2022/10/31 - 2022/10/31
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コタ(Kota)1号さん
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2022年8月17日にタイに行き2ヶ月、すべての移住の手続きが終了し、ちょっと福岡で用事ができたので、一時帰国する事にした。
福岡での所用が済み、家族は先に横浜に帰し、私は少し時間を掛けて歩く事に。
今はもう昨年までの様に、組織や仕事に縛られ、時間に縛られ、人間関係に縛られるといったややこしい事も無く、心から楽しいと思える事だけに、時間と金を使える身。
好きな時に寝て、好きな時に起きる、十分な睡眠時間を取る、行きたい場所に行く、会いたい人に会う、食べたいものを食べる、欲しいものだけを買う、適度に運動ができ、自分だけを大切にできる...
こんな気持ちになれるのは果たして、いつぶりであろうか...もう記憶にない...
かつてモラトリアムだった学生時代、そんな時に時間に任せて、世界中を自由にウロウロしていたバックパッカーに再び戻ってきた様な気持ち...歳は取ってしまったけれども...
...あゝ、なんか、最高だわ...
※多くの諸先輩たちは、そんな生活、数年で飽きるよ...と語るが...
注)
なお以下の文章やら写真やらは、自分自身の微かな50数年前の記憶に基づき、西区を歩き回った個人的な備忘録となりにけり...
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 私鉄 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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【福岡ノスタルジー】
今から50年以上も前の小学校低学年の時分、実は私は数年間、この福岡の西区で生活していた。
写真:ほぇ~、今や要所要所は、地下鉄でぜーんぶ繋がっているんだぁぁ...昔はバスのみだったのに...ソラリアステージ ショッピングモール
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
私の幼少期は、父親が国家公務員であった関係で、数年に一度の割合で、全国を転々とする生活だった。なので、転校した数も多い...と思う。
写真:目的地は「茶山」「金山」...私は住所が茶山3丁目にある金山公務員住宅に家族と一緒に住んでいた。大濠公園 公園・植物園
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【福岡ノスタルジー】
住む場所は、官舎/宿舎/公務員住宅と呼ばれるいわゆる『団地』...まさに「団地っ子」だった私...
写真:ほぉぉぉ...茶山いうぐらいなので、やっぱりお茶と関係があるんだぁぁ...子供の頃はよう知らんかったし、興味もなかったし....wikiもなかったし...茶山駅 駅
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【福岡ノスタルジー】
住まい環境は、周りに他の中央官庁に所属する人、自衛隊員等が集まり、要は公務員の子弟ばかりだったと言える。
写真:おおおおおっ...「茶山団地前バス停」...良くここから母親とバスに乗って、天神に出かけていた記憶が、ブクブクと湧き上がってくる...弓の馬場・茶山会館 美術館・博物館
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【福岡ノスタルジー】
まずは自分が通った学校を見に行こうと思い、歩き回ってやってきたこの場所...「城南高校」「城南中学校」に囲まれて「城南小学校」があった...私はこの小学校に通っていた。
現在は、この城南高校が見違える様な綺麗な建物に建て替えられており、最初はここが「城南高校」だとは全く気づかず通り過ぎてしまった...昔は、まさに学校という灰色の四角い建物だったのに、なんちゅうハイカラな建物に....校舎の場所もここではなかったと記憶する(校舎は校庭の向こう側だった様な)... -
【福岡ノスタルジー】
私が務めていた会社の同じ財務部の(だいぶん前に定年退職されました)大先輩が、ある時、奇遇にもここ城南高校卒業生だった事が発覚し、私も隣の「城南小」でした!という会話以降、ものすごく良く面倒を見てもらったという記憶がある。
写真:しっかし、県立の分際で、随分とお金を掛けた風の校舎じゃのう...福岡県はお金をたんと、もっとるんかい...綾部珈琲店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
さて、その高校を越えて、細道を通りながら、小学校に向かいます...
あゝ、この道、本当に良く歩いたなぁぁ...当然のことながら体の小さかった時代の記憶と道幅の広さや大きさこそ違うけれど、おお、自分の脳内のどこかに隠れていた記憶がどんどん湧き出て来ます...はげ坊主 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
おお、見えてきました、小学校の校庭...
