jijidarumaさんへのコメント一覧(9ページ)全404件
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jijidarumaさんが山のてっぺんに!!
jijidarumaさん
こんにちは。
今回のドイツの習わしシリーズも大変興味深く拝読いたしました。私にとってはタイムリーな内容だったので読んでいて尚更楽しくなりました!実はまだGrmisch-Partenkirchenの市内観光をしたことがなく、次回は時間を取ろうと思っています。
そして貴重なjijidarumaさんの山頂でのショット!意を決してロープウエイに乗り込んだ様子が文面からでも伝わってきましたよ(笑)山頂は4月にもかかわらず、私が行った時よりも雪が多いように見えました。何度見てもツークシュピッツェからの景色は最高ですね!
さらに今回の驚き…jijidarumaさんのお嬢様と私は同い年ということが発覚いたしました(^^)何だか不思議な巡り合わせですね!!
これからもよろしくお願いします!
beachRe: jijidarumaさんが山のてっぺんに!!
beachさん、
今日は。いつもありがとうございます。
ドイツの生活の中で、あれっと思った事は貴女にもしばしば
あることでしょう。ダルマ爺のような古い見方でのシリーズ
よりもきっと面白いものが出来るような気がします。
Starnbergersee湖周辺巡りからツークシュピッツェ、
Grmisch-Partenkirchen、Mittenwald ミッテンヴァルト。
バイエルンは見所いっぱいで、記憶もしっかり残っています。
また訪れたいものです。
それにしても、30代の若い頃は高所恐怖を感じなかったのに
いつしか駄目になりましたね(苦笑)。
本来ならば飛行機も乗れないのに・・・。
beachさんはきっと勘違い、娘達(現在52歳と50歳!)より
若いですよ!!!
それではまた。
jijidaruma2022年03月07日14時15分 返信する -
シュトレン
jijidarumaさん こんにちは
先日は、楠木正成像の疑問にコメントをいただきありがとうございました。
今日はひな祭りですね~、
ひな祭りやクリスマスを待ちわびる!なんて可愛らしい子供の頃が、どんどん遠くなってしまいました。
ヨーロッパには行った事が一度もありません。憧れだけ!
4traで仲良くさせてもらっているトラベラーさんにドイツのクリスマスマーケットに連れて行って貰う予定を練っていたら、このコロナの世の中になってしまいました(涙)
長年パン教室に通い、上級コースで習うドイツパン、プレッツェルが大好きで なんとか自分流に焼きたい!と、思いながら苦戦した事を思い出しました。
この旅行記で紹介の
オベルンドルフの礼拝堂
素敵ですね~
ヨーロッパ、特にドイツへの思慕が募りました。
落ち着いた素敵な旅行記 ありがとうございました
nomo1215
Re: シュトレン
nomo1215さん、
今晩は。お立ち寄りとコメントありがとうございました。
先日の楠木正成像の疑問が解消された由、何よりです。
さて、ひな祭り、今年も2月の大安の日に我が家のお雛様を飾りました。
このお雛様は御殿雛というもので、もう52年目になります。
長女の誕生と共に家内の両親から贈られたもので、二度のドイツ駐在に
一緒に渡航し、そして無事に帰って来たものです。
ひな祭りも楽しいですが、ドイツのクリスマスも実に楽しく、本章
のように懐かしみながら、昨冬もシュトレンやレープクーヘンを購入し、
いつものように娘家族にも贈り、お互いに楽しみました。
クリスマスについては、もう時期が外れてしまいましたが、
<ドイツのクリスマス >シリーズがありますので、ご興味あれば、
お立ち寄りください。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2022年03月04日00時17分 返信する -
伯林フンボルト大学
jijidarumaさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
