ねんきん老人さんへのコメント一覧(27ページ)全873件
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■『本物宗教』と『お賽銭』
■『本物宗教』
ねんきん老人さん、こんにちは。
ねんきん老人さんの疑念、私も激しく同意です。
>多くの寺社や遊園地などが駐車料金と入場料を別々に取るということに腹が立っていました。 その施設を利用するために駐車しているのに、施設利用料のほかに駐車料金を取るというのは二重取りだと思うからです。参拝料が無料で宝物館が有料というお寺は沢山ありますが、境内に入るだけでカネを取り、さらに宝物館でまたカネを取るとはアコギな商売です。
“本来の仏教の教え”を説く「ひろさちや」さんは解説します。
釈迦は入滅前、「如来(自身)の遺骸の供養は在家信者がするであろう。僧は葬儀に関与してはならない」と遺誡された。 現代日本の僧侶は、釈迦の精神を踏みにじり、人々に「人間らしい生き方」を教えようとせず、釈迦が禁じた葬式・法事や、寺を拝観・観光事業で商売の場とし、金稼ぎをしていると知ったら釈迦はきっと涙を流されるに違いありません。
特に現在の葬式仏教は何の役にも立ちません。祖先の供養をしないと…などと人々の恐怖心に便乗した「オドカシ宗教」や、この宗教を信じると病気が治りますよ、この教団に入信すると金持ちになれますよ、といったふうにご利益で誘導する「インチキ宗教」ばかりです。
仏教は死者を救済するものではなく、人間としての生き方、生きている人間を救済するのが本来の姿のはずです。
『ホンモノ宗教』は、病気にもかかわらず、人間が人間らしく明るく生きてゆく勇気を与えてくれるものです。 貧乏な人が貧乏を苦にせず、のんびり・ゆったりと生きてゆく勇気を与えてくれるのが『ホンモノ宗教』です。そんな、人間らしく、「のんびり・ゆったり・ほどほど」の生き方が、本来のお釈迦さまの教えです。
■『お賽銭』
>私は「ご利益」という考え方にどうしても馴染めないのです。
>なにより唾棄すべきは、寺社で聖職にある人たちがいかにも疑いのないような顔つきと口調でそのご利益を説いていることです。神社仏閣で何か願い事をするということはしません。神仏は敬するものであって「ねだり事」をする相手ではないと思っているからです。
私(ひろ)はあちこちの神社で神道の理論、「なぜ、お賽銭をあげればご利益が頂けるのか。その構造を教えてほしい」と質問すると、みんな逃げてしまいます。ひとりだけ、大阪の神主さんが答えてくれました。「あんさん、そんなこと言わはりますけど、そんなこと誰にもわかりまへんで」。そう、誰にもわからない。お賽銭をあげればご利益が頂ける、日本人はこれが宗教だと思っています。しかし、そんなの嘘ですよ。宗教でもなんでもない。 それはご利益信仰であって、宗教とは関係ありません。ご祈祷すれば、ご利益が頂けますよという、ブラックボックス型宗教は宗教ではない、なぜでしょうか。
例えば、もしも神さまが自動販売機だったらどうなりますか。 清涼飲料水の自動販売機は120円を入れれば缶コーヒーが出てきます。いや、120円を入れたら、自動販売機は缶コーヒーを出さざるを得ないのです。日本人が理解している「信ぜよ、されば救われん」の枠組みの中だと、「信じる」をインプットされると、神さまは救ってやるよりほかなくなるじゃないですか。「あいつ、救いたくない」と神さまが思っていても、自動販売機である神さまは、救うという選択肢しかありません。 逆に、「救いたい」と神さまが思っていても、その人がちっとも信心を起こさなければ救えません。 また、「正直の頭に神宿る」という、諺があります。正直にやっていれば神さまが宿ってくれるという意味ですが、すると正直だったら、もう神さまは宿らないとしょうがなくなるのですね。なんと、日本人は、神さまを自分の奴隷みたいにこき使っている。それが宗教だと思い込んでいる。これは困ります。
阿弥陀さまの働きかけによって、みんな信じられるように造られている。それを信じることができたとき、もう救われているのです。また、自分の努力によって、信じる信じないということがあるわけではない。仏さまが信じられるように造ってくださっている、そこを信じないとなりません。信じられない奴が地獄に堕ちる、自分勝手につくった地獄に堕ちていくのですね。「あの人は悪い人なんだ。あれは地獄行だ」なんて言ってる人が、心の中に地獄を持っているのです。みんな仏さまが救ってくださると理解する、それが仏教の救いです。
我々はしばしば、利益の対立の中で自分の利益ばかり願ってしまいます。 ちょっと考えてください。大学への合格を神仏に願いますが、私が合格すれば確実に誰か一人が落ちているのですよ。私が課長になり、部長になると、他の人はそのポストに就けません。だとすると、自分の利益を神仏に祈ることは、エゴイズムに他なりません。神仏は、そのようなエゴイズムの祈りを聞き届けてくださるでしょうか。神仏は、大学に不合格になった人、昇進できなかった人の悲しみを何とも思っておられないのでしょうか?
