2017/11/26 - 2017/11/26
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jijidarumaさん
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先日、多古町のあじさい寺である日本寺、つまり中村檀林について書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11760177
関東三大檀林(中村檀林(多古町日本寺)小西檀林(大網白里市正法寺)、飯高檀林(匝瑳市飯高寺)の事も書いているから、飯高檀林の事は外せない。
こうしてみると、規模の大きな檀林が、全てこの千葉県にあったわけで、それは文化の先進地域であったことを意味していて、誠に驚きである。
*****
≪日本の小旅行⑤の1 匝瑳市にはかつて俊秀が集った大学・飯高檀林(いいだかだんりん)があった。≫
(2017年11月26日)
今年はドイツの旅に代り、5月から関東近辺の小旅行をしている。
今日は以前から気になっていた千葉の名所旧跡を訪ねることにした。
植木の町と称される匝瑳市(そうさし)、飯高(いいだか)という里山地域(舌状台地:ぜつじょうだいちは舌を伸ばしたような細長く突き出た台地のこと)に名刹がある。
日蓮宗の寺院というか、かつての僧侶の学問所である(現在の大学の様な)飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ)が、それである。
写真は飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ):美しい檀林の檜皮葺の講堂と、右手に家康の側室「お万の方」お手植えの楓(かえで)がある。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
下の飯高檀林跡周辺絵図に見るように、左下に広い駐車場(無料)がある。
観光案内所やトイレもあって、配慮も行き届いていた。
案内所で飯高寺の資料を頂いて駐車場から裏手の道をたどり、正門である檀林山門=総門と称していた・・の石段にいたる。
写真は飯高檀林周辺図 -
写真はなかなか良く描かれた飯高檀林跡周辺絵図・・・左下に駐車場、総門、中央上に講堂、鼓楼(ころう)、右上に黄門桜が見える(丸印)。
-
もう11月も後半、紅葉の季節には遅いようで、総門の石段傍のモミジの葉が妙に縮れていて紅葉も今一つの様子だった。
綺麗な紅葉の時期であれば、総門も石段も映えた事だろう。
後でガイドの方に聞くと、今年は10月の2つの台風来襲で、石段傍のモミジや、境内の鼓楼(ころう)前に家康の側室「お万の方」お手植えの楓(かえで)が大きな影響を受けたそうだ。
写真は飯高檀林=飯高寺:総門と石段、モミジ -
<総門>
規模:間口4.705m、脇門1.915m
形式:高麗門
建立:延宝8年(1680年)。現在のものは天明2年(1782年)に新造された。
写真は飯高檀林=飯高寺:新緑の頃の総門を参考に。 -
石段を登り、総門をくぐり、森閑とした参道を行く。
左右は杉木立も高々とし、苔むす様子が何とも言えない厳粛さがある。
写真は飯高檀林=飯高寺:参道の杉林 -
写真は飯高檀林=飯高寺:参道の杉並木は大木が続く。
-
イチオシ
派手さもない、自然と背を立てて対面せねばならない気分になった宗教施設が目の前にある。
飯高檀林=飯高寺に残された、美しい檜皮葺の学び舎、講堂である。
【飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ)】
千葉県匝瑳市飯高1789
飯高檀林=飯高寺は天正8年(1580年)に日生(にっしょう)により開基され、山号は妙雲山法輪寺と称する。
実際は檀家が存在しない珍しい寺で、お墓もあるが歴代の化主(けしゅ:檀林長のこと)たちの廟が寺域左手にあった。
