ラボー:ドイツの誇り・Uボート(潜水艦)博物館、傍にドイツ海軍記念館と海軍記念塔
- 4.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by jijidarumaさん(男性)
キール クチコミ:2件
ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
期間:2014年05月09日~23日 15日間)
05月13日(火) 205km、晴れ時々曇り 13℃、相変わらず寒かった。
キール14:15出発 =>L?・B502・L? 20km Laboeラボー 14:50〜16:00
キール湾も深く切り込んだ湾で、ここに海軍基地があったのも肯けるが、湾の先っぽにLaboeラボーの町がある。
≪Laboeラボー≫
14:50〜16:00
人口5000人、今はキール湾・バルト海に面した洒落た保養地になっている。
ドイツ第一のキール軍港には潜水艦基地がおかれ、湾の岬の先端にLaboeラボーにその名残がある。
第二次大戦で活躍したUボート(潜水艦)博物館、ドイツ海軍記念館、高さ85mの海軍記念塔がある。
≪Uボート博物館≫ 15:10〜15:30 入場券Euro8
Deutscher Marinebund e.V.
D-24235 Laboe 、Strandstrasse 92
http://www.deutscher-marinebund.de/u995_geschichte.htm
ドイツ海軍記念館の傍の海岸にあるUボート博物館にお目当てのドイツ潜水艦U995(1070t)が展示されている。
潜水艦U995は第二次大戦後期の1943年7月にハンブルグで建造・進水となった。
長さ67.2 m、幅6.2 m、喫水4.8 m、高さ9.6 mと、近くに寄ってみると、やはり大きいなという実感がある。1400馬力6気筒ディーゼル機関2基。
甲板砲37mm 1門(砲弾220発)、対航空機対策として20mm双連機関砲2基を備え、魚雷発射管5門(艦首4門、艦尾1門)を常備していた。
戦歴:
1944年6月〜作戦に従事(哨戒9回)、
1944年5月21日 シェトランド諸島北東沖にて英飛行艇の攻撃を受け損傷、
1944年12月29日 北極海にてソ連掃海艇「T-883」を撃沈、
1945年3月2日 北極海にてソ連駆潜艇「BO-224」を撃沈。
戦争末期の1945年5月8日にU-995はノルウェーのトロンハイムで被弾し、英軍に降伏し、その後1948年10月にノルウェーの船主に引き渡された。
1952年12月にU995はノルウェー海軍の潜水艦「Kauraカウラ」として現役を継続、1965年に退役した。
その後、1ドイツマルクという象徴的な価格で西ドイツへ売却され、
1971年10月にラボー海軍記念館(Laboe Naval Memorial)で博物館船となった
艦橋、中央指令室、士官室、下士官室、乗員寝室兼休憩室、通信・レーダー室、機関室、トイレ、厨房などがあるのだろう。
居住スペースよりも長い魚雷が艦内では目立ち、ともかく艦内は狭い、息苦しい、乗員約50人がいたとすれば、大変なことだったと想像する。
後ろから入り、艦内を前に進み、前方の出口から降りる。外の空気が新鮮に感じた。
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<ラボーにある海軍記念館と58m高さの展望塔>
第一次大戦後、海軍の戦没者を祀る記念館として、1927年に着工された。地下には記念ホールがあり、戦没者の霊を祀ってある。
当初は海軍のみであったが、1954年に一般の海事関係者の霊も祀られるようになった。戦争で失われた船舶名、歴代のドイツ海軍旗、海軍の全船籍のプロフィール、代表的な舟の模型などが展示されている。
展望塔は85mの階段を上り、高所恐怖症にはとても怖い(実際はエレベーターもある)と聞いて、外観のみを見て帰った。
XXXXX
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
クチコミ投稿日:2016/07/06
いいね!:3票
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