1989/08/04 - 1989/08/18
1位(同エリア452件中)
ねんきん老人さん
- ねんきん老人さんTOP
- 旅行記98冊
- クチコミ14件
- Q&A回答2件
- 390,021アクセス
- フォロワー241人
在職時代の同僚に伊藤さんという美術教師がいて、今でも親しくしてもらっています。
古い話ですが、あるときその人と『ヨーロッパの美術を巡るナントカ』というツアーに参加しました。14日間でオランダ・スペイン・フランスを回り、確か70万円ぐらいだったと思います。
いくら在職中だとはいえ、そんなお金があるわけはありません。それなのに行けたのは、神様と仏様が気まぐれで助けてくれたからですが、その辺の事情はちょっとばかり後ろめたくもあるので、ムニャムニャ・・・ということで。
さて、助けてくれた神様と仏様には申し訳ないのですが、私の美術オンチは長屋の熊さんも呆れるほどで、学生時代にバックパッキングでパリに行ったときに、興味がなくてルーブル美術館の前を素通りしたくらいなのです。
同行してくれた伊藤さんも、始めは笑いながら解説に努めてくれましたが、だんだん説明が雑になり、しまいには「人それぞれの感じ方でいいんじゃない?」などと突き放すようになってしまいました。
そして、神様と仏様も後悔したのでしょうか、この旅行でせっせと撮った写真が数年のうちにみるみる退色し、セピア色ならぬカビ色に変わってしまったのです。
でも、せっかく私が私なりに美術に目覚めた旅ですので、これ以上記憶まで退化しないうちに、当時の日記を頼りに記録しておこうと思います。
読んでいただくような内容でもないし、見ていただくよう写真でもありませんので、どうかここまでで終了ボタンをクリックしてくださるよう、本気でお願いいたします。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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【 ニースの海岸 】
オランダ、スペインでいくつかの美術館を見学したあと、イベリア航空でコート・ダ・ジュール空港へ。
ツアーですから、バスに乗ってニースのホテルに向かいます。
海岸通りに出て、ガイドさんが「ここが、かの有名なコート・ダ・ジュールです」と、なにか自分の庭を自慢するような口調で言いました。
ふーん、普通の海岸だな、と思ったとき、トップレスの女性が歩いているのが見えました。
「オー!」と私。
「おっと!」と添乗員さん。
「あらまあ!」と誰か。
これがニースだ!、と意味不明の納得をした私でした。 -
【 ビーチの小石 】
ホテルに着いた私と伊藤さんは、荷物を置くのももどかしく、すぐさまビーチに向かいました。 もちろんトップレスの美女が目当てです。
いました!
でも、じっと見るわけにはいかないし、むろんカメラは向けられないし。 辺りを見回すふりをしてチラッと見たところで目の保養にはならないし・・・。
それよりビーチが歩きづらいのです。見渡す限り一面の小石で、砂地はまったくありません。 石は波に揉まれて丸くなっていて、大きさはチャボの卵ぐらいでしょうか。 足の裏に当たって、立っているだけで痛いし、歩けばさらに痛いので、トップレスどころではありません。
それならば、せめて世界に知られたコート・ダ・ジュールの水に足くらい浸けてみようかとズボンを捲って数歩入ってみました。
なんとその地点で先は深く落ち込んでおり、数メートル先は背も立たないように見えます。
そのまま引き上げるのも癪なので、海水を舐めてみました。 ただの塩水で、私の住む千葉県(東京湾)の水と代わりません。 (当たり前か)
なーんだと思って向きを変えた瞬間、足元の小石が崩れました。 なにしろ崖のように急に落ち込んでいるので、何もしなくても崩れる方が自然なのです。 かろうじて体勢は保ったものの、せっかく捲ったズボンはビショ濡れになってしまいました。
やはり不純な気持ちで訪れる観光客を、コート・ダ・ジュールの海は歓迎しないものとみえます。
※ 写真はこの記事を書くために今日撮ったもので、コーヒー缶は単に石の大きさを示すために置いただけです。
