事故が、この離島間連絡橋の建設に拍車をかけたとされています。建設中に紆余曲折があり、完成まで約2年余計にかかったこともあり、住人の方々の期待は増すばかりというところもあったのでしょう。聞くところによると伊良部大橋がもたらす経済的な普及効果を願う気持ちは地元ではかなり大きなものだったようです。現実に完成後は宮古島を訪れる観光客の増加により、宿泊が取れない状況だったこともあるようです。しかしスカイマークが3月で宮古島路線から撤退し、4月はかなり余裕があるとのことでした。

    便利になりすぎるのも考えもので、添乗員同行の沖縄離島巡りツアー等では、午前便で宮古島に入り、バスで観光した後夕方の便で石垣島へと渡るツアーも増えており、飛行機は取れないものの、宿泊に至らないというところもあります。勿論あくまで地元の方々の生活の質の向上につながっているならば、一観光客が口を挟むことはできません。しかし伊良部島・宮古島と言った伊良部大橋の恩恵を被る場所が、その島々が持つ魅力をアピールしていかないと、ただの通過点にしかならないのではないでしょうか?渡り初めを端折るような方に期待はできないとふと思いました。

    旅行時期
    2015年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    空港から15分くらいです。
    人混みの少なさ:
    4.0
    人はいませんが車は多かった。
    見ごたえ:
    5.0
    全体の作りがそうなっています。

  • 旧四親王家のひとつである閑院宮家の邸宅がありました~閑院宮邸跡~

    投稿日 2015年12月18日

    閑院宮邸跡 今出川・北大路・北野

    総合評価:5.0

    旧四親王家の中でもっとも新しい閑院宮家は、宝永7(1710)年に東山天皇の皇子直仁親王を始祖として設立され、京都御所近辺の宮家や公家が立ち並ぶ現在の京都御苑南西部に屋敷を構えたことに始まります。創建当時の建物は天明8(1788)年の天明の大火で焼失し、その後再建されはしましたが、現在の建物との関係はわかっていないそうです。

    東京遷都で閑院宮家は東京へと移り、その後華族会館や裁判所として利用された後、旧宮家や公家屋敷の場所に作られた京都御苑の整備が一段落した後に旧宮内省京都支庁が置かれました。先の大戦後の昭和24(1949)年に京都御苑が?国民公園?となり、管理官庁である厚生省・次いで環境庁の京都御苑管理事務所と使用された後、平成18(2006)年の改修工事を経て現在では京都御苑の歴史と自然の資料館として、庭園とともに開放されています。

    見た感じではあまり歴史ある感じは受けないものの、やはり付近の九條邸同様山々の?借景?を合わせていることは、素人目にもわかります。しかしその庭園にある木々の紅葉というものが大変大きな要素となっており、時期はずれの訪問はやはり少し残念に思いました。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    京都地下鉄南北線丸太町駅徒歩5分。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    無料です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    混雑はしていませんが、空いているわけではありません。
    展示内容:
    5.0
    京都御苑の歴史と自然を風情ある建物で見ることができます。
    バリアフリー:
    5.0
    建物には階段があります。

  • 見る限り平和そのものの公園のようですが~浦添大公園~

    投稿日 2016年01月06日

    浦添大公園 宜野湾・北谷・中城

    総合評価:5.0

    遊具で遊ぶ子供達とそれを見守る親御さんで賑わう浦添大公園は、国道330号線に面して作られた公園になります。遊具の他に展望台もあり、無邪気に遊ぶ子供達の姿からは平和そのものの風景にしか見えません。しかし今から70年前にはこの地に於いて沖縄戦の中でも激戦のひとつと数えられる前田高地の戦いが繰り広げられました。昭和20(1945)年4月25日から始まった前田高地の戦い、新鋭の主戦力ではなく、嘉数での戦いにより多くの兵士を失った第62師団隷下の3個大隊、それに応援という形で、第24師団第32連隊の3個大隊が米軍を迎え撃ちました。善戦はしたものの武器兵力共に勝る米軍の前に次第に押され、5月5日にはこの前田高地は陥落しました。

