ゆっくさんのクチコミ(31ページ)全1,048件
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投稿日 2015年12月03日
総合評価:3.5
グラバー園の最後、出口にあたる建物です。
明治時代の建物が並ぶグラバー園の最後に、直接的には無関係な展示で、やや違和感がありますが、長崎くんちの資料館があります。
長崎くんちは1634年に起源を持ち、10月7、8、9日に行われる諏訪神社の祭礼です。奉納踊りに実際に使用された龍踊りの龍体や神輿などが展示されていました。大きいです。
建物の出口は、お土産屋さんがあります。グラバー園に関するグッズが各種売っていました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年12月03日
総合評価:5.0
私は、「グラバー園」と「グラバー邸」を混同していましたが、施設名がグラバー園で、その中にグラバー邸をはじめとする国の重文指定の3つの旧宅の他、江戸末期から明治初期に長崎市内に建てられた現存洋館が7つ移築復元されています。
グラバー園の最寄駅は電停「大浦天主堂下」と「石橋」です。
「大浦天主堂下」は大浦天主堂やお土産屋の並ぶストリートから入る通常ルートで園内を坂を下から上に昇りながら散策することになります。
「石橋」は裏ワザ的なルートで、「石橋」電停傍の無料エレベータの「グラバースカイロード」にて坂上まで一気に登り、園内を上から下に降りながら散策するルートです。
長崎湾を望む坂にあるため、湾を一望でき、市街地も見渡すことができます。ゆっくり散策して2時間ほどでしょうか。
個人的には「旧オルト住宅」が一番落ち着きました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.0
西側の水門から入場すると、手前の右側にある建物です。
オランダ商館の商館長次席をFeitorというらしく、そのヘトルの住居です。
瓦葺の木造2階の漆喰塗りと板張りの和洋折衷な建物です。2階ベランダのグリーンの手摺が特徴的ですね。
2階が住いで、1階は使用人の部屋だったそうです。
江戸時代中期の建物を平成12年に復元したそうです。内部の間取りの資料がなかっため、外観のみの復元だそうです。現在は1階がお土産屋さん、2階が会議室になっていました。
ちなみに上司の商館長の家は、隣のカピタン部屋です。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:3.5
現在、出島の周りは埋め立てられているため、西側の水門口と、東側の旧出島神学校から入れますが、往時は、出島の中央に中島川(当時は河でないですが)を渡る橋が架かっており、出島側に表門があり、ここのみが入口でした。
今では橋はありませんが、表門は平成元年に復元されています。中島川は川幅は当時4.5m程だったそうですが、現在は護岸整備により30mに拡幅され、扇の内側は削られてしまっているため、実際の本来の表門は川中になりますね。
往時、表門には門番がいて出入りを管理していたそうです。
現在、出島は復元整備中で、この表門前の橋も数年以内に復元するそうです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2015年11月24日
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.5
最寄駅は、その名も長崎電停の「出島」。
また、中華街からも歩いて5分程度の場所です。
和蘭商館という建物があるわけではなく、ずばり出島全体が、その役目を担っています。江戸初期に平戸から和蘭商館は移ってきました。
出島の扇形は明治になり周辺が埋め立てられたり、中島川の護岸整備が進み、明治37年には完全に姿を消したそうです。戦後、再度、敷地の公有地化を始め、平成8年からは一部の建物の復元を進めているとのこと。
電停の前には、ここまでが出島というアスファルトの色が変わっており、中島川沿いに、なんとなく扇形をイメージできるようなカーブを描いています。
内部は往時を復元してたり、出島の歴史を学ぶ資料館であったり、お土産屋さんであったり、レストランがあります。また、ミニチュアの出島もありました。
なんで江戸から遠く離れた、この地だったのか不思議に思いましたが、外国船が日本に来る際、偏西風で、ここ(当初は平戸)に着きやすかったからだったんですね。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.5
最寄駅は、その名も長崎電停の「出島」。
また、中華街からも歩いて5分程度の場所です。テーマパークとなっています。
社会科で習った出島の扇形は、明治になり周辺が埋め立てられたり、中島川の護岸整備が進み、明治37年には完全に姿を消したそうです。戦後、再度、敷地の公有地化を始め、平成8年からは一部の建物の復元を進めているとのこと。
電停の前には、ここまで出島というアスファルトの色が変わっており、中島川沿いは、扇形をイメージできるカーブを描いています。内部は往時を復元してたり、出島の歴史を学ぶ資料館であったり、お土産屋さんであったり、レストランがあります。また、ミニチュアの出島もありました。