へぇぇええ!?、結構でかいじゃぁぁ~ん...もっと小さいと思った校庭、逆にここは自分の想像以上にでかい校庭でした。
毎朝、薄暗く寒い中、この校庭で、みんなで「何か(その何かが思い出せないが...)」の練習をしていた時の記憶が残っており...その際に薄暗い空を見上げながら...「あゝ、月が見える...」とぼんやりと眺めていた記憶の断片が何故か残っているんです...なんでだろ...?
そんな重要でもない、特別な事でもない(50年以上も前の)記憶が、なぜか頭にこびり付いているって...全く不思議な事です...いいから いいから グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
さて、小学校の正面玄関にきました。おおおっ...50数年ぶりの再開だぁぁ...覚醒の時刻 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
「城南小学校」と書いてあるのを改めて再確認。この50年、よく廃校にもならず耐えぬき、よく残っていもんだね...と、心の中で呟いてみる...とら食堂 福岡分店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
キョロキョロしながら、一周して、校庭の反対側に出て見ます。
おお、この学校の校歌の中にも出てくる「七隈川」だぁぁ...こんな幅が狭かったんかぁぁ....毎日、この七隈川に沿って、家路に着いた事を思い出します。
大雨の日には、この川が増水し、いろんなものが流れてくるのが本当に楽しく、みんなで真剣に眺め下ろしていたものです。犬とか、猫とか、自転車とか、車まで流れてくる事があった...
夏が来ると、この浅い川にでかい「ウシガエル」が登場し、不気味な声で鳴き始める。皆で上からでかい石をカエル目掛けて投げつけた事を思い出します...苦笑)いけす桜坂Imamura グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
その川沿いの道は、今では「車道/歩道」に分けられ、整備されていますが、私の頃は車も少なかったのか(いや、そんな筈はないが...)、車も人(子供)も分け隔てなく歩いていた時代...福大前駅 駅
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
おお、校庭には、私が友達と良くよじ上った『上り棒』が今も同じ場所にありました。感動ぅぅぅぅ~。うるうるうる...。中山紀念碑 名所・史跡
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【福岡ノスタルジー】
まだまだ、この地区は、子供も多いのでしょうね。
首都圏では、少子化で学校の統廃合が進み、どんどん学校の数が減っている様ですが、この学校の校庭は、昔のまま沢山の小学生たちが大きな声を上げながら、校庭で走り回っていました。
さて、さて、離れる事にします。
今の時代、あまりの懐かしさに溺れ、長時間、フェンスにもたれ掛かり、ジロジロ見ていたり、写真なんかを撮り続けていると、不審者と間違われ、通報でもされそうなので、ささっと切り上げる事にします....令和五拾円也 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
さて、次に通学路だった道を遡り、昔住んでいた場所に向かってみます。
全く、周りの家や建物自体は他のものに置き換わってしまっているにもかかわらず、(50年以上前の)記憶を辿りながら歩いていると、不思議に目的に導かれて行きます...
写真:確か、このグリーンの方向に坂を上っていくんだったはず...あゝ、ピンクの矢印から飛び出て来た女の子が、私らの目の前で、ガーン!!と車に轢かれたのを見た事を急に思い出しました...これまで、そんな記憶が出てきた事ないのに...はっきりと覚えておりました...スペイン坂 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
結構、キツイと思っていた坂道が、意外になだらかだった事に驚く...六本松食堂 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
あゝ、確かに当時もこの場所に、この池、あった、あった!!
当時は、こんな看板なかったし...そもそも「堤ヶ浦池」!?....って、名前だったんだぁ...Cafe 雨あがりの虹 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
当時は、(周りが人工的にセメントや道路で固められていた)こんな綺麗な状態ではなく、もう本当に自然な池で、足を泥濘に取られながら、まさにこの左の土手に立ち、この池の淵をぐるぐる周る『トンボ』を待ち構え、良く捕獲しましたものです。この池には「オニヤンマ」が良く集まったんです。948本舗 別府店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
さて、昔の記憶に従いどんどん進んで行きます。
様相がかなり記憶と異なっているので、あっちかなぁ~?こっちかなぁ~?と迷いながら歩いくと、あ、知ってる...という場所に出る感じ...椛梨 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
おお、今や更地じゃん!?
