2019/09/18 - 2019/10/03
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
9月22日(日)⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果たしたのか?
9月23日(月)⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市街
9月23日(月)⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城ホテル ブロムベルク城に2泊。
9月24日(火)⑬実に壮麗なリッペ侯国のデトモルト宮殿を訪ねる。
9月24日(火)⑭画家たちが愛した美しい木組みの家並みと泊まりたかったシュヴァーレンベルク城
9月24日(火)⑮ブロムベルクには古城や伝説、美しい木組みの家並みがある。
9月25日(水)⑯英国王となったハノーファー王家ゆかりの町へ
9月25日(水)⑰ツェレに英国王ジョージ1世の王妃ドロテアが32年間幽閉された話が残る。
9月26日(木)⑱ツェレの旧市庁舎、市教会の侯爵家の霊廟、ボーマン博物館を見る。
9月26日(木)⑲ツェレの美しい木組み建築の家並みに満足満足!
9月27日(金)⑳女流詩人ロスヴィータ のガンデルスハイム、美しい木組みの家並みのアインベック。
写真はEinbeckアインベックの独特な形状をした市庁舎
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2019年9月27日(金) 240km、晴れ、13℃
起床6:30、朝食は7:30~8:00、Celleツェレ・ホテル ボルシャースを8:30チェックアウト=>B3・A37・A7・B243・ B64 113 km Bad Gandersheimバート・ガンデルスハイム10:40~11:35 =>K? 3km Kloster Brunshausenブルンズハウゼン修道院11:45~13:00=>B64・B3 21km Einbeckアインベック13:30~14:30=>B64・L583・L584 32km Bevernベーヴェルン15:15~16:10=>B80・B64・K550・B497・B241・K554・B3 71km Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンのFachwerk-Hotel Eisenbart木組みの家ホテル アイゼンバルトに到着17:55。
写真はCelleツェレ=>Bad Gandersheimバート・ガンデルスハイム=>Einbeckアインベック=>Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデン周辺地図 -
*起床は6:30、朝食(7:30~8:00)は昨日を同じレストランで、観光地の朝には早いのか誰もまだいないが、ホテルの準備は万全です。
あまり宿泊客がいなかったのか、朝食の間に一番乗りとなった。
観光地の朝はゆっくりしたものなのかもしれない。
写真はCelleツェレ・ホテル ボルシャース:朝食ホテル ボルシャース ホテル
-
コーヒーとGekochte Eier茹で卵を頼む。
写真はCelleツェレ・ホテル ボルシャース:朝食 -
写真はCelleツェレ・ホテル ボルシャース:朝食の間で
ホテル ボルシャースを8:30にチェックアウトして、地下駐車場からリフトで上がり、Celleツェレの町から出た。
実はボーデンヴェルダーを先日見過ごしたので、今日も一応訪ねるつもりだった。だが、予想以上にこの日の観光も見るべき所も多くて、再度断念したのだ。
この日の予定先だったHolzmindenホルツミンデン、トーネンブルク城、Hoexterへクスター、Bad Karlshafenバート・カールスハーフェンの各地も取止めた。 -
今日の走行は100kmを超す道だから、アウトバーンA37・A7を利用し、ハノーファー、ヒルデスハイムの横を順調に南下する。
所がヒルデスハイムを過ぎて(ツェレからの距離は凡そ72km)で突然、渋滞になる。理由が分からぬまま、アウトバーンが動かず、20分ほどで急に動いたかと思ったら、谷越えの長い橋の前で停まっていたらしい。
前のトラックが不調だったのか、その先も渋滞だったのかは不明だが、このトラックを抜いてみると先ほどまで前にいた他の車があっという間にいなくなっていた。???の気持ちで先を急いだ。
Seesenゼーゼン(ハルツ)のインターで降りて、B243・64でBad Gandersheimバート・ガンデルスハイムに向かった。
写真はWappen_Bad_Gandersheimバート・ガンデルスハイムの紋章
下部の百合はStiftkircheガンデルスハイム修道院教会のシンボルをあらわす。
兜とその上の飾りは14世紀初めにこの町を支配したBraunschweig-Lueneburgブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵のものである。 -
国道を走っていると、修道院の表示が出て右折の道があったが、まずはナビの指示するガンデルスハイムの町に行ったが、後で思えばこちらの修道院を先に見ればよかったのだ。
結局、町を見終わった後で3km戻って、Kloster Brunshausenブルンズハウゼン僧院を見学したからだ。但し、バート・ガンデルスハイムにもガンデルスハイム修道院がある。
