2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
9月22日(日)⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果たしたのか?
9月23日(月)⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市街
9月23日(月)⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城ホテル ブロムベルク城に2泊。
9月24日(火)⑬実に壮麗なリッペ侯国のデトモルト宮殿を訪ねる。
9月24日(火)⑭画家たちが愛した美しい木組みの家並みと泊まりたかったシュヴァーレンベルク城
9月24日(火)⑮ブロムベルクには古城や伝説、美しい木組みの家並みがある。
9月25日(水)⑯英国王となったハノーファー王家ゆかりの町へ
9月25日(水)⑰ツェレに英国王ジョージ1世の王妃ドロテアが32年間幽閉された話が残る。
9月26日(木)⑱ツェレの旧市庁舎、市教会の侯爵家の霊廟、ボーマン博物館を見る。
9月26日(木)⑲ツェレの美しい木組み建築の家並みに満足満足!
9月27日(金)⑳女流詩人ロスヴィータ のガンデルスハイム、美しい木組みの家並みのアインベック。
9月27日(金)21ハン・ミュンデンは木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」に泊まる。
9月28日(土)22ハン・ミュンデンのお気に入りはヴェーザー記念碑
写真はハン・ミュンデン:ロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の大木とヴェーザーシュタイン(3河川の記念碑)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃
起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763 13 km Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 =>B83 13km Hofgeismarホーフガイスマル14:35~15:45=>B83 7km Grebensteinグレーベンシュタイン16:00~16:20=>B83・L3217 10 km Caldenカルデン16:35着。
写真はラインハルトの森の地図:この章の行程はハン・ミュンデン=>フェッカーハーゲン=>ラインハルトの森。 -
*起床6:00、少し早目の朝食(7:50~8:20)をとった。
昨日は殆ど時間も無くて見ていないハン・ミュンデンの市内見物を予定していたからだ。
写真はハン・ミュンデン:木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の梁の木が魅力的なレストランで朝食。 -
写真はハン・ミュンデン:木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の朝食レストラン・・・食べるもの飲むものはいつも同じ(笑)。
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大好きな蜂蜜、いつも買って帰りたいと思う蜂蜜入れ。
写真はハン・ミュンデン:木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の朝食レストランで。 -
木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の朝食レストランでは、有名な歌詞を見つけた。
*1800年頃、"Ich bin der Doktor Eisenbarthわたしが、ドクター・アイゼンバルト" という歌がドイツで流行した。
レストランの柱に歌詞(一部抜粋)の一部が見える。
1)
Ich bin der Doktor Eisenbarth,
widewidewitt, bum bum
Kurir die Leut nach meiner Art,
widewidewitt, bum bum
写真はハン・ミュンデン:木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の朝食レストラン
ご参照口コミ:
≪ハン・ミュンデン:"Ich bin der Doktor Eisenbarthわたしが、ドクター・アイゼンバルト"
https://4travel.jp/os_shisetsu_tips/13617538 -
イチオシ
<ハン・ミュンデンの市内見物>
8:45~10:35
まずは木組みの家ホテル アイゼンバルトを朝の光で撮る。
ついでにLangestrasseランゲ(長い)通りに面した私共の部屋も。
写真はハン・ミュンデン:木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の朝。 -
ランゲ(長い)通り・・・ヴェラ橋からホテル アイゼンバルトの前を一直線に行く通りがランゲ通りだ。
この通りはこの町の木組みの家並みの中心で左右に見栄えある家並みが続く。
写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通り・木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」 -
お世話になった木組みのホテル3階寝室・16号室、3階右に部屋の窓が見える。
写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通り・木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」 -
写真はハン・ミュンデン:中世の防塞都市の形状を保った町の姿。
町の中心を貫くランゲ(長い)通りは中央の赤線。ハン・ミュンデンの旧市街を巡るにはこのランゲ通りを中心に歩くのが一番だ。 by jijidarumaさんランゲ通り 散歩・街歩き
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写真はハン・ミュンデン:ホテル近くのランゲ通りを逆に行くと、その先にヴェラ橋が見えてくる。
-
イチオシ
それからヴェラ橋を渡る。
①Werrabrueckeヴェラ橋:
1250年、ヴェラ川を渡る橋で、ヴェラ橋を渡った先はB80の国道になる。
