2019/09/18 - 2019/10/03
15位(同エリア246件中)
jijidarumaさん
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- 旅行記575冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,010,359アクセス
- フォロワー107人
<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:面白い立像のある泉
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<Osnabrueckオスナブリュック観光>
12:00~16:30
②旧市街の中心にあるマルクト広場:
旧市街の入口Heger Torヘーガー門(かつての要塞都市の防衛施設)とDom St. Peterペーター聖堂(ホテル ヴァルハラから徒歩5分)との間に旧市街が広がり、市庁舎や聖マリエン教会がある三角形のマルクト広場は中世の印象をよく示している。
1813年~1814年に建設されたテンゲ邸をはじめとする古典主義様式の建物が多くある。
また、旧市街にはロココ様式の建物や宿泊ホテルのヴァルハラ(1690年)を筆頭に多くの木組み建築が遺っている。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:市街地俯瞰 -
市庁舎からマルクト広場へ。
Erich Maria Remarqueエリッヒ・マリア・レマルク平和センター:
マルクト広場の聖マリエン教会に面しているエリッヒ・マリア・レマルク平和センターはオスナブリュック出身作家であるレマルク(1898年~1970年)が「Im Westen nichts Neues西部戦線異状なし」・・・第一次世界大戦に従軍する兵士達の姿を描いた戦争小説(1929年)・・・等のベストセラー作品を称え、彼に関する展示と文書保管をしている。
大学受験用世界史に作者の代表作として覚えたが、恥ずかしながら読んだことが無い。オスナブリュック出身作家である事もこの旅で初めて知ったぐらいだ。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:マルクト広場に並ぶ商人の家やErich Maria Remarqueエリッヒ・マリア・レマルク平和センター(右) -
③「石造建築の首都」:
オスナブリュックには約150棟のロマネスク様式やゴシック様式の石造建築があったことがわかっており、現在も多くが良好な状態で遺され、「石造建築の首都」とも呼ばれている。
マルクト広場に並ぶ商人の家やエリッヒ・マリア・レマルク平和センター、バロック様式のオスナブリュック城の向かいにある石造建築のLedenhofレーデンホーフ(かつての貨幣鋳造所、現在残っているのは左に石造建築の建物、真ん中にパレス、右に階段塔がある)、
そして聖堂広場に立つユーゲントシュティール様式のTheater Osnabrueckオスナブリュック劇場(1909年:ホテル ヴァルハラから250mの距離))が代表的なものだ。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:石造建築・マルクト広場に並ぶ商人の家 -
イチオシ
写真はOsnabrueckオスナブリュック:石造建築・マルクト広場に並ぶ商人の家
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Haus Tengeテンゲ邸のグルメレストラン「La vieラ・ヴィ」シェフTimo Fritscheティモ・フリッツェは2011年11月に、ミシュランで三つ星を獲得した。
このレストランのオーナーは鉄鋼業者のユルゲン・グロースマンである。
2018年ミシュラン3星、ゴー・ミョ19点全独9位だったが、2019年は親会社の意向で営業を中止している。
興味があったが、どうしたのか?
