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jijidarumaさんへのコメント一覧(18ページ)全404件

jijidarumaさんの掲示板にコメントを書く

  • ラインハルトの森

    とてもきれいなエリアですね。
    緑が豊かで 樫の木が沢山!
    ここが 眠れる森の美女の舞台だったとは さもありなんって感じがしました。
    一度是非 チャンスを見つけて 行ってみたいです。
    これは 眠れる森の美女の舞台というよりも グリム童話のいばら姫の方ではないかと思ったのですが、まあヨーロッパの民話をまとめたグリム兄弟のこと、このラインハルトの森をイメージしていたのでしょうね。

    ペロー版の眠れる森の美女の方は、ペローがフランス人だからでしょうが、ユッセ城を舞台としていると言われていますが、お城を覆ってしまった森自体のことを考えると、ラインハルトの森に軍配を上げたくなりました。シノンの森の方も美しかったのかもしれませんが、う~ん、お城の記憶しか残っていません。

    ではまた 
    Mより

    2020年06月08日23時30分返信する 関連旅行記

    Re: ラインハルトの森

    M-koku1さん 、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    ラインハルトの森は森の民と呼ばれるドイツ人が大好きな樫の木とブナの木がたくさん茂る原生林の森です。イメージは狼と赤頭巾ちゃん、ヘンデルとグレーテル、そしていばら姫でしょうか。
    ラインハルトの森はグリム童話に蒐集された伝説・民話の宝庫ですね。おっしゃるように様々な研究で、グリム兄弟に影響を与えた人、語り部たちの中にフランスの新教徒ユグノー(前述のバート・カールスハーフェンの町の歴史)の流れをくむ方が居られて、ペロー版の内容がグリム童話に入っているのは否定できないようです。古今東西の伝説・民話にはよくある事ですけど。
    それはそれとして、物語や伝説の故郷であるラインハルトの森はいばら姫の城(ザバブルク城)にぴったりです。後の旅行記でご報告します。

    あのフランス・ロワール渓谷のユッセ城は眠れる森の美女的な表現ににあった城と思いますよ。
    ただ私が見た時のユッセ城は宮殿のようで、立派過ぎていました。
    だから、ドイツとフランスの森の様子も違い、城の外観の雰囲気も異なるから、ドイツ的ないばら姫、フランス的(ディズニ―的な)には「眠れる森の美女の城」と言い方が、それぞれ当を得ているように思います。
    シノンの森がシノン城址と近かったかは、もう忘れましたが、この城内で、ジャンヌ・ダルクとシャルル7世が初めて出会ったことを思い出しました。
    以上蛇足ながら。
    それではまた。
    jijidaruma
    2020年06月09日21時15分 返信する

    Re: ラインハルトの森

    シノン城はジャンヌ・ダルクゆかりの城でしたね!
    シノンの森のそばにユッセ城がありましたが、当然シノン城もあるはずです。忘れていました。旅行記を書き始めてからは、記憶が整理されて、ちゃんと思い出すのですが、それ以前の旅の記憶は、散逸している場分が多く、もったいないなと思っています。
    jijidarumaさんのすごいところは、昔の記録も今の記録もしっかりしている上に、博識でいらっしゃる点です。いまさら教養は身につかないのですが、jijidarumaさんの旅行記で、大いに勉強させていただきます!

    今日は暑かったですねぇ。
    明日も暑いとか。
    どうぞお体お大切に!

    Mより
    2020年06月09日23時47分 返信する

    Re: ラインハルトの森

    M-koku1さん 、
    再度のコメント、ありがとうございます。

    いばら姫から始まり、シノンの森のそばにユッセ城、シノンの森から、シノン城址とジャンヌ・ダルクのことを連想し、シノンワインの赤の事も連想ゲームのように思い出しました(笑)。

    千葉の田舎も都内同様に暑いです。この暑さにメゲズに千葉の小江戸・佐原(伊能忠敬の地)をブラブラしてきました。観光客もちらほら見るぐらいで閑散としたもの(土日はまた違うのでしょうけど)、小野川沿いの街巡りをして、名物の鰻を食べて帰りました。