    嘉数と同様に前田高地でも敵味方軍民問わず多くの犠牲者を出しました。沖縄戦という史上稀に見る戦いの舞台となった前田高地でしたが、その後の開発の過程に於いて、その遺構は破壊されて行ったものも多くあります。嘉数のある宜野湾市は、戦跡を残そうという傾向が強いのに対し、前田高地のある浦添市は、あまりそのような考えが希薄だとされています。

    沖縄本島殆んどの場所に於いて戦闘が行われたこと、即ち沖縄本島自体が戦場だったと言っても過言ではありません。焼け野原からの復興を成し遂げた沖縄に、開発の是非論を投げかけることもなにか筋道が通っていないように思えてなりません。しかし隣り合う2つの市で起こっている真逆の考えには、その根拠にはなにがあるのか・・・、それは知りたい気がします。

    旅行時期
    2015年06月

  • 終わらない沖縄戦を痛感する場所です~嘉数高台公園~

    投稿日 2016年01月06日

    嘉数高台公園 宜野湾・北谷・中城

    総合評価:5.0

    国道330号線から少し入った住宅地の中にある公園です。緑地帯には遊具があり、子供達の無邪気な笑い声が聞こえます。公園内には地球儀をモチーフとした展望台か設置されており、こちらも遠足などで利用されることが多いそうです。

    展望台へと登る階段の脇には、以前嘉数の集落にあった?弾痕の残る壁?が移設されています。頂上部手前には日本軍が作った豪が残っています。立ち入り禁止ではあるものの、頂上部のトーチカと繋がっているとのことでした。そして頂上部には先述したトーチカの他、京都の塔・嘉数の塔などの慰霊塔が建立されています。

    今から70年前、沖縄島西部の北谷・読谷に上陸した米軍を、第32軍隷下の第62師団が迎え撃ち、火力兵力ともに勝る米軍に対し戦いを挑みました。沖縄戦初め頃の熾烈な戦いのひとつに挙げられる嘉数の戦いでしたが、日米両軍の一進一退のこう着状態が続くなど死力を尽くしての戦いを繰り広げられました。しかし応援部隊を投入してくる米軍に対し、戦い続けなければならない日本軍は時間の経過とともに劣勢となり、遂に昭和20(1945)4月24日嘉数陣地は攻略されました。この戦いによる犠牲者数は、両軍合わせて約90,000名。文字通り死力を尽くしての戦いでした。

    この地になぜ京都の塔と同一敷地内に嘉数の塔が建てられているのか?実は嘉数の戦いの主力部隊だったのは第62師団第63歩兵旅団第13大隊でした。京都師団区で集められた兵士が多く、そのほとんどが2度と故郷を見ることなく、この嘉数の地で亡くなっています。また部隊に協力をした地元嘉数の住人も戦闘に巻き込まれて亡くなられました。その協力に対し沖縄京都の塔賛助会の働きかけもあり、同じ敷地で仲良く立ち並ぶ姿を現在でも見ることができます。

    そして頂上部の地球儀の展望台。浦添大公園展望台からもわかるこの場所ですが、平和をモチーフとして地球儀になったことは容易に想像が出来ます。本来なら戦後70年経った時には、ここで戦争がありましたとの伝承だけを考えていたのではないでしょうか?しかし現実には米軍普天間基地に離発着するオスプレイがもっともよく見える場所として有名になってしまいました。逆にそのような場所に於いて、戦争とはなんぞや?と自らに問いかけることこそ必要なことなのかも知れない、そう思えてなりませんでした。

    旅行時期
    2015年06月

  • 実は元農道、現市道の橋なんです~来間大橋~

    投稿日 2016年01月06日

    来間大橋 宮古島

    総合評価:5.0

    平成7(1995)年3月に完成した来間大橋は、完成時は農道であり、1,690mの日本最長の農道橋と沖縄県最長の橋でした。その後古宇利大橋の完成によって最長の橋ではなくなるものの、現在でも県道ではなく、宮古市道の一部として異色の存在感を発揮しています。

    元農道だけに曲がり道がわかり辛く、田んぼの真ん中にある交差点を何度も行き過ぎてしまった曲者でもあります。

    さほど飾り気のないまっすぐに近い橋ではあるものの、道路の下には灌漑用水や電気を来間島への送るパイプラインが敷設してあり、島の農業を支えているそうです。

    今回は天候に恵まれず、モヤのかかった橋の姿しか見えなかったものの、両端の位置関係がわかりやすいこともあり、晴れると澄み渡る景色が広がることが容易に想像できます。次回のお楽しみです♪

