ゆっくさんのクチコミ(30ページ)全1,048件
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
熊本城は、城郭の広さは元々約98ヘクタールで東京ディズニーリゾートとほぼ同じ広さだそうです。その内、熊本城公園として整備されているのは、本丸と二の丸に該当する部分で約56.3ヘクタールです。
城郭の多くは西南戦争時に焼失しており、現存している建物は宇土櫓を始め13基で国の重文に指定されています。
本丸には天主閣や本丸御殿、櫓等が復元されており、いわゆる熊本城と呼ばれるエリアになります。また、長期計画で、多くの櫓の復元を目指しているとのことです。
なお、二の丸は芝生の広場や神社、美術館、野球場等が建っていました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
熊本城は、櫓が49基あったらしいです。
しかも五階櫓は6基、三階櫓は9基あったそうです。
現存している櫓は11基です。いずれも国の重文に指定されています。
天守閣の傍の宇土櫓、そして熊本城の南東側の源之進櫓・四間櫓・十四間櫓・七間櫓・田子櫓の一連の櫓、北東側の東十八間櫓・北十八間櫓・五間櫓・平櫓、樹木園にある監物櫓です。
また、現時点で復元された櫓は天守閣前の長局櫓、二の丸駐車場側の戌亥櫓・元太皷櫓・未申櫓、そして備前掘から眺めることができる飯田丸五階櫓の5つだそうです。
長期計画で、次々櫓の復元予定だとのこと。楽しみですね。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年12月16日
総合評価:4.0
湧々座は行幸橋を城内に渡った左手にある桜の馬場 城彩苑内にあります。
桜の馬場 城彩苑には食べ物屋さんやお土産屋さんが連なる「桜の小路」と熊本城の展示資料館の「湧々座」との2つからなっています。
湧々座は有料ですが、桜の馬場自体は無料で入れます。
熊本城内に、あまりショップが無かったので、「桜の小路」で熊本城土産を購入しました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:3.5
湧々座は行幸橋を城内に渡った左手にある桜の馬場 城彩苑内にあります。
桜の馬場 城彩苑には熊本城の展示資料館の「湧々座」と食べ物屋さんやお土産屋さんが連なる「桜の小路」との2つからなっています。
湧々座は有料ですが、桜の馬場自体は無料で入れます。
湧々座では、往時の熊本城の姿の動画がリアルで一見の価値があります。また籠や馬の模型に乗ることもできました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年12月16日
総合評価:4.0
桜の馬場 城彩苑は、行幸橋を城内に渡った左手にあります。
食べ物屋さんやお土産屋さんが連なる「桜の小路」と熊本城の展示資料館の「湧々座」の2つからなっています。
建物全体が瓦葺風の屋根と白壁、黒い下見板張りで、熊本城内にマッチしていますね。歩いていて楽しいです。
桜の馬場自体は無料で入れます。湧々座のみ有料です。
熊本城内に、あまりショップが無かったので、「桜の小路」で熊本城土産を購入しました。
また、湧々座では、往時の熊本城の姿の動画がリアルで一見の価値があります。また籠や馬の模型に乗ることもできました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:3.5
熊本城には入場口が4門ありますが、駐車場にも近いため、おそらく一番メジャーな入口ではないでしょうか。
2本の縦柱に1本の横柱を通した冠木門という形式で昭和35年に復元されています。
近くに南大手櫓門、西大手櫓門があるのですが、これらを通らずに簡素な頬当御門から入城できるため、位置的に微妙だなと思っていましたが、実は本来、頬当御門前の車が通っている行幸坂は無かったそうです。
行幸坂は、往時は南坂という急な坂道で南大手櫓門の方向に直接繋がっており、南から本丸に入る際には南大手櫓門を経由して、頬当御門を通る必要があったというわけです。
ちなみに、城を顔に見立てた時、甲冑の頬当てに該当することが名前の由来だそうです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
熊本城の南、坪井川沿いにある塀です。
東の平御櫓から西の馬具櫓まで242mあります。城郭の塀としては最長で、国の重文に指定されています。
