たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(34ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2018年07月24日
総合評価:5.0
今までの行動圏内ではほとんどお世話になることがなかった近江バス。しかし新天地での生活では〝唯一の路線バス〟でした。
大津から草津までを管轄する大津営業所。南草津駅から立命館大学迄を走る連節バス等新車を走らせているものの、ほとんどは西武バスの中古が現役で走っています。病院路線にはノンステップバスの小型車が走るものの、ほとんど未だツーステップバスが走っています。
しかし守山から野洲・近江八幡エリアを担当する野洲市のあやめ営業所管内では普通にノンステップバスが走っています。新車かどうかはわかりませんが、大津営業所のバスよりもはましでした。
ただ近江バスの悪いところは独自路線が強く、関西のバス路線でありながら交通系ICカードが使えない・・・。立命館大学路線には独自カードシステムを導入しているものの、他の路線ではカードリーダーすら付いていません。未だ回数券が存在する近江バスは、私が普段利用している〝田舎の赤バス〟ならぬ〝ど田舎の緑バス〟というところでしょうか(笑)。- 旅行時期
- 2018年07月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 田舎のバス料金体系です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 意外に利用者は多いようです。
- バリアフリー:
- 5.0
- ノンステップバスが導入されていました。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 駅前です。
- 車窓:
- 3.0
- 市街地は大したことはありません。
-
投稿日 2018年07月21日
総合評価:5.0
那覇からの帰路にいまだ乗ったことのないソラシドエアを選びました。理由は単純に安かったからなのですが、職場理由で手配を2ヶ月前から始めたこともあり、LCCも格安運賃という程のものでもなかった時期に、最も安かったバーゲン35の8,100円で手配しました。
ずいぶん前に見たことのある機材はB734が使われていましたが、当日機材を見て〝ウイングレット〟の存在に気づき、既に全期がB738に入れ替わっていることを初めて知りました。
ごたごたの後ANA傘下に入ったこともあり、すべての便がNH・6Jのコードシェア便となっており、チェックイン等もすべてANAカウンターで行われていました。当然ANAの乗客と同じレーンでの手荷物預けになるため、時期・時間・曜日によっては大変混雑し1時間半前に並んでも間に合わないこともあるらしく注意が必要です。
那覇空港でボーディングブリッジを使った搭乗は、ナローボディ機材の利用時は数年間ほど記憶にはありません。5Fの前方窓際席のアサインをしていたため、優先搭乗の対象だったこともあり、珍しくさっさと乗り込み機内の様子を確認します。新造機だけあってなにもかもが新しく、意外な感じすら受けた機内の様子でした。メリハリをつけるのかLED照明をと派手系のシートは、なんとなく〝若さ〟をアピールしているようにも思えました。
シートピッチは確かにLCCよりもは広いようですが、行きがクラスJだったこともありやはり狭い感はありました。しかしレギュラーキャリア中型機の普通席並みの広さは確保されていました。残念ながらシート幅はそれ程大差なく、混雑時の3人席は少しきついです。
一度はなくなったドリンクサービスも復活しており、機内販売も含めたサービスはレギュラーキャリア並みのものになっています。
運航にあたり問題も指摘されていたソラシドエアではありましたが、最近は聞かなくなりました。コーポレートカラーのグリーンはなんとなく温かみを与えるようにも見え、女子旅を促進していることもあり、女性の利用客が比較的多いというのもわかるように思いました。
那覇から神戸の区間でしたが、6J024は6月23日日曜日の空港内と離発着混雑のため、離陸が20分ほど遅れましたがそれは仕方がありません。その遅れた分がそのまま遅れる訳でもないようで、離陸後1時間45分で無事にマリンエアに到着しました。滋賀県の住人からは鉄道で行くことができる最も近い空港が神戸空港でもあるため、比較的高いとは思いながらも、オプション料金や空港までの交通費を考えるとむしろソラシド便を使った今回の方が割安になりました。飛行機を選ぶときには〝トータル金額〟で比較しないといけないと改めて思った今回のソラシドエアの利用でした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 航空券の価格