写真はOsnabrueckオスナブリュック:石造建築・Haus Tengeテンゲ邸
Krahnstrasse 1, -
④Dom St. Peterペーター聖堂とDomhofドームホーフ(聖堂広場):
780年、カール大帝により創設された司教座の為に、ペーター聖堂は785年に建てられたもの、現在の2本の塔を持つ聖堂は13世紀の後期ロマネスク様式で改築されている。
内部には1225年製の青銅製の洗礼盤や12世紀末頃に創られた大きな勝利の十字架がある。
聖堂前には「Loewenpudelレーヴェンプーデル」の像がある。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:聖ペーター聖堂とレーヴェンプーデル像 -
写真はOsnabrueckオスナブリュック:Dom St. Peterペーター聖堂・内部には1225年製の青銅製の洗礼盤や12世紀末頃に創られた大きな勝利の十字架がある。
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写真はOsnabrueckオスナブリュック:Dom St. Peterペーター聖堂・内部のステンドグラス
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写真はOsnabrueckオスナブリュック:Dom St. Peterペーター聖堂・内部のバラ窓とパイプオルガン
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イチオシ
写真はOsnabrueckオスナブリュック:石造建築・聖堂広場に立つユーゲントシュティール様式のTheater Osnabrueckオスナブリュック劇場(1909年:ホテル ヴァルハラから250mの距離)
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写真はOsnabrueckオスナブリュック:ユーゲントシュティール様式が見られるオスナブリュック劇場
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聖堂広場から左の道を南下する。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:下層階がお店が入った、左右対称の塔を持った珍しい石造建築の建物 -
聖堂広場からメインのショッピングストリート・Grosseグローセ通りとJohannisヨハニス通りの前半部を歩いて、オスナブリュック城に向かう。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:繁華街のGrosseStrasse43_グローセ通り43番地 -
Neumarktノイマルクト通りで右に曲がるべき所をそのまま行き過ぎて、カトリックのSt.Johannis聖ヨハニス教会(教会前にStaendebrunnen立像の泉があった)まで行って引き返して来た。
写真はOsnabrueckオスナブリュック:St-Johann聖ヨハン(ヨハニス)教会 -
1981年にドイツ・アーヘン出身の彫刻家Bonifatius Stirnbergボニファティウス・シュティルンベルクが造形した。
写真はオスナブリュック:St. Johann(Johanniskirche)聖ヨハン(ヨハニス)教会前のStaendebrunnen泉と銅像が6体 -
イチオシ
「オスナブリュック市:聖ヨハネス教会前の泉に6体の立像がある」
Osnabrueck mit Staendebrunnenオスナブリュック市の聖ヨハネス教会前の泉に6体の立像がある。これは1981年8月にドイツ・アーヘン出身の彫刻家Bonifatius Stirnbergボニファティウス・シュティルンベルク(1933年生まれ)が造形したものだ。
泉は17世紀の頃の聖職者、騎士、市民達の姿を造形したもので、オスナブリュックの創立1200周年を記念して作られた。17世紀の姿と服装を表現した立像は素晴らしいことに像の手足が可動する事である。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前に面白い泉と銅像が。 -
泉と立像の建設にはEuro51,000の費用がかかったという。
そのうちEuo30,000は保険会社の寄付でした。残りを聖ヨハネス教区、商工会議所、銀行、市民達でカバーしたとある。
泉の立像は聖公会の椅子に座ったカトリック司教、それにプロテスタント(福音派)の牧師、貴族に騎士、市民の妻と娘の6体となっている。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前・泉と銅像Katholischer Bischofカトリックの司教 -