実は、小生、昭和58年(1983年)に半年間だけフンボルト大学に留学しておりましたが、当時の東ドイツ伯林在住なんて本当に牢獄生活に均しく、外国人はモンが無く常に誰かから監視を受けて自由なのはトイレの個室だけだったという悲惨な生活を送っておりましたが、肥沼博士の業績なんて名すら耳にしたこともございませんでした。
父は横浜第1中学校昭和17年(1942年)卒業で、同期で首席を争ったは海兵に進み2番入学卒業も2番で、例の井上成美中将から恩賜の短剣を授与され終戦時にはイ401の航海長だった方がおられます。
同期で陸士陸航に進学した方は1名だけで、11名が海兵へと進学された様です。
時代の拝見ですね。
父も首席を争った方も97歳にして健在で、矍鑠とされております。
横浜臨海公園
Re: 伯林フンボルト大学
横浜臨海公園さん、
今日は。いつもありがとうございます。
もう掲載から久しく日が経ってしまい、通常の旅行記と少々趣が違うこの旅行記に、ご興味を持っていただきありがとうございました。
あいかわらずコロナ禍は第6波が治まりませんが、こうした時期ゆえにチフスの病と闘い、ドイツ人の尊敬を得た「肥沼信次博士の生き方」を時々更新し、皆様に御紹介させていただいております。
長い間、肥沼博士は消息が不明であった事を書いておりますが、博士の事績が表に出たのもある意味「奇跡」であったように思います。
さて、貴兄には「伯林フンボルト大学」に昭和58年(1983年)に半年間だけ御留学されていた由、当時の東ベルリンでの勉学の困難さを想像してみました。(当時の事をどこかで書き残されていませんか?)
私はベルリンが東西分離の時代に、2度行きました。
1度は1977.6.8~6.9(1泊2日、西ベルリンのHotel Seehof泊)先輩社員に同行した出張、2度目は1983.4.1~4.4(3泊4日、西ベルリンのAlsterhof Hotel Berlin伯)の家族ずれの小旅行でした。貴兄が「牢獄生活」と称された東ベルリンの留学生活中に、私共は訪れていたのかもしれません。
車でHelmstedtヘルムシュテットにあった東の支配する国境の検問を受けて、寂しいアウトバーンを緊張して走り、西ベルリンに入りました。
ツアーを利用して、繁栄していた西ベルリンから、閉鎖的な東に入って見ると、印象は「なんと暗い」といったものでしたが、あくまで観光者の、通りすがりの感想で、実際に東で生活をされた方の実感にはとても比べられません。
御尊父が名門旧制横浜1中をご卒業になった翌年1943年に私が生まれています。
首席を争った方と共に、97歳のご高齢ながらいまだに矍鑠とされておられるとのこと、素晴らしいことですね。我が家の両親は既に亡くなり、昔の事をもっと聞いておけば良かったと、残念に思うこの頃です。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2022年02月19日14時53分 返信する拝復
jijidarumaさま、こんにちは。
掲示板を拝見させて頂きました。
そうです。ほいみさまの掲示板でのやり取りに投降した事がございました。
当時の公立小中学校なんて日教組の天下で、中ソは天国だと教えられていましたが、小生、ロンドン滞在中の昭和43年(1968年)にチェコ動乱発生で、輸送機で亡命してきたチェコ人を見て、身なりが貧相で中には裸足の男女も居て、子供心に東側体制なんてウソで固められた虚構だと思ったほどで、然も大学4年間は資格を取り海外旅行専門のツアコンダクターをやっており、あのシベリア鉄道に3回も乗せられたり、ノルウェイから夜行寝台列車でモスクワ入りしたり、当時のハンガリーに行ったりとしていたので、東側の嘘を確信するに至りました。
それだけに、東ベルリン派遣と聞かされ暗然とした気分になったのは事実でした。
大学の寄宿舎から望見される西ベルリンの街の明るさに気が滅入り鬱々としたものです。
当時の東側の人々が西側に憧れを抱くのは当然だと思います。
横浜臨海公園2022年02月21日11時29分 返信するRE: 拝復=>再度のコメントありがとうございました。
横浜臨海公園さん、
今晩は。再度のコメントありがとうございました。
それにしても、横浜臨海公園さんは東の裏面史をしっかり体験されたようですね。