    そろそろ梅雨の声も、今年はどんな梅雨になる事やら・・・。
    ありがとうございました。
    jijidaruma
    2020年06月10日00時57分 返信する
  • ドイツ木組の家街道

    jijidarumaさん

    初耳の街道でしたが 有名みたいですね

    *ドイツ木組みの家街道は、エルベ河畔のシュターデからボーデン湖畔のメーアスブルクに至る、全長約3000キロメートルのルートです。中世の雰囲気やロマンチックなオーラに包まれた100余りの都市と町で、美しいフォルムの中に様々なスタイルを内包する、木組み建築 (木骨造とも) を目にできます。木組みの家を “真珠のネックレス” さながらに連ねた、質においても量においても、世界的に類を見ないルートです。

    ドイツ観光局からのコピーです。
    いつもFacebookでドイツ観光局からのメルマガを受け取っているのですが 
    この街道の存在には 気づいていませんでした。

    アインスベックの街並み 素晴らしいですね。
    第二次世界大戦で 破壊されずに残ったということですか?
    ドイツは焼け野原になったんだと思っていましたが、 違うんですね。

    それから モーリシャスとモリッツが同じ名前だったとは・・・
    スイスの白人社会の雄みたいな サンモリッツですが 
    黒人の将軍の名前を冠しているなんて 面白いですね!

    明日 自粛解除という話が出てきています。
    これからの過ごし方が 今まで以上に気をつけなければならないんでしょう。
    jijidarumaさんも どうぞお気を付けて!

    Mより
    2020年05月24日20時14分返信する 関連旅行記

    Re: ドイツ木組の家街道

    M-koku1さん、
    今晩は。いつもコメントをありがとうございます。
    またまた、頭を稼働させましたよ(笑)。

    ドイツはなかなか商売上手?!で、ドイツには良くできた観光街道、つまりFerienstrasseフェーリエンシュトラッセ(休暇街道)が多く、それらは歴史のある町々、素晴らしい景観に恵まれた地方などを結んだものです。
    ドイツ観光局や自治体が設定したもので、ワイン街道なども含めドイツ国内には総数150ルート以上の大小様々な街道があるそうです。
    ドイツ木組みの家街道もその一つで、ロマンチック街道、メルヘン街道、古城街道、ゲーテ街道などと共にメジャーな街道でしょう。これらの街道はドイツ木組みの家街道とも重なり合っていて、昔も今も車で楽しめるのですよ。

    アインスベックの街並みもそうですが、こうした例は他にもありますね。
    古城街道でも有数なVeste Coburgコーブルグ大要塞が知られるるコーブルグの町も全く攻撃されなかったそうです。
    1840年、ザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルベルト殿下(英語読みではアルバート公)は英王室のヴィクトリア王女と結婚。王女は大英帝国に繁栄をもたらした、後のヴィクトリア女王です。女王との婚姻で結ばれたコーブルクの町はそれもあってか、第二次大戦中、この町への英軍の攻撃は全く無かったと云う。

    バルト三国に行かれたことがありますか?聖モーリアスが予想以上に尊敬されていることが分かるものがあります。
    【バルトの真珠】と呼ばれるLatviaラトヴィアの首都Rigaリガに、「ブラックヘッドのギルド」という建物があります。14世紀のドイツ騎士団時代、未婚のハンザ商人の組合(ギルド)に依って建てられたもので、二つのギルドハウスが並んで立つが、右が主である。第二次大戦で完全に壊れたが、リガ創設800年を記念して、2000年にオリジナル通りに再建された。オランダのルネサンスファザード(正面)や、大変魅力的で美しく飾られた壁面を持った建物である。
    大時計の下には4つのハンザ都市の紋章、リガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンが浮き彫りになっているのが見える。その下にギリシャ神話の神々の像があり、入口の左右に聖母マリア像、「黒人であった聖モーリアス像」が立つ。
    この聖モーリアスに因んで、ブラックヘッドのギルドと呼ばれたらしい。
    (以上は2009年10月の旅の抜粋です)

    XXX
    ハイ!勿論、気をゆるめぬ生活を続けます。
    ありがとうございました。
    jijidaruma
    2020年05月25日01時35分 返信する
  • シューベルトの菩提樹

