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jijidarumaさんのクチコミ(31ページ)全659件

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  • 12ヶ所もあるヴォーバンの防衛施設群に含まれる独仏の双子都市

    投稿日 2015年12月17日

    ヴォーバンの要塞群 アラス

    総合評価:4.0

    <双子のような二つの町:ドイツ・ブライザッハとフランス新ブライザッハについて>

    この独仏にある双子のような二つの町は17世紀の中頃まで、共有の歴史を見ることができる。2000年の昔、上ライン川の両岸はケルト人一族の植民地として、支配されていた。
    紀元1世紀、ローマ軍がこの地を侵略し、ゲルマンに備えて、ローマ軍の砦がライン川に沿って作られる。4世紀にはブライザッハの丘(現在の大聖堂の建つ場所)の重要性を知ったローマ軍により、砦が建設される。
    その後、この地域一帯ははゲルマン人が支配し、中世になると、神聖ローマ帝国(ヒットラーのドイツ第三帝国にたいし、第一帝国とも云われる。)の領地になる。
    そしてElsassアルザス・Breisgauブライスガウ(カイザーシュトゥール地方から、ラインに沿った南部の地方の総称で、中心はBreisachブライザッハやFreiburgフライブルク)はオーストリア帝国・ハプスブルグ家の支配下となる。
    1618〜48年の30年戦争後はアルザス・ブライザッハがフランス・ブルボン王家に支配が移る。
    1697年ブライザッハはオーストリアに譲渡され、このとき初めて、ライン川がフランス王国とオーストリア帝国との国境線になる。この為、仏・太陽王ルイ14世はブライザッハに代わる新ブライザッハ(ノイ・ブライザッハ)要塞をライン川の反対側に建設する事とした。
    その後も1870〜1年の普仏戦争、第一次、二次大戦と歴史はめまぐるしく、この地域の支配を変遷させた。
    現在、二つの町はラインの両側の町として、国境を越えた友好都市となっている。観光案内所で頂いたパンフレットの両面を読んでみると、歴史・文化などこの両都市を等しく説明している。この事でも、その友好度が理解できる。

    (古い記憶によれば、2007年4月当時のブライザッハの観光局のパンフレットは次の“Fortifications de Vaubanヴォーバンの防衛施設群”については、書かれていない。
    2008年に新ブライザッハ(ヌフ・ブリザック)要塞は“ヴォーバンの防衛施設群”の一つとして、世界遺産に登録されたのが背景にある。フランスのBesanconブザンソン市が主導権を握り、世界遺産を検討した事もあってか、パンフレットにその記載が無かったのだろう。

    <星形要塞(伊fortezza、 仏Fort、Citadelle、独 Festung 、Zitadelle)>は火砲に対応するため15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式。あるいはイタリア式築城術、稜堡式城郭、ヴォーバン様式という名で分類される。最終的に考案したヴォーバン式星型要塞は死角が無い星型で、攻め寄せる敵に十字砲火を浴びせ、防御力を高めた。
    ・・・私の中では日本の函館・五稜郭のイメージが強く、それもオランダがこの様式を作り、オランダから日本はその知識を得たと思っていたのだが・・・

    ルイ14世に仕えた軍人で築城の名手と云われたSebastien Le Prestre, Seigneur de Vaubanセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633〜1707年)が築いた稜堡式要塞など、要塞や都市の城壁を対象とするものであり、ブザンソンをはじめとするフランスの12ヶ箇所(以下参照)に残るものがまとめて登録された。それらは防衛上の必要性から、いずれもフランスの国境に沿って、円を描くように存在する。

    (Arrasアラス、Besanconブザンソン、Blaye/Cussac-Fort-Medocブライとキュサック・フォール・メドック、Brianconブリアンソン、Camaret-sur-Merカマレ・シュル・メール、Longwyロンウィ、Mont-Dauphinモン・ドーファン、Mont-Louisモン・ルイ、 Neuf-Brisachヌフ・ブリザック(ドイツのBreisachブライザッハも含む)、 Saint-Martin-de-Reサン・マルタン・ド・レ、 Saint-Vaast-la-Hougueサン・ヴァースト・ラ・ウーグ、 Villefranche-de-Conflentヴィルフランシュ・ド・コンフラン)

    ヴォーバンは生涯で、新たに基礎から築いた要塞が37ヶ所、改修に携わった要塞が300ヶ所、攻略した要塞が53ヶ所とされている。
    手がけた要塞のうちでもっとも有名なのは、ベルギー国境にある二つの要塞La Citadelle de Lilleリール要塞(1668〜1674年、「城塞の女王」という別名もある)、La Citadelle de Maubeugeモブージュ要塞(1683〜1905年)であり、そしてドイツのライン川沿いにあるヌフ・ブリサック要塞(1697〜1708年)である。
    とりわけベルギー・ルクセンブルクの国境にあるロンウィ要塞(1678年建造)は1914〜1918年の第一次大戦に至るまで軍事的な要塞機能を十分に発揮した。:Wikiを参考に編集した。)

    そういえば、“ヴォーバンの防衛施設群”の名前でザールルイという、ドイツの町を思い出した。2010年10月26日に訪れた町だが、1679年にロレーヌ地方がフランスに帰属し、ルイ14世はザール川右岸の防御を固めるためにこの町に要塞を設けることを命じた。
    1680〜86年にかけて、当時の著名な要塞建築家ヴォーバンに造らせた星型(1866年の函館の五稜郭も似た星型)にかたどった要塞は有名で、ヴォーバン島と称する場所もある。
    ドイツの町でありながら”ルイ14世の町”を称するのが面白い。

    XXX
    黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅?紀元前2000年の頃に既に城塞があったと云う小さな村ブルクハイムを再訪した。
    http://4travel.jp/travelogue/11084088

