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jijidarumaさんのクチコミ(9ページ)全659件

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  • 栄町安食(あじき)の大鷲神社は春日局(かすがのつぼね)の崇敬が非常に厚く、出世開運の神として知られている。

    投稿日 2023年06月11日

    大鷲神社 鎌ヶ谷・印西・八千代

    総合評価:4.0

    2022年7月19日、印西市の隣町・栄町安食(さかえまちあじき)にお気に入りの菓子舗「春月堂」があり、名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」を求めに出かけた。美味しい最中はご当地の大鷲神社(おおわしじんじゃ)の金色の大鷲を型取って創製したものだ。「酉の市」で近在にも知られた大鷲神社には参詣した事なく、注文品が出来上がる時間を利用して、丘の上の神社に詣でた。

    <大鷲神社(おおわしじんじゃ)>
    〒270-1516 千葉県印旛郡栄町安食3620

    社伝によれば、当神社の鎮座地である安食は、もとは下総国埴生郡安食村と呼ばれ、古言によると下総国(しもうさのくに)の「総」は布(麻)のことを表し、麻の縁の地であったと云う。
    主祭神の天乃日鷲尊(あめのひわしのみこと)は、その子孫代々麻植の神(おえのかみ)として神功があり、麻に係わりのある当地においても祭神になっている。
    文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していたが、明治26年頃より、大鷲神社と言うようになった。

    「大鷲神社」は江戸時代三代将軍家光の乳母春日局(かすがのつぼね)が信仰を寄せた神社である。家光が将軍になった事で、出世開運の神として知られている。

    尚、「大鷲神社」の「酉の市」は毎年12月の初酉の日から3日間開催される。

    また、驚いたことに「大鷲神社」の本殿下に、その末社である山上神社つまり魂生(金精)大明神(こんせいだいみょうじん)が鎮座していた事だ。

    魂生(金精)大明神(こんせいだいみょうじん)は金精様(こんせいさま)などとも呼ばれ、男根の形をした御神体を祀った神の一柱である。
    魂生(金精)神は金勢、金清、金生、根性、根精などさまざまな当て字がされている。
    魂生(金精)神を祀った神社は全国各地にあるが、特に東日本の東北地方から関東地方にかけての地域に多くみられると云う。

    そういえば、かつて印西市の松虫寺(まつむしでら)の門前に道祖神のような格好で石造りの魂生(金精)神がいくつか置かれていた事を思い出した。何年か前に訪れた時にはもう何処かに片付けられていた。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2022年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 酒々井町の飯沼本家・きのえねまがり家の酒蔵カフェは美味しく、値段もリーズナブルでした。

    投稿日 2023年05月25日

    酒々井まがり家 佐倉・四街道

    総合評価:4.5

    以前、酒々井(しすい)のアウトレットにあるインフォーメーションで甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家の冊子を頂いたことがあり、興味をもったものの、長く旅資料の箱に置きっ放しにしていた。今日4月27日、その長らく忘れていた、酒々井(しすい)町の「甲子(きのえね)酒蔵・飯沼本家」を訪れた。

    【千葉県酒々井町:甲子酒蔵・飯沼本家】
    〒285-0914千葉県印旛郡酒々井町馬橋106
    Tel:043-496-1111
    酒々井町の飯沼本家の創業は江戸・元禄年間(1688年~1703年)で、創業当時から300年の歴史を誇る酒蔵である。
    銘酒「甲子正宗(きのえね まさむね)」の醸造元である飯沼本家は、酒に因んだ縁起の良い町、酒々井の地で酒造りに適した、豊富な水源に恵まれ自然環境、閑静な森に囲まれている。
    飯沼本家 (iinumahonke.co.jp)

    目的の「きのえねまがり家」の酒蔵カフェは、この建物にある。

    <飯沼本家の「きのえねまがり家」:酒蔵カフェ、直売所>
    営業時間:10時00分~17時00分まで
    定休日:毎週月曜日(月曜日が休日の場合翌日が定休日)、年末・年始
    駐車場:普通車台数30台、大型車台数2台が可で、トイレ設備ある。

    「まがりや」とは東北地方の民家に多く、鍵型の曲がった作りが特徴的な建物で、馬屋(まや)の上に「ちし」と呼ばれる中二階があり、小さな明かり取りとなっている。飯沼本家のまがり家は、元々、新潟県東蒲原郡川上村というダムに沈んだ村の民家を瓦屋根に葺き替えて移築したもので、当所にあったものではない。

    平成7年(1995年)10月に接客棟として「酒々井まがり家(現:きのえねまがり家)」の営業を開始し、当初は日本酒の販売のみでしたが、徐々に食品や雑貨などを増やしていったと云う。
    移築以来、もう30年近くになるのだが、私共は初めての訪問だ。
    2階にはギャラリーを併設し、年4回~5回の企画展を開催している。この日は2階への階段は閉じていた。

    まがり家内には酒蔵カフェがあり、酒粕入りのうどんやカレーなどいった軽食や甘味の提供をしている。お酒の試飲コーナーもある。

    まがり家の左手奥にカフェ用スペースがある。
    席数が多いわけではないが、なかなか良いものを提供していた。

    私共は酒粕入りアイスにブルーベリー添え、バニラアイスにキャラメルソースを注文し、ホットコーヒーを飲んだ。お値段は1,540円也。
    いずれも大変美味しく、値段もリーズナブルなものだ。

    (2023年5月8日Wiki・HP参考、編集・追記)


    旅行時期
    2023年04月
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.5

  • DIC川村記念美術館の美しい庭園を歩いたあとは、静かなベルヴェデーレでお茶を楽しんだ。

    投稿日 2023年05月18日

    ベルヴェデーレ 佐倉・四街道

    総合評価:4.0

    今日は久しぶりにかつて大日本インキ化学と称し、現在名は分かりにくいDICと称しているが、そこの総合研究所と川村記念美術館を訪れた。
    ここには美しい庭園があって、結構花の季節に訪れる方も多い。

    【DIC川村記念美術館】
    〒285-8505 千葉県佐倉市坂戸631
    (旧社名:大日本インキ化学工業株式会社)
    050-5541-8600(ハローダイヤル)、043-498-2131
    9:30~17:00(入館は16:30まで)
    https://kawamura-museum.dic.co.jp/ (外部サイト)

    DIC川村記念美術館は千葉県佐倉市にある私立美術館である。
    川村喜十郎ら川村家3代の収集品を収蔵展示している美術館で、運営は親会社のDIC株式会社(印刷インキ・顔料・ポリマー材などの製造・販売)である。
    この美術館はDICと関連会社が収集した美術品を公開するために、DICの総合研究所敷地内に設立され、1990年(平成2年)5月2日に開館された。
    庭園入口の手前に第一、第二の駐車場(総数300台の無料駐車場)がある。
    DIC川村記念美術館・庭園はいわゆる北総台地と呼ばれる緑豊かな自然環境の中にあり、約3万坪の敷地内には数多くの樹木や草花が育ち、野鳥や昆虫にとっては天国であろう。