    おはようございます。
    確かに子供の頃 この菩提樹の歌を歌いましたね。
    歌詞も忘れてしまっていましたが、こうやって改めて読んでみると、子供には難解な詞です。日本語の語彙力は自然に蓄えられていったんでしょうね。
    ウィーン少年合唱団がよく来ていましたね。レコードも買いました。菩提樹だけでなく、冬の旅の中の楽曲が収録されていました。
    ドイツ語を全く知らないのに、一生懸命合わせて歌ってました。
    すっかり懐かしさを覚えた旅行記でした。
    楽しませていただきました。

    Mより
    2020年05月17日11時39分返信する 関連旅行記

    Re: シューベルトの菩提樹

    M-koku1さん、
    今日は。いつもコメントありがとうございます。

    「菩提樹の歌」歌いましたか!今歌詞を見ても難しいですね。
    しかし、大変素晴らしい日本語訳です。
    当時は意味は分からぬままに歌ったような覚えがあります。
    そう言えば、此の頃にイタリア歌曲T.ジョルダーニ/いとしき女よ
    "Caro mio benカーロ・ミオ・ベン"も歌いましたが、不思議と
    カーロ・ミオ・ベンと歌えるのに、後がもう出てきません^^。

    もう中学ですと、音楽の時間は音大出の若い男性教師が教えていました。
    (ハンサムな先生で、中学の教え子と結婚したそうです)
    声変わり前の私、先生に気に入られて声楽をやらないかと言われました(笑)。
    放課後は野球部、夜は町の警察道場で柔道を習うなどしていた若き
    jijidaruma君には、声楽!・・・一寸という思いでした。
    まー、声変わりと共にこの話は消えましたけど・・・。

    冬の旅のレコードもドイツ帰国時に土産に頂きましたが、もう仕舞った
    ままです。
    コメントを頂いたおかげで、いろいろと思い出しました。
    ありがとうございます。ではまた。
    jijidaruma
    2020年05月17日14時49分 返信する
  • 怖いですね

    ドイツ人が本当にどう思っているかはわかりませんが 
    ドイツを旅行していたころ 特に2000年以前ですが 
    よく言われたのは 第二次世界大戦中同盟を結んでいた仲間という認識。
    当時はアメリカでも 人種差別対象は まだ第二次世界大戦の敵国で、 
    ユダヤ人に対する差別も残っていたのに イタリア人 ドイツ人 そして日本人は 
    黒人に対する場合のあからさまな差別とは違うのだけれど 
    なんとなくだったり はっきりだったりした差別を受けていましたから、逆にドイツ人からは 親しみを込めて近づいてこられるようなことが 何回もありました。
    ということは 私たちもナチスのユダヤ人の強制収容所に 加担していたんじゃないかと 真剣に考えさせられました。 
    収容所から生還した人々からの発信が だんだん世に現れ この「ゲーテの樫の木」もその一つなんでしょうが 内部の実態が明らかになったのは 良かったと思います。
    二度とあってはならない貴重な記録ですから。
    それにしても 残酷な図ですね。
    ジキルとハイド それは ドイツ人だけの特性ではなく、おそらく「人間」という生命体が持つ 本質なんじゃないんでしょうか。

    考えさせられる テーマですね。

    Mより
    2020年05月12日22時02分返信する 関連旅行記

    Re: 怖いですね

    M-koku1さん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    ドイツ人はやはり元来、「森の民」でしたから、菩提樹とか、ブナの木、樫の木などを好んで大事にしています。
    アルンスベルク森林自然公園内の「ゲーテの樫の木」と「シラーのブナの大木」といって、ドイツの二大文豪の名前を付けて呼ぶなど、代表的なものでしょう。

    それにしても、KZ- Buchenwaldブーヘンヴァルト強制収容所は「ブナの森」の意味であり、確かにブナの木の森が一帯にあったからとはいえ、日頃のドイツ人らしくない名前の付け方です。
    だからナチスは別種の人格を持っていたという事になるのでしょう。
    ドイツの戦後では、出来るだけ自分たちはナチス側にいたのではなく、反ヒトラー・ナチスといった種々の抵抗運動をしてきたのだとする様子を感じます。