北ドイツで最も古い石橋で、1402年~1849年の間、通行税を税官吏が徴収していたというから、驚く。
石橋からの景観はとても良い。
この橋の左手下流に合流点があり、Werraヴェラ川はFuldaフルダ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。
写真はハン・ミュンデン:Werrabrueckeヴェラ橋の様子 -
写真はハン・ミュンデン:1584年、Franz Hogenbergフランツ・ホーゲンベルク(1535年~1590年、フラマン・ドイツの銅版画家)作。絵の中には川中の中州が幾つか見える。
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途中の≪Doktorwerderドクトルの中州≫に赤い衣装が目立って立つ鉄ヒゲ博士の像に朝の御挨拶だ。
急に日差しが照らしたドクトルとのツーショットが撮れた。
ハン・ミュンデンは17世紀の伝説的な、愉快な医師ドクター・アイゼンバルト(鉄ひげ博士)の亡くなった町としても世に知られている。
写真はハン・ミュンデン:ドクトルの中州にドクター・アイゼンバルト(鉄ひげ博士)の像が立っている。 -
写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通り・木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」
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②Langestrasseランゲ(長い)通り:
ヴェラ橋からホテル アイゼンバルトの前を一直線に行く通りがランゲ通りだ。この通りはこの町の木組みの家並みの中心で左右に見栄えある家並みが続く。
少し行くと旧市街の中心・マルクト広場で、ヴェーザールネサンス様式の市庁舎が現れ、聖ブラジウス教会も見えて来る。ヴェラ橋から直ぐ左に行けば昨夜車を駐車したWelfenschlossヴェルフェン城(博物館)に至る。ともかくも旧街を巡るにはこのランゲ通りを中心すると分かりやすい。
マルクト広場通りを右に行くとMuehlenstrasse水車小屋の通りに入り、その先は水車小屋橋、タンツの中州、ヴェーザーシュタインといった観光名所になる。
写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通りの木組みの家並み -
イチオシ
写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通り・木組みの家並み
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写真はハン・ミュンデン:ランゲ(長い)通り・木組みの家並み
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③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
Tillyschanzenweg 4
旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェと呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。
もう70代半ばにもなるとめんどくさいのだ。今日も遠くの写真を撮っただけだ。
三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。
最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの場所ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったが。
いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。
写真はハン・ミュンデン:ティリーシャンツェ(ティリー砦)・・・ここから町を望む展望は良いと云う。「ハン・ミュンデン攻城戦」を記念したティリー砦と呼ばれる展望塔が、旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にある。 by jijidarumaさんティリーシャンツェ 建造物
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④鉄ひげ博士の家:
Lange Str. 79
鉄ひげ博士の家は旧市街のメインストリートのランゲ通り79番地にある。
ランゲ通りは直線で300m程度の通りだが両側に美しい木組みの建物が並んでいる。建物は高いものは5~6階建てで梁に彫られた彫刻や出窓が美しい。
「鉄ひげ博士」Dr.アイゼンバルトの家は梁に大きな注射器を持った博士のカラーの木彫りがあるのですぐわかる。
この町を有名にしたのも「藪医者の代名詞」となっているDr.Eisenbart鉄ひげ博士だが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。
写真はハン・ミュンデン:Lange Str. ランゲ通り79番地にある鉄ひげ博士の家と博士像ハン・ミュンデン:"わたしが鉄ヒゲ博士(ドクター・アイゼンバルト)Ich bin der Doktor Eisenbarth" by jijidarumaさん鉄ひげ博士の家 (ドクター アイゼンバールト死去の家) 建造物
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イチオシ
ハン・ミュンデンは17世紀の伝説的な、愉快な医師ドクター・アイゼンバルト(鉄ひげ博士)はドイツでも知られている有名人だが、意外にこの町は「アイゼンバルトの町」と称していない。
木組みの家々の街並みであるランゲ通りを行くと、Dr.Eisenbartアイゼンバルト(鉄ひげ)博士という実在の医者の家や、其の名を付けた薬局もあり、大きな注射器を持った博士の看板が面白い。
像の下の文字にIn diesen Hause wirkte und starb Doktor Eisenbarth. アイゼンバルト(鉄ひげ)博士はこの家で働き、死んだ。そしてEr war anders als sein Ruf.とある。つまり彼はアイゼンバルト(鉄ひげ)博士として、世間に流布された評判とは違っていた・・・と追記されている。
写真はハン・ミュンデン:ランゲ通りの鉄ひげ博士の家の博士像とドイツ語文字 -