    敷地内は文字通り、四季折々の風景を楽しめる散策コースや庭園がある。
    ・・・

    散策に疲れて、出口に向かった。小腹も空いて、いつものように、「ベルヴェデーレ」でお茶をしようという事になった。

    【イタリア料理:レストラン・ベルヴェデーレ】
    千葉県佐倉市坂戸631 DIC川村記念美術館敷地内
    予約専用:050-5325-0782
    営業時間:10:00 ~ 17:00(ラストオーダーの時間16:30)
    ランチタイム:10:00~15:30、 席数:80席(個室1室)
    ※美術館の入館チケットなしで利用ができる。
    https://kawamura-museum.dic.co.jp/restaurant/
    「ベルヴェデーレ」とはイタリア語で「美しい眺め」の意味だ。
    全面ガラス張りのメインルームからは緑豊かな自然の他、池を優雅に泳ぐ白鳥の姿を見ることができる。

    地元、千葉県産の食材をふんだんに使ったイタリアン料理なのだと云う。
    地産地消をモットーに新鮮かつ旬な食材で作る料理を気軽に楽しるセットメニューからフルコースで提供されている。

    もう16時に近かったが、お茶をしていこうと、レストランに行った。
    庭園散策の方はまだまだいたのだが、レストランに入ったのは私共だけでした。

    レストラン入口近くの席で、会社関係者とおぼしき20名ぐらいの方たちが会食していたが、私共はお茶をしたいと、スタッフにお願いすると、前の写真あるレストラン奥に案内された。
    時間的には、もう誰もいないレストランだった。

    私はコーヒーにガトーショコラを注文。
    家内は紅茶に苺のロールケーキを頂いた。
    欲を言えば、もう少し量があると良かったのだが。
    合計2,200円のお茶でした。

    かつて訪れた時はこのレストランはまだ無く、軽食、カフェのようなものがあった。
    新たに、傾斜を利用して今風のレストラン・ベルヴェデーレを建てたようで、全面ガラス張りのレストランから、一段下に美しい庭園や池を眺めるようになっており、気持ち良い環境にあるレストランだ。
    さて次回は、なんの花の季節に訪れたら良いのだろう。
    その時は予約してイタリアン料理を楽しむのも良いかもしれない。

    ・・・・・

    旅行時期
    2023年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    1,500円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • 香港駐在中も『鴻星海鮮酒家』によく通ったものだから、旅行に来ると何となく立ち寄ってしまう。

    投稿日 2023年05月03日

    鴻星海鮮酒家 (海港城店) 香港

    総合評価:4.0

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    <香港が英国から中国に返還されてからもう10年>

    2007年11/30(木):
    今日は香港らしい何でも揃っている、九龍半島南端の商業地区である尖沙咀チムサーチョイ(英名: Tsim Sha Tsui)近辺を楽しむ予定だ。

    香港と言えば、この尖沙咀(チムサーチョイ)の地域を歩くべきだろう。
    九龍半島の先端に位置し、目抜き通りである彌敦道(ネーザンロード)の風景は香港らしさがギッシリと詰まった、これぞ香港といってよいでしょう。

    カオルーンの海港城(英名:Harbour Cityハーバーシティ)は香港最大の売り場面積を誇るショッピングセンターである。
    尖沙咀のスターフェリーターミナルから、中国香港フェリーターミナルまでの約1.5kmという距離がつづき、ゲートウェイアーケード、オーシャンセンター、オーシャンターミナル、マルコポーロ香港ホテルアーケード、スターアネックスや3つのホテルなどが、巨大な複合施設になっている。

    ハーバーシティ内を歩き回り、お腹も空いたので、レストランへ。

    【香港・飲茶:鴻星海鮮酒家 (海港城店)】
    英名:Super Star Seafood Restaurant (Harbour City Shop)
    尖沙咀廣東道海港城港威商場2期4樓
    英名:4/F, Gateway Arcade, Harbour City, Canton Road, Tsim Sha Tsui
    【月~金】10:00~23:30 【土・日・祝】9:00~23:30

    お昼に点心を食べるのは香港流ですが、香港人の部下たちとは、毎日でも美味しい店で食べられる機会がありました。
    事務所のあった海港城にも『鴻星海鮮酒家』の支店があり、よく通ったものだから、旅行に来ると、何となくここに立ち寄ってしまう。

    『鴻星海鮮酒家』は香港に店舗数が多いが、中国や日本などにも店がある。
    海港城店は石頭魚(イシモチ)の専門店として知られていたが、近ごろ動物の形をした点心を提供していて、見た目でも楽しませてくれる。

    鴻星海鮮料理(点心)は海鮮料理のチェーンレストランでした。
    昼食時は広東の名物、点心=飲茶を提供している。
    店内は地元の家族ずれや観光客とおぼしき団体などで、いっぱいである。

    かに肉いり玉蜀黍スープ、海老餃子、シューマイ、野菜炒め、肉マン、甘い蒸しパン、ボーレイ茶などで、お腹も満足する。
    (12~14時:250香港ドル・4,000円)


    (2023年3月2日、Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • 香港:マンダリン・オリエンタルホテル自慢の広東料理マンワーに満足!

    投稿日 2023年05月01日

    マンダリン オリエンタル ホンコン 香港

    総合評価:5.0

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    <香港が英国から中国に返還されてからもう10年:その5 ザ・マンダリン・オリエンタルホテル自慢の広東料理マンワー(文華廰)に満足した。>

    “楽在香港・食在香港”と呼ばれる香港には中国各地の料理があるが、やはり、香港をリスペクトするには、広東料理がふさわしい。

    最終日の夜はThe Mandarin Orientalザ・マンダリン・オリエンタルホテル(文華東方酒店)の広東料理店Man Wahマンワー(文華廰)で食べることにしていました。

    2007年12/01 (土):

    12月に入ると、香港もかつての旧主英国に倣って、クリスマスムードの飾り付けが各所で始まる。
    私共がこの時期の香港訪問が好ましいと思うのは、湿気の無い天気の良い日が続く気候と、このヨーロッパムードのクリスマスモードがあるからだ。

    【The Mandarin Orientalザ・マンダリン・オリエンタルホテル(文華東方酒店)のホテル自慢のケーキ-チョコレート・ショップでお土産の調達】
    5 Connaught Road, Central, Hong Kong 
    香港中環幹諾道5號

    17時半頃、ザ・マンダリン・オリエンタルホテル(1963年の開業)のロビーに行き、予約の18時半まで、まだ1時間もある。
    もう他に行く気もないし、お茶を飲むのも夕食が目前では無理だ。

    このホテルのチョコレートを買って帰ることを思い出して、ケーキ-チョコレート・ショップにまわる。チョコレートなどでできたお菓子の家がショップの前に飾られていて、楽しい雰囲気である。
    美味しそうなチョコレート、ケーキが並んだケースから、土産にGrd Marnier Cake 、4pcs Cho-Box、16Pcs Cho- Boxを選ぶ。

    ただ、日本まで持ち帰るのも結構大変だが、何とかなるだろうと購入した。
    (香港ドル604=8,754円)

    【The Mandarin Orientalザ・マンダリン・オリエンタルホテル(文華東方酒店):Man Wahマンワー文華廰はホテル自慢の広東料理レストラン】

    『食在広州:食は広東にあり』と古くから言われているが、材料も調理法も豊かなのが広東料理で、全体的に新鮮な素材の味を生かした、繊細な味の料理である。
    大部分の香港人は広東省出身者を祖先に持つ人々であり、香港で最もポピュラーな中国料理は広東料理であり、地元・郷土料理といえる。

    ザ・マンダリン・オリエンタルホテル最上階にあるManWahマンワー文華廰は“香港美食探訪”(Yahoo検索の記事)でも、最もお勧めのレストランの一つになっている。
    とりわけ、サービスが丁寧でベストの由だ。店内は上品且つ高級感が漂うとのコメントがあり、夕食が楽しみである。