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.0

  • マイエンフェルト・『アルプスの少女ハイジ』は子供たちのお気に入り。

    投稿日 2015年12月15日

    ハイジの泉 マイエンフェルト

    総合評価:4.0

    ≪39年前に走ったロマンチック街道から南独、
    オーストリア、スイス巡り(その2)≫

    (1975年8月9日〜8月19日 10泊11日 夏の休暇Urlaub旅行)

    =>A13 スイス領となるハイジの村Maienfeldマイエンフェルトへ。
    一泊した村の小さなホテルで、夕食中に『アルプスの少女ハイジ』に惹かれてやって来たという、日本の若い女性が一人、レストランに入ってきました。このような場所で日本人とばったり会うなどとは思いもよらず、驚きました。
    一緒に食事をしましたが、彼女、今はどうしているでしょう。

    ?8月15日(金) 晴れ ;130km

    マイエンフェルトのハイジ:
    小さな素朴な村(人口は2500人)だが、この村はアニメ『アルプスの少女ハイジ』でよく知られている。

    9:15ホテルから、小道を1kmほど行くと、牧場傍に“Heidi Brunnenハイジの泉”を見つけた。(10:30)
    1953年に建てられたヨハンナ・シュピリの記念碑は 「ハイジの泉」と名付けられた。
    娘たちは大喜びで、水飲み場となっている泉で、花々の咲き乱れる野原で遊びました。
    当時の子供たちはハイジに夢中でしたね。ドイツ語版のYOUTUBEを見つけ
    て、参考に入れましたが、懐かしいものでした。
    参考;
    HEIDI ・Folge:Das Geissleinシリーズ・子山羊
    http://www.youtube.com/watch?v=2KiitWIhtd0&feature=related

    女流作家Johanna Spyriヨハンナ・シュピリ(1827年〜1901スイスの作家)は、この地を舞台に書き上げた児童文学の名作『Heidiハイジ』(1880年)で世界的に知られている。マイエンフェルト一帯に見るSchloss Brandisブランディス城や村役場、山へと続く小道、水飲み場などの風景は原作そのものです。
    夏を過ごした山(アルム)のモデルとなったオクセンベルク(Heidialpハイジアルプ)は往復6時間という距離ですが、冬を過ごした村として描かれたロッフェルス(Heididorfハイジドルフ)までハイキングしながら記念館「ハイジハウス」を訪ねるのが観光の定番コースになっているとか。
    Heidi Dorf bei Maienfeld ;Heidihausハイジハウス(ハイジ博物館)

    XXX

    旅行時期
    1975年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • ソウルの観光は宗廟から始める

    投稿日 2015年12月09日

    宗廟 ソウル

    総合評価:3.5

    <ソウル> 2005.6.16〜18. 二泊三日 :   
     Lotte Hotel、

    今回の韓国・ソウルの旅は大学時代の運動部の6期後輩で、かつての勤務先の現ソウル支店長(56歳)の御家族に、久し振りにお会いする旅になった。韓国は初めてである。

    6/17(金)快晴 第二日
    <行程>
    10:00 支店長夫妻に会い、ロッテホテル 出発→(Taxi)→?宗廟→(徒歩)→?昌慶宮→(Taxi)→ 12:30 ?昌徳宮(秘苑)→(徒歩:日本文化院前)→?夫人と共に仁寺洞ギル(シルクの袋、ストラップ)、?耕仁美術館内伝統茶屋(お餅とお茶)→(Taxi)→?明洞地区:明洞聖堂前→明洞ミリオレ→全州中央会館前(ビビンパの店)→(地下道)→?ロッテ百貨店(海苔と柚子茶購入)→ロッテホテル18:00、    

    支店長ご家族と共にロッテホテル出発→(徒歩)→?五六島(焼肉)→(Jambo Taxi)→ 支店長宅訪問→ロッテホテル。

    ?宗廟(世界遺産)---儒学を統治思想とした朝鮮王朝の歴代の王・王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行った場である。1395年の完成。
    正殿に太祖等位牌49位を、別廟の永寧廟(1421年竣工)にも34位を祀っている。
    1592年の仁辰倭乱で焼失するが、1608年に再建される。

    廟という事からか?!訪れる人も少なく、静寂な緑の森の中に、石畳を敷き占め、横長の廟が建てられている。

    XXX

    旅行時期
    2005年06月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    3.5

  • 台北に行ったら、必ず訪れる新純香

    投稿日 2015年12月07日

    新純香 台北

    総合評価:4.5

    かつて2004年〜7年に、二人の孫娘の誕生時とお食い初めに台北を4度訪れたが、今回は私ども夫婦で台中・台南・高雄・台北を巡った。
    5日間(2011.03.11−03.15.)の旅は天候にも恵まれ、2人しかいなかったお客に車と日本語の達者な現地添乗員が随行した、少々贅沢な旅をした。
    (丁度、東日本大震災が起こった時に台北入りしたのだが)

    台湾の最終日にいつものように新純香茶店を訪れ、お土産にお茶、お菓子、茶碗などを購入した。
    久しぶりの店内は日本人の観光客で、いっぱいであった。場所的にはわかりにくい所だが、現地駐在員にも評判が高く、日本からのお客さんを案内してきたことや、お店の親切な対応が知られてきた所為か、口コミで増えたのだろう。

    かつて台北に駐在していた長女一家とも顔見知りのおばちゃんが日本語で説明を加えながら、各種のお茶をいちいち試飲させてくれる。
    おばちゃんの説明の如く、“烏龍茶”にはミルク臭があり、まろやかで、さっぱりしていて、“金萱“や”四季春“はたいへん美味しい、良いお茶であるのが、理解できた。
    紅茶に近い”東方美人“も柔らかい感じで好ましい味だ。
    ”香片=ジャスミン茶“や烏龍茶などを15袋1540gほど購入する。
    また、孫娘が気に入っているお菓子(パインケーキ)も60個も買ってしまった。。