150年前には、ここにしか欧米人がいなかったとは、驚きですね。
なんで江戸から遠く離れた、この地だったのか不思議に思いましたが、外国船が日本に来る際、偏西風で、ここ(当初は平戸)に着きやすいからだったそうです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
長崎駅から徒歩10分程です。
NHK横の急な坂を上ります。案内板もありますので、迷うことはないと思います。西坂公園として整備されています。
カトリック信者なら一度は訪れたい場所ではないでしょうか。
1950年にはバチカンに公式巡礼地として指定されています。
1597年にキリシタン禁令のために神父6名、修道士3名、信徒17名の合計26名が磔により日本で最初に殉教した地です。80日間さらされ続けたそうです。これをきっかけとして、この地で、火あぶりや水責めなどで、多くの人が殉教したとのことです。
ブロンズ像は1962年に聖人に列せられた100年祭を記念して建立されました。26体の多くが手を合わせ天を仰いでいますが、2体が手を拡げ見る人と視線が合うように設計されているそうです
なお、グラバー園そばの大浦天主堂は、この二十六聖人に捧げられた教会で、こちらの方向に向いて建てられているとのことです。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.5
平和公園の隣、原爆落下中心地公園の南東側、小川(下の川)の河岸に降りた箇所にあります。
破壊された家の瓦やレンガが地層に埋没しています。
原爆で地層が重なったわけではなく、戦後の復興により盛り土され、そして、この公園の造成で、さらに盛り土をしたため、当時の地層が埋没したらしいです。
個人的には、もしかしたら不謹慎で、主旨が異なるかもしれませんが、被爆の悲しみよりも、復興してきた人々の歴史とたくましさを感じることができました。頑張って強く生きてきた方々へに敬服してしまいます。
いずれにしても、この地で起きたこと、そして起こしてしまったことは、忘れないでおこうと思いました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園の隣、原爆落下中心地公園に平成9年に建立された高さ5m、台座4mの母子像です。台座には「1945 8.9 11:02’」と刻印されています。
長崎市出身の富永直樹氏の製作で、平和公園の祈念像を製作した北村西望氏の弟子だったそうです。
被爆により亡くなられた方々への冥福を祈り、偉大なる母の慈悲心と、そのあたたかな母の胸に眠る子供の姿で、21世紀に羽ばたく日本の未来を表現しているとのこと。
また、子供の姿はあの日の日本を、母の姿は日本を支える世界の国々だそうです。
個人的には、被爆50周年という歳月を経て原爆の悲しみのみではなく、その復興への歩みや決意を感じるような気がしました。正直、それを世界に抱かれた日本という母子像で表現したのは凄いと思います。考えれば考えるほど、台座のシンプルな刻印とともに、深い深い想いを感じました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.0
平和公園の隣、原爆落下中心地公園の原爆落下中心碑の傍に聖堂の一部が移築されています。浦上天主堂自体は、ここから500m北東にありました。昭和33年に天主堂は元の地で再建されています。
浦上天主堂は、大正3年に完成しました。石とレンガ造りのロマネスク様式で当時は東洋一の壮大さだったそうです。
昭和20年原爆により崩壊。
新しい天主堂建設のために、原爆の遺構となっていた南壁の一部をこの地に移設したそうです。天主堂の位置は、江戸時代のキリシタン迫害の地であり、また絵踏の地だったため、その場所での教会の復興は信仰的にも重要だったそうです。移設して保存されている遺構。眺めていると、なんとも言えない複雑な気持ちになりました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園の隣、原爆落下中心地公園の同心円の中心にある御影石のモニュメントは昭和43年に建立されたもので、5代目となります。
足元には原爆受難者奉安箱があり、原爆死没者名簿が毎年更新されつつ、マイクロフィルム化して永久保存されているとのことです。
ここは「75年草木の生じることなし」といわれた地だそうです。
でも、今では、周りに木々が生い茂っていました。春には桜も咲くそうです。
私は、朝一で訪れましたが、まだ人がおらず、朝鳥のさえずりだけでした。静かすぎて、この地で起きたことを思うと胸が締め付けられました。あらためて、被爆により亡くなられた方々への冥福を祈るとともに、そして、緑を眺め戦後復興に尽力された方々へ敬服いたします。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:4.0
平和公園は小高い丘の上にあり、エスカレータか階段で上がることになるのですが、手前に平和の泉が、そしてはるか先に平和祈念像が鎮座しています。
平和祈念像の前の広場手前に、刑務支所跡の礎石が残っています。
