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公園にはピエロのデザインのブランコと、小さな滑り台が置かれている程度。
投稿日 2023年02月05日
市場橋公園
築地
総合評価:4.0
銀座から築地の場外市場方面に向かって進むと、門跡通りとの交差点そばに【市場橋公園】というとても小さな公園がありました。公園にはピエロのデザインのブランコと、小さな滑り台が遊具としておかれている程度で、子供さんの姿はほとんど見かけませんでした。この日は、公園内の【日本盲学校発祥の地】の碑と合わせて見学しました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
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一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
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4.0
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中央市場通りから国立がん研究センターの脇道を波除通りに向かって進むと、今は首都高となっている旧築地川の東側に面した場所です。
投稿日 2023年02月05日
海軍兵学寮跡
築地
総合評価:4.0
築地界隈を散策し、中央市場通りから国立がん研究センターの脇道を波除通りに向かって進むと、今は首都高となっている旧築地川の東側に面した場所に、こちらの【海軍兵学寮跡】がありました。今は碑があるのみです、かつては海軍の関係施設が多数集まっていたようで、今は痕跡は何も残っていませんが、水兵さんの服装をした若者が闊歩していたのだろうと想像しつつ見学しました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
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一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
4.5
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非常に大きな碑で、容易に見つけることが出来ました。
投稿日 2023年02月05日
工学院大学学園発祥地
築地
総合評価:5.0
築地の北側にある「あかつき公園」の西側入口、築地川公園から道を渡ったすぐの場所に【工学院大学学園発祥の地】がありました。この界隈には明治学院大学発祥の地や立教学院発祥の地などを示す碑がありますが、それらと比較すると非常に大きな碑で、容易に見つけることが出来ました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
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一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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明治三年にこの地で西洋式の靴が製造されたことから石碑が設置されたようです。
投稿日 2023年02月05日
靴業発祥の地
築地
総合評価:4.0
築地界隈を散策していて、築地橋を新富町側にわたり右手に折れていくと、入船町に入ってすぐのビルの植え込みに【靴業発祥の地】の碑が設置されていました。明治三年にこの地で西洋式の靴が製造されたことから石碑が設置されたようです。小さな碑ですが、植え込みから頭の分が覗いていたので見つけることが出来ました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
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一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
4.0
- 見ごたえ:
-
4.0
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昭和15年【皇紀二千六百年】の祝賀ムードに沸く当時の雰囲気が伝わってくるように思いました。
投稿日 2023年02月02日
勝鬨橋記念碑
築地
総合評価:4.5
築地から佃島界隈を散策した際、勝鬨橋の手前にこの碑がありました。昭和15年に「海運と陸運の共栄」を図るべく、橋の中央部が跳ね上がる、可動式の当時の最先端の技術でもって作られたことが記されていました。当時は起元節では二千六百年の節目にあたり、東京オリンピックも計画されていた時代。まさにそうした時代の息吹を感じとることが出来ました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
4.5
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日本が大陸進出を推し進めていた時代の息吹を、十分に感じることができました。
投稿日 2023年02月05日
勝鬨橋之記
築地
総合評価:5.0
築地場外市場界隈を散策した際、晴海通りを勝鬨橋に向かうと、橋の袂にある公園の一角に、【勝鬨橋之記】が設置されていました。橋の由来が少し読みにくい文字ではありますが記されており、日露戦争から昭和にかけて日本が大陸進出を推し進めていた時代の息吹を、十分に感じることができました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
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一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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築地から築地川を新富町側にわたった道路わきに、【救世軍渡来記念の地】を示す碑が置かれていました。
