jijidarumaさんへのコメント一覧(5ページ)全414件
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イプホーフェン
聞き覚えのあるオクゼンフルトという名が引っかかったので拝見してみました。この辺りは以前出かけた事があるので。
イプホーフェンのツェーントケラーは宿泊した事があります。忘れていましたので調べてみましたら2001年のクリスマスシーズンの時でした。ここは名前にホテル&ワイングートとありましたので、ワイン畑も持つホテルでしたね。ワインは美味しかった記憶があります。
この時はザクゼン・アンハルト州が中心だったので、バイエルンはヴュルツブルクやオクゼンフルト、マルクトブライト等のマイン川沿いを車で巡っただけですがとても懐かしいですね。堪能させていただきました。Re: イプホーフェンとロマネスク街道
クリスさん、
今晩は。お立ち寄りとコメントまで頂きありがとうございました。
以前、貴兄の旅行記では、No.15のマリア・ラーハ修道院を拝見した事がありました。日本人観光客がこの地を訪れて、旅行記を書くことも珍しいので、大変記憶に残っておりました。
本編掲載のフランケン地方のイプホーフェン・ツェーントケラーにご宿泊されたとの事、ツイ貴旅行記を拝見したいと思い、探してみました。20年以上も前の旅でしたから、さすがに掲載がありませんでしたね。
こうして旅行記を懐かしんで読んで頂くのは、掲載した者としては大いなる喜びです。
ドイツのバイエルン州は好きな州で、中でもフランケン地方は古城群も古城ホテルも多く、それらが大好きな私はよく走りましたね。
2001年にザクセン・アンハルト州にお出かけだったとの事、推測するに、1991年に作られた“Strasse der Romanikロマネスク街道“、長さ1,200kmの一周ルートを巡られたのでしょうね。
私はロマネスク街道の名を初めて知ったのは、2005年にHarzハルツ山地などを巡った時でした。Quedlinburgクヴェトリンブルクは世界遺産の町ですが、以下の南ルートに入っています。この町でロマネスク街道の標識を見て、パンフレットを読んで知ったのでした。
ザクセン・アンハルト州で神聖ローマ帝国の皇帝オットー1世(大帝)の足跡を目指すと、ロマネスク様式がいっぱい詰まった町を辿ると云う。
1,200kmは65の町と80ものロマネスク建築の大聖堂や教会、修道院、古城と皇帝の居城を結んだものだそうですね。
装飾豊かな木組み建築家屋や古城が数多く見られ、中世の時代を思い起こさせます。
ロマネスク街道には北と南の2つのコースがある。
北ルートはArendsee 、Bebertal 、Burg、Gross Ammensleben、Havelberg、Leitzkau、 Loburg、Magdeburg、Redekin 、Rohrberg、 Salzwedel 、Walbeck 、Wustなど。
南ルートはAllstedt 、Bad Koesen、Blankenburg、Burg Falkenstein 、 Eckartsberg、Freyburg、Halle、 Ilsenburg、Klostermansfeld、Lutherstadt Eisleben、Merseburg 、 Naumburg 、Quedlinburg、 Querfurt、Seeburg 、Wanzleben、Zeitzなど。
ツイ、以上の事も思い出し、長い返信になりました。ご容赦ください。
又機会あれば、お立ち寄りください。
jijidaruma2024年12月06日19時43分 返信するRE: Re: イプホーフェンとロマネスク街道
この当時はまだ現役でしたので年末年始の休みを利用しての家族旅行でした。
8日程度の行程しか組めませんでしたので、あまり広範囲という訳にもいかず北ルートは行けていません。Fuldaからハルツ山脈の南にあるStolberg (Harz)を越えて、南ルートではQuedlinburgはもちろんですが、Ilsenburg、Drübeck、Halberstadt、Wernigerode、Gernrodeといった場所になります。後はルートではありませんがGoslarにも寄りました。