    <ジキルとハイド それは ドイツ人だけの特性ではなく、おそらく「人間」という生命体が持つ 本質なんじゃないんでしょうか。>
    のコメントはよくわかります。

    第二次世界大戦の日独伊三国同盟、ナチスドイツと何故協調したのかというのが、現代日本の考えになるのでしょうか?
    当時の日本人も追い込まれた末に同盟に至ったのでしょう。結果を見れば、日英同盟を大事にしていたらと思います。
    (日英同盟に基づき、第一次大戦では日本はドイツと「青島の戦い」でドイツ軍の捕虜を日本各地の収容所に入れていますが、この時の対応は良く、後後には影響しなかった)

    1970年代はドイツ人の年配者は勿論、同盟者だった日本人にはとても好意的で、親切でした。多分私共も依然としてドイツに学ぶ気持ちがあったからでしょう。
    私は体験が無いですが、「次回の戦いではイタリアを外そう!」といった伝説的小話が残っていますし・・。
    今は旅で出会うドイツの若い人は日本人をあまり身近に感じていないような気がします。それはそれで止むを得ないのでしょうが、ドイツ大好き人間には少々寂しいことです。

    話は変わりますが、ドイツ人に限らず、欧米人のユダヤ人蔑視は変わりませんね。この事は彼らが日本人蔑視をする気持ちに似ていると思います。

    日本人にはユダヤ人蔑視の感情は昔から無かったようです。
    「命のビザ」で知られた杉原 千畝(すぎはら ちうね)外交官や、樋口 季一郎陸軍中将(ユダヤ人たちの間で「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出のこと)といった方たちの事を知ると、思いますね。

    さて、どうコメントしようかと考えましたが、上記のように纏まらないものになってしまいました。悪しからず。
    jijidaruma
    2020年05月13日01時27分 返信する
  • 黒歴史

    おはようございます

    ドイツの黒歴史の一つですね。
    あの頃の共産主義者、社会主義者は、本当に怖かったですね。
    ソビエトのチェコ進行、中国の文化大革命など、日々のNHKの七時のニュースは陰惨でした。
    それが1989年になって、突如東西ドイツ統一へと動いて、びっくりしました。
    観光で東ベルリンに入っていったときの、あの陰鬱な雰囲気は、今でも忘れられないです。
    チェックポイント·チャーリーで実際の銃を構えている兵士を見たときには、別世界だと思いました。それはモスクワ空港での乗り換えの際にも感じましたが、経由便の乗り換えの乗客を、銃を持った兵士たちが監視していましたからね。
    ISの恐怖が出てくる前は、共産主義が一番怖かった気がします。
    何だか隔世の感がします。
    コロナ問題の終了後、また世界が緊張状態にならないことを祈ります。

    Mより
    2020年05月04日08時45分返信する 関連旅行記

    Re: 黒歴史

    M-koku1さん、
    今晩は。
    11年ぶりに長持ちしていた多機能印刷機が壊れて、昨晩からあたふたし、結局自分では何ともできずに、新し機種を購入する事になりました。
    まだこれから設置と機械に不器用なので、時間をかけることになりそうです。

    さて、この章にもコメントを頂きありがとうございました。
    言われるように、文字通りの《黒歴史》、このような田舎町にこうした歴史の後が残るとは思ってもいませんでした。グロース氏の亡命失敗事件、闇夜の銃撃事件も後から知ったわけで、2005年頃はまだ旅の出発前に各地の歴史調べも浅かったようです。
    このところの番外編も口コミも定年後に行った2005年の旅のアルバム写真がベースになりました。(急に、何かのきっかけで見直すのですよ)

    私のベルリン2度目の訪問は1983.4.1~4.4(3泊4日)で、再統一前でした。
    当時観光バスで東ベルリンを周りましたが、おっしゃっている様子を同じように見て、同じ思いを感じたものです。
    あの時代を見聞きし、体験したことは得難いものですね。
    1970年代に日本赤軍派の影響を受けたドイツ赤軍も恐ろしいほど残虐でした。
    変な形で日本がドイツに影響を与えたのが実にザンネン。

