すぶたさんのクチコミ(96ページ)全3,773件
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投稿日 2015年06月08日
総合評価:3.0
1階がパチンコ屋の天然温泉です。
お食事処も和食が2軒(フルサービス・セルフサービス)、
焼き肉屋が入っています。
料金が大人800円(岩盤浴は別料金)で、天然温泉が楽しめるのは安いと思います。
地下鉄堺筋線天神橋筋六丁目駅から徒歩8分のところにあります。
また、JR大阪駅&各線梅田駅 大阪市営バスの2番乗り場(赤色)より、
34系統にて約20分の長柄西停留所のすぐ前です。
平日:10:00~25:00(最終受付24:00)
土日:8:00~朝風呂営業
梅田にはサウナで有名なニュージャパン梅田がありますが、
男性専用になっています。
なにわの湯は男女別になっているので女性も大丈夫です。
営業時間が長いので、大阪梅田周辺で遊んだ後にここで
お風呂に入ってさっぱりしてから夜行バスに乗るのもいいですね。- 旅行時期
- 2015年06月
- アクセス:
- 3.0
- 天神橋筋六丁目駅から徒歩8分
- 雰囲気:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
現代では考えられませんが、淀川は古代から洪水をたびたび起こしていました。
その度に周辺住民は大きな被害を受けており、
特に明治18年の氾濫は、
ようやく近代的発展をとげようとする大阪とその周辺に、
甚大な被害をもたらしました。
そのため淀川改修工事が急がれて明治29年測量に着手しましたが、
途中には日露戦争をはさみながらも困難な事業を同42年完了しました。
碑面には、その間の経緯を詳しく刻しています。
周囲には「毛馬の残念石」など関係する石碑や施設もあります。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 結構大きい
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:4.0
沖野忠雄は『日本の治水港湾工事の始祖』といわれています。
現在の兵庫県豊岡市に生まれた沖野は、幼少のころから秀才でした。
長じて東京大学に入学しフラン語を学んでパリに留学し、
土木建築工師の免許を得て6年後に帰国しました。
帰国後、内務省土木局技師となり、富士川、信濃川、
庄川などの直轄事業を監督しました。
1890年に、第四区(大阪)土木監督署署長となった沖野が、
最も心血を注いだといわれるのが、大阪築港事業と淀川の改修工事でした。
江戸時代まで天下の台所と言われた大阪でしたが、
淀川からの土砂が多くて外国船が入港しにくくなり、
神戸にその地位を奪われていました。
大阪の経済の立て直しに沖野に白羽の矢がたてられました。
沖野は工事の機械化を進めて8年で完成させたそうです。
この沖野の活躍がその後の「大大阪」時代を進めたといっても過言ではありません。
現在は淀川の堤防の片隅に沖野の功績をたたえる像があります。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
地下鉄都島駅を地上に上がると交差点があります。
三菱東京UFJ銀行のある角の緑地帯にちょっと変わったものがあります。
これは、農業用水門で近くの休暇に保存されていたものを、
この緑地帯に整備復元しました。
今となっては想像もつきませんが、
かつて都島区一帯には一面の田園が広っていました。
井路川と呼ばれる農業用水路が、淀川から寝屋川方向に幾筋も流れていました。
水門は用水の取入れや排水、洪水の防御など、
必要に応じて開閉し水路の水の流出入を調節するための施設でした。
現代では、大変人通りや自転車、自動車が多い交差点になっています。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄都島駅からすぐ
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 周囲は自転車や歩行者、車が多い
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年06月06日
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
長柄橋の南詰に明倫觀世音菩薩があります。
これは、第二次世界大戦末期の昭和20年6月7日に
長柄橋が爆撃を受けて橋桁が損傷し、
橋の下に避難していた人々に多くの犠牲者がでました。
戦後、これまでの淀川水難犠牲者とあわせて冥福を祈るために建立されました。
碑文には下記のように記されています。
昭和二十年六月七日この橋畔において
散華されたる空襲犠牲者並に
淀川水難犠牲者の冥福を祈るため
此處に觀世音菩薩を建立して
明倫觀世音菩薩と稱へ奉る。
願くは諸靈安らかに随願往生
遂げられんことを。
現代では、元気に淀川河川敷公園で遊ぶ子供達や、
マラソンや犬の散歩、散策を楽しむ大人がいました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
長柄橋は大昔に架けられたり、
なくなって渡し船の時代もあったりしました。
