norisaさんのクチコミ(37ページ)全875件
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- 基本情報
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投稿日 2013年11月22日
総合評価:4.5
軽井沢三大ホテルだった三笠ホテルは現在では見学できる施設となっています。
このホテルの特徴は設計から施工まで、全てが日本人が成し遂げたことです。
大工も地元の方々ですが、今現在でもその設計と施工技術の確かさを証明しています。
もちろん国の重要文化財となっています。
現在の建物は創建当時(約107年目)そのもの部分が50%であり、他は水害被害を受けて修復されたり、その後メンテナンスされたもののようです。
内部には客室のほかにバーと談話室その他があります。
文化人や財界人御用達だったそうなので薫り高い談笑が、または生々しい密談がなされたかもしれませんーー。
この三笠ホテルは近くの山が奈良の三笠山に似ていることから画家有島生馬と作家里見?狩の兄弟やその他の方々により命名されたそうです。
このホテルは輝かしい歴史も持っていますが、戦後はアメリカ軍に接収されてしまったそうですーー。
その後返還され今は軽井沢町所有となっています。- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月22日
総合評価:3.0
軽井沢聖パウロカトリック教会は、1935年(昭和10年)に英国人ワード神父によって設立されたカトリック教会です。
設計は、米国建築学会賞を受賞したアントニン・レーモンドが担当し、軽井沢での歴史的建造物でもあります。
何しろ人気の教会で堀辰雄や川端康成も作品に登場させます。
有名人では吉田拓郎さんや西郷輝彦さんと辺見マリさん、林正和さんと森山加代子さんらがここで永久の愛を誓ったそうです。
実際の教会は思ったよりもこじんまりしていて華美な雰囲気は皆無です。
むしろ素朴さと安らいだ雰囲気をただよわせています。- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2013年11月22日
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
ネオゴシック様式の新市庁舎とここの塔の仕掛け時計のグロッケンシュピールは、一度は見ていきたい名所だそうです。
毎日11:00、12:00(3~10月は17:00も)から約10分間、華麗なダンスや演奏で楽しませてくれますし、21:00にはミュンヘン小僧Munchner Kindlがおやすみのあいさつに現れるそうです
このグロッケンシュピールは、1568年に行われたバイエルン大公ヴィルヘルム5世とロートリンゲン(ロレーヌ)公女レナーテとの結婚式を再現したものだそうです。
馬上槍試合や、ール樽を作る職人たちがくるくると踊りだすが、この動いている32体の人形は、等身大だそうです。
なかなかカワイイ動きで観衆も大喜びでした!- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
マカルト小橋で旧市街へ渡ると、モーツァルトの生家のあるこの通りはすぐ近くです。
有名なモーツワルト生家は現在はモーツァルト記念館として残されているものです。
1769年、時の大司教は、13歳のモーツァルトを宮廷楽団のコンサートマスターに任命しているそうですから、その神童ぶりがわかります。
ここには愛用のピアノやヴァイオリンなどの楽器、自筆の楽譜のほか、父レオポルト、母アンナ、姉ナンネルをはじめとするモーツァルト一家の肖像画などが展示されています。
大司教の町であったザルツブルクは、ウィーンのような有力貴族を欠いており、音楽をたしなむ階級が圧倒的に不足していたためモーツァルトはここに見切りを付けました。
彼がザルツブルクでの宮廷作曲家の職を辞し、新天地に職を求めて旅立ったのはモーツァルト21歳のときでした。
偉大な彼とその音楽ですが、彼の音楽は現代の癒しとして、さらにその地位を高めつつあります。
乳牛や鶏、あるいは野菜などにモーツアルトを聞かせると収穫があがるという俗説、都市伝説もありますが、それほど彼の音楽は他者の曲とは違う何かがあるそうです。
最近の医学でもモーツアルトの曲は幅広く利用されています。
例えばガンや感染症にはバイオリン協奏曲第四番二長調、認知症にはセレナード第13番ト長調、高血圧にはピアノソナタ第15番ハ長調などが用いられるそうです。
これは日本の臨床医が実際に使用しているそうですから、彼の曲の魔力は相当なものです。
これらの曲の実際の効果の高さとそのメカニズム解析は今後の研究対象でもありますが、そういった効果が唱えられること自体、彼の曲の独自性が際立っていることの証しなのでしょう。
- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.0
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
ザルツブルグの見どころは旧市街に多くあります。
旧市街ではレジデンツという大司教の住居やその東には2つの塔を持つドーム(大聖堂)があり、レジデンツ広場、さらにモーツァルト広場が広がっています。
大聖堂の南側には、大きなサンクト・ペーター寺院、その西隣には音楽祭に使われる祝祭大劇場、モーツァルトのための劇場(旧祝祭小劇場)などがあります。
南の高台にはホーエンザルツブルク城がありますが、この城は要塞として1077年に造られ、その後大きく拡張されました。