石垣上に載る白漆喰の黒い下見板張り、桟瓦が綺麗ですね。石垣下の芝生にも降りられるようになっていました。川の対面にはベンチもあり、長塀を眺められます。
現在の白塀はのっぺりしていますが、元は石落としや狭間があったそうです。修復を重ねるうちに位置や数が不明となり、無くなってしまったそうです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:3.5
熊本城 闇り通路は平成20年に復元され、一般公開されています。
本丸御殿は石垣を跨ぐように建っていますので、結果として、それを跨ぐその中央が地下通路になっており、闇り通路と呼ばれています。
本丸御殿は加藤清正によって1610年に創建され、幕末まで存続していました。しかし、明治10年の西南戦争の直前で焼失したそうです。
本丸御殿の復元と共に闇り通路の両隣の石垣も修復されました。
耐震や防火等の構造上の問題等あり、現在は本丸広場へ抜ける単なる通路となっていますが、当時は、御殿への正式な入口が設けられていたそうです。現在は本丸広場側に作られています。
闇り通路の真上は、将軍と謁見するための若松之間がある大広間だそうですが、下から狙われるということはなかったのでしょうか・・・。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
熊本城本丸御殿 昭君之間は平成20年に復元され、一般化公開されています。
本丸御殿は加藤清正によって1610年に創建され、幕末まで存続していました。しかしながら、明治10年の西南戦争の直前で焼失したそうです。
「昭君之間」は、147畳の大広間の奥にあります。
一番格式の高い部屋として、鉤上段、床の間、違い棚、付書院があり、壁や襖には名前にもなっている王昭君の物語が描かれています。金箔で煌びやかで、格天井にもなっている豪華さです。昭君と将軍をかけたとか。
ちなみに、昭君とは中国4大美女の一人で、現モンゴルに嫁いだ漢民族です。琵琶が得意で、嫁ぐ際、馬に揺られながら故郷の長安を思い琵琶を弾き、それを聞いた雁が飛ぶことを忘れたという逸話があるそうです。「昭君之間」の昭君も琵琶を弾いています。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
熊本城本丸御殿は平成20年に復元され、一般公開されています。
本丸御殿は加藤清正によって1610年に創建され、細川忠利が1633年に大改修し、幕末まで存続していました。しかしながら、明治10年の西南戦争の直前で焼失したそうです。当時は武家風書院造で53室、1570畳あったそうです。
現時点で復元されているのは25室、580畳分です。
絵図、文献、写真、礎石を元に、外観、内装、装飾、間取り、寸法等を忠実に復元したとのことです。復元には、熊本県の木材等をできるだけ使い、職人さんも熊本出身の方を優先する等、熊本にこだわったとか。
復元の見どころはやはり大広間とそれに続く昭君之間ですね。大広間は実際には「鶴之間」「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」から成り立っており、全部合わせると147畳にもなります。大広間の奥に「昭君之間」があります。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
その名の通り電停「大浦天主堂下」が最寄駅です。
全日空ホテルの前を通り坂を数分昇って行くと目の前に現れます。この道はグラバー園に続く道でもあり、お土産屋が並んでいますね。
開国後の1865年に建設された日本最古の現存する教会です。なんと国宝です。1875年、1879年に増改築され、現存の姿となりました。ただ内部は、1865年の建設当時のままだそうです。
豊臣時代に殉教した二十四聖人に捧げる教会で、長崎駅近くの西坂公園にある殉教地の方向に向いています。
また、教会建設時に、鎖国時代を生き抜いた隠れキリシタンが神父に信仰を告白した地でもあり、天主堂の前にフランスから記念に送られたマリア像が建立されています。
日本でのカトリック信者の歴史を背負った教会だと思うと、感慨深かったです。
観光客が増えたため、ミサ自体は目の前のカトリック大浦教会で行われているとのことでした。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
グラバー園のルートからちょっと離れた奥、旧リンガー住宅の先にある寄棟造桟瓦葺の木骨石造平屋の洋館です。英国人のウィリアム・ジョン・オルトのお家だそうです。江戸末期に元々この地に建てられていた建物で、国の重文に指定されています。