『日本後記』によると嵯峨天皇によって弘仁三年(812年)に、
律令の制度にのっとり中央政府から人が派遣されて
工事が行われたとされています。
しかし、40年後の仁寿3年(853)には、
橋は既に廃絶しており渡船が設けられていました。
短命に終わった長柄橋は、
歌枕として様々な歌に詠まれて人々の心の中で生き続けました。
この時代、橋には人柱を建てることが多かったようです。
「物いわじ父は長柄の橋柱鳴かずば雉も射られざらまし」
後半の言葉は一度は聞いたことがあるでしょう。
昭和11年に架け替えられた橋では、
第二次大戦末期に爆撃を受けて橋桁が損傷し、
橋の下に避難していた人々に多くの犠牲者がでました。
橋の南詰の観音像が犠牲者を供養しています。
夜にはライトアップされてきれいですし、
少し離れますが阪急千里線が走っています。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 夜のライトアップが美しい
-
投稿日 2015年06月06日
与謝蕪村之顕彰碑 (春風や 堤長うして 家遠し) キタ(大阪駅・梅田)
総合評価:3.5
江戸時代の俳人である与謝蕪村は現在の大阪市都島区毛馬の出身です。
蕪村之顕彰碑は新しい句碑とともに淀川河川敷に最初はありました。
しかし、国土交通省淀川工事事務所の敷地内に一度は移されました。
その後、蕪村公園ができたのでまた移されました。
周囲の新しい句碑と違って小さく見劣りします。
なお、「春風や 堤長ふして 家遠し」の句が刻まれています。
蕪村公園は新しい公園で与謝蕪村についてのパネルが飾ってあります。
大阪が生んだ偉大な俳人なので、思い浮かべながら散策もいいですね。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
- 碑自体は小さいが公園には蕪村公園はよい
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:4.0
江戸時代の有名な俳人である与謝蕪村にちなんだ公園です。
与謝蕪村は現在の大阪市都島区毛馬に生まれました。
松尾芭蕉を尊敬しており有名な俳句もたくさん残しています。
俳人として有名な蕪村ですが、
ゆかりの地にはちなんだものはあまりありませんでした。
やっと近年に見直しが始まったようです。
公園は中央が土の運動場になっており、
周囲を蕪村の俳句が掘られた石碑があります。
現代の人でも読めるように、
下の方に明朝体で書かれたプレートがあるのがいいですね。
公園の毛馬橋の方には与謝蕪村の人生や、
俳句に関する資料が見られるように屋外ギャラリーになっていました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 与謝蕪村の句碑がたくさんある
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:4.0
毛馬桜之宮公園は桜の季節には混雑していますが、
その他の季節は空いています。
6月上旬に行ったところ、
新緑が美しいのにガラガラでゆっくり散策できました。
犬の散歩をさせている人や
マラソンコースも整備されているので、走っている人も多かったです。
川沿いを歩いていると、夕日が美しくて気持ちよかったです。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 桜の季節以外は空いている
- 見ごたえ:
- 4.0
- 新緑が美しい
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
緑の少ない大阪では淀川河川敷は増水に備えて公園として利用されています。
その昔は淀川は今よりもうねっており、よく氾濫していました。
(この辺りは大阪府庁&大阪市長であった橋下徹も言っていました)
現在の都島区一帯の地は古墳時代中期以降に、
主に淀川の三角州の発達によって形成されました。
当地に人が住み始めたのは平安時代頃からで、
当時は法隆寺などの所領が入り交じる榎並荘に属していたと推定されています。
都島」の地名は、応神天皇の大隅宮や孝徳天皇の長柄豊碕宮が、
淀川を隔てた対岸辺りにあったと想定され、
これらの宮の近くであるところから生まれた、
あるいはこれらの都に向き合う島という意味の
「都向島(みやこじま)」が転化したものと考えられています。
大きな石碑は誰にもみられずぽつんと建っていました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 公園内にありました
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
- 大きい
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
近松門左衛門の有名な浄瑠璃「心中天の網島」は、
実際に江戸時代にあった心中事件を脚色したものです。
享保時代に網島の大長寺の裏で、天満の紙屋の主人の治兵衛と、
曾根崎の遊女・小春の心中事件がありました。
「心中天の網島」は評判となり、
のち二人を弔うため大長寺に建てられた墓碑が比翼塚です。
(今の若い人って、比翼の鳥、連理の枝という言葉知っているかな?)