写真はハン・ミュンデン:左右に見栄えある木組みの家並みが続く
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写真はハン・ミュンデン:木組みの家・チーズ屋の看板・・・同色系で目立っていないのが残念。
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⑥Rotundeロートゥンデ(円形建物):
ロートゥンデ(英語はrotundaロタンダ)は円形の建物を指し、通常その上部はドームになっている。最初は様々な町で見たように、この塔は火薬塔だった建物と思っていたが、ミュンデンのものは要塞都市の市門だそうだ。
現在、この建物の中には両世界大戦での戦没者記念碑があり、南側にはナチス支配下での犠牲者の記念碑もある。
建造は1502年にErich I.エーリヒ1世 (1470年~1540年:ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公兼カレンベルク・ゲッティンゲン侯Herzog zu Braunschweig-Lueneburg und Fuerst von Calenberg-Goettingenが開始し、エーリヒ2世時代の1579年に完成した。
ここはちょっと丸い建物を柵越しにのぞいただけで、引き返した。
元に戻るのにランゲ通りの左手の通りを行く。
こちらはZiegelstrasseレンガ通りという。
写真はハン・ミュンデン:ロートゥンデ(円形建物) -
⑤Stadtbefestigung Muenden要塞都市ハン・ミュンデン:
要塞都市ハン・ミュンデンを示すのは中世に造られた城壁で、ミュンデン市を網羅した守備塔や城門が残っている。おそらく1200年頃から建設された市城壁(壁の厚さは 1.8 m、高さは 6 m 程であった)は都市やヴェルフェン城を敵の攻撃から良く守った事だろう。
26の塔、稜堡、市門のうち、今日まで12の塔などと、一部の市城壁が残った。
写真はハン・ミュンデン:旧市街の外周路 -
写真はハン・ミュンデン:左のZiegelstrasseレンガ通りに入る。
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マルクト広場の西側を行くZiegelレンガ通りはウェーザールネサンス様式と呼ばれるこの地方特有の美しい木組みの家が並ぶ一角がある。
特に1400年頃に建てられたゴシック様式木組みの家「Alte Windmuehleアルテ・ヴィントミューレ」(レンガ通り66番地)が目立つ。
ハン・ミュンデンは質と量に富んだ木組みの家並みが見られ、市城壁内のいわゆる旧市街の建物の79%が木組みの家と云われている。ルネサンスとバロック様式の建物の割合は特に高く、272の建物があるという。
写真はハン・ミュンデン:Ziegelstrasseレンガ通りの木組みの家 -
写真はハン・ミュンデン:Ziegelstrasseレンガ通り・・・もう倒れそうな家、木材で支えていた。
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写真はハン・ミュンデン:Ziegelstrasseレンガ通りの銀行など
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イチオシ
⑦St.Blasiuskirche聖ブラジウス教会とHaselnussハーゼルヌス拾い:
市庁舎の裏側に茶色の重厚な聖ブラジウス教会(三廊式、ゴシック様式のホール教会)が建っている。工期は13世紀末から16世紀末までかかった。
教会傍に大きなハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ:ドイツでも有名な「Nutella(ヌテラ)はイタリアのフェレロ社の創業」という、パンなどに塗って食べるチョコレートクリームにも使われている)の木が立っていて、その実を拾う奥さんがいた。
写真はハン・ミュンデン:ブラジウス教会傍でハーゼルヌス拾いの奥さんとハン・ミュンデン:聖ブラジウス教会とハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ)拾いの事 by jijidarumaさん聖ブラジウス教会 寺院・教会
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偶々足元に大きな実が落ちていたので、拾ってあげた。袋にたくさん入っていて、お菓子(料理)に利用すると言っていた。
写真はハン・ミュンデン:ハーゼルヌスの実 -
写真はハン・ミュンデン:ブラジウス教会傍でハーゼルヌスの木
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⑧マルクト広場の市庁舎と仕掛け時計:
広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾扉がある。
地下には昨夜夕食を取ったレストラン・ラーツブラウハウスがあり、鉄ひげ印の地ビールを飲んだから、少し鉄ヒゲ博士が身近になったようだ。
写真はハン・ミュンデン:Ratsbrauhausラーツブラウハウス(各町にあるラーツケラー:レストランのようなもの)の入口 -
写真はハン・ミュンデン:マルクト広場とヴェーザールネサンス様式の市庁舎入口
ハン・ミュンデン:旧市街の中心に立つ市庁舎は3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾がある。 by jijidarumaさん市庁舎 (ハン ミュンデン) 建造物
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写真はハン・ミュンデン:マルクト広場の朝市
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写真はハン・ミュンデン:マルクト広場の朝市
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広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。
写真はハン・ミュンデン:マルクト広場の朝市、市庁舎の反対側の建物。ハン・ミュンデン:朝市が出ていたマルクト広場は旧市街のランゲ通りとツィーゲル通りに挟まれた中間にある。 by jijidarumaさんマルクト広場 (ハン ミュンデン) 広場・公園
