2018/09/08 - 2018/09/17
20位(同エリア1621件中)
ねんきん老人さん
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気まぐれで伏見稲荷に寄ったせいで、名神高速の大津SAで車中泊することになったのですが、そこで琵琶湖を眺めているときに、訳もなく「最澄は、パトロンを得て、天台宗」というフレーズを思い出しました。
高校時代、歴史年代を暗記するのに「いい国つくろう鎌倉幕府」というようなゴロ合わせを競ったものですが、その中にあった言葉です。
最澄が天台宗を開いた806年を「8-パ、0-ト、6-ロン」と読んで、最澄が桓武天皇を強力な後ろ盾として開宗したことを皮肉ったものですが、鎌倉幕府のイイクニのようには浸透していなかったと思います。
もう長いこと行っていない延暦寺。年齢を考えるともう行くことはないだろう延暦寺。
ならば帰宅をまた1日延ばして行ってみようか。 そんないい加減な気持ちで久しぶりに行った比叡山。 そのあと彦根城へも足を延ばしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
【 参拝入口 】
拝観券は700円です。 諸堂巡拝券とか書いてあり、東塔エリア・西塔エリア・横川エリアの共通券です。 でも、それぞれ離れていますし、一日で3エリアを回る人はまずいないのではないでしょうか? 私は東塔エリアしか入るつもりはないので共通券はいらないのですが、個々のエリアの券というのはありません。
これって、体の良いぼったくりですよね。 仏の道も落ちたものです。
そのほかに国宝殿(宝物館)でまた500円取られます。 参拝料が無料で宝物館が有料というお寺は沢山ありますが、境内に入るだけでカネを取り、さらに宝物館でまたカネを取るとはアコギな商売です。 観光地の秘宝館の方がよっぽど純粋な商売だと思います。
そうそう、延暦寺に車で行くには否応なしに奥比叡ドライブウェイとかいう道を通らなければならないのですが、その通行料が2,380円。 山賊もかくやという荒稼ぎです。 貧乏人は来るなということでしょうか?
比叡山 自然・景勝地
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【 元亀の兵乱殉難者鎮魂塚 】
チケット売り場の手前左に「元亀の兵乱殉難者鎮魂塚」と書かれた石柱が建っていました。
元亀の兵乱といえばあの信長による比叡山焼き討ちですね。 私はこれまでこういう塚があることに気がつきませんでした。 狭い小路を下った所にあって目立たないとはいえ、申し訳ない気持ちで行ってみました。
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【 元亀の兵乱殉難者鎮魂塚 】
なんともシンプルな、文字通りの塚ですが、それはそれであの悲劇を偲ぶには良い趣きです。
信長の比叡山焼き討ちは学校でも必ず習いますし、知らぬ人のいない惨劇ですから、もうちょっと目立つ場所にあればいいのにと思いました。 -
【 伝教大師伝 】
さて、お金のかかる国宝館を素通りすると、講堂までの参道に伝教大師最澄の一代記が絵看板で掲げられています。 -
【 神童 】
天台宗の開祖最澄は、神護景雲元年、比叡山の麓で栄えていた三津首(みつのおびと)一族の家に生まれたそうです。 三津首は後漢の孝献帝の子孫だとか。
神護景雲という元号があったんですねえ。 767年だそうです。
最澄は神童のほまれ高く、7歳のころには、一を聞いて十を知る天才ぶりで村人の師範と仰がれたそうですから、十を聞いて九を忘れる私とはそもそも縁のない人物だったんですね。
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【 入唐求法 】
最澄は仏法を極めるために遣唐使の船に便乗して唐に渡ります。
暴風、荒波に翻弄されながら、2か月かかって今の寧波にたどり着いたそうですから、LCCでひとっ飛びという現代人の感覚では理解できません。 -
【 比叡山で開宗 】
在唐わずか8か月で帰国した最澄は、自らが788年に創建した比叡山寺で唐から学び帰った天台宗の教えを教授し、806年に朝廷から日本天台宗として公認されたそうです。 -
【 大講堂 】
本尊の大日如来のほかに日蓮・道元・栄西・円珍・法然・親鸞・良忍・真盛・一遍、つまりこの比叡山で修行してのちに各宗派を立ち上げた高僧の像が祀られています。
過去に一度だけ拝観したことがあるものの、細部の記憶がかなり曖昧になっていましたので、もう一度中に入ろうと思いましたが、あいにくこの日はある団体で一杯でしたので、外からのお参りだけになってしまいました。 -
【 鐘楼 】
大講堂の先に鐘楼があります。
位置についての記憶が曖昧なのはいつものことですが、見た感じも記憶と重なりません。 ふと思ったのですが、塗り直されているのではないでしょうか?
