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jijidarumaさんへのコメント一覧(19ページ)全404件

jijidarumaさんの掲示板にコメントを書く

  • ツェレの宮殿内礼拝堂

    jijidarumaさん

    はじめての書き込みかと思います。
    ツェレの名前に惹かれて 訪問させていただきました。

    そんなどろどろした歴史を持っているお城とも知らず 単に きれいだから見てくるようにと 薦めてくれたご近所のチェコ出身の 老婦人の言葉に従い 見に行きました。1980年代のことで 内部見学は ドイツ語ツアーに加わるしか方法がなく ドイツ語を知らない私も夫もしぶしぶついていきました。でも英語に似ている部分もあるのでしょうか ところどころ ふいに意味のわかるところがあり 不思議な経験でした。

    宮殿内礼拝堂も 確か劇場も 全て中には入れました。1995年からはガラスができてしまっているんですか? それは残念ですね。cozyでとても温かい雰囲気だったことだけ覚えています。

    感染症でなんだか不自由な時代が やってきそうですが 思い出だけは消えないと思います。とても美しい街ツェレ いつの日か また行ってみたいです。

    では感染症にお気をつけて
    M より
    2020年04月20日07時54分返信する 関連旅行記

    Re: ツェレの宮殿内礼拝堂

    M-koku1さん、
    今晩は。そして初めまして。
    早々のフォローありがとうございます。後でフォローさせて頂きます。

    ツェレは木組みの家並みがドイツ一という評判もあり、観光客はどちらかというと街巡りが主ですね。私も何度か訪れていますが、街巡りが主で、宮殿はこれで二度目です。もう昔の事ゆえ、中の記憶は全くなくて、私も歳を取ったという事でしょう(苦笑)。
    礼拝堂の素晴らしさはガラス越しながら味わえましたが、満足できずにネット検索で画像の蒐集をして、保存もしておきました。素晴らしい色合いで、まじかに見られたM-koku1さんは良かったですね。
    劇場は別途見学だったのかもしれませんが、少々悔いが残ります。折角2泊した町でしたから。是非またお出かけください。

    私、ドイツ大好き人間です。とりわけ城巡り・古城ホテル滞在・伝説好きなので、掲載のものはそれが主です(入会当初は伝説!からスタートしました)
    ですから、こうした歴史のある町ではどうしても「ドロドロした話」に魅力を感じてしまいますし、結構時間をかけて旅行記も書いています。

    武漢ウイルスには困りました。5月の旅、シュパーゲル(白アスパラ)料理を楽しみにしていたのに、残念ですよ。当分無理だろうなと思い、あと何回、ドイツの旅に行けるか?急に心配になっています。
    活動的なM-koku1さんには武漢ウイルスの方が避けて行きそうですが、それでもご注意の上、ご健康にお過ごしください。

    それでは、宜しくお願いします。
    jijidaruma
    2020年04月20日18時08分 返信する

    Re: ツェレの宮殿内礼拝堂

    フォローありがとうございました。

    ざっとタイトルを見ただけでも jijidarumaさんの旅行記は とても面白く まるで読み物ですね!
    順々に 拝読させていただきたいと 思ってます。

    ロンドンに住んでいた頃から ドイツ訪問が大好きでした。 その後仕事などで ドイツに行くチャンスが何回かあって ますます好きになっていましたが 昨今は出張先がアメリカばかりです。 それもこのコロナで ダメになり 多分このまま引退かと思います。

    4月になってから 週いちでスーパーに行く以外 全く外に出ていません。BSの昔の映画と 4トラの旅行記だけが楽しみです。まだテレワークが少し残っているので 忙しいのですが それが終わったら たまりに溜まった旅行記をアップしていくつもりです。

    今後じっくり訪問させていただきたいので どうぞよろしくお願いいたします。

    Mより
    2020年04月21日00時12分 返信する

    Re: ツェレの宮殿内礼拝堂

    M-koku1さん、
    今晩は。再度のコメント、恐縮です。

    ロンドンにお住まい、最近はアメリカご出張、なにやら旅行記を拝見するのが楽しみです。沢山の旅行記や口コミを書かれておられるので、私の方もゆっくり拝見させて頂こうと思います。