    今は目に見えないコロナですから、こちらも後年の人に〖黒歴史〗と云われるかもしれませんね。  ありがとうございました。
    jijidaruma
    2020年05月04日20時10分 返信する
  • イギリスと関係の深いハノーファー家

    jijidarumaさん

    実はイギリスに長く住んでいたので ハノーファー家の名前は けっこう頻繁に見かけていました。
    アン女王のあたりは 暗い暗い歴史の時代でしたから 映画にもよくなっています。
    ジョージ一世が ドイツから来て ドイツ語しか話さなくて イギリスでは馬鹿にされていたような記憶があるのですが(違ったかもしれませんが)、それでも血筋的には今のウィンザー家につながってきたのですから、凄いものですね。
    EUを離脱しなくてもよかったんじゃないでしょうか。
    もともとはおんなじなんですから。

    これはチェックしてみないと確実ではないのですが、実はツェレの絵ハガキに見覚えがあります。もしかしたら同じものを持っているかもしれません。1980年代に買ったので、似てるだけかもしれませんが、なんとなく・・・
    山のように引き出しに放り込まれている絵葉書を そろそろ整理しなくちゃいけないですかしら。
    写真にとって、捨てるしかないのでしょうね。

    いつも通り 楽しませていただきました。

    Mより
    2020年05月01日23時34分返信する 関連旅行記

    Re: イギリスと関係の深いハノーファー家

    M-koku1さん 、
    今日は。急に暑くなり、体調管理も大変ですね。
    読みにくい、この章にコメントして頂きありがとうございます。

    そうでしたね。イギリスに長く住んでおられたようですから、英国の王朝は日々の生活の中に普通に存在し、影響していたことでしょう。
    ジョージ一世はドイツ人でドイツ育ちでしたから、英語を流暢に話すほど身近ではなかったのでしょう。
    彼の名誉のために付記すると、実際は英語を理解し、読み書きもでき、話せたと云われています。彼は当時の宮廷の必須語であったフランス語を流暢に話し、この時代の教養人には必須であったラテン語も良くできて、イタリア語とオランダ語は少し話せたから、ジョージ一世の語学的才能は十分だったと思います。
    3人目のジョージ3世になって始めて英国生まれの王が登場し、英語を話す君主になったそうで、その後はずっとハノーファーのドイツの血が英国王朝に続いていきます。

    私にとって一番読まれたのは以下です。もしご興味あれば、
    参考:≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫
    https://4travel.jp/travelogue/10875676

    ドイツとイギリスの関係はフランスよりも潜在的に強固なように思えます。
    第二次大戦でもイギリス空軍の爆撃も人的関係のあった町は攻撃しなかったと聞きます。EU離脱も言われるように、何をしているのかなと思いますよ。

    ツェレの絵ハガキはきっと同じでしょう!私も絵葉書はアルバムに貼るか、友人、知人に季節に応じて書いて送るかし、残ったものは後生大事に保管しており、ファイリングまでしています。
    先日、セピア色の思い出を4Traに掲載したところ、事務局からある写真が掲載不可、つまり旅行記が下書き状態に戻されました。それで保管していた絵葉書を撮って代りに掲載して、元に戻った事がありました。
    古い絵葉書も急に引っ張り出されて驚いたことでしょう。
    それではまた、ありがとうございました。
    jijidaruma
    2020年05月02日14時30分 返信する
  • 素晴らしい陶磁器ですね

    こんばんわ

    偶然ですが昨日BSPでアウグスト二世とマイセン城とその陶磁器工に関する番組をやっていました。(再放送ですけれど)
    沢山の陶磁器が戦争で破壊されてしまったということで、根気強く時間をかけて作り直している様子も紹介されていました。頭が下がります。ミニチュア類はよく壊れずに残っていたんですね。舞踏会のシーンなんて、本当に素敵です!

    ザクセン地方を中心としたヨーロッパの貴族たちの流れが 少しだけわかった気がします。
    本当によく調べていらっしゃいますね。
    脱帽です。
    二世とか三世とか みんな名前が似ているので、なかなか頭に入りません。

    今日から G(がまん)W(ウィーク)だそうですが
    Stay Homeで乗り切ります。

    もう次のがあるようなので また明日読みたいと思ってます。

    Mより

    2020年04月29日23時05分返信する 関連旅行記

    Re: 素晴らしい陶磁器ですね

    M-koku1さん 、
    今晩は。コメントありがとうございます。
    ほんと、人名は面倒です。欧州の貴族は代々同じ名を使用すること
    が普通ですから、読むのも調べるのも面倒なものです。
    それに他の国の王になると前の名と違う形をとるし、日本語になると、
    調べた原典によって異なるから、こんがらかるのですよ。
    以前に調べた資料があっても、何度も読み返し、時間がかかりました。