派手な蟇股だけは「ああ、これ!」と思い出しましたが、それも別のお寺の記憶と取り違えているのかも知れません。 なにしろ、たまにしか会わない福沢諭吉さんの顔も思い出せないくらいですから。 -
【 緩やかな階段 】
これは覚えていました。 鐘楼の横から萬拝堂に向かって降りる階段です。
ただ、前回までは勾配など気になっていなかったと思います。 今回、その緩やかな傾斜と手摺りに目がいき、ほっとしてしまったのは歳のせいに違いありません。 -
【 福田海奉納の牛像 】
階段を下り切った所に牛の像がありました。
これは初めて気が付いたもので、「天神様でもないのに」などと的外れなことを考えました。
一生を人間のために尽くす牛の供養をしている福田海という宗教法人が寄贈したものだそうです。
恥ずかしながらその福田海という言葉を知らず、読み方さえ分からなかった私ですが、フクデンカイと読むのだそうですね。 いやはや、まったく、申し訳ありません。 -
【 摩尼車 】
牛像の近くにこんなものが。
はじめは百度石かと思いましたが、それにしては回数を示す目盛や駒がついていません。
境内の別の場所にも同じようなものがあり、「摩尼車」と書いてありました。(オレンジ色の枠内に添付)
えっ? 摩尼車にしては経文が見当たりませんが。
試しに回してみると、なるほど回りはしましたが・・・。 -
【 萬拝堂 】
萬拝堂です。 説明板があり、「日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し合わせて世界に遍満する神神をもともに迎えて奉安して日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂」と書かれています。
なんだかよく分かんねえな、と思いながら中へ。 -
【 万拝堂内部 】
入ると、さして広くはないフロアの中心に千手観音が鎮座し、左右に最澄と誰だかの像が祀られています。(誰だかとは無責任な書き方ですが、忘れてしまったのです。なにしろ十を聞いて九を忘れる私ですので)
その台座は十二角形になっていて、それぞれの辺に干支の絵が描かれています。また台座の上縁には大きな玉が並んでいて、それに触れながら時計回りに進むようにとのこと。つまりその玉は数珠なんですね。
で、その玉を数えてみました。 ??? 108個ではありません。 正面にはちゃんと「百八個の珠で出来ています」と書かれていますので、変だなと思ってもう一度数えてみました。 やっぱり108個ではありません。 で、もう一度。
つまり3回数えましたが、どうしても108ではありません。 私もとうとうおかしくなったかと思い、愕然としましたが、どなたか次に行かれたときに数えてみていただけますでしょうか? -
【 大黒堂 】
最澄が根本中堂を建てたときに、守護神として大黒天をここに祀ったそうです。
のちに豊臣秀吉が開運を祈願して関白にまで上り詰めたということで、出世大黒天堂とも呼ばれ、出世を願う人々の信仰を集めているらしいのですが、総理大臣や財務大臣になって毎日嘘をつき続けるのもしんどいので、出世はいいことにしましょう。 -
【 文殊楼 】
大黒堂に向かって右側に文殊楼への階段があります。
ここは過去に何度か立ち寄っていて、比較的正確な記憶も残っています。
ただ、寛永8年に焼失し、再建されたものであるということ、その際に唐様が取り入れられたということは、今回初めて知りました。 -
【 文殊楼内部 】
内部に入ってみて、まず目についたのはポリバケツです。 なんだかアパートの階段の下みたいですね。
まあ掃除もするのでしょうから、分からなくもありませんが、文殊様への崇敬をもって入った者にとっては、ちょっとばかり冷めた気分になります。 -
【 急な階段 】
さあ、二階に上がりましょう。 この急な階段を見上げると、何度か登った過去の記憶が蘇ってきます。
二階には文殊菩薩像が祀られているのは無論のこと、文殊様の知恵にあやかって高校や大学への合格を祈願する絵馬がびっしりと懸けられています。 文殊様は確かに知恵の菩薩様ですが、それと入試とは関係ないと、私は思います。
二階は撮影禁止なので写真ではご紹介できませんが、私の好きな空間です。 -
【 外にも絵馬が 】
二階の絵馬用ラックが一杯になっているせいでしょうか、外にもご覧のとおり絵馬がぶら下がっています。
文殊菩薩とて各大学にコネがある訳ではないでしょうから、そんなに頼まれても困るのではないでしょうか?
「お前たち、俺に頼るより自分で勉強しろよ!」
文殊様の声が聞こえるようです。 -
【 むむっ!? 】
文殊楼正面の石段を降りると根本中堂。 むろん文殊楼から見下ろせるので、杉木立を通したお堂の偉容はお馴染みのものです。
ですが・・・、そこには初めてみる建物が。 -
【 根本中堂覆屋 】
これです。
根本中堂はなくなって、代りに何かの工場が、と思えるような・・・。 でも、なにやら唐破風もどきの庇がついています。
実はこれ、お堂の覆屋です。
平成28年から始まった「平成の大改修」のいわば足場です。 そういう改修が行われていることを知らなかった私は、残念な気持ちと、改修現場を見られるという好奇心とで複雑な思いのまま中に入りました。 -
【 根本中堂正面 】
なるほど、足場の奥に見慣れた根本中堂の正面回廊がありました。 といっても、これまでお堂の前で足を止めて建物をじっくり見ることはありませんでしたが。
欄間の組物など至近距離で見ることができて、やはりこれは幸運であったなと思い直します。 -
【 修学ステージ 】
作業用の足場には、もちろん我々が登ることはできません。 これは見学者用に設けられた「修学ステージ」というもので、足場に並行して作られています。