    旅行時期
    2015年04月

  • 兵どもが夢の跡の施設かな~サンマリンターミナル~

    投稿日 2016年01月05日

    サンマリンターミナル 伊良部島・下地島

    総合評価:5.0

    伊良部島佐良浜港の旅客ターミナルであるサンマリンターミナルは、伊良部大橋が完成するまでは伊良部島への唯一の玄関口として多くの観光客が利用していました。平成27(2015)年1月31日16:00に伊良部大橋の供用開始、同日夕方の宮古島平良港・伊良部島佐良浜港発の最終便の運航をもって航路は廃止となりました。確かに陸路で結ばれることにより、生活の質の向上は図れますが、観光客のわがままを承知で言わせて頂くと、離島がひとつ無くなったように思えてなりません。

    生活の向上と観光客の誘致を目指していることは、伊良部大橋の全長3,540m=ミヤコシマの語呂合わせからもわかることですが、開通式典に市長が渡り初めを端折ったことなど、本当に地元のことを考えているのか?理解に苦しむところもあります。

    往年の賑わいをサンマリンターミナルに求めることは無理な話だとはわかっています。しかし長年に渡って島民の方々の生活を支えていた過去の?栄光?を、今度は観光客に新たに与えることはできないものなのか?船が着岸しなくなって2ヶ月経ったサンマリンターミナルでふと思った次第です。

    旅行時期
    2015年04月
    コストパフォーマンス:
    5.0
    お金はかかりません。
    人混みの少なさ:
    5.0
    観光客はいませんでした。
    バリアフリー:
    5.0
    ターミナルには段差はありません。
    乗り場へのアクセス:
    5.0
    宮古島の平良港から20分位でしょうか。
    車窓:
    5.0
    離島の港の雰囲気は残っています。

  • 東平安名崎の先端にそびえ立つ灯台です~平安名崎灯台~

    投稿日 2016年01月05日

    東平安名崎/平安名崎灯台 宮古島

    総合評価:4.0

    宮古島最東端東平安名崎の先端に立つ平安名崎灯台は比較的歴史が浅く、昭和42(1967)年3月27日に当時の琉球政府の手により建てられたものです。昭和47(1972)年5月15日の沖縄本土復帰に伴い、海上保安庁の管轄に移されました。平成8(1996)年に内部に人が入れる参観灯台として一般に開放され現在に至っています。

    入場料とは言わないそうですが、協力金として300円を入口にて払うシステムになっており、96段のらせん階段を登ると灯台の踊り場へと出ることができます。そこからは太平洋や東シナ海といった海は勿論、平安名灯台を含む名勝東平安名崎の緑地を望むことができます。参観灯台としては平凡な感は否めないものの、標高の高い山がない宮古島ゆえの陸の眺望を望むことができます。標記がややこしいのですが付近一帯は名勝東平安名崎、灯台名は海上保安庁管轄になったときに平安名崎灯台と変更されています。

    協力金という入場料をどう取るのかは個人の解釈によって大きく分かれているようです。当日も東平安名崎園地には大型バスを含めた多くの観光客がいたものの、灯台に登っていたのは私以外に2組だけでした。入口に外国人のグループがいましたが、どうやら有料であることを知って戻ったようです。

    旅行時期
    2015年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    東平安名埼園地入口から徒歩15分。
    景観:
    5.0
    360度のパノラマは圧巻です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    園地は多いですが灯台は少ないです。
    バリアフリー:
    3.0
    階段があります。

  • 男のエゴと美人悲話の伝承~マムヤの墓~

    投稿日 2016年01月05日

    マムヤの墓 宮古島

    総合評価:5.0

    私の行く場所にはどうして美人悲話の伝承が多いのでしょうか…。宮古島最東端東平安名崎(ひがしへんなざき)へと向かう道中、一際目を引く巨岩が見えてきます。マムヤの墓、
    平家の落人として近隣の保良村へと都落ちをしてやってきた絶世の美女マムヤは、この地を治める按司(守護職)に見初められ、嫌がるマムヤに勝負を挑み、自分が勝てば妻になれと言い寄りました。その勝負に金と人をつぎ込んだ按司の前に敗れてしまったマムヤは、約束通り妻となります。しかし按司には妻子がおり、本妻から嫌がらせを受けて精神的に追い詰められたマムヤは按司に訪ねます。「私を奥様のどちらを取るのか?」と。