案内版の僧院をガンデルスハイム修道院と思い込んでいたが、実際はBrunshausenブルンズハウゼンという地区にある僧院で、Kloster Brunshausenブルンズハウゼン僧院という。
写真はBad_Gandersheimバート・ガンデルスハイム旧市街:中央に*ロスヴィータ(彼女については後述)の泉、左手に観光案内所
*バート・ガンデルスハイム :中世の女流詩人ロスヴィータ について
尚、番外編を次回掲載するのでご参照下さい。 -
<Bad Gandersheimバート・ガンデルスハイム>
10:40~11:35
https://www.bad-gandersheim.de/
木組みの家街道にあるバート・ガンデルスハイムはニーダーザクセン州ノルトハイム郡に属す10千人の町である。
町の約 10 km 東からハルツ山地が始まる。ハルツ山地は古くから神秘的な山として知られ、特に中世では魔女の住む山と云われてきた。そこから近いのだ。
この町は中世のドイツ初の女流詩人Roswitha von Gandersheimロスヴィータ・フォン・ガンデルスハイム(935年頃~973年以後)に因んで、
Roswithastadtロスヴィータシュタットとも称される。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:中央に木組みの古い建物がある。マルクト広場8番地(奥側)ブラッケンと9番地(手前)リケッシェスハウス、左にHotel Weisses Rossホテル白馬、Nr. 2番地の Haus Zur Ecke角の家がある。 -
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:左にマルクト広場8番地ブラッケンと9番地リケッシェスハウス、中央に修道院教会、右に郷土博物館と庁舎がある。
-
修道院教会傍に駐車場が直ぐ見つかり、手持ちの小銭で駐車時間(10:52~11:32駐車料Euro0.5)40分が確保できた。ここは小さな町だけに中心地の旧市街も小さいものだ。
マルクト広場に修道院教会、ラートハウスや郷土博物館、そして観光局があり、市民局の建物や噴水など皆ここにある。観光局の小母さんも親切で、いろいろと教えてくれた。
だから田舎の町は良い。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:左手に観光案内所、右に市民局 -
第二次大戦後、旧ドイツ領土などから追放された人々、特に旧シュレージエン地方(現在のポーランド南西部からチェコ北東部)からの引き揚げ者達がこの地に居住したと云う話もある。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:右にラートハウス庁舎や郷土博物館 -
②マルクト広場には歴史的な木組みの家:
初期中世時代、町の手工業の中心だったマルクト広場に目立つ右手の建物は Nr. 8番地のBrackenブラッケンと言い、1473年建築の市民の家である。
隣の Nr.9番地のRickesches Hausリケッシェスハウスは1552年築、マルクト広場の左にHotel Weisses Rossホテル白馬、Nr. 2番地の Haus Zur Ecke角の家が見られる。この事は先の写真で述べた。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:殆ど人通りが無い。 -
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:マルクト広場Nr.1番地(左)、Nr. 2番地の角の家(右)
-
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:こちらも殆ど人通りが無く、車が一台入っただけだった。
-
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:街中の通りSteinweg石通り 1番地で見かけた家
-
①Historisches Rathaus歴史的な庁舎:
1580年の町の大火災で焼失後、新たに建てられたのはヴェーザールネサンス様式(1583年)の庁舎とSt.Moritzkirche聖モーリッツ(聖モーリッツ(Mauritiusモーリシャス)はローマ皇帝ディオクレティアヌスが北アフリカで戦った時の異教徒・黒人の将軍モーリッツで後にキリスト教に改宗し、聖人に列せられたと云う)教会である。
モーリッツ教会の教会塔は監視塔に変り、教会も現在の郷土博物館になった。
横長の庁舎にはRatskellerラーツケラー、ehem. Ratswaageかつての町の計量所、Freitreppe階段、 町の紋章や町の創設者の紋章、カーニバル用マスクなどが見られる。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:歴史的な庁舎と郷土博物館 -
③Stiftkircheガンデルスハイム修道院教会:
12世紀、ロマネスク様式の修道院教会。
プロテスタント・ルーター派の教会である。
内部で目に付いたのは主聖壇(三王祭壇)と背後の一寸モダンな絵が描かれた3つの窓でした。
写真はバート・ガンデルスハイム旧市街:Stiftkircheガンデルスハイム修道院教会 -
内部で目に付いたのは主聖壇(三王祭壇)と背後の一寸モダンな絵が描かれた3つの窓でした。