しかしながら、オルトが住んでいたのはわずか3年間で、隣のフレデリック・リンガーの長男が明治中期から太平洋戦争時までの多くを住んでいたとのことです。
周りにベランダを巡らせており、グラバー邸やオルト邸と同様、コロニアル風ですね。庭には噴水もあり、おそらくグラバー園内で最も大きい建物ではないでしょうか。部屋数も多く、広くて、落ち着いており快適そうです。個人的には、グラバー園の3つの重文住宅の中で、一番気に入りました。
ウィリアム・ジョン・オルトは、開国直後の1859年に19歳で来日し「オルト商会」を設立。製茶業を主とした実業家として居留地自治会の初代役員や居留地商工会議所の初代議長などを務めていたそうです。長崎には1868年までしかおらず、大阪を経て横浜に移動し1871年には帰国しています。
病弱だったため、長崎を離れたらしいですが、長崎滞在のわずか9年に、しかも19歳での来日で、会社を立上げ、居留地の中心人物となり、この一等地に大邸宅を抱えるなんて、すごいですね。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
グラバー園内のメインゲートの傍にある寄棟造桟瓦葺の木骨平屋の和洋折衷の建物です。
イギリス人のグラバーとその息子倉場富三郎のお家で、江戸末期に元々この地に建てられた建物で、日本最古の洋風木造建築として国の重文に指定されています。
周りにベランダを巡らせており、グラバー邸やオルト邸と同様、コロニアル風ですね。もともとグラバーの迎賓館的な役割を担っていたそうですが、住宅用に増改築したそうです。ベランダから行き来するため廊下も玄関もない作りだとか。八角形の屋根は独特ですね。クラバーの妻は日本人であったため和室に改造された部屋もあったそうですが、修復時に明治の建設当時の姿に戻されたそうです。
昭和初期には軍艦を作っている長崎造船所を見渡せることから、息子の倉場富三郎から三菱が買い取ったとのこと。たしかに、程よい高さで長崎湾が綺麗に見えます
グラバー園にその名を残すグラバーは開国直後の1859年に来日し「グラバー商会」を設立。武器や船舶を扱い討幕・開国への幕末の志士へ支援したことで有名ですね。
グラバー商会自体は11年後の明治3年に倒産しましたが、本人は炭鉱の所長や三菱財閥の相談役として活躍し、晩年は東京で過ごし、73歳で亡くなっています。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
グラバー園内の中腹にある寄棟造桟瓦葺の木骨石造平屋の洋館です。英国人のフレデリック・リンガーと、その子供、孫の3代が居住した家だそうです。明治元年に元々この地に建てられた建物で、国の重文に指定されています。
周りにベランダを巡らせており、グラバー邸やオルト邸と同様、コロニアル風ですね。左右対称で7部屋程あります。目の前には長崎湾が綺麗に見えます
フレデリック・リンガーは元々グラバー紹介の幹部でしたが、30歳の時、明治元年にホーム・リンガー商会として暖簾分けし、製茶業を手始めに、幅広く事業を展開し長崎の殖産興業に力を注いだ大物だそうです。68歳で帰国します。
ちなみに、ホーム・リンガー商会は北九州市門司に現存しているとのことです。
また、あの長崎ちゃんぽんで有名なリンガーハットは、直接このフレデリック・リンガーとは関係ないですが、長崎商人としての成功にあやかり命名したとか。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:4.0
グラバー園内の中腹、動く歩道の切れ間の傍にある木造瓦葺平屋の洋館です。英国人のロバート・ウォーカーとその次男ロバート・ウォーカー・ジュニアのお家だそうです。
明治中期に元々大浦天主堂近くに建てられていたそうですが、ロバート・ウォーカーが大正4年に購入し、ジュニアが亡くなる昭和32年まで居住していたそうです。
4部屋しかなくグラバー園内にある他の商人の邸宅よりも小ぶりだなと思いましたが、一部だけを昭和49年に移築したものでした。
ロバート・ウォーカーは、航海士として明治19年に初来日。47歳の時、明治31年に今度は事業家として来日し「ウォーカー商会」を設立します。明治46年にジュニアに経営権を譲りカナダに移住します。
「ウォーカー商会」はバンザイサイダーという日本で最初の清涼飲料水を造ったそうです。ちなみに、長男のウィルソン・ウォーカーは、現キリンビールの前身会社を造った人物だそうです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:4.0
