コタ(Kota)1号さんへのコメント一覧(20ページ)全1,332件
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あけましておめでとうございます。
コタ(Kota)1号さん
日記のフォロー、ありがとうございます。
海外、国内どちらも興味深く旅行記を拝見しております。
西成地区、面白いですね。
でも女性一人歩きは危ないかな。
一度は訪れてみたいと思いました。 -
飛田で写真撮ってる!?
こんにちは。
まずはじめに飛田で写真を撮っておられるのに
驚きました。
あそこは写真撮影厳禁ではなかったですか?
通りくらいなら構わないのでしょうかね。
あの辺もすっかり変わって、そこそこ健全です
ね。昔はビニ本屋とか、そんなもんばっかりだ
ったのに、今や串カツ屋だらけですね。若いこ
ろ、新世界で写真を撮ったら「ニイちゃん、今
ワシ撮ったやろ、500円置いていきーや」など
と顔を真っ赤にした酔っ払いに詰め寄られ、も
めていると、どやどやと数人が集まり出し、
「カネはらわんかい!」と怒鳴られ、恐ろしい
思いをしたものです。
最初に就職した会社が新今宮駅のガード下にあ
りまして、夜に残業していたら、顔がボコボコ
になった男が入って来て、「今そこで襲われま
して・・・」などと言っていたり、歩いている
浮浪者の親父をよく見ると耳からダラダラ血が
流れているので「おっちゃん、血出てるで」と
言ってやると、「鉄パイプで殴られたんや」と
言いだしたり、とにかく怖いとこでした。
今はだいぶんましになったようですね。
ちなみに岸和田はそんなにヤバい奴はいません
よ・・・と岸和田出身者なので言っておきます。
では。RE: 飛田で写真撮ってる!?
こんにちは。
飛田ですが、以前はやり手ババアに怒られた経験がございます。今回は、コロナ禍のせいか、時間のせいか殆どが閉まっていたので、問題ありませんでした。
でも、ああいうところに外国人達、旅行者が迷い込んだらどういうリアクションになるのでしょうね...絶対に携帯で写真を撮り始めると思うのですが...これだけ外国人が増えたら...どのような顛末になるのか、興味があります。
血だらけ、ボコボコの話、おもろいです。今や笑い話になりますが、なんか想像がつきます。当時は、いや昭和以前はそういう話がそこいら中にありましたね。日本人が本当に元気な時代でした。まあ、今と比較するには、無茶苦茶過ぎましたね。
岸和田は...すいません...無知で。でも私の周りの岸和田出身者は本当に荒くれ者が多いんです...苦笑)
でも、あれですね...大阪関係の写真を載せると、いろいろとコメントや物言いがつくだろうなぁ〜と予想していましたが...
本当に「大阪」って最高に面白いです。ああ、人生一度は、大阪に長期間住んでみたい...
では、コメントありがとうございました!
コタ@2023年01月08日19時08分 返信する -
明けましておめでとうございます😄
大阪、1枚1枚説明までしっかり読ませていただきました。
飛田百番の写真がなかったので少し以外でした(日本に残る唯一のオリジナル廓作り)。
飛田は周辺をぐるりとかつて女郎が逃げられないように盆地に形作られたのがそのまま残っています。飛田商店街は時計屋さんと質屋さんが多くかつては一大歓楽地だったことが連想されます。
天神橋商店街は大阪天満宮から天神橋六丁目駅までの間は人通りもありますがそこから南は寂れてしまったようですね。
尚、天六駅から乗られた車両(地下鉄車両ではなく電車)は堺筋線に相互乗り入れしてる阪急千里線ですね。実際の地下鉄車両は古い銀色の車両です。RE: 明けましておめでとうございます😄
明けましておめでとうございます。
飛田新地や車両の件、情報ありがとうございました。
勉強になりました。
なお「百番」の方は、過去覗いた事がありましたので
今回は足を延ばしませんでした。
https://4travel.jp/travelogue/11314968
メッセージありがとうございました。
コタ@
2023年01月08日18時55分 返信する -
昔をたどる旅
コタさん、こんにちは
冒頭の「組織や仕事に縛られ、≪中略≫ 自分だけを大切にできる...」
これ、なんかしんみりしてしまいましたよ
私はまだ働かなきゃならない身ですが、それもあと1年半余り
その後のことはまだ考えていませんが、コタさんのような身の振り方に憧れますね
もちろん、自分の決断次第なんですが・・・
幼少期を過ごした土地をもう一度辿ってみる
これ、私もやりました
私の父が転勤族だったため、小学校も中学校も、入学と卒業が違う学校でした
コタさんは福岡から横浜ですか
私は伊豆の下田から横浜でした、、、このギャップは大きかったですねぇ
下田も横浜も、かつて暮らした場所を訪れてみましたが、どちらもずいぶん変わっていて、特に下田は激変していて往時の面影は微塵もありませんでした
淋しさもありましたが、自分の中で一つ区切りがついたような気分になりました
コタさんはいかがだったでしょう?