- 20,000円未満
- 直行便
- 直行便
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 機内食・ドリンク:
- 5.0
- 座席・機内設備:
- 5.0
- 日本語対応:
- 5.0
-
投稿日 2018年07月19日
総合評価:5.0
平和祈念公園の歴史は古く、日本に返還される前の琉球政府時代に沖縄戦跡政府立公園の指定を受けたことに始まります。
昭和47(1972)年5月15日の日本返還後は唯一の戦跡の国定公園となりました。陸域3,127haと海域1,932haからなる広大な公園には、都府県や軍関係・その他組織の慰霊碑が建立されている霊域の摩文仁の丘、霊域西側一帯で広場や散策路が整備されている園路広場ゾーン、公園中央部のエントランス広場近傍の平和の礎や平和祈念資料館・平和の丘・沖縄平和祈念堂等の本公園の主要な施設が整備されている平和ゾーン、北側一帯の既存施設と調和した動的レクリエーション施設の多目的広場や子供広場・展望広場等が整備されているレクレーションゾーンから成り立っています。
初めて訪れた時には平和の礎をはじめとした戦没者追悼施設のインパクトが強く、聖域というイメージが強かったのですが、戦没者追悼式典に参加するようになり、そこで行われた見苦しいヤジの応酬等を見ていると、一部の思想信教的な聖地であって、人が集まる広場なのかと疑うようになりました。
もしかすると個々の慰霊碑その他の施設が観光地化され過ぎており、聖域としては似つかわしくないように思ったのかも知れません。しばらくはそのような概念があったのですが、その見解が変わったのはやはり沖縄戦終結直後の景色を撮った写真を見たからかも知れません。
木々が全くと言っていい程見当たらない景色は、それだけ熾烈な戦いが行われた戦場であることをストレートに伝えてくれました。
それから70余年の年月が経ち、その時の様子は公園を散策する程度では全く分からなくなって来ています。経年によって戦争の爪痕を消そうとしてきた人々の努力のたまものなのかも知れません。しかしこの景色は現在のものであって、過去にはなかったことだという史実は伝えなければならないことだと考えます。
樹木のない殺風景な公園に人が来るかは結果論として、戦争の悲惨さを伝えるひとつひとつの品々を展示することより、その写真の景色を再現したジオラマを作った方がトータル面で沖縄戦を身近なものとして感じることができるのではないでしょうか?
年月が経つにつれて沖縄戦が風化することを恐れて、主観の入った話を伝え聞いても本当のことは伝わりません。それより個々の五感で見て感じて考えるようにすれば、現在のように無関心でいられないのでは・・・とふと思ったのは私だけでしょうか?- 旅行時期
- 2018年06月
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投稿日 2018年07月17日
総合評価:5.0
米須霊域の中心にある魂魄之塔。沖縄戦終戦後にこの付近に強制的に移住させられた真和志村民の手によって、雨晒しとなっていた戦死者の遺骨を集め、穴を掘って埋めようとしたところ埋まり切らず、米軍から払い下げられたコンクリートや付近の石などを積み上げて作られた最古の沖縄戦没者慰霊碑です。
資材の無い中での慰霊碑兼納骨堂を作ることは困難を極めたものの、そんな現実的なことよりも放置されたままの遺骨をなんとかせねばならないとの義務感が勝った結果出来上がったものでした。
戦没者慰霊塔を作ることに最初米軍は、報復の拠点化を恐れて許可をしませんでした。しかし農耕を行うにあたり地面を掘れば遺骨が出てくる状況下では作業はすすまず、やむなく許可を出したという経緯があります。
昭和21(1946)年2月23日に建立された魂魄之塔、少し遅れて建立された健兒之塔・ひめゆりの塔等はそれぞれの関係者と判明した遺骨が収められた中、多くの無名戦没者の遺骨約35,000柱の軍民国籍を問わない遺骨が収められていました。
沖縄県最大の慰霊塔兼納骨堂でしたが、その後摩文仁の丘に作られた国立沖縄戦没者墓苑に多くの遺骨は移されましたが、今なお沖縄戦戦没者慰霊塔の中心として多くの参列者が訪れる場所となり今日に至っています。
沖縄県には全国の都道府県の戦没者慰霊碑が建立されていると言われていますが、実は沖縄県のものはありません。そんな理由から魂魄之塔=沖縄之塔と表現してしまいましたが、そもそも都道府県別慰霊碑とは建立の意図が異なり、それを同じとすることは金城和信村長をはじめとする真和志村村民を冒涜するようにも感じます。
残念ながら沖縄県に建立された都道府県別慰霊碑は、慰霊碑建立がブームになった時に次々と作られたものであり、現実の風景から自発的に作り出された魂魄之塔とは全く建立意図が異なります。しかし知識のない戦後内地に生まれた私にとって、沖縄之塔と例える以外に言葉がありません。