お書きになった「公立小中学校なんて日教組の天下」であったことは、私もよく知っております。昭和30年代の中学では教頭先生に「日教組のストについて」感想文を書いてくれなどと言われたものでした。当時生徒会長でしたので、批判した文章を提出した覚えがありますが、その先生は悲しいことに、教職員間の争いを苦にして自死されてしまった。
私の父は小学校の教師で、残した履歴を見ると、昭和5年3月20日東京府青山師範学校本科一部(現在は東京学芸大学)を出て、青梅市内の小学校に訓導として奉職しています。
昭和45年3月31日(1970年)、私共兄弟姉妹の母校であった青梅市立第2小学校校長を退任しました。
2小・1200名の生徒のため、鉄筋3階建校舎の建設、さらに体育館の完成を遂げて退職し、40年の教員生活に終止符を打った。家では当時の事をあまり話さない父でしたが、管理職として校内の良き環境を守るために大変な苦労をしたのだろうと思います。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
2022年02月21日19時39分 返信する -
シュヴァルツヴァルト
jijidarumaさん おはようございます。
写真の中に目を引く風景がありました。jijidarumaさんの撮られたものかと思ったら、なんと絵だったのです。どことなく明るい、童話の世界のような、でも現実にあるような、見ていて幸せな気持ちになるような絵ですね。これが黒い森の春?
黒い森とはくらいイメージでいましたが、こんな春の景色があるなら、一度は行ってみたい森ですね。なんどもこの絵を見直しています。コメントはこれだけで・・・
pedaruRe: シュヴァルツヴァルトの春景色
pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
黒い森のイメージ、文字通りの印象が強いですね。
森の多くは植林されたドイツトウヒの木だそうで、日本での松の
植林に似ているのでしょう。広葉樹と違って、確かに暗い。
さて、40枚の写真集の中で、唯一お目にとまった「アーノルド・
リョングリューンが、1912年に描いた黒い森の好ましい春景色」
の絵、我が写真よりもインパクトがあった様子(苦笑)ですが、
選んで投稿して良かった。
ドイツの春は好きですが、黒い森の春はまた格別です。
日本人観光客が訪れる事が少ない地域ながら、保養や天下一と
謳われる食をお楽しみになるのも、それなりに一興かと思います。
それではまた。
jijidaruma2022年02月06日14時29分 返信する -
所変われば の典型ですね!
jijidarumaさん
お嬢様の耳の話、手術しろには、口あんぐりですよね。
毅然とした奥様のご対応に、拍手です。
赤ん坊だった娘を連れて渡英した時に言われたのが、蒙古斑に注意!というアドバイスでした。先輩の駐在員の奥様から言われたのですが、DVと間違われないように!というのです。ひどい青あざに見えるようです。実際にファミリドクターなどは理解ありましたから問題ありませんでしたが、高熱で救急車で病院に連れて行かれた時には、きちんと説明しました。本当に蒙古斑なんて知らないんですよね。
狼の耳が日本でなんの問題もないことをドイツ人が知らないのも、仕方ないですね。
世界は広い!そして人々はみんな様々!
みんながその違いを理解し合えるといいのですが。
(コロナウイルスですら世界中でバラバラに変異!すべて解明できるのでしょうか?)
出るのはため息ばかり。
MよりRe: 所変われば の典型ですね!
M-koku1さん 、
今晩は。いつもありがとうございます。
「所変われば の典型ですね!」、おっしゃる通りですね。
蒙古斑!これは確かにリスキーなこと、無知から来る誤解ほど
怖い事は無い。
現地生活をしてみると、予想外の事が起こる。文章にしてみて
当時のドイツ生活の危うさを一段と感じたものです。
年輩の先生は軍医を体験されていたのでしょう。なかなか厳しい
方で、子供の態度が悪いと、大きな手でピシッと子供の手を
叩いていました。
言葉もきちんと言えたか?・・・それでも家内の対応は合格でした。
あれ!Mさんらしくもない、ため息は体に良くないから、ご注意ご注意!