この平和公園は、もともと長崎刑務所の浦上刑務支所があり、当時は周囲を高さ4m、幅0.25mの鉄筋コンクリート塀で囲まれていたそうです。
今から20年前の再整備で、刑務支所の南側の一部を遺構として保存しているそうです。
斜めの配置は、見張所から放射状に設置された監房の址なんですね。
当時から、遺構として残すかどうか賛否あったらしいのですが、確かに平和を祈念する広場に、刑務所の遺構というのは複雑ですね。いずれにしても、この場所で起こったことは忘れてはいけないんだなと思いました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園は小高い丘の上にあり、エスカレータか階段で上がることになるのですが、手前に平和の泉が、そしてはるか先に平和祈念像が鎮座しています。その間の通路に平和に関する様々なモニュメントが並んでいます。
長崎の鐘は、そのモニュメントのちょうど中央にあり、このモニュメント群の中で唯一花束が手向けられていました。モニュメントではなく慰霊塔ですね。
昭和52年7月20日建立されたもので、原爆投下33回忌を迎えるにあたり、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民原爆殉難者の冥福を祈り、恒久平和の確立を世界の人々に訴えるために建立されたとのことです。毎月9日に被爆者によって、実際に鳴らされるそうです。
なお、浦上天主堂の鐘楼(アンジェラスの鐘)とは別物です。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園の一番奥に鎮座しています。
平和公園は小高い丘の上にあり、エスカレータか階段で上がることになるのですが、平和の泉のはるか先に鎮座しています。遠くからでも、その大きさがわかります。
近くに来ると、圧倒的大きさに声を失いました。
像の高さ9.7m、台座の高さ3.9m、重さは30トン。
長崎県出身の北村西望氏により、被爆10年目に建立されたとのこと。
・右手=垂直に立てた手は原爆の脅威(長崎の過去)
・左手=水平に伸ばした手は平和(長崎の未来)
・右足=横に伸ばし足は原爆投下直後の静けさ
・左足=立てた足は救った命
・閉じた目=原爆犠牲者の冥福への祈り
を表しているそうです。
なお、製作は東京の井之頭公園のアトリエで行われ、現在でも、北村西望彫刻館として、同サイズの原型が展示されているとのことです。
朝一で訪れましたが、まだ人がおらず、静かに朝日に輝きだす像を眺めながら、この地で起きたことを思うと胸が締め付けられました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園の一番手前にあります。
平和公園は小高い丘の上にあり、エスカレータか階段で上がることになるのですが、上がると目の前に平和の泉が、そして、はるか先に平和祈念像が鎮座しています。
平和の泉は直径18m。
「水を」とうめき叫びながら亡くなっていった被爆者への御霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和を祈念するために昭和44年に建設されたとのことです。
私は朝一で訪れたのですが、まだ人はおらず、そして噴水も出ていませんでした。が、逆に静かで、静かすぎて、いろいろと考えさせられ、胸が締め付けられる感じでした。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
平和公園の最寄電停は「松山町」です。
昭和20年8月9日に投下された原爆の爆心地から100m北に位置しています。小高い丘となっており、エスカレータか階段で上がることになります。
手前に平和の泉、そして平和に関するモニュメントが並び、はるか先に平和祈念像が鎮座しています。平和祈念像は遠くからでも、その大きさがわかります。
平和の泉は「水を」と叫びながら亡くなられた被爆者への御霊に水を捧げているそうです。また、平和祈念像は長崎の過去と未来、そして被爆者への冥福の祈りを表しているそうです。
私は、朝一で訪れましたが、まだ人がおらず、静かに朝日に輝きだす像を眺めながら、この地で起きたことを思うと胸が締め付けられました。鳥のさえずりだけで、本当に静かでした。過去を忘れず、現在・未来への平和を強く願いました。- 旅行時期
- 2013年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年11月24日
総合評価:5.0
長崎は坂道が多く、観光スポットも多岐に亘っているため、路面電車が非常に便利ですね。
全区間一律料金ですので、初めてでも悩む必要もなく、また1日乗車券もリーズナブルで、良心的です。しかも、最寄駅の観光地が乗った路線図付きですので、行きたいスポットに行くためには、どの電停が良いかすぐわかります。
なお、浜口町と松山町間は、ビルの中を通ったので、びっくりしました。- 旅行時期
- 2013年09月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 車窓:
- 5.0





















































