ねんきん老人さんへのコメント一覧(62ページ)全873件
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絶好調
ねんきん老人さん、こんにちは
先日はまた「蔵出し」レベルの古い旅行記に投票いただき、ありがとうございました。
「恋人の聖地」(笑)
「この低俗極まる客寄せ企画にげんなりしている」のはねんきん老人さんだけじゃありません!
いや、ほんとどうにかしてほしいものです。若い人たちも冷笑しているんじゃないでしょうか?
駆け足のバスツアー、仲間との乱痴気騒ぎのおかずと考えるか、次回自分で計画するときの下見と考えれば、納得できるかも? どうでしょう?
---------琉球熱--------ツアーを選ぶか、仲間を選ぶか?
琉球熱さん、おはようございます。
嬉しい書き込み、ありがとうございました。
「蔵出し」と仰いますが、小生にとっては宝の山です。 折角のご投稿、見落としがあっては勿体ないと、古いものから1編ずつ順に拝読しているもので、なかなか最新の旅行記にたどり着けないのですが、琉球熱さんの豊かな感性と旅慣れた末の直感に溢れる体験談はそれぞれの記事が読み飛ばすわけにはいかない貴重なもので、ゆっくり楽しませていただいております。
恋人の聖地に関する幻滅に「同志」を得て、してやったりの気分です。琉球熱さんの仰るように若い人たちも冷笑していることを願わずにはいられません。
せっかくのツアーですから、行く先々の見学にもう少し時間をかけてもらいたいとは思いますが、早く宿に行って飲みたい連中との参加ですから、誰もが満足する日程というわけにもいかないと、自分を納得させています。
まあ、1年に1回ぐらいは自慢話の競演にどっぷり浸かるのも悪くはないかなと、これも無理やり自分を納得させています。
エールを送っていただいた気分になりました。ありがとうございました。
ねんきん老人2019年10月29日09時54分 返信する -
楽しく読ませて頂きました
私も行った事のある場所で楽しく懐かしく
読ませて頂きました。
真面目に旅行先の紹介もあれば、笑いを堪えるのが苦しいほどユーモアたっぷりの部分もありでとても読み応えがありました。
顔の塗装に大金を使うより、自分が観音様
に似てきたと考えるべきとか。(^^)
女性も年を重ねると怖いもの無くなるのか?
我物顔で、所構わず大きな声でお話しして
しまいますが。中◯人とかわらない。
はい、これから注意してまいります。
まだ出会えたばかりですが、大先輩の旅行記にすっかりハマりました。
最近活字から遠ざかり気味ですが、読書の秋大先輩の旅行記片手に楽しめそうです。
ありがとうございます😊見聞の共有を何よりも嬉しく思います。
チーママ散歩様、お早うございます。
ご丁寧な書き込みで望外のお褒めをいただき、穴があったら入りたい気分です。 自分を棚に上げて人様をからかう悪癖がそのまま文に出てしまったことを恥じていますが、細かいところまでちゃんと読んでくださったチーママ様の存在に大きな励みをいただきました。
調子に乗ってまた駄文を弄することになろうかと思いますが、どうぞお許しの上、これからもお付き合いくださいますようお願いいたします。
私の行った場所にチーママ様もいらっしゃったとのこと。おかげで拙い文章でも現地の様子をご理解いただけたのですから、嬉しい限りです。
楽しいことは、それを共有できる方の存在でなお楽しくなりますので、書いた側にしてみると大きな張り合いです。
年齢的にも経済的にも、私の旅は限られたものですが、また見聞の共有ができればと、楽しみにしております。
ありがとうございました。
ねんきん老人2019年10月28日09時22分 返信する -
はじめまして
ねんきん老人様
私の拙い旅行記にご訪問していただき、いいね!までありがとうございました。
ねんきん老人様の旅行記にすっかり引き込まれ、楽しく拝見しました。
旅を共にするご友人が8人もいらっしゃるなんて羨ましい限りです。
気心が知れているからこそ、言いたいことも言える素敵なお仲間ですね。
我が家でも夫のウォシュレット問題は重要な課題です(笑)
ホテル探しはまずウォシュレットがあるかないか・・・
付いていなければ、残念・・・で済ませますが、夫にとってはつらい日々のようです。
ベトナムの旅行記楽しみにしています。
またお邪魔しますので宜しくお願い致します。
マダムK
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バスツアー
ねんきん先生、こんにちは!
