魂魄之塔
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~19件(全19件中)
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3万5千柱を祀った無名戦士の塔
- 3.5
- 旅行時期:2024/07(約1年前)
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米須霊域にある魂魄の塔
- 5.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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住民によって
- 3.5
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
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戦後初の慰霊碑
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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いち早くできた慰霊塔です
- 4.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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沖縄之塔とは言えなくなりました・・・。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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米須霊域の中心にある魂魄之塔。沖縄戦終戦後にこの付近に強制的に移住させられた真和志村民の手によって、雨晒しとなっていた戦死... 続きを読む者の遺骨を集め、穴を掘って埋めようとしたところ埋まり切らず、米軍から払い下げられたコンクリートや付近の石などを積み上げて作られた最古の沖縄戦没者慰霊碑です。
資材の無い中での慰霊碑兼納骨堂を作ることは困難を極めたものの、そんな現実的なことよりも放置されたままの遺骨をなんとかせねばならないとの義務感が勝った結果出来上がったものでした。
戦没者慰霊塔を作ることに最初米軍は、報復の拠点化を恐れて許可をしませんでした。しかし農耕を行うにあたり地面を掘れば遺骨が出てくる状況下では作業はすすまず、やむなく許可を出したという経緯があります。
昭和21(1946)年2月23日に建立された魂魄之塔、少し遅れて建立された健兒之塔・ひめゆりの塔等はそれぞれの関係者と判明した遺骨が収められた中、多くの無名戦没者の遺骨約35,000柱の軍民国籍を問わない遺骨が収められていました。
沖縄県最大の慰霊塔兼納骨堂でしたが、その後摩文仁の丘に作られた国立沖縄戦没者墓苑に多くの遺骨は移されましたが、今なお沖縄戦戦没者慰霊塔の中心として多くの参列者が訪れる場所となり今日に至っています。
沖縄県には全国の都道府県の戦没者慰霊碑が建立されていると言われていますが、実は沖縄県のものはありません。そんな理由から魂魄之塔=沖縄之塔と表現してしまいましたが、そもそも都道府県別慰霊碑とは建立の意図が異なり、それを同じとすることは金城和信村長をはじめとする真和志村村民を冒涜するようにも感じます。
残念ながら沖縄県に建立された都道府県別慰霊碑は、慰霊碑建立がブームになった時に次々と作られたものであり、現実の風景から自発的に作り出された魂魄之塔とは全く建立意図が異なります。しかし知識のない戦後内地に生まれた私にとって、沖縄之塔と例える以外に言葉がありません。
慰霊の日に沖縄に行くようになってから4回目となる平成30(2018)年6月23日。今回初めて午前中に訪れました。いつも夕方に訪れていたため、収められたプロパガンダが見え隠れする品々を見ていた際には、沖縄之塔と言い表すことに抵抗もなかったのが事実です。しかし午前中に訪れる方々は表現の違いはあれど真摯に犠牲者の冥福を祈るために訪れている姿が私の目に焼き付いて離れません。
米須霊域にある慰霊碑の中で、ぱっと見一番見すぼらしく見えてしまう魂魄之塔ですが、見かけの問題ではなく、なぜこの場所に塔が建てられたのかという理由が今を生きる沖縄県民をはじめとする戦没者遺族の揺るぎない〝心の拠り所〟になっていることを知り、浅はかな知識で見ていた私自身を恥ずかしく感じた今年の魂魄之塔参拝でした。 閉じる投稿日:2018/07/17
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激戦地の塔
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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沖縄最初で最大の慰霊塔
- 5.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
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住民自身が遺骨を収集して葬った戦後最初の慰霊の塔
- 4.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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戦後最初に建立された慰霊塔は?沖縄之塔?と言っても過言ではないでしょう。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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米須霊域中心部にある魂魄之塔は、昭和21(1946)年2月27日当時の真和志村村長である金城和信氏を中心とした真和志村民の... 続きを読む手によって建立された沖縄戦に於ける?最初の慰霊塔?です。戦争の終結により九死に一生を得た真和志村民は、米軍の命令によって真和志村の収容所に集められた後、食料確保の農作業を行うためここ米須原に集結します。