    ヨーロッパ編を題名をざっくり見ていましたら、ナミュールの古城ホテルがありました。シャトー・ド・ナミュール城です。私共は2013年の秋に宿泊しました。
    2階、バラの公園を見下ろす眺望の良い部屋だったのですが、M-koku1さんの写真を拝見すると、何やら全然違って、ホテルの中身もレストランのお食事もとても優雅です(笑)。
    こんな遅くでスミマセン。宵っ張りです。

    jijidaruma

    2020年04月21日01時43分 返信する
  • 色褪せない素敵な思い出!

    jijidarumaさん

    こんばんは。
    改めまして、冒頭にてお引き立て賜りありがとうございます。

    セピア色の思い出シリーズ、毎回感慨深く読ませて頂いています。このシリーズを読むと、以前にもコメントにて書かせていただきましたが、「デュッセルドルフ(ドイツ)と日本、先人の礎があってこそ、今も尚日本人にとって住みやすい街、日独の良好な関係性が続いている」ということを実感します。

    Solingenといえば「Zwilling Henckels」!昨年の一時帰国の際に母親にお土産のリクエストを聞いたところ「ゾーリンゲンの包丁!」と即答でした。気持ち奮発しましたが、長く使えそうなので重宝して欲しいなと^^

    そして、今回の旅行記で思わずクスっと笑ってしまった部分。
    「Haribo macht Kinder froh und Erwachsene ebenso」→これは事実だ!
    jijidarumaさんも、当然のごとくHARIBOが好きという事が判明して嬉しい気分でした(笑)。

    ドイツはまだ外出制限中ですが、来週からは段階的に緩和とのことです。しかしながら依然として油断大敵ですね…。どうぞjijidarumaさんもご自愛ください。
    そして思い出の旅行記も楽しみにしております!

    beach
    2020年04月16日06時42分返信する 関連旅行記

    Re: 色褪せない素敵な思い出!

    beachさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    セピア色の思い出は時々、口コミを含めてこうした旅行記に書いております。
    当時はデジカメが無く、写真も少ないので適宜引っ張り出して、なんとか形を整えています。beachさんの旅行記は私の思い出をとても刺激してくれますので、ついつい古いアルバムに戻る事になってしまいます。ありがとうございます。
    ドイツ好きの方が反応してくれるのは一番嬉しいですね。

    お母上の「ゾーリンゲンの包丁!」との即答、我が意を得たりです(笑)。
    でも、まさか大事にしまっていないでしょうね。
    私共もかつて父母にお土産をあげると、昔の人だけに大事にしまっていました。まー、赴任の際は羽田空港に両親、兄弟姉妹、親族がバスを仕立て、友人、会社の上司、同僚も大勢で見送り、万歳三唱までして頂きましたから、そうした海外赴任の様子を見た両親が、この土産を大事にしてしまうのはよく分かるのです。
    土産と言えば、私の赴任に大いにご尽力いただいた上司にはお土産に錫製のビール飲みセットを贈りました。その上司はビール・酒好きで「大いに重宝したよ」と、後々まで喜んでおられました。

    「ゾーリンゲンの包丁!」から錫製品を思い出しましたが、「ゾーリンゲン」に関しては、娘の日本人学校中学卒業で家内が恒例の卒業委員をやり、卒業生2クラス40人ぐらいの保護者たちの土産用に家内達が案を出し、数量の要望を纏めて、「ゾーリンゲン」を大量に購入しました。
    当時、少々ドイツ語が達者になっていた家内が交渉役で、当時の Schadowplatzシャドー広場の16番地にあったゾーリンゲンの店で、大量に万能ハサミ、ジャガイモ剥き、バターナイフ、ツルばさみ、パン切り包丁などを購入した事がありました。店長も喜んで特別に割引をして下さり、また交渉役の家内に立派なハサミを贈呈し、更に140頁の製品カタログを手渡し、何時でもまた相談に乗りますからと言われたそうです。役得です^^。
    また、セピア色の思い出の「種」が出てきました(笑)。

