糸洲の壕 (ウッカーガマ)
名所・史跡
3.28
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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ひっそりとたたずむ
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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旧 帝国陸軍第24師団第二野戦病院の移転先
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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国道331号の案内看板を手掛かりに訪れました。積徳高等女学校の女学生25名で構成されていたふじ学徒隊も動員されていた旧 帝... 続きを読む国陸軍第24師団第二野戦病院が沖縄戦の激化に伴い、豊見城跡にから当地へ移転しました。このガマ跡には、院長で山3487部隊の部隊長でもあった軍医の小池勇助少佐にまつわるエピソードがいくつか残っています。傷病兵一人ひとりに声をかけて励ましたり、学徒隊の女学生には戦闘に巻き込んだことの謝罪や自決することなく自分の命を大切にしてほしいと訓示をしたりと、人となりが伝わっています。そのため、学徒隊25名中22名が生き残ることができました。このような軍属が多ければ、沖縄戦での戦没者はもっと少なくて済んだのにと思いました。数年前から立入禁止となり、外観の見学とガマ前にある慰霊碑のお参りのみできます。周囲はひっそりとしており、静かに歴史を語っているようでした。 閉じる
投稿日:2019/11/09
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現在は立ち入り禁止になっています。
- 5.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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国道331号線名城バイパスから少し北に行った場所にある糸洲の壕(通称ウッカーガマ)は、先の大戦末期に陸軍第24師団第二野戦... 続きを読む病院として使われました。部隊長は小池勇助少佐。それに私立積徳高等女学校の女生徒25名からなるふじ(積徳)学徒隊が学徒動員されていました。
第32軍司令部の崩壊によって、日本軍の組織的抵抗が終了した以前に出されていた野戦病院解散命令を握り潰し、戦況を判断して6月26日に解散命令を出した小池隊長。『足手まといになる』という理由で重症者の処置を命令されるも、医者として人殺しをするのは忍びないとして、解散時に食料と手榴弾を重症兵の脇に置き、自決を望む学徒を叱り『生きることの大事さ』を説いた、当時に於いて〝人としての気持ち〟に富んだ軍医でもありました。自身は解散命令翌日に自決されますが、ふじ学徒隊は3名(1名は戦後自死)の犠牲者は出すものの22名が捕虜となり、九死に一生を得ています。
付近に残るガマとはつながっており、往時は行き来が可能だったことが記録に残されています。しかしこの糸洲の壕を含め経年劣化と付近を取り囲む環境の変化に伴い、落盤の危険性が叫ばれていつの間にか入場が禁止となっています。
元々農地に囲まれた場所にあり、水に富む地下水脈から農業用水を引くために多くのホースが引かれていることがわかる場所ではありましたが、現在では確認できなくなっています。昨年(平成29年)春頃にガマ入り口の二基の慰霊碑が新しくなり、碑文を確認しないと史実がわからないようになったと思えます。
ヘタレが地下水脈を辿ってガマ同士の繋がりを示せるほど容易くできるものではありませんでしたが、やはりその遺構が見られなくなることは残念に思います。 閉じる投稿日:2018/06/09
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真新しい慰霊碑が建立されていました…。
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- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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糸洲の壕、沖縄戦末期に第24師団第二野戦病院として使われた自然壕で積徳高等女学校生徒からなるふじ(積徳)学徒看護隊が従軍看... 続きを読む護婦として勤務していた場所でした。
1年ぶりの再訪となりますが、最近工事等で壕への立ち入りが禁止されたことを知り、その実態を知りたかったことも再訪の理由です。写真からわかるように先ず入り口付近にある二基のの慰霊碑が新しくなっていました。そして情報通り壕の入り口には『立ち入り禁止』の標識に加え金網の柵が建てられており入壕出来なくなっていました。
付近の畑は整地されており、なにか建物を建てるような感じではあるものの詳細はわかりません。しかし何かが始まることが確実なこと位素人目にでもわかります。以前の慰霊碑を模した新しい慰霊碑には、その『なに』かが変わることに対しる『代償』めいたものを感じました。
ちょうど慰霊の日の夕方に訪れた時に、野戦病院慰霊碑の隣に建立されている個人の慰霊碑に参るご遺族がいらっしゃいました。聞いてみればよかったのでしょうが、プライベートな興味本位のことでお伺いするもの気がひけたため敢えて聞きませんでした。
住んでいるところが戦場となった沖縄で、今なお72年前の姿を今に伝えている『史跡』は、知られているものだけでもかなりの数があります。しかしその反面生活エリアにあまりにも密接過ぎる場所にあることが、生活を送る上での妨げとなってしまい、破壊されているのも事実です。沖縄戦という史上稀にみる地上戦が行われた土地で、その凄惨さを伝える『生き証人』としての役割を持ち続けて欲しいという気持ちは勿論ありますが、かと言って生活に支障をきたすようなことを押し付けることも出来ません。結果論として『成り行き』に任せる以外にはないのでしょうが、1年前には入れていた壕入り口に新しく建立された慰霊碑がなにか寂しそうに感じてしまったのは私の思い過ごしでしょうか…。 閉じる投稿日:2017/07/01