---------琉球熱--------
RE: 昔をたどる旅
琉球熱 様
日本で、流石に働かないでぼんやりしていると、罪悪感を感じてしまうかもしれませんね。私は人生の半分以上を日本の外で過ごして来たので、標準の日本人とは考え方も異なり、ある意味「おかしな奴」かもですね...会社では貴重性があって、重宝されたんですがね...苦笑)
まあ、人の価値は人それぞれ。...最後に、ああ、良い人生だった...とちょっとでも思えたら良しとしましょう。自分が過去に過ごした土地をもう一度辿ってみる旅...そんな事を50年も経ってからしようと思ったのも、仕事に追い捲られる事もなく、自分の時間がたくさん持てる様になったから...でしょう。
心に余裕があると、今まで考えた事もなかった事が、次々に頭に浮かんで来ます。それを実行する/実現する体力も気力もまだ残っているので、すぐに動けます。
過去の土地を歩いて、匂いを嗅いで、大昔を感じる事ができ...確かに『自分の区切り(←的確で良い言葉ですね...)』をつける事ができました。
そのうち体力も気力も興味もお金も尽きてしまう日が来るのでしょうが、今はまだ第二の人生を始めたばかり。しばらくは何も規制する事、される事なく、好きな様にマイペースで自由に勝手気ままにやっていこうかと思います〜〜
では、では。
メッセージありがとうございました〜
コタ1号@バンコク2022年12月21日21時53分 返信する -
昔、僕もバンコクの想い出
アジア諸国に勤務しているころ、何度もバンコクやチェンマイ方面に行きましたが、色々と変化しているでしょうね。オリエンタルホテルの朝食を河辺レストランでとったことも・・。
バンコクには、タノム政権終わりに総理府青年の船で入港しました。サンヤ新政権の最初の公式パーティが僕等の受け入れでした。それまで戒厳令で出港できず、数日間船の中に缶詰め状態でした。RE: 昔、僕もバンコクの想い出
こんにちわ。
タ...タノム政権って!?とんでもなく古い話でございますね...その時代から東南アジアを知っている方も、今やそう多くなくなってきているのではないでしょうか....
私もついこの前、インドネシアに赴任したと思っていたら...もう30年経ってました...若くて、初めての赴任地の印象は余りにも強烈で(特に当時は混沌としたアジアだったからか)、その次以降に駐在したどの国よりも印象に残っている為、未だ昨日の事の様に(もう既に何年も前に亡くなった諸先輩たちと交わした言葉すら)思い出せる事が多いです。
私の感覚では、タイの人は恐らく昔と根本は変わっていないのでは無いのかと感じるのですが(勿論、世代ギャップの部分は大きいかも)、インフラ面でものすごく住み易くなっています。
私は、直前までブラジルのサンパウロにいたのですが、そこも人が本当に優しく、人種差別もほとんど感じる事なく、日本人にはとっても住みやすい土地だった為、
当時、そこに住む駐在員達(在ブラジル・元タイ駐在員)の間で、どちらが住み易いか?ベターなのか?という話題に良くなっていましたが、やはり総合点では、タイのバンコクがベターいやベストだ!という結論にいつもなっておりました。
私もこちらに来て、見て、改めてそー思います。
海外旅行気分を味わいながら、しかも今時は、どこででも日本のTV観ながら、日本の食材を買い揃え、日本料理屋で飯を食らう...そのまま現地の安価で贅沢なハードの利点を受けながら、日本のソフトも享受できる...こんな素晴らしい事(特に年寄りに)は、なかなか(昔は)体験できなかったのでは無いかと思います。
まあ、これまで個人的に見て、足跡を残して来た国は沢山あるのですが、伸びる国はどんどん伸びるし、伸びない国は何をしても、何年経っても全く変わらないのだと思います。
ここタイは明らかに前者としての歩みを進めて行く様な気は致します...なんの確信も無いですが(知らんけどってやつです)。
では、では。
コタ1号@BKK
2022年12月09日17時54分 返信する -
1000冊
コタ1号さん
ご無沙汰しております。
1000冊到達、おめでとうございます。
ワシも2009年にここを発見して13年が経ちます。
旅日記は読むのも書くのも楽しくていつに間にか時間が過ぎました。
やっぱりその間にリタイアしました。
(旅人としてはまだ現役ですが)
ときどき自分の旅日記を自分で読み返してます。
いい備忘録になってます。
コタさんの南米情報に興味を持ちつつも、とうとうユーラシアから出ませんでした。
どうも南米やアフリカにたどり着く前に寿命が来そうな気配です。
ともあれ30年間、お疲れ様でした!
