2017/11/27 - 2017/11/27
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jijidarumaさん
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日本の小旅行⑥:旭市飯岡の侠客(きょうかく)飯岡助五郎、座頭市そして笹川繁蔵のこと
(2017年11月27日)
今年(2017年)はドイツの旅に代り、5月から関東近辺の小旅行をしている。今日は以前から気になっていた千葉の名所旧跡を訪ねることにした。
日本の小旅行⑤:匝瑳・飯高檀林・松山庭園美術館、旭市・刑部岬・防災資料館(2017年11月26日~11月27日)と称して1泊2日の小旅行をした。
27日、かんぽの宿旭を出て、旭市飯岡の侠客たちの墓や碑を巡った。
写真は江戸錦絵・大利根決闘図(東庄町・天保水滸伝遺品館)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旭市飯岡という町はかつて飯岡町(いいおかまち)といい、学生時代には昭和42年1月(1967年)の衆議院選挙(当時は千葉二区)のアルバイトで、自民党新人候補者の私設秘書と共にこの漁師町を訪れたことがあった。
お会いした漁師町の有力者、女将さんたちは、漁師町だけでなく、関東屈指の侠客(きょうかく)飯岡助五郎大親分の地でもあり、皆さん独特の雰囲気があった。
(この選挙で新人候補者は落ちた。負けた候補者の関係者は選挙違反で挙げられて、敗戦処理は大変だった。次の昭和44年12月(1969年)衆議院選挙では幸い当選し、次第に党内実力者にのしあがっていった)
あれからもう50年も経っている。
写真は千葉県東部地図(銚子、九十九里) -
写真は旭市・刑部岬(ぎょうぶみさき)の遠望。
-
イチオシ
飯岡町は千葉県海上郡(かいじょうぐん)にあった町。
九十九里浜最東端に位置し、2005年に旭市、飯岡町、干潟町(ひかたまち)、海上町(うなかみまち)との町村合併で旭市(人口63千人)となった。
写真は旭市・刑部岬から飯岡漁港を見下す。刑部岬 自然・景勝地
-
刑部岬(ぎょうぶみさき)は屏風ヶ浦南端に位置する千葉県旭市の太平洋に突出する岬である。
県立九十九里自然公園の園地として上永井自然公園が整備され、飯岡灯台、飯岡刑部岬展望館がある。
写真は旭市・刑部岬からのパノラマ(飯岡漁港)看板。 -
この飯岡には*「天保水滸伝に登場する笹川繁蔵と飯岡助五郎」の墓や碑が残っている。
私の年代では彼ら侠客(きょうかく)の名と争いは、講談、浪曲(ろうきょく)を聞く、あるいは読み物よりも町の映画館で封切られた数々の映画で知っていた。
(尚、次に行った東庄町にある「天保水滸伝遺品館」に展示されていた日本映画全盛時に上映された映画ポスターや資料が残されていた)
・・・
写真は旭市・飯岡地区図(パンフレットから) -
・・・
*<精選版 日本国語大辞典「天保水滸伝(てんぽうすいこでん)」の解説>:
江戸末期の実録体小説。四編六〇巻。陽泉主人尾卦伝述。嘉永三年(1850年)成立。当時(現千葉県)下総一帯で起きた、博徒の二集団、飯岡助五郎一家と岩瀬(笹川)繁蔵一家の争いをあつかったもの。写本で伝わり、合巻や歌舞伎、講談などに影響作がある。
*<日本大百科全書(ニッポニカ)「天保水滸伝」の解説(抜粋)>:
近年では講談よりも、正岡容(いるる)脚色の浪曲=浪花節(なにわぶし)が2代玉川勝太郎の名調子によって著名となった。
助五郎を悪玉、繁蔵を善玉に描くのは、十手持ちであった助五郎が闇(やみ)打ちをかけ、長命を保ったためであろうが、実在の助五郎は網元として漁業振興に尽力したなどの擁護論もある。
「笹川の花会(はながい)」の条(すじ)は登場人物が多く華やかで好まれ、「平手の駈(か)けつけ」の条(すじ)も、虚無的な剣客平手造酒(みき)(実在人物名平田深喜(みき))の個性が魅力的なため、よく読まれる。
・・・
写真は東庄町・天保水滸伝探訪(産経新聞記事) -
イチオシ
写真は江戸錦絵・大利根決闘図(東庄町・天保水滸伝遺品館の展示)
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<光台寺 飯岡助五郎の墓>