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マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾扉がある。
仕掛け時計は両側に鐘のある窓から人形が出て来る。
12時、15時、17時から仕掛け時計があり、「私はドクター・アイゼンバルト」のメロディーが流れると窓が開き、模擬の窓から大きな義歯用のハサミを持った博士、左側の窓から助手に抑えられた患者が出てきて博士の後に道化師がアクロバットの演技をする。
また、夏の土曜日13:30から市庁舎のホールで鉄ひげ博士の講義という野外劇が催される。
今日は仕掛け時計の演奏時間には町を出ていたから、見ないままだ。
写真はハン・ミュンデン:マルクト広場とヴェーザールネサンス様式の市庁舎 -
写真はハン・ミュンデン:マルクト広場とヴェーザールネサンス様式の市庁舎の右翼
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「Hochwasserホッホヴァッサー(洪水)」の標が市庁舎の建物横の壁に書いてある。
1643年、1682年、1841年のいずれも1月に発生したようだ。
他の場所でみたものはもっと多く、近年では1995年1月とあった。
写真はハン・ミュンデン:Hochwasserホッホヴァッサー(洪水)の標 -
マルクト広場から左のMuehlenstrasse水車小屋の通りを行くと、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
Tanzwederタンツの中州に向かう。
写真はハン・ミュンデン:市城壁の一部 -
その先は水車小屋の橋、タンツの中州、ヴェーザーシュタイン(記念碑)といった観光名所になる。
Muehlenbruecke水車小屋の橋の下はフルダ川が流れる。
橋の上から見ると結構水量がある。
写真はハン・ミュンデン:フルダ川とMuehlenbruecke水車小屋の橋 -
⑨Fuldaフルダ川:
フルダ川はヘッセン州・Rhoenレーン山地にあるWasserkuppeヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある。
ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。
写真はハン・ミュンデン:フルダ川 -
水車小屋の橋を渡り切ると、広大な駐車場もあるTanzwederタンツの中州に入る。
写真はハン・ミュンデン:タンツの中州 -
写真はハン・ミュンデン:タンツの中州から対岸を見ながら、中州の先端に向かう。
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Fuldaフルダ川はWerraヴェラ川(全長は298km)と合流し、Weserヴェーザー川(全長452 km)となって北海に至る。
写真はハン・ミュンデン:中央がタンツの中州であり、合流点Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)のある中州、左がヴェラ川、右がフルダ川、そして手前に合流されてヴェーザー川になった。 -
イチオシ
⑩Tanzwederタンツの中州にあるWesersteinヴェーザーシュタイン:
中州公園の先端にはヴェラ、フルダ、ヴェーザー・三つの川の合流点であるWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)がある。この日の最も訪れてたかったのはここだった。
先端の大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木は更に立派に育ち、大きな実も落ちていた。その木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。
写真はハン・ミュンデン:大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)がある。
ご参照:口コミ
≪ハン・ミュンデン:ヴェーザーの石碑には素敵な詩が刻まれている。≫
https://4travel.jp/os_shisetsu_tips/13612065ハン・ミュンデン:お気に入りのヴェーザーの石碑、この日最も訪れてたかったのはここだ。 by jijidarumaさんヴェーザーシュタイン 史跡・遺跡
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写真はハン・ミュンデン:Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)
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何やら、木や柱に「Heimat故郷」、平和などの言葉を付けては写真を撮っていた方に私共も撮って頂いた。ご親切な方でしたが、私共も日本に戻る日も近づいてきて、「Heimat故郷」の言葉が嬉しい。
それがこの写真(拡大)だ。
写真はハン・ミュンデン:Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑) -
写真はハン・ミュンデン:Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)傍の川岸、タンツの中州の先端になる・・・今も観光船が運航するらしい。
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写真はハン・ミュンデン:Weserstein mit Dampfer Kaiser Wilhelmヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)と、就航していた皇帝ヴィルヘルム号という蒸気船の絵(1914年)
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ハン・ミュンデンのフルダ川とヴェラ川が合流してヴェーザー川となる地点に、1899年7月末に以下の詩文を刻んだプレートをつけた石碑が建てられた。
Wo Werra sich und Fulda kuessen
Sie ihre Namen buessen muessen,
Und hier entsteht durch diesen Kuss
Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.
Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899
(ヴェラ川とフルダ川がキスをして
その償いにその名を捨てる
そしてそのキスから生まれた
ヴェーザー川がドイツを抜けて海へ向かう
ハン・ミュンデン、1899年7月31日)
写真はハン・ミュンデン:Weserstein mit Rosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木の下にあるヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑) -
写真はハン・ミュンデン:大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木
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さて、ハン・ミュンデンの旧市街をほぼ一巡した感じだ。
ヴェルフェン城前の駐車場に停めた車をピックアップし、ホテルに戻り家内とトランクを車に乗せて11:00に町を出た。
次の町は17 km先のVeckerhagenフェッカーハーゲンという小さな町だ。
写真はKarte_neu_Reinhardshagenラインハルツハーゲン(VeckerhagenフェッカーハーゲンとVaakeヴァーケの2地区合併後)付近の地図 -
写真はWappen_Reinhardshagenラインハルツハーゲンの紋章
ラインハルツハーゲンの紋章は基本色は白と緑である。紋章にはラインハルトの森で見られるような典型的な樹高の高い、樹齢何百年ものEiche樫(オーク)の老木が描かれている。紋章の樫には12枚の葉がある。このうち11枚は、この居住地域の原型となった古い集落を表現している。
先端の1枚が新しい自治体を象徴しており、その両側の樫の実つまりドングリがフェッカーハーゲンとヴァーケの2つの地区を示している。
樫の木が白い地面に根を張っているが、これは海抜 472.2 m に達するラインハルトの森の冬らしい山を表現したものだ。 -
<Reinhardshagenラインハルツハーゲン・Veckerhagenフェッカーハーゲン>
11:15~12:00
ラインハルツハーゲン(人口4.4千人)はハン・ミュンデンから北に約17 km にあたる。1971年、Vaakeヴァーケ(B80号線の南)とVeckerhagenフェッカーハーゲン(B80号線の北)の2つの村が合併して成立した。
町の名前はその西側に広がる「Reinhardswaldラインハルトの森」に由来する。ラインハルツハーゲンの地区フェッカーハーゲンという集落名は創設が13世紀末の開拓期であることを示している。
当時創設された大部分の集落の語尾に Hagenハーゲン が付いていたからだ。
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:集落の中心に噴水が、春には*オースターブルネン(復活祭の泉)として美しく着飾るのだろう。
参考:
*番外編:ドイツ・フランケン地方のオースターブルネン(復活祭の泉)は美しい。
https://4travel.jp/travelogue/11485339 -
フェッカーハーゲンの方が大きいようなので、こちらの共同役場の駐車場に車を入れて町内を巡った。
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:共同役場の建物 -
木組み建築の家:
両地区には様々な時代(主に17世紀)の数多くの木組み建築がある。その多くは装飾豊かで、軒に格言が書かれている。フェッカーハーゲンではEvangelische Filialkirche福音支部教会(Kirchplatz 1)の周りに木組み建築があり、住民の家、ホテル、珍しい旧式の車(番号があるからまだ動くようだ)、この町にしては立派過ぎるフェッカーハーゲン城(中には入れないが)もデンとした形であった。
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:Amtsstube「アムツシュトゥーベ(庁舎)」 -
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:福音支部教会(塔が見える)傍の木組み建築の家
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写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:福音支部教会傍の木組み建築の家
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写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:福音支部教会傍の木組みの家
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イチオシ
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:木組み建築の住民の家とホテル(中央)。
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Jagdschloss Veckerhagenフェッカーハーゲン城:
Burgstrasse 1 und 3
フェッカーハーゲン城はバロック様式の三翼式建築で、ヴェーザー川の堤防近くに位置している。この城は古い城砦(1430年頃に築城)の近くに、1689年、Landgraf Karl von Hessen-Kasselヘッセン・カッセル方伯カール(1654年~1730年)の命令によってJagdschloss狩りの城として建設された。