    ドイツはまだ外出制限中の様子、武漢ウイルス騒ぎは生命の危険もあるだけに、ほんとに困った事です。終息の目途がたつまで、beachさんも日々お気をつけて、ドイツ生活をのんびり、ゆったりお楽しみください。
    beachさんがまだ未掲載の旅行記や、一つの分野にスポットを当てたものなど、適宜、拝見したいものです。
    それではまた。
    jijidaruma
    2020年04月16日17時18分 返信する
  • 素敵な日々ですね

    jijidarumaさん、こんにちは。
    1974年のセピア色の思い出の日々にお邪魔しました。
    ドイツでのお暮し、大変なこともおありでしたでしょうが、ご家族揃って貴重なご経験をたくさんされた有意義なお時間だったことでしょう。
    半年ぶりに再会された2歳のお嬢さんが空港でjijidarumaさんをお分かりにならなかったこと、私は勝手に微笑ましく思ってしまうのですが、お父様としてはショックでしたか??
    この最初のご旅行でjijidarumaさんは古城に目覚められ、ご家族にとってもドイツでの最初のドライブは思い出深いものでしょう。

    余談ですが私にとっても、その当時に取得された自動車免許証が現在も有効なこと、ハリボの本社がボンであることと社名の由来、ケルンがドイツで人口第4位の都市であること(フランクフルトだと思っていました)など、この思い出の記の中に多くの驚きや新たに知り得たことが詰まっていましたこと、お礼申し上げます。

    ハッピーねこ
    2020年04月11日17時36分返信する 関連旅行記

    Re: 素敵な日々ですね

    ハッピーねこさん、
    今日は。
    いつもありがとうございます。

    文字通りのセピア色の写真ですが、私は髪も黒々、後の白髪の
    気配も全然ありません(笑)。
    時々、皆様の旅行記を拝見しながら、突然のように当時を思い出し、
    こうして一つの旅行記に仕上げでいます。
    昔はデジカメもないので、写真は貴重で少ないのですが、今は印刷機に
    スキャン機能があり、便利に利用させてもらっています。

    2歳の次女は長女に教えられて、物覚えも早かったので、顔を忘れる
    とは思ってもいなかったので、ショックというよりびっくりでした。
    それで週末に、近郊には電車で、免許を取ってからは少し遠くに家族
    でよく出かけて、父であることを大いにアピールしたものです。

    免許証はもうセピア色で、ドイツはちょっと斜めを向いて写真を
    撮ります。笑ってしまうのは、サインが下手!かつ、姓・名の順に
    書いてしまった事でしょう。それでも、今もちゃんとレンタカー会社
    に提示すると、係員がニヤッと笑って、手続きしてくれます。

    相変わらず、武漢ウイルス騒ぎは終息の目途がたちませんね。
    ドイツの旅は先の楽しみにとっておき、いろいろ溜まったことを
    整理しています。
    ハッピーねこさんも日々お気をつけて、生活をお楽しみください。
    ではまた。

    jijidaruma
    2020年04月12日14時04分 返信する
  • 読ミ物として

    jijidarumaさん おはようございます。

    いつも感心して旅行記を拝見しています。
    たんなる旅行記ではなく、興味尽きない読み物としていつも楽しみにしています。

    表紙の木につるされた人の絵、想像しただけで恐ろしいです。
    自分の腕を後ろで組んでみました、腕は水平にも上がりません、この腕を真上まで引き上げつるしたのですね。激痛に耐えられません、恐ろしい拷問です。

    人は環境によってなんでもやってしまえるのでしょうか?怖いですねぇ。

    pedaru
    2020年03月21日06時29分返信する 関連旅行記

    Re: 読ミ物として

    pedaruさん、
    いつもありがとうございます。
    内容も硬く、文章も今一つで、つまり完全に理解して書けたのかと
    思いつつ掲載したので、興味深くお読み頂いた由、まことにありがたく
    思います。

    4Traでは旅行記が主なのは分かっているものの、ツイ、疑問に思って
    しまう事があり、それを知ることで更に好奇心を満足するように前に
    横にと進んでしまいます。この為、本来の旅行記が一時停止になるような
    ・・・まー、こんな道草が又楽しいと言えますが。

    先に番外編:ドイツの負の歴史といえるバート・ガンデルスハイム
    強制収容所(外部収容所)を書く際に見つけた当該表紙の絵ですが、
    その後、調べてみれば、際限なく広がるようなものでした。