ここは、大きな団地が何十棟もあり、多くの友人たちも住んでいた筈...とんかつ直豚 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
今やすっかり、その団地群は取り壊され、更地になっておりました...黒田節 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
『昭和の宴のあと』...この頃は昭和の高度成長期に乗って、日本という国がどんどん成長して行った時代。その勢いで全国に団地が次々に建てられ、すぐにいっぱいになり、その周りには商店街や子供たちが駆け回る光景がそこにはあった...場所が、今や、ただボウボウの雑草で荒れ果てた野っ原...になっていました...
恐らく、この荒廃ぶりから、近い将来、この地が再び再開発される事は恐らくないのでしょうね...と思わせる程。日本全体の老化が進み、全国に同じような場所が次々に出現しているのでしょうね...
...諸行無常...というフレーズが頭に浮かびます...ホルモン販売&肉酒場 CHOKU グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
更に、もう少し行くと自動車学校。
確かに、自分が住む公務員住宅の前には自動車学校がありました...もう50年以上も続いているのね...
随分と息の長い自動車学校です...安い定食屋 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
でた~!!
見覚えのある団地群...
PS)
以下、昭和の団地:
https://www.youtube.com/watch?v=saehM0Fr2tM&t=368sジョルジョロックカフェ グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
ここです...私が住んでいた金山団地(公務員住宅)... -
【福岡ノスタルジー】
合同宿舎金山住宅...管理者大蔵省福岡財務支局。HILLTOP RESORT FUKUOKA 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
この端っこの二階だか、三階だかに住んでいた記憶が薄っら残っております。 -
【福岡ノスタルジー】
この場所で...(スポーツ観戦は大好きだったが、実際に体を動かす事が好きでなかった)今は亡き父親と毎日曜日に延々とキャッチボールをした事を思い出します...辛麺屋 枡元 イオンスタイル笹丘店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
後ろにボールを逸らし、ボールを取りに行くと、この木の向こうの家のTVから「サザエさん」の主題歌が流れ、「ああ、もう18時半だ、帰らなきゃ」と気がつく光景が脳裏に蘇って来ます...夏場は、各家、窓を全開で開けて、家の中の音がガンガン外に漏れて来た、外と中の垣根が低い時代でした...喫茶南風 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
昭和の置き土産、「団地」はほぼ全国共通で(大半が)五階建て。
エレベーターもないこの建物は、高齢化社会が加速している今の日本では、もはや用済み、無用の長物...と言えるかも...
家賃も安いし、部屋は3LDKが標準なので広いんだけどねぇぇ~。
都内では「MUJI」なんかが内装工事して綺麗に仕上げた団地なんかが話題になっている時期がありましたが...今はどうなっちゃっているんでしょうか...ボートレース福岡 名所・史跡
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【福岡ノスタルジー】
私が住んでいたのは、二階だったか、三階だったか...なぜか、その辺りの記憶が曖昧...
父も母も、もう他界しているので、確認のしようなし...なぎの木 博多エクセルホテル東急店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
なんだか...踊り場の屋根がいやに低いなあぁぁ...
やはり子供の時は、二段、三段抜かしで、ダッシュで駆け上がっていました...超元気だった自分...あゝ、今は無理だぁぁ...博多中洲ワシントンホテルプラザ 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
おお、これこれ...このポスト。
まさか昔のまんまではないでしょうが、当時も鍵なんか付いてなく(付ける場所もなかった)、日本の世の中が(特に、こういう団地コミュニティの世界では)まだ信用で成り立っていた時代...
人のポストを漁る人もいないし、郵便物が盗まれる事もあり得なかった時代...博多大橋 名所・史跡
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【福岡ノスタルジー】
子供もなんかも放りぱなし...転んだり、ぶつかりして怪我をする事はあったものの、知らない人に連れさらわれるなんて聞いた事がなかった...
家の外に出ている人たちが多かったので、常に外はワサワサしていたし、必ずご近所の誰かの目があったので、安心だった...エスペリアホテル福岡中洲 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
住んでいたのは、確か、ここだった様な...
今の時代、表札を敢えて出していないのか、誰も住んでいないのか...ようわかりません...