賽銭箱がポツンと置かれているのがなんとも切ない光景です。(でも、入れませんでした。 スミマセン) -
【 銅版葺きの屋根 】
これまで屋根をじっくり見上げるということはありませんでしたが、今まさにその屋根の高さにいるので、間近で仔細に観察することができます。
前回の葺き替えから60年経っているので、今回全部(14,000枚!)葺き替えるそうですが、素人目にはそれほどの傷みは感じられませんでした。 -
【 とち葺き 】
やっぱり根本中堂というとこの屋根がイメージとしては定着しているように思います。
とち葺きですって。 えっ? 私はずっとさわら葺きだと思っていましたが。
慌ててインターネットで調べました。 やっぱりとち葺きと書いてあります。 トチって、栃の木? ネットには「栩」と書いてありましたが、その字はクヌギですよねえ? クヌギはトチとも言うんですか? そんなことはないと思うんですが。 -
【 な~んだ 】
という訳で無知をさらけ出してしまいましたが、「とち葺き」で検索してみると、「とちいた(栩板)」で葺く工法とありました。 「栩」は「とち」とも読むようですが、どうも信じられません。
で、「とちいた」で検索してみると、「とちいた」というのは栃の木ではなく、厚さが1~3cmで幅が9~15cmの板を指す言葉で、木の種類には関係ないのだとか。
なんだか紛らわしいですねえ。 だったら「栩板」なんて字を使わないでくれませんかねえ。
つまるところ、厚さ2.4cmのサワラの板を何枚も重ねてあるのだそうです。 -
【 改修費用寄付の依頼 】
入り口で貰ったリーフレットには郵便局の払い込み用紙がついており、改修費用寄付のお願いが書かれていました。
1口2,000円で、5口以上寄付すると境内の寄進者銘板に名前を記載するとのこと。
私ですか? ええ、まあ・・・モゴモゴ・・・。 -
【 伝教大師童形像 】
伝教大師最澄は子供に荒い言葉を使ったり殴ったりしてはいけないと繰り返し説いていたそうで、それを世に伝えるために最澄の子供のころの姿を像にしたものだそうです。
昭和12年に建立され、費用は全国の小学生の1銭拠出で賄ったと書かれています。 -
【 工夫された手摺り 】
根本中堂を出て右の坂を登って大講堂に戻ります。
と、その坂にこんな手摺りが。
自分の体重をかけるときは水平の部分、手の力で自分を引き上げるときは斜めの部分を持つと、足腰への負担が嘘のように軽くなります。
初めて見ましたが、考えた人はすごいですね。 イグ・ノーベル賞の推薦委員会に知らせたいものです。 -
【 彦根城 】
さて、久し振りに行った比叡山延暦寺では新しい発見もあり、根本中堂の屋根を間近に見られたりして有意義な時間を過ごすことができました。
そのあと寄り道しながら3時間近くをかけて着いたのが彦根城です。彦根城 名所・史跡
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【 閉門?! 】
それなのに!
本日は閉門いたしました、ってか!? でも、今何時? 「開門時間 午前八時三十分~午後五時迄」って、今はまだ午後1時半でっせ。
見ると沢山の人が何事もないように出入りしています。 まあ、朝の開門のときに外し忘れたのだとしたら、それもまたおおらかでいいとは思いますが。
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【 表門山道 】
まずは緩やかな表門山道を登ります。
攻撃する敵兵にしてみれば、なんとも楽な取り付きです。 -
【 天秤櫓に架かる橋 】
ありました!
昔、家族旅行の折り、妻と3人の子供をあの橋の上に立たせて、私が下から写真を撮ったことを思い出します。 -
【 結束バンド 】
橋の部材は、太い角材を何本も結束してより太い部材として利用していることが分かります。 これについては以前テレビで鉄のベルトを締めつける技を紹介していましたが、江戸時代の鍛冶職人の技術に舌を巻きました。
今改めて手で触れてみて、まったく隙間のない仕上がりに感動すら覚えます。 -
【 橋を渡って城内へ 】
城を攻める兵たちはまずこの橋を渡らなければなりません。
意外に狭く、門扉を突き破る間、兵たちはこの橋上ですし詰め状態のまま待つになることでしょう。
その様子が門の上階にある窓から見られている訳ですね。 -
【 窓からの俯瞰 】
こんな具合です。 丸見えですね。
しかも橋を渡るにはいったん右に見える坂を登って鐘の丸という高台に行き、そこでUターンしなければならず、その動きはすべて見られてしまいます。
ちなみにこの窓の格子には菱形の角材が使われており、構えた鉄砲を左右に大きく振ることができると説明があります。
その通りだと思いますし、彦根城以外にもこういう格子はありますが、敵方から飛んできた銃弾が角材の端に当たった場合は普通の四角い柱よりも角が欠けやすいので、プラスもマイナスもあるのではないかと、これはシロウトの私が考えることです。 -
【 天秤櫓東半分の石垣 】
橋を渡った所にある建物、つまり今窓から橋を見下ろした所は天秤櫓と呼ばれています。
橋を軸として左右対称になっているところからそう呼ばれているようですが、実際は左右対称ではありません。
いろんな部位が左右で違っていますが、その一つに石垣があります。
東側、つまり橋から見て右側は野面積みの一種、「ごぼう積み」です。 -
【 天秤櫓西半分の石垣 】
それに対して西側、つまり橋から見て左半分は石の接合面を斫った「打ち込み接ぎ」になっています。
ちょっと気になるのですが、彦根城について書かれたものを読むと、これを「切り込み接ぎ」としているものが結構あります。
