終わらない沖縄戦を痛感する場所です~嘉数高台公園~
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
宜野湾・北谷・中城 クチコミ:27件
国道330号線から少し入った住宅地の中にある公園です。緑地帯には遊具があり、子供達の無邪気な笑い声が聞こえます。公園内には地球儀をモチーフとした展望台か設置されており、こちらも遠足などで利用されることが多いそうです。
展望台へと登る階段の脇には、以前嘉数の集落にあった?弾痕の残る壁?が移設されています。頂上部手前には日本軍が作った豪が残っています。立ち入り禁止ではあるものの、頂上部のトーチカと繋がっているとのことでした。そして頂上部には先述したトーチカの他、京都の塔・嘉数の塔などの慰霊塔が建立されています。
今から70年前、沖縄島西部の北谷・読谷に上陸した米軍を、第32軍隷下の第62師団が迎え撃ち、火力兵力ともに勝る米軍に対し戦いを挑みました。沖縄戦初め頃の熾烈な戦いのひとつに挙げられる嘉数の戦いでしたが、日米両軍の一進一退のこう着状態が続くなど死力を尽くしての戦いを繰り広げられました。しかし応援部隊を投入してくる米軍に対し、戦い続けなければならない日本軍は時間の経過とともに劣勢となり、遂に昭和20(1945)4月24日嘉数陣地は攻略されました。この戦いによる犠牲者数は、両軍合わせて約90,000名。文字通り死力を尽くしての戦いでした。
この地になぜ京都の塔と同一敷地内に嘉数の塔が建てられているのか?実は嘉数の戦いの主力部隊だったのは第62師団第63歩兵旅団第13大隊でした。京都師団区で集められた兵士が多く、そのほとんどが2度と故郷を見ることなく、この嘉数の地で亡くなっています。また部隊に協力をした地元嘉数の住人も戦闘に巻き込まれて亡くなられました。その協力に対し沖縄京都の塔賛助会の働きかけもあり、同じ敷地で仲良く立ち並ぶ姿を現在でも見ることができます。
そして頂上部の地球儀の展望台。浦添大公園展望台からもわかるこの場所ですが、平和をモチーフとして地球儀になったことは容易に想像が出来ます。本来なら戦後70年経った時には、ここで戦争がありましたとの伝承だけを考えていたのではないでしょうか?しかし現実には米軍普天間基地に離発着するオスプレイがもっともよく見える場所として有名になってしまいました。逆にそのような場所に於いて、戦争とはなんぞや?と自らに問いかけることこそ必要なことなのかも知れない、そう思えてなりませんでした。
- 施設の満足度
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5.0
クチコミ投稿日:2016/01/06
いいね!:7票
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