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【エリザベス2世女王が崩御されたバルモラル城はヴィクトリア女王が購入したものだ。】<br /><br />英国ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王は2022年9月8日スコットランドのバルモラル城にて96歳の長寿で崩御された。<br /><br />エリザベス2世女王の崩御、その治世や功績については各国からの弔意に任せ、「生涯一度のイギリス旅行」で訪れた女王関係の城を5つピックアップしてみた。<br /><br />・・・・・<br /><br />1978年の夏の休暇に、思い切ってドーバー海峡を渡った。<br />「生涯一度のイギリス旅行」も、44年という古い旅、セピア色の思い出の旅となってしまった。<br />総走行距離は3,400km(スタート時81,790km、完走時85,190km)と、15日間の旅としては良く走った思いが残る。<br />天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。<br /><br />当時の写真を見てみると、いまだに色合いを保った写真もあるが、多くが写真屋の焼きが悪かったらしく、黄ばんだものになっている。<br />いわく、セピア色となった旅である。<br /><br />本稿の題名にあるお二方の関係は<br />ヴィクトリア女王は2022年9月8日までイギリス女王であったエリザベス2世の高祖母にあたる。<br /><ハノーヴァー朝>第3代国王ジョージ3世の孫で、エドワード7世、ドイツ皇后ヴィクトリア、ヘッセン大公妃アリスの母である。<br />世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれる。<br />在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中では<ウィンザー朝・・・第二次大戦で敵方となったドイツ、その系譜を継ぐ立場を配慮して改名したと云う>のエリザベス2世に次いで2番目の長さである(Wiki参考・追記)。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castle, painted by Queen Victoria in 1854(1854年、ヴィクトリア女王がバルモラル城を描いた絵)

エリザベス2世女王が崩御されたバルモラル城は、かつてヴィクトリア女王が購入したものだ。

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1978/08/14 - 1980/08/14

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jijidaruma

jijidarumaさん

【エリザベス2世女王が崩御されたバルモラル城はヴィクトリア女王が購入したものだ。】

英国ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王は2022年9月8日スコットランドのバルモラル城にて96歳の長寿で崩御された。

エリザベス2世女王の崩御、その治世や功績については各国からの弔意に任せ、「生涯一度のイギリス旅行」で訪れた女王関係の城を5つピックアップしてみた。

・・・・・

1978年の夏の休暇に、思い切ってドーバー海峡を渡った。
「生涯一度のイギリス旅行」も、44年という古い旅、セピア色の思い出の旅となってしまった。
総走行距離は3,400km(スタート時81,790km、完走時85,190km)と、15日間の旅としては良く走った思いが残る。
天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。

当時の写真を見てみると、いまだに色合いを保った写真もあるが、多くが写真屋の焼きが悪かったらしく、黄ばんだものになっている。
いわく、セピア色となった旅である。

本稿の題名にあるお二方の関係は
ヴィクトリア女王は2022年9月8日までイギリス女王であったエリザベス2世の高祖母にあたる。
<ハノーヴァー朝>第3代国王ジョージ3世の孫で、エドワード7世、ドイツ皇后ヴィクトリア、ヘッセン大公妃アリスの母である。
世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれる。
在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中では<ウィンザー朝・・・第二次大戦で敵方となったドイツ、その系譜を継ぐ立場を配慮して改名したと云う>のエリザベス2世に次いで2番目の長さである(Wiki参考・追記)。

・・・・・

写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castle, painted by Queen Victoria in 1854(1854年、ヴィクトリア女王がバルモラル城を描いた絵)

旅行の満足度
5.0
同行者
家族旅行
旅行の手配内容
個別手配
  • 《1978年夏の休暇・イギリス旅行》<br />1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間<br /><br />8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。<br /><br />その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー(軍楽隊の行進)」を見に行くことだった。<br /><br />写真はStrait_of_Dover_ドーバー海峡Map

    《1978年夏の休暇・イギリス旅行》
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。

    その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー(軍楽隊の行進)」を見に行くことだった。

    写真はStrait_of_Dover_ドーバー海峡Map

  • 写真は1978年8月5日英国の旅:ホーバークラフトに車を乗せて、ドーバー海峡を渡る。英国側は日本と同じ左側通行、ドイツや大陸側は右側通行なので、英国に上陸して、最初の角を曲がると、つい対向車線に出てしまって慌てた。

    イチオシ

    写真は1978年8月5日英国の旅:ホーバークラフトに車を乗せて、ドーバー海峡を渡る。英国側は日本と同じ左側通行、ドイツや大陸側は右側通行なので、英国に上陸して、最初の角を曲がると、つい対向車線に出てしまって慌てた。

  • 写真は1978年8月5日英国の旅:ドーバー海峡を渡る・・・当時の休暇の行程表では総走行距離を2,750kmと試算したが、結果は3,400kmだった。

    写真は1978年8月5日英国の旅:ドーバー海峡を渡る・・・当時の休暇の行程表では総走行距離を2,750kmと試算したが、結果は3,400kmだった。

  • この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに3泊し、名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、<br /><br />8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、<br />8月8日には市内でショッピング(銀器、Burberryバーバリーコート)、ピカデリー・サーカスなどを巡った。<br /><br />写真は1978年8月5日英国の旅:ロンドンMap<br />

    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに3泊し、名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、

    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    8月8日には市内でショッピング(銀器、Burberryバーバリーコート)、ピカデリー・サーカスなどを巡った。

    写真は1978年8月5日英国の旅:ロンドンMap

  • ≪セピア色の思い出:今日の大きなお目当て、バッキンガム宮殿の衛兵交代式を見た。≫<br /><br />ロンドンの2日目、8月6日(日)は9時出発、<br />午前中はLondonロンドンの①ウェストミンスター寺院、②国会議事堂とビッグ・ベン、③タワーブリッジ、テームズ川とディスカバリー号、④バッキンガム宮殿と衛兵交代式、<br /><br />午後は⑤トラファルガー広場とライオン像、⑥大英博物館などを巡った。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真は1978年8月6日英国の旅:A・ヴィクトリア女王記念碑、ビック・ベン、テームズ川と議事堂、バッキンガム宮殿周辺2

    ≪セピア色の思い出:今日の大きなお目当て、バッキンガム宮殿の衛兵交代式を見た。≫

    ロンドンの2日目、8月6日(日)は9時出発、
    午前中はLondonロンドンの①ウェストミンスター寺院、②国会議事堂とビッグ・ベン、③タワーブリッジ、テームズ川とディスカバリー号、④バッキンガム宮殿と衛兵交代式、

    午後は⑤トラファルガー広場とライオン像、⑥大英博物館などを巡った。

    ・・・・・

    写真は1978年8月6日英国の旅:A・ヴィクトリア女王記念碑、ビック・ベン、テームズ川と議事堂、バッキンガム宮殿周辺2

  • 写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿のヴィクトリア女王記念碑<br /><br />