いや、実は問題は神仏の方にあるのではありません。祈る側に問題があります。すなわち、利益が対立する状況において、神仏に祈れば、神仏は祈った者の味方をしてくださると考える、その人の考え方が問題なのです。その考え方は、まるで神仏を応援団として雇うといった発想です。そうした発想を持つこと自体が、神仏を否定していることになります。私たちも神仏に祈るとき、ちょっと相手のことを考えるようにしたいですね。
こうしてみると、お釈迦様の精神が随分と歪められていることがよくわかります。
Woodstock
2023年01月30日15時28分返信する我が意を得たり!
woodstockさん、こんばんは。 重ねてのご教示、身に余りますが、かねてから独りよがりの筋論を弄していた私にとってはまさに「我が意を得たり」「勇気百倍」の思いです。ありがとうございました。
私は、世界三大宗教とか言われているものの中で、キリスト教やイスラム教は「生き方」を教えているのに、なぜ仏教は死後の安楽ばかり言うのだろうと思っていました。 いや、正確には「仏教は」ではなく、「仏教徒は」と言うべきかも知れません。
私も子供のころから親を含めて大人たちが「地獄に落ちるよ」とか「閻魔様に・・」とか、なにかというと死後の安楽が失われることを「脅し」に使っているような物言いをするのを聞いていました。
でも長ずるにつれて仏教の教えを少しばかり齧るようになってみると、どうも違うのではないかと思うようになったのです。 齧るといっても、「少しばかり」という言い方も恥ずかしいほど浅く薄っぺらなものではあったのですが、どうもお坊さんたちの言うこととお釈迦様の仰ったことには違いがあるような気がしてきたのです。
私の職場の同僚に坊主と兼職の男がいましたが、酒(というより接待)が好きで、よく一緒にスナックなどに飲みに行っていました。 それはいいのですが、飲むほどに「最近は葬儀が小さくなってお布施が減った」とこぼすのです。 私の姉は死んだ夫の戒名に院号をつけてもらいたいと住職にお願いしたところ、「檀家がうるさいので相応の戒名料をいただかないと」と言われたそうです。 まさに「葬式仏教」ですね。
大学に自分が合格すれは、それによって他の誰かが1人落ちる、というお話。 自分が出世すれば、それによって誰かがそのポストにつけなくなる、というお話。 そのとおりですね。 熟通いで時間がない子どもに代わって親が神社で絵馬を書きまくるような有様を見ますが、そういう親子に「自分自身が他者を蹴落とすという罪を自覚した上で戦いなさい。神仏にその罪をなすりつけないで」と言ってやりたくなりました。
我々のような在家の衆生は分かっていても罪を犯さなければ生きていけない。その罪を分かっていれば「ご利益」などという虫のいいことを願うべきではない。 そう思いました。
今まさに、我が意を得たりの思いです。 woodstock さんにひろさんの平易な例えをご紹介いただいて、これまでもやもやと抱いていた思いがかなりクリヤーに整理できたような気がします。 お手間をかけていただき、本当にありがとうございました
医療過誤手術というお話。 具体的には存じ上げませんが、ご苦労もおありと存じます。 フォートラは時間を争うものではありませんので、旅行記にせよ書き込みのやりとりにせよ、調子の良いときに気の向くままにパソコンに向かえばいいのですから、どうぞゆっくりと、息の長いお付き合いをいただけたらと思っております。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人2023年01月30日20時19分 返信する -
錦帯橋と関門トンネル!
ねんきん老人さん、こんにちは。
こちらの旅行記には一度お邪魔しているのですが、
再読させていただきました。
錦帯橋は コロナ禍に行ったので、
ライトアップされていませんでしたが、
コロナ前は、このようにライトアップされていたんですね。
なかなか情緒があって 素晴らしいなあと思いました。
また、みもすそ川公園や関門トンネルも、
最近行ったばかりだったので、興味深く 再読させていただきました。
あのトンネルは おっしゃる通り、排気ガスもなければ
車の通行も無いので、注意することもなく
のんびり ウォーキングできるのが良いですね。
それに、案外短い時間で対岸に着いてしまうので、
達成感も味わえます。
檀の浦の合戦の陶板がある所というのは、
初めて知りました。
こちらも なかなか面白そうです。
最後の写真は 今は、過去の人になってしまいましたが、
下関の事務所も 閉めてしまったという報道に、
ほっと胸をなで下ろしました。
驕れる者は久しからず!
まさに 平家物語そのものだと感じました。
冒頭の坊屋三郎・・・
久しぶりに聞きました。
懐かしい!
yamayuri2001
人道トンネル、歩かれたのですね!
