リラクマさんのクチコミ(31ページ)全6,091件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2022年09月16日
総合評価:4.0
門前とは思えないほど狭い路地に法音寺の山門がありました。参道の石段の上に、1698年(元禄11年)に臼杵城の鬼門除けのために建立された、右に持国天と左に毘沙門天を祀った二天門がありました。この門に架かっている「竹林山」の額の文字は、珍しいほどきっちりとしています。江戸時代前期の公卿である正二位内大臣・花山院定誠の筆蹟だそうです。4代藩主・稲葉信通の姫が定誠の継室となった縁からだと思われます。信通の生母は細川ガラシャ夫人の3女ですから、当時の血縁を辿ったら目が回りそうです。境内の一画に小さな神社あり、二王座龍神と書かれていました。神仏混合です。お賽銭を入れて、宝珠を左手で時計回りに3回撫でるとご利益があるそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月16日
総合評価:4.0
八町大路は、カニ醤油を始めとする趣のある建屋の店舗があり、散策をするだけで楽しい道でした。長さが300mあるという通りはきれいに石畳で整備されていましたが、これらの商店街の名称は中央通り商店街という、味も素っ気もない名称でした。1963年(昭和38年)に本町商店街と畳屋町商店街が1つになった時にこんな平凡な名になったそうです。なお、この八町大路を歩いていると、町娘のゆるキャラ?「お八栄ちゃん」がいくつも置かれていました。探してみるのも楽しいものです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- お買い得度:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 3.0
-
投稿日 2022年09月16日
総合評価:3.5
八町大路の中程に異質な意匠の建物がありました。サーラ デ うすきという大きな施設の中の1つで、交流ホールと位置付けられているものです。この施設は、1本南側の二王座歴史の道までの、100m近い広いエリヤとなっていました。にぎわい広場があったり、飲食ではポルト蔵、スズムギ、リーフデカフェがあったりしました。訪れた時は雨天だったこともあってか、まったくの無人状態でしたが、コロナが収まって賑わいの戻ることを祈りましょう。なお、東の出入口辺りは、名家老といわれる村瀬庄兵衛の屋敷があったところだそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2022年09月16日
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
野上弥生子文学記念館は、小手川酒造の並びというか、建物の一画が記念館に改造されていました。野上弥生子さんは、小手川酒造の3代目となる小手川次郎とマサの長女として、1885年(明治18年)に臼杵で生まれています。申し訳ないことに、野上弥生子さんのことはよく知りませんでしたので、ここでは遺品などのほか、少女時代の勉強部屋なども見学できて、勉強になりました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
旧平井家住宅は屋敷門から入れることはなく、旧臼杵藩主稲葉家下屋敷の庭先から、狭い通路で繋がっていました。(旧平井家住宅の入場料は必要ありませんでした)江戸時代の臼杵藩の上級武士だった稲葉氏のお屋敷です。藩主と同じ名前ですが親類縁者ではない様です。幕末近くの1859年(安政6年)に築造されたものです。上級武士だと結構広い屋敷に住んでいたのだなぁと思いました。建築材はその当時の良いものを使われているのだと思いますが、特に台所の板敷きを見ると、良い材料を使って建てられているのだと実感しました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
下屋敷の前の水路には錦鯉がたくさん泳いでいました。鯉を寄付するには届け出制だそうです。餌をあげたくなりますが、ダメとのことです。それはさておき、門から中に入ると、ゆったりとした、広い建物で、敷地は1、000坪ほどもあるとのことです。江戸時代の建物かと思いましたが、東京に居を移した旧藩主が臼杵に戻ってきた時のためのもので、1902年(明治35年)に建てられたものだそうですね。何と、臼杵の有志の方々の出資で建設されたのだそうです。余程、善政を敷いたということだったのでしょうかね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:5.0
1600年(慶長5年)のこと、この地は龍ヶ淵と呼ばれ、昇天できない龍が暴れるところだったそうです。江戸駒込出身の高僧・円誉上人が夢に導かれてこの地を訪れ、後陽成天皇ご宸筆の六字名号軸を奉じて念仏を称えたところ、たちまち、龍は昇天できたそうです。上人に感服した臼杵藩の初代藩主・稲葉貞通は上人のために、この地に龍原寺を建立し、龍は感謝の印として自らの珠、鱗、爪を上人に差し出し、今も寺宝として伝わっているそうです。
一方、三重塔ですが、江戸時代の1858年(安政5年)に建立されたものです。建立から時間が経ったので、2033年(令和15年)に大改修を行なう予定だそうです。道路際の表の白壁のところに、寄付募集の大きな案内が書かれていましたが、そこには「天邪鬼を救いたい」と標語が書かれていました。これは三重塔の軒下で屋根を支える4匹の天邪鬼がいるからです。みんなで協力して天邪鬼を救いましょう。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