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:Schloss Veckerhagenフェッカーハーゲン城 -
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:フェッカーハーゲン城の俯瞰(左上)とヴェーザー川
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写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:珍しい旧式の車(番号があるからまだ動くようだ)。
参考:
もう一つのVaakeヴァーケ、かつての漁村のAm Weseruferヴェーザー川畔では、一部に北ドイツの影響が見られる木組み建築が、幅 30 m の川畔の遊歩道を縁取っている。この建築の列の中に13世紀建造のEvangelische Pfarrkircheプロテスタント教会もある。 -
フェッカーハーゲンにある共同役場の駐車場でちょっとお菓子を食べて休憩してから、駐車場の入口を左折し、ラインハルトの森に向かう道に乗り出した。
12時、左手の丘に向かう農道を走る。すぐに森の中に入ると、そこの道は広くはないがしっかり整備された道で、左右の深い森(原生林)、少し開けた草原を抜け、真っ直ぐ12 km先の『Dornroeschenいばら姫(眠れる森の美女)』の城(ザバブルク城)を目指した。
写真はラインハルツハーゲン:Reinhardswaldラインハルトの森の眺望 -
<Reinhardswald Naturparkラインハルトの森自然公園>
ラインハルトの森自然公園は広さ44,851ヘクタール、高さ 472.2 m までの中低山地で、ヘッセン州カッセル郡のWeserberglandヴェーザーベルクラントにある。自然公園になったのは2017年と最近の事だが、自然保護の領域は1,270ヘクタールの広さがある。
ラインハルトの森はドイツで最も広い森林地域の1つであり、それもあって最も人口の少ない地域の1つだ。ヘッセン州内では最大の緑濃い森林地域で、特にBuchenブナやEichen樫・オーク(樹齢700年を超える樫の木も見られる)が密集している。
ヘッセン州の北部、カッセルとバート・カールスハーフェンとの間、ハン・ミュンデンとホーフガイスマルとの間に位置している。また、この森は北と東はヴェーザー川に、南東と南はフルダ川に面しており、この2本の川がニーダーザクセン州との州境を形成する。
西はエッセ川(ディーメル川の支流、27.6km)、北西はDiemelディーメル川(ヴェーザー川の支流110.5km)が境界となっている。ラインハルトの森の北部を「Strasse der Weserrenaissanceヴェーザールネサンス街道」が、南部を「Deutsche Maerchenstrasseドイツ・メルヘン街道(『Dornroeschen-Routeいばら姫』ルート)」が通っている。
グリム童話をはじめとする数多くの物語や伝説の故郷であるラインハルトの森は特に『Dornroeschenいばら姫(眠れる森の美女)』の城(ザバブルク城)で知られている。
写真はラインハルツハーゲン・ラインハルトの森:森の中を行くと開けた道もあり、両側は原生林だ。 -
ラインハルトの森・原生林を代表する樹齢何百年のAlte_Eiche樫の古木やRotbuche赤ブナの古木を紹介しよう。樫とブナの木ともに大木である。
写真はラインハルツハーゲン・ラインハルトの森: im Urwald Sababurg、Rapp-Eicheザバブルクの原生林の中央に立っている樫の大木は≪ラップの樫≫と呼ばれている。
原生林にはたくさんの木々が見られるが、名前を冠した樫の木は数少ない部類の一つ。
この樫はHermann-Josef Rappヘルマン・ヨーゼフ・ラップに因んで名付けられた。彼はラインハルトの森にある林業局の元林業部門の副部長でした。
ラップは本の著者であり、ラインハルトの森で1,000回以上のガイド付きツアーを主導したそうだ。
≪ラップの樫≫は原生林内でも最もよく保存されている樫の木の一つで、この地の代表的なものとなっている。 -
写真はラインハルツハーゲン・ラインハルトの森: im Urwald Sababurg、 Drilligsbuche Bueschelbuche Rotbuche赤いブナの木はザバブルクの原生林にあり、その名も≪三つ子のブナの木≫と呼ばれている。
大木の幹の円周は8.83m(2005年計測)もあると云う。
・・・・・
そしてラインハルトの森の起源に関して数多くのSagen伝説・物語が創られた。ここではそのうち最も有名な2つを紹介する。
①Graf Reinhardラインハルト伯はSpieler und Trunkenbold賭博好きの大酒飲みであった。ある晩、彼はBischof von Paderbornパーダーボルン司教と賭博をした。そして有り金をすべて失った彼は領地を賭け、これも失った。
彼は司教に慈悲を乞い、次の収穫まで待ってもらうこととし、ここにEicheln樫・オークの種を播いた。
②ラインハルト伯は深い森に囲まれた村を治めていたが、恐喝と強盗を犯し死罪判決を受けた。彼の懇願により裁判所は死の前に農場を手入れし、収穫の歓びを味わうことを許した。
狡猾な伯は村と農場を破壊し、Eicheln樫・オークの種を播いた。オークが最初のEichelnドングリをつける頃、彼はとっくの昔に亡くなっていた。
こうしてラインハルトの森ができあがったのである。
・・・・・ -
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:Diemelディーメル渓谷の景観。
ディーメル川はRothaargebirgeロタールゲビルゲの水源から *Bad Karlshafen.