慰霊の日に沖縄に行くようになってから4回目となる平成30(2018)年6月23日。今回初めて午前中に訪れました。いつも夕方に訪れていたため、収められたプロパガンダが見え隠れする品々を見ていた際には、沖縄之塔と言い表すことに抵抗もなかったのが事実です。しかし午前中に訪れる方々は表現の違いはあれど真摯に犠牲者の冥福を祈るために訪れている姿が私の目に焼き付いて離れません。
米須霊域にある慰霊碑の中で、ぱっと見一番見すぼらしく見えてしまう魂魄之塔ですが、見かけの問題ではなく、なぜこの場所に塔が建てられたのかという理由が今を生きる沖縄県民をはじめとする戦没者遺族の揺るぎない〝心の拠り所〟になっていることを知り、浅はかな知識で見ていた私自身を恥ずかしく感じた今年の魂魄之塔参拝でした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 米須霊域内にあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 慰霊の日はとても多くの人々が訪れています。
- バリアフリー:
- 3.0
- 塔の周りは未舗装です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 都道府県別慰霊碑とは違う建立意図に気付きました。
-
お土産を買うために立ち寄りました。
投稿日 2018年07月16日
総合評価:5.0
ゆいレール小禄駅に直結しているイオン那覇店、素泊まり宿を泊まり歩くには色々な商品がワンストップショッピングができる便利なお店です。
私の場合はバラまくお土産の購入のためにしばしば立ち寄っています。沖縄島南部を拠点とすると南風原のイオンモールもありますがなんせ広すぎます。サンエー西原シティは距離があるため、品数がある程度揃っておりテキパキと要件が済ませられるお店として選びました。
内地のイオン同様ショッピングバッグは有料なのでマイバックの持参は必須です。ただ渡すための袋がないため、商品を直に渡さなければならないところはありますが、それ程高いものを選ばなければまあ良いか~といつも思って利用しています。
帰る前日までにお土産を購入しておけば、お店から荷物として発送することもできるので何かと使い勝手の良いお店です。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ゆいレール小禄駅前。
- お買い得度:
- 5.0
- スーパーなので。
- サービス:
- 5.0
- マニュアル通りのいい感じです。
- 品揃え:
- 5.0
- 豊富です。
- バリアフリー:
- 5.0
- ハートフル基準を満たしています。
-
投稿日 2018年07月15日
総合評価:5.0
がんじゅう駅南城から斎場御嶽とは逆方向へ進むと大きな公園に突き当たります。それが知念岬公園になります。岬の公園というだけのことはあり、眼下に広がる太平洋はまさに絶景の一言に尽きます。
園内には展望台を兼ねた東屋があり、琉球誕生の地とされるアマミキヨが降誕した久高島が見えることから、沖縄本島の端にいることを痛感します。
そんな園内にポツリと佇むひとつの碑がありました、知念村閉村記念碑。平成18(2006)年1月1日の平成の大合併の結果島尻郡知念村は南城市となりました。廃村ではなく閉村という言葉がやむを得ない理由であったことは致し方ないことだったのでしょうか、実はこの旧知念村は知念市だったことは知られていません。
沖縄戦後に避難民の収容所が設けられたことから人口が25,000人を超えるまでになったことから沖縄諮詢会の地方行政緊急措置要綱に基づき知念市が発足しました。あくまで収容所単位が市とされたことに則しての理由ではあるものの、やはり戦争により沖縄県庁が壊滅したことに基き、米国軍政府下での行政機関を作ることが優先されたことになるが背景としてあったためその期間は決して長くはありませんでした。
知念村→知念市→知念村→南城市と時代に翻弄されるかのように名称が変わって来た事実。その背景にはやはり沖縄戦による影響があった史実を小さな知念村閉村記念碑に垣間見ることができ、綺麗な海が広がる景色を楽しめる現在がいかにありがたいものであるかとふと思いました。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- がんじゅう駅南城から歩いてすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 一部の場所以外は空いています。
- バリアフリー:
- 4.0
- 通路は舗装してあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 景色は素晴らしい!