私は学生時代に専門科目の勉強をそっちのけにして石の積み方にのめり込んだことがあり、今となってはそれもあらかた忘れてしまったのですが、これはやっぱり打ち込み接ぎだと思います。 -
【 天秤櫓内部 】
天秤櫓の内部に話を戻しましょう。
ご覧のとおり細長い間取りで、見張りと防御を重点にした作りであることが分かります。
家族連れ。 いいですねえ。
裸足のお子さん。 うちの孫と同じくらいでしょうか。
死んだ妻がここにいたら目を細めて、ひょっとしたら声をかけたかも知れません。 -
【 ちょうな目 】
柱にはちょうな目が残っています。
私も昔、ちょうなを体験させてもらったことがありますが、これだけざっくりと削るには相当な技術と、なによりも刃が尋常ならざる切れ味を持っていることが必要だと思います。
きっと、「和風総本家」に出てくるような職人さんがいたのですね。 -
【 太鼓門櫓 】
天秤櫓からなだらかな坂を登ると太鼓門櫓が現れます。 -
【 太鼓門櫓 】
太鼓門は本丸への入口で、ここからも本丸の天守閣が見えています。
その太鼓門にかぶさる太鼓門櫓は他の城から解体移築したものだということが分かっていますが、実は彦根城は天守閣を含めて城郭の殆どがあちこちの城から部材を調達して築かれた、いわばリサイクル城なのだとか。
それも、元の城がどこだったのか分からないものが多いそうですから、まあ、せっせと廃材を集めて建てたようなもので、それが今では国宝になっているのですから、歴史というのは面白いものですねえ。 -
【 算木積み 】
太鼓門櫓そのものはさして大きいものではなく、そのため石垣も間近に見ることができます。
そして手前が角になっているので、石垣の稜線が石材の長辺・短辺を交互に組み合わせた算木積みになっているのがよく分かります。 -
【 天守閣 】
さあ、天守閣です。
写真屋さんがいて、ヒコニャンとかいうキャラクターの型抜きと並んで写真を撮ってくれます。
無論私には用のない話ですが、家族連れなどで結構繁昌しているようでした。
天守閣内部に入るには入場制限があって、そこそこ待たされます。 -
【 巧みな組合せ 】
入場制限のおかげで内部はゆっくり見ることができます。
古い日本の建築では梁に目を見張ることが多いのですが、ここもまた見事な梁が縦横に巡らされていました。
この曲がりに合わせて梁の取り付け位置を按配する技術にも驚きますし、曲がりによって梁の強度が増しているという知恵にも驚嘆します。 -
【 狭間 】
各地の城を見学すると、お約束のように三角の鉄砲狭間と縦長の矢狭間が見られますが、実際にこのように並んでいたのでしょうか?
そうだとすると鉄砲を撃つ足軽と矢を射る足軽が並んでいたということになりますが・・・。
それとも、鉄砲を撃ったあとの弾込めの間に弓矢で戦ったのか? でも次の鉄砲足軽が前に出ればいいだけのことで、わざわざ弓矢を使うこともないのではないかとも思います。 -
【 シンプルな間取り 】
天守閣は最後の防衛線ですから平時の居住を想定しておらず、造作はシンプルそのものですね。
権威の象徴として豪壮さや華麗さを競った外観との対比に、城の持つ二面性が強く感じられます。 -
【 扇風機 】
木造の天守閣が歴史遺産として守られている以上、エアコンの設置などもってのほかでしょう。 この見た目も野暮なアナログ扇風機は却って城を大切にする管理者の心根を感じさせて、私としては好感を持ちました。
ちなみに、大阪城にエレベーターをつけたのは大きなミスだったと発言した後で苦しい言い訳に追われている総理大臣や、木造での再建を予定している名古屋城にエレベーターを設置しないとタンカを切った市長の「見識」は、折角の歴史遺産を見学できなくなる大勢の人を切り捨てるという意味で賛成できません。
私は、城の構造は構造として残し、城の外壁に沿って見学者用のエレベーターを堂々とつければいいと思います。 エレベーター塔と城の各階とはコンコースで結び、「歴史遺産を忠実に残す」ことと「希望するすべての人が見学できるようにする」ことの両立を計ったらどうでしょうか?
城を眺めたときに異質な塔が並立していることを無粋と感じる人も多いでしょうが、神社仏閣名園名勝ことごとく背後に高層ビルが建っている現状よりは、コンセプトがはっきりしている分だけ見る人の納得を得られると思うのですが。 -
【 隠し部屋 】
天守閣には、屋根の勾配によってできるデッドスペースを利用した隠し部屋があります。
開口部が30×100cmぐらいしかないので、入るには多分、足からズルズルと滑り込むようにしなければならないでしょう。
しかし中は意外に広く、3畳ぐらいあるそうですから、4~5人は入れたのではないでしょうか。
ここにも狭間があって、外の敵を撃つことができたようです。
説明板には隠し部屋と書かれていますが、城内からは丸見えですから、侵入した敵から身を隠すという役には立たなかったと思います。 確かに狭間はふだん漆喰で隠されていますが、それは天守閣に多数ある他の狭間も同じことですから、とくにこの部屋の狭間だけが隠されているわけではありません。
ですから、私はこの部屋は隠し部屋ではなくて、天守閣の破風という邪魔な部分を逆に利用して外への攻撃に使えるようにしたものではないかと思います。
な~んて、無学なシロウトがれっきとした説明板に異論を唱えるのですから、噴飯のそしりを免れないわけですね。 -
【 天守閣外観 】
彦根城は飾り破風の多い外観で知られていて、今風の言葉で言えばインスタ映えする城ですね。
改めて見上げてみます。 -
【 お城は見ないの? 】
と、私の立っているそばに5人組の若い女性が。
どうやら外国の方のようですが、5人が5人とも無言でスマートフォンの画面に見入っています。
スマートフォンならここに来なくたって見られるんじゃねえの?