グラバー園内の中腹、動く歩道の切れ間の傍にある木造2階の下見板貼りの洋館です。玄関は和風の破風造です。
明治16年に元々、現長崎歴史文化博物館傍の「長崎会所跡」地に建っていたものです。明治初期に外国人居留地以外に唯一建てられた洋館だそうです。
長崎会所とは、現在の税関的な役割を担っていた場所です。開国し鎖国が終わったことで、その役目を終え、明治7年には裁判官の官舎となりました。
そして、老朽化に伴い新しく建替えた官舎が、この洋館です。洋館にしたのは、やはりブームだったんですかね。
昭和54年に、グラバー園に移築されたそうです。
現在はレトロ写真館としてオープンしており、明治期のモダンな貸衣装をレンタルして写真を撮れるそうです。私は勇気がなくて、素通りしてしまいました。- 旅行時期
- 2013年09月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:4.0
グラバー園のルートからちょっと離れた一番奥、旧オルト住宅の先にある寄棟造の下見板貼り木骨2階建ての左右対称の白い洋館です。
米国人の外国伝道局長のスチイル博士が寄贈した資金より開設されたミッション系の学校だったそうです。その後様々な学校として利用され、最後は海星学園の寄宿舎だったそうです。
明治20年に元々はグラバー園(南山手)の隣の山の東山手に建てられたもので、昭和47年に移築復元したとのこと。
学校だったというだけあって、一つ一つの部屋は大きいですね。長崎の開港に関する歴史の資料を展示されていました。
出島とこの山手の居留地の模型が精巧でした。- 旅行時期
- 2013年09月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:4.0
グラバー園内の最高地点にある木造2階建ての白亜の洋館です。ベランダ付きで、いかにも明治の洋館という雰囲気です。
明治29年に対岸の三菱造船所の敷地に建てられていたものを、昭和47年に移築復元したとのことです。園内の最高地点ですので、2階からはその造船所を含む長崎湾が一望できます。
内部は当時の様子も復元されています。船の修理時の船員の一時的な宿泊施設だったようですが、かなり豪華ですね。
また、坂本龍馬の等身大のパネルもありました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
グラバー園の入場の裏ワザとして坂上の第2ゲートがお勧めということでトライしました。
グラバースカイロードは、その第2ゲートまで一気に連れて行ってくれる街中に設けられたエレベータです。しかも無料です。
最寄電停「石橋」。電停を降りると右手の山沿いに大きな筒が目立ちますので、迷うことはないと思います。
最初は斜め移動。そして乗り換えて垂直に移動。
坂上に到着すると景色が良く、住宅が山沿いにびっしり。長崎は本当に坂の街であることが一目瞭然です。
そして、グラバー園の第2ゲートがあります。
地元の方の足としての役目の方が強いかと思いますが、無料で使えるなんて、長崎はなんて太っ腹なんでしょう。- 旅行時期
- 2013年09月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 車窓:
- 5.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:4.0
出島のちょうど中央にあります。
明治36年に建てられた緑と黄色の木造2階建ての洋館です。開国後に、日本人と外国人の交流のために、グラバー園に邸宅のあるフレデリック・リンガーによって建てられました。
出島エリアでも現存している明治時代の建物の一つで、出島最後の外国人所有の建物だそうです。
バルコニーを持ちつつ、屋根は瓦葺で和洋折衷ですね。
日本人と外国人の交流の場所を日本人でなく外国人が開いたことが、当時らしいですね。しかも内外クラブというネーミングが、今では難しいような。
当時の長崎の財界人や商人が、夜な夜な晩さん会等を開催していたそうです。
現在も1階は出島内で唯一のレストランとしてオープンしています。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0























