    写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿のヴィクトリア女王記念碑

    バッキンガム宮殿 城・宮殿

  • 写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿の衛兵交代式、衛兵交代式はザ・マルで見物

    写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿の衛兵交代式、衛兵交代式はザ・マルで見物

  • ④Buckingham Palaceバッキンガム宮殿とChanging the Guard衛兵交代式<br /><br />私共も今日の大きなお目当てはバッキンガム宮殿の衛兵交代式の見学です。<br />ロンドン郊外のウィンザー城などでも衛兵交代式は実施されているが、最も有名なのがこのロンドン・バッキンガム宮殿の衛兵交代である。<br />ロンドン観光でも最も人気が高く、多くの観光客がつめかける。宮殿に向かうと、既に観光客が周辺を囲んでしまっていた。<br /><br />写真を撮るには良い位置ではなかったが、大きな黒の熊毛の帽子、伝統的な制服である真紅の上衣を身に着けた凛々しい近衛兵、絵本に出て来る玩具の兵隊のような格好の衛兵パレードを目の前に見られて、娘たちはとても喜んでいた。<br />尚、セレモニーの赤い制服が知られているが、冬場は黒い制服に変わるのだ。<br /><br />バッキンガム宮殿の衛兵交代式は、まずHorse Guards Paredeホース・ガーズ・パレードという騎馬連隊の交代式がホワイトホールで平日は午前11時に、日曜日は10時に毎日行われている。続いてWellington Barracksウェリントン兵舎から新しい衛兵が軍楽隊の演奏を先頭に行進し、午前11時半にバッキンガム宮殿の前庭に到着する。<br /><br />交代式は4月から7月は毎日、その他の期間は隔日で午前11時30分から実施し、凡その時間は30~40分である。任務を終えた衛兵は行進しながら宮殿を後にする。日曜日は10時開始である。<br /><br />写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿の衛兵交代式、宮殿をガードする巡回・立番の衛兵3

    ④Buckingham Palaceバッキンガム宮殿とChanging the Guard衛兵交代式

    私共も今日の大きなお目当てはバッキンガム宮殿の衛兵交代式の見学です。
    ロンドン郊外のウィンザー城などでも衛兵交代式は実施されているが、最も有名なのがこのロンドン・バッキンガム宮殿の衛兵交代である。
    ロンドン観光でも最も人気が高く、多くの観光客がつめかける。宮殿に向かうと、既に観光客が周辺を囲んでしまっていた。

    写真を撮るには良い位置ではなかったが、大きな黒の熊毛の帽子、伝統的な制服である真紅の上衣を身に着けた凛々しい近衛兵、絵本に出て来る玩具の兵隊のような格好の衛兵パレードを目の前に見られて、娘たちはとても喜んでいた。
    尚、セレモニーの赤い制服が知られているが、冬場は黒い制服に変わるのだ。

    バッキンガム宮殿の衛兵交代式は、まずHorse Guards Paredeホース・ガーズ・パレードという騎馬連隊の交代式がホワイトホールで平日は午前11時に、日曜日は10時に毎日行われている。続いてWellington Barracksウェリントン兵舎から新しい衛兵が軍楽隊の演奏を先頭に行進し、午前11時半にバッキンガム宮殿の前庭に到着する。

    交代式は4月から7月は毎日、その他の期間は隔日で午前11時30分から実施し、凡その時間は30~40分である。任務を終えた衛兵は行進しながら宮殿を後にする。日曜日は10時開始である。

    写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿の衛兵交代式、宮殿をガードする巡回・立番の衛兵3

  • 「衛兵交代式」の歴史:<br /><br />1703年に建てられていたバッキンガムハウスを、1837年よりヴィクトリア女王が使用した事から、バッキンガム宮殿は英国王室の公式宮殿となった。<br />「衛兵交代式」はGrenadier Guardsグレナディア隊、Coldstream Guardsコールドストリーム隊、Scots Guardsスコッツガーズ隊、Irish Guardsアイリッシュガーズ隊、Welsh Guardsウェルッシュガーズ隊という5つの近衛歩兵隊連隊による勤務交代の儀式をいう。<br /><br />近衛歩兵隊連隊は5隊ですから、その区別を帽子の羽根飾りの位置と上着のボタン、襟や肩の記章で見分けるのだそうだ。<br />・グレナディア隊:左側に白い羽根。ボタンは等間隔に配置。<br />・コールドストリーム隊:右側に赤い羽根。ボタンは2個ずつ配置。<br />・スコッツガーズ隊:羽根はなし。ボタンは3個ずつ配置。<br />・アイリッシュガーズ隊:右側に青い羽根。ボタンは4個ずつ配置。<br />・ウェルッシュガーズ隊:左側に白・緑・白の羽根。ボタンは5個ずつ配置。<br /><br />これらの連隊は通常バッキンガム宮殿だけでなく、St James Palaceセントジェームズ宮殿やClarence Houseクラレンスハウスの護衛もしている。<br /><br />目までかぶさるほどの熊毛の帽子は近づいて見ると、実に重そうです。<br />宮殿傍をガードする衛兵は靴音高く、正確な歩調を維持して歩む。<br />立番の衛兵さんと、観光客が入れ代わり立ち代わり、一緒に写真を撮らせてもらっている。<br />家内と娘たちの番もきて、嬉しそうにちょっぴり緊張した様子で、写真に納まりました。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿をガードする衛兵と一緒に写真を撮る(宮殿周辺地図)4

    「衛兵交代式」の歴史:

    1703年に建てられていたバッキンガムハウスを、1837年よりヴィクトリア女王が使用した事から、バッキンガム宮殿は英国王室の公式宮殿となった。
    「衛兵交代式」はGrenadier Guardsグレナディア隊、Coldstream Guardsコールドストリーム隊、Scots Guardsスコッツガーズ隊、Irish Guardsアイリッシュガーズ隊、Welsh Guardsウェルッシュガーズ隊という5つの近衛歩兵隊連隊による勤務交代の儀式をいう。

    近衛歩兵隊連隊は5隊ですから、その区別を帽子の羽根飾りの位置と上着のボタン、襟や肩の記章で見分けるのだそうだ。
    ・グレナディア隊:左側に白い羽根。ボタンは等間隔に配置。
    ・コールドストリーム隊:右側に赤い羽根。ボタンは2個ずつ配置。
    ・スコッツガーズ隊:羽根はなし。ボタンは3個ずつ配置。
    ・アイリッシュガーズ隊:右側に青い羽根。ボタンは4個ずつ配置。
    ・ウェルッシュガーズ隊:左側に白・緑・白の羽根。ボタンは5個ずつ配置。

    これらの連隊は通常バッキンガム宮殿だけでなく、St James Palaceセントジェームズ宮殿やClarence Houseクラレンスハウスの護衛もしている。

    目までかぶさるほどの熊毛の帽子は近づいて見ると、実に重そうです。
    宮殿傍をガードする衛兵は靴音高く、正確な歩調を維持して歩む。
    立番の衛兵さんと、観光客が入れ代わり立ち代わり、一緒に写真を撮らせてもらっている。
    家内と娘たちの番もきて、嬉しそうにちょっぴり緊張した様子で、写真に納まりました。

    ・・・・・

    写真は1978年8月6日英国の旅:A・バッキンガム宮殿をガードする衛兵と一緒に写真を撮る(宮殿周辺地図)4

  • 4泊5日のロンドン観光は初めてで、観光書に載っている主だった所を見て回った。<br /><br />5日目の8月9日にロンドンを出発、西34kmの近郊にあるWindsor Castleウィンザー城と衛兵交代式、ロンドンから90 kmのOxfordオックスフォード、文豪シェークスピアの故郷Stratford-upon-Avonストラトフォード・アポン・エイヴォンを見物する。<br /><br />≪セピア色の思い出:英国王室の離宮のウィンザー城と衛兵交代式を見る≫<br /><br />8月6日にロンドンのバッキンガム宮殿に行き、大勢の観光客と共に衛兵交代式を見物したが、5日目の9日(水)には、もうロンドンを離れて北に向かう。<br />スコットランドに向かう途中あちこちを訪ねるのだが、その第一は英国王室の離宮であるウィンザー城を訪ねる事だ。<br /><br />写真はウィンザー城Map