-
投稿日 2018年07月13日
総合評価:5.0
出発が野暮用で危なくなったなか無理矢理出発したためかなりの無理な行程を余儀なくされた今回の沖縄の旅でしたが、旅の締め括りで選んだのはやはりみん宿ヤポネシアでした。
実に6回目になりさすがに勝手はわかっては来るものの、その日の行程次第で到着時間が大きく変わることもあり、2食付きでお願いしているので気にはなることろです。ただ今年は慰霊の日の夜に泊ることとなったため、平和祈念公園で行われる〝追悼式後夜祭〟に立寄ってから向かいました。
21:00前の到着ですが、事前に連絡を入れておくと到着してすぐに作りたてのお食事を頂くことができ、見た目もお腹も満足します(笑)。
例年同宿している〝ツウ〟のお客さんは既に帰路に就かれており、久しぶりにもう一方だけの空いていた1泊でした。お部屋は昨年と同じ二段ベットルーム、暑がり寒がりな私にとって、エアコンガンガンは毎年恒例の行事のよう。しかし意外ににも今年はエアコンをかけ続けると寒くなりすぎる感じがし、エアコンの温度を上げて扇風機を回していたら丁度良い感じで熟睡…。気が付けば朝でしたが、例年より那覇を経つ時間が早く飛行機が早かったため、それに合わせて朝食も7:30にお願いしました。ボリュームを期待する方にはどうだろう…とは思いますが、比較的小食で朝はパンとコーヒーだけという方には、プラス自然食の〝ヤポネシア朝食〟はうってつけのように思います。
6回目の宿泊にして初めて滞在時間が12時間を切ってしまった今回のみん宿ヤポネシア宿泊でしたが、やはり常宿のご挨拶で来年6月にまた来ます!と言って出られる大度の我が家でした♪- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で5分程です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 1泊2食付き6,000円は手頃です♪
- 客室:
- 5.0
- キレイで清潔♪
- 接客対応:
- 5.0
- アットファミリーな感じですね♪
- 風呂:
- 5.0
- キレイで清潔です♪
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 自然食のお食事は食欲をそそります♪
- バリアフリー:
- 5.0
- 車椅子一人旅でも宿泊されていました。
-
投稿日 2018年07月13日
総合評価:5.0
4回目の宿泊となった奥武島の小さな〝ゲストハウスりゅうかく〟。2月中旬に予約を入れたところ、既に昨日までは満室とのことでした。元々2組3人しか泊まれないお宿ゆえ、人気が上昇しているこことは、泊まれない悲しさ半分嬉しさ半分といったところでしょうか。
ただ今年は寸前のキャンセルがあったとのことで、久しぶりの貸し切り状態でした。いつもおちゃめなおじい・おばぁに部屋の何かが変わっているよ~と言われて部屋を見直すもわからず、寝るときに気付くよ~と言われ、ベットの枕元に照明が点いていることに気付きます。
共用スペースのエアコン設置や配置換えなど、いろいろなことを試しているおじぃとおばぁ。快適な一晩を過ごせるのは勿論のこと、その人柄に触れられることもこちらにお世話になる楽しみです。
宿泊日の関係で慰霊の日の朝出発するのが少し早くはなりましたが、毎回頂いている〝ご自慢の朝食〟を頂けることも幸せなヒトトキでした♪
去り際のヒトコトが最近決まり文句になってきました。『来年この時期にまた来ます!』、そんな気持ちになれる場所は沖縄でもそう多くはありません♪- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 奥武橋からすぐです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- シャワートイレ付で、朝食込みです
- 客室:
- 5.0
- いつもキレイです。
- 接客対応:
- 5.0
- 和みます。
- 風呂:
- 5.0
- いつもキレイです。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 山盛りのフルーツがなんとも言えません♪
- バリアフリー:
- 4.0
- 客室へは階段があります。
-
投稿日 2018年07月05日
総合評価:5.0
魂魄之塔斜め向かいにある沖縄菩提樹苑。釈迦がその樹の下で悟りを開いたといわれている聖なる菩提樹の分け樹が、公式の式典を経てインドから国外に持ち出されたことは紀元前3世紀にアショーカ王の皇女であるサンガミッタによってブッダガヤからセイロンに持ち出された以外にはありません。
?
