nichiさんのクチコミ(53ページ)全2,189件
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:4.5
武田家が約60年、三代に渡り居城としていた躑躅が崎館があった場所です。
掘割に架かる神橋を渡り、神社に入ります。
武田信虎、信玄、勝頼 の3代が居住した館があった所にこの神社はあります。
神社入口近くに、武田神社の全図がありました。
武田氏の居城であった時は、躑躅ケ崎館と呼ばれていました。
躑躅ヶ崎館が築城されたのは1519年(永正16年)で、今年はちょうど500年です。
戦国時代であった約60年間、躑躅ケ崎館には甲斐の国の守護所がありました。
この神社は「勝運」のご利益や、経済・産業の神様です。
社殿は大正8年に竣工しました。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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甲府の城跡と言えば躑躅ヶ崎館跡だと思ったらおお間違えですね。
投稿日 2019年05月22日
総合評価:4.0
武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉の政権下で建築が始められました。
1,600年頃、五奉行の一人であった浅野長政が完成させました。建てられたお城です。
つまり戦国時代も後半の後半である関ヶ原の戦いの時期に
城主は、 家康の九男であった徳川義直、家光の三男であった 徳川綱重、徳川家宣(後の江戸幕府6代将軍)、 柳沢吉保 などがいました。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
舞鶴城公園の南側にある橋です。
橋の両側にはお濠。
目の前には大きな広場があり、ここは鍛冶曲輪です。
正面には頑強で大きな壁のような石垣が存在感を示しています。
その上には鉄門と細長い恩賜林謝恩碑が見えます。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
鉄門は本丸の南側に建築された2階建ての櫓門です。
天守曲輪と本丸の間にある門です。
2,013年に復元されました。
左右に石垣を有した2階建ての櫓門で、存在感があります。
それに対し銅門は復元されておらず、礎石のみ残る跡があります。- 旅行時期
- 2019年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.0
天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。
稲荷曲輪から見上げると、美しい石垣と共に天守を想像できます。
天守の復元も希望されているようですが、そもそも実際に天守があったかどうかは疑問のようです。
復元の手がかりとなる絵図や古文書を探索中とのことです。- 旅行時期
- 2019年03月
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:4.5
城内の鬼門(北東)にあります。
江戸時代には武具蔵として使われていました。
平成16年に再現されました。
中を見学することができます。
櫓の中は手斧削りや長く太い本柱など、当時になるべく近い形で復元されていました。
豊臣 浅野 徳川 柳沢の家紋が掲げられています。
甲斐甲府城に関連に深い武将の紋ですね。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.0
甲府城の一番高い所にある一番高い建造物です。
山梨県は明治40年8月と明治43年8月に起こった大規模な水害により、多くの方が亡くなりました。明治天皇は、災害の復興にと皇室の山林を県に供与し、謝恩碑はその記念に建てられました。- 旅行時期
- 2019年03月
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
二の丸から屋形曲輪にあがる途中にある門です。
明治の初めまで残っていた門ですが、絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元されました。
美しい高麗門で比較的小さな門です。
重厚な石垣に囲まれている門です。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
そもそも何故甲府城は舞鶴城と呼ばれているのか?
白壁が重なり合う優雅な姿から、鶴が舞う雄大な姿連想して付けられたとか、
天守閣の形が鶴が羽を広げたときのように優雅な形だったからと言われていますが、本当かどうかは判りません。
山形の米沢城も舞鶴城と言う別名がありました。
全国に16も別名を舞鶴城と言うお城があるようですね。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
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甲府城の北側の門です。橋の上から見ると、JRが甲府城を分断しているのが判ります。
投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
甲府にあるからと言って、武田信玄は関係ありません。
そもそもこの城は、武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉の政権下で建築が始められました。
1,600年頃、五奉行の一人であった浅野長政が完成させました。
その後、甲府城下町が整備されました。
江戸時代には甲府藩の藩主の城となります。
主な城主は、 家康の九男であった徳川義直、家光の三男であった 徳川綱重、徳川家宣(後の江戸幕府6代将軍)、 柳沢吉保 などがいました。
つまり、天領でした。
JR甲府駅南口から北口に移動する時、北口に渡る橋の上から山手門が見えました。
高さ約12m、幅約14mの門です。
平成10年の発掘調査で、石垣の一部が発見され、この山手門の復元が行われました。
この門は中に入ることができます。
中では甲府城についての様々な説明がありました。
地図によると、甲府城があった場所の中をJRが通り、北側が山手門が復元された歴史公園。
南側が後ほど訪れる天守等があった舞鶴公園になっていることが判ります。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
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投稿日 2019年05月22日
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有名なお庭があるのですが、今日は見れず、、、 物凄い歴史的時jつがあったお寺です!