    旅行時期
    2011年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    お買い得度:
    4.5
    サービス:
    5.0
    品揃え:
    4.5

  • ドイツ三大クリスマスマーケット・ニュルンベルクは“世界一有名なクリスマス“

    投稿日 2015年12月01日

    クリスマスマーケット (ニュルンベルク) ニュルンベルク

    総合評価:4.5

    2009年12月11日(金);小雨模様の寒い一日、2.5~4.5℃、173km

    ≪Nuernbergのクリスマス市≫ 
    http://www.nuernberg.de/ 14:15~15:15

    ニュルンベルクは“世界一有名なクリスマス“と言われる。Stuttgart(世界最大)とDresden(1434年・世界最古)、Nuernbergの三つをドイツ三大クリスマスマーケットと呼んでいる。旧市街のHauptmarktハウプトマルクト中央広場で催されるクリスマスマーケットは正式にはChristkindlesmarktクリストキンドレスマルクトと言われる。

    その主役は”Christkindle幼児天使クリストキンドル“と称し、子供たちにプレゼントを持ってくる天使として、クリスマスマーケットのシンボルになっている。
    クリストキントは1933年から1968年までは、女優さんが役を務めていたが、1969年以降は2年に一度、16~19歳のニュルンベルク生まれ若しくは育ちの女の子から選ばれる。クリストキントは金髪の髪を縮らせ、金色の王冠をかぶり、白と金色の天使の衣装を着て、クリスマスマーケットの開幕宣言(11月27日17時30分)を行う。

    しかもSchwaebisch Hallなどフランケンの諸都市を訪ね、クリスマスマーケットを祝う。
    中央広場は凡そ180の屋台でうまり、聖母教会前にはコーラスや演奏用に舞台が設営されている。その屋台で、グリューワイン、伝統の味・レープクーヘンやニュルンベルク・ソーセージを味わう楽しみがある。     www.christkindlesmarkt.de 

    営業時間 : 2009年11月27日 - 2009年12月24日
    月 - 木 09:30 - 20:00   金 - 土 09:30 - 22:00  日 10:30 - 20:00

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    催し物の規模:
    4.0
    雰囲気:
    4.5

  • ニュルンベルク・クリスマスに訪れた聖ローレンツ教会

    投稿日 2015年12月01日

    聖ローレンツ教会 ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    2009年12月11日(金);小雨模様の寒い一日、2.5~4.5℃、173km

    Nuernberg(クリスマス市・観光;13:45~15:15)

    ≪St. Lorenz‐Kirche聖ローレンツ教会≫
    13:45~14:00
    春の旅では訪れた時はもう閉まっていたので、ここも見逃した場所だ。教会裏手のパークハウスKatharinenhof(駐車料金Euro3.2)から数分の教会は開いていて、参拝客も多い。

    1270年から1477年にかけて建てられた教会はゴシック式の立派な教会である。
    教会内は今夜のコンサートの準備、リハーサルで前に進めなかったが、幸い天蓋から吊り下げられた“受胎告知のレリーフ”を見る事が出来た。

    彫刻家ファイト・シュトースの最高傑作と言われる作品で、別称は“天使の挨拶”という。マリアと大天使ガブリエルの優美さは特筆もの。
    デューラーの師や弟子などが手掛けたカタリーナ祭壇も見事に彩色されたものだが、同時代のリーメンシュナイダー作品とは大きな違いがある。
    好みとすると、後者が良いのだが・・・。
    教会内の一角にクリッペがあった。キリスト教徒ではないが、献灯をした。

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • 青色の丸屋根を中心に4本の尖塔が囲んだ形のシュパイヤー大聖堂

    投稿日 2015年11月30日

    シュパイヤー大聖堂 シュパイヤー

    総合評価:4.0

    2007年4.20(金) 快晴 15〜20℃、午前中は涼しい風 207km

    この日はドイツの3つの世界遺産として知られるLorschロルシュ・世界遺産Kloster–Alten Muenster帝国僧院跡、Speyerシュパイヤー・世界遺産Dom Speyer大聖堂、世界遺産Kloster Maulbronnマウルブロン僧院を訪ねた。

    Speyerシュパイヤー(人口50.5千人)はアウトバーンのE67/E61を、マンハイム・シュヴェッツジンゲンと過ぎ、ロルシュから53km走った先にある、ライン河畔の宗教都市である。ライン川を渡ると、シュパイヤー技術博物館が見えてくる。飛行機、鉄道、消防自動車などの実物が展示されている。ちょっと寄ってみたい気持ちもあったが、先に進む。

    2つ目の世界遺産Dom Speyer大聖堂(1981年登録)の裏手の駐車場はがら空きで助かった。それでもしっかりと自動の駐車券発行機が備えてあるので、1Euro・1時間を選択する。

    大聖堂は1030年コンラッド?世の創建。青色の丸屋根を中心に4本の尖塔が囲んだ形のロマネスク様式初期のバジリカ式聖堂である。
    1689年ファルツ継承戦争、1794年フランス革命軍による損傷が生じたが、その後再建されている。
    1996年から大聖堂の基礎部分などの大改装などが行われて、改装は現在も続けられている。

    青色の屋根、薄茶色の外壁の色合いはたいへん美しく、マキシミリアン通りから見る正面の姿は特に素晴らしい。ここにも4人の皇帝と4人のドイツ王が眠っている由。

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • エジンバラ城のMilitary Tattooを見に行った。

    投稿日 2015年11月21日

    エディンバラ城 エジンバラ

    総合評価:4.5

    1978年8月の休暇で初めて、ドーバー海峡を車で越えました。

    この時はEdinburghの祭り・Military Tattooを見るのが目的でしたが、Londonの大英博物館など、Oxford、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線なども見て、Kingston on Hullの港から、Rotterdamに抜けて、ドイツに戻りました。

