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jijidarumaさんのクチコミ(14ページ)全589件

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  • ニュルンベルク:旧市庁舎にある旧牢獄(Lochgefaengnisse穴の牢獄)は初めての訪れだ。

    投稿日 2020年10月10日

    旧市庁舎 (ニュルンベルク) ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    <北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>        
    :フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km

    ニュルンベルクは昨日に続く二日目の観光である。
    旧市街地の中心にある中央広場から、Die Burg・Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)に向かうブルク通りに入る手前右手にあるどっしりした建物が旧市庁舎である。

    Altes Rathaus Nurnberg
    D-90403 Nurnberg Rathauspl. 2

    ここは市庁舎広場(同時に通り道でもある)であるが、その左手には聖セバルドゥス教会が見られる。

    昨日の観光で見られなかった旧市庁舎には旧牢獄(Lochgefaengnisse穴の牢獄)があるというので、今日の目的にした。ここは初めての訪れだ。

    ニュルンベルク全盛期の14世紀に建てられた旧市庁舎の地下室に、穴の牢獄がある。
    ガイドの先導で、十数人の見学者と共に暗い地下牢に降りる。

    中世の拘置する為の獄と拷問道具を揃えた天井が高い部屋がある。
    トイレはもちろん常備し、2mの長さの牢獄が12、その部屋の鎖でつなぐ設備を見ると、2人以上が同室であった様子が分かる。
    床や天井、壁は厚板が張られて、部屋の中には板のベッドか、ベンチになるような板が置かれている。

    町や古城の見学ではこうした牢獄を見る事も多いが、ニュルンベルクの牢獄は良くできたもので、また保存も良い。

    (12:30~13:00  チップとパンフレット代Euro1.5 ;シニアは無料でした)

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.5

  • アッシャウ:ドイツ料理界の天才ミシュラン3星シェフ ハインツ・ヴィンクラーの5品料理を楽しむ。

    投稿日 2020年09月28日

    レジデンツ ハインツ ウィンクラー プリーン

    総合評価:5.0

    ≪2008年春:ミシュラン3星レストランHeinz Winklerハインツ・ヴィンクラーで、人生初の贅沢な夕食を楽しむ≫

    <夕食:レジデンツ・ハインツ・ヴィンクラーのグルメレストランの「Venezianishe Restaurantヴェネチアニッシェ レストラン」 にて>

    食事時間18:30~21:50、5品料理と飲み物費用合計Euro 440=73,257円

    レストランの”Venezianishe Restaurantヴェネチアニッシェ レストラン” の評価はMichelinミシュラン3星・Gault Millauゴー・ミヨ19点(全独ランク4位)。
    80席に対し、従業員40名とたいへん手厚いスタッフ数。
    昼食コース;3品Euro89、5品130。
    夕食コース;5品Euro 135、8品158。
    ワイン950銘柄(1星レストランの倍の数である)。

    オーナーシェフHeinz Winklerハインツ・ヴィンクラーは31歳で初めてミシュラン3星を獲得しているが、このAschauアッシャウの地では3星を11年もの間継続し、また、独立前のレストランMuenchner Kult-Lokals Tantrisタントリス(現在ミシュラン2星:ミュンヘンで最もお高いレストランと言われているそうだ)などの取得期間を加算すると、3星は合計21年と言われる。
    バイエルン州で唯一のミシュラン3星を継続中である。

    ・・・・・

    Heinz Winkler empfiehlt heute Abend・・・ハインツ ヴィンクラー 今夕のお勧めをお願いした。お勧めの5品コース(Euro 135x2)。

    飲み物:
    アペリティーフ:シェリー酒エミリオ・ルスタウ・フィノ・ハラーナ(へレス産のフィノ)

    シェフからの贈り物(厨房からのご挨拶):
    料理の注文や飲み物の注文、料理の出来上がりまでの時間調整にシェフからの贈り物として、二つ出てきました。
    ①白アスパラのクリームスープ 
    ②3品・・・長方形のガラスの皿に3品がのって出てきました。
    左手から、キャビアがのったサーモンの小片。ガラスコップに入ったグリーンピースをすり潰し泡立てたスープ。ハーブ入りマヨネーズソースの上にトマト風味の小エビをのせ。


    飲み物:
    ワイン:リースリングの白辛口・2005 年ラインガウ・リューデスハイマーベルク・シュロスベルク、Leitzライツ。

    ①前菜:スズキのカルパッチョ

    ②スープ;2007年バイエルン料理大賞の品

    ③魚料理;アンコウのメダリオン

    ④肉料理;Bresseブレス産鳩の胸肉

    ⑤デザート;イチゴのスフレ

    コーヒー:コーヒーにチョコレート菓子

    ・・・・・

    いずれの料理も美味しく、美しい出来栄えで、日本人の私共にも適当な料理の量でした。満席のお客にも拘わらず、適度の待ち時間で料理が運ばれてくるのもさすがでした。

    『ミシュランの星は味、サービスをはじめ、全てに一流である証である』・・・納得です。


    XXXXX

    旅行時期
    2008年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    ロケーション:
    3.5

  • セピア色の思い出:ロンドン市内ショッピング・英国土産はバーバリーのコートや銀食器など

    投稿日 2020年10月04日

    リージェント ストリート ロンドン

    総合評価:4.5

    ≪ロンドン市内ショッピング:英国土産はバーバリーのコートや銀食器など≫

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに4泊した。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を自分の車で市内を見て回った。若いから怖さ知らずで行けたようだ。

    名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、
    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    ・・・・・

    8月8日はロンドン最後の日なので、市内のショッピング街を見て、気に入ったものがあれば、英国土産を購入しようと思っていた。
    そこでRegentリージェント通り、Oxfordオックフォード通り、Bondボンド通り、Piccadillyピカデリー通りと、案内書に出て来る一帯を巡った。

    この日のショッピングの主たるものは、ママのBurberryバーバリーコート(£70ポンド)、カシミヤのセーターとマフラー(£156)、銀器一式(£130)、キルトのスカート(£23)など合計£405でした。

    ショッピング街は東京のように人の波で歩くのも大変、子供たちとはぐれぬように用心。ピカデリー・サーカスのキューピットの銅像、噴水に来た時はもう夕暮れ時、買物には時間がかかる。噴水周辺は観光客、若者たちで混雑していた。
    最後にバッキンガム宮殿による。正門前でドイツのEssenエッセンから来た大学生に会う。久しぶりのドイツ語が妙に嬉しい。

    (2020年10月03日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.0

  • セピア色の思い出:ロンドン動物園のパンダ見物では見物人がいないのに驚いた!