飯高檀林は関東で初めて日蓮宗の檀林(僧侶の学問所)となり、その後、天正19年(1591年)に徳川家より日蓮宗の根本檀林として寺領30石を寄進され、徳川家康、養珠院(ようじゅいん:お万の方と称した家康の側室は紀州徳川家の家祖頼宣、および水戸徳川家の家祖頼房の母でした)、頼房(よりふさ)、光圀(みつくに)、頼宣(よりのぶ)などの信仰も厚く、その庇護を受け、格式の高い檀林へ発展した。
つまり当時、関東8檀林、関西6檀林あわせて14檀林があった中で、最高位の檀林であったと云う。
写真は飯高檀林=飯高寺:美しい檀林の檜皮葺の講堂と、右手に家康の側室「お万の方」お手植えの楓(かえで)がある。匝瑳(そうさ)の里山に残る全国一の格式を持った飯高檀林(いいだかだんりん:僧侶の学問所) by jijidarumaさん飯高寺(飯高檀林跡) 寺・神社・教会
-
イチオシ
学僧は年2回(春・秋)それぞれ100日間学んだと云う。8段階の課程に分かれ、各課程の定められた講義を受け進級したそうです。
入学してから、36年間の期間をかけて全課程を修了したと云うから、聞くだけで驚いてしまう。
元禄時代(1700年代)には450~650名の学僧がいたと、パンフレットに書かれていた。
写真は飯高檀林=飯高寺:美しい檀林の檜皮葺の講堂と家康の側室「お万の方」お手植えの楓(かえで)が。 -
この日、寺の管理者のめったにないご親切で、講堂内の見学ができた。
私共が講堂内に入ると、それを見ていた人たちが、皆さん堂内に上り、写真のような感じになった。
電灯もつけて頂いたので、高い天井も見渡せた。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂内の天蓋(てんがい) -
講堂中央には天蓋があり、天蓋には三つ葉葵と菊の御紋が刺繍され、格式の背景を感じた。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂内の天蓋には三つ葉葵と菊の御紋が見られた。ちょっと暗すぎか! -
その東西の壁に(柔道の段位の如く)成績順に学僧の名前が架けられていたのが印象的であった。学僧たちはこの掲示を励みにして勉学に励んだのだろう。
中には一度もその機会に恵まれない学僧も当然いたことだろう。
これを見ながら、高校時代に期末試験の上位者の成績が各科目、総合で氏名が張り出されたことを思い浮かべた(自分でもびっくりしたのは400人中5番目にランクされたのは国語。これを見た野球部仲間に冷やかされた。78歳になった私、高校時代唯一!の体験だったから、イマダニこの事を忘れずにいる)
面白いことに檀林には卒業という言葉は無く、その代わりに全国の寺院からの求めに応じ、上位者から随時寺院の住職に進んだそうだ。
世に知られる身延山久遠寺や池上本門寺といった、所謂「出世寺」から住職=指導者の求めがあったという、名実ともに格式があったようだ。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂内には成績上位者の名前札が掲げられていた。 -
講堂・鐘楼・鼓楼・総門が国指定の重要文化財(昭和55年)、檀林跡としては境内全体(総面積67,667㎡)が千葉県指定の史跡になっている。歴史的建造物を保存するため、平成14年までに「平成の大修理」が行われたので、部分的にはきれいになっていた。
講堂裏に行ってみると、約500株の牡丹が植えられていた。
毎年4月下旬から5月初旬には、美しい牡丹の花が咲き誇り、名所として人気を集めているそうだ。
春には「新緑祭」、秋には講堂を舞台に「飯高壇林コンサート」も開催されているというから飯高壇林もまだまだ文化の発信に努めている。
・・・・・
尚、檀林について、詳細の説明を見つけたので、前述とダブる面もあるが、以下に纏めた。
<飯高檀林のこと>