兵舎又は牢獄として利用されましたが、外敵に占領された事がなく、ヨーロッパ中世のものとしては完璧に保存された貴重な城です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
ミラベル庭園は1606年、大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人ザロメ・アルトのために建てたとされるのがミラベル宮殿です。
現在はザルツブルク市長公邸として用いられているそうです。
ミラベル宮殿には、ミラベル庭園があり、その庭園には、ギリシア神話の神々の彫刻がならんでいます。
そしてペガサスの噴水のまわりは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』でジュリー・アンドリュース演じるマリア先生が子どもたちと一緒に「ドレミの歌」を歌い、踊ったところだそうです。
世界的に有名ではありますが市民の憩いの場所としても親しまれているようでしたーーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:3.5
ヴァッハウ渓谷 (Wachau) は、オーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる景勝地で、南北の山脈に抱かれた36キロに及ぶ渓谷一帯が「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されています。
渓谷の両岸には古城や修道院が点在し、観光クルーズとして人気もあります。
メルクとクレムスの間の約35kmの両岸にはぶどう畑が広がり、河岸に建つ修道院や古城、そして中世からの町々が織り成す景観が世界文化遺産に登録されています
渓谷ではありますが、日本の普通の河川に比べれば緩やかな感じ。
ドイツに源を発し約2,860kmを流れ黒海へと注ぐドナウ川ですが、その一部であるオーストリアのヴァッハウ渓谷はドナウ川の要衝でした。
そして長い間キリスト教布教や十字軍遠征の道として発展しました。
ですから川のほとりには多くの村や町が点在しています。
また、ところどころにレストランやカフェがあります。
そしてサイクリングロードが完備されています。
世界遺産のヴァッハウをサイクリングするーーとても優雅で健康にも良さそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
メルク修道院は、オーストリアにあるベネディクト会派の修道院であり、世界的に有名な修道場です。
この修道院はドナウ川を見下ろす岩肌に建ち、ヴァッハウ渓谷に隣接しています。
巨大な建物です。
それもそのはずーーー、というのは、このメルク修道院は、高さ約65mの尖塔を持つ東西320mのバロック建築で、「横にのびた摩天楼」の別称もあるそうです。
ここの図書室は約10万冊の蔵書を誇り、大広間の「大理石の間」はまるで宮殿のようだそうです。
それはフランスへ輿入れするマリー・アントワネットが一夜を過ごすために装飾されたのか、豪華だったので彼女をお泊めすることができたのかーー。
この修道院の内部は豪華絢爛ですが、その美しさに感動したのか、ベストセラーとなった小説『薔薇の名前』の中で、作者のウンベルト・エーコは修道院とその著名な図書館への賛辞として、主人公の一人に「アドソ・フォン・メルク」と名付けているわけですね!
現在は男女900名の生徒がここで学んでいるそうです。
素晴らしすぎる教育環境ですね!
この修道院、時間があれば内部の多くの部分を見学できます。
図書室や大理石の間、第一室~十一室と続く美しい部屋や壁画、天井画、調度が楽しめるそうですーーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:5.0
この美術館は1891年に開館し、現在は組織上ウィーン大学の一部局に属します。
ラファエロ、デューラーの多くの作品を有し、特に、フェルメール(絵画芸術)、ベラスケス(青いドレスのマルガリータ王女)、ブリューゲル(バベルの塔、雪の中の狩人、農家の婚礼、)などの有名絵画が多数陳列される美術館です。
ここは、オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプスブルク家の領土を中心に生み出された400年間に亘る美術コレクションを中心とする美術館です。
その素晴らしさからヨーロッパ三大美術館に挙げられています。
残りの二つはもちろんルーブル美術館、そしてプラド美術館です。
この美術館の収蔵品は7000にも及びます。
その大半はハプスブルグ家のルドルフ2世皇帝個人の収集であり、他に同家の人々の収蔵品と合わせて展示されています。
物凄い権力、財力だったに違いありませんーー。
なぜ美術史美術館というのかというと時代ごと、テーマごとに展示されているためだそうです。
もちろんルドルフ2世の好みが色濃く出ています。
天井も素晴らしく豪華かつ美しいものです。
この隆盛を誇ったハプスブルク家もついには第一次世界大戦後に解体されます。
ハプスブルク家の最後の皇帝カール1世が亡命し、中欧に650年間君臨したハプスブルク帝国は1918年に消滅してしまうわけですが、この間の最盛期にはオーストリア、ハンガリーなどはもちろん、スペインやイタリアの大半などが支配下にあったわけですから、まさに欧州歴史上で最有力、最有名な一族であったことは間違いありません。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
ウイーン最大の繁華街はケルントナー通りです。
混雑した繁華街、商店がたくさんあります。
この通りはカールスプラッツからウィーン国立歌劇場の横を通ってシュテファン大聖堂に至り、地下には地下鉄U1線が通っています。
