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明智左馬之助駒止の松の碑

名所・史跡

明智左馬之助駒止の松の碑 施設情報・クチコミに戻る

明智左馬之助秀満再上陸の地である。

  • 5.0
  • 旅行時期:2021/02(約5年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

大津 クチコミ:111件

天正10(1582)年6月14日、前日山崎の合戦で敗れた後に小栗栖で落ち武者狩りにあった明智光秀の死を知り、安土城から坂本城へと撤退する光秀の娘婿である明智左馬之助秀満であったが、現在の打出浜付近で秀吉側の猛将堀秀政の大軍と相対し、進路を遮られてしまう。そこで左馬之介は何と琵琶湖に馬に跨ったまま乗り入れ一路湖西へと向かう。

血迷って「自ら飛び込んだ」と笑っていた秀政であったが、目の前を沈みそうになりながら進んで行く左馬之助に対し、弓を射た兵を手打ちにしたと言われている。

何とか琵琶湖を渡り切った場所である柳ヶ崎で、馬を松の木に繋いで一息ついたのち坂本城へと向かうが、既に秀政の従兄弟である堀直政の軍勢が坂本城を取り囲んでおり、城内には何とか入れたものの既に大勢は決していた。光秀の所蔵した名品がなくなることを恐れ、直政に目録を添えて送った後、天守に籠り防戦した後秀満は、光秀の妻子・自らの妻も刺殺した後十字に腹を切り、煙硝に火を放って自害したと言われている。湖城であった坂本城は、火薬庫の爆発とともに木っ端微塵に吹き飛びその姿を消すこととなった。

現在の滋賀文化館脇にある〝明智左馬之助秀満湖水渡之碑〟からびわ湖大津館駐車場のある柳ヶ崎までは確かに目でも確認できるほどの距離なれど、湖を馬で渡れたかどうかは疑問に思えるところではある。ただ〝乗り入れた場所〟と〝湖水から上がった場所〟に碑が残されていることから、史実にあったことかも知れないと思える不思議さがある。

柳ヶ崎の駐車場は有料ではあるが、光秀の足跡を辿るならば是非とも訪れて頂きたい史跡のひとつである。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
柳ヶ崎駐車場内にある。
人混みの少なさ:
5.0
訪れている者はいなかった。
バリアフリー:
5.0
足元は舗装されている。
見ごたえ:
5.0
小さな松の木であるが故に史実を感じるものであった。

クチコミ投稿日:2021/02/10

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