付近一帯は沖縄戦末期の激戦が繰り広げられた場所であり、皮膚や髪の毛が付着したままのご遺骨が散乱している状況でした。そのため遺骨収集を米軍に要請するも反米主義や皇民化主義に繋がることを危惧され、当初は許可がありませんでした。しかし土を掘っては遺骨が出てくる状況では農作業は一向に進まず、結果米軍も遺骨収集を認めざるを得なくなります。
金城村長自身ふたりの愛娘が戦死しており、今は敵も味方もないという信念から日米軍民問わず2万余柱の遺骨を集めて納骨堂に収め、墨書で?魂魄?と書かれたものにはじまります。その後収容した遺骨は合計35,000余柱にものぼり、沖縄で最初で且つ最大の鎮魂碑となりました。昭和54年2月に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨の多くはそちらに移され、分骨という形で魂魄之塔に残されています。
沖縄県には46都道府県の慰霊塔が建立されましたが、地元沖縄之塔はありません。戦後間もない物資のない時期に米軍から払い下げられたセメント等を用いて建立された魂魄之塔は、大理石や巨石を用いて建立された都道府県別慰霊碑と比較すると、一見するとかなり見劣りがするのは確かです。しかし食料増産のために集められたこの米須霊域の地で沖縄県民の手により集められた遺骨を納めるべく作られた魂魄之塔が、戦後70余年経った現在でも県民の心の拠り所になっている事実は間違いないことでしょう。
沖縄之塔が作られなかった一番の理由は、沖縄県のほとんどが戦場となり、多くの犠牲者を出しているため?場所が絞れなかった?という説もあります。集落や市町村単位で建立された慰霊塔の中心的存在というのが魂魄之塔の意味合いであり、慰霊の日や晴明祭等の故人を偲ぶときには多くの参拝者が訪れることからも想像がつきます。
都道府県別慰霊塔がセンスがないと岡本太郎氏は断言しました。そこまでは思わなくても、決して?見せる?目的で作られてはおらず、とにかく雨ざらしになっていたたくさんの遺骨に対し?慰霊の場所?として作られた魂魄之塔には、訪れる度に違う印象付けをしてくれる。新しいものにはまず見られない、そんな魅力をいつも感じます。 閉じる投稿日:2016/07/14
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沖縄戦に於ける最初の鎮魂碑です。
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 10
沖縄島南部糸満市の米須霊域にある魂魄之塔は、沖縄戦に於ける戦没者約35,000名の遺骨を、この米須の地に強制移住させられた... 続きを読む旧真和志村民の手によって日米軍民問わず収集し、昭和21(1945)年2月27日に真和志村長金城和信氏が建立された沖縄戦に於ける最初の鎮魂碑になります。
金城村長ご夫妻も2人の娘を戦死させているため、米須という沖縄戦の中でも激戦が繰り広げられた場所に累々として遺体が放置されている有様を痛喫されて、?先ず弔わねば?という決心をされ、村民の協力を得て遺骨収集を始められました。しかし言葉でいう程簡単なものではなく、最初は米軍に遺骨収集作業を要請しましたが、それが反米活動や皇軍主義に繋がることを危惧した米軍は許可を出しませんでした。しかし?食料確保?という目的でこの地に強制移住をさせたものの、掘っても掘っても出てくるものは遺骨しかないという状態では、結果として食糧確保の農作業ができないため、米軍側も折れるしかなかったようです。
現在?魂魄之塔?付近には立派な?慰霊碑?が立ち並んでいます。その中で69年前に米軍から払い下げられたセメントと付近の石ころを用いて作られた?魂魄之塔?は見劣りがするのかも知れません。しかし質素なので戦後すぐの混乱期を髣髴させるような趣も感じます。昭和54(1979)年2月に摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成したため、ほとんどの遺骨は同墓苑に分骨して安置してあります。
敷地内には金城和信氏の胸像と、元真和志市市長翁長助静氏の?和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風?の歌碑があります。 閉じる投稿日:2015/07/08
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この塔を中心に各県の慰霊塔もある。
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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戦後最初の慰霊塔
- 3.5
- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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慰霊のために訪れるべき
- 2.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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沖縄戦線後の最初の慰霊塔。
- 4.0
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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ひめゆりの塔に参拝した後、この魂魄之塔にやって来ました。
ひめゆりの塔からは、車で5分も掛らないので、出来れば参拝に... 続きを読む訪れたい所です。
沖縄戦線で戦死された方々の、35,000柱の遺骨が納められている慰霊塔です。
(下記、那覇市のHPより引用)
戦後真和志村民は食料確保の農作業のため米軍の命令で米須原に集められた。しかしこの一帯は多くの 軍人、住民が米軍に追いつめられ死んでいった場所だった。遺骨がそのままの状態で放置されていた。 住民は米軍に遺骨収集作業を要請したが、それが反米活動や皇軍主義に繋がることをおそれた米軍は 許可しなかった。しかし開墾するにしても遺骨がどんどん出てくるため、作業が進まず、1946年 2月23日にようやく許可された。