北半分は歩行者天国となっており、カフェやさまざまな店が立ち並ぶウィーン随一の目抜き通りの一つとなっています
ここのベンチに座っているとどこにいるのか分からなくなるほど国際色豊かな繁華街です。
おそらく歩行者の半分以上は外国の旅行者でしょうーー。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.5
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.0
シュテファン寺院はゴシック様式の大聖堂でシュテファン大聖堂とも呼ばれます。
この聖堂を含むリンク(Ring)と呼ばれるウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。
そして、ここはハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても有名です。
オーストリア公ルドルフ4世の命によって建造されたこの聖堂は、1359年に65年がかりで南塔が完成。107メートルの高さを持ち、教会の塔としてはウルム大聖堂(161メートル)、ケルン大聖堂(157メートル)についで世界で3番目の高さがあるとのことです。
外観はゴシック様式で、内部の祭壇はバロック様式という混合様式で、12世紀から建造が始まったこの聖堂で最古のものは13世紀の後期ロマネスク正面入口の門だそうです。
その内部は、いやはや大変な財力と技術力、芸術的センスの結晶です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.5
シェーンブルン宮殿はオーストリアの首都ウィーンにある宮殿で、ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用しました。
現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されています。
建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場があります。
内部はただただ豪華絢爛です。
ベルサイユ宮殿もはだしで?逃げ出す素晴らしさーー。
なにしろ部屋数は1400以上ーーー。
そしてモーツアルトも登場する絵やら中国風の部屋その他素晴らしい内部です!
シェーンブルン宮殿は観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されており、住民がいます!!
これは1960年代にウィーンの住宅問題を解決するために考え出されたものですが、現在では居住に不便な部分も多数あり、ウイーン市民にとっての住宅物件としての人気は低いそうです。
もちろん、官舎であるため、公務員でないと入居できないそうです。
庭園は縦横に広大に広がります。
なお、この宮殿には動物園も併設されています。
その起源は16世紀後半のことですが18世紀半ばには正式に動物園として開園したそうです。
この宮殿はオーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人にもなるそうです。- 旅行時期
- 2013年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2013年11月21日
総合評価:4.5
ウィーンWien(ヴィーン)は英語ではVienna(ヴィエナ)ですが、いうまでもなくオーストリアの首都で、人口は175万余を数えます。
ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ (Vindobona) が起源だったそうですが、かつてヨーロッパの数カ国を支配したハプスブルク家のオーストリア帝国の首都でした。
マリア・テレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ1世の治下で整備されました。
ウィーンは、そもそもの成り立ちが2つの道が交差するところに生まれた町として繁栄しました。
即ちドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る街道と、バルト海とイタリアを結ぶ南北の道、いわゆる琥珀街道の二つの交差点です。
そこはゲルマン系、スラヴ系、マジャール系、ラテン系のそれぞれの居住域の接点にもあたり、歴史的にみても、ローマ帝国の北の拠点が建設されたのが起源でした。
オスマン帝国の隆盛時にはヨーロッパからみてアジアへの入り口にもあたっており、伝統的にも多彩な民族性を集約する都市として栄えてきました。
まー、そう言えば聞こえはいいのですが多くの兵士、そして一般市民が戦禍で犠牲になっただろうことが想像されます。
歴史の爪痕は今はほぼ目立たなくなり、美しい歴史的建造物や居心地の良い雰囲気にあふれます。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
このオペラ座は約150年前に建設されたそうです。
ですから欧州としてはそれほど古くはありません。
ここでは毎日演目を変えて上演されており、50のオペラとバレエが約300日間にわたって上演され、公演日数は世界でもっとも多い劇場です。
1869年5月25日に完成。客席数2324、面積8709平方メートルの大劇場ですが、建物は建設途上からギリシャ風、ゴシック風、ルネッサンス風とどれもこれもとりいれたありふれたリバイバル建築などと酷評されたそうです。
さら建物入口のアーチが盛り土によって車道より1メートル低くなったため「皇帝は新劇場を『沈んだ箱』と評した」という噂もたち、これら酷評に1867年に設計者の一人は自殺し、もう一人も非業の死を遂げたそうです。
これ、現在ではパワハラというのでしょうか?