その聖なる菩提樹が人種・国家・宗教の違いを超えて第2次世界大戦で亡くなった総ての戦没者を慰霊する名目で、沖縄南部の糸満の地に平成15(2003)年7月19日カワハッテェ・シリ・スメダ尊師およびインド大菩提協会サラナトセンターから極めて貴重な聖なる菩提樹の分け樹が贈られ、そして翌年平成16(2004)年5月30日にここ沖縄菩提樹苑に植樹されました。
南国の雨風に晒されて菩提樹が痛んだこともあり、建物の屋根に囲まれて現在に至っています。
ダライ・ラマ14世も訪れて植樹した場所は、年に一回沖縄慰霊の日に平和行進の休憩所として一般公開されてはいるものの24時間解放されているわけではないため、門の外から見ることしかできませんでした。しかし今年は午前中に訪れることができたため、初対面が叶いました。
チベット旗が巻かれている聖なる菩提樹、緑の多い沖縄の地で目立つものではないのかも知れませんが、菩提樹の放つオーラは半端ではないものを感じました。
ダライ・ラマ14世の足跡の碑も含め、2年越しとなった聖なる菩提樹とのご対面は、私の心の中にも爽やかな風を送り込んでくれた様に感じました。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 魂魄之塔斜め向かいです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ちょうど空いていた時でした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 入口までは舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 圧倒されました。
-
投稿日 2018年07月04日
総合評価:5.0
毎年6月に沖縄を訪れるようになり、お世話になるようになったフジレンタカー那覇営業所。年を追うごとに増える沖縄のレンタカー会社の中では古参の会社のひとつだろうと思うのですが、レンタルの内容は群を抜いてしっかりしています。満タン返し不要のコミコミプランは言葉に偽りがなく、借用時・返車時とも傷のチェックはありません。勿論貸出時の満タン確認してからの出発なので変な疑いをかけることもありません。
いくつかコミコミプランを出しているレンタカー会社はありますが、説明をよく聞くと気づかなかった傷に関しては免責にならないことを必ず言われます。あくまで事故届を出して初めて免責になることは、当て逃げされても責任を負わねばならない条件です。
しかしフジレンタカーの場合はそんな心配もありません。確かに沖縄のレンタカー料金は年々安くなる傾向があり、オプション無しだと1日あたり1,000円台で貸出している会社もあります。価格だけは過当競争になっていますが、免責補償が倍かかるなど安いのか高いのかわからない上に、有事の負担額もわかりづらいことも少なくありません。そう言った意味でも補償内容の明確なフジレンタカーは信用がおける会社だと思います。JALマイルも貯まります!
利用する方が増えている中で貸出返却時の待ち時間がないのは気持ち良く旅行を始めて終えること間違いなしです♪- 旅行時期
- 2018年07月
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 少なくはありませんが貸出返却とも早く済ませられます。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア完備です。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 那覇空港から送迎バスで10分程です。
- 車窓:
- 5.0
- 奥武山公園近くです。
-
地域限定メニューを頂きました。
投稿日 2018年06月27日
総合評価:5.0
行程や時間の都合で糸満・那覇・浦添界隈を行ったり来たりしていたため、通り道から外れることなく手軽に食事ができる場所として選びました。
事前知識もなくなんとなく入っただけの吉野家国道58号天久店でしたが、なんと地域限定メニューとして〝タコライス〟が提供されており、迷うことなくトク盛+味噌汁を注文します。ソースはタルサソースとトマトソースから選べますが、タルサソースが聞こえなかったこともありトマトソースをチョイスしました。
やはり作りが違うのか牛丼程早くは出てきませんでしたがそれでも早い。加えて炎天下を歩いたためにトマトソースの甘さが身体に染み渡って大変美味しく頂きました。
元々B級グルメゆえに吉野家で食べても違和感もありませんでした。限定メニューということでどこのお店でもある訳ではないので、天久店を選んで正解でした♪- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 5.0
- 国道58号線沿いにあります。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 600円は安いと思います。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはありません。
- 雰囲気:
- 5.0
- 比較的ゆっくりとできるお店でした。
- 料理・味:
- 5.0
- 満足です。
- バリアフリー:
- 4.0
- ちょっと通路は狭いかも知れません。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 行く価値はあります!