    4泊5日のロンドン観光は初めてで、観光書に載っている主だった所を見て回った。

    5日目の8月9日にロンドンを出発、西34kmの近郊にあるWindsor Castleウィンザー城と衛兵交代式、ロンドンから90 kmのOxfordオックスフォード、文豪シェークスピアの故郷Stratford-upon-Avonストラトフォード・アポン・エイヴォンを見物する。

    ≪セピア色の思い出:英国王室の離宮のウィンザー城と衛兵交代式を見る≫

    8月6日にロンドンのバッキンガム宮殿に行き、大勢の観光客と共に衛兵交代式を見物したが、5日目の9日(水)には、もうロンドンを離れて北に向かう。
    スコットランドに向かう途中あちこちを訪ねるのだが、その第一は英国王室の離宮であるウィンザー城を訪ねる事だ。

    写真はウィンザー城Map

  • ウィンザー城は女王エリザベス2世が週末に過ごす場所である。<br />テームズ川畔に立ち、凡そ45千㎡の床面積を持ち、住居者がいるものとしては世界最大の城と云われ、ヨーロッパでもっとも長く使われている王宮である。<br /><br />築城の歴史はNorman dynastyノルマン王朝(1066年、フランスのノルマンディ公William Iウィリアムのイングランド征服によって成立した王朝)の初代イギリス王ウィリアム1世(1027年~1087年)が、この地に木造の砦を築いたのが始まりで、その砦は現在のウィンザー城のMiddle Wardミドル・ウォード、円形の塔の部分に建てられたものであったと云う。<br /><br />写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城(冊子)のパレード

    ウィンザー城は女王エリザベス2世が週末に過ごす場所である。
    テームズ川畔に立ち、凡そ45千㎡の床面積を持ち、住居者がいるものとしては世界最大の城と云われ、ヨーロッパでもっとも長く使われている王宮である。

    築城の歴史はNorman dynastyノルマン王朝(1066年、フランスのノルマンディ公William Iウィリアムのイングランド征服によって成立した王朝)の初代イギリス王ウィリアム1世(1027年~1087年)が、この地に木造の砦を築いたのが始まりで、その砦は現在のウィンザー城のMiddle Wardミドル・ウォード、円形の塔の部分に建てられたものであったと云う。

    写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城(冊子)のパレード

    ウィンザー城 城・宮殿

    セピア色の思い出:ウィンザー城でも衛兵交代式が楽しめる。 by jijidarumaさん
  • この日、女王様がお出でになっていたかは、記録に無いので不明だが、ウィンザー城内には入った写真が無いから、多分、外観を眺め、観光客と共に衛兵交代式を見たのだろう。<br /><br />写真は1978年8月9日英国の旅:テームズ川畔で、ウィンザー城の絵葉書、城の外観、<br />

    この日、女王様がお出でになっていたかは、記録に無いので不明だが、ウィンザー城内には入った写真が無いから、多分、外観を眺め、観光客と共に衛兵交代式を見たのだろう。

    写真は1978年8月9日英国の旅:テームズ川畔で、ウィンザー城の絵葉書、城の外観、

  • ここではバッキンガム宮殿の時よりも見物人は少なく、身近に衛兵たちの交代式や行進が見えたから、娘たちも大いに喜んだものだ。<br /><br />先頭には大きな犬(軍用犬)が真紅の上衣をまとい、兵と共に歩む。その後を少数の軍楽隊が指揮官の指揮で軍楽を奏でながら行進し、更に高々とした黒の熊毛の帽子をかぶり、鮮やかな真紅の上衣の制服を着て、整然と行進する衛兵たちの姿はとても格好良く、その事に満足したのだろう。<br /><br />写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城衛兵交代式

    ここではバッキンガム宮殿の時よりも見物人は少なく、身近に衛兵たちの交代式や行進が見えたから、娘たちも大いに喜んだものだ。

    先頭には大きな犬(軍用犬)が真紅の上衣をまとい、兵と共に歩む。その後を少数の軍楽隊が指揮官の指揮で軍楽を奏でながら行進し、更に高々とした黒の熊毛の帽子をかぶり、鮮やかな真紅の上衣の制服を着て、整然と行進する衛兵たちの姿はとても格好良く、その事に満足したのだろう。

    写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城衛兵交代式

  • 因みにウィンザー城内はLowerロウァー、ミドル、Upperアッパーの3つのWardウォードと呼ばれる部分に分かれている。<br /><br />上の城郭アッパー・ウォードには、庭園を囲むように王室の建物が配置されており、賓客の間、儀式の間、国王・女王の居間や寝室がある。<br /><br />公式諸間(State Apartmentsステート・アパートメント)は、1824年から1866年の間に、<br />ドイツとの*同君連合・ハノーヴァー王朝のイギリス王ジョージ4世(ドイツ名はGeorg IVゲオルク4世:1820年~1830年)、<br />ウィリアム4世(ドイツ名はWilhelm IVヴィルヘルム4世:1830年~1837年)と、<br />Queen Victoria ヴィクトリア女王(1837年~1901年)の為に建てられたそうだ。<br /><br />私共が訪問した当時は「同君連合・ハノーヴァー王朝」といったことの詳細を知らなかったが、以下の事を知っていれば、英国王室の見方も変わっていただろう。<br /><br />≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫<br />https://4travel.jp/travelogue/10875676<br /><br />写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城衛兵交代式

    イチオシ

    因みにウィンザー城内はLowerロウァー、ミドル、Upperアッパーの3つのWardウォードと呼ばれる部分に分かれている。

    上の城郭アッパー・ウォードには、庭園を囲むように王室の建物が配置されており、賓客の間、儀式の間、国王・女王の居間や寝室がある。

    公式諸間(State Apartmentsステート・アパートメント)は、1824年から1866年の間に、
    ドイツとの*同君連合・ハノーヴァー王朝のイギリス王ジョージ4世(ドイツ名はGeorg IVゲオルク4世:1820年~1830年)、
    ウィリアム4世(ドイツ名はWilhelm IVヴィルヘルム4世:1830年~1837年)と、
    Queen Victoria ヴィクトリア女王(1837年~1901年)の為に建てられたそうだ。

    私共が訪問した当時は「同君連合・ハノーヴァー王朝」といったことの詳細を知らなかったが、以下の事を知っていれば、英国王室の見方も変わっていただろう。

    ≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫
    https://4travel.jp/travelogue/10875676

    写真は1978年8月9日英国の旅:ウィンザー城衛兵交代式

  • ≪英王室ゆかりの城が多いロイヤルディーサイド立つブレーマー城、夏の宮殿バルモラル城≫<br /><br />10日目の8月14日(月)晴、ブレア城、ブレーマー城、バルモラル城を巡る。<br />700年の歴史を誇る名門アソル公爵家の居城ブレア城を見物し、城内のレストランで昼食(£5.2)を食べて、一休みした。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:冊子表紙