千葉県 旭市 飯岡1524
光台寺は飯岡刑部岬展望館から近い。飯岡町の道はいずれも狭い道で、ナビが無いと苦労するようだ。
光台寺の前にある駐車場に車を停め、寺門を入ると本堂傍にあるという飯岡助五郎の墓を訪れた。
写真は旭市・飯岡の光台寺入口・・・寺門を入ると右手に飯岡助五郎の墓がある。 -
飯岡助五郎の生地は神奈川県三浦市だったそうで、18才の時に力自慢の助五郎は力士を志して江戸に上ったものの目が出ず、漁師として飯岡にやって来た。
天保水滸伝では笹川繁蔵を闇討ちにした事もあって、助五郎は悪人扱いされているが、中々の人物で、義理人情に厚く、度胸が良いので自然に人々にたてられ、やがて関東屈指の大親分と言われるようになった。
また、天保年間、飯岡の漁師の大きな海難事故が続き、飯岡漁業滅亡の危機に自費で故郷の三浦から漁師を集め復興の礎を築いたほか、網元として飯岡海岸に護岸を築いたと云う。
今でも飯岡再生の恩人として人々から感謝され、善玉の親分として語り継がれている。
安政六年(1858)四月、飯岡の自宅で大往生した。享年六十七歳。
墓石には本姓である「石渡助五郎」と刻まれている。
写真は旭市・飯岡の光台寺入口・・・飯岡助五郎の墓前で。 -
侠客と謳われた二人の墓はその地の人望を集めたようで、飯岡助五郎の墓は普通だが、玉崎神社境内にある飯岡助五郎の碑は大きく、次に訪れた笹川繁蔵の首塚や東庄町の繁蔵の墓とも比べても互角である。
写真は旭市飯岡2123:玉崎神社境内には飯岡助五郎の碑や力石がある。玉﨑神社 寺・神社・教会
-
<定慶寺 笹川繁蔵の首塚>
千葉県 旭市 飯岡2110
笹川繁蔵の首塚がある定慶寺は飯岡助五郎の墓のある光台寺からも近い。
天保水滸伝では飯岡助五郎と笹川繁蔵の縄張り争いの結果、繁蔵は闇討ちに遭い、その首は埋められ、胴体は利根川に流されてしまったと云う。
写真は旭市 飯岡2110:笹川繁蔵の首塚がある定慶寺。 -
イチオシ
昭和7年(1932)に銚子市本銚子町の道路を改修した際、ある墓地から繁蔵の胴体が発見され、死後80年ぶりに一体となったと云う謂れがある。
改めて定慶寺内に首塚を建立して霊をなぐさめたとされている。
写真は定慶寺:笹川繁蔵の首塚には立派な碑がたっている。 -
この日の帰宅前に、定慶寺で笹川繁蔵の首塚を訪ね、寺域に立派な栴檀(せんだん)の木を見ることとなった。
もう時期が過ぎて、栴檀の実は地上に落ち始めていたが、まだまだ樹上にその姿を見せていた。きれいな部分の実を拾って、土産にした。
“栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し”の諺で知られた木だが、ここでいう栴檀は中国の白檀(ビャクダン)が正式だが、一般的には栴檀と呼んでいる。
・・・・・・・・・・・・
写真は定慶寺境内に栴檀(せんだん)の木に実がなっていた。 -
写真は定慶寺境内に栴檀(せんだん)の木に実がなっていた。
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写真は定慶寺境内で拾ってきた栴檀(せんだん)の実。
-
また、この漁師町・飯岡には助五郎の子分だった(この事は知らなかったのだが)と云う「座頭市(ざとういち)」の住居跡の碑もあり、映画の座頭市物語(原作者:子母澤寛(しもざわかん)の碑も前述した旭市防災資料館傍にあるから、意外と面白い町なのである。
写真は旭市飯岡・玉崎神社の門前に「子母沢寛執筆の宿」の碑がある。 -
<座頭市のこと>
中公文庫版でたった9ページの短編小説にすぎない原作版『座頭市物語』
子母澤寛が戦後まもない昭和23年(1948年)に雑誌「小説と読物」へ連載した掌編連作『ふところ手帖』の1篇『座頭市物語』が原作である。
江戸時代に活躍した房総地方の侠客である飯岡助五郎について取材するため、千葉県佐原市へ訪れた際に土地の古老から飯岡にまつわる話の一つとして、「盲目の侠客座頭の市」の話を聞き、僅かに語り継がれていた話を基に記したと、後年、子母澤は語っている。
写真は子母沢寛原作の「座頭市物語」のポスター。
「座頭市物語」は1962年(昭和37)~1989年まで、26作に及ぶ勝新太郎主演の時代劇シリーズの大映映画である。