yamayuri2001 さん、こんばんは。 いつも丁寧な書き込み、ありがとうございます。 それに、拙稿を二度も読んでくださったとは! 二度読みに耐えられる文章ではないので、却って慌ててしまいました。
yamayuri2001 さんも錦帯橋にいらっしゃったのですね。 よくもまあと思うぐらい見事な橋で、デザインはもちろんのこと、木組みの精緻さにもただただ驚くばかりです。 木造ですから、何年かごとに架け替えなければいけないのでしょうが、ここはひとつ頑張って、耐久性や費用といった面からの近代化は考えないでほしいものです。
人道トンネルにも行かれたそうで、あの異空間の不思議さは行った人でないと分からないだろうと思っていただけに、こちらまで嬉しくなりました。
それでふと、yamayuri2001 さんはいったいどんな所に行かれているのかと思って、さっきフォートラの旅行記一覧を訪ねてみました。 改めて、yamayuri2001 さんの旅歴に驚いてしまいます。 これまでも私の行った所はだいたいyamayuri2001 さんが既に行かれている所だという感じは持っていましたが、これからも私がちまちまと旅行記を書いても、「そんな所、とっくに行ってるよ」と言われるに違いありません。
坊屋三郎さんをご存知でしたか! 私の好きな俳優さんでした。 クイントリックスのコマーシャルは秀逸でしたね。
有名人の名前を出しても知らないと言われることが多くなり、子供たちからも「古いねえ」と笑われていますので、坊屋三郎さんをご存知と伺っただけで嬉しくなります。
あれもこれも、ありがとうございました。
ねんきん老人2023年01月29日19時10分 返信する -
美術館巡りの旅
ねんきん老人さん
遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
いつもmistral の古い旅行記を発掘して下さりありがとうございます。
ねんきん老人さんの旅行記は、まずタイトルを拝見しただけで興味を
惹かれるものがたくさんおありですが、今回は我慢して
古いものを辿ろうと思い、この旅行記まで遡りました。
私の好きな南仏、(mistralはその一帯に吹きまくる季節風から取りました、
流石に風の勢いは衰えてきておりますが。)それも美術館巡りの旅ともあれば
興味津々でした。
伊藤先生とおっしゃる美術の先生との2人旅、何やら楽しそうでした。
ねんきん老人さんは美術には詳しくない、とのスタンスを貫かれておられますが
いやいや、どうして、世の中を見ておられる眼差しには、
いつも審美眼がおありになることを、私は感じております。
アルルのオベリスクは偽物なんですか!
エジプト関連の歴史にお詳しいという方がおっしゃるので、なんとなく納得。
台座部分がちょっとばかり奇妙なんですね。
パリのノートルダムの塔の上のキマイラたち、
あの火災の前に塔に上がり、対面を果たしてきたキマイラたちが塔に復帰した
あかつきには、再会したいとおもっています。
それにしても、たくさんの美術館を廻られたんですね。
その当時のお写真が残っておられることにまず驚きました。
変色しかかった写真を、一部分のカラーを残して、しかもポイントとして
強調されながら残されるには、どんなテクニックを駆使されたのやら、
色々な興味が湧き上がりました。
それと、いつもながら文章が秀逸で、読んでいても飽きさせません。
楽しませていただきました。
今年もたくさんの旅をされて、楽しい旅行記をお待ちしております。
mistralエセ美術研修で恥ずかしい限りです。
mistral さん、こんにちは。 そして明けましておめでとうございます。
だらだらと長いばかりの旅行記にお付き合いくださって、ありがとうございました。
私は、これはと思った方の旅行記は、読み落としては勿体ないと思って既読メモをしてありますので、mistral さんの古いものも読ませていただいていますが、自分のものとなると今さら人様に読んでいただけるとは思っていませんでした。
今回、mistral さんが書き込みをしてくださったことで逆に心配になり、読み返してみました。 いかに美術音痴とはいえ、もう少しまともな研修はできなかったのかと、今さらながら恥ずかしさだけが募ります。
でも、フランスといえばパリとその近郊の観光地しか行ったことがない私が南仏と呼ばれる地域を回れたのはとても良かったと思いますし、今となってみると、もしあの旅行がなかったら mistral さんが南仏を好きになられた理由も分からないままで終わっていたと思います。
私はもう外国旅行に行くお金がありませんので、このあとは思い出だけが頼りですが、mistral さんのおかげで久々に昔の旅行を思い出せたのは嬉しい限りです。
私が意中の方の古い旅行記を読ませていただいているのは、旅は終生の財産だと思うからです。 家や車、衣服など形あるものは年月とともに価値も下がり、形そのものもゼロになることが多いのですが、旅での見聞は火事でも地震でも消えませんし、生きていく上での知識という大きな力にもなってくれます。
明日出かける旅行でのホテル情報などは新しい方がいいでしょうが、私がフォートラの皆様の旅行記に期待しているのはそういうことではありませんので、mistral さんの古い旅行記もたいへん貴重で、力や勇気、刺激をいただいています。
車で1時間足らずの場所にお住まいのmistral さんが私の30年も前の経験に目をとめてくださったということにも不思議なご縁を感じています。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。 ( まあ、長くはないですが )
ねんきん老人
2023年01月29日16時51分 返信する -
■『南無阿弥陀仏』とは・・・
ねんきん老人さん、こんにちは。 はじめまして。
お気に入りの作家は全作読みたい性癖でして、年末から拝読を続けておりました。
軽妙な楽しい文章に目を細め、ウイットある皮肉や昭和の思い出話に頷き、奥さまへの思いの深さに鼻の奥がツンと熱くなりながら、老眼をこらして「ねんきん老人ワールド」を満喫させて頂いております。