スマートフォン見てるだけなら、5人一緒じゃなくたっていいんじゃねえの? -
【 大手門橋 】
帰りは大手門橋から出ます。 -
【 お堀の白鳥 】
お堀にはなぜか白鳥が似合いますね。
まあ、ペリカンではダメだということでもないのですが、私の好みとしては白鳥、それもあまり群れていない白鳥がグーです。 -
【 大老井伊直弼像 】
駐車場へ戻る途中、井伊直弼の像がありました。
あの桜田門外の変で殺されたとき、46歳だったそうですね。 中学生のころ、日米友好通商条約を結んで開国を強行した大老と聞いて年配の剛腕政治家を想像したものですが、46歳とは! 今だったらガキンチョじゃないですか。 -
【 花の生涯記念碑 】
その井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一さんの小説「花の生涯」を記念して建てられたものだそうです。
中央の四角い石が井伊直弼、下の石が長野主膳と村山たか女を表しているのだそうですが、言われなければ、いや、言われても分かりません。
それでも、昔読んだその小説をおぼろに思い出す機会を得て、ちょっとばかり襟を正しながら彦根城を後にしました。 -
【 郡上おどり 】
彦根城を出たあと、伊勢湾岸道路で陽も落ちてきたので、刈谷PAで車中泊をすることにしました。 ここは過去に何回か泊まっている所で、入浴施設もあるお気に入りのPAです。
そこの広場で郡上おどりが展開されていました。 声量豊かな歌に合わせて踊る人々の合いの手も息が合い、それはそれは見事なものでした。 観客も次々と輪に入り、その一体感に感動した私は、思わず持っていた妻の写真を周りに気づかれないように踊りの方に向けました。
「お母さん、見える? 郡上踊りだよ」
声に出さなかったせいでしょうか、妻の返事はなく、不覚にも涙が溢れてしまいました。
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この旅行記へのコメント (14)
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- comodoさん 2019/10/05 09:55:33
- 比叡山延暦寺
- ねんきん老人さま、おはようございます。
小江戸佐原の旅行記を見ていただきありがとうございます。
フォローさせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。
滋賀県は夫の出身地なので、彦根城や延暦寺の文字を目にすると
やはりのぞいてみたくなります(^-^;
延暦寺は何回か訪れた事がありますが、参拝するまでなんだかんだとお金が
かかるんですねぇ。
通行料もお高いし。
それにしても、お数珠の数、気になります・・・
旅でいろいろな事を学ぶねんきん老人さん、奥様はきっと感心されて
いらっしゃるでしょう。
いつでもどこでも守ってくださる人がそばにいるって心強いですね。
comodo
- ねんきん老人さん からの返信 2019/10/05 11:55:37
- 袖ふれ合うも・・と言いますが。
- comodo 様、とりとめもない駄文にお付き合いくださり、その上投票、フォローと、ありがとうございます。
ご主人が滋賀県のご出身だそうで、そこから私の「彦根城・延暦寺」にお目を止めてくださったとのこと。 実は私も千葉県に住んでおりますことから、「小江戸佐原」の文字には敏感に反応した次第です。
袖ふれ合うも多生の縁と言いますが、これも何かのご縁。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
「旅でいろいろな事を学ぶ」と誉めていただきましたが、本当のところは、旅に出るたびに自分の無知を思い知らされて愕然としているということなのです。これまで全く知らなかったこと、間違って覚えていたこと、等々、今さらながら汗顔三斗の思いです。
妻は感心するどころか、呆れていることと思います。
でも、その妻が「いつでもどこでも守って」くれているとのcomodo 様のお言葉は嬉しい限りで、そう思えば今日も頑張ろうという気持ちになれます。
ともすれば、一人で生きていても意味がないという思いに襲われる毎日ですが、今もそばにいる妻をがっかりさせないように、背筋を伸ばして今日も一日頑張ろうと思います。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- わきさん 2019/09/14 11:47:05
- 比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
- 年金様
こんにちは。初めてメッセージ送ります。
比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
元々最澄が切り開いた頃は、おそらくは極めて狭い掘立小屋みたいな
ものだったのではと思います。
当方は8月2日に訪問してきました。
本名三津首広野、最大のライバルはやはり
真言密教をもたらした空海佐伯真魚というか、
第16次遣唐使でしたか、第1船に最澄、第2船に空海が乗り、
空海の第2船は、遅れてなんとか福州へ難破漂着。
当時の日本の船舶技術の拙さもあって、半分以上は
入唐できず海の藻屑と消えるか困難を極めたとものの書物にはありますね。
完全に入唐までは全くの無名でどこの馬の骨ともわからなかった空海。
歴史に登場するのは、正使の藤原かどのまろの代筆で、
福州長官のエンセイビ(漢字度忘れお許しを)にあてて、
日本の正式な唐への使いであることを証明するところからでしょうか?