写真はガンデルスハイム修道院教会:主聖壇 -
写真はガンデルスハイム修道院教会:背後の一寸モダンな絵が描かれた3つの窓
-
それにもうひとつ目にしたのは、Fuerstaebtissin Elisabeth Ernestine Antonie von Sachsen-Meiningenザクセン・マイニンゲン侯爵のエリザベート・エルネスティーネ・アントニー王女(1681年~1766年)の大理石の立派な石棺(1748年)である。彼女は後に出て来るブルンズハウゼン修道院での功績も多い。
写真はガンデルスハイム修道院教会:エリザベート・アントニー王女の立派な石棺 -
イチオシ
また、Marienkapelle 聖母マリア礼拝堂のWandgrabmal aus Holz木製大きな墓碑にはガンデルスハイムのAebtissin女子修道院長であったChristina von Herzogin zu Mecklenburg・Schwerinメクレンブルク・シュベリーン公爵家のクリスティーナ王女(1639年~1693年)と、
Maria Elisabeth von Herzogin zu Mecklenburg・Schwerinメクレンブルク・シュベリーン公爵家のマリア・エリザベート(1646年~1713年)王女の立派な墓碑がある。
二人ともガンデルスハイムの女子修道院長であり、同時に帝国公爵夫人でしたが、Adolf Friedrich Iアドルフ・フリードリヒ1世メクレンブルク・シュベリーン公爵の娘で、お互いが姉妹でした。
尚、修道院教会の先に女子修道院があったのだが、訪ねていない。
写真はガンデルスハイム修道院教会:メクレンブルク侯爵家出身姉妹の女子修道院長の墓碑 -
3km先のKloster Brunshausenブルンズハウゼン修道院まで戻った。
③Kloster Brunshausenブルンズハウゼン修道院:
11:45~13:00
D-37581 Bad Gandersheim 、Brunshausen7、https://www.klosterhof-brunshausen.de/
かつてのブルンズハウゼン修道院はバート・ガンデルスハイムの町の地区、ブランスハウゼンに、Liudolfingerリウドルフィング家の家祖ザクセン公Liudolfリウドルフによって、ベネディクト会修道院として852年に創設された。
(リウドルフィング家は中世ドイツにおいて国王や皇帝を務めたザクセン出身の諸侯の家系である。「オットー家」あるいは国王を世襲した家系として「ザクセン朝」と呼ばれる)
リウドルフィング家の治下で10世紀に隆盛を迎えた。
この頃、中世のドイツ初の女流詩人Roswitha von Gandersheimロスヴィータ・フォン・ガンデルスハイム(935年頃~973年以後)もガンデルスハイムに住んでいた。
彼女に因み、今日Roswithastadtロスヴィータシュタットと称するという事は先に書いた。その町から3kmの距離にこの修道院はある。
丘の下の駐車場から細道を上がると、Klosterhof僧院広場にでた。
目の前に教会があり、左手に行って、建物の2階から見学する。
写真はKloster Brunshausenブルンズハウゼン修道院:Klosterhof僧院広場 -
Nonnenkloster女子修道院、Moenchskloster修道院あるいはevangelischer Konventプロテスタント修道院として、時代時代の波乱に満ちた歴史を紡いできた後、ブランシュハウゼン修道院はドイツの負の歴史といえる*Konzentrationslager Bad Gandersheimバート・ガンデルスハイム強制収容所が置かれた。
*バート・ガンデルスハイム強制収容所については下記の番外編をご参照。
番外編:ドイツの負の歴史といえるバート・ガンデルスハイム強制収容所(外部収容所)
https://4travel.jp/travelogue/11574365
<ブルンズハウゼン修道院の今>
現在、ここの修道院教会と修道院の建物の一部にブルンズハウゼンの歴史とガンデルスハイム修道院の博物館が出来ている。
(開館:3月から10月は火~日の11時~17時)
ブルンズハウゼン修道院は1987年からバート・ガンデルスハイムの町有となり、1989年に「文化の中心地」に改装され、2007年5月以来、博物館は修道院の歴史において強い影響を与えた女性の伝記をベースに展示されている。
写真はブルンズハウゼン修道院:ザクセン・マイニンゲン侯爵のエリザベート・エルネスティーネ・アントニー王女・ガンデルスハイムの女子修道院長(帝国公爵夫人・・・先の大理石の石棺)の堂々たる肖像画 -
①Sommerschloss Brunshausenブルンズハウゼンの夏の宮殿(別荘)とバロック時代の収集品の展示:
ガンデルスハイム修道院教会で大理石の立派な石棺を見ましたが、石棺に埋葬されたFuerstaebtissin Elisabeth Ernestine Antonie von Sachsen-Meiningenザクセン・マイニンゲン侯爵のエリザベート・エルネスティーネ・アントニー王女・ガンデルスハイムの女子修道院長(帝国公爵夫人)の堂々たる肖像画をまず見ることになる。
それにエリザベート女子修道院長の後継者・同時に帝国公爵夫人となったTherese Natalie von Braunschweig-Wolfenbuettel-Bevernブランシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル・ベーヴェルン侯爵の王女テレーゼ・ナタリー(1728年~1778年)の肖像画でした。