バート・カールスハーフェンでウェザー川に合流する。
全長凡そ110kmの流域は絵のように美しい風景を見せている。
*Bad Karlshafenバート・カールスハーフェン:
バート・カールスハーヘンはヘッセン州カッセル郡に属す。
かつて迫害されたフランスの新教徒ユグノーを受け入れるべく、1700年にヘッセン・カッセル大公国のカール大公が建設したものだ。
ヴェーザー山地の緑豊かな地に、新設されたバロック様式の町は“カール大公の河港”と言う意味から、カールスハーヘンと命名され、後に温泉も出てきたので、バートが加えられたそうだ。川から引き込んだ池=河港を囲んで、市庁舎や、税関、郵便局、銀行、ホテル、レストランなど、独特の白い壁の家々が並んでいる。
現在は“緑の中の白い町”と呼ばれ、保養地(人口3.7千人)として知られている。
・・・・・ -
写真はラインハルツハーゲン・フェッカーハーゲン:ラインハルトの森のオーバー・ヴェーザー渓谷の秋の景観
ザバブルク城は2019年ドイツの初秋の旅で訪問したい古城ホテル候補の一つだった。
9月28日の午前にハン・ミュンデンの町からヴェーザー川畔の道を遡り、フェッカーハーゲンの町でラインハルトの森に入った。
ラインハルトヴァルトの原生林も、狼が我が物顔にしていた当時とは様変わりで、道路がひかれ、陽の光も差し込んでいる。
あちこちに倒木が見られ、道端には製材業者が製材を集荷している様子もある。
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この旅行記へのコメント (6)
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- rinnmamaさん 2020/08/24 17:35:40
- ランゲ通りの木組みの家
- jijijidarumaさん、こんにちは
お変わりございませんか?
日中の暑さは衰え知らずですが、夜半になると風が以前より心地良くなって、ようやく夜半のクーラーを消して、外気で過ごせるようになりました。
夕暮れも早くなり7時ごろに散歩に出かけていたのですが、もう夕月が見え始めるようになりましたね。
素敵な街ですね!あと、私はティリーシャンツェの展望台には、喘ぎながらでも登ってしまうと思います(笑)
何時も書き込みをと思うのですが、詳しすぎて読み込むのに時間が掛かり、頭に入っていきません^^;
ただ、木組みの街並みが大好きなので、今回の旅行記の数々を何回も拝見させて頂いて、どこかの街へ訪問させて頂く予定です^^
最後の写真も素敵で紅葉を愛でたいです。
此処の森へは車でないと無理なのでしょうね~
鉄ひげ博士の事も知りませんでしたので、興味深く読ませて頂きました。
まだまだ、気温・コロナ共々お気をつけて下さい。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2020/08/24 18:29:50
- Re: ランゲ通りの木組みの家
- rinnmamaさん,
今日は、精神・体力ともハツラツ!元気です(笑)。
昨日は気持ちよい雨が降り、とても過ごし易かったですよ。
普段、2階のパソコンを使用するときはクーラーはできるだけ
使用せず、適宜日射病ににならない程度に汗をかいています。
処暑となって、武漢ウイルスは別にして、暑さも少し峠を越した
感じでしょうか。
ハン・ミュンデンは良い町でしょう!メルヘン街道、木組みの
家並み街道巡りもこの頃になると、木組み建築の家並みも見すぎて、
この日は興味もヴェーザーシュタイン(ヴェーザー記念碑)に。
ティリーシャンツェの展望台には絶対登られるでしょうね。
あそこからの町の俯瞰写真は良いものが撮れそうです。
さて、武漢ウイルス禍、酷暑の続きの時はお気楽にお立ち寄り
頂き、いいね!だけで十分ですよ。それだけでコミュニケート
できていますので。
こちらの孫たちは今日から通学です。宿題はあったのかな?