    投稿日 2020年09月27日

    ロンドン動物園 ロンドン

    総合評価:3.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。

    8月7日(月)は午前中にロンドン塔、ホワイトタワーを見て、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行を見て回った。

    ②次のLondon Zooロンドン動物園(1828年開設、1847年公開。Outer Circle, Regent's Park, London)はリージェンツ公園の北にある。
    南端にあるマダム・タッソー館から動物園は近いし、子供たちにとってもパンダは初めてだから行ってみたのだ。

    前掲の写真ではパンダ、いわゆるジャイアントパンダの姿は柱や金網などで見難いが、中央部の木の上にどっしり座って動かない姿を撮っている。

    ともあれ、月曜日の所為か、パンダ舎の周りには誰もいない。イギリスでは珍しくもなく、人気がないのだろうか?

    かつてロンドン動物園にはChi Chiチチというジャイアントパンダがいて、1972年に亡くなったという記録が残っているが、この時に見たジャイアントパンダの事はよく分からない。現在、ロンドン動物園には1頭もいない。
    但し、スコットランドのエディンバラ動物園に2011年12月から、Tian Tian(F)とYang Guang(M)の2頭がいるようだ。この差が何だろうか?

    尚、「中国のパンダ外交」で西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年、アメリカに贈られたリンリンとシンシンが最初で、それ以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈されていった。

    日本の上野動物園には1972年10月、2頭のカンカン、ランランがやって来た。
    当時の日本人の歓迎ぶりはすごいもので、パンダ人気がたいへん盛り上がった。この頃、私に海外駐在の話が出始めていたから、上野動物園に家族で訪れたか、ジャイアントパンダを見たのか、さて、もうすっかり忘れてしまった。

    ・・・・・

    薄汚れたジャイアントパンダに家族も少々ガッカリしてしまったのだが、それからシティという(日本的には丸の内のような)地区に戻った。
    ここに日本の商社、銀行の店が殆ど集まっている。

    ③Guildhallギルドホールは、シティ・オブ・ロンドンの市庁舎である。

    12世紀に商人達のギルド(同業組合)が自治権を獲得後、1185年に初代市長(ロード・メイヤー)が誕生し、1319年にはギルドに選挙権と行政権が認められた。
    このギルドホールは15世紀に統治の中心として建設されて以降、シティの市庁舎、シンボルとして機能してきた。現在も市長の晩餐会や講演会、定例の市議会が開催され、シティのホールつまり議事堂なのだ。

    夕暮れ時に訪れたから、外観だけを写真におさめたが、内部にはチャーチル首相、ネルソン提督、政治家ピット首相(親子:大ピット、小ピット)の著名な方々の肖像画や記念碑があると云う。時間があれば、見て見たかったが、現在は1999年に再建されたGuildhall Art Galleryギルドホール・アート・ギャラリー(美術館)という隣の建物に展示されているようだ。

    ④Bank of Englandイングランド銀行はギルドホールから近い。

    1694年の創立、コリント風の列柱が独特の建物は古色然としているが大きな建物である。かつて世界の金融を支配した英国中央銀行である。

    一つ不思議なことに、イングランド銀行前で写真に撮った正義の女神像が現在の銀行前には見当たらず、イングランド銀行(旧王立取引所)前のウェリントン公爵(ワーテルローの戦いでナポレオン皇帝に勝利した)騎馬像だけが見える。

    面白いことに、シティでは軍人を崇拝するような像を公衆の面前に建てることが禁止されているらしく、軍服ではなく平服の騎馬像になっているそうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    明日8日はロンドン最後の日、リージェント通りでお買物の予定になっている。

    (2020年9月25日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    施設の快適度:
    3.0

  • セピア色の思い出:ロンドンのマダム・タッソー館(蝋人形館)は実に面白い。

    投稿日 2020年09月26日

    マダム タッソーろう人形館 ロンドン

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。

    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに4泊した。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、
    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    8月8日には市内でショッピング(銀器、Burberryバーバリーコート)、ピカデリー・サーカスなどなど。

    8月7日(月)は午前中にロンドン塔、ホワイトタワーを見て、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行を見て回った。

    ①Madame Tussaudsマダム・タッソー館はロンドンにある蝋人形館である。
    (現在は欧州、アメリカ、アジアの各国に分館が出来ている)

    今もロンドンの観光名所のひとつであるが、当時でも人気が高く、並ぶ人も多くてなかなか入場できなかった。子供たちには少し刺激の強いものも有ったし、顔と名前が一致して分かるわけでもないが、内部に入ると、人形なのか?蝋人形なのか?迷ってしまうほど精巧な、見事な人形が並んでいた。

    名前をあげれば、皆納得の人達である。日本人では吉田茂首相の和服姿、史上有数・昭和最後の大横綱である千代の富士関の力士姿が、
    英国ではエリザベス2世一家を筆頭に、ヘンリー8世と6人の王妃、エリザベス1世、イングランド・スコットランド・アイルランド3王国「共同統治」のウィリアム3世とメアリー2世、同君連合=ハノーヴァー王朝ジョージ3世、ウィリアム4世、ジョージ4世、ヴィクトリア女王、映画監督アルフレッド・ヒッチコック、女優オードリー・ヘプバーン、俳優リチャード・バートン、女優(政治家)グレンダ・ジャクソン、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティ、チャーチル首相、ビートルズなどが見られ、

    アメリカからはケネディ大統領、女優のマリリン・モンロー、アメリカの石油王ポール・ゲティ、『カサブランカ (映画)』の男優ハンフリー・ボガート、『刑事コジャック(TV)』の男優テリー・サバラス、

    その他の国ではドイツのシュミット首相、ヨハネ23世 (ローマ教皇)、グスタフ6世アドルフ(スウェーデン国王)、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン、スペインの画家ピカソ、イラン皇帝レザー・シャー・パフラヴィーなど。

    (時代が変わるに応じて、ここに陳列される蝋人形たちも変わる。それを比較するのも面白事だろう。長寿の女王エリザベス2世だけでも見る価値がある)

    地下のホラーの部屋には処刑場の場面が作られていて、フランスのギロチンの模型が、不気味で恐ろしい様で立っていた。加えて音楽まで不協和音を奏で、恐々といった感じだった。その横にはギロチンで処刑された王妃マリー・アントワネットの頭部が獄門台(首台)に載せられていたから、ぎょっとする。
    とても子供には見せられないものだったから、私だけが見たのだけれども。