写真はブルンズハウゼン修道院:エリザベート・アントニー王女の後継者ブランシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル・ベーヴェルン侯爵の王女テレーゼ・ナタリーの肖像画 -
エリザベートの豊富なコレクション、エジプトのピラミッド、イスファハン、ローマなどの印象的な壁画が宮殿の壁を埋めている。
更に隣の部屋にも人物画や貴重な書物、バロック時代の収集品の展示になっている。
写真はブルンズハウゼン修道院:印象的な壁画が宮殿の壁を埋めている -
写真はブルンズハウゼン修道院:印象的な壁画が宮殿の壁を埋めている
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②Klosterkirche修道院教会と"Starke Frauen - Feine Stiche「強い女性たちと見事な刺繍」"の展示:
中世初期からバロック時代までの貴重な織物・刺繍作品がすごい。
ここでは織物・刺繍作品を除けば、主に現物作品ではなく、デジタルでの表現が多かった。
表題のような修道院で働いていた女性たちの生活も紹介する展示などがある。
写真はブルンズハウゼン修道院・Klosterkirche修道院教会:展示 -
写真はDBP_1973_770_Roswitha_von_Gandersheim女流詩人Roswitha(あるいはHrotsvit) ロスヴィータ没後1000年記念切手
*Gedenkstaette Walhalla いわゆるヴァルハラ神殿は、「賞賛に値する著名なドイツ人」の殿堂(記念史跡)である。
ドイツ語を母語とするドイツ史上の有名人、すなわち政治家、支配者、科学者、芸術家などを祭った、バイエルン州レーゲンスブルクの東のドナウ川岸の丘にある新古典主義の建築物である。
1807年、バイエルン王国の皇太子だったルートヴィヒ1世が構想し、建築家レオ・フォン・クレンツェが1830年から1842年に建設した。
ヴァルハラ神殿はドイツの著名人について65枚の銘板と130体の胸像を収めており、2000年間のドイツの歴史を網羅している。
祭られている最古の人物は、紀元9年にトイトブルク森の戦いに勝利したゲルマンの英雄ヘルマン(アルミニウス)である。
記念銘板:
銘板は彫刻家が参考にできる肖像や外見についての記述がない人物(または出来事)について造られた。
時代的には紀元前17年生まれのヘルマン (Hermann der Cherusker) から1542年に亡くなった時計職人ピーター・ヘンラインまでである。
2003年、ナチス・ドイツに抵抗した多数のレジスタンスについての銘板が追加された。
銘のNo.33.にはロスヴィータ - 10世紀の修道女。ラテン語詩人、劇作家と掲示されていると云う。 -
写真はブルンズハウゼン修道院:デジタルでの表現展示
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写真はブルンズハウゼン修道院:デジタルでの表現の展示
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写真はブルンズハウゼン修道院:真ん中に4人の聖女に囲まれた*聖Bartholomaeusバルトロメウス(ラテン語、バーソロミューは英語)の姿が描かれ、左翼にAnna selbdritt アンナ・セルブリットと右翼に*聖Matthiasマティアスが描かれています。
*聖バルトロメウスは新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。
皮剥ぎの刑で殉教したといわれ、ミケランジェロの「最後の審判」にも剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれている(この皮の顔はミケランジェロの自画像になっている)(Wiki)
*アンナ・セルブリットについては以下の説明をご参考に。
ヴュルツブルクの「マインフランケン博物館」で展示されている「アンナ・セルブリット」像・・1495年作 セルブリットは“3つ”を意味する古い言葉で、アンナ(聖母マリアの母)、マリア、幼子キリストの3人を描く統一的な構成と題名になっています。
http://jiyuujinbanzai.web.fc2.com/germany/18wurtburg2.html
*聖マティアスは新約聖書の『使徒行伝』に登場するイエスの使徒の1人。伝承によればエルサレムでユダヤ人によって石うちの刑にあい、斬首されたとも伝えられるが、伝説の域を出ない。 -
写真はブルンズハウゼン修道院:中世初期からバロック時代までの貴重な織物・刺繍作品
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写真はブルンズハウゼン修道院:中世初期からバロック時代までの貴重な織物・刺繍作品
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写真はブルンズハウゼン修道院:中世初期からバロック時代までの貴重な織物・刺繍作品
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写真はブルンズハウゼン修道院:中世初期からバロック時代までの貴重な織物・刺繍作品