大変な名文を中国語で記載したところからですかね。
空海と最澄、雑密だけを持ち帰った最澄はその後7歳年下の空海へ弟子入りし、
8年後には絶縁。
この最澄空海平安仏教の二枚看板を比較したものが大変面白く
この場で思い出しています。
わき
- ねんきん老人さん からの返信 2019/09/14 12:47:43
- 最澄・空海の比較、感服しました。
- わき様、拙稿にお付き合いくださり、ありがとうございます。
最澄・空海についての深いご造詣に敬意と羨望を覚えます。
小生の薄っぺらな勉強ではとても太刀打ちできるものではなく、改めて我が身を恥じる次第です。
小生は、ごく大雑把に、最澄は名家出身で官に覚えめでたく、渡唐の時点で既に天王の護持僧であったというエリート、空海は素姓卑しき身分で渡唐のチャンスを得るために非公式に得度した私度僧という大きな差を考えているくらいです。
帰国後も最澄は高位を保ち、桓武天皇という後ろ盾を得て羽振りをきかせていたのに対し、空海は諸国を巡って民衆に接したあとかろうじて高野山に小さな庵を得てやっと日の目を見たというように思っています。
もっとも諸国を巡ってという辺りは多分に後世の言い伝えが混じってのことで、各地に残る弘法伝説などは極めて眉唾ものであるとも思っています。
その辺の浅学きわまる解釈を恥ともせず稚拙なブログに勝手に書き込んだものがありますので、もし退屈な時間などありましたら斜め読みでもしていただければ光栄です。
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/020_kouyasan.html
「雑念怨念羞恥の念」→「ねんきん老人の独り言」→「兄を訪ねて高野山へ」
年齢からしてもう比叡山に行くことはないと思っていましたが、わき様のご教示に接し、もう一度比叡山・高野山に行ってみたくなりました。
刺激的な書き込み、重ねてお礼申し上げます。
ねんきん老人
- わきさん からの返信 2019/09/16 14:06:53
- Re: 比叡山延暦寺根本中堂(一乗止観院)
- ねんきん様
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/020_kouyasan.html
「雑念怨念羞恥の念」→「ねんきん老人の独り言」→「兄を訪ねて高野山へ」
も読ませて頂き誠にありがとうございました。
ブログも書いておられたのですね。
佐伯真魚空海のことを、そして三津首広野最澄についても
少しばかり付加させてください。
真魚(空海)24歳時に書いた三教指帰、仏教・儒教・道教を戯曲じたてで、
{登場するのは、亀毛先生(儒教)虚ぶ隠士(道教)仮名こつじ(空海)
そして稀代の女好きものである しつが公子(漢字度忘れお許しを)}
その優劣を判断し、仏教が勝っていると結論しています。
その後7年間というもの空海、行方知らずで空白期間がありますが、
この間に中国語を会話・解釈文章ともに猛勉強していたものと
当方は考えています。
空海の出自ですが、父方佐伯氏は讃岐の国造(くにのみやつこ)
母方阿刀氏は、空海生誕以前の60年前玄昉(唐の玄宗に紫衣まで与えられ、18年後日本に帰国後
聖武天皇時代、やはり聖武から紫衣を与えられてあこぎな政治的な権力を握って失脚した人物)を
生んでいます。空海の家庭教師は、
母方の阿刀大足(おおたり)で、阿刀大足(おおたり)は、
桓武天皇の子どもの伊予親王の家庭教師でもありました。
三教指帰に亀毛先生という人物が登場しますが、この人物のモデルは阿刀大足(おおたり)(空海の叔父)
と言われています。
伊予親王が空海のために、かなりな財を贈与して入唐を助けたことがうかがえます。
空海の俄かに入唐したいという目的は、専ら雑密ではなく、本当の正当な密教のトータルな理解だったことしか
考えられないと考えています。
桓武天皇が開いた京都平安京ですが、京の東北は鬼門にあたるため、
そこの方角に寺を作り鬼神を鎮めておく必要があると
桓武天皇の側近 藤原小黒麻呂は献言.、
その東北方角に当たるのが日枝山(現在の比叡山)で、
このころ、最澄がそこで修行したての頃でした。
つまり、最澄は駆け出しの頃、桓武天皇を藤原小黒麻呂から、直に紹介されていたと考えます。
藤原小黒麻呂の子どもが、第16次の遣唐使の代表藤原葛之麻呂(かどのまろ)でした。
このとき第2船に乗船していたのが、葛之麻呂・空海・橘逸勢です。
(橘逸勢は、空海の子分となった男)
他方第1船乗船が最澄でした。
最澄は、所謂諸蕃(渡来人)の家系で、桓武天皇の実母高野の新笠(にいがさ)も諸蕃出身とあって、
最初から最澄の出だしは桓武天皇の庇護をうけて輝かしいばかりでした。
更に当時の土木第1人者であった和気清麻呂一族(その子どもは、広世)の加護さえもらっていました。
和気清麻呂一族がなぜ最澄の存在を保護したか、それは道鏡事件と関係します。
最澄は、南都6宗(華厳宗・律宗・法相宗・俱舎宗・三論宗・じょうじつ宗)を、徹底的に批判していたからです。
最澄の前半生は、輝くばかり、入唐後は苦難の道のりとなっていきます。
そして50代で死去しました。
天台密教は、最後の遣唐使派遣第17次遣唐使船に乗った天台宗最大の功労者である円仁と円珍(円珍は佐伯氏で、空海の親戚)の時に、
台密として確立していきます。
この最後の遣唐使の副使は、歴史上問題になった小野篁、彼は入唐することを拒否。
それもそのはず、650名近くのうち、約4割もの人間が海の藻屑と消えるほど当時の船の日本の技術は拙劣で、
竜骨さえもなかったからです。
長々と記載して申し訳もありませんが、
ねんきん様 今後も深き旅行記を楽しみにしております。
わき
- ねんきん老人さん からの返信 2019/09/18 11:16:12
- いまさらですが、学ぶことは楽しいことで・・・。
- わき様、おはようございます。
重ねての書き込みありがとうございました。 お礼が遅れ、失礼いたしました。
実は、わき様の文に出てくる人物と事実の殆どを私は知らず、それらを手軽なネットで調べていたものですから、今になってしまいました。
いやはや、わき様の碩学ぶりには言葉もありません。 小生のように「まんが日本史」あたりで知ったことを、さもそれが全てであるかのように思い込んで満足している輩には溜息の出る思いです。
それでも、わき様のご教示を紙に書いて、人物の相関図などを作っていると、どうせ覚えられないとは思いながらもなにやら勉強している気分で、楽しく時を過ごすことができました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- yamayuri2001さん 2019/08/21 16:59:43
- ねんきん老人さん、こんにちは。
- お久しぶりです。
私も、この4月からねんきん老人になりました。
同じ境遇です。
奥様を亡くされて、少し心が明るくなられたのかなと
旅行記を拝見して思っておりました。
私も母を亡くして2年になりますが、
毎日、母を思い出さない日はありません。
多分 ねんきん老人さんも、毎日何度も
奥様を思い出していらっしゃることと思います。
一緒に生きていますよね!