    営業時間:毎日昼食は12時~15時、夕食は18時半~23時

    18時半ぴったりに最上階のManWahマンワー文華廰に行くと、窓際の良い席が予約されていた。窓越しに見える高層ビル街、ヴィクトリア湾の眺めはまずまずのものでうれしい。

    さて、オーダーは次のようになりました。
    お酒はアルザスの白・辛口をグラスで頂き、

    料理は鶏肉入りフカヒレスープ、
    酔っ払い海老(目の前で調理してくれる。請求書は8匹であったが、なぜか10匹がでてきた!!!)、
    鳩肉のミンチ炒め(レタスで包んで頂くのも楽しい)、
    牛肉のオイスターソース炒め、
    デザートはマンゴープリン。
    お茶はボーレイ茶。
    最後に厨房から中国菓子がサービスされた。

    因みにフカヒレスープ2人分は香港ドル796=11,537円、
    酔っ払い海老は1匹香港ドル38=550円x8の請求であった。
    フカヒレスープが良い値段であることが、他の料理と比較すると良く分かる。

    今夕のお支払いは香港ドル2,096.8=30,391円と、ちょっぴり贅沢をしたことになりました。(18時半~20時半)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    大満足でホテルに21時に帰り、明日の帰国の準備をする。


    旅行時期
    2007年12月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    5.0
    ロケーション:
    4.5

  • 北総の大きな山桜、その代表的な3つは「黄門桜」、「三度見の桜」、「吉高の大桜」である。

    投稿日 2023年04月26日

    吉高の大桜 佐倉・四街道

    総合評価:4.0

    【七十二候・雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす):印西市の鳥見(とみ)神社・三度見の桜と吉高(よしたか)の大桜を期待して訪れた。】

    産経新聞に今週は【七十二候・雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす、3月31日~4月4日)】であると小さく載っていた。

    3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の桜見物をしている。

    4月3日に匝瑳市「飯高の黄門桜」を訪ねたので、北総で知られた山桜は「三度見の桜」と「吉高(よしたか)の大桜」の二つが残っている。

    それで、4月4日も同じように日帰りの桜巡りをした。
    そして、これが最後の【桜だより】になった。

    千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)で知られた山桜の大木は、
    匝瑳市「飯高の黄門桜」、
    印西市小林の鳥見(とみ)神社・「三度見の桜」、
    印西市吉高の「吉高(よしたか)の大桜」である。

    その内、「飯高の黄門桜」は4月3日に訪れた。水戸黄門様ゆかりの、由緒ある一本桜として伝わるものだが、黄門桜は盛りにちょっと遅れたようで、葉桜になりつつあったが、花びらを見ると、まだまだ美しかった。

    残る印西市小林の鳥見(とみ)神社・「三度見の桜」、印西市吉高の「吉高(よしたか)の大桜」も盛りを過ぎているかなと思いながらも、気持ちは期待して、4日に二つの山桜を訪れた。

    ・・・・・

    昔々、あまり世に知られていない頃に、印西市の「小林牧場の桜」や「吉高の大桜」を子供たちもつれて見に来た事があった。

    もう私にはセピア色した思い出になってしまったのだが、今はその時と様変わりで、桜の季節になると人々が桜を見に参集する。そして手に手にカメラをもって写真撮影に専念している。
    ただ農道が狭く、車がすれ違うのが困難(この為、道の入口にガードマンを配して通行を制限している)なので、桜見物の方は1.5km離れた「印旛中央公園」の駐車場に車を停めて、20分ほど歩かねばならない。

    小林の鳥見(とみ)神社・「三度見の桜」を見てから、遅めに出たが、予想した通り、既にガードマンは撤収し、番小屋だけが道路わきにある。
    道に入ると、直ぐ大桜が見えるかと思ったが、森蔭に入っているのか、見えない。
    丁度やって来た地元の中学生に聞いてみると、まだ先らしい。
    対向車が来るのを気にしながらそのまま進むと、「吉高の大桜」が右手に見えた。

    そこは農道が少し切り込んでいて、やや道が広めになるので、そこに車を寄せて停めた。少し上がると畑地で、そこから「吉高の大桜」が見えて、3人の方が写真を撮っていた。
    私も畑地に入らぬように手前に立ち、デジカメを少し拡大して、この写真を撮った。

    私が停車した位置の後方100mに、小型車がこちらの様子を見て、私の車が動くのを待っている様子だった。
    写真を1枚撮ってから、車を前に進めると、10mほど右手に小さな数台の駐車場があったが、いっぱいだった。

    尚、*吉高(よしたか)の大桜の由来は、奈良時代和名抄に記されている下総国印波郡吉高郷とあり、古くからこの地は知られている郷の中心である須藤家(屋号 文左衛門)の氏神祠(うじしんし:ほこら)に植えられた「ヤマザクラ」である。
    (文化財保護の会/吉高大桜を守る会)

    *根元周囲は所有者須藤家の祭祀場(氏神うじかみ)として周辺より1mほど小高く塚状に盛土されており、良好な環境条件に恵まれて樹勢を拡大してきた。
    (印西市教育委員会)

    いやはや、やはり大変な場所だと思いつつ、車を前に進め、集落の狭く、曲がりくねった道を抜けて、成田の甚兵衛大橋に至る道路に出た。

    <吉高(よしたか)の大桜>
    印西市吉高930
    所有者:須藤家(屋号 文左衛門)

    「吉高の大桜」は樹齢300年を超える孤高の一本桜(山桜)で、市の天然記念物に指定されている。「小林牧場の桜」と併せて、印西市の2大花見スポットと称されていると云う。
    幹周囲6.85m、樹高10.6m、枝張最大幅25.8mを超える山桜で、満開した姿はピンクの小山のような景観で実に驚かされる。
    例年、ソメイヨシノより1週間程度遅く開花し、満開の状態は2、3日しか続かないという山桜である。

    ・・・・・

    北総の大きな山桜、その代表的な3つは「黄門桜」、「三度見の桜」、「吉高の大桜」であるが、それぞれがちょっと目につかない農地に、その長い寿命を誇っていた。
    3つの山桜は皆、アクセスに困るぐらいの地にあったが、今の時代は丁度良いのだろう。

    旅行時期
    2023年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    1.5
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5

  • 匝瑳の黄門桜を見た帰りに、昔懐かしいレストラン松原に寄った。

    投稿日 2023年04月22日

    レストラン松原 成田

    総合評価:4.0

    2023年4月3日、多古町八田桜通りから、日本寺の桜、匝瑳市飯高の黄門桜を訪ねて日帰りの桜巡りをした。

    17時40分、少し早い夕食だが、以前からこの道路の行き来に目に入るレストラン松原、成田空港建設時から建っていたから、もう年期も入った建物だ。
    丁度信号がある場所なので、信号待ちをする際、眺めてみると、いつも車が数台駐車していて、人気が高いようだ。
    SNSの旅行記でどなたかが、宿泊ホテルの食事をせずに、わざわざホテルから歩いてレストラン松原まで来て、食事をしていたのを見た事がある。
    家内共々気になっていたので、この日、漸く訪れた次第だ(笑)。