また、隣にある鯉塚にも興味深い由来があります。
淀川で捕った体と鱗に巴紋のある大きな鯉を見世物にしたところ、
しばらくして死んだので大長寺に葬りました。
その夜住職の夢に巴紋をつけた甲冑姿の武士が現れてこのように告げました。
「自分は大坂の陣で戦死した者で、
殺生の報いによりこの様な姿になったが、貴僧の弔いで成仏できた。」
そこで住職は「滝登山鯉山居士」と戒名をつけて碑を建てました。
これが鯉塚であると伝わっています。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
桜宮堤防下の淀川左岸にはかつて水が渦巻く青湾という小湾がありました。
豊臣秀吉はここの甘く香る水を好んで茶の湯に用いて、
後世の隠元・高遊外・上田秋成・田能村竹田ら雅人たちも賞賛したそうです。
明治28年(1895年)に上水道ができるまで、
大坂市中の飲料水として水屋が水船に積んで市中に運び、
戸毎に供給したのもこの辺りの淀川の水でした。
この辺りの話は何年か前にNHKの江戸時代を舞台にした「銀二貫」という
ドラマで見た方もいるのではないでしょうか。
青湾の名称のいわれはいくつかの説がありますが詳細は不明です。
・秀吉に仕えた茶人・大江青湾に因む
・秀吉が明使献上の西湖の水を数壷沈めたところ、
移植した西湖の柳が青く映ったことに因む
文久2年(1862年)の春に、文人画家・田能村直入が、
播州山崎藩主本多忠明に「青湾」二大字の揮毫を依頼して碑を建てたのが青湾碑です。
田能村直入は、湾の近くに住んで日々に煎茶の水を汲みました。
落成記念には売茶翁百年忌追福を兼ねて、
大長寺などで「青湾茶会」が盛大に催されたそうです。
その後、青湾は埋められて青湾碑だけが桜宮鳥居前の西側に残っていました。
なお、現在は淀川左岸の毛馬桜宮公園に移されています。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
桜之宮公園の桜と川下りは大阪の春の名所です。
その河川公園から堤防を上がったところに櫻宮神社があります。
この神社は、もとは野田村(現在の東野田町)の
旧大和川の堤である字桜の馬場にありました。
しかし、元和6年(1620年)に社殿が洪水で流されて、
漂着した中野村に改めて祀られました。
ところがそこも低地で再び水禍に遭ったため、
宝暦6年(1756)現在地に遷座したと伝えられています。
その頃は旧淀川はたびたび氾濫を起こしていました。
のちに、境内はもとより淀川の東岸に至るまで桜が植えられ、
花の盛りには「雲と見、雪と疑ふ」ほどであったので、
市中から徒歩や船で訪れる人が多く、
「実に浪花において遊宴の最上、花見の勝地」(『浪華の賑ひ』)と
賞される名所になりました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
現在の大阪市都島区である旧沢上江村(滓上江村とも書く)の鎮守社です。
草創は明らかではありませんが、平安後期の後白河法皇が、
生母待賢門院の菩提寺である母恩寺に行幸したときに、
鎮護の神社として創建されたと伝えられています。
明治時代の神社合祀の際に、
天照大神・応神天皇・宇賀御魂神など十五の神を合祀しました。
もとは「十五神社」と称していましたが、昭和18年に「都島神社」と改称しました。
社殿は太平洋戦争末期の空襲で焼失しましたが、昭和24年に再建されました。
境内には嘉元2年(1304)銘の石造三重宝篋印塔があります。
これは類例が少ないうえに、市内最古の石造建造物として、
大阪府の有形文化財に指定されています。
白砂がきれいに整備されていて素晴らしいと思いました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄都島駅よりと非5分
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 砂がきれいに整備されていた
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
現在の大阪市都島区本通であり、
旧沢上江村(滓上江村とも書く)の地にある浄土宗の尼寺です。
寺伝によれば仁安3年(1168)に後白河法皇が、
生母待賢門院の菩提を弔うために創建し、
母后報恩の意を籠めて寺号としたといわれています。
もとは数箇所の荘園と大伽藍を有する大きな寺院でしたが、
度重なる洪水や兵火に罹り衰微したと伝えられています。
元禄14年(1701年)刊の『摂陽群談』によれば、
本尊の阿弥陀仏は恵心僧都の作といい、
またこの寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江の綿帽子」として名高く、
名物になっていたといわれています。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄都島駅から徒歩5分
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.0
明治42年(1909)政府の神社合祀令によって多くの神社が合祀されました。
城北村大字毛馬(現在の毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が、