    ≪英王室ゆかりの城が多いロイヤルディーサイド立つブレーマー城、夏の宮殿バルモラル城≫

    10日目の8月14日(月)晴、ブレア城、ブレーマー城、バルモラル城を巡る。
    700年の歴史を誇る名門アソル公爵家の居城ブレア城を見物し、城内のレストランで昼食(£5.2)を食べて、一休みした。

    写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:冊子表紙

    ブレア城 城・宮殿

    セピア色の思い出:イギリスで唯一私設軍隊を持つアソル公爵の居城・ブレア城を見物 by jijidarumaさん
  • 午後13時50分、ブレア城からA9の道を南東の目的地であるBraemarブレーマーの村に向かう。途中のPitlochryピトロッホリーでルートを変え、A984・B550の近道を取った。*Pass of Killiecrankieキリークランキーの峠でPiperパイパー(バッグパイプの演奏者)に出会う。演奏者の身近に立って一緒に写真を撮った娘たちにはちょっとした楽しい体験だったようだ。<br />この峠の山斜面全体が、エリカの花のピンク色で染まった景観は素晴らしいものだった。(写真は色あせて、その色は見られないのが残念)<br /><br />ヨーロッパでは白いエリカを見つけると幸せになるという言い伝えがあり、白のエリカを探してみましたが、赤ばかりでした。<br />峠を出発し、さらにA93で北上した。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:城の外観、峠道でエリカの花、パイパーと

    午後13時50分、ブレア城からA9の道を南東の目的地であるBraemarブレーマーの村に向かう。途中のPitlochryピトロッホリーでルートを変え、A984・B550の近道を取った。*Pass of Killiecrankieキリークランキーの峠でPiperパイパー(バッグパイプの演奏者)に出会う。演奏者の身近に立って一緒に写真を撮った娘たちにはちょっとした楽しい体験だったようだ。
    この峠の山斜面全体が、エリカの花のピンク色で染まった景観は素晴らしいものだった。(写真は色あせて、その色は見られないのが残念)

    ヨーロッパでは白いエリカを見つけると幸せになるという言い伝えがあり、白のエリカを探してみましたが、赤ばかりでした。
    峠を出発し、さらにA93で北上した。

    写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:城の外観、峠道でエリカの花、パイパーと

  • ①<イギリスで唯一私設軍隊を持つアソル公爵の居城・ブレア城を見物><br />Blair Atholl, Pitlochry, Perthshire PH18 5TL<br />入場料£3.<br /><br />英国Scotlandスコットランド中部、Perthshireパースシャー地域のGlenグレン峡谷、Highlandハイランドを貫く主街道沿いの荘園の中にブレア城がある。<br />スコットランド貴族Duke Athollアソル公爵の居城で、13世紀に建てられた*Tower-houseタワーハウスを起源とする。<br />(*タワーハウスはスコットランド地方に多くある屋敷の形態で、城と同じ意味で使われるそうだ。それはZ字型の建設方式と称し、スコットランド人は屋敷を横に展開する形より、上に積み上げる方を好んだ。つまり建設費が安い、そこからの眺望もさることながら、遠方から見えるので威厳を示せるという理由だと云う。スコットランド人らしいが、Z字型の建設方式は中央に頑丈な四角い塔の母屋を作り、その両脇に左右対称となる別棟を建てて接続させ、お互いの建屋の強度を補完し合う。別棟の一方を居住棟として使用し、他方は倉庫や馬屋などに使用した) <br /><br />・・・<br /><br />城館で最初に見るのは「玄関ホール」で、見事な剣の宝庫といってもよい様子に驚く。様々な武器が樫の木で作られたホールの壁を飾っていた。<br />城館は30の部屋が公開され、地上階、2階、3階と順次見ていく。中でも出色だったのはマホガニーの素晴らしい食卓、椅子、食器類のある「応接間」である。暖炉や銀の鹿像、侯爵家の人物画など、贅をつくした部屋であった。<br />贅沢と言えば、たくさんのマイセンなどの磁器を飾った部屋。それに、2階の隣り合った部屋、一つは食器棚にフランスのセーブル磁器、公爵家の人物画・・・特に美しいBohemiaボヘミアのPrincess Henriettaヘンリエッタ王女の人物画が見られる「お茶の間」と、もう一つは見事な大理石の暖炉、スタッコで天井や壁が装飾された「食事の間」も素晴らしい。<br /><br />また、ドイツ的には祝典の間(舞踏の広間)と称するのだろう大きな広間は少し無粋なほど武器類や狩猟の獲物である鹿の角をびっしりと飾り、公爵家の歴史を感じさせた。<br /><br />・・・<br /><br />大変珍しいことにアソル公爵は「現代のイギリスで唯一私設軍隊を持つこと」が認められており、城は現在でもその*私設軍隊であるAtholl Highlandersアソル・ハイランダーズによって警備されている。<br /><br />*1839年、第6代アソル公爵はエグリントン伯爵主催で行われた「中世の勝ち抜き試合の再現トーナメント」に招待され、自らの領地から選りすぐりの60人の男と4人のPiperパイパーで公爵の護衛隊を編成し、出場したと云う。<br /><br />1844年、ヴィクトリア女王陛下夫妻がブレア城を訪れ、3週間ほど滞在されたが、その警護を担ったのが、前述の護衛隊でした。その護衛に感謝し、女王はアソル・ハイランダーズを正式の軍隊として認めたそうだ。<br /><br />但し、ハイランダーズは軍事的な訓練をせず、専ら儀式やイベントの訓練だけをする、いわば名誉職という存在(隊員は通常自分の仕事をもつ)なのだ。<br />尚、年に一度の「Atholl Highlanders Parade and Gatheringアソル・ハイランダーズ・パレード&ギャザリング」という大きな行事が開催される。<br /><br />(2020年5月23日(土)~24日(日)に予定されていたが、武漢ウイルス禍にて中止された)<br /><br />700年の歴史を誇る名門アソル公爵家の居城は、褐色の多いスコットランドの城にしては珍しい、白亜の名城の佇まいからスコットランドで最も人気のある古城である。中世から現代まで時代に合わせて変化を遂げてきた城は、今も公爵家により私的に使用されているが、毎年春から秋にかけて城内の30室が一般に公開されて、人気の観光スポットとなっている。<br /><br />尚、アソル公爵家は日本の皇室ともゆかりが深い城で、昭和と今上二代の天皇が皇太子時代に欧州歴訪した際、ブレア城に迎えられて歓待・滞在されている。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:城内

    ①<イギリスで唯一私設軍隊を持つアソル公爵の居城・ブレア城を見物>
    Blair Atholl, Pitlochry, Perthshire PH18 5TL
    入場料£3.