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写真はブルンズハウゼン修道院:女流詩人Roswitha ロスヴィータの行方不明になってしまった絵・・とあるが。
尚、かつての宮殿(旧修道院)広間に雰囲気の良い「Rosencafeバラのカフェ」が併設されている。
この日、結婚式や披露宴が行われていたため、レストランは貸し切りで、ここで食事をするチャンスは無かった。
・・・・・・・・・・・・・・ -
意外にバート・ガンデルスハイムとブルンズハウゼン修道院で2時間20分と時間をとってしまった。
次は21km先のEinbeckアインベックも初めての訪問だ。
<Einbeckアインベック>
13:30~14:30 駐車時間と料金は1時間Euro1。
アインベックはバート・ガンデルスハイムと同じく、ニーダーザクセン州南部のノルトハイム郡に属す30.8千人のかつてのハンザ都市だ。
南のゲッティンゲンに約 30 km、北のヒルデスハイムに約 35 kmと近い距離にある。東に約 20 km行くとハルツ山地となる。
写真はWappen von Einbeckアインベックの紋章
「赤地に鋸壁のある塔を2本持つ銀色の城。塔の間の鋸壁に台座の上で左(向かって右)を向いた金の獅子。開いた三つ葉型アーチの中に銀の波帯」
獅子はHaus Welfenヴェルフェン家、波帯はKrumme Wasser クルンメ・ヴァッサー川(全長5kmで、Ilmeイルメ川の支流)に由来し、塔と市城壁はアインベックの防塞都市の性格を表現している。 -
「Stadt der Brau-und Fachwerkkunstつまり、ビールと木組みの家建築芸術」という言い方をしているように、旧市街の景観は150棟以上の中世後期の木組み建築によって特徴付けられる。
また、数世紀にもおよぶビール醸造の伝統から「ビールの町」として知られていると云う。
写真はEinbeckアインベック1654年-Merianメリアン作 -
イチオシ
<アインベックの木組みの家並み>
旧市街の外周にあるNeustaedter Kirchplatz新市街の教会広場の駐車場に停めた。「ビールの町」と云われるだけに、この広場に面してEinbecker Brauhaus AGアインベッカー・ビール醸造会社があった。車の旅はビールを楽しむのは途中の町ではない。ホテルに着いてから楽しむしかないのだ。
アインベックの事はほとんど知らなかった。通過した事さえない。
だが、思っていた以上に旧市街には中世後期の木組み建築の街並みがほぼ完全に遺されていた。
1990年にアインベックを通るドイツ木組みの家街道が設立されたというのも当然だろう。
⑤Eickesche Hausアイケシェハウス(1612年~1614年):
マルクト通り13番地
駐車場からB3の通りを横切った、マルクト通りの右手の角にB3に面して、彫像などで豊かに装飾された、美しい色どりのヴェーザールネサンス様式の木組みの家が最初に目に入った。この木組みの家は町を代表する建築記念物になっている。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Eickesche Hausアイケシェハウス -
駐車した場所もアインベッカー・ビール醸造会社傍の駐車場でしたから、「ビールの町」を早速感じたものです。
ここでは一度も飲めなかったのは残念だが、140km北に離れたツェレの町で昨夜の夕食時にEinbecker Pilsアインベッカーピルツ・ビールを飲んだことを覚えている。さすがに「ビールの町」のブランドは強い。
この道は歩行者専用道路になる。
写真はEinbeckアインベックの旧市街Marktstrasseマルクト通りは木組み建築が並ぶ。右手の先にマルクト教会の塔が見える。マルクト通り30番地のスーパーのREWEの反対側(右手)に観光局がある。 -
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Marktstrasseマルクト通り30番地にはスーパーのREWEが。
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写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Marktstrasseマルクト通り(左)28,(右)26番地
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写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Marktstrasseマルクト通りの家(上の写真、26番地)にこんな絵柄が、1552年築と読める。
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これは期待以上のスタートと思いマルクト通りを行くと、前にMarktkirche St.Jakobマルクト教会聖ヤコブ(13世紀、65mの教会塔が目立つ)が見え、その前を右に曲がり、マルクト広場に出る。
マルクト広場は旧市街の中心になり、見るべきものが左右に固まって壮観である。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:マルクト通り -