    以前按司は叔父にマムヤの自慢をしたことがありました。私の妻は小便の匂い、マムヤは香草の匂いがすると…。そのとき叔父は按司を諭すように言ったそうです。「今はマムヤかも知れないが、月日が経つと子供の母親である妻の方が良いことに気付くだろう」と。そのことを伝え聞いたマムヤはいたたまれなくなり、按司の元を離れます。そして人と関わることを避け、この平安名崎の地の洞窟でひとり機を織って暮らしていたそうです。マムヤのことを忘れきれない按司は、あらゆる手段を使ってマムヤを探します。そして按司からするとやっと見つけたのかも知れません。マムヤの姿を…。しかしマムヤからするともう会うことのない男との再会は、驚きではなく絶望でしかありませんでした。もはやこれまでと按司の目の前で海へと身を投げました。当然歓迎されるとばかり思っていた按司は、目の前の出来事が信じられず、失意のもと政治を怠り、滅び去ったとされています。

    マムヤは海に飛び込む際に呪いをかけました。自らが美しさゆえに味わった不幸せを、村の娘たちには味わせたくないとの気持ちから、この保良村には美しい娘が生まれてこないように…と。
    しかしそれがそのまま残っているかというとそうではなく、満月の夜に平安名崎の芝生の窪みに溜まった水にその満月が光り輝いているとき、妊婦さんがその水をすくって飲むと呪いは消え去るとただひとつ?呪いを解く術?を残したそうです。

    今なおその伝承が残る保良村では現実にはともかく、我が子が美しくあれと願う母の気持ちのもと満月が浮かぶ平安名崎の芝生の水を味わっておられるのかも知れません。宮古島でも美人が多い集落のひとつとして挙げられることを考えると…。

    現在とは違うのかも知れませんが、優柔不断な男に翻弄された美人悲話は日本全国に多く残ってはいるものの、マムヤ伝説のように手を下したも同然的に言われる伝説も少ないのかも知れません。なにごとも感情的にならず話し合いを持ってやらなければ、必ず不幸になる者が出る…、そんな警鐘を鳴らしているのかも知れません。巨石の中のマムヤ像は…。

    旅行時期
    2015年04月
    アクセス:
    5.0
    東平安名埼園地入口から徒歩10分弱。
    人混みの少なさ:
    4.0
    マムヤの墓を訪れる方はそう多くはありません。
    バリアフリー:
    3.0
    足元は砂地です。
    見ごたえ:
    5.0
    美人悲話の哀愁を感じました。

  • 2,000円札を御存じでしょうか?~守礼之門~

    投稿日 2016年01月05日

    首里城 那覇

    総合評価:5.0

    旅行パンフレットの写真のレベルではなく、紙幣の図柄にされた守礼之門は琉球王国第二代尚氏王朝第四代尚清の時代に建てられたとされている首里城の楼門です。守礼之門という呼称は掲げられている扁額の?守禮之邦?俗称であり、本来は?上の綾門(ウィーヌアイジョウ)?と言われています。

    幾度か建て替えられる過程に於いて屋根や塗装、扁額等が変わっており、現在の?守禮之邦?という扁額が掲げられたのは17世紀中頃のことでそれが現在目にすることができる守礼之門の基礎となっています。

    沖縄戦に於いて首里城共々消失し、再建されたのは昭和33(1958)年のことでした。最初に首里城を構成する建物の中で最初に再建された守礼之門は、当時は広大な敷地内にぽつんと?門?だけがあったこともあり、期待をしてこの地を訪れる観光客の評判は良くなかったようですが、首里城本殿の再建が済んだ平成4(1992)年には現在のように修復されています。

