山武市の妙宣寺にある枝垂れ桜を見に行ったが、枝垂れ桜は既に散っていた。
- 4.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
-
-
by jijidarumaさん(男性)
九十九里 クチコミ:9件
【七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく):遅かりし山武(さんむ)の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜。】
産経新聞に今週は【七十二候・桜始開(さくらはじめてひらく:3月26日~30日)】であると小さく載っていた。
先日、ドライブがてら、八街(やちまた)市の先、山武(さんむ)市の妙宣寺(みょうせんじ)にある枝垂れ桜を見に行った。
3月下旬から4月初旬に開花するとの情報が山武市観光協会の案内にあったから、丁度良いかなと思って、車を走らせた。
国道から入口の門を入ると、あまり人気(ひとけ)がない。
参道をそのまま車で行き、親師堂の横の空き地に停めた。
千葉県山武市の妙宣寺(みょうせんじ)の枝垂れ桜は、近くの長光寺
(ちょうこうじ)の枝垂れ桜と、その美しさは甲乙つけがたいと云う。
<大丞山 妙宣寺(だいじょうさん みょうせんじ)>
〒289-1223 千葉県 山武市 埴谷(はにや)1396
無料駐車場は写真の門の反対側に普通車で台数10台OK 。トイレ在り。
山武市観光協会の案内によると、
妙宣寺(みょうせんじ)は室町時代、康安元年(1361年)に埴谷城主、埴谷備前守重義公(はにやびぜんのかみしげよし)の建立で、その子、日英上人により開山され、大丞山妙宣寺(だいじょうさんみょうせんじ)と称した。
また、日親上人は埴谷大丞左近将監重継(はにやだいじょうさこんしょうげんしげつぐ)の次男である。幼少期に父重継の実弟にあたる日英上人の教えを受けた日親上人は、後に「立正治国論(りっしょうちこくろん)」を時の将軍足利義教(あしかが よしのり)に進言したため、怒りにふれて、焼け鍋をかぶらされるという刑罰を受けたと云う。
それでも信念を貫き通した日親上人(通称「なべかんむり日親」)だったと云う。妙宣寺は日親上人が誕生した寺として、「鍋冠(なべかんむり)日親」の霊跡として知られている。
日親上人が鉄鍋をかぶせられた模様を描いた絵を見ることができるとか。
入口脇に日蓮宗宗門史跡の大きな石碑が立っていた。
石碑傍に枝垂れ桜があり、こちらは少しだがまだ咲いていた。
さて、ここでガッカリしたのは、境内にある、多くの枝垂れ桜が
既に散っていたという事だ。
境内の枝垂れ桜は確かに形良く、満開の枝垂れ桜を想像すると、
実に悔しく、残念!
(2023年3月28日Wiki・HP参考、編集・追記)
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2023/04/13
いいね!:4票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する