冬のドイツは日照時間も短いですし教会の撮影は光量が足らず厳しかったですね。引退した後はロマネスクの本場となるイタリア、フランス、スペインが中心になってしまいます。年齢的にも厳しくなっているので、限られた時間の中ではもうドイツには行けないかもです。
返信ありがとうございました。また拝見させていただきます。
2024年12月07日08時42分 返信する -
歴史
jijidarumaさん、こんにちは。
ドイツの古城や古城ホテルがお好きでしたか。
欧州の古城と言うと、どうしてもドラキュラを思い浮かべてしまいます。
それにしても、日本と同じく、やはり戦乱の時代はどこにでもありますね。
それぞれに歴史があり、大きな時代の転換点となる戦いがあり。
個人的には国内ばかりですが、欧州の中世の歴史も面白そうです。
旅猫Re: 歴史
旅猫さん、
今晩は。お立ち寄りとコメント書き込み、ありがとうございました。
本編は私も途中であきらめかけたものですから、読む方すれば、たいへん面倒であったことでしょう。私の家族に残す意味もあって、出来るだけ固有名詞はドイツ語を併記しますので、多分読みにくいし、ドイツ人の氏名などは読んでいる最中に忘れてしまい、元に戻って読み直す事になりがちです。
日本の戦国時代を思わせる、ドイツの地方・地域の争いを投稿しましたので、本編にご興味を持っていただいただけで、深謝しております。
さて、欧州の古城というと、ドラキュラ(ルーマニアのブラン城)が旅猫さんのイメージに御有りの様子、ドイツの古城に拘泥したばかり、残念にもドラキュラの城は見ていません(苦笑)。
ドイツ感傷旅行と称して、退職後の旅を十数回訪れましたが、目的は古城ホテルや古城探訪、そして古城ホテルのグルメレストランの食事を楽しむことでした。
例えば、2016年秋の旅ではライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡り、15日間、機中1泊、ホテル13泊のうち12泊を古城ホテルに泊まるといった旅をしました。
従って、かつて宿泊した古城ホテルも相当な数になっています。
レンタカーで田舎を巡りますのでそうした事が出来るのです。水城、山城、平城の古城・宮殿も様々で、古城の歴史を読み解く面白さもありますが、時には伝説が残る古城もあり、伝説好きでもある私には実に興味深いのです。
<古城巡り(私の覚えにこんな事を書き残しています)>
2012年の春に走った地域は古城群が実に多く、訪れる事が出来たのは52の古城でした。2013年の秋の旅は30の古城を訪れ、2014年の春の旅では29の古城を訪れた。2015年の夏は数が減ったものの、21の古城めぐりが出来た。
2016年は昨年同様の21の古城を数えた。
古城・古城ホテル好きとしては、まずまず満足でした。
この5年で合計153の古城数になっているが、ドイツの古城群は2万とか3万とか、桁が違う数があります。
ドイツの旅は、もう困難でしょう。昔のアルバムをめくって、楽しむしかなさそうです。
それではまた、ありがとうございました。
jijidaruma
2024年11月21日19時14分 返信する -
「T4作戦」、久しぶりに目にしました
jijidarumaさんこんばんは。
いつもお世話になっています。
「T4作戦」、忘れかけていた懐かしい言葉に出会いました。
と言いますのも、私も随分前に調べたことがありました。
Jijidarumaさんも書いていらっしゃいますが、ミュンスターで『クレメンス・アウグスト・フォン・ガレン司教』の像を見て、調べるうちに「T4作戦」を知りました。
イトシュタインにもT4作戦の施設があったのですね。あの美しい町に、あのおぞましい施設が・・、知りませんでした。
ここのところ齢をとったせいか、旅行記を書いても現代史に触れるのが億劫になっていましたが、jijidarumaさんの旅行記で、久しぶりにそのころの情熱が戻ってきた感じです。ありがとうございました。
私の2017年のミュンスター、ガレン司教の旅行記です。
「それはホロコーストのリハーサルだった」・ヒトラーの安楽死計画を敢然と非難した勇気ある司教
https://4travel.jp/travelogue/11393976