投稿日 2023年02月05日
救世軍渡来記念の地
築地
総合評価:4.5
築地から築地川を新富町側にわたった道路わきに、【救世軍渡来記念の地】を示す碑が置かれていました。花壇と一体になって背の低いパネルのような形状で、うっかりすると見落としてしまうような、控え目が感じがする碑でした。東京では年末の炊き出しなどで知られる一種のボランティア団体ですが、それがイギリスから伝わってきた団体ということをこの説明文を見て初めて知りました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
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4.5
- 見ごたえ:
-
4.0
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国立がん研究センターや東京国税局のビルがあり、繁華街というよりはオフィス街に近い雰囲気でした。
投稿日 2023年02月05日
中央市場通り
築地
総合評価:5.0
銀座からかつての築地中央市場に向かう大通りが【築地中央市場通り】となっており、この日は朝日新聞本社の界隈を散策しました。国立がん研究センターや東京国税局のビルがあり、繁華街というよりはオフィス街に近い雰囲気でした。一つ一つのビルも大きく重厚ですが、すこし古い建物が多いように感じられました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
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5.0
- 人混みの少なさ:
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5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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校舎の設計は岩崎邸の設計でも知られるジョサイア・コンドルの手によるとのこと。
投稿日 2023年02月05日
日本点字制定の地 (東京盲唖学校発祥の地)
築地
総合評価:5.0
築地界隈を散策し、西側から歩くと築地場外市場の手前【市場橋公園】の一角に【日本点字制定の地 (東京盲唖学校発祥の地)】が設置されていました。見学する方も多いのか、公園には案内表示もされていました。石碑は重工な赤御影石を使った重厚なものでした。説明文を読むと、学校校舎の設計は岩崎邸の設計でも知られるジョサイア・コンドルの手によるとのこと。当時の情景をイメージしやすいよう、校舎の絵も入っていました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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繁華な通りではないですが、住宅や学校を中心とする落ち着いた雰囲気でした。
投稿日 2023年02月05日
居留地通り
築地
総合評価:5.0
築地界隈を散策した際に歩いた通りの一つで、聖路加国際大学の南が聖ルカ通り、北が居留地通りと覚えると分かりやすかったです。通りに面しては【カトリック築地教会】、【芥川龍之介生誕の地】【あかつき公園】があって、繁華な通りではないですが、住宅と学校などのある落ち着いた雰囲気でした。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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昭和の時代らしさが感じられました。濃い茶色のタイル張りの外壁も一因だと思います。
投稿日 2023年02月05日
中央区役所
築地
総合評価:5.0
築地界隈を散策した際、こちらの首都高速道路にかかる三吉橋の袂にある【中央区役所】にも立ち寄りました。すでに築五十年を超えていると思われる古めかしい風貌で、ゴジラタワーともいわれた文京区役所と比較すると、昭和の時代らしさが感じられました。濃い茶色のタイル張りの外壁も一因だと思います。
- 旅行時期
-
2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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当時の写真も説明板に使われており、さらに緑に塗られた鉄骨の親柱もあってイメージがつかみやすかったです。
投稿日 2023年02月05日
海幸橋
築地
総合評価:5.0
築地の場外市場を見学し、そのまま波除通りを東に進んで、【波除稲荷神社】の鳥居に向かって右手に【海幸橋】の説明板が設置されていました。こちの橋は築地川東支川に架かっていたとのこと。当時の写真も説明板に使われており、さらに緑に塗られた鉄骨の親柱もあってイメージがつかみやすかったです。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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埋立地の上に建てられたお屋敷でした。
投稿日 2023年02月05日
土佐藩築地邸跡
築地
総合評価:4.0
築地界隈を散策した際、中央区役所のすぐ横に【土佐藩築地邸跡】を示す説明板がありました。江戸幕府が成立した時から、江戸は埋め立てを続けて来たわけですが、こちらの土佐藩の邸宅も埋立地の上に建てられたお屋敷だったそうです。土佐藩の山内家は幕末維新の際に「薩長土肥」といわれる位に維新の原動力となったことから、説明板を通じて、多くの維新の志士がここに集ったのではないかと想像力が掻き立てられました。
- アクセス:
-
4.5
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
4.0