    戦後の再建ではあるものの本土復帰後の昭和47(1972)年には沖縄県指定有形文化財となっています。

    平成12(2000)年の沖縄サミットに合わせて発行された2000円札の図柄に採用され、爆発的に知られるようになったものの、その券面の金額の使い難さからあまり使われなくなったため、今ではその紙幣の存在すら知らない方も少なくはありません。しかし沖縄では普通に流通している2000円札、コンビニATMでお金をおろすと混じることも少なくありません。沖縄かぶれと言われるかも知れませんが、未だお年玉にはその2000円札を入れ、それを集めるために来沖した際には金融機関に立ち寄り、2000円札への両替をお願いしています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    首里城公園入口付近にあります。
    人混みの少なさ:
    3.0
    無料エリアなので人は多いです。
    バリアフリー:
    3.0
    段差はないもののなだらかな坂道の途中です。
    見ごたえ:
    5.0
    賛否論を抜きにして素直に荘厳さに圧倒されます。

  • 旭ヶ丘公園の隣にある神社です~波上宮~

    投稿日 2016年01月04日

    波上宮 那覇

    総合評価:5.0

    波上宮(なみのうえぐう)は那覇港を見下ろす高台に位置しており、隣接する護国寺の創建に合わせて建てられたのではないかと言われています。琉球国新一宮として認定されています。古くから琉球王国の総鎮守府としての記述がされており、御祭神から熊野信仰の流れを組んでいることがわかります。

    歴史ある建物であるからこそなのですが、70年前の沖縄戦に於いて、御神体は宮司によって避難したものの、境内は鳥居を残してすべて灰燼と化しました。その後寄進によって少しずつ再建が進み、沖縄の本土復帰、平成の御造営を経て現在に至っています。

    境内には明治天皇像が置かれており、戦時中はこの場所で必勝祈願をされていたそうです。もしかするとこの明治天皇像が残っていることが、思想的に気に入らないと思われることがあるのかも知れません。それがあっているとか間違っているという論戦の前に、その時代を垣間見れる場所としての大切さを考えなければいけないのではないでしょうか。ビジュアルで見る限り考えさせられることが多い場所に位置しているのは間違いありませんが、なんでもかんでも否定することが解決論にはなるとは思えません。

    旅行時期
    2015年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    旭ヶ丘公園の隣にあります。
    人混みの少なさ:
    3.5
    大陸の人を含め人は多かったです。
    バリアフリー:
    3.5
    坂があります。
    見ごたえ:
    4.0
    沖縄らしからぬ建物かも知れません。

  • 新しくとも歴史を感じる場所には違いありません~首里城正殿~

    投稿日 2016年01月04日

    首里城 那覇

    総合評価:5.0

    琉球王朝尚氏一族の居城として構築された首里城ではありますが、沖縄戦に於いて第32軍司令部の地下壕が構築されたことにより、米軍の執拗な攻撃の標的となり跡形もなく破壊されました。艦砲射撃を主とした攻撃は、600年の歴史を持つ首里を僅か3日間で焼け野原にしたとされています。現正殿が再建されたのは平成4(1992)年のことであり、往時の建物で復元が終わった建造物を含め?首里城公園?として生まれ変わりました。再建後僅か20数年では到底?歴史ある建物?ということはできません。しかしなぜ破壊されてしまったのかを考えるには十分すぎるくらいのことはブラブラするだけでも知ることができます。地理的なものを考えても大陸色が色濃く残ることは容易に想像はできるので、旅行パンフレットの表紙の写真だとしか思わずにその歴史を紐解くもの必要なことかも知れません。

    正殿内部に入るのは入場料が必要です大人820円ですが、その日から1年間有効の年間パスポートも1,640円で購入できます。正殿内部には往時の石垣を見ることができ、600年前の様子を垣間見ることができます。

    旅行時期
    2015年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    空港から車で30分位です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    御庭は人が多いですが、有料区域の本殿は少し減ります。
    バリアフリー:
    5.0
    スタッフが対応されていました。
    見ごたえ:
    5.0
    捉え方の問題ですが、荘厳な雰囲気に歴史を感じました。