    総行程2750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。

    ロンドン・ウィンザー・オックスフォードからStratford von Avonを巡り、そこからDroiwickにあるThe Chateau Impney Hotel(65エーカーの広大な森・庭園の中にあったフランス風のホテル。
    塩の工場で成功したオーナーがパリ旅行でフランス人を見染めて、結婚し、その夫人の為に建てたと云う。http://www.chateau-impney.com/ 夕食は素晴らしい味と雰囲気でした。今見るHPにはその雰囲気が残っていませんが・・・。 )に1泊し、さらにBirminghamから北上して、A6・A591で湖水地方の入口Kendalを経由し、Windermereを横に見ながら、Keswickに。そこの古城風(カントリーハウス)のホテルThe Keswick Hotelに1泊。
    ( http://www.thekeswickhotel.co.uk/keswick-country-house/ )

    天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。
    触発されて、当時の写真を見ました。写真は焼きが悪かったらしく、もう黄ばんだものになっています。ホテルは健在かと、検索してみたら上述のようにヒットしました。

    当時は、コッツウォルズ地方も知りませんで、今手元にある本(2001年ヨーロッパの田舎;新潮社)でイギリスの原風景に出会うと、この辺りも行ってみたら、良かったかな?!と思います。

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0

  • “石の説教”といった別名を持つ、マカオのシンボルである。

    投稿日 2015年11月17日

    聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) マカオ

    総合評価:4.0

    1999年までポルトガルの植民地であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。

    このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物が『マカオ歴史地区』という名前で世界文化遺産に登録された。


    小高い丘にそびえ立つ世界遺産である聖ポール天主堂の姿はまさに荘厳で、完成当時は「ローマ以東でもっとも傑出した教会」と称されたほど・・。

    1602年から1640年にかけ、東洋進出の先兵役を務めたイエズス会修道士たちが、旧要塞のモンテの砦を築き、同時期に聖母教会(聖ポール教会)が建築され、建設には中国人、日本人キリスト教徒(長崎の日本人キリスト教徒が徳川幕府の鎖国によって日本の外に締め出された。)達が携わったと云う。

    聖ポール天主堂は1835年に火事にあって、現在の様な壁一枚の姿・・・教会の前面だけが残る石造りのファサード(正面壁)だけになったそうである。
    “石の説教”といった別名を持つ、マカオのシンボルである。

    長崎の日本人キリスト教徒を鎖国によって日本の外に締め出した家康は悪魔の化身として、その姿が壁に刻まれている。確かにその姿が見えた。

    天主堂は青い空の中に立っています。堂の周辺は観光客だらけで、落ち着いて写真も撮れません。

    XXX

    旅行時期
    2008年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.5

  • グラーツの町のシンボルである城山の真下に立つ、便利なホテル

    投稿日 2015年11月10日

    シュロスベルクホテル グラーツ

    総合評価:4.0

    4/24(土) Graz :Schlossberg Hotel古城ホテル・シュロスベルグ
    (4星)  Euro146 注:週末料金  
    A-8010 Graz , Kaiser Franz Josef Kai 30
    TEL:43(0)―316―8070、FAX :43(0)―316―8070―70
    http://www.schlossberg-hotel.at  

    古城ホテル・シュロスベルグ(城山)は旧市街にあり、4階建てのホテルは町の中心のシンボルである城山の真下に立っていて、目立つ青色の壁が特徴的です。
    殆どの観光地に歩いていけるという便利な所でした。
    部屋は2階と4階にわかれ、我々は4階の屋根裏部屋に。その割に快適で、浴室も明るく、中庭にあるレストラン---- “Wintergarten---冬の庭、若しくは温室の意味”---も見られ、窓からは町中を流れるムーア川や、その向こうの新市街地がきれいに眺望できました。
    唯、電車道に面している為に、駐車できず、パークハウスに一晩、車を入れる事になりました。
    又、ホテルには夕食用のレストランが無い。

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.0

  • ブレーメン:念願の名物店”Katzen-Cafe 猫のカフェ”で夕食

    投稿日 2015年11月10日

    シュノーア地区 ブレーメン

    総合評価:5.0

    05月10日(土)曇り、小雨(ドイツ特有のシャワー)が度々。13〜15℃、寒い一日

    <Schnoor-viertelシュノーア地区>
    15〜6世紀に建てられた小さな間口の狭い木組みの家などが、細く、曲がりくねった石畳の路地に立ちならんでいる。家が紐に真珠のように並ぶ為、Schnurシュヌーア(紐)と云うドイツ語がなまってSchnoorシュノーアとなったそうだ。
    金銀細工、手作りの工芸品やおもちゃ、骨董品等のお店があり、しゃれたカフェ・レストランもあって、散策するには大変楽しい地域だ。
    今夜は名物店猫のカフェで食事なので、大変楽しみである。
    http://www.bremen-schnoor.de/


    ≪夕食:Katzen-Cafe 猫のカフェ≫   
    19:00〜21:40

    D-28195 Bremen 、Schnoor 38
    Tel: 0421−32 66 21
    http://www.katzen-cafe.de/

    給仕長お勧めのハウスカクテルを飲む。ワインは友人Peterさんのセレクトで2012Grauer Burgunderの辛口白Markus Pfaffmann・プファルツ 0.75Lでした。
    料理は昼の中華が多かったので、考えた末、メインとデザートだけを注文した。

    ?メイン:私が子羊の料理、インゲン・ジャガイモ添え。家内とPeterさん夫妻は舌平目料理。どちらも大きめな量でしたから、2品だけで十分でした。
    ?デザート:私がアナナスのシャーベット、家内たちはレモンのシャーベット。