ゆっくり1000冊を読み返すのもいいかもしれません。
何より、無事に生きてきた軌跡ですから。自分におめでとう。
このあとセミリタイア、タイ移住…
イベントが続くんですね。
ワシには出来そうにない海外移住ですが、興味深く拝見します。RE: 1000冊
鯨の味噌汁様
ご無沙汰しております。
私は鯨様の旅行記のファンで、毎回、毎回腹を抱えて笑わせて頂いているのですが、その鯨様の日記も出ては消え、出ては消え、最近は久しくお目に掛かる事ができていない気が致します 笑)。ただ、頻繁でなくても、時々、登場する旅行記に腹を抱えて笑わせて頂いております。
ところで、私も単身赴任駐在の傍、暇な時間を埋める為に、何気なく始めたこの4Tも、既に10年も続いてしまいました。気が付いたら、自分の旅行記・足跡・備忘録・写真集・思い出etcetcとして良い記念、良い記録として残せたと思います。
そして鯨様の様に、私もこの30年に及ぶ海外駐在を終えて、サラリーマン生活を今年引退させて頂きました。
実は、この先、次の国の内示も出ていたのですが、「もう勘弁してくれ!俺をこれ以上こき使って働かせるな〜!」という心の声に素直に従った結果、会社におさらばして、あとは自分にご褒美のみ、という気持ちでバンコクにさっさとやってきました。
一応(一応ですよ)、女房にも「行く?」っと聞いて見たのですが、「もう海外行きたくない!日本最高」といいわれ、振られてしまいました。まあ、これまで11年間も地球の裏側に単身赴任して参りましたので、今更、それでも宜しいのではないかと(...ちょっとホッと...しながら)
ところで、私が務めていた会社法人は長期海外駐在者が非常に多かったのですが、総じて皆さん短命なんです。特に、東南アジアに長くいた諸先輩達は、かなり確率高く「70歳前後」で亡くなっているんです。やはり若い頃からの無理、ストレス、酒、タバコ等の負担・消耗で、日本にいる時よりも命を削っているのだと思います。
さすると...個人的には「ええええ〜!?もう時間ないじゃん〜!!十年も残っていないのか!?」という状況で、人生100年...なんて呑気な、悠長な事を言っている場合ではないという事に気づき焦っています。
私は、大学を卒業して、すぐに海外に出るという道を選び、人生の半分を既に海外で過ごしてしまいましたので(日本の企業に務めるリーマンとしては稀有な体験を沢山してきましたし慣れてしまいましたので)、今更日本へ戻って落ち着いてしまうと、逆に、あっという間に老け、衰え、死期が、もっとますます早まってしまう気がします...ゾゾゾ...
そういう意味で、イベント(海外滞在)を止めれれないんですよぉ...なので、もう少し衰える、動けなくなるまで、海外で、少しは(これまで過ごしてきた国より)条件がいい(日本から近い、まだまだなんでも安い、暖かい、ちゃらんぽらん、飯がうまい、日本飯も山ほど、病院もしっかりしている他)東南アジアに沈没しながら、生命力と財産が尽きるまで、もう少し生き永らえたいと思います。
ともあれ、本当に、温かいメッセージありがとうございました。うるうる...
では、今後も鯨様のウィットの効いた、思わず肩で笑ってしまう旅行記・日記お待ちしております。
これからも末長く宜しくお願い申し上げます!
コタ1号@サンパウロ改め、バンコクに沈没ちう。2022年12月09日17時22分 返信する -
モンキー
何時楽しくブログ拝見しています
タイでも人気ですよね
日本のカスタムメーカーで
タイのカーショウの
記事良くみます
モンキー自分も好きで
古いの所有しています
もし購入したら
ツーリング編ブログで
UPして下さい
楽しみしています。
RE: モンキー
こんにちは。
ちょっとシラチャーやらパタヤを旅行中なんです。
今日本ではかなりレアになってしまった「モンキー」
...マジに欲しいですね。
また、そのうちブログにでも書き込みたいと思います。
コメントありがとうございました。
こた@
2022年12月05日10時02分 返信する -
年代によって懐かしむ対象も違うのですね
コタ(Kota)1号さん、こんにちは
私も似た様なバックパッカー懐かしのバンコクという旅行記を書いたところでした。コタ(Kota)1号さんが訪れた33年前はジュライホテルが思い出の対象で、私の約20年前はカオサンロードが思い出の対象で、年代によって懐かしむ対象も違うのですね。先輩バックパッカーからジュライホテルの名前は聞いた事あったのですが、実際には行った事はなかったので(95年にクローズなら泊まる機会はないですし)、初めて見ました。当時の話も面白かったです。いつか私もバンコクに住んでみたいです。
RE: 年代によって懐かしむ対象も違うのですね
こんにちわ。
まだ、お元気なスタイルの旅行をされているようで、羨ましいです。
ところで...私の若い頃は、一時期バンコクのヤワラーに宿泊していたのですが、あの退廃的で、もうこれ以上(俺の人生は人生は)前へは進まないぞ...みたいな雰囲気に辟易し、カオサンに逃げ出した口です。
まだ若くて希望に満ちた若者にとっては、「ジュライ(周辺)」のレベルは極度に高すぎ(いや、低すぎ)、強烈な環境でございました。怪しい日本人ばかりでした。
当時は、明らかに、「カオサンの方が」ある意味、若者には刺激的で別世界・非日常を楽しめる環境だったと思います。
先日、カオサンに何十年ぶりに行って参りましたが、(まあ、コロナの影響がまだ続いているので)旅行者も少なく、さして面白いものを見つける事ができませんでした...