お仲間とのバスツアーのご様子がとても楽しそうです。チクりと言い合っても長い付き合いが出来る関係はとても羨ましい信頼関係です。
私もつい先日、福井の「永平寺」に釣られて参加しましたが、永平寺はバス降りて戻るも含めて50分でした。回りに何もない宝石の館の滞在は80分でした。サービスエリアではなくパーキングエリアで「トイレだけ行ってください」と指定もありました。
走って行かれた思い出の場所。
嘘も方便と走った遅刻は許されます!
千葉や被災地に寄り添いたいです。
ねんきん先生
千葉にご在住でしたね。
度重なる災害にお見舞い申し上げます。
小さな募金を何回かにわけて、コツコツと募金をしてるくらいですが、小さな募金でも何らかの役に立ち、そんな小さな募金がたくさん集まるように思う毎日です。
我が家の3番目は小学生時代「ちーば君」の帽子を愛用していました。
皆様が、1日も早く安心して暮らせるように政府が最大の努力をすることを望んでいます。
ボランティアに行けない人はせめて「(少額でも)募金を!」と思います。2019年10月19日16時14分 返信する永平寺を50分で !?
まむーとさん、私と仲間の馬鹿なツアーにお付き合いくださり、その上書き込みまでしてくださって、ありがとうございました。
まむーとさんもパーキングエリアで買い物を禁じられるような駆け足ツアーを体験されたのですか。
永平寺を駐車場から50分で回れとは! 私も確か4回ほど行っていますが、毎回3時間程度はいたと思います。見学を終えると疲れて、参道の茶店で休憩するのが常でした。
それを50分でとは! でもバスツアーとはそういうものだと割り切って参加すれば、それはそれで楽しいものですね。
「嘘も方便と走った遅刻は許される」との一文、ありがとうございました。
いつのバスツアーでもたいてい一人や二人は遅れる人がいて、けしからんと思っていたものですから、今回はとても後ろめたく、後悔をしていたところです。
被災地への思いからいつも寄付をされていらっしゃるとのこと。頭が下がります。 私も寺社へのお賽銭よりは多めの額を出すようにしていますが、「これで何人がカップラーメンを食べられるか?」と考えると、自分のせこさに呆れるばかりです。
幸い私の家は被害を免れましたが、近所にはいまだにブルーシートがかかったままの家が沢山あります。
まむーとさんの書き込みを拝読して、明日、もう一度社会福祉協議会に行ってささやかな気持ちを預けてこようかという気になりました。
ありがとうございました。
ねんきん老人2019年10月19日18時31分 返信する -
ご無沙汰しております
台風はいかがでした。木更津あたりは大変だったと聞いております。外房の我が家は瓦が数枚動いた程度で、自分で直しました。
久留里線は10年くらい前一度乗ったことがあるような気がします。久留里駅は、高速代をケチるときに時々通ります。いすみ鉄道と似たようなモノですね。あんな田舎鉄道とは違うと怒られますかね。
全駅回ると言うのはすごい執念。いすみ鉄道でさえ、大原と上総なんとかをただ往復したと人に言ったら、変人呼ばわりされました。瓦が動いた「程度」とは!
古い、しかも物好きな探索にお付き合いくださり、ありがとうございました。
今回の台風は千葉県人にとって未曾有のものでしたが、幸か不幸か、我が家は予算が足りずに平屋建てにしたもので、隣接する5軒の二階屋が風よけとなってくれて、無事でした。その5軒は屋根その他の被害を受けていますので、申し訳ない気分です。
シニアの旅人様のお宅は「瓦が数枚動いた程度で、自分で直した」とのこと。
私の町内では瓦が飛んだりずれたりしたことは大騒ぎで、民生委員の私は大忙しです。
それを「・・・た程度」と表現して悠然としておられること、さらにご自分で直されたとのこと、ただただ驚きです。
私も町内の集会所の屋根に登って、落ちたりずれたりした瓦を直しましたが、翌日その部分が雨漏りして集会所内がびしょ濡れになっていました。直しが下手だっただけでなく、緩んだ瓦の上を歩いて、さらに悪化させてしまったのだと思ひます。
