陸軍大刀洗飛行場に物資を運ぶために作られました。
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- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
朝倉・甘木・小郡 クチコミ:5件
大正時代に日本陸軍の飛行場が沿線の太刀洗町に作られました。そして戦争へと時代は進んで行く中で航空兵の教育の場としても利用されることとなります。その大刀洗飛行場への物資輸送を目的として昭和14(1939)年に国鉄甘木線が開通しました。
戦況の悪化とともに航空特攻に向かう搭乗員の訓練も行われるようになり、日本全国から多くの若者が大空を夢見てこの太刀洗の地を訪れ、そして飛び立っていきました。飛行場の賑わいとともに甘木線もフル活動をすることとなりますが、大戦末期の太刀洗空襲により軍都であった街は壊滅状態となり、甘木線も運行に支障を来すほどの被害を受けました。そして敗戦を迎え軍都太刀洗は農地と化し、飛行場東端に作られたビール工場のみが目立つといった過去の栄光などなかったような景色が広がっていました。そんな中国鉄甘木線は第一次廃止対象路線に上がることとなり、昭和61(1986)年3月31日をもって廃止され、その後第三セクター甘木鉄道が運行を継承します。その事業継承にも慎重論が強かったようで、都道府県レベルではほとんど関与がなかった路線であったことはあまり知られていません。沿線の市町村や企業が中心となり、幹線とのアクセスを改善し運行本数を増やすなどの努力によって、他の三セク路線とは異なり経常黒字を出していた〝三セク優等線〟としてしられていました。平成18(2006)年の大雨の被害によって運休を余儀なくされたことと、それによる乗客数の減少もありここ10年程は赤字運営が続いているようです。
甘木鉄道沿線を走るとよくわかるのですが道路整備も整っており、また鉄道線もそれほど離れてはいないところに西鉄甘木線が走っているなど、決して楽に稼げるエリアを走っていないことがわかります。使える駅舎は修理して使い、またあるものは資料館やその他〝人を呼ぶ〟ものに変えられるなど、関係者すべてが一丸となって取り組んでいることがわかります。
大刀洗駅舎を改築したレトロ館を含め、利用されないから朽ちていく悪循環は見られず、むしろ年々興味をを引くようなものになって行くようにも感じます。確かに私のように交通の便の悪いところから行くには車が必要ですが、逆に大宰府など観光地を回るには鉄道線を利用した方が便利かつ安上がりだと思います。今回は都合により一駅間しか乗れませんでしたが、そのうち全線乗車をした見たいと思います。
- 施設の満足度
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5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 易くはなくとも許容範囲です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 4.0
- ワンステップあります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 基山・小郡駅で乗り換えできます。
- 車窓:
- 5.0
- 新興地を走ります。
クチコミ投稿日:2018/05/07
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