    英国Scotlandスコットランド中部、Perthshireパースシャー地域のGlenグレン峡谷、Highlandハイランドを貫く主街道沿いの荘園の中にブレア城がある。
    スコットランド貴族Duke Athollアソル公爵の居城で、13世紀に建てられた*Tower-houseタワーハウスを起源とする。
    (*タワーハウスはスコットランド地方に多くある屋敷の形態で、城と同じ意味で使われるそうだ。それはZ字型の建設方式と称し、スコットランド人は屋敷を横に展開する形より、上に積み上げる方を好んだ。つまり建設費が安い、そこからの眺望もさることながら、遠方から見えるので威厳を示せるという理由だと云う。スコットランド人らしいが、Z字型の建設方式は中央に頑丈な四角い塔の母屋を作り、その両脇に左右対称となる別棟を建てて接続させ、お互いの建屋の強度を補完し合う。別棟の一方を居住棟として使用し、他方は倉庫や馬屋などに使用した)

    ・・・

    城館で最初に見るのは「玄関ホール」で、見事な剣の宝庫といってもよい様子に驚く。様々な武器が樫の木で作られたホールの壁を飾っていた。
    城館は30の部屋が公開され、地上階、2階、3階と順次見ていく。中でも出色だったのはマホガニーの素晴らしい食卓、椅子、食器類のある「応接間」である。暖炉や銀の鹿像、侯爵家の人物画など、贅をつくした部屋であった。
    贅沢と言えば、たくさんのマイセンなどの磁器を飾った部屋。それに、2階の隣り合った部屋、一つは食器棚にフランスのセーブル磁器、公爵家の人物画・・・特に美しいBohemiaボヘミアのPrincess Henriettaヘンリエッタ王女の人物画が見られる「お茶の間」と、もう一つは見事な大理石の暖炉、スタッコで天井や壁が装飾された「食事の間」も素晴らしい。

    また、ドイツ的には祝典の間(舞踏の広間)と称するのだろう大きな広間は少し無粋なほど武器類や狩猟の獲物である鹿の角をびっしりと飾り、公爵家の歴史を感じさせた。

    ・・・

    大変珍しいことにアソル公爵は「現代のイギリスで唯一私設軍隊を持つこと」が認められており、城は現在でもその*私設軍隊であるAtholl Highlandersアソル・ハイランダーズによって警備されている。

    *1839年、第6代アソル公爵はエグリントン伯爵主催で行われた「中世の勝ち抜き試合の再現トーナメント」に招待され、自らの領地から選りすぐりの60人の男と4人のPiperパイパーで公爵の護衛隊を編成し、出場したと云う。

    1844年、ヴィクトリア女王陛下夫妻がブレア城を訪れ、3週間ほど滞在されたが、その警護を担ったのが、前述の護衛隊でした。その護衛に感謝し、女王はアソル・ハイランダーズを正式の軍隊として認めたそうだ。

    但し、ハイランダーズは軍事的な訓練をせず、専ら儀式やイベントの訓練だけをする、いわば名誉職という存在(隊員は通常自分の仕事をもつ)なのだ。
    尚、年に一度の「Atholl Highlanders Parade and Gatheringアソル・ハイランダーズ・パレード&ギャザリング」という大きな行事が開催される。

    (2020年5月23日(土)~24日(日)に予定されていたが、武漢ウイルス禍にて中止された)

    700年の歴史を誇る名門アソル公爵家の居城は、褐色の多いスコットランドの城にしては珍しい、白亜の名城の佇まいからスコットランドで最も人気のある古城である。中世から現代まで時代に合わせて変化を遂げてきた城は、今も公爵家により私的に使用されているが、毎年春から秋にかけて城内の30室が一般に公開されて、人気の観光スポットとなっている。

    尚、アソル公爵家は日本の皇室ともゆかりが深い城で、昭和と今上二代の天皇が皇太子時代に欧州歴訪した際、ブレア城に迎えられて歓待・滞在されている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    写真は1978年8月14日英国の旅:Blair Castleブレア城:城内

  • この村から1km程北にあるBraemar Castleブレーマー城は樽のような形の城郭が珍しく、見学(£1.4)ができる。Deeディー川が流れ、曰く日本的には軽井沢のような高原にリゾートホテル、ゴルフコースがある。<br /><br />②<マー伯爵の居城Braemar Castleブレーマー城><br />Braemar Castle:Braemar AberdeenshireAB35 5XR<br /><br />英国スコットランド北東部、Aberdeenshireアバディーンシャー州にあるBraemar Castleブレーマー城は*Royal Deesideロイヤルディーサイドに位置する。Aberdeenアバディーン(人口195千人)から約100kmの距離にある。<br /><br />*Royal Deesideロイヤルディーサイドは全長145kmのDeeディー川沿いのこと。この川沿いにはCrathes Castleクラシズ城、Balmoral Castleバルモラル城、Drum Castleドラム城、ブレーマー城をはじめ、王室ゆかりの城が多い。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:ブレーマー城の案内書・表紙と周辺図、

    この村から1km程北にあるBraemar Castleブレーマー城は樽のような形の城郭が珍しく、見学(£1.4)ができる。Deeディー川が流れ、曰く日本的には軽井沢のような高原にリゾートホテル、ゴルフコースがある。

    ②<マー伯爵の居城Braemar Castleブレーマー城>
    Braemar Castle:Braemar AberdeenshireAB35 5XR

    英国スコットランド北東部、Aberdeenshireアバディーンシャー州にあるBraemar Castleブレーマー城は*Royal Deesideロイヤルディーサイドに位置する。Aberdeenアバディーン(人口195千人)から約100kmの距離にある。

    *Royal Deesideロイヤルディーサイドは全長145kmのDeeディー川沿いのこと。この川沿いにはCrathes Castleクラシズ城、Balmoral Castleバルモラル城、Drum Castleドラム城、ブレーマー城をはじめ、王室ゆかりの城が多い。

    写真は1978年8月14日英国の旅:ブレーマー城の案内書・表紙と周辺図、

  • ブレーマー城は1628年、当時スコットランドで強大な勢力を誇っていたEarl of Marマー伯爵の居城として建てられた城である。<br />「Jacobite rising of 1745ジャコバイトの反乱」で破壊、18世紀に再建されて現在の姿になった。<br /><br />その後、スコットランドとイングランドとの戦国時代を経てヴィクトリア女王時代には王室のメンバーも集まるイベント、Braemar Gatheringブレーマーギャザリング(スコットランド伝統の競技会)が行われるなどハイランド文化の中心として栄えた歴史がある。ブレーマー城は写真で見るように、樽のような形の城郭であり、英国内の古城群の中でも大変珍しいそうだ。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:上はダムとエリカの花、下はBraemar Castleブレーマー城とBalmoral Castleバルモラル城の絵葉書

    ブレーマー城は1628年、当時スコットランドで強大な勢力を誇っていたEarl of Marマー伯爵の居城として建てられた城である。
    「Jacobite rising of 1745ジャコバイトの反乱」で破壊、18世紀に再建されて現在の姿になった。

    その後、スコットランドとイングランドとの戦国時代を経てヴィクトリア女王時代には王室のメンバーも集まるイベント、Braemar Gatheringブレーマーギャザリング(スコットランド伝統の競技会)が行われるなどハイランド文化の中心として栄えた歴史がある。ブレーマー城は写真で見るように、樽のような形の城郭であり、英国内の古城群の中でも大変珍しいそうだ。

    写真は1978年8月14日英国の旅:上はダムとエリカの花、下はBraemar Castleブレーマー城とBalmoral Castleバルモラル城の絵葉書

  • ブレーマー城からディー川沿いA93号線を20kmほど北東に走ると、今日3番目の城、イギリス王室の夏の宮殿、堂々としたバルモラル城が見えて来る。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:Braemar Castleブレーマー城とBalmoral Castleバルモラル城絵葉書1