himmelRe: 「T4作戦」、久しぶりに目にしました
himmelさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
まだまだ、お元気に投稿を続けておられて、素晴らしいことです。
2017年の「それはホロコーストのリハーサルだった」・ヒトラーの安楽死計画を敢然と非難した勇気ある司教・・・を改めて拝読しました。
よく見たら、立ち寄って読みましたとばかりに、「いいね」していました(苦笑)。拝読していなかったら叱られていたような・・・。
再読しても、誠に素晴らしい旅行記で、いつもながら感服しています。
さて、2016年、2019年とミュンスター地方を訪れて、水城、古城群、伝説の多い事に楽しんだ覚えがあります。「T4作戦」とガレン司教の事も「2016年ドイツの秋にライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅に出かけた」際に、聖者たちの場所Xantenクサンテンの列福者の事と一緒に纏めた一文が投稿もせず、手元にありますから、私自身がその事すられ忘れていたようです。
従って、<ガレン司教とナチスの「T4(テーフィア)作戦」との関わりを全く知らなかったのです。>とは誤りで、後で修正しておきます。
何故?言及しなかったのか、多分、「1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たち(ベーゼラーガー男爵兄弟)」とか、時代がさかのぼる「爆弾ベルンハルト」と畏怖されたミュンスターのガレン侯爵司教(Christoph Bernhard von Galen クリストフ・ベルンハルト・フォン・ガレン、1606年~50年)の事といった話に、興がおもむくまま注力したせいかもしれません。
1983年当時は40歳、駐在業務に追われて、「T4作戦」などの恐ろしい事を知らずにいましたね。
それではまた。ありがとございました。
jijidaruma2024年10月04日01時07分 返信する -
ホテルについて
ディンケルスビュールとローテンブルクどちらに泊まるか悩んでいるのですが
こちらのホテルにされた理由はありますか?Re: ホテルについて
Yu Gさん 、
今晩は。初めまして。
さて、2012年の旅はロマンチック街道を久しぶりに走りたくて、計画したものでした。
私はドイツ駐在が長く、ドイツの古城ホテルや古城好き、伝説好きなので、好んでそれを目当てに退職後もレンタカーで旅をしています。
ディンケルスビュールとローテンブルクもロマンチック街道の珠玉と称されている町々なので、いずれを選んでも満足されることでしょう。
この年はマイン川沿いに<白雪姫>の伝説の城を見つけた事でちょっと北に寄り道してから南下しました。行程は一日に走る距離、興味のある町の観光、宿泊ホテルの良さなどを勘案しました。
ローテンブルクは駐在中も含めると何度も観光し、記憶の上では2度泊まったでしょう。その多くは近郊の古城ホテルに宿泊しています。世界中から宿泊客も多いから、私的には市内に宿泊するのを敬遠したと云う事です。
ディンケルスビュールの方が町はこぢんまりとして、町一番の歴史ある木組み建築のホテル(本編をお読み頂けば)を見つけた事、そして伝説・Die Kinderzecheキンダーツェッヒェの祭りも、こちらに泊まった一つの理由です。
ともあれ、ドイツがお好きなれば、そしてレンタカーに慣れておられるならば、ドイツ有数の街道を例えばロマンチック街道、古城街道、ゲーテ街道をじっくり訪ねてみるのも宜しいかと思います。
望まれた回答になったか、分かりませんが、旅の一助になれば幸いです。
お気に入られたら、本旅行記に<いいね>してくださいね。
jijidaruma2024年09月02日01時47分 返信する -
懐かしの地
jijidarumaさん、こんにちは。
ドイツが長いjijidarumaさんにとっても、この地は特に思い出深いようですね。
私もバイエルンが好きで、ドイツ人の友人夫妻がミュンヘンに住んでいるので、
何度も出かけました。昔スイスからドイツに行くと、アウトバーンや国道などの