    さて、18世紀後半、ドイツでの磁器窯隆盛の時代、「ドイツの七名窯」に挙げられた歴史ある由緒ある名窯は、《 第一には18世紀の初め、ヨーロッパの磁器の先駆けとなった、Meissenマイセンであり、Hoechstヘキスト・Fuerstenbergフュルステンベルク・KPM Berlinベルリン・Nymphenburgニュンフェンブルグ・FrankenthalフランケンタールそしてLudwigsburgルードヴィクスブルグの7つです。 》  
    その後、18世紀の半ばから、ドイツ各地に磁器窯が造られ、ドイツに於いて、マイセンがキングなら、ドレスデンはクイーンと例えられているDP Dresdenドレスデンや、Villeroy&Bochヴィレロイ・ボッホ、Rosentahlローゼンタール、Hutschenreutherフッチェンロイター、Kahlaカーラ等が創業されている。
    テューリンゲン陶磁器街道の陶磁器も18世紀半ばですから、同じ時期に
    なりますね。ひょっとしてお好きなものも有るかもしれません。
    jijidaruma
    2020年04月29日23時42分 返信する
  • ■ こんにちは、はじめまして

    jijidarumaさん

    こんにちは、はじめて私の旅行記にお越しいただきありがとうございます。

    旅行記やクチコミなど、どこの地域にご興味を持たれたのでしょうか。

    これからもお気軽にお立ち寄り下さいね。

    「 行ってみることそれが旅  どんなに遠くても  どんなに近くても 」

    人、自然、歴史、文化との出会いを求めて旅を続けていきます。

    今後ともよろしくお願いします。

    bigwell
    2020年04月29日08時49分返信する

    RE: ■ こんにちは、はじめまして

    bigwellさん、
    今日は初めまして。
    bigな方!にたくさんお立ち寄りいただきありがとうございました。
    多分、読みにくかった事でしょう。また、書き込みも頂き恐縮です。

    実は当方にお立ち寄りされた他の方の旅行記を見ていて、bigwellさんの
    ドイツ旅行記に気が付いたのですよ。こうした事はトキタマあります。

    私はドイツ大好き人間で、古城巡り、古城ホテル滞在を好み、歴史好き、
    伝説・民話を見つけては訳して楽しむとか、少々人様とは違っております。
    街巡りの写真は少なく、マーじっくり読んで頂くのがありがたいのです。

    主にドイツばかりの旅行記、それも伝説(投稿も伝説から始めた)やら
    番外編も多く、また口コミも・・・それらを含めて内容が少々拘った形に
    なりがちです。
    また観光訪問の際に参考になるように人名なども独語を併記し読みにくく、
    写真より文章が長くお読み頂くのも大変な所為か、飽きられてしまいます
    (苦笑)。前述の「お立ち寄りの他の方」もその部類でしたが、久しぶりに
    お立ち寄りになったので、どうしているかと、立ち寄ったのです。

    自己紹介を兼ねて、以上返信しました。

    「行ってみることそれが旅、どんなに遠くても、どんなに近くても。」
    人、自然、歴史、文化との出会いを求めて旅を続けていきます。

    良いモットーですね。

    それではまた。どうぞ宜しく願いします。

    jijidaruma
    2020年04月29日14時16分 返信する
  • コーゼル伯爵夫人の登場ですね

    jijidarumaさん、こんにちは。

    新型コロナウイルス、ますます凶暴になってまいりましたね。これからどうなるのか、罹りたくない・・・、恐れながら生活します。

    さて、出ましたね、コーゼル伯爵夫人。
    私がjjidarumaさんとお知り合いにならせていただいたのもコーゼル夫人でした。

    私は、コーゼルの足跡を訪ねて2013年にドレスデンをおとずれました。最近齢のせいか忘れっぽくなり、このシュトルペン城のことも記憶の彼方に飛んでいました。
    今回ご旅行記を拝見して、あ~そうだった~~、と懐かしく思い出しました。

    49年の長きにわたって幽閉され続けても毅然として美しさを失わなかったコーゼル夫人。

    しばらくドレスデンは遠ざかっていますが、もう一度、旅行ができるようになったら訪れたくなりました。
    そのためにはこのコロナ禍、早く終息しないとその機会がなくなってしまいます。