返事が返ってこないし、顔を見ることも
手に触れることも出来なくはなりました。
でも、しっかりと存在は感じるのです。
見守ってもらえているというか・・・
ねんきん老人さんが、明るい気持ちで生きていらっしゃるのが
奥様の一番の望みだと思います。
まだまだ、いろいろなところに旅をなさってください。
8年前に 横川に行きました。
3月末でしたが、寒さが強烈でした。
根本中道があのように 大改修工事に入っていたとは
知りませんでした。
その時期だけ 屋根を見ることが出来るのは
日光東照宮の大改修工事と同じですね。
改修工事が終わったら、また延暦寺に行きたいものです。
yamayuri2001
- ねんきん老人さん からの返信 2019/08/21 20:20:13
- 妻と一緒に生きています。
- yamayuri2001さん、こんばんは。
ご丁寧な書き込み、ありがとうございました。
年金受給者になられたとのこと、実際に受け取ってみて、その額のあまりの少なさに驚かれたことと思います。まあ、これまでの蓄えがあれば生活できるとも思いますので、人によってさまざまですが、私の場合はスーパーで惣菜を買うときに、500円を1円でも超えたものは買わないという鉄則が身に付いてしまいました。
さて、妻とのことですが、yamayuri2001さんに「一緒に生きている」と仰っていただいて、おおいに救われました。
妻の死以来、妻がいつも私と一緒にいられるようにと思って、仏壇を居間に置いてあります。夜、私が寝室に行ってしまったら妻が寂しいだろうと思い、私はずっと居間で寝ています。
旅行はもちろん、ちょっとした買い物にも、必ず妻の写真を持って行きます。つまり、私は24時間、365日、妻と一緒にいるつもりでいます。
ご近所付き合いも町内会活動も、妻の生きているとき以上に活発にやっています。周囲からは「奥さんが死んでから、前よりも元気になったんじゃないか?」とさえ言われています。
実はすべて演技で、家に帰ると生きていることのむなしさに苛まれて食事も面倒なため、しばしばビールだけの夕食で過ごしている有様です。
でも、yamayuri2001さんの仰るように「一緒に生きている」と思える限り、私は常に妻に見られている訳ですから、いつか妻と同じ世界に行ったときに「だらしがない生き方でしたね」と言われないように頑張っていこうと思っています。
旅行にも積極的に出て、そばで見ている妻から「お父さんらしい生き方をしていますね」と言われるようにします。
yamayuri2001さんからいただいた言葉を力にしてゆきます。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- 墨水さん 2019/08/17 23:31:00
- 108
- ねんきん老人さん、今晩は。
108の件ですが、一辺が9個、12角形だと、108個に為るかと・・・。
矢狭間の件
彦根城が出来た時代は、兵一人に鉄砲一丁が標準装備の時代でしたが。
江戸時代初期の最重要課題は、(今で言う所の)軍縮です。
各藩は、軍縮を求められますし「刀は、武士の魂。」の精神論を植え付けさせられます。(笑)
武士は、ひたすら忠義=下剋上禁止。
武士の魂=鉄砲持つな。
城も軍縮の影響を受けて、矢狭間が出現します。
鉄砲狭間と矢狭間が並んでるのは、どう見ても不自然ですが、軍縮の影響です。
「軍縮」ちゃんとやってます=幕府に忠義を示す。
当然ですが、各藩の鉄砲の数は幕府に正確に申告する義務が有りました。
正確に申告しないと、改易と為ります。
幕府も各藩に、鉄砲の数を減らす様に命令を出してます。
しかし、いざ実戦となると、矢狭間に鉄砲が出て来ます。(笑)
幕末の戦は、鉄砲が主力ですね。
墨水。
- ねんきん老人さん からの返信 2019/08/18 09:08:03
- 矢狭間から鉄砲がニョキっと?! 驚きました。
- 墨水さん、おはようございます。
深いご造詣からのご指摘、ありがとうございました。
矢狭間が実用ではなく、幕府の査察のがれの後付けだったとは! これまで考えたこともないご説明で、目からうろこが落ちると同時に我が身の無知を改めて思い知りました。
矢狭間と鉄砲狭間が並んでいる城はあちこちにありますが、私はこれまで、観光用に現代になってつけられたものではないかと思っていました。
いやはや、恥ずかしいかぎりです。重ねて、ありがとうございました。
数珠の数のことですが。
台座は12角形になっていますが、数珠をはめ込んだ溝は12角形ではなく円形でした。
私は念の為、数え始めの珠の位置をしつこく確認してから数え直したのですが、やっぱり108個ではありませんでした。一つ一つ手で触りながら数えたのですが・・・。
それでも108個にならなかったのは、自身のもうろく以外に考えられません。
ねんきん老人
-
- 風 魔さん 2019/08/13 11:48:22
- お盆になると、想うこと!