大阪市北区中野町(現在の中野町)の桜宮になりました。
また、城北村大字友渕(現在の友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が、古市村大字南島(現在の旭区)の大宮神社に合祀されました。
しかし、毛馬・友渕の両地域では失われた神社復興の願いが強く、
昭和26年(1951)に、旧十五神社の境内地と社殿を用いて、
旧十五神社と旧八幡神社を合祀し、
毛馬町・友渕町・大東町の総鎮守として再建されたのが淀川神社です。
祭神は天照皇大神と八幡大神です。
静かな雰囲気でしたが、地元の人でしょうか。お参りをされていました。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月06日
総合評価:3.5
長柄橋の横には阪急電鉄北千里線が走っています。
南岸の堤防に下記の俳句が刻まれた石碑が建っています。
「春風馬堤曲」の「春風や堤長うして家遠し」
これは、江戸時代の俳人である与謝蕪村の生誕地を記念し、
淀川改修百年記念として昭和55年(1980)に建てられました。
碑文は蕪村直筆の句を拡大したものです。
江戸時代の俳句や南画で有名は与謝蕪村は享保元年(1716年)に、
摂津国東成郡毛馬村(現都島区毛馬町)に生まれ、
17、8歳頃に江戸に出て俳諧を学びました。
中国の南宋に由来する南画にも秀でており、
俳諧では芭蕉を尊敬し、その没後足跡をたずねて東国を放浪しています。
天明3年(1783)に68歳で没しました。
個人的には松尾芭蕉や小林一茶より与謝蕪村の方が好きです。
毛馬周辺には与謝蕪村にちなんだ公園などもあります。- 旅行時期
- 2015年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年06月05日
総合評価:4.0
豚まん(肉まん)で有名な551のレストランです。
大丸梅田店にはテイクアウト専門店と、地下1階の奥の方にイートインスペースがあります。
地図
http://www.daimaru.co.jp/umedamise/floor/b1.html
大人気の豚まんはもちろんのこと、海鮮めんやギョーザの単品、ビール、
ギョーザやどんぶりもセットになった定食もあります。
席はカウンターのみなので団体だと難しいと思います。
普通のレストランのように店員さんが持ってきてくれるので、
セルフサービスより楽です。
今回は定食をたべました。
・海鮮めん
・お好みから一つ(豚まん・ミニ天津飯・ミニチャーハン)
・スープ
このセットで税込1000円です!また、大丸カードのポイントもつきます。
海鮮めんは海老や帆立、イカなどの具がたっぷりのっていいます。
天津飯は優しい味です。なお、関西風なので関東のケチャップ味とは違います。
スープはあっさりとした美味しさです。
ショッピングの合間にも便利なので食べてみては?- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- JR大阪駅中央口でてすぐ大丸梅田店地下1階
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- セットがお得!
- サービス:
- 4.0
- お茶も飲み放題 大丸カードのポイントもつきます
- 雰囲気:
- 3.0
- カウンターだけでカジュアル
- 料理・味:
- 4.0
- 豚まんやシュウマイ、海鮮丼、ラーメンもある
- バリアフリー:
- 3.0
- ちょっと狭いのでしんどいかも
- 観光客向け度:
- 4.5
- 時間がない観光客も地元の人もよい
-
投稿日 2015年06月05日
総合評価:4.0
東京メトロ永田町駅から徒歩5分の都市センターホテル1階にあるレストランです。
このホテルに泊まり、宿泊プランについていた朝食ビュッフェを、土曜日の朝に利用しました。
私の利用したのは土曜日だったので、ビジネス客は少なかったようです。
通常の料金は1340円(税込1447円)と入口に表記されていました。
メニューはビュッフェなので、洋食和食の好きなものを取って食べます。
メニューは普通のものでしたが、和食で煮物もあったのが良かったと思います。
店員さんはキビキビと動かれ、あいたテーブルを拭いたり、
追加の料理を持ってこられていました。
レストランは明るくて窓側の席からは緑が見えてよかったです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- 朝食
- アクセス:
- 4.0
- 永田町駅から徒歩5分の都市センターホテル1階
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 納得
- サービス:
- 4.0
- 店員さんはキビキブ動いていた
- 雰囲気:
- 4.5
- 窓側に座ると緑が美しい
- 料理・味:
- 4.0
- ビジネスホテルの割には満足
- バリアフリー:
- 4.0
- 1階なので行きやすい
- 観光客向け度:
- 3.5
- 団体客と重なるとちょっと混むかも































