  • 琉球王国時代の築城の名手護佐丸が構築した名城~座喜味城跡~

    投稿日 2016年01月04日

    座喜味城跡 恩納・読谷

    総合評価:5.0

    沖縄島中部読谷村に位置する座喜味城跡(ざきみぐすくあと)は、琉球王国(中山)の按司(あじ:豪族のような地方の支配者)であった築城の名手護佐丸の手によって作られたとされています。琉球王国第一尚王朝二代国王尚巴志の北山征伐軍の総大将に若くして抜擢され、北山攻略の立役者となります。その後北山守護職となった護佐丸は、旧居城から石材を運ぶなどして?新居城?を構築、石積みの手法を考えて強度と曲線美を兼ね備えた?座喜味城?は、見る人々を唸らせ、?築城の名手?と呼ばれるようになりました。その後中山から尚忠が北山守護として送られ、居城である座喜味城跡にて18年間静かな生活を送ったそうです。

    その後中城に転封となり、中城城を構築するも謀反の疑いを掛けられて、琉球王府の軍勢に攻め立てられます。武将としての名声もあった護佐丸でしたが、?王府に対し謀反の心なし?と伝え、王府軍に抵抗もせず妻子とともに自害しました。

    諸説はあるものの護佐丸がこの座喜味城で過ごした18年間が、なにもなくて一番幸せな機関だったとされています。鉄の暴風の戦場にあって少し軍施設と離れていたことが被害を少なくしたひとつの理由でもありました。戦後は米軍のレーダー基地が置かれた時期もありましたが、本土返還を機に国の史跡に指定されました。

    沖縄本島で全く沖縄戦に無関係な場所は皆無だと思います。しかしこの座喜味城跡はその戦いの中を掻い潜ってきて、往時の様子を今に伝える数少ない史跡のひとつです。城壁からは残波岬や慶良間諸島までも望むことができます。戦争の爪痕そのものの史跡を訪れることは勿論有意義なことですが、逆に爪痕の残っていない史跡で戦争を考えること、それも必要なことかも知れません。

    旅行時期
    2015年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    国道58号線から20分位。
    人混みの少なさ:
    5.0
    誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    3.0
    足元はあまりよくありません。
    見ごたえ:
    5.0
    石組は勿論風景も!

  • 6月23日慰霊の日再訪~平和の礎(いしじ)~

    投稿日 2016年01月03日

    沖縄県営平和祈念公園 糸満・ひめゆり

    総合評価:5.0

    沖縄戦で亡くなられた国籍問わない戦没者の方々のお名前が刻まれている平和の礎、毎年遺族の高齢化が進む中、?追加記銘?が増えている現実は周知の事実です。現在戦没者遺族と定義されている(注:恩給法とは無関係)孫世代が、曾孫世代まで拡大される2016年度との記事が書かれることも避けられない事実を背景にしています。一応母方の祖父が沖縄で戦死していることもあり、この平和の礎には来沖時には立ち寄っていました。仕事柄平日休みの旅行中、この礎を目的として訪れておられる方々を見ることがなかったこともありました。花売りのおばあに絡まれたことなど、関係ないことばかりが記憶に残っています。その今までの記憶を覆すことがありました。6月23日の慰霊の日の出来事です。私は祖父の記銘位置はなんとなく覚えているので、さっさと目的の場所へと向かいます。そしてお参りを済ませ、戻って来ると礎入口にある記銘場所を探す?パソコン?の前に人だかりができています。あらかたご年配の方がトロトロしているんだろう…と思ったものの、なんとなくその行列を遠回しに眺めていたところ?予想通り?…。とはいえ後につながる方々もご年配の方が続いており、?誰か…?という視線を感じて、やっと?どうかしました??とヒトコト。ようは探し方もわからんし、(図の)見方もわからん…。探し方をレクチャーし、ここですよ〜と教えたら終わりかと思いきや、?まだいるんだけど〜?。ここまで気付かなかった私が無頓着でした。特に沖縄の方々の場合は戦没者=家族一人ではないという事実を。そのことを知って顔色をなくしたのですが、そこは冷静を保って終わらせ、次の方に?わかりますよね〜??っと聞いたものの?やって?との言葉に押され続け、5人のご遺族で約20名の戦没者記銘位置の検索をお手伝いしました。