    カフェと称するレストラン“Katzen-Cafe猫のカフェ”は明るい、一種独特の雰囲気のある名物店で料理もお酒も美味しく、大変満足した夕食になった。
    この夜も観光客を含め、お客で賑わっていた“猫のカフェ”は一度来てみたかったレストランであり、Peterさんが私共の意向を受けて事前に予約してくれました。
    その上、この日の夕食はご馳走になってしまった。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハイデルベルク:又の名をアルテ・ブリュッケ(古橋)という。

    投稿日 2015年03月23日

    カール テオドール橋 ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    かのゲーテは“ここから(ネッカー川にかかるカール・テオドール橋=アルテ・ブリュッケ古橋)望む眺めには世界のいずれの橋も及ぶまい。”と、

    ネッカー川に架かる橋、古城、背景の緑の丘、赤レンガ色の屋根が連なる町並み、この一体化した景観を褒め称えたと云う。

    現在のものは1788年完工。
    1248 年の記録にあるアルテ・ブリュッケはハイデルベルクでももっとも古い部類に属する。全長およそ 220 m、古くは木造で屋根もあったが、その後の戦争や洪水で壊れ、18世紀後半、プファルツ選帝候Karl-Theodorカール・テオドールが石橋に建て替えた。

    従って、正式名称はカール・テオドール橋だ。第二次世界大戦でも撤退するドイツ軍自身によって破壊されたが、1947年に再建された。
    現在のものは 8番目にあたると云う。

    <カール・テオドール像>

    1788 年に建立された。石橋を作ったテオドール候を記念して建てられたが、像の台座に4つの像が囲んでいる。
    バイエルンの名家ヴィッテルスバッハ家が統治するライン川・ドナウ川・ネッカー川・モーゼル川を象徴したものだそうだ。

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0

  • ブレーメンの大聖堂地下にミイラのブライケラー”(鉛の地下室)がある。

    投稿日 2015年11月10日

    聖ペトリ大聖堂 ブレーメン

    総合評価:4.5

    Bremer Ratskellerブレーマー・ラーツケラーで昼食後、友人のPeterさんが是非、お見せしたいものがあるというので、ついていく。
    途中でブレーメンの裁判官当時の同僚にばったりと会う。彼はニコニコとPeterさんに挨拶して、手を振って別れて行く。私共4人が着いた所は、St.Petri Dom。

    この聖ペトリ大聖堂は1042年に建設が始まったそうで、二つの塔が高々と青い空に向けて立っている。この塔からのブレーメンの眺望は素晴らしいとの事だが、塔には登らず、我々は横に併設されている、地下の納骨堂に降りていく。

    “Bleikellerブライケラー”(鉛の地下室)と呼ばれていて、以前に大聖堂の修復工事が行われた際、幾つものミイラが発見されたそうだ。
    これらのミイラ、すなわち、スウエーデンの市長夫妻、貴族、決闘で亡くなった学生など、8体が展示されている。

    何故ミイラ状態になったかを調査したところ、“鉛”が影響していたそうです。鉛の影響を調べる、この実験には猫やサルが使用された。その実験体である猫、サルのミイラも同様に展示されていた。なかなか、日本の観光本では目にしないもので、大変興味深いものであった。 

    ペーターさんが見せたかったのはミイラでした。(2.8Euro)

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • ブレーメン:住民の要請で実現したドイツ初の公共園庭施設

    投稿日 2015年11月10日

    ブレーマー ヴァルアンラーゲン ブレーメン

    総合評価:4.5

    昼食をCafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ クニッゲで食べた後、Stadtgraben掘割から風車を眺めに歩く。

    <Bremer Wallanlagenブレーマー・ヴァルアンラーゲン>
    14:20~30

    イザーク・アルトマンの設計に基づき1805年から造営された。17世紀までここにはブレーメンの市壁や防衛施設が設けられていた。
    この公園はブレーメンで最も古いというだけでなく、住民の要請で実現したドイツ初の公共園庭施設である。ブレーメン中央駅から旧市街の途中にあるので分かりやすい。
    風車の内部ではレストランが営業している。ここでの昼食、お茶も良いかもしれない。
    小雨の後、水に濡れた、薄紫、白、黄色のお花の絨毯が美しい。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • デュッセルドルフのお気に入りのカフェ ハイネマンを今年も訪れ、お土産を買った。

    投稿日 2014年10月04日

    カフェ ハイネマン (フェラインスバンク パッサージュ店) デュッセルドルフ

    総合評価:5.0

    2015年07月27日(月) :

    Cafe Heinemannカフェ・ハイネマン(Koeセンター内)
    D-40212 Duesseldorf 、Martin-Luther-Platz32
    営業時間;月~金:9~19時、土:9~18時半 、日曜日:10~18時。
    https://www.konditorei-heinemann.de/

    今年の旅:2015.07.14.~28“黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”も終わってみればいろいろで、ドイツもアルザスも日本と変わらぬ暑い夏の日々が続き、毎日汗びっしょりの観光になり、毎日夕食を終えるとそのまま就寝してしますような旅でした。
    私共に向いた季節はやはり春が一番のようです。

    この旅の最終日はデュッセルドルフのお気に入りのハイネマンのケーキやチョコレートを土産に大量購入し、28日、暑い夏の日本に無事に戻ったしだいです。
    結局、全走行距離は2027kmとなりました。

    <Heinemannハイネマンの土産>

    シャンパントリュフのチョコレート3ケース・・・Euro49.95、
    Baumkuchenバウムクーヘン2段x3・・・Euro45.21、
    Mandeltorteアーモンドのパイケーキx2・・・Euro19.8、
    Nusstorteクルミのパイケーキ・・・Euro10.9、
    Pralinenプラリネン(チョコレート菓子)など16ケース・・・Euro126.59
    ・・・合計Euro252.45(35,177円)

    ここの2階のカフェで、お茶や軽食を楽しむのも良いのだが、今年もまた近郊の古城ホテルに宿泊し、夕食することになっているので、お土産購入のみにした。

    XXXXX

    2013年10月20日(日):