いすみ鉄道の往復で変人呼ばわりされたとのこと、思わず笑ってしまいました。実は、私も久留里線全駅を回ったとき、娘から「気が知れない」と笑われたのです。
娘は高校時代、久留里線に2区間乗って内房線に乗り換え通学していたもので、「パー線」のローカル性をいやというほど知っているからです。
「人間、好奇心がなくなったらおしまいだ」というのが、私が娘に言ったセリですが、娘からすれば、年甲斐もなく無駄な好奇心を抱えて行動している変人に見えたであろうと思います。
今回、お読みいただいたことで、自己満足をちょっと支えていただいた気分になりました。
どうもありがとうございました。
ねんきん老人2019年10月16日21時22分 返信する -
比叡山延暦寺
ねんきん老人さま、おはようございます。
小江戸佐原の旅行記を見ていただきありがとうございます。
フォローさせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。
滋賀県は夫の出身地なので、彦根城や延暦寺の文字を目にすると
やはりのぞいてみたくなります(^-^;
延暦寺は何回か訪れた事がありますが、参拝するまでなんだかんだとお金が
かかるんですねぇ。
通行料もお高いし。
それにしても、お数珠の数、気になります・・・
旅でいろいろな事を学ぶねんきん老人さん、奥様はきっと感心されて
いらっしゃるでしょう。
いつでもどこでも守ってくださる人がそばにいるって心強いですね。
comodo
袖ふれ合うも・・と言いますが。
comodo 様、とりとめもない駄文にお付き合いくださり、その上投票、フォローと、ありがとうございます。
ご主人が滋賀県のご出身だそうで、そこから私の「彦根城・延暦寺」にお目を止めてくださったとのこと。 実は私も千葉県に住んでおりますことから、「小江戸佐原」の文字には敏感に反応した次第です。
袖ふれ合うも多生の縁と言いますが、これも何かのご縁。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
「旅でいろいろな事を学ぶ」と誉めていただきましたが、本当のところは、旅に出るたびに自分の無知を思い知らされて愕然としているということなのです。これまで全く知らなかったこと、間違って覚えていたこと、等々、今さらながら汗顔三斗の思いです。
妻は感心するどころか、呆れていることと思います。
でも、その妻が「いつでもどこでも守って」くれているとのcomodo 様のお言葉は嬉しい限りで、そう思えば今日も頑張ろうという気持ちになれます。
ともすれば、一人で生きていても意味がないという思いに襲われる毎日ですが、今もそばにいる妻をがっかりさせないように、背筋を伸ばして今日も一日頑張ろうと思います。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
2019年10月05日11時55分 返信する -
赤穂海浜公園の難破船
現在 新しく改修されています
その改修工事を私が担当しました。
新しくなった 難破船を また見に来てください。
付随する アトラクションも増えました。社会の縁、人の縁に気持ちが高ぶります。
ひなちゃんさん、書き込みありがとうございました。
赤穂海浜公園には二度行きましたが、そこの難破船の改修工事を担当された方が拙稿をお読みくださったとは! 人はどこでどうつながるか、分からないものですね。
私は自分の年齢からして、どこに行っても「これが最後だな」と思っているのですが、今回不思議な縁であの難破船が改修されたことを知り、もう一度行ってみたくなりました。
ということは、まだ人生が終わりだと思ってはいけないということですね。
頑張ってもう一度行けば、あの難破船がこれまでとは違って見えることだと思います。
楽しみが一つ増えました。 ありがとうございました。
ねんきん老人2019年09月27日11時11分 返信する -
真実はなかなか伝わらない
ねんきん老人さん、こんにちは
大変力のこもった意義ある旅行記ですね!