私は「仏教原理主義」(本来の仏教の教え)に出会い、遊んでいる者です。
>“「なむあみだぶつ」も、漢字の南無阿弥陀仏6文字にむりやり合わせて6歩としたようですが、字余りの処理が間違っているように思います”、のくだりに目が留まりました。
浅草・最尊寺ご住職の次男「永六輔」氏と、大学・大学院で印度哲学・仏教を学び、大学での教鞭の傍ら500冊ほどの解説書を執筆 “本来の仏教の教え”を説く「ひろさちや」両氏の解説をまとめてみます。
お釈迦様本人は、その教えを何も書き残していませんでした。 お釈迦様が亡くなった後、お釈迦様を敬愛していた人々が集まってきた。 そして、お釈迦様はこんないいことをおっしゃっていたんだよねぇ、という話がいっぱい出てきたんです。 そして、そういう教えを編集することになりました。
集まったお話はパーリー語という古いインドの言葉でまとめられたんです。 その中にはとても単純明快、わかりやすいお話がいっぱいあります。 それがパーリー語で書いてあるんですが、インドには200以上の言語と1600以上の方言があります。
日本でいえば関西弁なり東北弁なりで書いてあると思ってください。東北弁で書いてあると、沖縄の人や北海道の人には意味の分からない言葉もある。でもそれでは勿体ない、もっと広く読んでもらいたい。ということでもっと広く伝わるサンスクリット語に書き直されました。 もともと聞き書きのものを、孫悟空を連れた三蔵法師が、西安の都からはるか山を超えてインドにやって来て、中国に持ち帰った。
サンスクリット語で書いてあるわけですから、サンスクリット語のわかる数少ない中国のお坊さんたちが集まりました。みんなで額をつき合わせて、これはきっとこういうことだろうなどと言いながら、今度はまた大変難しい漢字で書き直した。
そういうものが6世紀のなかば聖徳太子のときに、日本に渡ってくるわけです。 ところが、日本にもそんなもの読める人はなかなかいない。 あの時代は、みんな何回も何回も中国に行こうとしては失敗しました。それにエンジンがないから潮風と波だけで行って帰ってこなくちゃならないんです。成功する確率がどれだけ低いか。もう無謀です。 たとえ向うで勉強して漢文が全部読めるようになっても、帰りに台風に遭って死んだということもあるわけだから、日本では本当に少数の人しか漢文が読めなかったわけです。 その数少ない出家した人たちの権威は当然強くなります。希少価値があるから尊敬される。
その人たちが高野山とか比叡山などの山にこもって、いわばあれはインド哲学ですから、インド哲学を自分たちだけが知っている、自分たちだけが勉強しようという形になっちゃたんです。 奈良時代は国家と、平安時代は貴族たちと、鎌倉時代や室町時代は幕府と、結びついたんです。 これを小乗仏教と呼びます。これが日本の室町時代までの経緯です。
出家者だけが仏教教団という独占的に運営します。その結果、在家信者は無視されてしまったんです。
おかしいではないか!釈迦は、そんな出家者のためだけの仏教を説かれたのではない!そういうプロテスタント(異議申し立て)の声が在家信者を中心とするグループの間から出てきました。 釈迦の入滅後500年ほどしてからです。すなわち紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけての時代でした。それを大乗仏教と呼びます。 この大乗仏教運動を、インドのあちこちで、いろんなグループがそれぞれ独自に展開しました。
そのうち日本にあっても、「それ(小乗仏教)は違う、お釈迦様がおっしゃったことはそんなに難しくないはずだ、もっと簡単に我々に何か助けを与えてくださるに違いない。山にこもって学者になるのではなく、もっと人々のなかに入っていかなければいけない」という考えの人たちが出てくるんです。
法然さん、親鸞さん、蓮如さんです。浄土宗とか浄土真宗になるわけです。
彼らは「南無阿弥陀仏」とだけ唱えればいい、他のことはしなくていい、と言いました。
では「南無阿弥陀仏」とはどういう意味でしょうか。
「ナム」は、サンスクリット語、インドの古い言葉で、「お任せする」「従います」といった意味です。 これを、中国のお坊さんたちが、「南無」という漢字に当てはめたんです。
お釈迦さまが、「私の先生」と、人々に教えてくだされたのが、『阿弥陀仏』といわれる仏さまです。
阿弥陀仏がとても大事にしていた教えのひとつに、「誰かを救うことによって自分も救われる」というものがあります。そうすると「南無阿弥陀仏」という言葉は、「阿弥陀仏にお任せします(従います)」「誰かを救うことによって自分も救われるという考え方を私はします」という意味です。 「南無阿弥陀仏」と唱えるとはそういうことです。 そういうわけで、その考え方(大乗仏教)がわっと広まっていきました。
飢餓があり、戦争があり、本当に生きる望みがなくなっていくような辛い時代に、「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるのだ。そう言われれば、みんなが飛びついたのも道理でしょう。
長文、そして自分の考えを押し売りするような余計なことを申し上げました。
失礼の段、どうかご容赦ください。
Woodstock
2023年01月29日09時20分返信する目から鱗の思いです。
woodstock さん、初めまして。 ご懇切な書き込みをありがとうございました。
かねがね自分の浅学を恥じ、駄文を弄するばかりの旅行記を申し訳なく思ってきた身にとって望外のお言葉をいただき、恐縮しております。
私は仏教について何も知らないのですが、日本の多くの家庭がそうであったように、日常生活の中に仏教”的”な場面が沢山あったせいで、なんとなくキリスト教やイスラム教よりも親しみを感じておりました。
そして、漠然と日本は大乗仏教の国だと思っていたのですが、それは単なる受験用に暗記したレベルで、何故大乗なのかということも理解していませんし、北伝仏教は大乗仏教の国を経由してきたのだから当然日本は大乗だと、我ながら薄っぺらな捉え方をしておりました。 同時に、それにしてはお坊さんの言動の中に小乗仏教的な匂いを感じることが多く、疑問に思ってもいました。