檀林を今の学校に例えると、「大学」にあたるといって良いのだが、年に6ヶ月間学ぶという方法がとられ、そのうち3ヶ月間は自ら学習(説法など)しなければ単位が取得できなかったと云う。また、病気などで「物読日=講義の日」を1日でも講義を欠席すると、進級できなかったと云うから、恐ろしいほど、実に厳しい。
初等教育課程から専門研究課程に至る8階級が設置され、次の8課程を入学してから順次、全課程を終了するまで勉学した。
それは誠に長いもので、なんと36年間を要したと伝わっている。
名目部=>四教儀部=>集解部=>観心部=>玄義部=>文句部=>止観部そして=>御書科であった。
其々8課程で何を学んだのか?私の如き浅学菲才(せんがくひさい)の者には分からない。
<檀林の管理組織>
檀林の最高責任者を「化主(けしゅ:檀林長のこと)」と言い、これは現在の学長に当たる職といえる。
教授陣を「能化」、庶務および教授の補佐役を「上座部」と言っていました。
大きく分けると以上の組織から成り立っていたが、このうち上座部は檀林の最終課程にある止観部から上位5人が選ばれ、一老・二老・三老・四老・五老と分かれ、講義を補佐し、または学徒の生活行儀指導の推進者でもあった。
こうした管理組織の中で教師も所化(学徒)と起居を共にして、学問・日常生活を通じ、研鑽を重ねた。
学徳の優れた有力な能化や上座が中心となって学寮を増築するなどし、徐々に規模を拡大し、享和3年(1803年)の「御由書明細書」によると、59軒の学寮が立ち並んでいたとある。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂内から参道方面を望む。 -
<飯高檀林の地位>
日蓮宗学徒の教育機関(檀林)は主に関東、関西方面に創設されていったが、飯高檀林がその中に占める地位は、檀林間の編入学の取り扱いに明確に示されていた。それによると、下総の中村檀林(多古町日本寺)の止観部(大学院程度)から転入した場合は、一課程下の文句部の最末に編入され、また関西の諸檀林から転入してくると、教授格の者でも助手格まで落とされていたそうだ。
以上のことから、数ある諸檀林のうちでもその優位性ははっきりと示され、日蓮宗の中における最高で最大の学問機関として位置付けることができる。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂右手に「お万の方」お手植えの楓と鼓楼(ころう) -
<鼓楼(ころう)>
規模:間口2.827m、奥行2.899m
形式:木造入母屋造
建立:享保5年(1720年)、
用途:講堂に学徒を呼集するため打ち鳴らしたそうだ。
時計台の鐘とか、チャイムのようなものだが、当時の僧侶たちには太鼓の音がどの様に聞こえたものだろう。
写真は飯高檀林=飯高寺:鼓楼(ころう)の拡大版を参考に。 -
<鐘楼(しょうろう)>
規模:間口3.21m、奥行3.493m
形式:木造入母屋造
建立:寛文頃(1661年から1672年)再建
梵鐘:寛永16年(1639年)秋寄進。鋳造は武州江戸神田鍛冶町2丁目鋳物師山田和泉掾吉貞によるものと刻まれている。
写真は飯高檀林=飯高寺:講堂左手に鐘楼(しょうろう)も参考に。 -
飯高檀林は明治の学制発布により廃檀となり、294年間の歴史を閉じるが、その名跡を継いだ「立正大学」へと形を変えて発展する。
それを記念した、大きな、立派な「立正大学発祥之地」の碑が寺域右手に建てられている。
写真は飯高檀林=飯高寺:立正大学の碑が説明版と立っている。 -
写真は飯高檀林=飯高寺:日本最古と云われる立正大学の碑
こうなると、残るのは関東三大壇林の一つである小西檀林(大網白里市正法寺)で、ちょっと遠いが機会をつくって訪ねてみたいものだ。 -
関東三大壇林の2つは以下の通り。
【「日本寺(にちほんじ)」】
〒289-2257千葉県香取郡多古町南中1820-1
日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は正東山(しょうとうざん)と称した。
