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糸洲の壕 (ウッカーガマ)

名所・史跡

糸洲の壕 (ウッカーガマ) 施設情報・クチコミに戻る

現在は立ち入り禁止になっています。

  • 5.0
  • 旅行時期:2018/06(約8年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

国道331号線名城バイパスから少し北に行った場所にある糸洲の壕(通称ウッカーガマ)は、先の大戦末期に陸軍第24師団第二野戦病院として使われました。部隊長は小池勇助少佐。それに私立積徳高等女学校の女生徒25名からなるふじ(積徳)学徒隊が学徒動員されていました。

第32軍司令部の崩壊によって、日本軍の組織的抵抗が終了した以前に出されていた野戦病院解散命令を握り潰し、戦況を判断して6月26日に解散命令を出した小池隊長。『足手まといになる』という理由で重症者の処置を命令されるも、医者として人殺しをするのは忍びないとして、解散時に食料と手榴弾を重症兵の脇に置き、自決を望む学徒を叱り『生きることの大事さ』を説いた、当時に於いて〝人としての気持ち〟に富んだ軍医でもありました。自身は解散命令翌日に自決されますが、ふじ学徒隊は3名(1名は戦後自死)の犠牲者は出すものの22名が捕虜となり、九死に一生を得ています。

付近に残るガマとはつながっており、往時は行き来が可能だったことが記録に残されています。しかしこの糸洲の壕を含め経年劣化と付近を取り囲む環境の変化に伴い、落盤の危険性が叫ばれていつの間にか入場が禁止となっています。

元々農地に囲まれた場所にあり、水に富む地下水脈から農業用水を引くために多くのホースが引かれていることがわかる場所ではありましたが、現在では確認できなくなっています。昨年(平成29年)春頃にガマ入り口の二基の慰霊碑が新しくなり、碑文を確認しないと史実がわからないようになったと思えます。

ヘタレが地下水脈を辿ってガマ同士の繋がりを示せるほど容易くできるものではありませんでしたが、やはりその遺構が見られなくなることは残念に思います。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
ひめゆりの塔から車で10分位です。
人混みの少なさ:
5.0
訪れる方もありません。
バリアフリー:
4.0
足場は以前よりはマシになりましたが依然として良くはありません。
見ごたえ:
3.0
往時を示すものは少なくなりました。

クチコミ投稿日:2018/06/09

いいね!:12

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