今回、woodstock さんのご教示で、日本でも小乗仏教と大乗仏教のせめぎ合いがあったのだということを知り、目から鱗の落ちる思いをしました。
また「南無」という言葉についても「帰依する」という意味をどこまでの覚悟で使うのか、自信がありませんでした。
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」などというように多くの人が「南無」という言葉を使いますが、その人たちが本当に自分を「ゆだねる」という覚悟をして言っているのだろうかと疑いの気持ちもあります。 昔おばあさんたちが何かというと「ナンマイダ・ナンマイダ」と言っていましたが、そのおばあさんたちの中で「ナンマイダ」を漢字で書くと「南無阿弥陀仏」になると理解していた人はそう多くなかったのではないでしょうか。 それでも私が猜疑心をもちながら阿弥陀様に「南無」するつもりで「南無阿弥陀仏」と唱えるよりもよほど「自分をゆだねる」心情が強かったのではないかと思ってもいます。
話は変わりますが、若いころ、職場の先輩が人と言い争ったときに「そんな話は画餅に帰すだけだ」と言いました。 相手が「ガベイって何ですか?」と聞くと「ガベイはガベイだよ。そんなことも知らないんじゃこれ以上話しても無駄だな」と舌打ちをして話はとぎれました。
私は、相手の分からない言葉を使って優位に立とうというその姿勢に呆れ、「難しいことを平易に言う」ことの大切さを痛感しました。
今回、woodstock さんの書き込みを拝読して、そのときのことを思い出し、改めて言葉選びの大切さに思いを致しました。
ありがとうございました。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ねんきん老人2023年01月29日12時50分 返信する■『過去を追うな』
ねんきん老人さん、こんにちは。
早々の誠実さがあふれる返信、ありがとうございます。
ねんきん老人さんに出会い、私の思慮浅薄な内容のないつまらぬ旅行記は書き直そうかとも。
が、お釈迦様の言葉を思い出しました。「過去を追うな、未来を願うな、現在に生きよ」と、“この現在を大切にせよ”、と教えています。過去を引きずっての奴隷になる必要はないし、誰にもわからない未来の心配ばかりしている未来の奴隷になる必要もありません。私たちはいま現在をしっかり大事に生きるべき、と。 なので、過去にはこだわらず、未熟なまま残して糧とし、次回からの旅行記に精を出すことにしました。
かように、仏教を学んでいるおかげで、さまざまな生き方のヒントを得ることができたのは大きな収穫です。
仏教とは、現代でいう心理学であり、生きることを楽にする知慧・叡智だと私は考えています。 実践できるかどうかは別として、知ると知らないとでは、まったく違ってくる。
両親を見送ったり、彼岸へ旅立たれた同級生、伴侶を失った方・・・
60・70代というのは死と向き合う時期でもあるかもしれませんね。心と対話する時間なのでしょう。
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」、井上ひさしさんの言葉を座右の銘にした永さん、お釈迦様の精神を噛み砕き平易な言葉で語り続けたひろさんの言葉を私はそのまま伝えているだけですよ。
そうですか、私の周りにも、「画餅」が口癖の先輩がいました。囲炉裏端のキリタンポのように反っくり返って威張りくさり、詭弁を弄する上司や、電話口での説明で「裏返して言えば」を連発し、「いったい今は表なのか、裏なのか…」周囲も唖然とするような煙に巻く輩もおりました。
二度の医療過誤手術で身障の身となり、痛みも続いていることから書き込みに時間がかかり、タイムリーな返信はできないかもしれませんが、こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Woodstock
2023年01月30日12時03分 返信する -
ひどい(笑)
高山、白川郷は仕事でよく行っていました。
高山は屋台会館もいいですが、上三之町(古い街並み)散策や、飛騨牛コロッケ、みたらし団子、飛騨牛握り寿司などの食べ歩きが楽しいんですけどねー💦
白川郷も滞在1時間??💦
展望台や三つ子の合掌作りに行く時間もないんですねー涙?
1日目に平湯バスターミナルでトイレ休憩して高山に行って、また平湯に戻って宿泊…
翌日、再び高山を通過して白川郷…
行ったりきたりで時間かかるから仕方ないんですかね…(涙)まったくです!
ぷっぷさん、おはようございます。 小生の駄文にコメントをいただき、ありがとうございました。
たしかに高山、白川郷をよくご存知のぷっぷさんには信じられないような行程のバス旅行でした。 私も何回か行っていて、上三之町などを散策もしていますので、今回のスケジュールには驚いたというか、呆れました。
でも、誰からも不満が出なかったのは、参加者が高山や白川郷を知らないので、自分たちが多くの魅力的な場所を飛ばしていることに気づいていなかったのだと思います。
仰る通り、平湯への無駄な往復など、行程を組むバス会社の方にも未熟な点があったのだと思いますが、「高山に行ったど! 白川郷は良かったどー!」と喜んでいる参加者たちにしてみればケッコー毛だらけで、私自身も大いに飲みましたから、良い二日間だったことは確かです。
これを書きながら、たしか前にぷっぷさんの高山旅行記を拝読したよなぁ、と思ってフォートラをチェックしてみました。 ご両親様、ご主人のご両親様とご一緒の旅でしたね。
そのほかにもいろんな所にいらっしゃって、旅なれた方とお見受けしました。 どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
ねんきん老人2023年01月23日07時52分 返信する -
絶景にため息
ねんきん老人さん、こんにちは。
旅のお疲れが溜まっておられると書いておられましたが、体力は回復されましたか?