    >人は環境によってなんでもやってしまえるのでしょうか?怖いですねぇ。<
    「死者の森」にいう、ジキルとハイドの世界を感じさせますね。
    jijidaruma
    2020年03月21日14時05分 返信する
  • ドイツの街

    jijidarumaさん、今日は。
    今回のミンデンの街を拝見して、改めてドイツの地方都市の豊かさを感じました。
    ドームの見たこともない外見ひとつをとってみても、財政だけでなく、心の豊かさがなければ出来ない建築だと思わされました。スイスやオーストリアと比べて、ドイツの奥深さ、底辺の広さを感じさせる旅行記でした。
    私には、ドイツをこれほど巡る機会はないかもしれませんが、こうして旅行記によって
    一端を知ることが出来る幸いを感謝します。ガイドブックにない掘り下げですね。
    Rolleiguy
    2020年03月10日11時21分返信する 関連旅行記

    RE: ドイツの街

    Rolleiguyさん、
    今日は。
    いつもお読みいただきありがとうございます。

    3部作(最後はナチス国家と警察についてだったが)で人口16万人
    (内25千人が学生)を超えるオスナブリュックについて訪問記を書きましたが、
    オスナブリュックは州都ハノーファー、同規模のオルデンブルク等に次ぐ
    ニーダーザクセン州第4の都市でした。

    そこから東に凡そ100kmの範囲にあるMindenミンデン、Rintelnリンテルンの
    旧市街は、おっしゃるようにいずれも見事な町のたたずまいを残しておりますね。
    特に木組みの家並み、石造りの建築物の重厚さはなんともいえないものです。

    仮に「日本沈没」という事があれば、移住先にはこうしたドイツの田舎を
    選択する事でしょうね。

    コメントありがとうございました。ではまた。
    jijidaruma、

    2020年03月10日13時19分 返信する
  • 「余の辞書に不可能…」ではなく

    jiijdarumaさん、こんばんは

    jijidarumaさんの辞書に「ビビりまくり」という文字はないと思っていました(笑)
    とはいえ、以前ライン川のボッパルトの件で高所恐怖症でいらっしゃり
    リフトが苦手でいらっしゃることも存じ上げておりましたので
    大室山のリフトに乗られたjijidarumaさんのご様子を
    ちょっぴりニヤニヤしながら拝見してしまいました。
    いつもは何事にも動じることなく頼りがいのある旦那様でいらっしゃいますが
    この日ばかりは奥様の方が落ち着いてらして頼もしく思われたのでは
    ないでしょうか?
    jijidarumaさんの愛すべき一面を垣間見させていただいた気がいたしました^^

    sanabo
    2020年03月06日23時20分返信する 関連旅行記

    Re: 「余の辞書に不可能…」ではなく

    sanaboさん、
    今晩は。
    いつもありがとうございます。
    ライン川のボッパルトの件で高所恐怖症である事を申し上げていましたが、
    よく覚えておられましたね。

    昨秋の旅でもブレーマーハーフェンのホテルの高い展望台に
    登り、やはりビビってしまって、友人夫妻に大いに笑われたもの
    でしたが、本人にしてみれば何とも不可能な、越えるべき術がない
    のがつらい所です。
    ”怖い先輩^^”で知られたjijidarumaも先を読み過ぎる?!想像
    たくましく考えてしまうのが欠点のようで、我が威信も喜寿の歳で
    ガラガラと落ちてしまったようです。

    4月初めにMさんの同期が7、8人伊豆に来訪するらしい話は幸い
    コロナウイルスで延期となり、暴露話(酒の肴に絶好の話題提供)
    もちょっと先延ばしになったとの連絡がありました(苦笑)。

    それではまた。
    jijidaruma
    2020年03月06日23時46分 返信する
  • 中世の社会

    jijidarumaさん、今晩は。
    オスナブリュックは魅力的な街ですね。前回につづいてこちらを拝見し、どうしても
    行って見たくなりました。建物も素晴らしいですが、立像が興味を惹きました。
    祈る人、戦う人、働く人はの在り様は、中世の社会層としての知識はあっても、それがこうした像になって(作ったのは後世であっても)いるのを見ると、身近に感じられます。
    俗界と宗教界という一応の分離はあっても、世俗の力ある者が宗教界の領主となったことなどを、具体的な歴史として、その跡を見て知ることは、教科書にはない面白さですね。
    丁度「皇帝フリードリッヒII世の生涯」を読み終えたところなので、この立像には
    格別の興味を持ちました。
    Rolleiguy
    2020年02月17日22時19分返信する 関連旅行記