元来は元応元年(1319年)、千葉胤貞(ちば たねさだ:鎌倉幕府末期から南北朝時代の武将。千葉氏の第九代当主千葉宗胤の長男)より土地の寄進を受けた、中山法華経寺(なかやまほけきょうじ:千葉県市川市にある日蓮宗大本山の寺院である。鎌倉時代の文応元年(1260年)創立。山号は正中山)の3代目住職であった日祐(にちゅう:胤貞の子)上人が「高祐山東福寺」として建立した。
そして建立された「高祐山東福寺」を日祐の師・日常(にちじょう)上人に譲り、日常上人が開基・一世とされたのである。
約270年後の天正十九年(1591年)に「高祐山東福寺」を「正東山日本寺」に改めて現在の日本寺となった。
日本寺の十世を継いだ広才博学の僧日円(にちえん)により、「中村檀林(なかむらだんりん)が開かれたのは慶長4年(1599年)のことである。
最盛期には36の学坊・・・「観月庵」、「寂光庵」、「鳳林庵」、「浄心庵」、「真如庵」、「精進庵」、「摂心庵」等・・・に千人近くの学僧が学ぶという全国有数の学問所となった。
僧たちは東西に分かれて勉学に励み、春と秋の2回、それぞれ3カ月にわたり「新説」(しんだんぎ)とよばれる論争を繰り広げたと云う。
討論のテーマは日蓮宗の教義はもちろん、世間での出来事、社会問題にまでおよび、席上活躍のめざましかった学僧は、番付表に名札があげられた。
論戦には土地の役人も招かれ、多くの村人が見学に押し寄せたと記録に残る。
開壇の慶長4年(1599年)から、学制発布によって廃檀となる明治8年(1875年)まで、僧侶の養成機関であった中村檀林では、270余年の間に延べ10万人もの僧侶を輩出したと云う。
・・・・・
写真は多古町の日本寺本堂(中村檀林)正東山日本寺 寺・神社・教会
-
【「正法寺(しょうぼうじ)」】
〒299-3253 千葉県大網白里市小西755
日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は妙高山(みょうこうざん)。
長禄2年(1458年)、小西城主・原肥前守胤継(はらひぜんのかみたねつぐ)が平賀本土寺9世・妙高院日意上人を開山に迎え自邸を寺に改めた。
7世妙道院日悟上人は天正8年(1580年)、徳川家康公から檀林開設を許可され、京都松ヶ崎檀林より通王院日裕を招き、ここに「小西檀林」が開講された。
「小西檀林」の最盛期には900人を超える学僧を擁したと云う。
寛政3年(1791年)の絵図によると、広大な境内には徳川家東金(とうがね)鷹狩り御殿を移した、本院7堂6殿5棟、塔頭4ヶ寺1院、学寮73舎という大伽藍が配置されていた。
明治6年の大火で諸堂の大半を焼失し、檀林は廃止のやむなきに至った。
現存する伽藍は旧講堂を改築した本堂と、徳川家綱公の寄進による中門、元禄年間建立の総門(以上、町指定文化財)のほか、妙見堂・鐘楼堂・客殿・庫裡などがある。
因みに本堂は徳川家東金(とうがね)鷹狩り御殿を移したものらしく、麗々しくも葵の紋が掲げられているそうだ。
ともかくも関東三大檀林のいずれも、似たような規模を持っていたようである。
・・・・・
写真は大網白里市の正法寺中門と旧講堂を改築した本堂(小西檀林) -
頂いた案内書によると、付近の社寺を巡るハイキングコースもあり、水戸光圀公(黄門さま)の御手植えと伝えられる黄門桜も見事だとある。
水戸藩主・水戸光圀公の足跡が千葉県には多い。
因みにお万の方と称した家康の側室は養珠院(ようじゅいん)と言うが、紀州徳川家の家祖頼宣、および水戸徳川家の家祖頼房の母でしたから、光圀公もしばしば飯高寺へ訪れたようである。
多古町日本寺(にちほんじ)の本堂傍に水戸光圀公(黄門さま)の御手植えの大きなモミジの木が立っている。
<黄門桜>
千葉県 匝瑳市 飯高2088番地4
元禄11年(1698年)に水戸光圀公(黄門さま)が飯高寺へ訪れたことを記念して、佐原から同寺までの街道に松と桜を植樹した。
黄門桜はその内の1本と云われており、唯一現存する一本桜になっている。