    マダム・タッソー館は1835年、フランス生まれの蝋人形彫刻家Marie Tussaudマリー・タッソー(1761~1850年)がロンドンのベイカー・ストリートに創立し、1884年にメリルボン・ロードに移転した。
    ここでは歴史上の人物、各国の政治家、エンターテイナーからスポーツ選手などを等身大の大きさで精巧に再現して展示している。

    (2020年9月25日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    施設の快適度:
    4.0

  • ニュルンベルク:カイザーブルク(帝国城)傍にあるレストラン ブルグヴェヒターでお茶にした。

    投稿日 2020年09月23日

    ブルクヴェヒター ニュルンベルク

    総合評価:3.5

    <北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>        
    :フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:
    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km

    ニュルンベルクは昨日に続く二日目の観光である。
    市博物館の横の道Burgenstrasse古城街道をDie Burg・Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)に向かって上がる。
    薄紫のライラックが満開の様子を楽しみながら、上り坂を上がると、Burgenstrasse古城街道の標識が出てきた。確かにカイザーブルクはこの街道上にある。

    登りきってみるとお腹が空いているのに気が付いた。

    <お茶:Burgwaechterブルグヴェヒターのレストランにて>
    D-90403 Nuernberg 、Am Oelberg 10
    (13:20~14:00 Euro 20)

    Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)傍のレストランでお茶にした。

    レストランの内部は私共だけで、ドイツ人は花々で飾られたテラスで、
    日差しの下でお茶や軽食を楽しんでいる。太陽の少ない冬を過ごすと、
    こうしてみたいのか!
    レストラン内部は暖炉の間があり、洒落た装いである。

    メニュー:リンゴのケーキにコーヒー。ドイツのコーヒーは美味い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    3.5

  • 懐かしのプリーン:キームゼー湖の男島に見事なルードヴィヒ二世の宮殿がある。

    投稿日 2020年09月16日

    ヘレンキームゼー城 プリーン

    総合評価:5.0

    ≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
    期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.23 (水) 曇り時々小雨 12℃、

    2008年の春、バイエルンのプリーンを久しぶりに訪問した。
    市内にあった語学学校Goethe-Institutゲーテ・インスティトゥートや、2ヶ月の間、学校に通った時に下宿した家、そしてFahrschuleファーシューレ自動車学校(ドイツはどの町にも先生一人の小さな学校がある)などを見て回ったが、34年前の記憶は不鮮明で、どれ一つ特定できなかった。
                 
    XXXXX

    Prien-Stock10:30発の観光船・Rudorf号でHerreninsel男島に向かう。
    (Prien ->Herreninsel・15分、往復Euro12.6 )

    男島の北東に位置する桟橋に着くと、大勢の観光客が桟橋そばの切符売場の前に参集している。様々な国の言葉が聞こえてきて、世界的に名高い観光地であることを再認識した。

    十分時間のある一日となったので、切符売場ではルードヴィヒ二世の宮殿:ガイド付き見学 、併設のルードヴィヒ二世博物館、Altes Schloss博物館の特別展の通し切符を購入した。

    尚、ルードヴィヒ二世の宮殿など見学内容は別途、関連旅行記に詳細を書いた。
    ご参照下さい。

    ≪南独、オーストリア巡り≫
    2004年4月21日~5月4日の2週間

    南ドイツとオーストリアをドイツ・バイエルン国王ルードヴィヒ2世とオーストリア皇妃エリザベート・・・愛称 “シシー”を巡る旅と称して、レンタカー(メルセデス・ベンツ2000CC)の旅をしたことがある。
    珍しく、家内の友人親子が御一緒した、4人の旅でした。

    快晴に恵まれ、男島への20分程の船旅も心地よく、新緑の中をヘレンキムゼー宮殿へ向かう道も弾むような気持ちだ。

    ≪南独、オーストリア、スイス巡り≫

    1975年8月9日~8月19日 10泊11日 
    夏の休暇旅行で

    さて、駐在二年目に入ると、車にも少し自信が出てきて、夏の休暇は初めて大きな旅行をしました。
    当時、私共は31歳、娘たちは5歳と3歳でした。

    赴任して、家族を連れて最初に行きたかったのはロマンチック街道であり、更に東に走りバイエルンの州都ミュンヘン、私が学んだゲーテ・ドイツ語学校のあったキームゼー湖畔のプリーンでした。ヘレンキームゼー城建学。

    ≪Prienプリーンの思い出 ; 1974.2.2.~3.29.≫

    プリーンは観光地である。
    世に名高いバイエルン王ルードヴィヒ二世の建てた新宮殿(第三番目の宮殿)Schloss Herrenchiemseeヘレンキームゼー城があるHerreninselヘレンインゼル(男島)への観光船が発着する所だ。

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • セピア色の思い出:生憎の小雨の中、2000年の歴史遺跡・ハドリアヌスの長城を訪ねた。

    投稿日 2020年08月22日

    ハドリアヌスの城壁 (ローマ帝国の国境線) その他の都市

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
    フランスのCalaisカレー港から愛車オペル車をホーバークラフトに載せ、Strait of Doverドーバー海峡(仏側からするとPas de Calaisカレー海峡)を越え、イギリスのRamsgateラムズゲートに到着しました。
    イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部距離はたった34km、凡そ40分の乗船でした。約42年前の事です。

    今はドーバー海峡にもChannel Tunnel英仏海峡トンネル(全長50km)が通じている。1994年11月14日、ロンドンと欧州大陸を結ぶ高速鉄道ユーロスターが開業した。便利になったようで、旅の情緒に欠けるかもしれない。

    この時はその他に、Londonロンドンの大英博物館など、Oxfordオックスフォード、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線(長城)なども見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル*の港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、ドイツ・デュッセルドルフに戻りました。

    *Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル(通称ハル、Hull)は、イギリス・イングランド東海岸に位置する、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町であり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市である。

    総行程2,750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。

    ・・・・・

    8月12日(土)小雨

    この日、湖水地方の町KeswickケズイックからA66を東のPenrithペンリスを出て、M6を北に約30km走った。Cumberlandカンバーラントの中心Carlisleカーライルまで来ると、いわゆるイングランドも終わりだ。カーライルから東にA69で29 km先の Gilslandギルスランドに向かい、少し手前に、今はBirdoswaldバアードスワルドのRoman Fort(カストラ・・・ローマ軍団の砦)と称する地(42年前も、こうした呼び方をしていたか、覚えていないが)があった。

    有名な2000年の歴史遺跡「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」に至ったのだ。
    生憎の雨で、湿地帯のようになった小高い丘を登った。長く長く続く城壁はかつての世界の覇者ローマ帝国が軍団を派遣し、この地まで支配した証しとして、今に残っている。
    高さ5m前後、幅2m半の石造りの防塁である。勿論、今に残る中国の長城のすごさはローマ軍団の長城をはるかに超えている。
    この城壁は防衛上、城壁の下はやや攻めにくい傾斜を見せている。この長城を越えれば、スコットランドの地だ。
    雨の中も羊たちが草を食みながら、城壁の低い所からスコットランドに入って行く。