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:マルクト通り
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写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Marktplatz 4マルクト広場4番地、1565年築の家
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イチオシ
③Brodhausブロートハウス(中央左の建物):マルクト広場Nr. 13番地
1552年、灰色の木枠の木組みの家はパン焼き業者の職業組合本部(ギルド)として建てられた。
ブロートハウスは当初、1333年にたれたれたものだが、 ブロートハウスと呼ばれるのは1444年からである。
旧市庁舎の向こう側にティル・オイレンシュピーゲルの泉(1941年)を挟んで、左にブロートハウス、右に赤い木枠Ratsapotheke庁舎薬局(1590年木組みの家、Nr. 15番地)とが並んで立っている。更に右端の17~19番地に庁舎薬局と Steinernem Haus石造りの家に挟まれた木組みの家(Haus.Gutbrodハウス・グートブロート、1542年築)がある。
ここは旧市街の中心だ。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:マルクト広場中央にTill-Eulenspiegel-Brunnenティル・オイレンシュピーゲルの泉、左にブロートハウス、右に赤い木枠の庁舎薬局がたつ。 -
④Till Eulenspiegel-Brunnenティル・オイレンシュピーゲルの泉(1941年):
13世紀頃に建立されたMarktkirche St. Jacobiマルクト教会聖ヤコブ(65mの教会塔)の前、旧市庁舎とブロートハウスの真ん中にイヌを連れ、立っているティル・オイレンシュピーゲルの泉はまだ第二次世界大戦中に建てられたものだ。
泉の記念碑とも呼んでいるようだが、何故記念碑かというと、ティル・オイレンシュピーゲルは一時アインベックに住んでいたからだそうだ。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:マルクト教会聖ヤコブとティル・オイレンシュピーゲルの泉 -
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:ティル・オイレンシュピーゲルの泉の台座囲いに彫られたものがいくつかある・・・何か悪戯の場面なのだろうか。
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彼は14世紀の北ドイツに実在したとされる伝説の奇人。ドイツでは意外と人気のある伝説の人だ。
様々ないたずらで人々を翻弄し、最期は病死、もしくは処刑されたとか。
Herzogtum Sachsen-Lauenburg ザクセン・ラウエンブルク公国の町Moellnメルンにお墓も、銅像、博物館もあって、結構町の観光資源として大事にされているのを見たことがある。
また、Braunschweigブラウンシュヴァイク、Magdeburgマグデブルクのマルクト広場にも彼の像があるが、ここアインベックの中心で彼の像を見るとは思わなかった。
写真はティル・オイレンシュピーゲルの本の挿絵 -
イチオシ
旧市庁舎の向こう側に赤い木枠Ratsapotheke庁舎薬局(1590年木組みの家)と並んで立っているBrodhausブロートハウスは1552年、灰色の木枠の木組みの家はパン焼き業者の職業組合本部(ギルド)として建てられた。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:ブロートハウスからマルクト広場11番地の木組みの家(2つのErkerエーカー出窓)の前を過ぎ、Tiedexerstrasseタイデクサー通り(この辺りも木組みの家が多い)方面に向かう道。 -
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:左のマルクト広場17~19番地に木組みの家Haus.Gutbrodハウス・グートブロート(1542年築)、右に *Steinernem Haus石造りの家(マルクト広場23番地) がある。
*1540年の町の大火災でこの家は焼失し、その後、1911年以来通り抜けの路を設けた印象的な石造りの家になった。 -
イチオシ
①Alte Rathaus旧市庁舎:Marktplatz8マルクト広場8番地
1540年の壊滅的な大火の後、当時の建築様式によって新たに再興(1549年~1556年)された。
町のシンボルである傘のような3つの尖塔があるのが珍しい。中央に庁舎の入口に上る階段もある。
旧市街を外れた場所に、Neue Rathaus新庁舎があるそうだ。
写真で見ると、ここも木組みの家風建築だが、1868年にプロイセン軍の兵舎として建設され、1907年から百貨店として利用され、1996年からはアインベック市の行政センターとなっている。
②Ratswaage町の秤:
旧市庁舎の右手に1565年に作られた。何処の町にも必須のものだった。町の商人が公平に秤を利用して商いをした。
写真はEinbeckアインベックの傘のような3つの尖塔がある、独特な形状をした旧市庁舎 -