    ブレーマー城からディー川沿いA93号線を20kmほど北東に走ると、今日3番目の城、イギリス王室の夏の宮殿、堂々としたバルモラル城が見えて来る。

    写真は1978年8月14日英国の旅:Braemar Castleブレーマー城とBalmoral Castleバルモラル城絵葉書1

  • ③<イギリス王室の夏の宮殿となるBalmoral Castleバルモラル城><br />The Estates Office:Balmoral Estates<br />Ballater Aberdeenshire, AB35 5TB<br /><br />英国スコットランド北東部、Aberdeenshireアバディーンシャー州にあるバルモラル城はRoyal Deesideロイヤルディーサイドに位置する。<br />アバディーンから約80kmの距離にある。<br />この広大な城は周囲を森や荘園(260平方キロ)に囲まれたEstate Houseエステート・ハウスといわれる建物である。一帯はディー川沿いの風光明媚な地域である。<br /><br />城の歴史はWilliam Drummondウィリアム・ドラモンド卿が居城として1390年に築城された。その後、15世紀に第3代Earl of Huntlyハントリー伯Alexander Gordonアレクサンダー・ゴードンに売却され、幾つかの貴族の家に所有が変わり、<br /><br />1848年からQueen Victoria女王ヴィクトリアと王配Prince Albertアルバート殿下が利用した。<br />バルモラル城の滞在を好んだ御二人は1852年に購入し、15世紀のバルモラル城を拡張させ、王室にふさわしい新しく大きな城に生まれ変わらせた。1856年に現在の建物が完成した。<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castle, painted by Queen Victoria in 1854(1854年、ヴィクトリア女王がバルモラル城を描いた絵)

    イチオシ

    ③<イギリス王室の夏の宮殿となるBalmoral Castleバルモラル城>
    The Estates Office:Balmoral Estates
    Ballater Aberdeenshire, AB35 5TB

    英国スコットランド北東部、Aberdeenshireアバディーンシャー州にあるバルモラル城はRoyal Deesideロイヤルディーサイドに位置する。
    アバディーンから約80kmの距離にある。
    この広大な城は周囲を森や荘園(260平方キロ)に囲まれたEstate Houseエステート・ハウスといわれる建物である。一帯はディー川沿いの風光明媚な地域である。

    城の歴史はWilliam Drummondウィリアム・ドラモンド卿が居城として1390年に築城された。その後、15世紀に第3代Earl of Huntlyハントリー伯Alexander Gordonアレクサンダー・ゴードンに売却され、幾つかの貴族の家に所有が変わり、

    1848年からQueen Victoria女王ヴィクトリアと王配Prince Albertアルバート殿下が利用した。
    バルモラル城の滞在を好んだ御二人は1852年に購入し、15世紀のバルモラル城を拡張させ、王室にふさわしい新しく大きな城に生まれ変わらせた。1856年に現在の建物が完成した。

    写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castle, painted by Queen Victoria in 1854(1854年、ヴィクトリア女王がバルモラル城を描いた絵)

  • 写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 BalmoralCastle1890~1900(バルモラル城・1890~1900年)

    写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 BalmoralCastle1890~1900(バルモラル城・1890~1900年)

  • 現在もイギリス王室の離宮・夏の宮殿として使用されている。<br />エリザベス女王も毎年夏にはこの城を訪れ、約2カ月滞在するほどお気に入り!だと云う。<br /><br />当時のブルーガイドには6月から7月の2ヶ月が一般に公開され、日曜日は御休みと書かれていた。<br />この為、8月のこの日は当然非公開で、入場料、ガイド本・絵葉書代も払った記録もなく、写真も撮っていないから、さらりと外観だけを見て終わったのだろう。<br /><br />さて、今日はStirlingスターリングで1泊の予定だ。<br /><br />・・・・・・・・・<br /><br />写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castleバルモラル城

    現在もイギリス王室の離宮・夏の宮殿として使用されている。
    エリザベス女王も毎年夏にはこの城を訪れ、約2カ月滞在するほどお気に入り!だと云う。

    当時のブルーガイドには6月から7月の2ヶ月が一般に公開され、日曜日は御休みと書かれていた。
    この為、8月のこの日は当然非公開で、入場料、ガイド本・絵葉書代も払った記録もなく、写真も撮っていないから、さらりと外観だけを見て終わったのだろう。

    さて、今日はStirlingスターリングで1泊の予定だ。

    ・・・・・・・・・

    写真は1978年8月14日英国の旅:英国王室の夏の宮殿 Balmoral Castleバルモラル城

    バルモラル城 城・宮殿

    セピア色の思い出:英王室ゆかりの城が多いロイヤルディーサイド立つブレーマー城、夏の宮殿バルモラル城 by jijidarumaさん
  • ≪セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城≫<br /><br />11日目の8月15日(火)晴れ後小雨、<br />この日はスコットランドの都市の中では一番小さい都市スターリングにあるStirling Castle スターリング城を見学して、その後に56km先のEdinburgh Castleエディンバラ城に向かった。<br /><br />スコットランドの東岸、フォース湾に面するスコットランドの首府エディンバラは人口48万人、スコットランドにおける政治と文化の中心であり、グラスゴーと共に2大都市の一角を占める。<br />旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富と云う。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。この日も予想以上に多い。<br /><br />写真はスコットランド・「エディンバラ城(Alexander Nasmyth,1880年作品)」

    ≪セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城≫

    11日目の8月15日(火)晴れ後小雨、
    この日はスコットランドの都市の中では一番小さい都市スターリングにあるStirling Castle スターリング城を見学して、その後に56km先のEdinburgh Castleエディンバラ城に向かった。

    スコットランドの東岸、フォース湾に面するスコットランドの首府エディンバラは人口48万人、スコットランドにおける政治と文化の中心であり、グラスゴーと共に2大都市の一角を占める。
    旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富と云う。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。この日も予想以上に多い。

    写真はスコットランド・「エディンバラ城(Alexander Nasmyth,1880年作品)」

  • <Edinburgh Castleエディンバラ城><br /><br />エディンバラ城は通称「Castle Rockキャッスル・ロック」という岩山の上に立つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルと言って良いだろう。<br />午前中に訪れたStirling Castleスターリング城(岩山の高さは調べてみたが、意外に記載がない)と似た火山性の岩山・キャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩で出来ており、145mの高さがある。<br /><br />ケルト系のブリテン人からは「Castle Myned Agned翼の生えた岩の城」と呼ばれ、スコットランド人は「Maidens Castle, Virgins Castle乙女の城」と呼んだそうだ。<br />英国史上最も包囲を受けた城と云われ、1100年の歴史の中で26回の包囲戦が確認されている。<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    <Edinburgh Castleエディンバラ城>

    エディンバラ城は通称「Castle Rockキャッスル・ロック」という岩山の上に立つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルと言って良いだろう。
    午前中に訪れたStirling Castleスターリング城(岩山の高さは調べてみたが、意外に記載がない)と似た火山性の岩山・キャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩で出来ており、145mの高さがある。

    ケルト系のブリテン人からは「Castle Myned Agned翼の生えた岩の城」と呼ばれ、スコットランド人は「Maidens Castle, Virgins Castle乙女の城」と呼んだそうだ。
    英国史上最も包囲を受けた城と云われ、1100年の歴史の中で26回の包囲戦が確認されている。

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

  • 現在、エディンバラ城にはスコティッシュ・ロイヤル・ジュエル (戴冠用宝玉)、運命の石、有名な15世紀の大砲モンス・メグ、ワン・オクロック砲、およびスコットランドの戦争史を紹介する「国立戦争博物館」館などがある。<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    現在、エディンバラ城にはスコティッシュ・ロイヤル・ジュエル (戴冠用宝玉)、運命の石、有名な15世紀の大砲モンス・メグ、ワン・オクロック砲、およびスコットランドの戦争史を紹介する「国立戦争博物館」館などがある。