    久しぶりにデュッセルドルフを訪れ、Koenigsalleeケーニヒスアレー(“王様の小道”と称される)、通称Koeケーに行って、ハイネマンのチョコレート、パイケーキを購入した。

    “ケーニヒスアレー:Koeケー”と愛称されている世界に冠たる通りで、1801年、ミュンヘン王宮の建築家のプランを採用して、現在の1kmの並木道が完成したのです。幅82mの大通りで、真ん中のお堀を挟んで凡そ400本のカスターニアン(マロニエ)が大きく育った並木道が続く。
    ホフガルテン方向を正面にして、右側には高級ブティック、ブランド品の店、カフェ・レストランが並んでいる。左側にはドイツの銀行やオフィス、ホテル、カフェ・レストラン、ブランド品の店等がこの街の顔として並んでいる。

    ハイネマンは日曜日も10:30~18:00は開店しているのをHPで確認済みでしたが、この日お店に行くと、何やら改装中の様子で吃驚した。中に入ると改装はしているが、チョコレートショップや2階のカフェ・レストランは営業中だった。

    お目当てのシャンパントリュフなどを購入する。ここのチョコレート菓子の中でも“シャンパン・トリフ”が私共は大好物だ。食べるとシャンパンが口の中に溶け出て、その美味しい味に感心する。
    美しく整った店内の写真を撮って良いかとスタッフに聞くと、個人が写らなければOKと言ってくれた。

    シャンパントリュフのチョコレート、猫の舌といったチョコレートが合計Euro58.4、MandeltorteアーモンドのパイケーキがEuro9.5、NusstorteクルミのパイケーキはEuro10.5だった。チョコレートは当然だが、帰国して食べた二つのパイケーキが予想以上に美味く、これだったらもう少し買えば良かったと思った。 
    合計Euro78.4(8,036円)でした。

    2014年05月21日(水):

    今回は飛行機便の関係で帰国便ANAはデュッセルドルフ=>成田を選択した。
    ANAが直行便をこの春から乗り入れたのだが、嬉しい事だ。
    ハイネマンは改装なって、きれいになっていた。
    ここのカフェでお茶を飲むのも楽しいのだが、近郊の古城ホテルで
    夕食を控えているのでのやめにした。

    この日購入したのは、
    シャンパントリュフのチョコレート3ケース・・・Euro52.17、
    猫の舌チョコレート2ケース・・・Euro7.21、
    Mandeltorteアーモンドのパイケーキ・・・Euro9.5、
    Nusstorteクルミのパイケーキ・・・Euro10.5、
    Pralinenプラリネン(チョコレート菓子)5ケース・・・Euro33.75
    ・・・合計Euro113.13(15,978円)

    序に記すと、この旅では
    BremenブレーメンのCafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ クニッゲ:
    レーズンがたっぷり入ったBremer Klabenscheibeブレーマー・クラーベンシャイベ・・・
    シュトレンに似ている味。3個(中央下)・Euro13.15(1,739円)

    Salzwerdelザルツヴェーデルの元祖バウムクーヘンCafe Kruseカフェ・クルーゼ:
    Baumkuchenバウムクーヘン白黒3ケース(上・右下)・・・Euro21.83(2,887円)
    と買ったので、十分すぎるものになった。

    NNN

    旅行時期
    2015年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    その他
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

  • 赤頭巾ちゃんの故郷

    投稿日 2015年10月15日

    その他の観光地

    総合評価:4.0

    【メルヘン街道にあるAlsfeldアルスフェルトの町にはヴァルプルギス教会の裏手に「Schwaelmer Brunnenシュヴァルムのブルンネン(噴水・泉)」が立っている。
    この地方独特の民族衣装で装った女の子は赤頭巾ちゃんではなくガチョウを世話する少女だそうです。でもアルスフェルトって赤頭巾ちゃんのお話で有名ですよね?】

    Rotkaeppchenland赤頭巾ちゃんの故郷とはBreitenbach a.H.、Frielendorf、 Gilserberg、 Homberg(Efze)、Kirchheim/Hessen、Knuellwald、Neuenstein、Neukirchen、 Neustadt(Hessen)、 Niederaula、 Oberaula、 Ottrau、 Schrecksbach、 Schwalmstadt シュヴァルムシュタット、Schwarzenborn und Willingshausenといった町々を指すようで、Alsfeldアルスフェルトは入っていませんでした。
    近年Rotkaeppchenland赤頭巾ちゃんの故郷で催される“Rotkaeppchen Woche赤頭巾ちゃん週間は例年7月から8月にかけて催される。2015年は23.08. ~30.08.2015だった。
    アルスフェルトのHPによるとRokaeppchenwoche in den Herbstferien秋の収穫祭に赤頭巾ちゃん週間が行われるらしい。“赤頭巾ちゃんと狼”の劇も見られると云う。

    ただ、ドイツの観光書によると、『アルスフェルトはFachwerkstadt木組み建築の町と称し、印象深い木組みの家に囲まれた旧市街が昔のままに残る。
    また、Tor zum Rotkaeppchenland赤頭巾ちゃんの故郷への玄関口とも表現している。
    しかも、赤頭巾ちゃんの故郷・シュヴァルム地方ではチャーミングな赤頭巾ちゃんに現在も出会う幸運に恵まれるでしょう。』と書かれていて、この町の赤頭巾ちゃんについては何も記載がない。
    アルスフェルトにMaerchenhausメルヘンハウス(博物館)もあって、“赤頭巾ちゃんと狼”の物語などの展示があるから、観光面で便乗した形?!をとっているのかもしれない。