この日は結婚式もあり、階段下で人々が新郎新婦を迎えるため、左右に並んでいた。真ん中あたりで左右の子供が綱を引っ張り、その綱に洗濯ばさみで吊り下げた御祝用の赤ちゃんの衣服が見える。
もちろん盛装の姿もあるが、日本のようには着飾っていないし、ジーパン姿の方もいる。車椅子の娘さんも遠慮がちに端で待っていたが、良き日を皆と楽しんでいる様子が分かり、実に良いものだ。
写真はEinbeckアインベックの独特な形状をした市庁舎:丁度結婚式が・・・。 -
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Lange Bruecke長い橋通りにある当地のEinbecker Morgenpostアインベッカー・モルゲンポスト新聞社、Druck- und Verlagshaus Ruettgerodt印刷・出版社 リュッツゲロットも美しい木組みの家だ(Marktplatzマルクト広場12番地)。
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写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ: Lange Bruecke長い橋通りにあるホテル・レストランの建物。
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イチオシ
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Lange Bruecke長い橋通りにある美しい色どりのヴェーザールネサンス様式の木組みの家
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<(お茶):Der Baecker Thieleパン屋のティーレ>
14:00~14:20
Lange Bruecke 長い橋通り14番地にある。本社はゲッティンゲンで各地に支店が10店ほどあり、ここはアインベック支店だ。
10分でここから駐車場に戻るので、時間を気にしながら飲んだお茶でした。
写真はアインベックの旧市街のパン屋のティーレで: -
人気店らしく、ひっきりなしに地元の御客がやって来る。
写真はアインベックの旧市街のパン屋のティーレで: -
注文はたっぷりのココアEuro2.6X2=5.2、ベルリーナEuro1.6、クルミの砂糖がけパンEuro1.6、チップ込みで合計Euro9.0。
何処の町でもパン屋さんの品は美味しい。
写真はアインベックの旧市街のパン屋のティーレで:ココア、クルミの砂糖がけパン、ベルリーナ、 -
マルクト広場を中心にした一帯や、Marktkirche St. Jacobiマルクト教会聖ヤコブを西に行くTiedexer Strasseタイデクサー通りには16世紀中頃の保護文化財に指定されている木組み建築が密集している。
先日までいたツェレの旧市街は400もの木組みの家並みがあって良かったが、今日は天気も良かったこともあって、150棟以上のアインベックの木組みの家並みは更に良く、質では負けていない感じだった。
もう一日滞在して、他の通りも見て見たかったが。
まだまだドイツには知らない良い町があるということなのだろう。
写真はアインベックの旧市街は木組み建築が並ぶ:Marktkirche St. Jacobiマルクト教会聖ヤコブやマルクト広場に戻る。
・・・・・
あたふたと駐車場に戻って、アインベックを14:30に出発し、Bevernベーヴェルンの城に向かう。
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この旅行記へのコメント (4)
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- rinnmamaさん 2020/07/19 11:37:47
- アインベックへ行ってみたいです^^
- jijidarumaさん、おはようございます。
久しぶりに青空です。
孫達も夏休みが延びたのでプールもお預けなので良いのですが、青空が恋しいまいにちですね!
遅ればせながら楽しませて頂いておりますが、地球の歩き方の地図を辿りながら拝見させて頂いていても、地図に無い地名などありフムフム?となります。
以前、アインベックへ行かれた方の旅行記を拝見させて頂いて、ビール好きの私は訪問せねばとチェック済みです。
今回、jijidarumaさんの写真を拝見させて頂き、さらに行きたくなりました^^
素敵な雰囲気ですね!
運転されていると途中でビールが飲めないのは辛いですね~
この状況で何時、海外訪問出来るか分かりませんが、次はビール巡りにしようかな~
なんって(笑)
歩き回りますのでビールを飲んでも太らずに帰れるのが、私の海外旅行です。
素敵な街を楽しませて頂きました(celleの木組の家も見にいきたいです)
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2020/07/19 14:23:59
- Re: アインベックへ行ってみたいです^^
- rinnmamaさん、
今日は。コメントありがとうございます。
昨日の大雨、今日も雨が続くと云っていましたが、なんと快晴です。
でも酷い湿気で、庭に出ると蚊がどっと出現し、私の血は美味く、栄養価も高い所為で?一気にたかられました。
我が家の孫たちも6月末から通常に戻り、クラブ活動も始めたようです。ただ、どちらの娘も婿が在宅勤務をしているので、食事の世話で大変だとか!