    カーライルの町にはローマ軍団が駐屯し、国境線を守備したと云う。
    その後、スコットランドとの戦いではこの長城は重要な役割を果たした。

    さて、世界遺産「ローマ帝国の国境線」は後にイギリスとドイツのものを一括登録している。

    有名な「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」は1987年世界遺産登録された。
    (1978年にドイツのアーヘン大聖堂など12件が最初の世界遺産リストに登録されたが、当時は世界遺産ではなかったのだ)
    10年をかけて西暦132年に建設された。イングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。
    全長118kmの長城の間に、東のNewcastle upon Tyneニューカッスル・アポン・タイン、そこから90km西にあるCarlisleカーライル(カーライルはスコットランド国境最前の町)がある。

    及び「Antonine Wallアントニヌスの長城」がある。
    こちらは2008年世界遺産登録された。
    西暦144年にスコットランドの中央部に石と土で作られたローマ時代の防塁である。西暦164年、ローマ軍はハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城は建設後わずか20年で放棄された。
    ハドリアヌスの長城に比べて凡そ半分の全長60km。

    また、ドイツ最長の文化記念物として、「Deutsche Limes-Strasseドイツ・リーメス街道」(2005年登録)が世界遺産に一括登録されている。

    ドイツのリーメスはライン川畔のコブレンツ近くの町Bad Hoenningenバート・ヘンニンゲンからドナウ川畔のRegensburgレーゲンスブルクに至るものである。
    全長770kmの防衛線上には監視塔拠点900以上と、大小のKastell砦120を数えると云う。
    各地には様々な規模の出城や防壁、防御柵、広い温泉施設、居住用建築物が見られる。
    イギリスの長城に比べ、規模も大きい。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • 古城ホテル ヴォルフスブルンネン城は娘の結婚プレゼント!!!に建てた城。

    投稿日 2020年08月03日

    シュロッス ホテル ウォルフスブルネン その他の都市

    総合評価:4.0

    <「狼の泉」の異名が付いた古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    2005年春“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間

    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。Kasselカッセルの大企業の社長が娘の結婚プレゼント!!!に、1904~07年に建てた城だそうだ。
    王が王妃や愛妾に城を贈る事はよく聞く話だが、大企業の社長とはいえ、驚いた話だ。
    第二次大戦後はユダヤ人の孤児収容所、ルールの鉱山労働者の保養所、独大企業Preussagプロイサーグへの賃貸等を経て、1988年からホテルに生まれ変わった。

    ドイツで中学生までいた長女夫婦も、2000年12月の新婚旅行で、此処に宿泊した事があり、その事を聞いていたから、我々も是非宿泊したいと思っていた古城ホテルです。

    17:00にチェックイン。予約は3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室は正面左手の塔の下、張り出した丸窓のある大きな部屋です。
    ピンク系でトーンが統一され、天蓋つきのベッドがあり、その素敵な部屋からの眺望は、前面の森、丘の下の田園風景、走ってきた道路の先に見えるヴェラ川一帯の山河と、とても素晴らしいものだ。

    <Meinhard :Hotel Schloss Wolfsbrunnen
    古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    D-37276 Meinhard-Schwebda bei Eschwege 、Am Berg 1
    https://www.wolfsbrunnen.de/
    4星・全65室、1泊した3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室はEuro 115でした。 

    ヴォルフスブルネン城はエシュヴェーゲの北東4km、海抜211mに立っている。
    そこはシュウェーブダ地区の北北東約800mに位置し、ヘッセン州Werra-Meissner-Kreisヴェラ・マイスナー郡のDachsbergダックスベルクのふもとにあるマインハルトの森林地帯にあります。

    この城はドイツ帝国皇帝の侍従長であるAlexander von Keudellアレクザンドル・フォン・キュデル(1861~1939年)が1904年から07年にかけてネオ・ルネサンス様式で建てた近代的な城です。
    1886年6月、アレクザンドルは25歳の時、21歳のLouise Henschelルイーズ・ヘンシェル(1865~1951年)と結婚した。彼は1904年から1907年までかけてヴォルフスブルネン城を建て、妻に贈ったと云う。実際はこの結婚を祝って、妻の父から建設資金が出たのだが。
    ルイーズの父Carl Anton Oscar Henschelカール・アントン・オスカー・ヘンシェルは、カッセルの機械メーカーの社主であり、カッセル商工会議所の会頭であった大実業家でした。
    1939年に夫アレクザンドルが死去したあとも、ルイーズ未亡人は家族と共にこの城の一角に住んでいたそうです。
    1943年から45年にかけてドイツ国防軍の病院だった。
    1980年から85年までアシュラム・サンヤシン(ヒンドゥー教のお坊さん)が所有者だった。
    1988年以降は古城ホテルとなっている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    さて、15年も経った現在(2020年)、古城ホテル ヴォルフスブルネン城の
    HPをあらためて見ると、新資本が入り、ホテル経営も変わったようで、新しく、さらに豪華な古城ホテルになっていました。

    旅行時期
    2005年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    5.0

  • バウムクーヘンの元祖はザルツヴェーデルのカフェ・クルーゼだよ!

    投稿日 2020年07月05日

    エアステ ザルツヴェーデラー バウムクーヘン その他の都市

    総合評価:4.5

    2014年ドイツ:北方二州を巡る・(北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月18日(日) 185km、曇り時々シャワー、15℃
    起床6:30、朝食8:00~9:00、庭園散策、ヴェンドルフ城10:11 =>L?・(Crivitz)L? 32km  Jagdschloss Friedrichsmoor フリードリヒスモール狩猟用離宮 10:55~11:15 =>L?・B106・B5 20km Ludwigslustルートヴィヒスルスト宮殿 11:40~12:50 =>B191  34km Festung Doemitzデーミッツ要塞13:30~14:30 =>B191(Danneberg)・B248 43km Salzwerdelザルツヴェーデル15:20~16:30 (お茶)SalzwedelザルツヴェーデルCafe Kruseカフェ・クルーゼ 15:30~16:20

    *デーミッツ要塞からは国道191でDannebergダンネベルクに、ここからは国道248を南下し、アルトマルク地方に入る。合計43kmを走ると、元祖バウムクーヘンで有名なSalzwerdelザルツヴェーデルに着いた(15:20)。街中のLorenzkircheローレンツ教会からちょっと歩くと、目的のCafe Kruseカフェ・クルーゼのバウムクーヘンの看板が目に付いた。
    この町も木組み建築の家並みが多い。