彼らが置かれていた中世社会は多くの規制や習慣により互いに厳密に分離された、異なる階層に分かれていた。その立像は異なる生活様式に従い、それに相応しい服を着ているのが表現されている。
また、立像は順序が表示されていて、聖職者の上には「Du bete demuetig謙虚に祈る」があり、貴族の上に「Du beschuetzeあなたは守る」と農民(市民)については「Du arbeiteあなたは働く」だという。 当時の其々の職分を言っているのだろう。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前・泉と銅像Evangelischer Pfarrerプロテスタント(福音派)牧師 -
最初の立像はすべての聖職者、司祭、僧侶、司教などで構成され、2番目の立像は貴族でした。第3の立像は自由な市民と農民が含まれていた。
それらは神から与えられた秩序として理解された。
帝国都市内では身分順序にまだ違いがあった。一つは裁判官よりも市参事会議員や医師が重要な地位を持った, 次に裕福な商人やマイスター職人が上におり、最下層に日雇い労働者、召使い、メイドがいた。
更に言えば、貧しい人々や「不誠実な」職業を行使した人々のような社会的に非合法で疎外された社会集団はこうした社会秩序の外にあった。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前・泉と銅像Ritter騎士 -
尚、これについて説明(【法制史】中世ヨーロッパの封建社会(概説)(三成美保)の抜粋)を加えれば、
11世紀は封建制の確立期にあたる。封建社会では所領紛争がたえず、戦闘に満ちていた。戦闘のプロである騎士が生まれ、騎士文化が栄えた。
教権と帝権は、ともに普遍性権力として、たがいの優劣を競った。しかし、聖俗の世界は人的には密接な関係を保っていた。教会は、最大の封建領主であり、高位の世俗貴族の子弟が、しばしば高位聖職者として、聖界所領の領主となっていたからである。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前・泉と銅像Adel貴族 -
「「祈る人、戦う人、働く人」[聖職者、貴族、農民]という三身分が、それぞれの職分をもつものとして定式化されたのもこの頃である(三職分論)。
写真はオスナブリュック:聖ヨハン教会前・泉と銅像Buergerliche Familie 市民家族母と娘 -
身分制をあらわす図(1488年ドイツ):
中央上部には神、左に聖職者(祈る者)、右に王侯・貴族・騎士(守る=戦う者)、下に農民(働く者)三者を表現した図がある。
ここの図の下に先のドイツ語「Du bete demuetig謙虚に祈る」、「Du beschuetzeあなたは守る」、「Du arbeiteあなたは働く」との説明文があったので理解した。
写真は身分制をあらわす図(1488年ドイツ)
・・・・・ -
ドイツ・アーヘン出身の彫刻家ボニファティウス・シュティルンベルクの作品はドイツ各地で目にする機会が多い。
例えば、出身地アーヘンのPuppenbrunnenプッペンブルネン「人形の泉」もボニファティウス・シュティルンベルクが1975年に造形したものです。
1977年にシュティルンベルクが造形したという「レムゴーの伝説:ビール酒税の導入とビール樽の紛争が生んだ宰相の泉」(2019年の初秋の旅番外編で掲載)の銅像とよく似たものです。
写真はアーヘン:Puppenbrunnenプッペンブルネン「人形の泉」 -
こちらはアーヘンのKraemerstrasseクレーマーシュトラーセ(通り)、丁度、大聖堂と市庁舎の間のつながる通りにあり、アーヘン銀行から寄贈され、1975年にシュティルンベルクにより作られた。
こちらが先に出来たようで、レムゴーの「宰相の泉」と同様に、噴水の人形は手足などが可動式です。
シュティルンベルクの作品はアーヘン出身の彫刻家ということもあるのだろう、アーヘン市内に彫刻、記念碑(作品リストによると)など10作品もある。
写真はアーヘン:プッペンブルネン「人形の泉」のカーニバルの仮面 -
それに、アーヘン駅前にあるPferdegruppe「馬の群れ」(5頭)も1975年にシュティルンベルクによって造形された。
写真はアーヘン:VorplatzAachenHBf
Pferdegruppe「馬の群れ」(5頭) -Skulptur -
また、アーヘンにあるSpatzenbrunnen「雀の泉」はボニファティウス・シュティルンベルクが1978年に造形したもので、Muensterplatzaruミュンスター広場にある。
写真はアーヘン:Spatzenbrunnen「雀の泉」 -
Alte Hansestadt Lemgoアルテ・ハンゼシュタット・レムゴー」(古いハンザ都市レムゴー)のOstertor東門前の広場に、1977年にドイツ・アーヘン出身の彫刻家ボニファティウス・シュティルンベルクが造形した「Kanzlerbrunnen 宰相の泉」とBronzefigurenブロンズの5体がある。