日韓の関係はこれまでも上がったり下がったりでしたが、今回は過去にないほど険悪なムード・・・ですが、実際に韓国へ旅行した人たちの多くが「心配したほどでもなかった」と言っていることに、少々救われる想いです。
韓国内でも、政府間の関係と民間とは分けて考えようという機運が出ているとも聞きます。だからこそ、民間レベルの交流はこれまで同様、継続してほしいものです。
なんだかんだ言っても、お隣なのですから。
それにしても、韓国政府の対日批判、市民の反日運動などの報道は、事実ではあるものの「全て」ではないでしょう。
しかしそれが「全て」であるかのような報道、機運醸成によって、日本国内に反韓ムードがいたずらに醸成されていくことの方が恐いです。
「誰が」「何を」目論んでいるのか、見極める眼力が求められていますね。
マスコミの報道を無条件に受け入れてしまうのは、とても危険だと感じます。
それでも韓国政府の声明には「いい加減にしろよ」と思うことは多々あるのですが(笑)
--------琉球熱--------
冷静なご意見、我が意を得たりの思いです。
琉球熱さん、おはようございます。
カビの生えた古い話にお付き合いくださり、その上書き込みまでしてくださって、ありがとうございました。
昨今の韓国の動きについては、少々辟易しているというのが正直なところでして、なにかというと第三者に日本の悪口を言って回るという態度に腹も立っています。
日本の社会全体も嫌韓ムードが高まっており、そういうときには韓国悪しの論調の方が一般受けしますから、マスコミもいわゆるコメンテーターなども韓国の悪口を言っていれば商売になるということでしょうか。
しかし、琉球熱さんの仰るとおりお隣さんなのですから、このままではお互いに疲れ果ててしまいます。 日本の政府には、大人の器量で対処してもらいたいと思います。
まあ、それはここまできてしまうと今日明日というわけにもいかないのでしょうが、そういうときこそ民間交流が大切だと思います。
思えば前回の「関係悪化」のときも「国交正常化以来最悪の関係」と言われたものでしたが、その最中に日本中のオバサマたちがヨン様、ヨン様と海を渡り、韓国人と仲良くなって、こぞってリピーターになってしまったという事実があります。
周囲の目を気にして日本に行きたくても行けない、というような話も聞きますが、その辺は日本の方がやや成熟しているようで、今、日本人が韓国に行くといっても白い目で見られることはありませんから、ここはせっせと韓国に行って、日本人の「大人のふるまい」を見せて欲しいところです。
そうすれば、琉球熱さんのご指摘のように「事実ではあっても、すべてではない」ということが体験できると思います。
投稿をためらった古い話ですが、書き込みをいただいて、ほっとしました。
ありがとうございました。
ねんきん老人2019年09月18日09時07分 返信する -
比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
年金様
こんにちは。初めてメッセージ送ります。
比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
元々最澄が切り開いた頃は、おそらくは極めて狭い掘立小屋みたいな
ものだったのではと思います。
当方は8月2日に訪問してきました。
本名三津首広野、最大のライバルはやはり
真言密教をもたらした空海佐伯真魚というか、
第16次遣唐使でしたか、第1船に最澄、第2船に空海が乗り、
空海の第2船は、遅れてなんとか福州へ難破漂着。
当時の日本の船舶技術の拙さもあって、半分以上は
入唐できず海の藻屑と消えるか困難を極めたとものの書物にはありますね。
完全に入唐までは全くの無名でどこの馬の骨ともわからなかった空海。
歴史に登場するのは、正使の藤原かどのまろの代筆で、
福州長官のエンセイビ(漢字度忘れお許しを)にあてて、
日本の正式な唐への使いであることを証明するところからでしょうか?
大変な名文を中国語で記載したところからですかね。
空海と最澄、雑密だけを持ち帰った最澄はその後7歳年下の空海へ弟子入りし、
8年後には絶縁。
この最澄空海平安仏教の二枚看板を比較したものが大変面白く
この場で思い出しています。
わき
最澄・空海の比較、感服しました。
わき様、拙稿にお付き合いくださり、ありがとうございます。
最澄・空海についての深いご造詣に敬意と羨望を覚えます。
小生の薄っぺらな勉強ではとても太刀打ちできるものではなく、改めて我が身を恥じる次第です。
小生は、ごく大雑把に、最澄は名家出身で官に覚えめでたく、渡唐の時点で既に天王の護持僧であったというエリート、空海は素姓卑しき身分で渡唐のチャンスを得るために非公式に得度した私度僧という大きな差を考えているくらいです。
帰国後も最澄は高位を保ち、桓武天皇という後ろ盾を得て羽振りをきかせていたのに対し、空海は諸国を巡って民衆に接したあとかろうじて高野山に小さな庵を得てやっと日の目を見たというように思っています。
もっとも諸国を巡ってという辺りは多分に後世の言い伝えが混じってのことで、各地に残る弘法伝説などは極めて眉唾ものであるとも思っています。
その辺の浅学きわまる解釈を恥ともせず稚拙なブログに勝手に書き込んだものがありますので、もし退屈な時間などありましたら斜め読みでもしていただければ光栄です。