海へと続く鳥居。
私も写真で見て、行ってみたいと思っていましたが、
個人の所有物なのですか(@@!?
さらに、「元乃隅稲成神社」から「元乃隅神社」へ、外国人にも分かり易いよう短くしたとは、なんとも驚くことばかりです。
須佐ホルンフェルス断層や、柱状節理のてっぺん。
こんな地層を見られる場所があるとは知りませんでした。
ねんきん老人さんが書いていらっしゃる通り、
見ているだけでも時間の流れを忘れてしまう景色ですね。
ぜひ見に行ってみたいけれど、
コロナ感染が怖くて、まだ遠出する勇気がないため(^^;
実際に行けるとしたら数年後でしょうか。
とりあえず、今はねんきん老人さんの旅行記で、
行った気分を味わえました。ありがとうございます。
kiyo終わりのない苦しみはありません。 コロナも必ず終わります。
kiyo さん、こんばんは。 いつも小生の駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。
旅の疲れと思ったのは間違いで、実際は老人会などの付き合いに疲れていたようです。 その証拠に、今は旅行に出かけたくてうずうずしています。
自分に残された時間を考えると、コロナのリスクを考えている余裕もありませんし、行ってみたい場所の中からどこを優先すべきかを考えるだけで焦りにも似た気持ちになってきます。 まあ、どうあがいても行きたい所に全部行けるわけではないので、「どうせ人生は途中で終わる」と開き直ってはいますが、それにしても行きたい所が多いですね
kiyo さんも元乃隅神社に行きたいとのことですが、そういう気持ちがあるというのは良いことですね。 私のある知人は朝から晩までこたつに潜っていて、何を誘っても「いいや」「いいや」と言って、乗ってきません。 趣味もなく、私は自分がそうなりたくないといつも思っています。
kiyo さんが「まだ遠出する勇気がない」と仰るのは、ご自分に残された時間がたっぷりあるからで、そういう状況であくせく出かける必要はまったくないと思います。 心の充電をゆっくりなさって、本当に旅を楽しめる時がくるまで、バーチャルトリップで好奇心を維持されたらよいと思います。
猫も杓子も全国旅行支援とやらに飛びついて、「お得」などと浮かれて人混みの中に駆け込んでいるようですが、庶民の汗と涙から搾り取った税金を遊びのために使って「得をした」と騒いでいるのは、本当の旅行とは言えないと思います。
あとしばらく、コロナとの根気比べをしましょう。
コロナが退散したあとでの、kiyo さんの旅行記を楽しみにしています。(それまで生きなくちゃ!)
ねんきん老人
2023年01月18日19時46分 返信する -
何時もの如く詳しく説明されて・・
ねんきん老人さん・こんにちは(^^)
お邪魔して読みますと何時もの様にとても詳しく書かれていて・感心いたします。
nimameも出雲大社だけはツアーで行きましたが、
只出雲大社だけで何も知らないと疑問も湧かず・
皆さんの後にゾロゾロと着いて歩いた次第で!
ねんきん老人さんの読ませて頂き・そうなんだ!!
と感心している次第です!!
それと凄く気になっていたのが、べた踏み坂・
他の人の写真だけ見るとえぇぇ!!
本当にスキーのジャンプ台ですよね!
ねんきん老人さんの正面からの写真見て安心しました。
この角度からの見た事ないからどんな風になってるか!
気になって夜も寝られず(そんな事は嘘です(笑)
これで安心して今夜からグッスリ眠れます。
有難うございます。
nimameグッスリお休みください。
nimame さん、書き込みをありがとうございました。
出雲大社に行かれたことがあるのですね。 あそこは敷地も広いし、社殿も荘重だし、ゾロゾロと見て歩くだけで十分行く価値がありますね。 私は個人的な旅行以外でも修学旅行の引率で何回か行っていますが、生徒たちはただ友達とふざけながら歩いているだけです。 それでも何年も経ってから一番の思い出は出雲大社だと言っていますから、やはり独特の雰囲気があるのだと思います。
べた踏み坂は確かに写真とは違って緩やかな坂でした。 ただ長いので、望遠レンズで縮めると奥行がなくなって急勾配に見えるのですね。 安心してグッスリ眠れますか? 羨ましいことです。
なぜなら、私はたとえ安心していても夜中に必ずトイレに行きたくなる超高齢者ですから、生きている限り安眠はできません。 病院に行ったときに、夜中にトイレに行かなくて済む薬はないかと聞きましたら、あるけど、それを飲むと認知症になる率が高くなると言われました。 既にボケは重症ですが、改めて「認知症のリスク」などと言われると、夜中のトイレの方がマシだと思ってしまいます。
まあ、先の短い人生ですから、朝までぐっすり眠ってしまったら時間がもったいないと、自分を慰めています。
なんともシマラナイお返事になってしまいました。 ごめんなさい。 これからもよろしくお願いいたします。
ねんきん老人2023年01月14日16時16分 返信する -
旅行記を読んで頂きありがとうございました。
ねんきん老人さま、こんばんは。
明けましておめでとうございます。
お正月は、賑やかにお過ごしで良かったです。
萩と出雲が出て来て嬉しく読ませていただきました。が、私の知らない
ことばかりで、恥かしく思っています。
萩は、主人の弟が島根県の粕渕に住んでいたものですから、観光しましたが
行き当たりばったりの計画のない旅でした。
覚えているのは土塀の上から夏みかんが見えて、その風景が好きでよく
覚えています。
出雲大社は、立派ですね。主人の弟の結婚式はここで挙げたのですが
私は、6か月の子供がいたものですから、残念だったのですが欠席に
なりました。1度は、行ってみたいです。
どうぞ、たくさん旅されてください。