オスナブリュック市の立像にたいへん似たものだが、レムゴーの方が古い。
写真はLemgoレムゴー:Kanzlerbrunnen 宰相の泉
シュティルンベルクが造形した泉とブロンズの5体
(Kanzler Knaust宰相クナウスト、Der Buergermeister市長、
Der Torpfoertner市城門の門番 、Ilsabeinイルザバイン(女性)、Ziege山羊) -
写真はLemgoレムゴー・宰相の泉(Kanzler Knaust宰相クナウスト)
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写真はLemgoレムゴー・宰相の泉Der Buergermeister市長、
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写真はLemgoレムゴー・宰相の泉、Ilsabeinイルザバイン(女性)、
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写真はLemgoレムゴー・宰相の泉Der Torpfoertner市城門の門番
-
写真はLemgoレムゴー・宰相の泉、Ziege山羊
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オスナブリュック城(旧大司教城館)はホテル ヴァルハラから徒歩10 分の距離だというが、一寸大目に歩いてしまったようだ。
もっともそのおかげで「聖ヨハネス教会前の泉に6体の立像」を知ることができたのだが。
この日、家内は何かで腰をひねったのか、痛いらしく、歩行に不自由した。
私が昨年の8月に痛めた横腹の症状によく似ていた。
<(お茶):Treibhausトライプハウス>
14:00~14:25
D-49074 Osnabrueck 、Johannisstrasse 78
コーヒーとオレンジジュースにチップ込みでEuro5、疲れた事とトイレタイムを兼ねて休憩した。
写真はオスナブリュック:トライプハウスで -
⑤Schlossオスナブリュック城(旧大司教城館): 14:35~15:05
バロック様式のオスナブリュック城はErnst August・Kurfuerst von Hannoverハノーファー選帝侯兼オスナブリュック司教のエルンスト・アウグス(1629~1698年)の居城として17世紀後半に築城された。
写真はオスナブリュック:オスナブリュック城(旧大司教城館)の説明版 -
イチオシ
この城館は第二次世界大戦で外壁に至るまで破壊され、戦後に再建された。現在はオスナブリュック総合大学の本部として利用されている。
写真はオスナブリュック:バロック様式のオスナブリュック城・正面 -
裏手の庭園に行ってみると、花壇や噴水があり、学生たちの憩いの場になってい
た。
写真はオスナブリュック:バロック様式のオスナブリュック城・裏手の庭園 -
写真はオスナブリュック:バロック様式のオスナブリュック城・正面入り口
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オスナブリュック城から、道路の向かい側に渡り、レーデンホーフ(かつての貨幣鋳造所、現在残っているのは左に石造建築の建物、真ん中にパレス、右に階段塔がある)を外観だけ見て、ヘーガー門Wallヴァル(かつての土塁)の名の道路に沿って歩く。
写真はオスナブリュック:バロック様式のオスナブリュック城の向かいにある石造建築のLedenhofレーデンホーフ(パレスと階段塔) -
先に書いたが、中世にはオスナブリュックは1412年から1669年まで、ハンザ同盟のヴェストファーレン地域の中心都市であった。
以下はその事を纏めたもの。
【Hansestaedteハンザ同盟都市とは】
https://www.hanse.org/hansestaedte/
北ドイツのリューベックはザクセン大公の臣、ホルシュタイン伯アードルフⅡ世がライン地方などの人材を募って建設したと云われている。
リューベックは1143年に誕生し、更にリューベックからの東方への移民で、1218年ロストク、1229年ヴィスマール、1234年にシュトラールズントが建設される。
これらの都市はリューネブルグの“白い黄金”と呼ばれた塩、塩で樽詰めにしたニシン、木材、鉄、岩石などを、バルト海沿岸、北ドイツを中心に交易を行った。
度重なる海賊の襲撃に対抗するため、1259年にリューベックを中心に、ロストク、ヴィスマールの同盟が最初に結成され、13世紀から17世紀にかけ、ブレーメン、ハンブルグ、ケルン、ロンドン、ブルージュ、ベルゲンなど北ヨーロッパの国々16ヶ国にある195都市が参加し、商品の質と量の統一と共に、通貨の一本化という広域内通商に不可欠な要素を加えた画期的なものとなった。
それはまた、中世の諸侯権力から、独立した地位を保有し、自由に通商を行う権利を持つ、歴史上、類を見ない商業活動を展開したと云われる。