    お身体ご自愛のほどを。

    himmel
    2020年04月25日13時34分返信する 関連旅行記

    Re: コーゼル伯爵夫人の登場ですね

    himmelさん、
    今日は。
    世情、相変わらず武漢ウイルスが終息せず、落ち着きませんね。
    孫娘も折角希望高に合格したのに、入学式も無い休校で、宙ぶらりんです。
    少しずつ休校の延長が繰り返され気の毒なことです。

    でも恐れても、毅然としたコーゼル夫人の如く、気張りましょう。

    さて、コーゼル伯爵夫人のこと、口コミだけで漸く旅行記に掲載できました。
    今続編をやっていますが、himmelさんのコーゼル伯爵夫人にはとても刺激されたのですよ。2011年の旅の事ですが、2019年のツェレのドロドロした話からここにきてしまいました。ツェレではまだ別の幽閉事件もありますから、この時代には驚きます。
    先ほども続編を校正していると、ドロドロ相手の姉の事に気付きました。いろいろ話はつながるものです。それはまた、続編にて(笑)。

    ドレスデンは良いですね。エルベ川と旧市街の景観が目に浮かびます。私ももう10年近く再訪していないので、ザクセンの古城群共々行ってみたいものです。
    ありがとうございました。
    それではhimmelさんの旅行記の続編を楽しみに・・・。
    jijidaruma
    2020年04月25日17時37分 返信する
  • 高齢と幽閉

    おはようございます

    中身がとても濃いので 一回では読み終えることができませんでした。本格的歴史書の風情ですね。

    この辺りはスーッと通り過ぎていて、そんなに沢山 古城があったなんて 気づきませんでした。ライン川流域といい 各地に古城が残っているのは 凄いですね!
    世界史で習った頃 この辺りのことは ほとんど出てこなかった気がしますが 歴史は面白いです。

    最後の二年を過ごした部屋が 恐ろしく簡素な上 塔の中ということを考えると もしかしたら 認知症になっていたかもしれませんね。お世話する人達が 手に余るようになっていたかも。全くの想像です!(^^)

    ドレスデンのケンピンスキーに泊まられたんですね。羨ましいです。仕事で行ったので、お客様が用意してくださったホテルは駅の近くでした。でもとても良くできていて、不満はありませんでしたが、いかにもロシアに占領されていたんだなと言う感じでした。

    またお邪魔します。

    Mより
    2020年04月22日07時59分返信する 関連旅行記

    Re: 高齢と幽閉

    M-koku1さん、
    今日は。早々のコメントありがとうございました。

    旅する人に情報をと、自らには歴史好き、人間好きの思いを満足させるために、何やら長くなってしまいました。読みにくいだろうなといつも思います。
    スミマセン!!
    世界史を習った由、私もそうでした。高校の日本史の先生(担任)が好きになれずに、何となく世界史の方を好みました。お蔭でヨーロッパが楽しいですよ。
    ドイツは現存する古城・城址が3万とかいう数字がありますから、意外な地域にまとまっていて、見る価値があります。勿論古城好きとしてですが。
    古城があれば、歴史があり、伝説もありで堪えられない場所なのです。
    そういえば、Festung Koenigsteinケーニッヒシュタイン要塞を見ておられましたね。後でそちらを拝見に。

    「コーゼル伯爵夫人、もしかしたら 認知症になっていたかもしれませんの説」、なるほど長い幽囚生活でツイに精神に変調をきたしたか?あの時代でも認知症はあったでしょうし、調べてみる要があるかもしれませんね。
    白髪も増えたものの、美形のまゝの老齢の様子、あの目力のある夫人でしょうから、そのような説をさてどう思われることでしょう^^。

    ドレスデンではHotel Schloss Eckberg古城ホテル シュロス エックベルクで2泊した(口コミご参照)ので、恥ずかしながらケンピンスキーは正面で写真を撮っただけでした。コーゼル夫人にかかわりのあるホテルですから、無理をしてでも泊まるべきだったかも(苦笑)。

    ありがとうございました。それではまた。
    jijidaruma
    2020年04月22日13時59分 返信する

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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