でも現代の公務員(若い人)は、こんなところに住むのを拒む...でしょうね...BAR 倉吉 中洲 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
このまさに「踊り場」から身を乗り出して、友人を見つけたら、駆け下りていた毎日...水上公園 公園・植物園
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【福岡ノスタルジー】
やっぱ、天井が低いのが気になる...苦笑)グランドハイアット福岡 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
このボロボロの階段は...きっと、50年以上前の私の歩いた階段と同じに違いない...私の足跡も残っている筈...博多 中洲屋台 名所・史跡
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【福岡ノスタルジー】
幼少時の微かな記憶を辿り、少し周辺を歩いてみます.....博多屋台中洲十番 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
おお、ここは昔、文房具屋兼駄菓子屋でした。
このポストが懐かしい...
当時、父親に年賀状の投函を頼まれて、この店で切手を買って、このポストの目の前で切手を貼りながら、一枚づつ投函していたのですが、気持ちもそぞろで集中力のなかった私は、切手をまだ貼っていないハガキを間違えて投函してしまい、えらい目にあった事を思い出します...あれは50年以上も前の事...苦笑)漁師料理 がね屋 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
もう少し歩いて行くと...
確か、この辺に仲の良かった友達の家があった筈と思いながら、覗いたところ...おおおっ...同じ場所にその友達と同じ名前を表札に掲げた家がありました。
雨戸が閉められ、今や空き家の様相、誰も住んでいない風でしたが、なんだか、すっごく感動...うるうる...筑豊ホルモン鍋香春 中洲川端店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
さて、自動車学校の裏の方にも、足を延ばしてみます。
50年以上前の当時、この裏に大きな「赤土山(アカツチヤマ)」という通称の、薮、雑草の生い茂った無人の小山があり、そこにはたくさんの(奥の浅い)洞窟があり、子供心にゾクゾクしながら頻繁に探検しに行った場所です(今は住宅地になっておりました)。
そこに至る前に、確か大きな「池」があった筈。
少し歩くと、池の名前が書かれた看板が出てきました(「永浦池」って名だったんだぁぁ...)。当然、当時はこんなものはありません...
ヘェ~、今はウォーキングコースになっているんだぁぁ....
そもそもあの池に、こんな名前があったなんて、当時は知らなかったし...シーサイドももち海浜公園 公園・植物園
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【福岡ノスタルジー】
ありました、ありました、この池!!
この近くには、秘密の樹木があって、毎年そこには大きな「オオクワガタ」が取れる場所だったんです....河太郎 ヒルトン福岡シーホーク店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
この辺にあった木だったんだけど...この写真の木は、当然違うやつ...でしょうね...HKT48劇場 名所・史跡
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
今考えると、子供の頃は、この周辺には、池や貯水池、謎の小山などがたくさん散らばっており、本当に自然に恵まれた土地だったと思います...福岡タワー 名所・史跡
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【福岡ノスタルジー】
今みたいに、こんなに周りが綺麗に整備されておらず、ともすると直ぐに池に入れるし、下手するとドボ~んと落ちてしまう様な池ばかりでした...
今ほど危険に対する社会全体の認識やインフラ整備が進んでいなかった時代ですね。シーサイドホテルツインズももち 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
(当時は、こんなに整備されていなかったのですが)この場所で良く釣りをして、「亀」を釣り上げたのを覚えています....(勝手に甲羅に引っ掛かって釣れてしまう事が多かった...)ホテル日航福岡 宿・ホテル
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【福岡ノスタルジー】
更に別のところを歩いてみます...
おお「金山幼稚園」....幼少の妹が通っていた幼稚園がまだ残っていました...姪浜駅 駅
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【福岡ノスタルジー】
東京にいる妹に、写真を撮って送ったら...「全く覚えていない」...という返事....
そらそーだー...ウエスト 七隈店 グルメ・レストラン
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
これは、私の子供の頃の姿をこの場所できっと見たことがあると思われる郵便ポスト...
あ~あ....こんな色に塗り替えられちゃって....お前も年をとったのうぅ~七隈園 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
ここは私が子供の時にもあったこの地域で一番大きかった総合スーパー:「サニー」...外観こそ綺麗になりましたが、地元に根ずく、全くもって息の長いスーパーです。舷喜屋 七隈店 グルメ・レストラン
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
あの遠くに見える山...