    私共は地球の歩き方で、上述のSchwalmstadtシュヴァルムシュタットが“赤頭巾ちゃんの故郷”と言われていると聞き、2005年5月に訪れました。
    勿論、実際のグリム童話とは諸説があって、一致してはいないそうで、唯、この地方の民族衣装が赤頭巾のような帽子を頭に載せているので、観光的にそうしているようです。
    人口1万8千人の町シュヴァルムシュタットはZiegenhainツィーゲンハインとTreysaトレイザの二つの中心を持った幾つかの集落の総称で捉えどころのないところでした。
    ツィーゲンハインの街中を歩いても赤頭巾ちゃんが居るわけでもない。

    ツィーゲンハインの焼きソーセージ屋の親父さんに聞いてみると、“一番のお勧めはMuseum der Schwalmシュヴァルム郷土博物館だよ。”と聞いて、行ってみました。
    が、昼食時間の為休館中でした。
    確かに、ここの博物館の展示には赤頭巾ちゃんたち、シュヴァルム地方の民族衣装の人形がたくさん見られました。

    シュヴァルムシュタットを出発し、B254を25km走ると、Alsfeldアルスフェルトに25分で着く。
    この町も木組みの家並みで有名である。人口1万7千人はシュヴァルムシュタットと似たようなものだが、旧市街の中心は五月柱も立つマルクト広場にあって、はっきりした町でした。
    ヴァルプルギス教会の広場に“シュヴァルムのブルンネン(赤頭巾ちゃんの噴水?)”が、1958年に建てられたようです。

    白い(黒い)スカートにエプロンをつけ、頭にケプフェレと呼ばれる赤い円筒状の髪飾りが付いた格好(いわゆる赤頭巾)をしています。

    日本の観光書では”赤頭巾ちゃんの噴水”としていたが、現地のパンフレットや写真の説明では、なんと“Gaenselieselガチョウ番の娘リーゼルの噴水”となっていた。
    どうりで、ガチョウがシュヴァルム地方の民族衣装を着たリーゼルと一緒の像になっているはずだ。

    何故、リーゼルがGoettigenゲッティンゲンではなく、アルスフェルトで噴水となるのか?正確なことはわかりませんでしたが。

    XXX

    旅行時期
    2015年10月

  • Bremer Ratskellerブレーマー・ラーツケラーは雰囲気の良いレストラン

    投稿日 2015年10月11日

    ブレーマー ラーツケラー ブレーメン

    総合評価:4.5

    “北ドイツ周遊の旅”         
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4月22日 (金)

    <昼食:Bremer Ratskellerブレーマー・ラーツケラー(13:00~14:30)>

    1982年4月12日)、ちょうど23年前になりますが、家族旅行で北ドイツを旅した時、市庁舎の地下にある、このBremer Ratskellerブレーマー・ラーツケラーで昼食を取りました。

    Pさん夫妻に今回も是非、お昼はそこでとお願いする。昔と全く変わらず、レストランは魅力的だ。
    大きな酒樽が並んだレストランは600種以上のドイツワインを揃えているそうです。ここにはドイツ最古のワイン1653年製があって、市長とケーラーの責任者の新任時に飲まれるとか?!但し、この街の人々は第一にコーヒー、第二にビールを好んで飲むそうだが。

    我々は辛口の白ワインをグラスで注文し、男達はLinsensuppe---レンズマメのスープ、女たちは魚のスープを頼む。塩気のきいたスープでワインやパンとの相性も良く、お腹が一杯になる。

    “かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅”

    2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅

    5月14日(土);朝の内曇り、日中は晴れ、時に突風とシャワー。16℃

    <お茶;ブレーメンのRatskellerラーツケラー (14:10~15:40)> 

    市庁舎下にある由緒あるワインレストランで、Pさん夫妻、私の三人は白のグラスワイン、家内はココアを注文。これにチーズ、ナッツなどのつまみも頼んだ。
    ラーツケラーはワインを飲み、食事をする事が出来るが、この時はワインを飲みながら、おつまみをとった。日本的なつまみは期待ができないので、チーズの一皿になった。
    一皿を注文したが、大人4人にも多かった感じで、残ったものはPさん宅に持ち帰り、夜のワインタイムに頂きました。ここもPさんに奢ってもらい、恐縮した。

    ドイツの都市には必ず市庁舎の下などに、Ratskellerラーツケラーと称するレストランがあり、味と値段に間違いがなく、私共はよく利用する。

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    友人
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    4.5

  • ブレーメン:昼食に”漁師の朝食”を食べ、名物ブレーマー・クラーベンを土産に買った。

    投稿日 2015年10月11日

    カフェ クニッゲ ブレーメン

    総合評価:4.5

    2014年ドイツ:北方二州を巡る・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    5月9日(金)フランクフルト曇り13℃ 、ブレーメン15℃、薄曇り、夕方から小雨。

    (昼食)
    Cafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ クニッゲ
    D-28195 Bremen 、Soegestrasseゼーゲ通り42/44番地
    http://www.knigge-shop.de/
    13:10~14:10 Euro25(3,306円)

    ここではベックス・ビール0.33Lと“漁師の朝食”なるものを注文。

    “Bauernfruehstueck農夫の朝食”といった料理を北ドイツで何度か食べたことがあるが、とても美味しかった。このレシピは小さく角切りにしたベーコンと予め茹でたジャガイモをスライスしたもの、タマネギをこんがりと炒めて、最後に溶き卵で閉じたものです。スライスしたジャガイモの炒め物料理のバリエーションの一つであり、鶏卵でオムレツのように閉じてもいい。その場合は、「ドイツ風オムレツ」と呼ばれることもある。

    多分、これに似たものだろうと思ったが、港を控えるブレーメンだけに“漁師の朝食”はベーコンの代わりに“小エビ、かき卵、ローストしたジャガイモ、ニンジン等の野菜添え”でした。量もありましたが、美味くて完食でした。

    さて、ブレーメンには人気の焼き菓子クラーベンがある。レーズンがたっぷり入ったBremer Klabenブレーマー・クラーベンはシュトレンに似ている。これは密度の詰まったシュトレンで「クラーベン」という語は切れ目の入った形を云う。
    多くは12月の初めに、復活祭まで保つほどの量が焼かれるのだが、5月の今も普通に販売している。クラーベンはシュトレンとは異なり、バターを塗ったり砂糖を入れたりしないと云うが、実に美味い。