写真はオスナブリュック:Bocksturmブックス塔・・・13世紀初めにかつての要塞都市の防衛施設、ブックス塔が監視塔として市壁沿いに設けられた。塔内には市の牢獄が設けられた。
この頃に、最初のヘーガー門も建設された。 -
<ドイツのハンザ加盟都市>
ヴィスマール、エッセン、アインベック、オスナブリュック、カルマール、キール、グライフスヴァルト、へクスター、レムゴー、ゲッティンゲン、ケルン、ゴスラー、シュトラールズント、デュースブルク、デュッセルドルフ、ドルトムント、ハノーファー、ハレ、ハンブルク、ヒルデスハイム、ブクステフーデ、ブラウンシュヴァイク、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル、フランクフルト (オーダー)、ブレーメン、マクデブルク、ミュンスター、ミンデン、リューネブルク、リューベック、ロストック等の諸都市がある。
写真はオスナブリュック:かつての要塞都市の防衛施設Pernickelturmペルニッケル塔 -
2014年の旅では、ブレーメンを最初に、キール、シュトラールズント、ザルツヴェーデル、ヒルデスハイム、ハノーファー、パーダーボルン、ゾースト、デュッセルドルフと順に、ハンザ都市の旅を続けた。
今回の旅でも、ブレーメンを最初に、オスナブリュック、ミンデン、レムゴー、ハノーファー、アインベック、へクスター、デュッセルドルフと順に、ハンザ都市の旅を続ける事になっている。
写真はオスナブリュック:Heger_Torヘーガー門Wallヴァル(かつての土塁)(1815年ワーテルロー門として再建されたが、名称は市民に浸透しなかった)・・・13世紀初めにかつての要塞都市の防衛施設、最初のヘーガー門も建設された。
・・・・・・・・・・
次章でオスナブリュックの木組みの家とゲシュタポについて書きたい。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Rolleiguyさん 2020/02/17 22:19:03
- 中世の社会
- jijidarumaさん、今晩は。
オスナブリュックは魅力的な街ですね。前回につづいてこちらを拝見し、どうしても
行って見たくなりました。建物も素晴らしいですが、立像が興味を惹きました。
祈る人、戦う人、働く人はの在り様は、中世の社会層としての知識はあっても、それがこうした像になって(作ったのは後世であっても)いるのを見ると、身近に感じられます。
俗界と宗教界という一応の分離はあっても、世俗の力ある者が宗教界の領主となったことなどを、具体的な歴史として、その跡を見て知ることは、教科書にはない面白さですね。
丁度「皇帝フリードリッヒII世の生涯」を読み終えたところなので、この立像には
格別の興味を持ちました。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2020/02/18 11:55:07
- Re: 中世の社会
- Rolleiguyさん、
今日は。続けてのコメントありがとうございます。
おっしゃるようにオスナブリュックは魅力的でしたね。1648年のヴェストファーレン条約締結の地という事で、ともかく市庁舎の平和の間を見るのだと、イの一番に見に行きました。
いみじくもこの町は歴史が一杯と書いたように、ドイツの歴史、それも重要かと思われる舞台や人物が配置されていて、これならもっとじっくりと滞在すべきでした。
聖ヨハニス教会前のStaendebrunnen立像の泉は偶然の賜物で、道を間違えた為に出会ったものでした。
旅はこうした偶然から、知識欲が刺激されるのが楽しいですね。
旅の前に纏めた番外編:ハンザ都市レムゴーの「Kanzlerbrunnen 宰相の泉」の彫刻家、アーヘンの旅行記のいくつかの疑問に対する回答として、夏子の探検さんの旅行記に同じ彫刻家の作品についてコメントしていた事も重なり、なにやら旅行記も同一人物が作成した立像の事が拡大してしまいました。
6体の立像がさらに「中世の身分制をあらわす図」にまでいき、大いに勉強させてもらいました。「祈る人、戦う人、働く人」は当時を良く表した言葉だと納得したものです。
聖ヨハニス教会前の立像に関した資料を読むと、聖職者についてドイツ語「Dubete demuetig」とあり、Dubeteの意味がまったく分かりませんでした。
調べるうちに、「Du bete demuetig謙虚に祈る」が正しいことが分かったのです。分かってみれば、なーんだでしたが(苦笑)。
Jijidaruma
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旅行記グループ 2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道を行く。
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