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整備工事中です
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- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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那覇市内から国道331号線を南下、南部病院前から“名城バイパス”に入り、1キロメートルほど走ると左手に標識(添付写真参照)... 続きを読むがあり、それに従って進むと「糸洲の壕」に至ります。
過去の口コミなどを見ると少し前までは、慰霊碑などが立っていたようですが、訪れたと
きは周辺一帯が整備工事中で、慰霊塔と思われる塔が2基あるのですが表示が未完成で詳しいことは何もわかりませんでした。壕の方も関係者以外立ち入り禁止の表示がありました。
現地に整備工事について工事内容の詳細や完了時期の表示看板が無いのが残念でした。沖縄には毎年訪れているので、再度、訪れたいと思いました。 閉じる投稿日:2017/04/22
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なにも変わっていなかった糸洲の壕。
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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糸洲第二外科壕の場所がわからなかったために先に訪れました。国道331号線にある大きな看板があり、容易に場所は把握できると思... 続きを読むいます。
積徳高等女学校の学生によって構成されたふじ学徒看護隊25名が動員された場所となりますが、犠牲者の数が少なかった学徒隊として知られています。第24師団第二野戦病院糸洲分院であったこの場所では、第32軍司令部から発令された解散命令を部隊長の判断で握りつぶし、壕の外で行われている戦闘の状況を見て判断されたことにより、他の学徒隊とは全く異なる結果を生み出しました。
昭和20(1945)年6月中〜下頃という米軍に追い込まれて?自決?の選択肢を選ばなければならなかった学徒隊の少年少女の中で、命の大切さを一番に説き、生きながらえることを厳命した小池勇助病院長。それは同じように知事として行政組織を解体し解散命令を出した最後の官選知事島田叡氏の最後の訓示と被るところがあるように思えてなりません。
畑の中にひっそりとある糸洲の壕は訪れる方も少ない場所ではあります。またこの一帯は地下水が豊富な事もあり、それを汲み上げるためのホースが至る所で見られます。また天候の影響をおおいに受ける場所であり、壕の底まで降りる階段が大変滑りやすくなることがあります。最近ではあまり利用されなくなったようですが、平和教育の一環として利用されていた頃に作られた?通路?が奥に繋がるように作られています。しかし知識のない観光客が単独かつ軽装備で立ち入ることは大変危険を伴うため避けるべきだと思います。
入口より底部まで降りるだけでも、この壕に70余年前には多くの人々がひしめき合っていた様子は十分感じられるように思います。 閉じる投稿日:2016/05/11
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沖縄戦末期に命の尊さを説いた部隊長以下ふじ学徒が最後に籠った自然壕です。~糸洲の壕(ウッカーガマ)~
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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国道331号線バイパスを空港から糸満市街へと向かう途中、左手に看板があります。糸洲の壕(ウッカーガマ)と呼ばれるこの自然壕... 続きを読むは、豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院が、第32軍司令部の南部撤退命令を受けて、昭和(1945)20年5月27日にこの地に移動して来ました。第二野戦病院には私立積徳女学校生徒から構成された?ふじ学徒隊?25名が配属となっており部隊に行動をともにしています。
水には困らなかった糸洲の壕でしたが、終戦間際の混乱期には米軍の馬乗り攻撃を受け、病院壕でも衛生兵で斬り込み隊を組織し、夜襲をかけさせ多くの犠牲者を出しました。付近の学徒隊に解散命令が出されたのが6月17日〜19日でしたが、この第24師団第二野戦病院ではそれから遅れること1週間で出されています。病院長小池勇助少佐の配慮によるものでこの命令の遅れこそが犠牲者を減らしたもっとも大きな理由であることはあまり知られていません。
沖縄戦に於いて数少ない?命の尊さ?を説いた隊長が、ここにいたことを忘れてはならないと思います。
糸洲の壕は駐車場がありません。道もそれ程広い訳ではなく、地元の方が農作業をするために通られます。駐車するには邪魔にならぬよう脇に停め、手短に見学をして下さい。 閉じる投稿日:2016/04/04
1件目~7件目を表示(全7件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所)
- 施設名
- 糸洲の壕 (ウッカーガマ)
- 住所
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- 沖縄県 糸満市 伊敷
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※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
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