    <(お茶)ザルツヴェーデルのCafe Kruseカフェ・クルーゼ>
    15:30~16:20 Euro12(1,587円) 

    元祖バウムクーヘンのレストランでは運良く、バウムクーヘン作成の実演をしていた。
    ドイツ人のツアーの人たち向けの実演だったのでしょうが、ツアー担当者が気を利かして、私共を見える場所に招じてくれた。
    (1842年創業で、昔のままのレシピ通りに行われる実演は日曜日及び毎月の第一水曜日14:00に行われるという。私共が入った時間はすでにこの対象時間ではなく、実演は予約済みのグループの為であったから、有難いものだったのです)

    暖炉のような場で黄金色した炎が燃え、女性の担当者が昔通りのレシピでローラーに巻き付けながらバウムクーヘンをクルリクルリと回転させて、“ケーキの王”バウムクーヘンを形作っていく。

    見学の後は当然、カフェで3片のバウムクーヘンを注文し、ダージリンの紅茶で楽しんだ。そして、やはり娘家族にお土産もと、同じ3種を購入した(Euro21.83)。帰国して3種類のバウムクーヘンを私共と娘家族で其々3等分して食べた。娘たちにも好評だった。

    <Salzwerdelザルツヴェーデル>
    15:20~16:30
    http://www.salzwedel.de/

    ザクセン・アンハルト州の最北部・アルトマルク地方にあるザルツヴェーデルという25千人の町はかつてのハンザ都市であり、Magdeburgマグデブルク、Luebeckリューベック、Hamburgハンブルク、Braunschweigブラウンシュヴァイクといった都市との交易路が交差する町であった。州都マグデブルクからハンブルク方面に走って凡そ100kmの距離にある。
    ザルツヴェーデルはBaumkuchenバウムクーヘンの発祥の地として知られている。
    今もってこの町では当時のレシピを使った、直火で焼くバウムクーヘンを食べられる。
    その製法は少なくとも1682年からのもので、直火の上をじんわりと回転するローラーの上にバウムクーヘンが徐々に層をなすように作っていく。

    1841年5月26日、プロイセン王Friedrich Wilhelm IVフリードリヒ・ヴィルヘルム四世(在位:1840年 - 1861年)は、選帝侯ヨアヒム二世(1535-1571)(Kurfuerst JoachimⅡ)以来の王侯貴族として、ザルツヴェーデルの町を訪ねた。
    それだけに 町は王に敬意を表して、歓迎の宴を催した。その際、"Adler Horst"のLuise Lentzルイーズ・レンツのバウムクーヘンが、初めて王の食後のデザートに出されました。
    ヴィルヘルム四世はそれをたいそう気に入り、愛する王妃のために残りを持って帰ったそうです。 また、ヴィルヘルム四世はルイーゼ・レンツにバウムクーヘンをベルリンの宮廷に定期的に送付するように命じたと云う。
    その後、ベルリンはもとより、ウィーン、サンクトペテルブルクなど、各地の王宮からも注文があり、この味は王宮から民衆に広がり、各地の人々に好まれるようになったと云われている。
    今日もなお、王が食べた当時のように、直火による手作業で焼かれたバウムクーヘンは古くから伝えられたレシピに従い、保存料を使わず、一番良い自然の素材とバターだけが使用されているのだそうだ。

    現在、ドイツで有名なバウムクーヘンの町はザルツヴェーデル、Cottbusコットブス、Dresdenドレスデンがある。
    其々はアラック(蒸留酒)を使う、挽いたアーモンドにラム酒を入れる、挽いたアーモンドやマジパンを入れシンプルに作るやり方である。
    この内、発祥の地ザルツヴェーデルの3店にその製法が受け継がれていると云う。

    ①Cafe Kruseカフェ・クルーゼ; 
    D-29410 Salzwedel 、Holzmarktstrasse 4 - 6
    http://www.kruse-baumkuchen.de/

    ②Salzwedeler Baumkuchen GmbH ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン有限会社;
    D-29410 Salzwedel 、Am Gueterbahnhof 19
    http://www.baumkuchen-saw.de/
    Cafe "Treff im Adler * Horst"カフェ“トレフ・イム・アドラー・ホルスト”。


    ③Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrikエアステ・ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン・ファブリーク ;
    D-29410 Salzwedel 、St.-Georg-Strasse 87
    http://www.baumkuchen-salzwedel.de/

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.5

  • カッセルの丘陵公園:壮大な「水の芸術」大噴水ショーを一度は見たいもの。

    投稿日 2020年06月30日

    ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園 カッセル

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃
    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *Caldenカルデンを11:45に出発し、凡そ10 km でKasselカッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエの駐車場に12時到着した。
    駐車料金はEuro7。但し、駐車券の半券で噴水のスタート時点の山上Herkulesヘラクレスの像(Grosse Kaskaden大きな人工の階段状の滝)までバスNo.23に無料乗車が出来る。なお、自力で途中まで登ったので使用せず。

    <ヴィルヘルムスヘーエ城公園>

    ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ山岳公園はヨーロッパ一の山地公園で、標高527m、敷地は総面積240haと広大なものとなっている。2013年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
    この山岳公園は1700年頃、ヘッセン・カッセル方伯カールの下でバロック庭園として設けられた。その後、18世紀から19世紀に一部がイギリス式の風景庭園に造り替えられた。

    カッセル観光の目玉、見応えのあるカッセルの噴水ショーは、この山岳公園内で、夏期(2019年5月1日~10月3日)に週の水、日の2回と祭日(開始14時半~16時頃終了)に行われる。
    庭園は水の高さが50mを超える大噴水や、渓流、滝、池、水路など、水を利用してデザインされた造形が特徴で、そのユニークさは他に例がないそうだ。

    今日は高低差231mを利用した水の流れと見事な大噴水を見にここにやって来た。


    (「水の芸術」大噴水ショーの時間的経緯)

    12時、駐車場からともかく登り出す。
    海抜289mのGrosse Fontaene(グローセフォンテーネ)大噴水の池から12時半に右手の道を上がる。
    12時45分、Plutogrotte(プルートグロッテ)冥王(冥府を司る神)の洞窟に至り、たかだか70mを上がった。
    12時50分、Teufelsbruecke(トイフェルスブルッケ)悪魔の橋(海抜357m)を写真に撮る。
    13時05分にNeptunbassin(ネプチューンバーシン)海神ネプチューンの池にようやくたどり着いた。駐車場から1時間弱かかった。海神ネプチューンの池は海抜420mの地点で、ヘラクレスの像まで標高差100mを上がるだけになった。・・・がここで、十分と思った。
    (昼食13:15~14:15)