    <レストラン松原>
    千葉県成田市大山12-1
    Tel:0476-32-0663

    昔懐かしいレストラン・喫茶店だと云う。

    確かに建物も古びていたが、中も時代物がそこかしこにある。今風と言えば、漫画本が棚にずらっと並んでいた事だ。
    入ってみると、奥の壁に沿った席に、何やら地元の方と思われる十人ぐらいの年配者が食べていた。何かの集まりだろうか。何を注文するのか?と興味あるのか、じろじろと皆さんでこちらの席を見ていた。
    その他に3人の家族連れ、1人の中年男が入って来た。
    私共が食べ終わる頃、奥の席の方々が一斉に立って帰って行った。

    レストランは私共と似た年輩のご夫婦がやっておられた。
    他に従業員の姿は見られなかったから、多分、奥様が料理をし、ご主人は注文取り、料理運び、代金の精算などをしている様子だった。

    夕食:家内はレストラン松原で人気のハンバークを注文した。私はレストラン松原のポークジンジャー。
    夕食の値段は御飯付きで合計2千円。味は確かで、感心した。
    手間をかけない、ざっくりした野菜の調理法が珍しいなと思った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2023年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.0
    雰囲気:
    3.0
    料理・味:
    4.0

  • 匝瑳市飯高の黄門桜は山桜、見事な樹形を見せて、長い寿命を誇っていた。

    投稿日 2023年04月19日

    黄門桜 九十九里

    総合評価:5.0

    【七十二候・雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす):匝瑳市飯高の黄門桜を訪ねた。】

    産経新聞に今週は【七十二候・雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす、3月31日~4月4日)】であると小さく載っていた。

    3月下旬以来、千葉の北総(ほくそう:主に千葉県北部地域)を走り、各地の桜見物をしている。
    4月3日は同じように日帰りの桜巡りをした。多古町八田(たこまちはった)桜通り、日本寺(にちほんじ)のソメイヨシノ・枝垂れ桜、匝瑳市飯高(そうさしいいたか)の黄門桜などを訪ね、帰途、香取市の道の駅くりもと(栗源)の枝垂れ桜を見てきた。

    関東三大壇林の一つである飯高檀林(いいだかだんりん:現・匝瑳市飯高寺はんこうじ)近くにも御手植えの桜が「黄門桜」の名で残っている。

    地図によると、飯高寺の北と南に駐車場がある。南の駐車場には観光案内所が置かれ、常時人がつめていた。そこで御聞きすると、ここから黄門桜は歩いても結構距離がある。
    車で行くと、遠回りだが、近くに無料駐車場もあり、今の時間は問題なく停められるとの事だった。

    ≪匝瑳市飯高(そうさし いいたか)の黄門桜≫
    千葉県匝瑳市飯高2088-4
    元禄11年(1698年)に水戸光圀公(黄門さま)が飯高寺へ訪れたことを記念して、佐原から同寺までの街道に松と桜を植樹した。黄門桜は記念して植えられた並木桜のうち、唯一現存する由緒ある一本桜だと云う。
    幹周り5.5m 樹高約7m 葉張り約16m 山桜の一種で、ソメイヨシノより1週間くらい遅く開花する。

    黄門桜の前の道は幅がとても狭いので、黄門桜の保護のため、黄門桜のそばの駐車は禁止されている。

    尚、黄門桜は写真の様に農地の中に咲いているのだが、農道よりちょっと広い道が黄門桜の方に続いている。
    飯高寺の南駐車場にある観光案内所に常勤していた小母さんのアドバイス通り、農道入口の左手にあった無料駐車スペースは、この日(15時40分頃)は駐車している車は無かった。そこは十台ほどの無料駐車スペースがあったので、たいへんありがたかったが、満開時期には車も多くなり、駐車は難しいだろう。
    少し歩くことになるが、飯高寺の北と南に駐車場があるので、それを利用するのが良いかもしれない。

    無料駐車スペースから歩いてすぐに黄門桜がある。さすがに老木ゆえ、添え木の様なものでカバーされていた。
    黄門桜は盛りにちょっと遅れたようで、葉桜になりつつあったが、こうして花びらを見ると、まだまだ美しい。
    家内は黄門桜の上を見上げている。こちらの樹形も良い。手前には誰が置いたのか?花見用なのだろう、石の大きなテーブルがあった。

    北総の大きな山桜、その代表的な3つは「黄門桜」、印西市の「三度見の桜」、「吉高の大桜」であるが、それぞれがちょっと目につかない農地に、その長い寿命を誇っていた。
    3つの山桜は皆、アクセスに困るぐらいの地にあったが、今の時代は丁度良いのだろう。

    ・・・・・

    【飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ)】
    千葉県匝瑳市飯高1789
    飯高檀林=飯高寺は天正8年(1580年)に日生(にっしょう)により開基され、山号は妙雲山法輪寺と称する。
    飯高檀林は関東で初めて日蓮宗の檀林(僧侶の学問所)となり、その後、天正19年(1591年)に徳川家より日蓮宗の根本檀林として寺領30石を寄進され、徳川家康、養珠院(ようじゅいん:お万の方と称した家康の側室は紀州徳川家の家祖頼宣、および水戸徳川家の家祖頼房の母でした)、頼房(よりふさ)、光圀(みつくに)、頼宣(よりのぶ)などの信仰も厚く、その庇護を受け、格式の高い檀林へ発展した。
    つまり当時、関東8檀林、関西6檀林あわせて14檀林があった中で、最高位の檀林であったと云う。元禄時代(1700年代)には450~650名の学僧がいたと、パンフレットに書かれていた。
    飯高檀林は明治の学制発布により廃檀となり、294年間の歴史を閉じるが、その名跡を継いだ「立正大学」へと形を変えて発展する。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     (2023年4月8日Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2023年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    2.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0

  • 山武市:またガッカリの長光寺の枝垂れ桜だったが、その樹形が好ましい。

    投稿日 2023年04月17日

    長光寺 九十九里

    総合評価:4.0

    ≪七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):またガッカリの山武・長光寺の枝垂れ桜≫

    産経新聞に今週は【七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく:3月26日~30日)】であると小さく載っていた。

    先日、ドライブがてら、八街(やちまた)市の先、山武(さんむ)市の妙宣寺(みょうせんじ)、長光寺にある枝垂れ桜を見に行った。
    3月下旬から4月初旬に開花するとの情報が山武市観光協会の案内にあったから、3月27日は丁度良いかなと思って、車を走らせた。
    山武市の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜を先に見て、近くの長光寺(ちょうこうじ)の枝垂れ桜を見たのだった。

    妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜、近くの長光寺(ちょうこうじ)の枝垂れ桜は、その美しさは甲乙つけがたいと云う。


    <昌谷山長光寺(しょうこくざん ちょうこうじ)>
    〒289-1223 千葉県 山武市 埴谷1175
    0475-89-1046
    昌谷山長光寺(しょうこくざん ちょうこうじ)は永正11年(1514年)千葉市中田町に創立されたが、江戸時代に入りと、寛文9年(1669年)第9代住職・守玄院日禅上人の時に、埴谷(はにや)領主、*井上筑後守政清(まさきよ)の寄進により現在の地(埴谷)に移された。

    長光寺の枝垂れ桜「ウバヒガンシダレザクラ」は毎年3月下旬から4月上旬にかけて見事な薄紅色の小さな花を咲かせる。この枝垂れ桜は、昭和50年(1975年)6月1日に山武市の天然記念物に指定されている。枝の広がりは約800平方メートルもあり、花見時は多くの花見客が訪れる。
    山門傍の駐車場は広く、普通車が50台は駐車可能。本堂横裏手にトイレ設備あり。