昔もこれからも、同じ場所から、この地域で生活を営む住民たちを見下ろし続ける『油山(あぶらやま)』
....お久しぶりでございます。あれから50年以上が経ちました...私はまだ元気にやっております...ここまで無病息災で生き抜いて参りました...と山(の神)を見ながら心の中で呟いてみる...油山市民の森キャンプ場 キャンプ場
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【福岡ノスタルジー】
地下鉄「金山駅」。サニースーパーの横にありました。
...なんか、地下鉄って、本当にすっごく便利~!金山駅 駅
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イチオシ
【福岡ノスタルジー】
今やこれだけ地下鉄網が出来上がっているのね...バンフの森 七隈店 グルメ・レストラン
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【福岡ノスタルジー】
数年しか住んでいない場所なんだけれど...果たしてそういう年齢だった為なのか、多感な時期だった為なのか...ここで完全に私の言葉は「博多弁」になってしまい、その数年後に転校した先の「横浜」では、自分の博多弁を、相当に弄られた記憶があります...笑)
50年(以上)ぶりの自らの足跡巡り...。
古い記憶との合致/相違が様々にあり...全くこれまで思い出した事の無い記憶の彼方にあった風景や場面とかが、その場に来ると、急にまざまざと蘇り、またすっかり様相が変わってしまった街並みでも、大きな道路や小さな道の筋は、今も変わらずそのまま残り、古い記憶に従って歩いてみても、しっかり目的地に着いてしまう事にも少し感動....
と~っても、有意義でしんみりした時間を過ごす事ができた今回の旅...ただ、1日で歩くには少々ハード過ぎ、流石にクタクタ...
頭もボケて、足腰がダメになる前に来れて、本当に良かった...と思う。
...以上...松喜寿司 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (2)
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- 琉球熱さん 2022/12/21 00:32:35
- 昔をたどる旅
- コタさん、こんにちは
冒頭の「組織や仕事に縛られ、≪中略≫ 自分だけを大切にできる...」
これ、なんかしんみりしてしまいましたよ
私はまだ働かなきゃならない身ですが、それもあと1年半余り
その後のことはまだ考えていませんが、コタさんのような身の振り方に憧れますね
もちろん、自分の決断次第なんですが・・・
幼少期を過ごした土地をもう一度辿ってみる
これ、私もやりました
私の父が転勤族だったため、小学校も中学校も、入学と卒業が違う学校でした
コタさんは福岡から横浜ですか
私は伊豆の下田から横浜でした、、、このギャップは大きかったですねぇ
下田も横浜も、かつて暮らした場所を訪れてみましたが、どちらもずいぶん変わっていて、特に下田は激変していて往時の面影は微塵もありませんでした
淋しさもありましたが、自分の中で一つ区切りがついたような気分になりました
コタさんはいかがだったでしょう?
---------琉球熱--------
- コタ(Kota)1号さん からの返信 2022/12/21 21:53:12
- RE: 昔をたどる旅
- 琉球熱 様
日本で、流石に働かないでぼんやりしていると、罪悪感を感じてしまうかもしれませんね。私は人生の半分以上を日本の外で過ごして来たので、標準の日本人とは考え方も異なり、ある意味「おかしな奴」かもですね...会社では貴重性があって、重宝されたんですがね...苦笑)
まあ、人の価値は人それぞれ。...最後に、ああ、良い人生だった...とちょっとでも思えたら良しとしましょう。自分が過去に過ごした土地をもう一度辿ってみる旅...そんな事を50年も経ってからしようと思ったのも、仕事に追い捲られる事もなく、自分の時間がたくさん持てる様になったから...でしょう。
心に余裕があると、今まで考えた事もなかった事が、次々に頭に浮かんで来ます。それを実行する/実現する体力も気力もまだ残っているので、すぐに動けます。
過去の土地を歩いて、匂いを嗅いで、大昔を感じる事ができ...確かに『自分の区切り(←的確で良い言葉ですね...)』をつける事ができました。
そのうち体力も気力も興味もお金も尽きてしまう日が来るのでしょうが、今はまだ第二の人生を始めたばかり。しばらくは何も規制する事、される事なく、好きな様にマイペースで自由に勝手気ままにやっていこうかと思います〜〜
では、では。
メッセージありがとうございました〜
コタ1号@バンコク
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