幹周り5.5m、樹高約7m、葉張り約16mの山桜の一種で、推定樹齢300年とされている。
由緒ある大木の見頃は3月下旬~4月中旬、ソメイヨシノより1週間くらい遅く開花するそうだ。
是非、その時期にまた訪れたい。
写真は飯高檀林=飯高寺:近くの黄門桜を参考に。
・・・・・・・・・・・
尚、時代劇映画・TVの撮影に適した境内では最近も、映画『忍びの国』の撮影ロケが行われたそうだ。
地元の方々は皆さん親切で、駐車場管理兼観光案内所の方、ガイドさん、寺の管理者の皆様のおかげで、たいへん満足した見学ができた。
(2017年12月7日Wiki・HP参考、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2022/06/27 17:49:05
- 三大檀林の一つ。
- jijidarumaさん
いつもご投票を頂きましてありがとうございます。
匝瑳近辺を巡られました旅行記、楽しく拝読させていただいております。
私は実家が旭市ですので、この近辺は馴染みの地でもありましたので
飯高檀林のことは聞き及んでおりました。
それでも、このコロナ禍になり旅行も思うがままに出来なくなって
改めて檀林を訪れ、壮大な規模に再び驚き、旅行記にもいたしました。
このコロナ禍がなかったなら、もしかしたらずっとそのままだったかも
しれません。
日本寺も名前は知っていても未訪問、大網白里にも檀林があるとのこと、
千葉県に三大檀林が存在していることがすごい事、と今更ながらに
思いました。
ちょうどタイミング良く、本堂内部をご見学されたとのこと、
私も数年前、友人の骨折りで、グループで見学させていただく機会が
ありました。
天蓋の中にある、格式の高さを物語る葵と菊の御紋にはやはり
驚かされました。
飯高という辺鄙な地に、かつて多くの学問僧が集っていたという事に
今更ながら信じ難い思いでおります。
mistral
- jijidarumaさん からの返信 2022/06/28 00:00:47
- RE: 三大檀林の一つ。=>アールデコ
- mistralさん、
今晩は。まだ少ない回数ながら、お立ち寄りとコメントまで頂き、
ありがとうございました。
私の小旅行と称した旅も何やら千葉近辺で多くなりました。
旭市ご出身の由、飯高檀林にご注目されたのも当然かもしれません。
私は東京は西の果て、青梅市の出身でして、30代の後半に千葉県人
となりました。思えば、40年が過ぎましたが、まだまだ千葉にある
知らない名所もおおく、(ドイツの旅が出来ない今)これもチャンス
かと思っております。
その辺りはmistralさんも同じようで、一寸した旅でも未知だった事を
知り、知識が増えるのも楽しいものです。
千葉県に三大檀林が存在していた事は、もっと千葉県人は誇りに思って
良いのでしょうね。
先だって、「旧朝香宮邸のアールデコ」を拝見・拝読しました。
素晴らしかったのでコメントも考えましたが、多くの方が
お書きになっていたので、遠慮してしまいました(笑)。
ドイツ語にJugendstilユーゲントシュティール(青年派様式と訳す)
という言葉があり、1897〜1910におけるドイツの芸術思潮です。
その19世紀末の芸術は一種退廃的とも云われる芸術で、曖昧且つ
曲線的表現を駆使している。仏語で言うアール・ヌーヴォーは
それに近いとか。
ドイツやオーストリア、バルト3国の旅でも時にそうした作品に
出くわしました。
一種退廃的というのは、少々言い過ぎかと、思って居りました。
ご参考に:先日拝見・拝読した方の旅行記です。
『ベルギーVII ブリュッセル アール・ヌーヴォーの館めぐり3』
ブリュッセル(ベルギー)の旅行記・ブログ by のまどさん【フォートラベル】 (4travel.jp)
それではまた。宜しくお願いします。
jijidaruma
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