いつも、教えて頂くばかりです。ありがとうございました。
toraobasan
2023年01月08日22時16分返信するまだまだ旅行をしたいですね。
toraobasan さん、あけましておめでとうございます。 賑やかなお正月を迎えられたようで、めでたさも増しましたね。
萩と出雲の旅行記をご覧いただき、ありがとうございました。
toraobasan さんも萩、出雲にいらっしゃったのですね。
萩はおっしゃるとおり、土塀と夏みかんの組み合わせがいい雰囲気を出していますね。 山口県はガードレールの色を夏ミカンに合わせてオレンジ色にしているくらいですから、夏みかんの見える時期の旅行はいいですね。
ご主人の弟様が島根にお住まいだったのですか? 結婚式も出雲大社で? でしたら弟様は島根にお詳しいでしょうし、いつかtoraobasan さんも弟様とご一緒に島根旅行ができるといいですね。
私もどんどん年を取って、この先どれだけ旅行ができるか分かりませんが、行きたい所がまだまだ沢山ありますので、希望だけは持ち続けていようと思っています。
toraobasan さんもお体に気をつけて、無理のない範囲でお出かけになってください。
ねんきん老人2023年01月09日09時07分 返信する -
石切り場で愛を叫ぶ
金婚式をお一人で祝う旅、辛すぎて今まで避けていましたが、お正月の目出度さに押されて読ませていただきました。愛にあふれ充実した結婚生活でも、60代で逝かれると残された方には無念の思いが残るんですね。ぜひ石切り場で愛を叫んでほしかった。こだまのような残響音が天まで届いたような気がします。
さて先日は赤裸々な食の実態をご報告いただいたので、私も少しだけ。我が家のお正月支度は12月15日に始まります。そうです、その日は年金日。隣の市の激安スーパーへステーキ肉を買いに出かけます。前沢牛に代表される岩手のお肉はきめが細かくて脂の甘みもしっかり。年金日にはスーパーも心得ていて品ぞろえも豊富。軍艦マーチが流れる店内を、目当ての肉を求めて歩く私はハンター。クリスマスや年末だとグラム当たり300円から500円値上がりするので、この時を逃してはいけません。お正月用の切り花もクリスマス前がねらい目です。そんなに早いと枯れてしまうとお疑いのお気持ちごもっともだけど、切り花の寿命は意外に長くて、手入れさえ怠らなければ二か月は大丈夫。
こんなに節約に節約を重ねる理由は、年末に諭吉さんが団体で家出してしまうから。お年玉から外食代、「交通費の足しにしてね」なんて言いながら手渡す日本銀行券。お一人で祝う金婚式よりずっとせつない気分になりませんか。
ちいちゃん「交通費の足しに」・・・言ってみたいですねえ。
ちいちゃんさん、愉快な書き込みをありがとうございました。
年金頼りのしょぼくれジジイをお気遣いくださってのコメントと承知はしておりますが、それでもクリスマスから正月にかけてのスーパーのぼったくりに天を仰いでいる身にしてみると、思わず「あるある!」と叫びたいようなエピソードが満載で笑ってしまいました。 さすがは「星の下リゾート」のネーミングをご教示くださったちいちゃんさんの機知と、舌を巻いたところです。
実は正月に娘家族が遊びに来ました。 予告を受けたときに、はたと困ったのは、仏壇への供え物に正月らしい物が何もないことです。 これでは娘に叱られると思い、やむなくスーパーに行って最低限の伊達巻だの栗きんとんだのというものを買ってきたのですが、娘が持ってきた物の方がはるかに立派で、忸怩たる思いを禁じ得ませんでした。(焼いてない餅は事前に隠しておきました)
墓参りにも行きましたが、賽銭箱の前で私が孫に渡したお金はそれぞれ10円玉が1個ずつ。 前に息子から「せめて100円玉にしなよ」と言われたことはあったのですが・・・。
帰りに「交通費の足しに」と日本銀行券を渡したら、いいお爺ちゃんという評価を得られたのでしょうが、それもためらい、つくづく「幸せはカネで買える」と実感した正月でした。
金婚旅行記をお読みいただいて、石切り場で(愛を)叫んだらとおっしゃっていただきましたが、切り立った岩の上などで大声を出したら、それだけで目まいがして、足下の湖に真っ逆さまということになりかねませんし、「愛」などという言葉を使ったら、妻から「何それ?」と言われるのがオチですから、せいぜい小さな声で「婆さんや、50年経ったのう」と言うぐらいにしておいた方が無難なようです。
今晩、老人会の新年会があります。 女は嫁の悪口、男は自慢話。 それ以外に話題のない退屈な会ですが、今回は私も大ボラを吹きましょうか。
「アンタたちはなあ、俺が女房を亡くしたと思ってんだろうけど、とんでもねえ、おらあ、いつだって女房と一緒だっちゃ。 こないだもな、茨城の石切り山脈ってとこん行ってな、岩の上でよう、大声で愛を叫んできたっちゃ」
ねんきん老人2023年01月06日15時20分 返信する -
参考になりました
私は4月に初ニュージーランド行を計画しており、TONGARIRO ALPINE CROSSINGを実際に歩いた人の感想を知りたくて、ねんきん老人さんのページにたどり着きました。
トレッキングは興味がありますが、普段あまり山歩きをしているわけではないので、果たして私に歩けるのだろうかと不安が大きく・・。
夫はトレッキングよりも自転車での走行に興味があり、行くとしたら私は単独になってしまうため、ツアーに参加した方がいいのか、それともトレッキング自体やめるか現在考慮中なのです。
ご夫婦で歩かれたとのこと羨ましい限りです。
そして、奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
思わず引き込まれてしまう文章、そして役に立つ情報ありがとうございました。
是非チャレンジを!