道路端に雑草が生えていて、ドイツはスイスよりも管理が行き届いていないなと思ったのですが、それは一面であり、ひとつひとつの町や村を訪問するにつけ、その蓄積の
重厚さに、目に見えたり、見えなかったりする文化資産の継承が積み重なって、ドイツの歴史になっているのだなと思いました。お金をかければできるものとは違う価値を羨ましく思ったものです。私の職業柄、jijidarumaさんの会社の方たちとは、分野を問わず関わりを多く持ちました。今でも年賀状を交わしている人もいますが、当時は日本の成長期でもあり、若い世代でも多く海外勤務に送り出されて、同世代の人たちとの
交流も刺激になりました。
ケーニヒスゼーには、学生時代に企業研修でマンハイムにいた時に旅行しました。
あの時代も今でも変わらぬ美しさを保っていますね。
コロナで海外旅行が出来ない期間がながくなり、ヨーロッパに行きたいという気持ちが
余り涌かなくなってしまいましたが、体調が万全であれば、ドイツの田舎をゆっくり旅したいものです。絢爛豪華な文化財ではなく、町や村に触れたいなあと思っています。
この暑さではどこにも行きたくありませんが。
残暑はますます厳しくなっています、どうぞご自愛くださいますよう。
Rolleiguy
Re: 懐かしの地
Rolleiguyさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
残暑お見舞い申しあげます。
当地は台風7号、予想と違って雨も風も少なくすみました。恵みの雨であったのは家内にとって幸いでした。庭木は専ら家内が水やりして、私は蚊に刺されるのが嫌だと、涼しい屋内で過ごしています(苦笑)。
バイエルンの旅は気持ちが実に落ち着きますね。
巡る風景も人々の人情も誠に好ましく、今一度、バイエルンの地を巡りたい、出来れば隣のザルツカンマ―グートも走ってみたいと思っていたら、手元に古いアルバムを引き寄せて見ながら、今回のような思い出の記を書いてしまいました。ケーニヒスゼーで1909年より電力のボートを使用したなどと歴史を知ると、ドイツ人の文化度の高さを思い知らされますね。
思えば、ドイツでの企業活動はトヨタの車でもまだまだ認知度も低い頃、企業戦士はよく頑張りました!そして御行には大変お世話になりました。
会社でも私はドイツ党と呼ばれていましたが、いろいろあったものの、ドイツ駐在で良かったなと、時々家内とも話をしています。
先日も60代の知人からメールがあり、彼のお嬢さん家族の事を書いてきました。彼女の御主人の研究(大学の文化交流:ハイデルベルク大学、ミュンヘン大学)で家族はミュンヘン在住とのこと。この春にお孫さんのミュンヘン日本人学校運動会を見に訪ねたそうです。南ドイツやウィーンも旅してきたそうです。
以前、彼にハイデルベルクの話(4Traでも投稿)などを数編コピーして送った事があり、お嬢さんに見せたとか。
彼曰く、ドイツ党が増えそうですよと、嬉しいことです(笑)。
2004年に南ドイツからオーストリアを巡った事がありました。写真が少ないですが、今時々、口コミを投稿しています。その内、その懐かしいオーストリアの旅を投稿しますので、又お立ち寄りください。
それではまた。酷暑もまだまだ、皆さま健康第一にお過ごしください。
jijidaruma2024年08月18日20時02分 返信する -
なんじゃもんじゃの木
jijidarumaさん おはようございます。
神社にどうどうと生い茂る大木、見ているだけでパワーももらえるきがしますね。特に表紙の写真は大木の姿を見事にとらえています。
なかなか、大木は大きすぎて、思うように写真に撮れません。
なんじゃもんじゃの木はいろんな種類があるそうで、私が知っているのは御徒町の公園にあるものです。真っ白な花をつける時期に見ています。
神崎町は以前訪れたことがありますが、こんな立派な神社があるとは知りませんでした。酒造会社をおとずれて酒粕と清酒を購入しました。
また機会があったら神社をおとずれなんじゃもんじゃの木を見て、もんじゃ焼きなど食べたいですね。
蒙古襲来ならぬ猛暑襲来です。お体大切に。
pedaruRe: なんじゃもんじゃの木
pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