    参道を行き、長光寺本堂前の枝垂れ桜(ウバヒガンシダレザクラ)を直に見た。
    枝垂れ桜は樹齢300年を超えると云われ、高さ約15m、幹の太さ約5mで、枝の広がりは約800平方メートル、大変樹形の美しい枝垂れ桜でしたが、まあ残念なことに、花が・・・。

    長光寺本堂前の枝垂れ桜は2本(右の老木の樹齢は300年以上)、相対するようにある。
    左手にある枝垂れ桜は、右の老樹から昭和40年(1965年)に、接ぎ木によりつくられた第二世の枝垂れ桜だ。

    本堂内からも、境内に咲く枝垂れ桜を撮ってみた。確かに樹形が良く、満開の姿を想像してみた。

    (2023年4月6日Wiki・HP参考、編集・加筆)

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 山武市の妙宣寺にある枝垂れ桜を見に行ったが、枝垂れ桜は既に散っていた。

    投稿日 2023年04月13日

    妙宣寺 九十九里

    総合評価:4.0

    【七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):遅かりし山武(さんむ)の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜。】

    産経新聞に今週は【七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく:3月26日~30日)】であると小さく載っていた。

    先日、ドライブがてら、八街(やちまた)市の先、山武(さんむ)市の妙宣寺(みょうせんじ)にある枝垂れ桜を見に行った。
    3月下旬から4月初旬に開花するとの情報が山武市観光協会の案内にあったから、丁度良いかなと思って、車を走らせた。
    国道から入口の門を入ると、あまり人気(ひとけ)がない。
    参道をそのまま車で行き、親師堂の横の空き地に停めた。

    千葉県山武市の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜は、近くの長光寺
    (ちょうこうじ)の枝垂れ桜と、その美しさは甲乙つけがたいと云う。

    <大丞山 妙宣寺(だいじょうさん みょうせんじ)>
    〒289-1223 千葉県 山武市 埴谷(はにや)1396
    無料駐車場は写真の門の反対側に普通車で台数10台OK 。トイレ在り。

    山武市観光協会の案内によると、
    妙宣寺(みょうせんじ)は室町時代、康安元年(1361年)に埴谷城主、埴谷備前守重義公(はにやびぜんのかみしげよし)の建立で、その子、日英上人により開山され、大丞山妙宣寺(だいじょうさんみょうせんじ)と称した。

    また、日親上人は埴谷大丞左近将監重継(はにやだいじょうさこんしょうげんしげつぐ)の次男である。幼少期に父重継の実弟にあたる日英上人の教えを受けた日親上人は、後に「立正治国論(りっしょうちこくろん)」を時の将軍足利義教(あしかが よしのり)に進言したため、怒りにふれて、焼け鍋をかぶらされるという刑罰を受けたと云う。
    それでも信念を貫き通した日親上人(通称「なべかんむり日親」)だったと云う。妙宣寺は日親上人が誕生した寺として、「鍋冠(なべかんむり)日親」の霊跡として知られている。
    日親上人が鉄鍋をかぶせられた模様を描いた絵を見ることができるとか。

    入口脇に日蓮宗宗門史跡の大きな石碑が立っていた。
    石碑傍に枝垂れ桜があり、こちらは少しだがまだ咲いていた。

    さて、ここでガッカリしたのは、境内にある、多くの枝垂れ桜が
    既に散っていたという事だ。
    境内の枝垂れ桜は確かに形良く、満開の枝垂れ桜を想像すると、
    実に悔しく、残念!

    (2023年3月28日Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 長南町:笠森観音の観音堂を登るも、あまりの高さに階段途中で固まってしまった。

    投稿日 2023年04月12日

    笠森観音 長南・睦沢

    総合評価:5.0

    【笠森寺(かさもりじ)、通称笠森観音(かさもりかんのん)】

    千葉県長生郡長南町笠森302 、
    Tel:0475-46-0536、
    公式サイト http://kasamori-ji.or.jp/

    笠森寺(かさもりじ)は天台宗別格大本山の寺院で、坂東三十三観音第31番札所になっている。
    笠森寺の寺伝によれば延暦3年(784年)に最澄(伝教大師)が楠の霊木で「十一面観音菩薩」を刻み、山上に安置し開基したと伝えられている。
    古来より巡礼の霊場として知られており、十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と通称される。それを代表するのが観音堂だ。

    駐車場:50台(無料)
    拝観料:大人300円・小人100円・・・御堂や山林の維持のため。
    拝観時間:4月~9月、午前8:00~午後4:30、
         10月~3月、午前8:00~午後4:00

    お正月の初詣で人々が参詣される様子をTVで度々見ていて、一度は行ってみようと思っていた。3月3日桃の節句、勝浦の雛まつりを見に出かけたこともあり、その帰途に長南町(ちょうなんまち)にある古刹、笠森観音に立ち寄った。

    駐車場から直ぐに登りだす参詣道。いわゆる男坂だ。高々とした「三本杉」、「霊木・子授け楠」、【芭蕉の句碑】、二天門、そして観音堂の威容を見る。

    地面から16mの大岩の上にそびえる観音堂は、61本の楠(クスノキ)の柱で支えられた四方懸造(しほうかけづくり)と呼ばれる構造である。
    これは日本唯一の特異な建築様式で、京都の有名な清水寺の「清水の舞台」と同じ建築方式である。重要文化財になっている。

    観音堂下に広がる森林は、4ヘクタールにも及ぶ<天然記念物(国指定)・笠森寺自然林>公園になっている。

    観音堂の 75段の階段を上がった回廊からは、四季それぞれに美しい房総の山々が眼下に眺められ、その景観は一見に価すると云う。

    ともあれ、私自身は75段の階段を上がれず、あまりの高さに途中の踊り場で固まってしまったから、景観は楽しんだわけではない。

    見るからに怖い木造の75段の階段、下の踊り場から上を見ると、急斜している。
    私は(いつもの事だが)高所恐怖症が急に出てきて、前に進めない。
    踊り場の大きな柱につかまって、身体は固まってしまった。

    (2023年3月6日Wiki・HP参考、編集・追記)


    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    5.0

  • 創業は江戸時代末期と云う「旅館 松の家」も【かつうらビッグひな祭り】に賛助出演していた。

    投稿日 2023年04月10日

    旅館 松の家 勝浦

    総合評価:4.0

    創業は江戸時代末期と云う「旅館 松の家」も【かつうらビッグひな祭り】に賛助出演していた。

    それで、3月3日、街中を歩きながら、メイン会場の【遠見岬(とみさき)神社】を見学した後、目についた「旅館 松の家」を訪ねた。
    今日は日帰りの旅で、ひな祭り見物が主で、泊まったわけではないが、国の登録有形文化財に登録されている「旅館 松の家」内に展示されていた、江戸期の御内裏様を拝見した。

    それらは、一見の価値があった。


    【旅館松の家(りょかんまつのいえ、又はりょかんまつのや)】
    千葉県勝浦市勝浦30

    勝浦市中心街の旧市役所通りに面して建つ和風旅館である。
    木造2階建、桟瓦葺の入母屋造で、桁行は8間。正面中央にある玄関には唐破風が付されている。
    創業は江戸時代末期で、明治期の観光案内にも松野屋として言及されている。
    現在の建物は昭和初期に建てられたもので、2003年7月1日に国の登録有形文化財に登録されている。

    「かつうらビッグひな祭り」の期間中、「松の家」玄関は開放され、江戸時代からの雛人形などが、展示されている。

    (2023年3月4日Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2023年03月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0

  • かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬神社の雛段1800体の迫力はすごい。

    投稿日 2023年04月07日

    遠見岬神社 勝浦

    総合評価:5.0

    【かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬(とみさき)神社の雛段1800体の迫力はすごい】

    3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
    ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。

    【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。

    かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
    第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
    第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
    もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。

    覚翁寺(かくおうじ)から遠見岬神社に向かう市街地には古めかしい建物も見える。

    次は遠見岬(とみさき)神社に。
    この光景が見たかった。
    昨日2日は天候が雨、強風予想で、パネルでの展示になっていた。
    それをHPで確認し、一日ずらしたのだ。
    今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。

    地元の方たちの御尽力で、こうして60段の石段に美しく、見事に飾られた1800体のお雛様の姿になった


    【遠見岬(とみさき)神社】
    千葉県勝浦市浜勝浦1 、0470-73-0034

    遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、勝浦市浜勝浦(上総国夷隅郡)にある神社。旧社格は郷社。天富命(あめのとみのみこと)を祀っている。
    天富命(あめのとみのみこと)は、日本神話に登場する神または人物。神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした。

    期間中は階段から石段の上にある神社に御参りはできない(ようだ)。
    大勢の観光客が立ち並んでいた。多くは朱印状目当ての方のようだった。
    ひな祭りの際の人出の多さを見てみると、普段はどんなものか気になるところだ。

    概要:
    神武天皇の側近として活躍した天富命(あめのとみのみこと)は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部(いんべ)氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。そして祖神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る社を建て、安房の開拓を進めたがその後当地で没したという。
    天日鷲神(あめのひわしのかみ)の後裔の勝占の忌部須須立命(かつらいんべすすたつのみこと)は、八幡岬突端富貴島の天富命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として祀ったのが当社の起こりとされている。

    慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は決壊し社宝の多くが流失した。
    このとき決壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営、里見氏・安房正木氏および近郷領主の信仰が篤かったという。
    その後、万治2年(1659年)に、領主の植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀したといわれ、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
    江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)遠見岬神社と改称し郷社に列した。
    元々の社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。(Wiki)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    見ごたえ:
    5.0

  • かつうらビッグひな祭り会場:最初に訪れた覚翁寺は600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。

    投稿日 2023年04月05日

    覚翁寺 勝浦

    総合評価:5.0

    【かつうらビッグひな祭り:遠見岬(とみさき)神社、覚翁寺(かくおうじ)、墨名(とな)交差点の会場を巡った】

    3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
    ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。

    【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。

    私はぐずぐずと、終わりに近い3月2日に予定していた。
    が、その日はHPで確認すると天候が雨、強風予想で、「パネルでの展示」になっていた。それで3日、一日ずらしたわけだ。

    今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。
    かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
    第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
    第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
    もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。

    最初に訪れたのは、人だかりがしていた覚翁寺(かくおうじ)の延命地蔵尊と吊るし雛です。御賽銭をあげて、家内安全、健康長寿を祈ります。

    【覚翁寺(かくおうじ)】
    千葉県勝浦市出水1297  、0470-73-3115

    千葉県勝浦市にある浄土宗の寺院である覚翁寺(かくおうじ)は慶長年間(1596年~1615年)、植村泰忠の開基である。
    本堂には波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間彫刻が残されている。

    歴史:
    植村氏は三河・松平時代からの徳川家の旗本である。
    初代の植村泰忠は、三方ヶ原の戦いに鳳来寺山の僧兵を率いて徳川家康に加勢して功があった。家康の関東入りに従い、後に出家し還俗後より上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、関ヶ原の戦い後に2000石を加増された。中世の勝浦城を廃城にし、勝浦の町の整備に尽力したと云う。その際に植村家の菩提寺として寺を創建した。
    泰忠は勝浦朝市を開いたことでも知られている。
    その子・植村泰勝は、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻略、大坂夏の陣にも従軍している。3代の植村忠朝は、1682年(天和2年)、1万1000石の大名、上総勝浦藩主となった。3代泰朝の代に現在地に移転させ、父泰勝の幼名「覚翁丸」にちなみ、「浄林寺」から「覚翁寺」に改称した。

    その後も、植村家の大名昇格もあり寺運興隆したが、1751年(寛延4年)、分家の不祥事を隠蔽した罪により改易され、菩提寺だった当寺も次第に衰微していった。
    1907年(明治40年)に着任した戒誉大忍によって、少しずつ再興していった。

    文化財:
    境内には勝浦市指定有形文化財である植村家歴代の宝篋印塔(ほうきょういんとう:宝筐印塔とも書くが、供養塔である)が建立されている。

    その他:
    創建の時から湧水が多く、寺を「出水山」と号して、一帯の地名の発祥地になったと云う。駐車場の出水市営駐車場の名も此処から来ている。
    湧水は400年有余年の現在も絶えることなく飲料水として使われ、茶の湯に最適という水ということもあって、別名「茶水寺」とも呼ばれている。

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 香港:高級北京料理の老舗レストラン 九龍「北京楼」はお気に入りだった。

    投稿日 2023年03月29日

    北京樓 (尖沙咀店) 香港

    総合評価:4.5

    香港駐在中に接待、会食によく訪れた。
    1992.09.01.この夜、九龍の北京楼で、来香港の家内と若手と一緒に
    名物北京ダックを食べた。

    【お気に入り香港・高級北京料理の老舗レストラン 九龍「北京楼」】
    香港九龍尖沙咀星光行3樓
    3/F,Star House, 3 Salisbury Road, Tsim Sha Tsui
    尖沙咀 スターハウス店(九龍半島側))

    香港最大のレストラングループ”マキシムグループ”が経営する高級北京料理店は香港にいながらにして本格的な北京料理が楽しめる名店。
    九龍の北京楼は改装工事を終え、2006年5月1日よりリニューアルオープンした。本場北京よりも美味しいと噂される自慢のメニューは北京ダック料理でした。

    <北京料理>
    北京料理は歴代中国王朝が現在の北京に首都を定めて以後の北京貴族の宮廷料理や、北京市民の家庭料理や屋台で提供される郷土料理を指す。
    中国での一般的な呼称は「京菜 ジンツァイ」。
    北京料理は宮廷料理でもあったので珍しい料理も多い。北京ダック、羊肉のしゃぶしゃぶ、熊の掌(てのひら)、らくだのこぶ、子豚の丸焼き、水餃子などが有名で肉料理が多く味付けも濃い。

    北京ダックの香ばしい香りが漂い、ピカピカテカテカの1羽まるごとの北京ダックはおしりから切り始めるのが決まりだとか。

    以下は北京ダックの食べ方のおさらいを、写真を借りてやってみた。

    北京楼では1羽まるごとテーブルまで運ばれ、そばで丁寧に肉を
    処理する。
    用意完了した北京ダック料理
    テーブル中央に北京ダックが纏めておかれたものから、一切れ取り、
    この皮で包む。
    皮の半分より上部に載せ、甘いタレを付けます。
    さらにセロリとねぎを載せ、その上にもう一切れ北京ダックを載せる。


    お好みでタレをつけたら、皮を半分たたみ、あとは左右をくるむように
    たたんだら、こんな形にできあがり。手で持って食べてもOK。

    やはり名物は美味い。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            (2023.02.26.Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    1992年09月
    利用形態
    ディナー