まあ、私も既に衰えましたので、年相応、(住んでいたら)また何か新しいもの、楽しいものを発見できるのではないか、とも思いますので...気長に、現状が(コロナ禍が完璧に)過ぎ去るまで、まあ、焦らず、慌てず、の〜んびりと過ごしたいと思っております。
メッセージありがとうございました!
コタ@2022年11月19日08時23分 返信する -
サウダージ
コタ1号さん
おはようございます。
日本ではこのところ穏やかで暖かい日が続いています。
そちらでののんびり生活にもすっかり慣れたご様子ですね。
「あゝ、ファランポーン駅」での30年前を辿っての述懐、
今だからこその想いが沢山詰まっていて、
これこその「サウダージ」ですね!
この言葉は、ポルトガルでファドを聞いた時に知りました。
長く憧れておられたタイ。
その想いに反して、赴任先はどんどん遠くなっていって、、、
なんとブラジル。
でも憧れだった国を遠くから想い続けて、
おっしゃるように成熟された今、そこに滞在されることになったのは
神さまのおはからい?
のめることなく存分に楽しんでくださいね、とのメッセージ?
そんな人生も素敵です。
mistral
RE: サウダージ
mistral様
本当に何もかもが「サウダージ」です。
今考えると、(自分なりに)中身の濃い
生活/日常を過ごして来た気がしますので、
...光陰矢の如し...あっという間の30年でした。
まあ、”歳を取る”とはこういう事なんですね。
最近は、周りで、70歳まで到達する事なく
先立つ友人やら・知り合いが増えて来た事も
気になります。
後は、ただただ神様のお計らいの下、心静かに、
穏やかに残り人生を過ごして過ごそうと思い
ます。
コタ@
2022年11月14日09時24分 返信する -
フアランポーン駅は大好き
こんにちわ!コタ(Kota)1号さん !
おとといはフアランポーン駅前の、常宿のシークルンホテルに泊まってました
コレが駅の最後~って言いながら、数年経っても夜行列車がまだ出ているではありませんか? 毎回、タイに来るたびに、写真の半分は列車の写真が占める鉄子のダリルですが、今回はサミティベート病院でシミ取りしてからの列車予約になりました。残念ながら寝台車をゲットできず、夜行バスで、きのうチェンマイに着きました
数年前、ファランポーン駅前に泊まったという旅行記をアップしたら、タイ在住の駐在さんや、昔のバックパッカーさんから、メールが殺到してキョトン? 「だいじょうぶでしたか?」と、皆さんにご心配をおかけしたようです
昔は麻薬地帯だったとか? そんなのをマッタク知らずに、駅前じゃー~って喜んで行きました! 台湾出身の友人が4トラ仲間になり、彼女の紹介でいっしょに泊まったので、ダークな歴史なんてぜんぜん知らなかったです
ピカピカの地下鉄は3年前は終点だったのに、今ではヤワラートまで伸び、中華街へ行くのもとても便利になりましたよ~
チェンマイのマッサージ学校に留学に来たダリル
RE: フアランポーン駅は大好き
こんにちわ、ダリル様
シミ取りとマッサージ学校ですかぁ...
私もシミが酷くなって来て汚らしいおじさんになって来た(南国で日焼け止めもつけずゴルフばかりやっていた)ので、シミ取りでも行ってみようかなぁぁ...
ところで其の昔は、ファランポーン近辺(中華街全体)が、薬をやっている人(旅行者含む)の吹き溜まりになっていて、怖い場所だった時代がありました...行くのが怖い、本当に不気味な街の時代があったんです。
では、では。
滞在、楽しんでくだされ!
コタ@2022年11月14日09時15分 返信する