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    エディンバラ城 城・宮殿

    セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城 by jijidarumaさん
  • 伝承されてきた「スクーンの石」について以下に書いた。<br /><br /><エディンバラ城・王宮内にある主な宝物><br />エディンバラ城で一番人気は王宮内にある「クラウン・ルーム」です。<br />ここでは「三種の宝器」と「運命の石」が目玉です。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器など歴史的遺品が展示されている。<br /><br />「Stone of Sconeスクーンの石」:<br />伝承によると、「スクーンの石」は聖地パレスチナにあって聖Jacobヤコブが枕にしていたという石だと云う。この石をFergusⅠファーガス1世が500年ごろスコットランドに持ち込んだとか(これは伝説だが、現代の科学で実際はスクーン周辺の石切場で採掘されたものであると実証している)。<br /><br />以後伝承は続き、中世においては「スクーンの石」があったSconeスクーン(現Perth and Kinrossパース・アンド・キンロス村)の地はスコットランド王国の重要な地となり、宮廷が置かれた。<br /><br />「スクーンの石」はスコットランド王家の守護石となり、スコットランド王が代々即位する際、この石の上で戴冠式が行われたという伝統的な宝物なのだ。<br />「Stone of Sconeスクーンの石」は「Stone of Destiny運命の石」とも呼ばれる長方形の石(写真参照)で重さは約152 kgと云う。<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラ「スクーン宮殿にあるスクーンの石のレプリカ」

    伝承されてきた「スクーンの石」について以下に書いた。

    <エディンバラ城・王宮内にある主な宝物>
    エディンバラ城で一番人気は王宮内にある「クラウン・ルーム」です。
    ここでは「三種の宝器」と「運命の石」が目玉です。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器など歴史的遺品が展示されている。

    「Stone of Sconeスクーンの石」:
    伝承によると、「スクーンの石」は聖地パレスチナにあって聖Jacobヤコブが枕にしていたという石だと云う。この石をFergusⅠファーガス1世が500年ごろスコットランドに持ち込んだとか(これは伝説だが、現代の科学で実際はスクーン周辺の石切場で採掘されたものであると実証している)。

    以後伝承は続き、中世においては「スクーンの石」があったSconeスクーン(現Perth and Kinrossパース・アンド・キンロス村)の地はスコットランド王国の重要な地となり、宮廷が置かれた。

    「スクーンの石」はスコットランド王家の守護石となり、スコットランド王が代々即位する際、この石の上で戴冠式が行われたという伝統的な宝物なのだ。
    「Stone of Sconeスクーンの石」は「Stone of Destiny運命の石」とも呼ばれる長方形の石(写真参照)で重さは約152 kgと云う。

    写真はスコットランド・エディンバラ「スクーン宮殿にあるスクーンの石のレプリカ」

  • 1296年、イングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)により、戦利品として収奪され、スクーン修道院(スクーン宮殿)からイングランドへ持ち去られた。<br /><br />イングランドではウェストミンスター寺院に置かれ、イングランド王の戴冠式で使用されていた。石は木の椅子の座部にはめ込まれ(写真参照)、代々のイングランド王たちが即位する戴冠式の際、王たちがこの椅子に座った。<br /><br />スコットランド王の象徴である「スクーンの石」を尻に敷いて即位することになる。この事はスコットランド人のプライドを大いに傷つけたことでしょう。<br /><br />尚、「スクーンの石」がイングランドに奪われたことで、スコットランドの人々はイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年12月クリスマスにはスコットランド民族主義者による「スクーンの石」の盗難(奪還!)事件が発生した。犯人グループによる運搬中に、石の角が割れてしまったが、グラスゴーで石工が修復した。最終的に石は発見されイングランドへ回収された。<br /><br />1978年の旅の事だから、以下の事は追記になる。<br /><br />1996年、時のトニー・ブレア首相(労働党政権)はスコットランドとの融和の為、「スクーンの石」を700年ぶりにスコットランドへ返還し、現在エディンバラ城に保管されている。<br />但し、将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだ。<br />(従って、エリザベス2世女王の崩御と共に、チャールズ3世の戴冠となるわけで、その際には一時的に戻されることになる)<br /><br />伝承から始まった、文字通り「運命の石」となった「スクーンの石」はイングランドとスコットランドの対抗意識の象徴であり、スコットランドの*独立意識も勢いづかせる存在になっているように思われる。<br /><br />*スコットランドの分離・独立について、最近の報道(2020年9月の調査)では調査対象の1016人の有権者の内、56%がスコットランドの独立を支持、44%が反対であったと云う。また、2020年11月5日の報道によると、現英国ジョンソン首相は2020年にこの件について記者団に次のように語った。<br />≪2014年の独立を拒否した国民投票は「一世代に一度の出来事」であると同意して行われたものであり、今後、スコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施は不要だ≫と・・・。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はCoronation_Chair_and_Stone_of_Sconeスクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子を描いた1855年の絵

    1296年、イングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)により、戦利品として収奪され、スクーン修道院(スクーン宮殿)からイングランドへ持ち去られた。

    イングランドではウェストミンスター寺院に置かれ、イングランド王の戴冠式で使用されていた。石は木の椅子の座部にはめ込まれ(写真参照)、代々のイングランド王たちが即位する戴冠式の際、王たちがこの椅子に座った。

    スコットランド王の象徴である「スクーンの石」を尻に敷いて即位することになる。この事はスコットランド人のプライドを大いに傷つけたことでしょう。

    尚、「スクーンの石」がイングランドに奪われたことで、スコットランドの人々はイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年12月クリスマスにはスコットランド民族主義者による「スクーンの石」の盗難(奪還!)事件が発生した。犯人グループによる運搬中に、石の角が割れてしまったが、グラスゴーで石工が修復した。最終的に石は発見されイングランドへ回収された。

    1978年の旅の事だから、以下の事は追記になる。

    1996年、時のトニー・ブレア首相(労働党政権)はスコットランドとの融和の為、「スクーンの石」を700年ぶりにスコットランドへ返還し、現在エディンバラ城に保管されている。
    但し、将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだ。
    (従って、エリザベス2世女王の崩御と共に、チャールズ3世の戴冠となるわけで、その際には一時的に戻されることになる)

    伝承から始まった、文字通り「運命の石」となった「スクーンの石」はイングランドとスコットランドの対抗意識の象徴であり、スコットランドの*独立意識も勢いづかせる存在になっているように思われる。

    *スコットランドの分離・独立について、最近の報道(2020年9月の調査)では調査対象の1016人の有権者の内、56%がスコットランドの独立を支持、44%が反対であったと云う。また、2020年11月5日の報道によると、現英国ジョンソン首相は2020年にこの件について記者団に次のように語った。
    ≪2014年の独立を拒否した国民投票は「一世代に一度の出来事」であると同意して行われたものであり、今後、スコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施は不要だ≫と・・・。

    ・・・・・

    写真はCoronation_Chair_and_Stone_of_Sconeスクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子を描いた1855年の絵