    14時半、ヘラクレスの像の下部から水が少しずつ吹き出て、流れ出し、幾つもの階段を水が両脇まで浸しつつ下ってくる。(海抜520m)
    14時39分、海神ネプチューンの池に滝のようになって池に水が落ちだすのだ。
    (ヘラクレスの像から100m下となる海抜420mの地点)
    15時20分、悪魔の橋(海抜357m)に到達。
    15時30分、Aquaedukt(アクアエドゥクト)に至る。1792年、ローマの水道橋の遺跡を模したもので30mの高さ。(海抜320m)
    15時45分、大噴水の池に達して、水圧のかかった水は吹き上がり始めた。(海抜289m)
    (噴水ショーは1時間半をかけて、16時ころに終了する)

    ヘラクレス像から大噴水池まで2.3kmを下り、丘の高低差による水圧を利用することによって高さ52mまで水を噴き上げる姿を「水の芸術」と呼んでいる。

    「水の芸術」のクライマックスでは、ヴィルヘルムスヘーエ城を背景に大噴水を撮る人、大噴水とヘラクレスの像をバックに撮る人と様々で、私共もカメラ片手にこの一瞬の為に待っていたから、皆さん同様にシャッターを切ったものです。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • カッセル:大噴水ショーで知られた山岳公園内にあるヴィルヘルムスヘーエ城は18世紀後期の歴史的建造物である。

    投稿日 2020年06月29日

    ヴィルヘルムスヘーエ城 カッセル

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃

    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *ヴィルヘルムスタール宮殿の駐車場で15分ほど休憩し、Caldenカルデンを11:45に出発し、次の目的地に向かう。
    凡そ10 km でKasselカッセルのSchloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城近くの駐車場に12時到着した。ここは海抜280mぐらいになる。

    <Kasselカッセル>
    カッセルはヘッセン州の北部の大学都市で、フランクフルト・アム・マイン、ヴィースバーデン(州都)に次ぐヘッセン州第3位の都市(人口201千人)である。
    カッセルは歴史上、1277年から1866年までヘッセン・カッセル方伯家の首都であったことがある。
    フルダ川の両岸に広がるカッセルはWasserspielekunstヴァッサーシュピールクンスト大噴水芸術が有名である。また、1955年から 4、5年ごとに開催される芸術祭ドクメンタ(現代美術展)で知られている。このためカッセルは1999年3月から「documenta-Stadtドクメンタ・シュタット」と公式に称している。

    「Schloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城」

    カッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ(山岳公園の総面積240ha)には、18世紀後期の歴史的建造物であるヴィルヘルムスヘーエ城がある。
    ヴィルヘルムスヘーエ城の中央翼は古代コレクションとアルテ・マイスター絵画館(古の巨匠絵画館)に充てられている。この絵画館は主にフランドルやオランダのバロック絵画を所蔵している。
    たとえば、レンブラントの「ヤコブの祝福」、フランス・ハルス、ルーベンスなどである。その他に古いドイツ絵画(アルブレヒト・アルトドルファー、アルブレヒト・デューラー)、イタリア絵画、スペイン絵画もある。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • メルヘン街道の代表はいばら姫の城サバブルクですが、残念にも2018年12月から休業中。

    投稿日 2020年06月25日

    ホテル ドルンレッシェンシュロス サバブルク (いばら姫の城) カッセル

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763  13 km  Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 =>B83 13km Hofgeismarホーフガイスマル14:35~15:45=>B83  7km Grebensteinグレーベンシュタイン16:00~16:20=>B83・L3217 10 km Caldenカルデン16:35着。


    *グリム童話で名高い“ラプンツェルの塔”のモデルとなったBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルグ城や、
    Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城は私のお気に入りだから、この地域に来ると外せないのだ。

    <Sababurgザバブルク> 12:17~13:00
    Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城はもちろん、若い頃にも家族で訪れているのだが、定年後の旅も2005年春に訪れた。
    そしてドイツ・ベネルックス秋の旅をした際、2013年10月16日(水)にもザバブルク城(いばら姫の城)を訪れた。
    その後2018年末に理由は不明だが、古城ホテル ザバブルク城(いばら姫の城)は営業を停止していた。多分業績不振となったのだろうが。

    2019年9月28日、今日の事だが古城ホテル ザバブルク城が閉業した後が気にかかり、どんな風になったかを見たかったのだ。

    6年ぶりの秋の訪れだが、見覚えある巨人族のザバの木像が右にいく道路沿いに立っていた。左に入って駐車場に停める。今日は週末なので、観光客やハイキングで立ち寄る人も多いと思ったが、数台の車が有るぐらいだった。古城にも秋が訪れていた。

    <Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城>
    D-34369 Hofgeismar (Sababurg)ホーフガイスマル(ザバブルク) 、Im Reinhardswald (ラインハルトの森)
    ザバブルグ城はメルヘンの国・ラインハルトヴァルトの原生林の中にあり、グリム童話で知られるいばら姫の城は670年以上の歴史をもつ。
    別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”と呼ばれている。
    この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。
    1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、長い間、文字通り「眠れる城」として忘れられた存在になっていた。
    第二次大戦後、目覚めた城はホテル・レストランに改造され、大変人気のある古城ホテルになっていたのだが。この城は3星・全18部屋という小さな古城ホテルでした。

    13 km離れた古城ホテル トレンデルブルグ城に泊まってしまうので、いままでここには泊まった事が無いのだ。今回も休業中で、カルデンの方に宿泊する古城ホテルを見つけていた。ザバブルク城の周囲には自然動物園(1571年)も設けられていたが、今日はその様子が見えなかった。古城ホテルの館内の扉はしっかり閉鎖されていた。
    休業の文字があった。休業が実に惜しまれる。

    それでもメルヘン好きな人々は訪れる。土曜日といえ、メルヘン好きの人々はやはり年輩者ばかりで、すこし寂しい感じを受けた。
    この日もゲッティンゲンから訪れた80代と77歳のご夫妻(25歳の時にここで御二人は結婚式を挙げたと奥様は昔を思い出すようにおっしゃっていた)と、城址前にあった屋台(軽食と飲み物の提供)でお会いし、「ここのケーキは美味しい」からと勧められ、しばし歓談した。
    屋台のお兄さんに代金を支払いながら古城ホテルの再開を尋ねると、何時にと言うわけではなかったが、「また再開するさ!」と、気を持たせることを言ってくれた。
    残念ながら、ザバブルク城らしい景観はあったが、城址に残る大広間のように中身は空虚の城になっていました。