なんじゃもんじゃの木の写真、恐縮です。
黄門さまの謂れがあるので、黄門ファンの私はしっかり
撮らねばと・・・^^。
友人たちに送る暑中見舞いの手紙の巻頭を飾るには、気分の
良い写真かなと思います。
ご立派な立ち姿を撮るべく、正面、横から、裏手からとしっかり
写しましたから、アラも目に着きます。
樹齢が古いだけに、火災により一部焼失とか、1本の木ではなく、
何やらみんなで支え合っている大木に少々驚きながら、
これまた良しと納得したものです。
なんじゃもんじゃの木の花は知りませんでした。
機会があれば、また見てみたいものです。
蛇足ですが、欧州、中でもドイツでは、日本的な古木や巨木を
【神木】としてとらえているようには思いませんが、ドイツ人
がゲルマンの時代から【菩提樹】や【樫の木】にその精神性を
見ていたように思います。
以前、此処でも書いた【枯れ死した『Goethe Eicheゲーテの樫の木』
とブーヘンヴァルト強制収容所】の樫の木を思い出します。
それではまた。
jijidaruma
2024年07月05日19時26分 返信する -
バウムクーヘン
jijidarumaさま、おはようございます。
日本では第一次世界大戦捕虜が、戦後神戸で創業したユーハイムが有名ですが、小生迂闊にも、東西ドイツ留学時に、バウムクーヘンとは日常的な菓子の1つだと思い込んでおりましたが、実は日本で考えられている程、ドイツではバウムクーヘンは一般的で大衆的な菓子などでは無く、1年に2度口にする程度のものだと知り驚いた経験がございました。
横浜臨海公園Re: バウムクーヘン
横浜臨海公園さん、
今晩は。コメントの書き込みありがとうございます。
我が家の近くでもユーハイムのバウムクーヘンを購入できますが、日本では一般的な人気がありますね。本場のバウムクーヘンとは異なり、日本人に合わせた味になっているかもしれません。
ユーハイムの製法は近代化したものなのでしょうが、ドイツの昔からの製法とどのように違っているのか分かりません。
本稿の中でも書いていますが、元来、プロイセン王ヴィルヘルム四世に捧げたものが初めで、その後ベルリン等の王宮から、徐々に一般に伝えられたとあり、ドイツ的な厳しい製法(ビール製造のように)で作るのは、コスト面などで一般の店にはなかなか難しいのかもしれません。
大兄が<ドイツではバウムクーヘンは一般的で大衆的な菓子などでは無く>と書かれているように、私もそう思っています。
私共もドイツの各地を訪ね、各地のレストランやカフェでケーキを味わう事も多かったのですが、その記憶をさかのぼっても、まずメニューにバウムクーヘンを見ないですし、ケーキのショーケースにも出ていないので、食べた体験もないですね。
思い出しても、ドレスデンやザルツヴェーデルでの体験ぐらいで、数少ないものなのです。家内も料理教室などに通って、料理やケーキ類を作っていますが、バウムクーヘンを作った事が無いそうです。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2024年06月22日00時31分 返信する -
おめでとうございます
jijidarumaさま、おはようございます。
遅ればせ乍ら、傘寿お祝い、おめでとうございます。
昔は60歳と言えば相当の老人を感じさせたおのでしたが、小生自身が60歳を突破して、80歳の方々を老人と感じる事が少なく感じられるようになりまいた。
今後のご活躍を期待しております。
横浜臨海公園
Re: おめでとうございます
横浜臨海公園さん、
今日は。御祝意、誠にありがとうございます。
私は60歳で退職してしまいましたから、当時はそれなりに
ある域を越えたと思ったものです。この度の傘寿で、意外に
軽々と越えてしまった思いです。
都立高の進学校の野球部仲間は途中退部者を含めて14人でしたが、
雪園で退職後何年かして懇親会をしたことがあります。
その内1名が2年前に亡くなり、後の仲間は病気モチ乍ら、それなりに
過ごしています。
コロナ禍以降、幹事からの企画が途絶えていて残念ですが、
キャプテンだった私が、傘寿の懇親会を企画して連絡したら、
さて、どれだけ前向きの意向が出て来るか?