原作子母澤寛(1892―1968年)、監督三隅研次(みすみけんじ)(1921―1975年)による第1作『座頭市物語』は、互いに対立する組に草鞋(わらじ)を脱いだ座頭市(勝新太郎)と平手造酒(天知茂、1931―1985年)の友情を中心に、組の闘いに駆り出され死闘を演じるさまを白黒で描き出した作品。
盲目の僧侶で壺振りでも居合抜きでも超人的な能力をもった、凶状持ちの侠客(きょうかく)を主人公にした物語は、たちまち大人気となり、以後、大映の看板番組となる。 -
碑文によると、作家子母沢寛の短編小説、座頭市物語 に「下総飯岡の石渡助五郎(大親分の侠客飯岡助五郎のこと)のところに座頭市という 盲目の子分がいた」とあり、江戸時代の侠客である「市」がモデルになったとのことでした。
そんないきさつから2010年5月、座頭市物語誕生50周年を記念して、写真のような碑が建てられました。
写真は旭市飯岡:国民宿舎いいおか荘の駐車場に座頭市物語誕生50周年を記念した碑がある。 -
旭市飯岡には座頭市という 盲目の子分がいて、その住居跡と称する碑も立っているから面白い。
所が、「会津若松市の浄光寺というお寺に座頭市の墓が実際にありますから、実在した人物であるのは事実でしょう」という旭市の観光関係者の話がある。
その墓は会津鶴ヶ城からもほど近い会津若松市南千石町、井上浄光寺にあり、「俗名 座頭市之墓」となっている。墓の裏側に回って見ると「法徳院應恵海居士」という戒名と共に「嘉永二年酉十一月(1849年11月)二十三日 阿部常右エ門 行年七十八」という刻紋が書かれている。当時として長命であったようだ。
「座頭市」の本名は阿部常衛門。屋敷または番所にいるときは阿部顕如、そして町や村を見まわるときは身分を隠し名前も「佐渡市」と名乗った。
親身になって按摩(あんま)を見まわり、悪徳按摩を取り締まり、いつしかみんなが「頭」と呼び、座頭の頭と云われ、「座頭市」と呼ばれるようになった。
旅に出るとき(江戸や京都に行くとき)は「座頭市」と名乗ったと云われている。
子母沢寛の小説や勝新太郎の映画「座頭市」のモデルとなった佐渡市(本名・阿部常衛門)は、越後長岡藩主牧野家(8万石の譜代大名家、小林 虎三郎の米百俵の精神、幕末の河井 継之助で知られる)に仕える武士であったが青年時代に眼病を患って失明、やむなく祖父の生家である磐梯町の桑原家に奇寓して、あんまやハリの修業をした。幼少の頃から文武両道をみっちり仕込まれていたため、藩からも認められたのではないかと云われている。
佐渡市は老年、会津の城下で盲人の総元締をしていたらしい。
嘉永二年酉十一月(1849年11月)二十三日、行年七十八歳にして没した。
写真は旭市飯岡:座頭市住居跡の碑。 -
座頭市の墓が実際にあるのは「井上定光寺」というお寺である。
北野たけし監督・主演の『座頭市』がヒットして以来、『座頭市』ファン注目の寺になったとのこと。
本名は阿部常衛門。長岡藩主牧野家の武士で、青年時代に眼病を患い失明。
年老いてから飯岡に出向いた時期があったようだ。
・・・・・
写真は会津若松市:井上定光寺の座頭市の墓。 -
写真は東庄町・天保水滸伝関係図。
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<東庄町・天保水滸伝遺品館>
〒289-0601 千葉県 香取郡東庄町 笹川580-1
開館:9時~17時 休館日:月曜日
天保水滸伝遺品館には、天保水滸伝にちなんだ文化財50点が保存されている。
笹川繁蔵が愛用していたキセル、三度笠、平手造酒愛用の手鎗、徳利、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)の短筒など当時の侠客の風俗を物語る遺品や重要文化財として保存されている古文書などが展示されているから面白い。
展示品は個人所有のもので何人もの人が関わっているそうだ。
写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の表。天保水滸伝遺品館 美術館・博物館
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写真は東庄町・天保水滸伝遺品館の冊子と入場券。
