甲府城の北側の門です。橋の上から見ると、JRが甲府城を分断しているのが判ります。
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- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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by nichiさん(男性)
甲府 クチコミ:24件
甲府にあるからと言って、武田信玄は関係ありません。
そもそもこの城は、武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉の政権下で建築が始められました。
1,600年頃、五奉行の一人であった浅野長政が完成させました。
その後、甲府城下町が整備されました。
江戸時代には甲府藩の藩主の城となります。
主な城主は、 家康の九男であった徳川義直、家光の三男であった 徳川綱重、徳川家宣(後の江戸幕府6代将軍)、 柳沢吉保 などがいました。
つまり、天領でした。
JR甲府駅南口から北口に移動する時、北口に渡る橋の上から山手門が見えました。
高さ約12m、幅約14mの門です。
平成10年の発掘調査で、石垣の一部が発見され、この山手門の復元が行われました。
この門は中に入ることができます。
中では甲府城についての様々な説明がありました。
地図によると、甲府城があった場所の中をJRが通り、北側が山手門が復元された歴史公園。
南側が後ほど訪れる天守等があった舞鶴公園になっていることが判ります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2019/05/22
いいね!:4票
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