三回目のファイザー接種を2月12日に予約しました。
やることをやるべしです。
それではまた。お元気にお過ごしください。
jijidaruma
おまけです。
思い出のサンフランシスコ:
https://www.youtube.com/watch?v=5IXCYS-Tz8k
2022年01月25日00時30分 返信する -
お立て替え
jijidarumaさん、こんばんは。
チューリッヒでそんなことがあったのですね。その時の対応は私だったかもしれません。個々の記憶にはありませんが、そうしたことはしばしばあり、よく個人的に立て替えたことがあります。ウィーンでも何度もあり、某大学の教授がすりに会い、持病の薬まで盗られて立て替えて感謝されたことがあります。盗られたのが自分だったらと思うとお貸ししたいと思ったものです。今は当時よりもよほど便利になり、現金を盗られても別の手段があるでしょうから問題ないでしょう。時代を感じるエピソードですね。
Re: お立て替え
Rolleiguyさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
驚きましたね!
某都銀のチューリッヒ支店に御勤務されていたという事ですね。
チューリッヒ、ウィーンといろいろな人たちが同じようなケースに
お困りになり、それらをお世話されたとの事・・・、こうした
文章を書いた事に御反応頂き、ほんとにビックリしました。
個々の記憶はともあれ、そうしたお世話をされたのであれば、
多分、その一つに私共の件が入っていると思います。
遅ればせながら、大変お世話になりましたと申上げねばなりません。
私は当社担当のデュッセルドルフ支店にはご挨拶したものの、窓口で
あったチューリッヒ支店には1件落着後、ご挨拶をしなかったかと
思います。失礼しました。
Rolleiguyさんはウィーンのイメージが強く、チューリッヒ支店
は考えていなかったですね。ドイツ語圏ですから、同じ頃に欧州に
駐在していれば、何処かでお世話になるのもあり得たはずでした。
やはり、個人的にお立替になったのですね。こればかりは、支店の
勘定を通す事はできません。Rolleiguyさんのような方に、
ご対応して頂けたのは幸いでした。
若い人にはもう分からないエピソードになったようですが、
自分史の一つに付け加える事にしています。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2022年01月24日02時00分 返信する -
昭和41年(1966年)のロンドン
横浜臨海公園さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
昭和41年(1966年)のロンドンと言えば、私はまだ学生で
したが、御尊父は既に金融のメッカでご活躍されていた由。
しかも同じような話を体験されたと、横浜臨海公園さんにも
語られていたのですね。
こうしたお話でお父上の人物像が推測できて、家族史と云うと
大げさですが、結構な事と思います。
横浜臨海公園さんもロンドン生活をされ、様々な事象を見聞きされ、
<当時の日本人男性のロンドン駐在員は、例外なく蝶ネクタイ姿>・・
紳士然とした姿であったこと思い出された様子、当時はそんな
ものだったとは知りませんでした。
そういえばNY帰りの上司が日本に戻ってもしばらくの間、カッコの
良い帽子を被って出社していた事もつい思い出しました。
思えば、日本の企業は其々の企業グループが結束しつつ、競い合って、
世界市場に進出していた時代でした。
ロンドンの事例をご紹介頂きありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma -
似たような事が!
jijidarumaさま、こんばんは。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
同じ様な事が、昭和41年(1966年)のロンドンでもあった様です。
当時、父は澁澤翁も関係し現在では統合された某都市銀行ロンソン支店で幹部を勤めていたおり、ロンドン市内でジプシーとおぼしき連中からスリに遭ったと、同じ財閥系企業の方から救済を申し出られたそうです。
本当に当時はクレジットカードは未だ存在せず、チェックと称する小切手のみ、父は本人の身なりを見て貸したそうです。
もちろん、後で礼状方々返金があったそうです。
当時の日本人男性のロンドン駐在員は、例外なく蝶ネクタイ姿だったのを今でも覚えております。
横浜臨海公園 -
狼の耳
jijidarumaさん おはようございます。
今年もよろしくお願いいたします。
>セピア色の思い出:ドイツの年輩の小児科医は次女の『耳の形』を見て、これは『Wolfsohr狼の耳』と言って、手術を勧めた。
このインパクトのある表題を見て、覗いてみない人はいないのではないでしょうか?