投稿日 2019年05月22日
総合評価:4.0
東光寺は甲府五山の一つです。
甲府五山(こうふござん)とは、武田信玄により定められた甲府における禅宗の寺格のこと。
甲府市内にある東光寺 能成寺 長禅寺 円光院 法泉寺 の5つの禅寺のことです。
この東光寺は、創建不明。
平安時代(平安2年 1121年)源義光(新羅三郎)が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院としました。
その後荒廃しましたが、鎌倉時代になり、蘭渓道隆が禅宗寺院として再興しました。
名称が「東光寺」となったは、この鎌倉時代です。
このお寺は庭園が有名です。
法堂の裏手にのびる山畔を活かした庭のようです。
ちょっと楽しみにしていたのですが、どなたも不在で庭に入ることができませんでした。
拝観中にスマホでググっていた家内が「えーっ!」と声を上げました。
実はこのお寺、1,543年武田信玄の諏訪侵攻によって諏訪頼重が連行された時に幽閉されたお寺のようです。
頼重はこの寺で自害したとのこと。
更にびっくりしたのは、武田信玄嫡男であった武田義信が、あらぬ謀反の疑いをかけられて1,565年に幽閉されたお寺なんです。
ひえーーー!
そんな歴史上有名なことがここで、、、
さらに義信はこの東光寺で切腹しています。
歴史好きの私たちシニア夫婦にとってみると、義信は不運の名将のイメージです。
武田信玄と正室・三条夫人の長男であり、確実に武田家の跡継ぎナンバー1。
従妹である今川義元の娘を正室にし、将軍足利義輝から「義」の字を受け、義信と名乗るようになりました。
もうここまで来れば順風満帆!!!
でも1565年、「信玄暗殺計画に関与した」として切腹を命じられました。
その時に幽閉されたのがこの東光寺で、切腹したのもココ東光寺だったのですね。
びっくりーーーーー!!!!- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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建立は1,558年。上杉謙信との川中島の戦いで、信濃善光寺の消失を恐れた武田信玄が御本尊善光寺如来や諸仏寺宝類を奉遷しました。
投稿日 2019年05月22日
総合評価:3.5
武田氏滅亡の後、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々としますが、1598年にここに戻りました。
時代に翻弄された御本尊善光寺如来や諸仏寺宝類ですね。
1,754年の門前の大火で本堂は焼失しました。
本堂は1796年に再建されています。
正面梁行き23.6m、正面屋根幅30.8m、側面桁行38.0m、総奥行49.1m、総高27m、建坪310.8坪という、東日本最大級の木造建築です。
目の前の松が見事です。
ここには長野善光寺と同じく、「お戒壇廻り」があります。
一寸先も見えない暗闇の中を手探りで進み、やがて御本尊様の真下に懸かる「極楽のお錠前」に触れて出てくる「行」です。
でももうお昼を過ぎてお腹が空いていたのでパス!
山門は重層の楼門で、桁行16.88m、梁行6.75m、屋根幅22.9m、棟高15m。
和様と唐様を折衷した山門です。- 旅行時期
- 2019年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2019年05月22日
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投稿日 2019年05月22日
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投稿日 2019年05月22日
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:5.0
関越から長野自動車道を通って信濃町ICを降りて行くので、都心からは4時間弱。
冬はほぼ毎年訪れているハーヴェストクラブです。
但し毎年雪が少なくなっていることを実感します。
温暖化の影響はかなり大きいと思います。
ホテルはスキー場隣接で、スキーロッカーから直接ゲレンデに出れるなど、スキーヤーやスノーボーダーには機能的で良く出来た会員制ホテルです。
温泉もコース料理もスタッフも最高です!- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 接客対応:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
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投稿日 2019年05月22日
総合評価:4.5
様々なハーヴェストを利用しています。
ここ、那須も何度も利用しています。
東急の別荘地やゴルフ場もある東急リゾートタウンの中にあります。
中庭を囲むように宿泊棟とレストラン棟が入っており、コース料理も最高!
温泉も最高!
一番最高なのはスタッフかな?- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 接客対応:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0













































































































