    Re: 中世の社会

    Rolleiguyさん、
    今日は。続けてのコメントありがとうございます。

    おっしゃるようにオスナブリュックは魅力的でしたね。1648年のヴェストファーレン条約締結の地という事で、ともかく市庁舎の平和の間を見るのだと、イの一番に見に行きました。
    いみじくもこの町は歴史が一杯と書いたように、ドイツの歴史、それも重要かと思われる舞台や人物が配置されていて、これならもっとじっくりと滞在すべきでした。

    聖ヨハニス教会前のStaendebrunnen立像の泉は偶然の賜物で、道を間違えた為に出会ったものでした。
    旅はこうした偶然から、知識欲が刺激されるのが楽しいですね。
    旅の前に纏めた番外編:ハンザ都市レムゴーの「Kanzlerbrunnen 宰相の泉」の彫刻家、アーヘンの旅行記のいくつかの疑問に対する回答として、夏子の探検さんの旅行記に同じ彫刻家の作品についてコメントしていた事も重なり、なにやら旅行記も同一人物が作成した立像の事が拡大してしまいました。

    6体の立像がさらに「中世の身分制をあらわす図」にまでいき、大いに勉強させてもらいました。「祈る人、戦う人、働く人」は当時を良く表した言葉だと納得したものです。
    聖ヨハニス教会前の立像に関した資料を読むと、聖職者についてドイツ語「Dubete demuetig」とあり、Dubeteの意味がまったく分かりませんでした。
    調べるうちに、「Du bete demuetig謙虚に祈る」が正しいことが分かったのです。分かってみれば、なーんだでしたが(苦笑)。
    Jijidaruma
    2020年02月18日11時55分 返信する
  • オスナブリュック

    jiidarumaさん、こんにちは。
    オスナブリュックには一度行きたいと思いながらまだ果たしていません。
    市庁舎にあるという皇帝たちの像も見てみたいと思います。
    丁度今、塩野七生の「皇帝フリードリッヒII世の生涯」を読んでいますが、作者の
    研究と調査を基にした底知れぬほどの知識と、それを作品にまとめ上げる力に驚嘆を禁じ得ません。高校の無味乾燥な西洋史の知識などというものは、価値を論ずることさえむなしくなるほどですが、歴史に興味を持つきっかけにはなるでしょう。
    小生の限られた知識ではありますが、jijidarumaさんの写真の場所に行ければ、知識に少しは肉を付けることへの励みになるのではないかとも思い、元気なうちに行って見たいものだと思います。後半も楽しみにしています。
    Rolleiguy
    2020年02月14日15時23分返信する 関連旅行記

    Re: オスナブリュック

    Rolleiguyさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    三十年戦争の最後を飾ったヴェストファーレン条約の地を見たいと、初めて訪れたオスナブリュックでしたから、主眼は市庁舎内の平和の間でした。

    が、市庁舎壁面を飾る、ドイツ統一を成し遂げた皇帝ヴィルヘルム1世ゆかりの「Kaiser-Plastikenカイザーの彫刻群」にはビックリしました。
    よく知らずに行ったので、たいへん印象深いものでした。
    9つの像はいずれも生き生きとして、見事なもので、ドイツ史を飾る皇帝、王たちを纏めてみる機会はそうないので良かったです。

    マネッセ写本 (Codex Manesse)で描かれた ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)の顔を以前其れで見ていましたが、皇帝フリードリッヒII世はそのハインリヒ6世の息子でした。
    フリードリッヒII世はなにやら時代が早く生まれたという評価があるほど英明な君主であったようですね。銅像の顔を見るとそんな様子が見うけられます。

    私はドイツ人の好きなフリードリヒ1世バルバロッサの像が好ましく思ったのですよ(笑)。
    ではまた次章で。
    jijidaruma
    2020年02月14日17時40分 返信する
  • 豊富な資料 詳しい解説

    jjijidarumaさん おはようございます。

    精力的に旅行記アップ、いつものことながら感心しています。
    博物館のミニチュアによる、兵士の戦いの様子が手に取るようにわかりました。
    加えてjjijidarumaさんの解説が素晴らしく、歴史小説を読んでいる気分です。