  • 新設された長いエスカレーターに乗り、それからタクシーでヴィクトリア・ピーク(太平山)まで登った。

    投稿日 2023年03月25日

    ビクトリアピーク 香港

    総合評価:4.0

    【Victoria Peakヴィクトリア・ピーク(太平山)】

    <第6回香港訪問> 
    1993年10月28日(木)~11月3日(水)、第6回香港訪問ということで家内が来香港した。

    10月31日(日)、
    新しく出来たという*長いエスカレーターの話を聞いて、上環の文武廟、家具工房や骨董市、がらくた市などを見て歩いた後、エスカレーターに乗った。
    その最終地点の干徳道(Conduit Road)まで上がってから、ついでにタクシーを拾って「香港島」の最高峰である Victoria Peakヴィクトリア・ピーク(太平山、海抜554m)まで行った。

    初めてのことだったが、上ってみれば、ちょっとしたVictoria Peak Gardenヴィクトリア・ピーク・ガーデン(=山頂公園)があったぐらいだった。
    一般人の立ち入ることのできる場所としてはこの公園がもっとも山頂に近いそうだが・・・。
    帰りは中環(セントラル)に向かって、山道(記憶は定かでないが、旧山頂道=舊山頂道、Old Peak Road)を降りた。殆ど人の姿を見ない道で、結構運動になった。

    *香港島のビジネス街中環(セントラル)と、山の中腹に高級マンションが建ち並ぶ「半山区」(ミッドレベルズ)と呼ばれる地区は800mのエスカレーター(中環至半山自動扶梯:皇后大道Queen's Roadから、骨董街と英国植民地時代の建築物が立ち並ぶ荷李活道(ハリウッドロード)を横切り、SOHOソーホーを抜けて高台の高級住宅地に至るもので、最終地点の干徳道Conduit Road)まで結ばれている。
    高低差135m、全長800mを合計23基のエスカレーターで約23分かけて乗り継ぐこの長さは、世界一の長さと云われていた。
    ミッドレベルの住民の通勤・通学の便宜を図ってつくられたもので、午前6時から10時までは駅への下り方向へ一方通行で運転され、10時以降は上り運転へと切り替わるという仕組みを取っている。

    ・・・・・

    さて、イギリス人は中国人が*太平山と呼んでいた山の頂上に、ヴィクトリア女王の名にちなんでヴィクトリア・ピークと名付けた。
    *かつては山頂だけでなく山麓も太平山と呼ばれていた。後に山麓部分は分割され中環および上環となり、香港の中心市街地へと発展した。中環・上環より高い中腹は半山区と呼ばれる高級住宅地となった。
    それより高い部分は山頂(ヴィクトリア・ピーク、ザ・ピーク)と呼ばれ、最初は富裕な西洋人と外国政府関係者だけの別荘地に、後には観光地となり現在に至っている。

    香港島にあるヴィクトリア・ピーク(太平山)の山頂は美しい香港の眺め、所謂「百万ドルの夜景」楽しめるとして昔から有名だが、その場所はピークトラムの山頂駅とその一帯のことを指して言っているとか・・・。
    山頂駅は海抜400mにある爐峰峡(Victoria Gapヴィクトリア・ギャップ)という場所にあり、ややこしいことに実際の山頂・ヴィクトリア・ピーク(太平山)より150m下にある。

    つまり、口コミの地図で指し示す場所は正しい太平山の頂上・ヴィクトリア・ピーク(広東語で「山頂」、あるいは「太平山頂」)であるが、
    口コミの大部分が、Victoria Gapヴィクトリア・ギャップという場所の写真や記事を投稿し、地図が指し示すヴィクトリア・ピーク(太平山)の口コミは殆どないという妙な形になっている。

    The Peak Towerザ・ピーク・タワーやVictoria Gapヴィクトリア・ギャップ、獅子亭展望台という場所もあるだけに、ヴィクトリア・ピーク(太平山)と区別した方が良さそうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2023.03.25.Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    1993年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    2.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • レパルスベイ(浅水湾)の海岸を散歩し、天后廟(海の守護神)のある突端まで歩いてみた。

    投稿日 2023年03月19日

    天后廟 (淺水湾) 香港

    総合評価:4.0

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)で懐かしい香港を訪れた。近畿日本ツーリストのHolidayツアーを利用し、マイセレクション香港5日間:キャセイー航空の往・午前、復・午後便、ホテルは昔住んだ場所近くの北角海逸酒店(ホテル)ハーバー プラザ ノース ポイントHarbour Plaza Norh Pointを利用したもので、現地は勿論、終日自由行動の旅です。

    2007年11/29(木):
    映画“慕情”で有名なレパルスベイの“The Verandah Restaurantザ・ヴェランダ・レストラン”でのランチを終えて、レストランの目の前にあるレパルスベイ(浅水湾)の海岸を散歩し、天后廟(海の守護神)のある突端まで歩いてみる。

    以前よりは長い桟橋が突き出ており、そこから見る湾の半月形の砂浜は美しく、風水から作られた高層ビルの風穴はとっぴなほどの風景に見えた。

    海水浴場の東端には1970年代中期に鎮海楼公園が建設され、中国の古典的色彩の強い大きな*天后娘娘(媽祖)と観音像が建立された。

    *媽祖は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。尊号としては、則天武后と同じ天后が付せられ、もっとも地位の高い神ともされる。その他には天妃、天上聖母、娘媽がある。台湾・福建省・潮州で特に強い信仰を集め、親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある(Wiki)。

    レパルスベイ(292mの長さを誇る浅水湾泳灘レパルスベイビーチ/Repulse Bay Beachのことだが)は、絹のように柔らかい白砂で知られている。
    海水は澄んでいて、穏やかで、海水浴場に適している。実際、レパルスベイの美しいビーチは19世紀以来、香港島の主要な海水浴場となっていた。
    レパルスベイ(淺水灣)は香港の南区(香港島南部)にある海湾の一つで、ハリウッド映画「慕情」の舞台となった。海水浴場として有名であり、多くの観光客が訪れる。深水湾の東南、南湾の北に位置し、海水浴場の他に多くの高級住宅が建てられている。

    1918年、香港大酒店有限公司(英語名はHongkong and Shanghai Hotels・・・香港で一番と称されるホテル ペニンシュラの親会社)はレパルスベイに別荘式のホテルを開業し、その後、海浜リゾートとして発展した。

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.5

  • 香港独特の臭いは、新しい香港国際空港になっても変わらなかったのはすごい。

    投稿日 2023年03月20日

    香港国際空港 (チェク ラップ コック空港) (HKG) 香港

    総合評価:4.0

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)で懐かしい香港を訪れた。
    近畿日本ツーリストのHolidayツアーを利用し、マイセレクション香港5日間:キャセイー航空の往・午前、復・午後便、ホテルは昔住んだ場所近くの北角海逸酒店(ホテル)ハーバー プラザ ノース ポイントHarbour Plaza Norh Pointを利用したもので、現地は勿論、終日自由行動の旅です。

    12年前に勤務した香港は2月くらいから南国特有の雨期が始まり、湿気がひどくなります。経験的にいって、乾季の時期が最高です。
    この時期は天気は快晴、湿気も無い、さらっとした気候の毎日が続きます。
    ついでに言えば、英国統治下で繁栄した香港ですから、クリスマス時期に入ると、やはりきれいな飾り付けがそこかしこに見られ、良いものです。