    1889年創業のカフェ コンディトライ クニッゲの名物はブレーマー・クラーベンなのです。
    昼食後、今回もBremer Klabenscheibeブレーマー・クラーベンシャイベと称する名物ケーキを御土産に購入した。
    娘家族と私共用に重い3袋(Euro13.15=1,739円)を購入した。

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    5.0
    お買い得度:
    4.5
    サービス:
    4.0
    品揃え:
    5.0

  • アシャッフェンブルク・ここの目玉はヨハニスブルク城

    投稿日 2015年08月16日

    城博物館(アシャッフェンブルク) アシャッフェンブルク

    総合評価:4.5

    ≪北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅≫  
             
    フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る

    期間 : 2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月30日(木)

    Aschaffenburgアシャッフェンブルクには13:50には着いた。

    人口7万人とバンベルグ並みの都市。マイン川が蛇行し、その弧となる右岸に発展した町で、中世よりマインツ大司教の支配下に置かれた。
    17世紀にSchloss Johannisburgヨハニスブルク城が建てられている。
    19世紀初頭、バイエルン王国の支配地になる。第二次大戦では町は城を含め、大きな被害をこうむっている。ここの目玉はヨハニスブルク城。

    <Schloss Johannisburgヨハニスブルク城・博物館>
    (シニアの入館料 Euro 6;見学45分14:00~14:45)

    城館博物館で目についたのは、この城の時代の変遷を示した、三対の城の模型である。中世の城郭、第二次大戦後の焼けおちた廃墟の城、再建なった現在の城が展示されている。ドイツ人のへこたれない凄さを思う。

    州立絵画館にはクラナッハの絵が・・金持ちの男と若い花嫁の絵だが、独特の風刺を感じさせる。似たような絵はKronachクロナッハにもあった。

    旅の最後の日は落ち着かない日である。

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.5

  • ヴォルフガングゼー・白馬亭での思い入れの夕食は空振りに!

    投稿日 2015年08月16日

    Romantik Hotel Im Weissen Rossl ザンクト・ヴォルフガング

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊の旅≫
    2004年4月21日−5月4日 :2週間
    ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィッヒ2世と オーストリア皇妃 エリザベートを 巡る旅

    4月23日(金)
    Salzkammergutザルツカンマーグート周遊・ヴォルフガングゼー:
    夕食の為にベナツキーのオペレッタで---もっとも、私にはどんなオペレッタかは知らないのですが---有名な“Im Weissen Roessl am Wolfgangsee白馬亭”のレストランを予約する。 

    <夕食>
    イム ヴァイセン レッスル白馬亭(18:15−21:00) 

    Im Weissen Roessl イム ヴァイセン レッスル白馬亭は15世紀には記録に出てくるという。教会と船着き場という村の中心地にあり、湖に突き出た形で建っている。
    1971年に発行された高名な日本画家である東山魁夷・・・画家には珍しく、フランスではなく、ドイツに留学した“ドイツ学派”・・・のドイツ・オーストリア紀行文、“馬車よ、ゆっくり走れ”にも、このホテルに宿泊したことが出てきます。レストランの事は何も書かれておりませんので、何を食べられたかは分かりませんが・・・。 

    私にとって今夕は、ともかく、20年ぶりに、このレストラン白馬亭の“ペッパーステーキ“を食べる事が目的です。20年前の休暇で、この近くのペンジョンに泊り、ザルツカンマーグート地域を巡りましたが、その時、白馬亭で夕食を頂いたのですが、ペッパーステーキの美味しさに、家族全員が翌日も同じメニューを注文したことを思い出します。
    其の事もあって、今回の旅はチャンス到来だと、宿泊ホテルとはちょっと離れた所ですが、やってきた次第です。   

    ところが18時15分頃、予約席に座って、いざ、メニューを見ると肝心のペッパーステーキが載っていません!!!給仕人に聞いてみると、メニューには無いが、ご注文にはそえるとのこと。それではお願いすると、大いに期待していたのですが、残念!!!20年はやはり長かったようです。舌に覚えていたもの、目に残っていたものとは全然、違っていました。思い入れはしない方が良かったのでしょうか?!それにしても、20年ですよ!!!
    Schlumbergerシュルムベルガーというシャンパンを皆で頂き、スタートする。スープも前菜も取らずにメインに期待する。“Romantik Menu 1”という名前は素晴らしかったのですが、ソースは牛肉を焼いた汁に赤ワインを煮立てたいわゆる普通のソースでした。胡椒あじも感じて、料理としても、悪くは無いのですが、ちょっと、違うな・・・。
    20年前は肉汁に生クリームを入れ、煮立てたものに粒胡椒を入れた、たいへんまろやかなソースでしたが!!!
    ワインは赤。これは ニーダーエーストライヒ州の Goettlesbrunnゲットレスブルン産の、Cabernet Sauvignonカベルネ・ソーヴィニヨン 2000、Netzlネッツルというもので、レストランのお奨めです。ウイーンとアイゼンシュタッドの中間で、ブルゲンランド州に近い所のもの。40EUROと値段も良かったですが、味も大変気に入りました。 

    酔い覚ましの時間をとっての出発でしたが、段々と暗くなり、雷雨が襲ってくると、前が見えないような土砂降りです。そんな中でもどんどん走る車もあり、対向車のヘッドライトも眩しく、いやはや、ホテルがいやに遠くに思われました。ゆっくり、冷や冷やで、運転し、幸い迷うことも無く、無事ホテルにご帰還です。もう22時でしたが、古城ホテルの女主人のエリカさんがお出迎えしてくれました。  

    XXX

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    4.0

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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