ドイツは地ビールが訪ねる町々で楽しめるのが楽しいですね。
もっともアインベックは木組みの家並み拝見が第一の目玉でしたので、ビールは遠慮しました(ツェレの町でアインベックの地ビールを飲んだ)。
ほんとは此処に泊まって地ビールを楽しむ行程もありなのでしょうね。
レンタカーの旅はこの点が面倒。もっとも昔は平気でビール一本程度は飲んで走っていました。
近年はドイツも飲酒に厳しいと知人に聞いて、昼間は飲まないのです。
「2018年5月にバイエルン州フランケン地方・ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方などを巡りました。
Aufsessアウフゼスという村があります。その中心のSchloss Unteraufsessウンターアウフゼス城から下を見たら、ビール工場が見えた。
世界で最も醸造所密度の高い市町村はギネスブックによれば、アウフゼスである。この村には約1,500人の村民に対して、4つのビール醸造所があると云うからビックリだ!!」(ビール好きなら、飲み比べするのでしょうが・・・)
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
-
- M-koku1さん 2020/05/24 20:14:43
- ドイツ木組の家街道
- jijidarumaさん
初耳の街道でしたが 有名みたいですね
*ドイツ木組みの家街道は、エルベ河畔のシュターデからボーデン湖畔のメーアスブルクに至る、全長約3000キロメートルのルートです。中世の雰囲気やロマンチックなオーラに包まれた100余りの都市と町で、美しいフォルムの中に様々なスタイルを内包する、木組み建築 (木骨造とも) を目にできます。木組みの家を “真珠のネックレス” さながらに連ねた、質においても量においても、世界的に類を見ないルートです。
ドイツ観光局からのコピーです。
いつもFacebookでドイツ観光局からのメルマガを受け取っているのですが
この街道の存在には 気づいていませんでした。
アインスベックの街並み 素晴らしいですね。
第二次世界大戦で 破壊されずに残ったということですか?
ドイツは焼け野原になったんだと思っていましたが、 違うんですね。
それから モーリシャスとモリッツが同じ名前だったとは・・・
スイスの白人社会の雄みたいな サンモリッツですが
黒人の将軍の名前を冠しているなんて 面白いですね!
明日 自粛解除という話が出てきています。
これからの過ごし方が 今まで以上に気をつけなければならないんでしょう。
jijidarumaさんも どうぞお気を付けて!
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2020/05/25 01:35:55
- Re: ドイツ木組の家街道
- M-koku1さん、
今晩は。いつもコメントをありがとうございます。
またまた、頭を稼働させましたよ(笑)。
ドイツはなかなか商売上手?!で、ドイツには良くできた観光街道、つまりFerienstrasseフェーリエンシュトラッセ(休暇街道)が多く、それらは歴史のある町々、素晴らしい景観に恵まれた地方などを結んだものです。
ドイツ観光局や自治体が設定したもので、ワイン街道なども含めドイツ国内には総数150ルート以上の大小様々な街道があるそうです。
ドイツ木組みの家街道もその一つで、ロマンチック街道、メルヘン街道、古城街道、ゲーテ街道などと共にメジャーな街道でしょう。これらの街道はドイツ木組みの家街道とも重なり合っていて、昔も今も車で楽しめるのですよ。
アインスベックの街並みもそうですが、こうした例は他にもありますね。
古城街道でも有数なVeste Coburgコーブルグ大要塞が知られるるコーブルグの町も全く攻撃されなかったそうです。
1840年、ザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルベルト殿下(英語読みではアルバート公)は英王室のヴィクトリア王女と結婚。王女は大英帝国に繁栄をもたらした、後のヴィクトリア女王です。女王との婚姻で結ばれたコーブルクの町はそれもあってか、第二次大戦中、この町への英軍の攻撃は全く無かったと云う。
バルト三国に行かれたことがありますか?聖モーリアスが予想以上に尊敬されていることが分かるものがあります。
【バルトの真珠】と呼ばれるLatviaラトヴィアの首都Rigaリガに、「ブラックヘッドのギルド」という建物があります。14世紀のドイツ騎士団時代、未婚のハンザ商人の組合(ギルド)に依って建てられたもので、二つのギルドハウスが並んで立つが、右が主である。第二次大戦で完全に壊れたが、リガ創設800年を記念して、2000年にオリジナル通りに再建された。オランダのルネサンスファザード(正面)や、大変魅力的で美しく飾られた壁面を持った建物である。
大時計の下には4つのハンザ都市の紋章、リガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンが浮き彫りになっているのが見える。その下にギリシャ神話の神々の像があり、入口の左右に聖母マリア像、「黒人であった聖モーリアス像」が立つ。
この聖モーリアスに因んで、ブラックヘッドのギルドと呼ばれたらしい。
(以上は2009年10月の旅の抜粋です)
XXX
ハイ!勿論、気をゆるめぬ生活を続けます。
ありがとうございました。
jijidaruma
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