遺骨は一箇所に集められ、大きな穴が掘られ、その中に収められた。 それでも収まりきれず、積み上げられ一つの大きな骨の山が築かれた。周囲から石をかき集め、 納骨堂が完成し、魂魄の塔と名付けられた。「魂」は「たましい」、「魄」は浮遊霊の意味である。
摩文仁や魂魄の塔がある米須を中心に、全国のすべての、都道府県の慰霊碑がある。 しかし唯一「沖縄県の碑」は存在しない。あえてあげるならば、この「魂魄」が 沖縄県の碑といえるかもしれない。
住民、軍人、米軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が 軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。これが戦後もっとも早く、 住民の手で作られ、平和への想いを込めた塔として、他府県の慰霊碑とは多少異質である。 閉じる投稿日:2014/04/22
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約35000人もの遺骨が山のように集められた場所
- 3.5
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 0
戦後、米須原に集められた真和志村民は、アメリカ軍の食糧増産計画に基づいて開墾を命じられたものの、沖縄最南部に位置する米須原... 続きを読むは多くの人々が命を失い、その遺体が放置されていた場所。開墾しようにも次から次から遺骨が掘り出されるため、ついに大きな穴を掘って遺骨を収めようとしました。しかし穴にも収まりきれず積み上げられ、大きな骨の山が築かれたようです。そこで周囲から石をかき集めて納骨堂が完成し、「魂魄の塔」と名付けられたということです。そう考えると、「魂魄の塔」の形状にも納得できます。摩文仁の丘や「魂魄の塔」がある米須を中心に、全国すべての都道府県の慰霊碑がありますが「沖縄県の碑」は存在しないため、この「魂魄の塔」が 沖縄県の碑に相当するものという考えもあるそうです。 閉じる
投稿日:2013/11/07
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戦後、初めて建てられた慰霊碑
- 3.5
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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いわゆる戦争犠牲者のお墓です
- 4.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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「魂魄の塔」は、沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツだそうです。ひめゆりの塔近辺には、... 続きを読むいろんな塔があります。近辺と言っても歩いていくにはひめゆりの塔からだと20分以上かかると思います。もちろん車で行きましたが。サトウキビ畑を延々行くとあります。ちゃんと案内板が出ているので探せると思います。駐車場らしきものはないのですが、道端に沢山車が停まっています。ただし、これらの車は参拝者ではなく、近くの海でサーフィンを楽しむサーファーの車だそうです。こういうところでサーフィンって怖くないのでしょうか?魂魄の塔には無人の献花売り売店があります。泥棒はいないと信じたいですが、無人でも大丈夫なんでしょうね。 閉じる
投稿日:2012/05/13
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都道府県別の慰霊碑が並ぶ
- 4.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
- 1
摩文仁の丘からひめゆりの塔に向かう途中、米須海岸方面への道を曲がって行くと、海岸沿いに多数の慰霊碑が地配置されている。
... 続きを読むこの一帯は都道府県別に慰霊碑(納骨所)が並ぶが、「魂魄の塔」として総称されている。(魂魄の塔そのものは沖縄の慰霊塔の名称)
中心となる魂魄の塔は円形・二段構えの石積みに「魂魄」と刻んだサンゴ石が載っているシンプルなもの。
かつてこの一帯は避難民や敗残兵の吹き溜まり、そして戦後最も早く遺骨収集が行われた場所でもある。その数、3万5千とも4万とも言われている。
沖縄の本土復帰後、遺骨は摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑に集約されることになったが、この一帯の慰霊碑は住民の意向によって生まれたものだけに、いまだに参拝者が後を絶たないらしい。
しかし、苑内の道路に違法駐車するボディボーダー達、あまりに不謹慎すぎやしないか?
奥まったところに建っていた碑。「有川中将以下将兵自決の壕」とある。この一帯の慰霊碑建立の想いからすると、やはりこれは"異物"だろう。 閉じる投稿日:2012/05/29
1件目~19件目を表示(全19件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 魂魄之塔
- 住所
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- 沖縄県糸満市字米須嵩下1441-3
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- 大きな地図を見る
- アクセス
- 糸満バスターミナルより 琉球バス交通「米須入口」下車 徒歩17分
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
このスポットに関するQ&A(0件)
魂魄之塔について質問してみよう!
糸満・ひめゆりに行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
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