    別に素晴らしいことをやったわけではありません。しかし私の中で戦没者は家族で一人と決めつけていたことは、自分自身の無知さ加減を暴露したに過ぎません。沖縄の戦いで20万余名の尊い命が失われました。そして70年、表面的には平和が過ぎている今日にあり、いまだ終わっていない戦争の傷跡を今に伝えている場所、それが平和の礎ではないでしょうか。どうしても資料館になると制作側の意図が加わってしまいます。それに過剰に反応してしまうこともあると思いますが、その中で黒御影の石に刻まれた数え切れない名前の数々は声に出すことはありませんが、目先のことで暴走をしている人々に警鐘を鳴らしている…そう思える場所だと思います。

    旅行時期
    2015年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    入口から徒歩10分くらい。
    人混みの少なさ:
    3.0
    一年で一番人が多い日です。
    バリアフリー:
    3.5
    礎付近は芝生敷きです。
    見ごたえ:
    5.0
    いつ来ても記銘数の多さに圧倒されます。

  • なにも言うことができなかった場所~ひめゆり平和祈念資料館~

    投稿日 2016年01月03日

    ひめゆり平和祈念資料館 糸満・ひめゆり

    総合評価:5.0

    ひめゆりの塔に隣接する資料館ですが、塔を訪れる観光客の半分程しか立ち寄らないそうです。ひとつは有料施設であるということ。もうひとつは団体旅行特有の時間制限が理由だそうです。昨年春に団体向けに残されていた?ひめゆり学徒?の直接講話が終了し、現在はビデオによるものに変わっています。

    人間は年を取ります。それは変えることはできません。あの?鉄の暴風?を生き長らえられた元学徒の方々もご高齢になられ、なかなか事前の予約に対応できないこと、それも理由のひとつです。そこで戦後生まれの奇特な精神をお持ちの方々による?語り部?の引継ぎが進んでいると聞きました。その二世の語り部さんが中心となり、学徒隊の体験談を伝える場所になっているというのが今の?ひめゆり平和祈念資料館?だと思います。

    十把一絡げにいうのもなんですが沖縄戦を語る資料館は、その?戦争の悲惨さ?を語ることに重点を置いており、個々の施設が本来なら?一番言いたいこと?が二の次になっているように思えてなりません。設立の背景も違う施設でも、来館者の感想が?同じにしか見えなかった?。これが現状です。私個人は第三外科壕のジオラマだけは飛びつきました。当時このような場所に多くの人が?生きていた?…、そのことは頭から離れません。そのようなことは個人の観念の問題であり、それが正しいとは思ってはいないものの、時間がないから行かないとか、同じだから行かないなどという先入観を持たれてしまうことには、なんらかの対処が必要ではないかと思います。確か館内は撮影禁止だったと思いますが、撮影する必要もないと思いました。ビジュアルで思い出すのではなく、心に訴えかけるもの。それをひとつでも得られるならば、ひめゆり平和祈念資料館に来たかいがあるのでは、そう思いました。

    旅行時期
    2015年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    ひめゆりの塔に隣接しています。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    金額をどう取るかは個人の問題です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    ひめゆりの塔だけの見学者も多いようでした。
    展示内容:
    4.0
    伊原第三外科壕のジオラマには心奪われました。
    バリアフリー:
    5.0
    スロープはあります。

  • 西表島東部に広がるなにもない浜~南風見田の浜~

    投稿日 2016年01月02日

    南風見田の浜 西表島

    総合評価:4.0

    沖縄県道215号線白浜南風見線の終点を通り過ぎ、南風見田のキャンプ場のまた奥からはじまる南風見田の浜は?なにもない浜?のひとことに尽きます。約2kmの浜は、シーズンならいざ知らず、オフ期には人にすら出会うこともありません。海を隔てた向こう側には波照間の島影を望み、天候に恵まれずに渡航経験のない方々が、想いを馳せることの多い場所であることは周知の事実です。先の大戦中に石垣島に駐屯していた独立混成第45旅団の軍命によりこの地に強制疎開を余儀なくされた波照間島民がマラリアに罹患し、多くの尊い命が失われました。中でも国民学校の生徒を引率し、未来ある子供達の命を絶つ理由を作ってしまった当時の識名信升校長が危険を顧みず旅団長に直訴し、帰島の許可を取り付けた際に、その犠牲になった子供達のことを島民に忘れないようにとの気持ちで刻んだ?忘勿石 ハテルマ シキナ?の10文字が今なお見ることができる場所でもあります。海水浴場とは反対の場所に位置するために訪れない方も多いと聞きますが、この?なにもない幸せ?は当たり前のことではないということは知って頂きたく思います。

    海水浴場として利用されている場所には、東屋と水シャワーはあるもののトイレはありません。

    旅行時期
    2015年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    大原港から車で10分位はかかります。
    アクティビティ:
    3.0
    10月ではちょっと寒かったかな。
    景観:
    3.0
    干潮のときに行ったので負の遺産が目立ちます・・・。
    人混みの少なさ:
    5.0
    貸し切り状態♪
    水の透明度:
    5.0
    キレイで澄んでいました!