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/020_kouyasan.html
「雑念怨念羞恥の念」→「ねんきん老人の独り言」→「兄を訪ねて高野山へ」
年齢からしてもう比叡山に行くことはないと思っていましたが、わき様のご教示に接し、もう一度比叡山・高野山に行ってみたくなりました。
刺激的な書き込み、重ねてお礼申し上げます。
ねんきん老人2019年09月14日12時47分 返信するRe: 比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
ねんきん様
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/020_kouyasan.html
「雑念怨念羞恥の念」→「ねんきん老人の独り言」→「兄を訪ねて高野山へ」
も読ませて頂き誠にありがとうございました。
ブログも書いておられたのですね。
佐伯真魚空海のことを、そして三津首広野最澄についても
少しばかり付加させてください。
真魚(空海)24歳時に書いた三教指帰、仏教・儒教・道教を戯曲じたてで、
{登場するのは、亀毛先生(儒教)虚ぶ隠士(道教)仮名こつじ(空海)
そして稀代の女好きものである しつが公子(漢字度忘れお許しを)}
その優劣を判断し、仏教が勝っていると結論しています。
その後7年間というもの空海、行方知らずで空白期間がありますが、
この間に中国語を会話・解釈文章ともに猛勉強していたものと
当方は考えています。
空海の出自ですが、父方佐伯氏は讃岐の国造(くにのみやつこ)
母方阿刀氏は、空海生誕以前の60年前玄昉(唐の玄宗に紫衣まで与えられ、18年後日本に帰国後
聖武天皇時代、やはり聖武から紫衣を与えられてあこぎな政治的な権力を握って失脚した人物)を
生んでいます。空海の家庭教師は、
母方の阿刀大足(おおたり)で、阿刀大足(おおたり)は、
桓武天皇の子どもの伊予親王の家庭教師でもありました。
三教指帰に亀毛先生という人物が登場しますが、この人物のモデルは阿刀大足(おおたり)(空海の叔父)
と言われています。
伊予親王が空海のために、かなりな財を贈与して入唐を助けたことがうかがえます。
空海の俄かに入唐したいという目的は、専ら雑密ではなく、本当の正当な密教のトータルな理解だったことしか
考えられないと考えています。
桓武天皇が開いた京都平安京ですが、京の東北は鬼門にあたるため、
そこの方角に寺を作り鬼神を鎮めておく必要があると
桓武天皇の側近 藤原小黒麻呂は献言.、
その東北方角に当たるのが日枝山(現在の比叡山)で、
このころ、最澄がそこで修行したての頃でした。
つまり、最澄は駆け出しの頃、桓武天皇を藤原小黒麻呂から、直に紹介されていたと考えます。
藤原小黒麻呂の子どもが、第16次の遣唐使の代表藤原葛之麻呂(かどのまろ)でした。
このとき第2船に乗船していたのが、葛之麻呂・空海・橘逸勢です。
(橘逸勢は、空海の子分となった男)
他方第1船乗船が最澄でした。
最澄は、所謂諸蕃(渡来人)の家系で、桓武天皇の実母高野の新笠(にいがさ)も諸蕃出身とあって、
最初から最澄の出だしは桓武天皇の庇護をうけて輝かしいばかりでした。
更に当時の土木第1人者であった和気清麻呂一族(その子どもは、広世)の加護さえもらっていました。
和気清麻呂一族がなぜ最澄の存在を保護したか、それは道鏡事件と関係します。
最澄は、南都6宗(華厳宗・律宗・法相宗・俱舎宗・三論宗・じょうじつ宗)を、徹底的に批判していたからです。
最澄の前半生は、輝くばかり、入唐後は苦難の道のりとなっていきます。
そして50代で死去しました。
天台密教は、最後の遣唐使派遣第17次遣唐使船に乗った天台宗最大の功労者である円仁と円珍(円珍は佐伯氏で、空海の親戚)の時に、
台密として確立していきます。
この最後の遣唐使の副使は、歴史上問題になった小野篁、彼は入唐することを拒否。
それもそのはず、650名近くのうち、約4割もの人間が海の藻屑と消えるほど当時の船の日本の技術は拙劣で、
竜骨さえもなかったからです。
長々と記載して申し訳もありませんが、
ねんきん様 今後も深き旅行記を楽しみにしております。
わき
2019年09月16日14時06分 返信するいまさらですが、学ぶことは楽しいことで・・・。
わき様、おはようございます。
重ねての書き込みありがとうございました。 お礼が遅れ、失礼いたしました。
実は、わき様の文に出てくる人物と事実の殆どを私は知らず、それらを手軽なネットで調べていたものですから、今になってしまいました。
いやはや、わき様の碩学ぶりには言葉もありません。 小生のように「まんが日本史」あたりで知ったことを、さもそれが全てであるかのように思い込んで満足している輩には溜息の出る思いです。
それでも、わき様のご教示を紙に書いて、人物の相関図などを作っていると、どうせ覚えられないとは思いながらもなにやら勉強している気分で、楽しく時を過ごすことができました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ねんきん老人2019年09月18日11時16分 返信する