この仲間の傘寿の先は、そうそう軽々とは行かないのでしょう。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
追伸:このコメントの返信を利用して、以下ご参考までに。
大兄の最新の旅行記にあったコメントですが、その後
立ち寄って拝見しましたが、大兄からは返信されていない様子。
それなら、このコメントを削除されたら如何でしょう。
同時に相手をブロックしてしまう事も出来ますが・・・。
私ならこの2手段をとります。2024年05月14日13時40分 返信する -
傘寿、おめでとうございます!
娘さんたちご夫婦やお孫さんに囲まれ、幸せな家族の団らんでしたね。
私は父親の退職祝いはしましたが、それ以降は全くお祝いしていませんでした。
反省です。
うちの両親も傘寿です。
健康には恵まれ、まだまだ元気なので、先日帰省した時に「もう80なの?」と驚いて終わりました。
jijidarumaさんの娘さんたちはできた方たちですね。
米寿は忘れずにお祝いしてあげたいです。
ムギー
Re: 傘寿、おめでとうございます!
ムギーさん、
今晩は。ご祝意、誠にありがとうございました。
ご両親も傘寿の歳でしたか!お元気に郷里でお過ごしとの事、これに勝るものはありませんね。
帰省されたことが、一番の御祝意だろうと思います。
また、御祝はいろんな形で出来ます。娘達家族が元気に、仲良く過ごされていれば、これほど親にとって嬉しい事は無いのです。
私共にとって、既に故郷には両親がおりませんので、遠くなりましたね。
我が家は母が早く亡くなり、家内の父も私共がドイツ駐在中に亡くなり、葬儀にも出られませんでした。その分、我が父も家内の母も90歳前後まで元気でした。両親の住む実家がないと、墓参りも寂しいものです。
娘達も最近、実家って良いものだと言います。
気持ちも落ち着くようで、長い間馴染んだ、家内が作る料理が美味しいらしいです(笑)。
ちょっと先の事ですが、米寿、楽しみですね。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2024年05月07日18時42分 返信する -
傘寿
jijidarumaさん 傘寿を迎えられ、おめでとうございます。
私の家族は冷酷で、還暦、古希、喜寿、傘寿と祝ってもらったことがありません。これは私が、風習、慣行、神社参拝などに無頓着どころか、むしろ軽視してきた報いがこの結果を生んでいるようです。
傘寿とは元は三寿と書き、三つの寿、つまり美貌、健康、財力を指す大変おめでたい言葉であります。私は美貌、健康には恵まれましたが、残念ながら財力が足りませんので、二寿ということになります。すみません、嘘を申しました、美貌にも恵まれません。一寿でございます。
ところで、中国料理の詳しい事、jijidarumaさんの面目躍如、これ以上の言葉はありません。写真の皆様、とくにお孫さんの上品なこと羨ましい限りです。
ほんとうにおめでとうございました。
お気づきでしょうが三寿の件は私の全くの捏造ですので、お忘れください。
pedaru
Re: 傘寿
pedaruさん、
今晩は。ご祝意、誠にありがとうございました。
いつもながら、軽妙なコメントを楽しませて頂きました。
いえいえ、最近の旅行記を拝読すると、どうしてどうして、足腰も軽々と、力強い行動力で、家族旅行を楽しまれておられます。
私共の身近に見ない、羨ましい御家族ですよ。
さて、<傘寿とは元は三寿と書き、三つの寿、つまり美貌、健康、財力を指す>とのコメント、なるほどと、ツイ納得してしまう私です。
何やら検索したくなりましたけど、思いとどまりました(笑)。
それにしても美貌、財力はさすがに、80歳の私共も強調するのは気恥ずかしいですが、私は<健康>という一寿だけは、自信があります。
最近、運動部のOB会にいくと、年の功で自然に中央に座らされます。そして一言偉そうに!述べるのです(笑)。
先輩・後輩もヨタヨタ、病気モチが多くなり、あの現役時代の凄い方も見る影もありませんから、私にもそんな良い場面がめぐって来たのでしょう。
最近は音信も不通で、突然の音信も訃報!で驚くばかりなのです。
運動部馬鹿!と言われつつも、世の中を体力勝負で、生き残ってきました。
<健康>という一寿だけは、自信があります。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma2024年05月07日18時10分 返信する