- 以前には「身延山久遠寺」への旅行記に投票いただきありがとうございました。
我が家からは、1時間位のドライブで行けるので、身延山へは10回以上参拝
に行き旅行記を数回投稿しました。最新の訪問記 ⇒
予期せぬ日蓮宗総本山・「身延山久遠寺」への参拝の旅!(2015年10月)
ねんきん老人さんとは、同世代で妻を亡くしたという同じような境遇で、
自身も宗教につよい関心をもつようになり、静岡県内の知られざる寺社仏閣を
訪ねる歴史と史跡を巡る旅には大いに関心があります。
じつは、私が十数年前にリタイアして一緒に旅行好きな妻と一緒にゆっくりと
国内外の旅を旅を楽しもうと思った矢先に突然妻を亡くして、一人暮らしにな
り茫然自失でこれからの人生をどう生きてゆくか考えが及びませんでした。
しかしその時妻と訪れた旅行先を想いだし、4トラに加入して旅行記を投稿し
始めました。旅行記のほとんどは、妻も同行した訪問先です。
またの訪問と情報交換を!
風 魔
- ねんきん老人さん からの返信 2019/08/14 16:56:34
- 積極的な生き方に敬意を表します。
- またまた駄文への書き込みをしてくださり、ありがとうございます。
以前、風魔さんが「これからというとき」に奥様を亡くされ、茫然自失の中からご自分を鼓舞し、世界遺産と旅についての講義までされているというお話を伺い、私も重い腰を上げて妻との思い出の地への旅を始めたことを思い出します。
実は身延山久遠寺へは一度だけ行ったことがあり、見事な枝垂桜に感動して是が非でも妻を連れて行こうと思ったのですが、まさか妻が自分より先に死ぬなどということは考えもしなかったもので、そのうち、そのうちと思っている間に死なれてしまいました。
あの石段を登れる体力のあるうちにせめて妻の写真なりと持って行きたいとは思っていますが、今はコミュニティの雑務に加え雨戸の開け閉めや洗濯などの家事にも追われ、旅行の計画もなかなか立てられません。
そういう言い訳をするようになった自分に腹も立ちますが、つたないパソコン操作が地域におだてられ、何のことはない、無給の事務員のように利用されているものですから、ほぼ毎日公民館での雑務で日が暮れてゆきます。
しかし、気がつけば周囲はほとんどが私より年下という状況ですから、少しはわがままを言ってもいいのではないかと思い、今年の11月をもって民生委員をやめることにしました。
12月からは多少自分の時間をもてるようになると思いますから、風魔さんには及びませんが、地元の神社仏閣をもう一度丁寧に回ってみようかなどと思っています。
そういう意欲を与えてくださった風魔さんには心底感謝しております。
これからも奥様への思いを大切に、中身の濃い旅を続けられますようお祈りしております。
ねんきん老人
-
- まむーとさん 2019/08/11 11:28:47
- お盆ですね
- ねんきん先生、こんにちは!
毎日暑いですがお元気でお過ごしの事かと存じます。
ねんきん先生の旅行記は知らない事をいっぱいのビックリ玉手箱です。
ほんと神社仏閣ではお金が飛んでいきます。お金落とした?とビックリするくらいにいつの間にか無くなってます。
比叡山はちょっと道を間違えたら加算されたり、お金お金でなかなかホイホイ行ける所ではありません。
この前、イスラム教のモスクに行きました。人によりイスラム教は怖いとか言われていますがお金を使うことがなく優しいです。絨毯がひかれていて、ボーッと休憩が出来ます。暑さで疲れていたので休憩で回復しました。キリスト教の教会も。シーク教なんて無料のデザート付きごはんおかわりし放題です。
私は亡くなった誰かに何かを伝えた時に涙反応があれば、あちらから「気持ち伝わってるよ」の返事だと思っています。
またいろんな旅行記お待ちしています。
- ねんきん老人さん からの返信 2019/08/12 09:25:07
- 涙はあちらからの返事・・・嬉しさにまたしても涙が。
- まむーとさん、おはようございます。
ひねくれた駄文に書き込みをしてくださって、ありがとうございます。
町内会の夏祭りで連日汗まみれでしたが、それもようやく終わりました。今のところ熱中症にもかからず、なんとか息をしていますが、町内には救急搬送された人も複数いました。
さて、イスラム教のモスクのお話ですが、疲れが回復するまで休憩なさったのですね。私は観光で内部見学をしただけですが、まむーとさんのご経験を知って、やはり通り一遍の見学だけでは理解できないということを痛感しました。
私もなんとなくイスラム教は怖いような思いをもっていましたが、イスラム圏を旅して、貧しい彼らが日本人とみると金品をねだるしつこさに閉口したものの、決して人の手から紙幣をひったくったりすることがないのに驚きました。西欧先進国では観光客のバッグを力づくで奪うようなことも日常茶飯事なのに、貧しいイスラム教徒たちが「乞う」と「奪う」の一線を厳しく守っていることに感動すら覚えたものでした。
シーク教の協会での飲食提供など、私の知らないことを経験なさっているまむーとさんに羨望を禁じ得ません。
亡くなった誰かに何かを伝えたときに涙反応があれば、あちらから「気持ち伝わってるよ」の返事だというお話。じーんときました。
私は妻が死んで2年を超えましたが、今でも時と所を問わず涙が溢れて困っています。周囲に悟られないように横を向いたり汗と一緒に拭いたりしていますが、それが妻からの返事だとは思っていませんでしたので、自分で自分を叱る毎日でした。
これからも涙を押さえることはむずかしいと思いますが、妻が私のそばで返事をしているのだったら、人のいない所では自分を押さえることなく、涙も流れるに任せて妻と会話をしたいと思います。
すてきなご教示をありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
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