gomumari さん、おはようございます。 書き込み、それにフォローも、ありがとうございました。
トンガリロ縦走をお考えとのこと、是非チャレンジしていただきたいと思います。
拙稿にも書きましたが、当時70歳の私でも最後はヘロヘロながら歩けました。 最後の無様さは歳のせいではなく、若いころに部活動で痛めた古傷が運悪くこのときに顔を出したものですから、そういう欠陥を持たない方なら問題ないと思います。 現にそのときは私よりはるかに高齢と思われるご夫婦が休み休みではありますが踏破しており、途中で何回か出会っては励まし合ったりしたものです。 そのほかにも一人で歩かれているご婦人もいて、下り坂では尻をついてズルズルと降りたりしていました。
総じて言うと、いろんな方がそれぞれマイペースで歩いていて、しかもニュージーランドの人たちは親切、フレンドリーで、初心者にも親しく声をかけてくれたりして、不安はありません。
また、日本の山のように木が茂っていませんので、見通しが良く、迷子や遭難の心配もありません。 コースには小さな三角板をつけた棒が細かく立っていて、道を見失うこともありません。 バスは乗客名簿を持っていますので、遅れても待ってくれます。(前日、ホテルで予約します)
唯一、私が懸念するのは、雨だったらどうするかということです。 私はホームセンターで使い捨てのビニール製レインコートを持って行きましたが、幸い使わずに済みました。 雨だったら、スタートからゴールまで雨宿りをする場所はありません。 (途中2箇所に小屋がありますが、おそらく他のトレッカーでいっぱいでしょう)
ホテルで前夜に適切なアドバイスを受けられるでしょうから、とにかくホテルまで行って、歩けないほどの雨だったら「もう一度来る口実ができた!」と自分を慰めるしかないと思います。
こればかりは何とも言えないのですが、それを心配してせっかくの機会を逃すのはもったいないと思いますので、私としては是非 gomumari さんにあの景色を楽しんでいただきたいと思っています。 その後の旅行記を今から楽しみにしております。
ねんきん老人
2023年01月06日11時01分 返信するRe: 参考になりました
とても丁寧な返信ありがとうございます!
私には難し過ぎるかなと半分あきらめモードだったのですが、なんだか急にやる気が出てきました。
送迎バスは前日にホテルで予約すればいいんですね。
それなら天気予報を確認した上で参加できるので、ちょっと安心。
山の天気は変わりやすいので、晴れの予報でも用心は必要だと思いますが。
出発までまだ時間があるので、またご相談させていただくかもしれません。
アドバイス本当にありがとうございました。2023年01月06日22時02分 返信する雨について
gomumari さん、書き忘れていたことがあります。
ご存知と思いますし、旅行記の中にも書きましたので、分かっているよと叱られそうですが。
私はニュージーランドには6~7回行っており、毎回10日から20日ほど過ごしていますから、ニュージーランドにはそこそこ慣れているつもりでいるのですが、最初のころは、ニュージーランドの人たちが雨でも傘をささないし、洗濯物も取り込まないので不思議に思っていました。
そのうち、ニュージーランドでは雨が降っても1時間も2時間も降り続けるということがまずないという気候の特徴に気づきました。 ニュージーランドの人からも「すぐ止むから」という言葉を何度も聞きました。
トンガリロ縦走のときも、たまたま私のときは一度も降らなかったのですが、周りを見ても雨具(レインコート)などを携行しているような感じはしませんでした。
gomumari さんが行かれるときも、同じだと思います。 持って行くのは薄い使い捨てのもので十分だと思いますし、小雨でしたらそれも使わないで済むでしょう。
ただしgomumari さんもおっしゃる通り、山の天気は変わりやすいので、何も持たずに行くのは濡れることに慣れていない日本人にとっては危険だと思います。
以上、余計なお世話ではありますが、念のためお伝えしておきます。
gomumari さんが良い思い出を作られるよう、お祈りしております。
ねんきん老人2023年01月07日12時17分 返信するRe: 参考になりました
ねんきん老人さま
雨の件で追加の情報ありがとうございました。
トンガリロアルパインクロッシングについて書かれたサイトや旅行記を色々見ていると、「悪天候でその日のシャトルバスサービスが運行されなくなり、翌日に延期した」などということも起こるようなので、その時の状況によるのでしょうね。
私の時はどうなるのか、ワクワクドキドキで行ってこようと思います。
それにしても、ニュージーランドにそんなに行ってらっしゃるとは羨ましい。
私は今回北島だけの予定なので、機会を改めて南島にも行ってみたいと思います。また旅行記じっくり読みに来ますね。2023年01月08日00時04分 返信する