好奇心旺盛なsanaboさんがまず引っ掛かりました(笑)。
覗いてみると、はっきりその状況が理解できました。文才のある方のものは違いますね。耳の形を狼の耳と例えるのは、愉快なことではありませんね。国によっての違いを知りました。ドイツでは私など言われそうです、「あなたの目は小さくてミミズの目だ、鼻は豚の鼻だ。」そしたら言ってやります「目は針孔写真機と同じで、良く見える、鼻は換気が良くて、コロナ禍には最適だ」と。(ウィルスを吸い込み易いかも?)
pedaruRe: 狼の耳
pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
こちらこそ本年もよろしくお願いします。
<セピア色の思い出>集は、日頃の旅行記とは異なり、番外編的な
一部にもなるのでしょうが、なんせ!外国・国内共に旅に出る事を
自粛しておりますので、苦しまぎれに(苦笑)、頭の片隅から
引っ張り出して文章にしています。
ある意味で自分(家族)史の一部になりますから、ありがたいのですよ。
「狼の耳」の記憶も不確かな点もあり、本章を読んだ家内から
*以下の事も教えられました。
*引っ掛かりましたsanaboさん(^:^)の返信に追記した。
「狼の耳」の事は、私共が最初に住んだアパートの階下に住む奥様が、
やはり気にされて、家内にアドバイス(彼女だったら、子供の将来に
問題がありそうなことは早目に対処すると)があったそうです。
ドイツ社会では目立ったのでしょうね。
いまだに、アジア人の容貌は新聞ネタになりますから、
国際交流とは面倒なことです。
聞く(聞ける)耳を持った次女は・・・今時こんなことをいうと、
叱られますが・・・「男の子であったら良かった」と思うほどでした。
それではまた。
jijidaruma2022年01月15日14時45分 返信する -
今年もよろしくお願いいたします。
jijidarumaさん、
寒中お見舞い申し上げます。
お国が変わればものの見方や価値観が異なることは多々ありますが
「狼の耳」は初耳でした。
お医者様に手術など勧められたら驚いてしまいますけど
日本では好ましいのですよと毅然として仰った奥様は流石ですね。
日本では可愛らしいと言われる八重歯を欧米人は矯正しますけど
「狼の耳」を手術する欧米人はどのくらいいるのでしょうか?
ご考察が佐藤藍子さんやヒットラーにまで及んだところが
如何にもjijidarumaさんらしいと大いに感心致しました^^
ここのところの感染の急拡大は驚くばかりですが
今年もお健やかな一年を過ごされますよう
心よりお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
sanabo
Re: 今年もよろしくお願いいたします。
sanaboさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
武漢ウイルス禍は衰えず、また6波の来襲ですね。
その昔のペスト禍の恐ろしさを思います。
寒いし、ウイルス怖さで外出せずに専ら過去の整理をしながら、
年始年末を過ごしました。
先日は4年ぶりに雪かきをしました。
「狼の耳」の事は、私共が最初に住んだアパートの階下に住む奥様が、
やはり気にされて、家内にアドバイスがあったそうです。
ドイツ社会では目立ったのでしょうね。
この章を書いてから、TVで見る方々の耳が気になりました(^:^)。
お正月は次女一家だけの来訪になり、ちょっと残念。
御節料理やお雑煮は大好きですから、飽きず(笑)に長々と食べました。
来週早々から長女宅の孫娘、次女宅の孫が高校受験で
いよいよ試験に突入です。
かつての娘たちの受験戦争を思い出しますが、ジジとしては
孫たちの事はもう見守るばかりです。
それではまた。お元気にお過ごしください。
jijidaruma2022年01月15日00時32分 返信する