    メルヘン”いばら姫”のイメージは様変わりですが、この古城に立つと周辺の森や草原が見渡され、良い気分になります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • メルヘン街道の目玉:ラプンツェル(髪長姫)の古城ホテル トレンデルブルグ城

    投稿日 2020年06月24日

    Hotel Burg Trendelburg カッセル

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    *起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763  13 km  Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 

    ザバブルク城を13時に出発した。村道を13 km走ると、人口6000人という小さな木組みの家の並ぶ村の中心に、Hotel Burg Trendelburg古城ホテル ブルク トレンデルブルクが見えて来る。  
    トレンデルブルグ城もラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は実に広大なのだ。
    丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。あれが名高い“ラプンツェルの塔”だ。

    <Trendelburgトレンデルブルク>
    13:30~14:05

    ザバブルク城と同じく、1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。
    2013年10月16日(水)にも訪れた。2013年の時はヴァルデック城をスタートし、カッセルやハン・ミュンデンを経由し、フュルステンベルクを再訪、カールスハーフェンからトレンデルブルク、サバブルク、カルデンと巡り、ヴァルデック城に戻った。
    今回はフェッカーハーゲン、サバブルク、トレンデルブルクと行程が逆になる。
    今年も又再び訪れたが、ぐるりと回遊するだけだ。

    <Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルグ城>
    D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
    TEL:49(0)5675-9090、FAX:-9362
    http://www.burg-hotel-trendelburg.com/de/

    4星・全22室。この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6室のみのホテルが開業された。
    今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。

    古城前の駐車場に車をおき、60mぐらい歩くと、ラプンツェルの塔が目に入る。
    細い橋を渡って、狭い城門をくぐり、石畳の城内に入ると、カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。

    高い塔にはラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。
    1907年発行のグリム童話では『魔女に閉じ込められたラプンツェルが塔から長い髪を垂れ下げ、王子に助けてもらった』という話が載っていて、トレンデルブルグの塔は其のモデルに使われたそうです。

    テラスから周辺のラインハルトの森を遠望する。以前は見なかった大きな建物が下に見える。宿泊施設や駐車場・広場といったものだが。こうして森も少しずつ少なくなっていくのだろう。
    塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデルブルグ城の内部を見せてもらう。城内に入ると、歴史の重みを感じさせる、武具、アンチーックな家具、調度が見事である。
    近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。
    ホテル内の装飾はいろいろと加えられて、古城の雰囲気も増していた。
    ラインハルトの森、赤いレンガ屋根の家々、緑の畑が一望でき、ロマンチックである。
    秋には鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。


    私共にとって特別のニュースはホーフガイスマルに向かう道で、ディーメル川の岸辺に立つ「Trendulaトレンドゥラの木像」を発見し、漸くその姿を撮った事だろう。

    Diemelディーメル川(ヴェーザー川の支流:全長110.5km)でいったん止まり、木像の写真を撮ってからトレンデルブルクを14:05に出発した。

    ・・・・・


    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • ハン・ミュンデン:朝市が出ていたマルクト広場は旧市街のランゲ通りとツィーゲル通りに挟まれた中間にある。

    投稿日 2020年06月17日

    マルクト広場 (ハン ミュンデン) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場は旧市街のメイン・Langeランゲ(長い)通りとZiegelツィーゲル(レンガ)通りに挟まれた中間にある。
    北のヴェラ橋(ヴェラ川)から南に行くと、マルクト通りに面したマルクト広場、市庁舎、聖ブラジウス教会の順に見る事になる。
    近くにこの町を代表する鉄ひげ博士の家(Lange Str. 79番地)もある。
    この日は土曜日でマルクト広場では朝市が出ていた。ドイツの朝市には見慣れてしまい、市役所の入口前のテラスから見下しただけだったが。

    マルクト通りを西に行くと、Muehlenstrasse水車小屋の通りになり、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    フルダ川に架かる水車小屋の橋を渡れば、Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)のあるTanzwederタンツの中州に行ける。

    尚、マルクト広場の西側を南に行くZiegelツィーゲル(レンガ)通りにはウェーザールネサンス様式と呼ばれるこの地方特有の美しい木組みの家が並ぶ一角がある。
    特に1400年頃に建てられたゴシック様式木組みの家「Hotel Alte Windmuehleホテル・アルテ・ヴィントミューレ(ホテル古い風車)」(レンガ通り66番地)が目につく。
    ハン・ミュンデンは質と量に富んだ木組みの家並みが見られ、市城壁内のいわゆる旧市街の建物の79%が木組みの家と云われている。ルネサンスとバロック様式の建物の割合は特に高く、272の建物があるという。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • メルヘン街道の目玉 古城ホテル トレンデルブルグ城

    投稿日 2014年08月20日

    Hotel Burg Trendelburg カッセル

    総合評価:4.0

    ≪Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルグ城≫
    14:25?14:45

    D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
    TEL:49(0)5675?9090、FAX:?9362
    http://www.burg-hotel-trendelburg.com/de/

    4星・全22室。
    この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6ベッドのみのホテルが開業された。
    今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。

    バート・カールスハーフェンでB80(ハン・ミュンデン方面)とB83(トレンデルブルグ城・ザバブルグ城方面)に分れる。
    ここでどちらにするか迷ったが、木組みの家並みより、B83のメルヘン街道の古城ホテルを選んだ。ラインハルトの森を通る道だが、ここには何度も来ている。

    森を抜けると、急に明るくなり、前方の丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。
    グリム童話に名高い“ラプンツェルの塔”だ。フュルステンベルグ城から31kmでトレンデルブルグ城に到着。
    カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。
    城内に入ると、歴史の重みを感じさせる、武具、アンチーックな家具、調度が見事である。 白の天蓋つきの部屋:No.8(2005年・1泊朝食付きEuro130でした。)もレストランも皆、趣があり、これぞ!!古城ホテルと思う。

    1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。

    今日はメルヘン街道を走ると云う事で、こちらを再訪問した。
    古城前の駐車場に車をおき、橋を渡る。左手にラプンツェルの塔が立ち、ラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。

    狭い城門をくぐり、中庭に入ると、秋真っ盛りの古城だった。やはり良いもので、しばし散策をする。塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデルブルグ城の内部を見せてもらう。
    近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。秋になると、鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。
    親切な奥さんが私共の写真をかつての古城の絵や甲冑の前で撮ってくれた。
    また、来てみたいなと、ツィ思ってしまう。