-
回転率はよろしくないようです。
投稿日 2018年06月27日
総合評価:4.0
嘉手納迄足を伸ばしてから浦添のホテルへと向かう途中に手軽に食事が摂れるという想いもあり立ち寄りました。
22:00を過ぎてからの到着だったこともあり深夜サービス料が掛かることは致し方ないのですが、早くに入店してドリンクバーで粘る若者が多いことは、24時間営業のファミレスの宿命なのかも知れません。
ホテルへの到着時刻がかなり遅れていることもあり、食事を済ませるとさっさと出て行きましたが、とてもじゃないけれど1人で長居をする気にはなれませんでした。
料理のお味はチェーン店の良いところでもあり悪いところでもある可もなく不可もなくというところでした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 5.0
- 国道58号線沿いにあります。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- それなりの値段です。
- サービス:
- 4.0
- 悪くはありません。
- 雰囲気:
- 3.0
- 落ち着けない雰囲気でした。
- 料理・味:
- 5.0
- 可もなく不可もなく。
- バリアフリー:
- 3.0
- スロープはありません。
- 観光客向け度:
- 3.0
- そのようなお店ではありません。
-
投稿日 2018年06月26日
総合評価:3.5
沖縄県営平和祈念公園で6月23日に挙行される沖縄戦全戦没者追悼式に参列しました。戦後73年を迎えた今年ですが、相変わらずの形式ばった流れで進んでいきました。
式典の目玉は翁長知事の平和宣言、安倍首相のごたく並べと平和の詩朗読になりますが、いつもながらの品のないヤジの応酬には閉口します。おまけに警備が年々物々しくなる事実から、本当に戦没者慰霊の気持ちを持って式典参加に臨んでいるのか疑問に思えて仕方がありません。
昨年まではヤジに対する擁護論もありましたが、今年に至ってはさすがに今日位はは大人しくして欲しいとの意見があちらこちらから出ていました。
戦没者慰霊と同時に恒久平和と反戦を願う式典に於いて、争いの火種となりうる野次の応酬を行って、後世にどのように争いの無意味さを伝えるのか?疑問に思います。必要のない争いは少なくとも避けられる筈です。内地で大きく報道されることもない追悼式。参列を続けてきた者の一人として残念に思いました。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 当日はシャトルバスを利用しなければなりません。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 公式発表は5,400ですが、会場には30,000人が集まっていました。
- 催し物の規模:
- 4.0
- 形式化してきたことも否めません。
- 雰囲気:
- 4.0
- 形式化してきたことも否めません。
- バリアフリー:
- 3.0
- 舗装はしてありません。
-
投稿日 2018年06月23日
総合評価:3.5
キャンプキンザー向かいにあるホテル・キング。沖縄コンベンションセンターで行われたB'zライブ参戦時に宿泊しました。
浦添という場所的に利用することがなかったのですが、翌日浦添歩きをするために近い場所を選びました。
建物の古さは相変わらずでしたが、内装工事をされたようで5階のツインルームはシャワーになっていました。
基本喫煙ルームなのでタバコのにおいが気になる方にはキツイかも知れません。しかし1泊RCで3,000円で泊まれるならば安いと思います。
中部エリアに用事があって雨風凌げるならばそれで良いという方にはオススメです。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 国道58号線沿いにあります。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 値段が売り物ですから。
- 客室:
- 3.0
- 泊まるだけならば良いかも。
- 接客対応:
- 4.0
- 沖縄のおじさんですから。
- 風呂:
- 4.0
- トイレとシャワーの隙間はカーテンです。
- バリアフリー:
- 4.0
- エレベーターはありますが、通路は狭いです。
-
投稿日 2018年07月11日
総合評価:5.0
長きに渡り石山商店街の中核を担って来た平和堂石山店。耐震問題で建て替えられるとの話は聞いていましたが、ついに平成30(2018)年8月19日日曜日を以って一旦閉店することが決まりました。
既に多くのテナントが出て行っていたため、時間の問題だとは考えていましたが、いざ現実のこととなると寂しい限りです。馴染みの店員さんが働くケータイコーナーは先に7月20日を以って閉店し、皆それぞれ違う店に異動されることになっているようです。
閉店後8月26日から仮店舗での営業が始まるようですが、食品と少し日用雑貨があるだけとのことでした。聞けば築48年だということですがホントご苦労様でした。2~3年後に新しく建て替わるようですが、その時には今と同じようにひとつのお店でなんでも揃う場所として生まれ変わって貰いたい・・・、そう願います。- 旅行時期