  • 古き街石山に在ってなぜか若者を集めているお店~石山グリル~

    投稿日 2016年01月02日

    石山GRILL 石山寺周辺

    総合評価:5.0

    石山駅から徒歩1分、ステーションプラザ1階に昨年オープンした石山グリルはなぜこれ程の若者を集められるのかいつも不思議に思う店です。オープンデッキをイメージするようなつくり、この界隈にはない店内の雰囲気などが人気の秘訣なのかも知れません。
    おまかせコースを含めたお料理は?見かけ?は勿論?味?も申し分ありません。なので安くがっつり食べる店ではなく、飲んで喋ってという感じのお店だと思います。値段は安いと言うわけにはいかないものの、食事代に見合ったお料理は食べられると思って間違いはありません。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    友人
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    5.0
    石山駅からあるいてすぐ。
    コストパフォーマンス:
    3.5
    値段はそれなりにします。
    サービス:
    5.0
    若い子がきびきび動いています。
    雰囲気:
    4.0
    まわりに影響されることもあります。
    料理・味:
    5.0
    文句ありません。
    バリアフリー:
    3.0
    段差はあります。
    観光客向け度:
    3.0
    あまりお勧めは致しません。

  • 石垣島東部海岸を望む展望台~玉取崎展望台~

    投稿日 2016年01月02日

    玉取崎展望台 石垣島

    総合評価:5.0

    新石垣空港から国道390号線を北上し、伊原間付近から一旦旧道へと入りしばらく走ると一際大きな看板が立っています。観光バスも立ち寄る石垣島東部の観光名所として有名な場所になります。駐車場から遊歩道を歩くと10分程で東屋のある展望台へと到着します。海岸線からは少し奥まった場所にあるため、360°の展望が広がっている訳ではありません。しかし山・海・空の三色のグラデーションはいつ何時も楽しむことができ、訪れて損はない場所です。しかしやはり天候が悪いとどうしてもその感動が…となるのは自然界のしきたりではありますが。

    トイレと自動販売機は置かれています。最寄にあるペンションさっぽろは、おすすめの宿のひとつです♪

    旅行時期
    2015年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • なにかの祠のように見える場所でした。

    投稿日 2016年01月02日

    番所跡 西表島

    総合評価:4.0

    黒島ビジターセンター隣の緑地にある?番所跡?は、その昔八重山群島が薩摩藩の支配下におかれていた時代に、八重山群島の総元締である蔵元(行政庁)の末端機関として、当時の黒島を統治するために置かれた村番所跡(役所跡)です。当時の番所には、首里王府派遣の役人(与人・目差等)が常駐し、村からも一年交代で協力人が選出され、人頭税の徴収や島に出入する船舶の荷役の管理や統制等を行った場所であったそうです。

    写真を見れば一目瞭然なのですが、どう見ても小さな?祠?のようにしか見えませんでした。あまり過度の期待はするものではありません。

    旅行時期
    2015年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    黒島ビジターセンターからすぐです。
    人混みの少なさ:
    5.0
    誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    4.0
    芝生敷きです。
    見ごたえ:
    3.0
    逆になんで?と思いました。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 写真

5国・地域渡航

41都道府県訪問

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんにとって旅行とは

非日常生活の出来事を体験できて、日頃の鬱憤を晴らせる場。

自分を客観的にみた第一印象

能ある鷹は爪を隠す♪

大好きな場所

夏は風鈴、冬はイルミネーション。そして6月は沖縄。

大好きな理由

触れ合う人々がすべて暖かく接してくれ、大自然を満喫できる場所に思えるので。

行ってみたい場所

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