    XXX

    <グリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)>

    あるところに夫婦がいた。長年子供がなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。
    妊娠した妻は隣に住むゴーテルという魔女の庭のラプンツェル(妊婦が食べるのによいとされる野菜)を食べたくてたまらなくなる。
    食が細ってやつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう。」と懇願された夫は、妻と生まれる子のために魔女の敷地に忍び込むとラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔女に見つかってしまう。

    しかし夫から事情を聞いた魔女は、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと言う。
    やがて妻が生んだ女の子は、即座に魔女に連れて行かれる。ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りしていた。

    そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見し、魔女と同じ方法を使って塔に登る。魔女に隠れて夜ごと王子を部屋に招き入れて愛し合い、ラプンツェルは妊娠する。

    その事実を知って、激怒した魔女はラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐してしまう。 一方、何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は、待ち受けていた魔女から罵られる中で全ての顛末を知って絶望し、塔から身を投げて失明する。

    7年後、盲目のまま森をさまよっていた王子は、男女の双子と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。
    うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らしたそうだ。(Wik)

    XXX

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    4.0

  • ハン・ミュンデン:お気に入りのヴェーザーの石碑、この日最も訪れてたかったのはここだ。

    投稿日 2020年06月19日

    ヴェーザーシュタイン ハン・ミュンデン

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場から左のMuehlenstrasse水車小屋の通りを行くと、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    Tanzwederタンツの中州に向かう。

    ⑨Fuldaフルダ川:
    フルダ川はヘッセン州・Rhoenレーン山地にあるWasserkuppeヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある。

    ⑩Tanzwederタンツの中州にあるWesersteinヴェーザーシュタイン:
    Muehlenbruecke水車小屋の橋の下はフルダ川が流れる。
    橋の上から見ると結構水量がある。橋を渡り切ると、広大な駐車場もあるTanzwederタンツの中州に入る。

    中州公園の先端にはヴェラ、フルダ、ヴェーザー・三つの川の合流点であるWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)がある。
    この日の最も訪れてたかったのはここだった。言わば、お気に入りなのだ。

    先端の大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木は更に立派に育ち、大きな実も落ちていた。
    その木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。

    何やら、木や柱にHeimat故郷などの言葉を付けては写真を撮っていた方に私共も撮って頂いた。それが下の写真だ。
    ご親切な方でしたが、私共も日本に戻る日も近づいてきて、「Heimat故郷」の言葉が嬉しい。

    ・・・・・・・・・・

    恒例のお気に入りの碑文は以下:

    ハン・ミュンデンのフルダ川とヴェラ川が合流してヴェーザー川となる地点に、1899年7月末に以下の詩文を刻んだプレートをつけた石碑が建てられた。

    Wo Werra sich und Fulda kuessen
    Sie ihre Namen buessen muessen,
    Und hier entsteht durch diesen Kuss
    Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.

    Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899

    (ヴェラ川とフルダ川がキスをして
     その償いにその名を捨てる
     そしてそのキスから生まれた
     ヴェーザー川がドイツを抜けて海へ向かう
      ハン・ミュンデン、1899年7月31日)

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • ハン・ミュンデン:聖ブラジウス教会とハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ)拾いの事

    投稿日 2020年06月17日

    聖ブラジウス教会 ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑦St.Blasiuskirche聖ブラジウス教会とハーゼルヌス拾い:
    市庁舎の裏側に茶色の重厚な聖ブラジウス教会(三廊式、ゴシック様式のホール教会)が建っている。工期は13世紀末から16世紀末までかかった。

    聖ブラジウス教会傍に大きなHaselnussハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ:ドイツで有名な「Nutella(ヌッテラ)」という、パンなどに塗って食べるチョコレートクリームにも使われている)の木が立っていて、その実を拾う奥さんがいた。
    偶々足元に大きな実が落ちていたので、拾ってあげた。
    袋にたくさん入っていて、お菓子(料理)に利用すると言っていた。

    この教会ではこの出来事が一番記憶に残っている。
    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 「ハン・ミュンデン攻城戦」を記念したティリー砦と呼ばれる展望塔が、旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にある。

    投稿日 2020年06月16日

    ティリーシャンツェ ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
    Tillyschanzenweg 4

    旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェ(ティリー砦)と呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。もう70代半ばにもなると、メンドクサイのだ。
    今日も遠くの写真を撮っただけだ。

    ティリーシャンツェ(ティリー砦)は三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの高地ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったようだ。
    いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。

    さて其の攻城戦だが、世にいう「ハン・ミュンデン攻城戦」は1626年6月9日から、5日間の砲撃の末、「血の聖霊降臨祭(キリストの復活のできごとから50日目)」と呼ばれる日になった。この日、10,000人にのぼるティリー伯の軍勢にミュンデンの町は占領され、800人のデンマーク人守備隊と、ほぼ町の人口にあたる2,000人の住民が虐殺された。
    砲撃に対して脆弱だった城塞も原因だったと云う。

    Johann T’Serclaes Graf von Tillyヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー伯爵(1559年~1632年)は、ブラバント公国のヴィレス・ラ・ヴィル(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟と帝国軍の両方の最高司令官を務めた。
    敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。

    ティリー伯は三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・「Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い」で命を落とした。(レヒ川はオーストリアとドイツを流れる川。ドナウ川の支流で全長264km)
    この戦いはスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(1632年11月16日のライプツィヒ南西、「Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い」で戦死)率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍と、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
    この戦いでティリー伯は負傷、その傷は重く破傷風を併発し、バイエルンのインゴルシュタットで死去した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5

  • ハン・ミュンデン:マルクト広場に立つ市庁舎では「鉄ひげ博士の仕掛け時計」が人気だ。

    投稿日 2020年06月13日

    鉄ひげ博士の仕掛け時計 (市庁舎の仕掛け時計) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑧’マルクト広場と市庁舎の仕掛け時計:

    広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。
    マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾扉がある。

    仕掛け時計は両側に鐘のある窓から人形が出て来る。

    12時、15時、17時から仕掛け時計があり、「私はドクター・アイゼンバルト」のメロディーが流れると窓が開き、模擬の窓から大きな義歯用のハサミを持った博士、左側の窓から助手に抑えられた患者が出てきて博士の後に道化師がアクロバットの演技をする。

    また、夏の土曜日13:30から市庁舎のホールで鉄ひげ博士の講義という野外劇が催される。

    今日は仕掛け時計の演奏時間には町を出ていたから、見ないままだが、仕掛け時計を見るのは旅の記念になり、楽しいだろう。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、ロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、結局2023年もドイツの旅を見送ってきました。2024年はどんな年になるのだろう。
(2023.11.28.変更)

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