- 2018年07月
-
投稿日 2018年06月12日
総合評価:5.0
居酒屋ももじろうJR石山駅前店、全国展開しているチェーン店のひとつです。あまり歓迎されていない方の送別会(笑)ということで低予算で済ませられる場所として選びました。
値段の割にはメニューの数も多く、飲みながら食べるには味もよろしいかと思います。ただ飲兵衛に言わせると、カクテルやサワーのアルコール分が薄いと言っていましたが、下戸の私にとっては、石山界隈の店で唯一カクテル二杯呑めるお店でもあります。
平日だったこともあり、空いていたのでゆっくりと寛げました。ただ地下はケータイ圏外になるので、連絡待ちには要注意です♪- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- JR石山駅前です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 割安感はありました。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはありません。
- 雰囲気:
- 4.0
- 空いていればなかなかです。
- 料理・味:
- 5.0
- 個人的にはいい感じです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 通路は狭いかも知れません。
- 観光客向け度:
- 3.0
- そういうお店ではありません。
-
沖縄戦に於いて学徒動員された沖縄縣立第一中学校の戦没者を祀っています。
投稿日 2016年07月07日
総合評価:5.0
現在の沖縄県立首里高校の前身である沖縄縣立第一中学校は、昭和20(1945)年3月27日、間もなく始まる沖縄島での地上戦に備え、4・5年生の同時卒業とともに3年生とあわせ『鉄血勤皇隊』が編成されて第五砲兵司令部に配属されました。前年11月より通信隊要員として訓練を受けていた2年生は、翌3月28日に『少年特別志願兵』として電信兵第36連隊に入隊を命ぜられ、各無線中隊に学徒兵として配属されます。
戦況の悪化とともに兵士となんら変わらない戦闘に加わることになり、陣地構築、通信、伝令、弾薬・糧食の運搬、戦傷兵の輸送他の任務に加えて、砲弾の飛び交う戦場の最前線で決死敢闘、対戦車肉薄攻撃、挺身斬込みに参加し約210名もの学徒が散華されました。学徒出陣に於ける戦死率は60%弱なので5名中3名が戦死したことになりますが、学校が戦後再建されたこともあり、知名度が低い訳ではありません。
沖縄縣立第一中学校の同窓会として社団法人養秀会が、一中健児之塔や一中学徒資料館の運営管理などをされているため、学徒隊として戦争を戦った時のことなどが良く分かるようになっています。
6月23日には同窓会主催で慰霊祭が執り行われますが、その他はやはり参拝に来られる方の少なさを感るものの、資料館もあることなので一度訪れる価値は間違いなくあるように思います。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 首里城駐車場から徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- パラパラとおられました…。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段はあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 塔は勿論のこと資料館も必見です。
-
沖縄戦で玉砕された京都ご出身の将兵2,536名をお祀りしています。
投稿日 2015年07月08日
総合評価:5.0
都道府県別慰霊碑が集まる沖縄島南部から少し離れた宜野湾市嘉数の嘉数高台公園の頂上部付近にあります。この嘉数の地は沖縄を守備した第32軍隷下の第62師団が、人力兵力ともに上回る米軍を迎え撃ち、沖縄戦の中でも最も熾烈極めた戦いのひとつである嘉数の戦いの戦場となった場所です。その主力部隊は京都で編成され、沖縄戦に於いて二度と故郷を見ることもなくこの地で玉砕されました。この京都の塔ですが、沖縄の都道府県別慰霊碑の中で、地元住人の協力について触れている数少ないものでもあります。昭和39(1964)年4月29日に沖縄戦の戦没者2,536名を祀り、社団法人沖縄京都の塔奉賛会の手によって建立されたこの?京都の塔?ですが、碑はご当地鞍馬の鞍馬石を用いて作られており、碑文は当時の京都府園部町長だった野中広務氏が書いておられます。敷地面積は331平方メートルと都道府県別慰霊碑の中では決して広くはありませんが、その敷地内には、兵士と運命を共にされた嘉数の住人を称える嘉数の塔が同じ社団法人沖縄京都の塔奉賛会によって建立され、現在でも肩を並べるように建っています。
この嘉数の地には70年前の戦いの痕跡が今尚残っており、トーチカや壕の跡が残っています。その歴史上の史実を踏まえて今では嘉数高台公園として老若男女が楽しめる憩いの場所になっています。しかし頂上に立つ?地球儀をモチーフとした展望台からは、すぐ近くにある米軍普天間基地を望むことができ、今尚臨戦態勢にある沖縄の複雑な情勢を痛感する場所でもあります。
