沖縄戦で玉砕された京都ご出身の将兵2,536名をお祀りしています。
- 5.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
宜野湾・北谷・中城 クチコミ:27件
都道府県別慰霊碑が集まる沖縄島南部から少し離れた宜野湾市嘉数の嘉数高台公園の頂上部付近にあります。この嘉数の地は沖縄を守備した第32軍隷下の第62師団が、人力兵力ともに上回る米軍を迎え撃ち、沖縄戦の中でも最も熾烈極めた戦いのひとつである嘉数の戦いの戦場となった場所です。その主力部隊は京都で編成され、沖縄戦に於いて二度と故郷を見ることもなくこの地で玉砕されました。この京都の塔ですが、沖縄の都道府県別慰霊碑の中で、地元住人の協力について触れている数少ないものでもあります。昭和39(1964)年4月29日に沖縄戦の戦没者2,536名を祀り、社団法人沖縄京都の塔奉賛会の手によって建立されたこの?京都の塔?ですが、碑はご当地鞍馬の鞍馬石を用いて作られており、碑文は当時の京都府園部町長だった野中広務氏が書いておられます。敷地面積は331平方メートルと都道府県別慰霊碑の中では決して広くはありませんが、その敷地内には、兵士と運命を共にされた嘉数の住人を称える嘉数の塔が同じ社団法人沖縄京都の塔奉賛会によって建立され、現在でも肩を並べるように建っています。
この嘉数の地には70年前の戦いの痕跡が今尚残っており、トーチカや壕の跡が残っています。その歴史上の史実を踏まえて今では嘉数高台公園として老若男女が楽しめる憩いの場所になっています。しかし頂上に立つ?地球儀をモチーフとした展望台からは、すぐ近くにある米軍普天間基地を望むことができ、今尚臨戦態勢にある沖縄の複雑な情勢を痛感する場所でもあります。
破壊と憎しみしか生まない戦争を仕掛けることは過去の過ちを繰り返すこと以外なにものでもありません。しかしただシュプレヒコールを挙げるだけのイベント的なもので解決に導くことは、ほぼ不可能だと思います。それを苦し紛れに場違いなところで発言することは、参列しておられる遺族の方々にとって不快感を与え、かつ追悼式典をを冒涜しているように捕らえられても仕方がないことです。全国紙の一面ですっぱ抜かれ、そこに書かれていた社説の内容こそが、関心の薄い方に伝わった事実だということを認識して頂きたいと思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 嘉数高台公演駐車場から階段を登るとすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 慰霊の日二日前ですが、さっと来られて帰る方が多いです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 数段ですが階段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- この嘉数高台公園そのものが史実の生き証人です。
クチコミ投稿日:2015/07/08
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