大橋寺の始まりは、1548年(天文17年)で、奈良東大寺の子院の1つである西方寺の僧が、臼杵にやってきて、臼杵七島の1つ・産ヶ島に庵を結んだのだそうです。その後、帰依した国主・大友宗麟がお寺を建立し、寺号を僧の出身の西方寺としました。そのまた後、宗麟が地元民の参拝の便を図るため対岸から長い橋を架けたそうで、そこから寺号を大橋寺と改めたとのことです。時代が下って、1628年(寛永5年)になると、臼杵藩3代藩主稲葉一通によって、現在地の森島に移転させられています。この森島も臼杵七島の1つだったとのことです。今は埋め立てにより島の面影はありませんが・・・。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
福良天満宮をお参りすると、赤い招き猫(赤猫)がたくさん納められていました。拝殿横には招霊(おがたま)赤猫社がありました。赤猫と呼ばれたのは大塚幸兵衛という臼杵商人で、商才に長けていて大成功を収めたそうですね。臼杵には旧来からの商業地・町八町と新興の商業地・平清水があり、幸兵衛は平清水の商人だったので、町八町の商人からは、ずるがしこいとかケチでがめついとか悪口をいわれ、赤猫はその代名詞になってしまったそうです。しかし、実際の幸兵衛は常に地元の繁栄を図り、災害が起きれば私財を投じて救済にあたる好人物だったのです。そこで、平清水の氏神様である福良天満宮に、福を呼ぶ赤猫として祀られているのだそうです。なお、幸兵衛も毎日お参りしていたという、商人の信仰を集めてきた愛宕神社が境内社の1つにありました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:4.0
臼杵市歴史資料館は、臼杵川に架かる住吉橋で中洲に渡り、続けて、松島橋で向う岸に渡ったところにありました。まだ、新しそうに見えましたが、2014年(平成26年)に新規開館したそうで、歴史のある土地柄としては設置が遅かった様ですね。常設展示と企画展示に分かれていて、常設展示は第1室:原始~室町初期、第2室:室町時代~江戸時代初期、第3室:近世~近代と分かれていましたが、やはり、臼杵石仏の築かれた時代に1番興味を惹かれました。もっと充実を図って貰っても良いのではと思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:3.0
臼杵市歴史資料館を訪れたところ、比較的近くに吉丸一昌記念館(早春賦の館)があるとのことで訪れました。吉丸一昌さんは早春賦の作詩をした人なのですね。歌は聴いたことがある様な、ない様なといった不確かなところですが名曲なのですよね。白塀に、立派な門があり、大きな2階建ての家がありました。吉丸一昌さんの生誕120年を記念して、ご夫人の実家を記念館として開館したそうです。残念ながら、平日は開いていませんでした。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:3.0
狭い渓谷を飛沫を上げて駆け下る急流の様子が、白馬が駆けている様だと、白馬渓と名付けられたそうです。訪れた時は雨がずっと降っていましたが、相当ミニチュアの白馬が居る様でした。この細い流れは、少し先の臼杵川に流れ込んでいました。ここは1833年(天保4年)に臼杵藩の庭園石工の橋本主馬之介と商人清水善七の2人が、お伊勢参りに行けない地元の多くの人のために、伊勢の外宮の御分霊を祀る大神宮を中腹に創建したところです。8つの橋を渡ってお参りが出来るとのことです。雨で足下が不安なので諦めましたが・・・。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:3.0
石仏公園を巻く様に流れている小川を、満月寺橋で渡った先に満月寺がありました。特に山門の様なものはありませんので、どこから境内となったのか、よく分りませんでした。そんなところに石造りの仁王像がありました。正式名称は木原石仏というのだそうです。鎌倉時代後期から室町時代前期の作とみられるそうです。どういう訳か膝上辺りから下が土の中に埋まっていました。像としては、右の阿形像は2.4m、左の吽形像は2.2mあるそうですから、もし全身が現れたら、思いのほか大きいです。どんな経緯があったのか、鼻を削って飲むと疫病に効くといわれたそうで、ともに鼻のないお顔となっていました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2022年09月15日
-
投稿日 2022年09月15日
-
投稿日 2022年09月15日
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:3.5
臼杵城は1562年(永禄5年)に大友宗麟が築城したのですね。時代が下って、江戸時代には臼杵藩5万石・稲葉氏の居城となって、15代も続いていました。天守閣は残っていませんが、望楼のある三層の天守で、5つの付櫓をあったとのことですから、見栄えがしたでしょうね。現存するものは、二の丸にあった畳櫓と本丸にあった卯寅口門脇櫓だけで、二の丸大門櫓が復元されていました。なお、訪れた時は畳櫓は(工事中?で)立入禁止になっていました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2022年09月15日
総合評価:3.0
臼杵市観光交流プラザ基本コンセプトは、その1:臼杵を訪れる観光客が最初に立ち寄る場、その2:市民も集い交流できる中心市街地のにぎわいの場・・・だそうです。臼杵市はこんなに観光客を第1に置いていたのですね。何と云っても、天下の臼杵石仏がありますからね。でも、このコロナ下で、観光客が激減しているはずなのに、駐車場が満車とはどういうことでしょう?少なくとも、コンセプトの第1項は削除した方が良いでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0

























