破壊と憎しみしか生まない戦争を仕掛けることは過去の過ちを繰り返すこと以外なにものでもありません。しかしただシュプレヒコールを挙げるだけのイベント的なもので解決に導くことは、ほぼ不可能だと思います。それを苦し紛れに場違いなところで発言することは、参列しておられる遺族の方々にとって不快感を与え、かつ追悼式典をを冒涜しているように捕らえられても仕方がないことです。全国紙の一面ですっぱ抜かれ、そこに書かれていた社説の内容こそが、関心の薄い方に伝わった事実だということを認識して頂きたいと思います。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嘉数高台公演駐車場から階段を登るとすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 慰霊の日二日前ですが、さっと来られて帰る方が多いです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 数段ですが階段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- この嘉数高台公園そのものが史実の生き証人です。
-
投稿日 2018年06月09日
総合評価:5.0
国道331号線名城バイパスから少し北に行った場所にある糸洲の壕(通称ウッカーガマ)は、先の大戦末期に陸軍第24師団第二野戦病院として使われました。部隊長は小池勇助少佐。それに私立積徳高等女学校の女生徒25名からなるふじ(積徳)学徒隊が学徒動員されていました。
第32軍司令部の崩壊によって、日本軍の組織的抵抗が終了した以前に出されていた野戦病院解散命令を握り潰し、戦況を判断して6月26日に解散命令を出した小池隊長。『足手まといになる』という理由で重症者の処置を命令されるも、医者として人殺しをするのは忍びないとして、解散時に食料と手榴弾を重症兵の脇に置き、自決を望む学徒を叱り『生きることの大事さ』を説いた、当時に於いて〝人としての気持ち〟に富んだ軍医でもありました。自身は解散命令翌日に自決されますが、ふじ学徒隊は3名(1名は戦後自死)の犠牲者は出すものの22名が捕虜となり、九死に一生を得ています。
付近に残るガマとはつながっており、往時は行き来が可能だったことが記録に残されています。しかしこの糸洲の壕を含め経年劣化と付近を取り囲む環境の変化に伴い、落盤の危険性が叫ばれていつの間にか入場が禁止となっています。
元々農地に囲まれた場所にあり、水に富む地下水脈から農業用水を引くために多くのホースが引かれていることがわかる場所ではありましたが、現在では確認できなくなっています。昨年(平成29年)春頃にガマ入り口の二基の慰霊碑が新しくなり、碑文を確認しないと史実がわからないようになったと思えます。
ヘタレが地下水脈を辿ってガマ同士の繋がりを示せるほど容易くできるものではありませんでしたが、やはりその遺構が見られなくなることは残念に思います。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- ひめゆりの塔から車で10分位です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れる方もありません。
- バリアフリー:
- 4.0
- 足場は以前よりはマシになりましたが依然として良くはありません。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 往時を示すものは少なくなりました。
-
投稿日 2017年10月04日
総合評価:5.0
東洋一と言われた浦上天主堂。日本で『キリシタン』と呼ばれたころからの『祈りの歴史』は、一発の原子爆弾によって破壊されました。戦後再建の折に『被爆遺構でなくす』ことが条件だったと『裏取引』めいたものがあったとも言われていますが、真実はわかりません。建物は新しくなってきれいになりました。しかしその敷地内には至る所に被爆の事実を伝える遺構や遺物が残っています。
それら72年前の史実を目の当たりにし、なにか思うところがあれば。信教問わず『祈る』場所があります。思うものがなければ天主堂に入っても『見学だけ』としか思わないでしょう。でも『心通じるもの』があれば、なにか受け取れるものがあるに違いません。その気持ちを大切にしたいと改めて思う場所でした。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和公園から徒歩8分位です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間によります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 厳か感が伝わってきます。













































