    フライト:
    2007/11/28(水)成田LV 9:15香港AR 13:30
    キャセイ・パシフィック航空(成田第二空港)・CX-509

    2007/12/02(土)香港LV 16:25成田AR 21:25
    キャセイ・パシフィック航空(香港国際空港)・CX-508


    かつて使用していた啓徳空港(旧香港国際空港、カイタックKai Tak Airport)に代わり、香港国際空港(香港國際機場、Hong Kong International Airport)は香港の空の玄関として1998年に開業した。
    1995年に帰国して以来、香港を訪れることなく過ぎた12年の間に香港国際空港ができたわけだ。香港新界離島区にある国際空港は、現地ではチェクラップコク国際空港(赤鱲角國際機場、Chek Lap Kok International Airport)とも呼ばれるらしい。

    3000m級の滑走路が一本あっただけという啓徳空港に比較すれば、新しい香港国際空港の規模は大きなもので、香港島や九龍半島に遠くなったとはいえ、中国の統治下に入ったという、象徴的なものになったように思います。

    懐かしい啓徳空港は九龍半島の啓徳にあり、九龍湾に沿って滑走路が突き出ていたこともあって、街中のビルすれすれに飛行機が飛ぶのが普通であった(滑走路の北端に道路を挟んで6階建ての建物があり、滑走路の3方向はビクトリア湾に囲まれていた)から、この頃は建物には高度制限があった。

    閉港から15年後になる2013年6月、啓徳クルーズ・ターミナルとなり、香港の「空の玄関」から「海の玄関」として再出発することとなった。

    香港が英国から中国に返還されてから、もう10年が経ちました。
    一頃(1997年香港返還時に)、心配された治安も良いようで、昔はよく見かけた乞食の姿も少ないように思えました。

    ただ香港の啓徳空港に降り立った際にかいだ、あの香港独特の臭いは、新しい香港国際空港になっても変わらなかったのはすごい。

    香港では自分たちの買い物より孫たちのお土産に目がいき、街中のお店を回るのも楽しいもので、久しぶりによく歩いた旅でした。

    いろいろな思いを残した香港の町、12年ぶりに再訪した香港は楽しく、美味しく、興味深く、この町の良さをあらためて再認識させられ、また再訪したいものだ。


    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2007年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    施設の充実度:
    4.0

  • ザ・ヴェランダ・レストランでの食事が第一で、スタンレー赤柱はその前の「時間つぶし」に訪ねている。

    投稿日 2023年03月17日

    スタンレープラザ (赤柱廣場) 香港

    総合評価:3.5

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(2007.11/28~12/2)に行ってまいりました。

    2007年11/29(木):
    9時半ホテルのハーバー プラザ ノース ポイントを
    出発し、香港島の中心・金鐘駅までMTRに乗る。

    金鐘駅を出て、バス停にいたフィリピンのアマサン(香港の家庭で女中さんとして働いている出稼ぎの女性)にスタンレー行きのバスの番号No.6を教えてもらって、10時2分発の二階建てバスに乗り込む。
    二階席からの街中や海の眺めを楽しみながら、狭い山道を結構なスピードで走るドライバーの腕の良さに感心しながら、そのスリルを感じつつ、終点のスタンレーまで凡そ40分の道のりである。

    今日は香港島の裏側にあたる面白いStanleyスタンレー(1845年当時の英国の長官名)=赤柱や、美しいRepulse Bayレパルスベイ(しばしば海賊が侵入し、これを当時の英国海軍が撃退Repulseしたことから名がついたとか)=浅水湾などを訪れた。

    香港を訪れると、Repulse Bayレパルスベイのザ・ヴェランダ・レストランでの食事を楽しむのが第一で、それまでの「時間つぶし」にスタンレー赤柱を訪ねている。

    何回も来た、スタンレーマーケットは以前よりはこぎれいになって、品物も高級化したように見える。
    衣類を中心とした様々な香港製品・中国製品が軒を並べて、店員の客引きも激しい。
    特に目的がある分けでもなく、なんとなく何時も何かを購入して帰る。

    まず値段交渉だが、何時ものことながら面白い。
    それほど安くなるわけではないが、おばさんの言い値に腹を立てた振りして店を出ると私どもを呼び止めた上で、店主に電話して値引きの了解をとる。

    今回は私のジーパン2本(それも女物!でしたが、大きさがぴったりで、先日買ったユニクロ製品よりも安い。品も悪くはない。2023年の今も適度にほころびながも利用しているから良い買い物になった)、家内はブラウスなどを購入する。
    結局、4品で香港ドル380(6千円)でした。

    マーケットから離れて、海岸に行く。
    この辺りはあまり人も来ないから、きれいな海岸風景を見ることができる。


    (2023年3月17日)

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    お買い得度:
    3.5
    サービス:
    3.0
    品揃え:
    3.0

  • ザ・ピーク・タワーに蝋人形館、レストラン、土産店等があり、昼夜の香港の絶景を楽しめる展望台がある。

    投稿日 2023年03月22日

    ピーク タワー (凌霄閣) 香港

    総合評価:4.5

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    2007年11/29(木)、浅水湾=レパルスベイから、ミッドレベルズにあった、懐かしい旧共同社宅だったVilla Monte Rosaビラ・モンテ・ローザ(F棟・20/F)にちょっと立ち寄り、香港島の天辺The Peakザ・ピーク、正しくはThe Peak Towerザ・ピーク・タワーに登り、人気の高かった「マダム・タッソー蝋人形館」を見学する。

    香港島にあるヴィクトリアピーク(太平山)の山頂は美しい香港の眺め、所謂「百万ドルの夜景」楽しめるとして昔から有名だ。
    香港のマダム・タッソー蝋人形館は、船の様な形の建物「The Peak Towerザ・ピーク・タワー(1997年5月オープン」」の中にあり、ピークトラム(ケーブルカー)の駅舎・乗り場も建物内に設けられて、アクセスの良さは抜群!である。

    観光客が訪れる「ザ・ピーク・タワー」にマダム・タッソー蝋人形館、カフェやレストラン、土産店等の店舗があり、更に昼夜の景色を楽しめる展望台(有料:シニア料金は香港ドル20)が屋上にあり、ヴィクトリア湾、香港島、対岸の九龍半島の眺望を楽しむこともできた。

    1)The Peak Towerザ・ピーク・タワー近くのLugard Roadラガード・ロードからの眺め:

    The Peakザ・ピークといっても、今回は海抜554mの頂上までは行かずに、400mのトラム駅にあるThe Peak Towerザ・ピーク・タワーから右手周りのLugard Roadラガード・ロードを歩く。
    20分ほどの散歩道はヴィクトリア湾のすばらしいパノラマの眺めを見ることができるのだ。

    2)ザ・ピーク・タワーにある人気の高かった「マダム・タッソー蝋人形館」を見学:

    12年前はまだ工事中であった船のような独特の建物ザ・ピーク・タワーが出来ていて、新しい観光名所となっていた。

    館内にはロンドンと同じマダム・タッソー蝋人形館が人気を集めていた。ジャッキー・チェン、ブルース・リー、ダイアナ妃、クリントン・ブッシュ米両大統領、吉田茂元総理、千代の富士などの世界の有名人の良く出来た蝋人形が飾られている。

    入館時は特別にシニア料金(半額の香港ドル140)で入れた。
    入館するとすぐに、ジャッキー・チェンの蝋人形と写真を一緒に撮れた?!のは面白い趣向であった。
    その時の写真は館を出る時に香港ドル80の立派な写真になっていたが、これもご愛嬌だ。香港は巧みに人を楽しませ、飽きさせません。

    ・・・・・・・・・・・・・



    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.5

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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