  • ≪エディンバラ市内観光をして、お土産を探した。≫<br /><br />12日目の8月16日(水)晴れ<br />昨日も城好きには嬉しい日で、岩山に築かれた巨大なスターリング城とスコットランド王の居城エディンバラ城を見て一日を過ごした。<br /><br />今日はスコットランドの首府エディンバラ市内を観光予定になっている。<br />そろそろ旅も終盤を迎え、明日はこの旅第一の目的でもあるエディンバラ城のMilitary Tattooミリタリー・タトゥーを見る予定だから、その前に市内を巡りながらお土産探しをしてみた。<br /><br />写真はエディンバラ市内観光図

    ≪エディンバラ市内観光をして、お土産を探した。≫

    12日目の8月16日(水)晴れ
    昨日も城好きには嬉しい日で、岩山に築かれた巨大なスターリング城とスコットランド王の居城エディンバラ城を見て一日を過ごした。

    今日はスコットランドの首府エディンバラ市内を観光予定になっている。
    そろそろ旅も終盤を迎え、明日はこの旅第一の目的でもあるエディンバラ城のMilitary Tattooミリタリー・タトゥーを見る予定だから、その前に市内を巡りながらお土産探しをしてみた。

    写真はエディンバラ市内観光図

  • The Royal Mile ロイヤル・マイル:<br /><br />ロイヤル・マイルはエディンバラ城とホーリィーロードハウス宮殿を結ぶエディンバラ旧市街の通り、全長1.6kmほどの通りである。美しい石畳が敷かれ、周囲には古い民家、カフェ、レストラン、ギフトショップなどが並んでいる。<br />中世には王族が馬車で往来していた通りであったから、歴史的建造物も多く残り、ブラブラしながら見ていく観光・買物には便利な一帯だ。<br /><br /><Palace of Holyroodhouseホーリィーロードハウス宮殿><br />:(入場料・ガイド£1.5)<br /><br />ロイヤル・マイルの東端に位置する宮殿だが、12世紀にはホーリィーロード教会のゲストハウスであった。1501年、宮殿に改装され、スコットランド女王メアリー1世も1561年~1567年までここに暮らしており、宮殿内にはメアリーの部屋が残されている。<br /><br />イギリス王室のスコットランドにおける宮殿で、現在もエリザベス2世女王がスコットランド滞在で使用する公邸として知られている。<br /><br />王室や国賓が来訪の時以外は見学可能で、歴代王の肖像画が飾られたグレートギャラリーや、廃墟になったホーリィーロード修道院も見学できる。<br /><br />写真はエディンバラ市内観光:聖ジャイルズ教会、ホーリィーロード宮殿(左上)、夕暮れの海岸<br /><br />・・・・・・・・・・・・<br /><br />イギリスのキングストン・アポン・ハル港から大型フェリー船に1泊しながら、オランダのロッテルダムに向かった。<br />この日はイギリスの最終日になる。<br /><br />14日目の8月18日(金)、晴れ<br />エディンバラのホテルを午前9時15分に出発し、A1を南下する。Newcastleニューカッスル経由でハルまで凡そ280kmを走った。<br /><br />尚、キングストン・アポン・ハル*(通称Hullハル)は、イギリス・イングランド東海岸に位置するシティであり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市で、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町である。<br /><br />・・・・・<br /><br />(2022年9月10日Wiki参考、編集加筆)

    The Royal Mile ロイヤル・マイル:

    ロイヤル・マイルはエディンバラ城とホーリィーロードハウス宮殿を結ぶエディンバラ旧市街の通り、全長1.6kmほどの通りである。美しい石畳が敷かれ、周囲には古い民家、カフェ、レストラン、ギフトショップなどが並んでいる。
    中世には王族が馬車で往来していた通りであったから、歴史的建造物も多く残り、ブラブラしながら見ていく観光・買物には便利な一帯だ。

    <Palace of Holyroodhouseホーリィーロードハウス宮殿>
    :(入場料・ガイド£1.5)

    ロイヤル・マイルの東端に位置する宮殿だが、12世紀にはホーリィーロード教会のゲストハウスであった。1501年、宮殿に改装され、スコットランド女王メアリー1世も1561年~1567年までここに暮らしており、宮殿内にはメアリーの部屋が残されている。

    イギリス王室のスコットランドにおける宮殿で、現在もエリザベス2世女王がスコットランド滞在で使用する公邸として知られている。

    王室や国賓が来訪の時以外は見学可能で、歴代王の肖像画が飾られたグレートギャラリーや、廃墟になったホーリィーロード修道院も見学できる。

    写真はエディンバラ市内観光:聖ジャイルズ教会、ホーリィーロード宮殿(左上)、夕暮れの海岸

    ・・・・・・・・・・・・

    イギリスのキングストン・アポン・ハル港から大型フェリー船に1泊しながら、オランダのロッテルダムに向かった。
    この日はイギリスの最終日になる。

    14日目の8月18日(金)、晴れ
    エディンバラのホテルを午前9時15分に出発し、A1を南下する。Newcastleニューカッスル経由でハルまで凡そ280kmを走った。

    尚、キングストン・アポン・ハル*(通称Hullハル)は、イギリス・イングランド東海岸に位置するシティであり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市で、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町である。

    ・・・・・

    (2022年9月10日Wiki参考、編集加筆)

    ホリルードハウス宮殿 城・宮殿

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この旅行記へのコメント (2)

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  • M-koku1さん 2022/09/11 07:27:34
    エリザベス女王が崩御されましたね
    jijidarumaさん

    いつか来るとは思っていた日が来たのは残念です。
    ロンドン滞在時はまだQueen Motherが存命中で、とても可愛らしい方で、大人気でした。101歳でなくなりましたから、晩年の彼女のお姿は、エリザベス女王とよく似ていました。長命の家系ですね。お住まいがバッキンガム宮殿の近くにあったので、パレードがあった日などに帰り際にクイーンマザーのお屋敷の前に行くと、バルコニーに出て見えて、気軽に手をふってくださったお姿が、今でも目に浮かびます。
    今回のことで、イギリスのことを色々思い出していたのは、jijidarumaさんも同じだったようですね。
    ただただ懐かしいです。

    Mより

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2022/09/11 14:43:16
    RE: エリザベス女王が崩御されましたね
    M-koku1さん、
    今日は。
    コメントありがとうございます。

    イギリスは生涯一度だけの旅をしたことで、その印象が
    強く残ったようです。
    とりわけ、エリザベス2世女王が好んだスコットランド
    の地を旅して、様々な古城にであい、古城好きとしても
    満足出来た旅でもありました。

    96歳の御長寿ですから、おっしゃるようにいつかはこの日を
    迎えるのだと思っていました。
    やはり、大事な新首相を迎えた日を最後にスーッと生命力が
    消えて行ったのでしょうね。

    エリザベス王太后(Queen Mother)の写真を検索しました。
    親子だから似て当たり前ですが、それにしても笑った感じが
    実によく似ています。
    思えば、「王冠を賭けた恋」をしたエドワード8世の退位が
    無ければ、エリザベス王太后もエリザベス2世女王もなかった
    分けで、歴史は面白いものです。

    英王室でも、エリザベス2世女王ほど品位も政治力もあった方
    は珍しい。
    ヴィクトリア女王の血を引くだけに、これも納得です。
    英国は女王の時代が、もっとも繁栄した歴史がありますから、
    さてチャールズ3世、次のウイリアム皇太子の時代はどうなる
    のでしょう。

    それではまた。ありがとうございました。
    jijidaruma

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