いずれにろ良かれ悪しかれ話題の中心的劇場です!- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境 その他の都市
総合評価:4.0
この大修道院は町に隣接する小高い丘(282m)の上にあり、トゥールの聖マルティヌスはこの丘の麓で生まれたと信じられているそうです。
確かに周囲の田園を見下ろす絶好の丘の上にあります。
歴史をたどると、996年にハンガリー初のベネディクト会修道院として、ゲーザ大公(Geza)によって創設されました。
既に1000年以上の歴史を持つわけで、日本では平安時代中期にあたるでしょうか。
修道院は1541年に大修道院となり、16世紀から17世紀にかけてのオスマン帝国のヨーロッパ侵攻にあわせて、要塞に転用されたそうです。
オスマントルコの支配の終焉でようやく損傷した建造物群の再建が行われ始め、バロック様式での建設が進められたそうです。
です。
最初は1000年以上の歴史と聞いていたのでさぞ古びた修道院かと思いましたが、オスマントルコ支配以後に再建されたため古さよりも美しさを感じます。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
ここはハプスブルグ家の有名なお妃であるエリザベートさんのお気に入りのお店だったそうです。
エリザベートは皇位とは無縁の貴族の娘でしたが母方のいとこであるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフがひと目ぼれし、求婚されたそうです。
彼女は172cmで50kg、これは現在でもモデル、あるいはグラドルとして完璧なスタイルのうえに稀に見る美貌でしたから、このプロポーズもむべなるかな。
おてんばと言われたシシ―(彼女の愛称)も仕方なく16歳で皇后となったわけです。
しかし、そのスタイルの良い彼女が頻繁にかよったこのカフェ。
ケーキは美味しいのですが、甘さや量は半端ではありません。
彼女が食したものを再現したチョコレートケーキを頂きましたが、甘い!!
これで体型を維持したシシーに感動します!
店内は本当に落ち着いたカフェですからお立ち寄りをおススメします。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
マーチャーシュ聖堂は、ハンガリーの首都ブダペスト、ブダ城地区の中心にある教会です。
正式名称は聖母マリア聖堂というそうですが、教会の伝承によると、元々は1015年に建造されたそうです。
今日ある建造物は、14世紀後半に華麗な後期ゴシック様式で建造されたものであり、19世紀後半に広範囲にわたって修復されました。
ハプスブルク家最後の皇帝カール1世を含め、ほぼ歴代のハンガリー国王の戴冠式がここで行なわれただけでなく、マーチャーシュ1世の2度の結婚式もこの聖堂で行われました。
やがてオスマン帝国はブタを占領し、以降聖堂はブダの主要なモスクとなったそうですが、聖堂はモスクにされただけでなく、更に追い打ちをかけるように、内部の壁に描かれていた豪華なフレスコ画は白く塗りつぶされ、残っていた備品は持ち去られてしまったそうです。
やっと19世紀になり修復が行われました。
なお、現在はこの教会は素晴らしいコンサートホールとしても活用されているそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2013年11月20日
総合評価:4.0
ブダ地区の丘にある要塞「漁夫の砦」は世界遺産に登録されている「ドナウ河岸、ブダ城地区、アンドラーシ通りを含むブダペスト」の一部です。
ドナウ河の漁師がこのあたりを守っていたこと、このあたりに魚市場があったから名付けられたとのことです。
1896年、建国1000年を記念して建造された回廊展望台で、中世の城壁の上に建造されています。
もっとも砦として使われたことはなく、内部にはレストラン、ワインセラー、バーなどがあります。
夜になると美しいブダペストの夜景を楽しめるブダペストの名所中の名所です。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2013年11月20日
ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り ブダペスト
総合評価:4.5
ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで、ドナウ川河岸を含め世界遺産が広がりブダ城やアンドラーシ通り、英雄広場は良く知られています。
もちろん、これはお題目で路地裏含め美しくないところもありますが、全体的な印象は美しいプラハともブラチスラバとも違う印象の素晴らしい古都でしたーーー。
ブダペストが「ブダペスト」として一つの市でドナウ川の両岸を占めるようになったのは1873年11月17日に西岸のブダとオーブダ、東岸のペストが合併してからで、それまでは別の都市でした。
人口は174万人とピークであった1989年の210万人より減少していますが、これはブダペスト周辺部の郊外化によるもので、ブダペスト都市圏(通勤圏)の人口は330万人です。
もともとはケルト人の集落であったそうですが、その後マジャール人が居住し、さらにモンゴル帝国に蹂躙され、さらにオスマン帝国による150年間の支配が続きましたが、18世紀、19世紀に新しい時代に入ると町は発展し繁栄しました。
また、1848年から1918年の第一次世界大戦勃発まで列強に含まれたオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに続く第二の首都でしたが、1920年のトリアノン条約によりハンガリーは国土の72%を失い、ハンガリーの文化や経済をブダペストがすべてを背負うようになったそうです。
ブダペストの観光客数は年間270万人に上り、ロンドンにある民間調査機関によればブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地だそうです。- 旅行時期
- 2013年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1日
- アクセス:
- 3.5