    漠然と戦闘シーンを想像していましたが、具体的に見ることができました、映画だけでは情報が偏りますね。
    今後もよろしくお願いします。

    pedaru
    2020年02月08日06時52分返信する 関連旅行記

    Re: 豊富な資料 詳しい解説

    pedaruさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    旅行記の完了が12月半ばまでかかり、こちらの掲載が遅れました。
    旅の記録となると、あれもこれもと書き込みますが、はて?何の事と
    思う事もやはり多いですね。日本に帰国してから、この疑問を
    調べるのも面白いのですが・・・。

    年齢と共に、足腰の衰えは否定できず、この日は前半の
    クロッペンブルクの博物館村で体力を使いまして、ローマ軍団の
    見物も少々集中度に欠けたようです。
    それでも二つの「トイトブルクの森」を見て、ドイツ人が意外に
    侵略者であったローマ帝国に親しみ、敬意を持っているのが
    何となく理解できたのは私にとって良かったと思います。

    それにしても展望台から見るトイトブルクの森は広大で、森の民
    ゲルマン(ドイツ)人の声をちょっと聞いたような気がしました。
    コメントありがとうございました。
    jijidaruma
    2020年02月08日14時40分 返信する
  • アウシュヴィッツだけでは終わらないのですね・・・

    jijidarumaさん、

    こんにちは。
    早速読ませていただきました。

    収容所の地図を見るとアウシュヴィッツが
    真ん中に位置していますね、
    そして強制収容所や外部収容所が、
    第2、第3、第4・・のアウシュヴィッツが、
    こんなにたくさんあったのですね・・・

    このバート・ガンデルスハイム強制収容所は
    修道院に置かれたとのこと、
    本来なら神を信じる人々が祈り慎ましやかに暮らす場に・・・
    ブーヘンヴァルト強制収容所についても
    検索して読んでみました。
    また言葉を失いました・・・

    まだまだ勉強しないといけないです。
    どうもありがとうございました。
    そしてまた宜しくお願い致します。

    なぽ
    2020年02月01日12時30分返信する 関連旅行記

    Re: アウシュヴィッツだけでは終わらないのですね・・・

    なぽさん、
    今日は。フォローありがとうございました。
    また、さっそく本章にコメントの書き込みまでして頂き
    ありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。

    ナチス政権下におけるドイツの強制収容所の地図を見ると、ナチスの
    ポーランドを狙い撃ちしたような徹底した政策が見えますね。
    ドイツ本国は別格で、強制収容所の数が次に多いのはポーランドです。

    特に地図上に赤い髑髏印で表現されているVernichtungslager絶滅収容所
    あるいはTodeslager死の収容所というむごい目的の強制収容所
    (代表的なアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所)は全8ヶ所あり、
    ベラルーシに1ヶ所、クロアチアに1ヶ所という以外は全てポーランド
    に6ヶ所もあるのが特筆されます。
    それ以外にもゲットー(Ghetto)のある町の表示もポーランドが殆どです。
    ゲットーはユダヤ人の隔離居住区とされていましたが、さらにここから
    強制収容所や絶滅収容所へ移送されるケースが非常に多ったようです。

    多分、ユダヤ人の多いポーランドは対ソ連作戦上、ドイツにとっても蜂起
    (反乱)のリスクもあり、この国のユダヤ人絶滅作戦の執行のために
    ラインハルト作戦(独:Aktion Reinhardt)が1942年3月に起案され、
    三大絶滅収容所つまりBelzecベウジェツ・Sobiborソビボル・Treblinka
    トレブリンカの建設が行われた。その結果、Chełmnoヘウムノでは最低
    でも15万人だったが、三大絶滅収容所のベウジェツでは55万人、
    ソビボルでは25万人、トレブリンカでは最低73万人が虐殺されたと
    されている(資料で差があるのは不明者が多い所為)。
    ポーランドのユダヤ人社会がほぼ壊滅すると、三大絶滅収容所は1943年代
    (11月)に早々に閉鎖され、植林などで証拠隠滅作業が行われたそうです。
    絶滅作戦に従事した者たちも『罪の意識はあった』ように思われます。

    ちょっと長くなりましたが、ドイツの強制収容所の地図をあらためて見ると、
    その凄さ(ドイツ的徹底さ)を感じてしまいます。

    jijidaruma

    2020年02月01日14時59分 返信する

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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動かせます。

現在12都道府県に訪問しています