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写真は笹川・"大利根河原の決闘"を描いた「於下総国笠河原競力井岡豪傑等大闘争図」・・・勢力富五郎が中央に大きく描かれている。
(芳虎画、1864年/船橋市西図書館蔵) -
写真は東庄町・延命寺境内・・・中央に侠客笹川繁蔵、一の子分勢力富五郎、客人平手造酒の墓は延命寺境内にまつられている。
墓は昭和3年(1928年)に地元の有志により笹川繁蔵、勢力富五郎、平手造酒の三士の墓として合祀されている。
・・・・・・・・・・・・・・・
(2022年4月30日Wiki参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 万歩計さん 2022/05/01 09:32:44
- 浪曲
- jijidarumaさん、おはようございます。
このようなテーマの旅行記が出るのは大変珍しく、懐古趣味の万歩計は興味深く拝読しました。創作とは言え、座頭市と平手造酒が関係しているとは知りませんでした。
今ではTV番組で浪曲が取り上げられることは滅多にないので、YouTubeで時々聞いています。義理人情は不合理な面が多いが、何故か日本人のDNAを刺激します。三波春夫や村田英雄の歌謡浪曲もいい。少し前に、TV東京で武田鉄矢が司会をする「昭和は輝いていた」で浪曲が特集されました。日本文化の一つとして残ってほしいものです。
万歩計
- jijidarumaさん からの返信 2022/05/01 19:53:59
- Re: 浪曲=
- 万歩計さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
先ほどまで、ようやく完成した文章が、ログインされていないので、ログインしなさいとなり、今まで完成した文章が消えてしまいました。
以下は、思い出しつつ書いております。
おっしゃるように、この種の旅行記は他に見ていないかもしれませんね。
小さい頃、ラジオで聴いたような浪曲・浪花節、その調子は今もなお耳に残ってします。
座頭市と平手造酒が実在の人物として、地区の古老に知られていたとは私も思いませんでした。子母澤寛という稀代の小説家に見出されたのは幸いでした。
「天保水滸伝に登場する笹川繁蔵と飯岡助五郎」の争闘の地は千葉の東庄町にあり、銚子に行く、利根川沿いの小さな町です。
小説、映画が全盛であった昭和・・・昭和生まれにしてみれば、しかも千葉県人として、やはり旭市の笹川繁蔵と飯岡助五郎たちの墓だけでは満足できず、東庄町・天保水滸伝遺品館は外せないと、日をずらして訪れたものです。
下総の地は関八州(上野・下野・常陸・上総・下総・安房・武蔵・相模一円)の地、博徒とか侠客といった人種が大手を振って活躍?!していた地域ですが、面白いことに天保水滸伝遺品館には「明治23年版と称する・・・近世侠客有名鏡」の展示がありました。映画や小説で知っていた、錚々たる名前がそれに掲載されていました。
大関には関東一の大親分と称された武州・大前田英五郎、関脇に「赤城の山も今宵限りか」の名文句で知られた上州・国定忠治がすわり、勧進元には浅草・新門辰五郎、下谷・幡随院 長兵衛、会津・会津の小鉄、それに名前も知らなかった京橋・金看板甚九郎、浅草・花川戸の助六の名があります。
下総の笹川(岩瀬)の繁蔵、勢力富五郎と飯岡の助五郎は前頭に、「次郎長三国志」で有名な駿河・清水港の長治郎(清水の次郎長)、甲州・黒駒の勝蔵も前頭です。
関八州を中心に、東日本(奥州、信州など)の侠客を番付表にしたもので、この地が幕府の直轄領(天領)、直参旗本の領地、寺社領、大名領の飛び地が多く、「関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく、俗称で八州取締役)」を必要とする、一種治外法権の地であった様子が伺われます。
次回に東庄町・天保水滸伝遺品館訪問記を掲載予定です。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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