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菅原天満宮

寺・神社・教会

玉造温泉

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施設情報

施設名
菅原天満宮
住所
  • 島根県松江市宍道町上来待1801
アクセス
JR来待駅からバス15分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(1件)

玉造温泉 観光 満足度ランキング 20位
3.14
アクセス:
5.00
松江から車で30分程の場所 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
5.00
時期が時期だったので…。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.00
石段はある。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
5.00
神話の世界と被っているように感じる。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 満足度の高いクチコミ(1件)

    菅原道真の生誕地伝説とされる場所。

    5.0

    • 旅行時期:2020/12
    • 投稿日:2024/04/23

    学問の神様として知られる菅原道真。生誕に纏わる話は多々あり、そのひとつである父菅原是善卿が出雲国庁在任中に、菅原氏の祖先と...  続きを読む言われる野見宿禰の墓を訪ねてこの菅原の里を訪れた。その際に案内をした女子を気に入った是善卿は、国庁に招き方向をさせることにした。 是善卿が人気を終え京に帰る際乙女は懐妊しており、その後菅原の里に戻り男子を出産している。この御子が即ち道真公であり、伝承によると。生誕は承和12(845)年6月25日とされている。 道真公6歳の頃、母はこの草深き地に置いておく者ではないと考え、京の是善卿の邸を訪ね、父子の対面をさせている。 その後宇多天皇の下で出世意を続けた道真公であったが、藤原時平の讒言により起こったとされる〝昌泰の変〟により、右大臣だった道真公は大宰員外帥と左遷される。太宰府への移動はすべて自費によって支弁させられた上に、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた道真公は大宰府浄妙院で謹慎していたが、心労や慣れない生活から体調を崩し、左遷から2年後の延喜3(903)年2月25日に大宰府で薨去、安楽寺に葬られた。享年59とされている。 その後道真公の〝怨霊〟とされる天変地異が起こり、朝廷は道真公の復権を宣言するが、それでも〝祟り〟は収まらず清涼殿落雷事件を目にした醍醐天皇が、その後体調を崩し崩御したことを踏まえ、天暦元(947)年に北野社において神として祀られるようになる。その後一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、正暦4(993)年6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られている。 この道真公神格化の過程に於いて、天歴5(951)年4月にここ菅原の地に御宮が建立され〝菅原天満大自在天神〟と仰ぎ奉ったことがこの菅原天満宮の創建とされている。その後700余年を経て松江初代藩主となった松平直政公の深い信仰を受け、寛文3(1663)年6月23日に東北の名木〝羅漢松(くさまき)〟を用いて本殿を造り、現在に至っている。御扉には狩野永雲筆による五彩の雲に金泥の双龍が描かれているが、現在直接見ることはできない。 創建後松平家累代の藩主が御造営・御祭祀に務めていたが、明治5(1872)年頃よりこの菅原地区の氏神様としてお祀りするようになり、氏子以外にも県内外の多くの崇敬者の尊崇を得て今日に至っている。 菅原天満宮という呼称は日本全国にあり、どの場所も道真公所縁の場所として書かれている。この松江菅原天満宮もそのひとつではあるが、合格祈願の願掛けは西日本一帯から訪れていることが絵馬からも伺える。神秘的な印象の強かった菅原天満宮に、若者たちに紛れて私自身も〝試験合格〟の〝祈願絵馬〟を奉納し、気持ちを引き締めてきた場所でもあった。  閉じる

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

    玉造温泉 クチコミ:3件

  • 学問の神様として知られる菅原道真。生誕に纏わる話は多々あり、そのひとつである父菅原是善卿が出雲国庁在任中に、菅原氏の祖先と...  続きを読む言われる野見宿禰の墓を訪ねてこの菅原の里を訪れた。その際に案内をした女子を気に入った是善卿は、国庁に招き方向をさせることにした。

    是善卿が人気を終え京に帰る際乙女は懐妊しており、その後菅原の里に戻り男子を出産している。この御子が即ち道真公であり、伝承によると。生誕は承和12(845)年6月25日とされている。

    道真公6歳の頃、母はこの草深き地に置いておく者ではないと考え、京の是善卿の邸を訪ね、父子の対面をさせている。

    その後宇多天皇の下で出世意を続けた道真公であったが、藤原時平の讒言により起こったとされる〝昌泰の変〟により、右大臣だった道真公は大宰員外帥と左遷される。太宰府への移動はすべて自費によって支弁させられた上に、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた道真公は大宰府浄妙院で謹慎していたが、心労や慣れない生活から体調を崩し、左遷から2年後の延喜3(903)年2月25日に大宰府で薨去、安楽寺に葬られた。享年59とされている。

    その後道真公の〝怨霊〟とされる天変地異が起こり、朝廷は道真公の復権を宣言するが、それでも〝祟り〟は収まらず清涼殿落雷事件を目にした醍醐天皇が、その後体調を崩し崩御したことを踏まえ、天暦元(947)年に北野社において神として祀られるようになる。その後一条天皇の時代には道真の神格化が更に進み、正暦4(993)年6月28日には贈正一位左大臣、同年閏10月20日には太政大臣が贈られている。

    この道真公神格化の過程に於いて、天歴5(951)年4月にここ菅原の地に御宮が建立され〝菅原天満大自在天神〟と仰ぎ奉ったことがこの菅原天満宮の創建とされている。その後700余年を経て松江初代藩主となった松平直政公の深い信仰を受け、寛文3(1663)年6月23日に東北の名木〝羅漢松(くさまき)〟を用いて本殿を造り、現在に至っている。御扉には狩野永雲筆による五彩の雲に金泥の双龍が描かれているが、現在直接見ることはできない。

    創建後松平家累代の藩主が御造営・御祭祀に務めていたが、明治5(1872)年頃よりこの菅原地区の氏神様としてお祀りするようになり、氏子以外にも県内外の多くの崇敬者の尊崇を得て今日に至っている。

    菅原天満宮という呼称は日本全国にあり、どの場所も道真公所縁の場所として書かれている。この松江菅原天満宮もそのひとつではあるが、合格祈願の願掛けは西日本一帯から訪れていることが絵馬からも伺える。神秘的な印象の強かった菅原天満宮に、若者たちに紛れて私自身も〝試験合格〟の〝祈願絵馬〟を奉納し、気持ちを引き締めてきた場所でもあった。  閉じる

    投稿日:2020/12/16

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