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その名前の通り子供が楽しめる遊具もあって、なおかつ思いっきり走り回れるほど広い公園でした。
投稿日 2023年02月05日
鉄砲洲児童公園
築地
総合評価:5.0
八丁堀界隈を散策した際、【鉄砲洲稲荷神社】を見学した後に隣接するこちらの公園にも立ち寄りました。【鉄砲洲児童公園】はその名前の通り子供が楽しめる遊具もあって、なおかつ思いっきり走り回れるほど広い公園でした。東京の中心にこうした公園があるのは些か意外に感じた位です。ただ、この日は天気があまり良くなかったので、子供らの遊ぶ姿は少なったです。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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数本のポールの先に風を受ける羽がついており、これがゆらゆらと動くという仕掛け。
投稿日 2023年02月05日
星の時間
築地
総合評価:5.0
あかつき公園の東端、聖路加タワーにもほど近い場所に、【星の時間】という面白いモニュメントがありました。数本のポールの先に風を受ける羽がついており、これがゆらゆらと動くという仕掛けで、なかなか興味深く見学できました。関西空港の国際線ターミナルの天井にも、同じような発想の風を受けて動く飛行機が設置されていますが、それと似た原理のようでした。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0
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一体当時はどういった貨物が荷揚げされていたのかと、非常に好奇心を掻き立てられました。
投稿日 2023年02月05日
運上所跡 (東京税関発祥の地)
築地
総合評価:4.0
築地界隈を散策した際、あかつき公園の東端から道を渡った先、裏通りにある「治作」というツタの絡まる大きな料亭の入口左手に、ポツンと小さな石碑が建てられていました。運上所をいうあまり馴染みのない言葉ですが、今でいう税関の機能を果たしていた場所とのこと。一体当時はどういった貨物が荷揚げされていたのかと、非常に好奇心を掻き立てられました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
3.5
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説明板以外には当時をしのばせる物はなにもなく、些か拍子抜けしました。
投稿日 2023年02月05日
桂川甫周屋敷跡
築地
総合評価:3.0
築地駅から銀座方面に向かって歩き、【築地小劇場跡】を見学しさらに歩くと、ビルの外壁前に写真のような説明看板が設置されていました。これが【桂川甫周屋敷跡】で、蘭学者でありお医者さんでもあったことが書かれていました。この説明板以外には当時をしのばせる物はなにもなく、些か拍子抜けしました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
3.0
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歌舞伎座や築地の本願寺などの主要スポットからは離れており、観光客の姿は見られませんでした。
投稿日 2023年02月05日
亀井橋
築地
総合評価:3.5
中央区役所手前にかかる三吉橋から一本南側の橋です。築地界隈を散策した際にわたりましたが、隣接して広い公園が設置されている事を除いては、橋はいたってシンプルな都会的なデザインで、正直な感想としては特徴をつかみにくい橋でした。歌舞伎座や築地の本願寺などの主要スポットからは離れており、観光客の姿は見られませんでした。
- アクセス:
-
4.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
3.5
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当時の白黒写真も使って説明されており、初めて目にする私のような来訪者にとっても理解しやすいよう工夫されていました。
投稿日 2023年02月05日
東京中学院発祥の地
築地
総合評価:5.0
【雙葉学園発祥の地】からすぐそばに、【東京中学院発祥の地】の碑を見つけました。茶色の石材を使ったシンプルなデザインの碑で、現在の関東学院の源流になった学校だったことが分かりました。当時の白黒写真も使って説明されており、初めて目にする私のような来訪者にとっても理解しやすいよう工夫されていました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
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5.0
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「平和ボケ」と言われて久しい日本ですが、こちらのプレートを見て、先人の努力と慧眼に頭が下がる思いがしました。
投稿日 2023年02月05日
軍艦操練所跡
築地
総合評価:5.0
築地の場外市場を北側に抜けて、晴海通り通り沿いに【軍艦操練所跡】の説明プレートが設置されていました。ペルーの黒船来航を受けて、西洋式の海軍の必要性を認識した幕府が、西洋式軍艦の操作を訓練するため、こちらの操練所を設立したとのこと。欧米列強から日本の独立をいかに守るか、そうした戦略的な発想が幕府にも薩長にもあったことから、あの嵐の時代を乗り切ることが出来たのでしょう。「平和ボケ」と言われて久しい日本ですが、こちらのプレートを見て、先人の努力と慧眼に頭が下がる思いがしました。
- 旅行時期
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2023年01月
- 利用した際の同行者
-
一人旅
- アクセス:
-
5.0
- 人混みの少なさ:
-
5.0
- 見ごたえ:
-
5.0