ではまた。
jijidaruma
-
- M-koku1さん 2020/06/08 23:30:25
- ラインハルトの森
- とてもきれいなエリアですね。
緑が豊かで 樫の木が沢山!
ここが 眠れる森の美女の舞台だったとは さもありなんって感じがしました。
一度是非 チャンスを見つけて 行ってみたいです。
これは 眠れる森の美女の舞台というよりも グリム童話のいばら姫の方ではないかと思ったのですが、まあヨーロッパの民話をまとめたグリム兄弟のこと、このラインハルトの森をイメージしていたのでしょうね。
ペロー版の眠れる森の美女の方は、ペローがフランス人だからでしょうが、ユッセ城を舞台としていると言われていますが、お城を覆ってしまった森自体のことを考えると、ラインハルトの森に軍配を上げたくなりました。シノンの森の方も美しかったのかもしれませんが、う~ん、お城の記憶しか残っていません。
ではまた
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2020/06/09 21:15:58
- Re: ラインハルトの森
- M-koku1さん 、
今晩は。いつもありがとうございます。
ラインハルトの森は森の民と呼ばれるドイツ人が大好きな樫の木とブナの木がたくさん茂る原生林の森です。イメージは狼と赤頭巾ちゃん、ヘンデルとグレーテル、そしていばら姫でしょうか。
ラインハルトの森はグリム童話に蒐集された伝説・民話の宝庫ですね。おっしゃるように様々な研究で、グリム兄弟に影響を与えた人、語り部たちの中にフランスの新教徒ユグノー(前述のバート・カールスハーフェンの町の歴史)の流れをくむ方が居られて、ペロー版の内容がグリム童話に入っているのは否定できないようです。古今東西の伝説・民話にはよくある事ですけど。
それはそれとして、物語や伝説の故郷であるラインハルトの森はいばら姫の城(ザバブルク城)にぴったりです。後の旅行記でご報告します。
あのフランス・ロワール渓谷のユッセ城は眠れる森の美女的な表現ににあった城と思いますよ。
ただ私が見た時のユッセ城は宮殿のようで、立派過ぎていました。
だから、ドイツとフランスの森の様子も違い、城の外観の雰囲気も異なるから、ドイツ的ないばら姫、フランス的(ディズニ―的な)には「眠れる森の美女の城」と言い方が、それぞれ当を得ているように思います。
シノンの森がシノン城址と近かったかは、もう忘れましたが、この城内で、ジャンヌ・ダルクとシャルル7世が初めて出会ったことを思い出しました。
以上蛇足ながら。
それではまた。
jijidaruma
- M-koku1さん からの返信 2020/06/09 23:47:36
- Re: ラインハルトの森
- シノン城はジャンヌ・ダルクゆかりの城でしたね!
シノンの森のそばにユッセ城がありましたが、当然シノン城もあるはずです。忘れていました。旅行記を書き始めてからは、記憶が整理されて、ちゃんと思い出すのですが、それ以前の旅の記憶は、散逸している場分が多く、もったいないなと思っています。
jijidarumaさんのすごいところは、昔の記録も今の記録もしっかりしている上に、博識でいらっしゃる点です。いまさら教養は身につかないのですが、jijidarumaさんの旅行記で、大いに勉強させていただきます!
今日は暑かったですねぇ。
明日も暑いとか。
どうぞお体お大切に!
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2020/06/10 00:57:35
- Re: ラインハルトの森
- M-koku1さん 、
再度のコメント、ありがとうございます。
いばら姫から始まり、シノンの森のそばにユッセ城、シノンの森から、シノン城址とジャンヌ・ダルクのことを連想し、シノンワインの赤の事も連想ゲームのように思い出しました(笑)。
千葉の田舎も都内同様に暑いです。この暑さにメゲズに千葉の小江戸・佐原(伊能忠敬の地)をブラブラしてきました。観光客もちらほら見るぐらいで閑散としたもの(土日はまた違うのでしょうけど)、小野川沿いの街巡りをして、名物の鰻を食べて帰りました。
そろそろ梅雨の声も、今年はどんな梅雨になる事やら・・・。
ありがとうございました。
jijidaruma
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