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【 故障車 】
濡れたズボンを履き替えるためにホテルに戻る途中、故障車を押している美女が見えました。 厳密にいうと美女かどうかは分からないのですが、まあ、美女ということにしておきましょう。
他人の不幸は蜜の味と言いますが、それが外国ならなおさらのこと。 これがむくつけきオジサンだったらつまらないのですが。 -
【 こちらは事故車 】
おっと、ここにも。
これは明らかに事故で、お巡りさんが交通整理をしています。 なにしろこの道路、路上駐車で狭くなっていますから、なかなか車が進みません。
どうやら追突らしく、警察官が運転者の話を聞いているようです。 蜜の味もいよいよ濃くなってきました。
それにしても、日本の警察のようにテキパキとは動かず、ヘルメットをかぶったお巡りさん以外は、どうも気が入っていません。 -
【 レッカー車 】
JAFのアンチャンが来ました。 いや、フランスだからFASですかね? 渋い俳優みたいなアンチャンが事故車にワイヤーをかけています。
やっぱり、ヘルメットをかぶっていないお巡りさんはただ突っ立っているだけ。
今回のフランスは、トップレスの美女と軽度の交通事故で、私にとってはアドレナリンだかセロトニンだかがたっぷり分泌されるスタートとなりました。
外国で見る事故は面白い。
でも、この旅のテーマは「ヨーロッパの美術を巡る」だったような・・・。 -
【 シミエの教会、修道院 】
というわけで、翌日は真面目に美術研修。
まず、小高い丘の上にあるシミエの教会を訪ねます。 シミエという場所にあるからシミエの教会というらしいのですが、正式名称は別にあるのかも知れません。
なんでもフランシスコ会の歴史を描いたフレスコ画と豪華な祭壇が有名らしいのですが、撮影禁止で、私の頭の中にある印画紙は早々に退色してしまい、どんな絵だったのかまるで覚えていません。
覚えているのは、教会に併設されているという修道院に行く途中で見た夾竹桃の木です。
夾竹桃というのは、株立ちになって道路の邪魔になっているものはよく見ますが、そこの木は一本仕立てで、樹冠がきれいに刈り込まれていて、へー、こういう仕立て方だったらいいなと、妙に感心しました。 しかもその太さはちょっとした柱ほどもあって、これまた日本では見かけないものです。
伊藤さんは覚えていないそうで、やはり中のフレスコ画をじっくり見ていたのでしょう。 -
【 シャガール美術館 】
そこからバスでほんの数分だったでしょうか、シャガール美術館に行きます。
いかに私が美術オンチだといっても、シャガールの名前くらいは聞いていますし、画集ではありますが、絵も多く見ています。 もちろんシャガールの絵の雰囲気も承知している・・・つもりでした。
ところがこの美術館で、私は今まで見てきたものが、まるで本物の空気を伝えていないことに衝撃を受けました。
旧約聖書の創世記をテーマにした絵画17作が広い空間に飾り気なく展示されていて、聖書を熟読しているとはいえない私でも、「ああ、これはあの場面だ」と合点しながら時間をかけることができます。
写真は伊藤さんです。 この投稿は伊藤さんにことわってありませんので、一応顔にモザイクをかけました。そのせいで奇っ怪な顔になってしまいましたので、そのうち本人の機嫌の良いときに許可を得て、モザイクを外したいと思います。
先述のとおり写真が退色していますので、シャガールの絵が台無しになっていますが、ご勘弁ください。 -
【 ペタンク 】
バスで小一時間走ってサンポール村へ。
公園で親子らしい二人がペタンクをやっていました。 といって、私がペタンクを知っているわけではありません。
フランスでは公園や空き地でよく見かけますね。 前に一度やらせてもらいましたが、言葉が分からないので、ルールも知らぬまま見よう見まねで鉄球を投げたところ、狙った球に見事命中! ところが誰一人として関心を示さず、そのままゲームを続けました。 どうも「お呼びでない」空気を感じて退散しましたが、あとで聞いたら狙う玉はピンポン玉ぐらいの1球だけで、それ以外の球は、それを押しのける目的以外で当てても何の意味もないのだとか。 どーも、お邪魔しました。 -
【 サンポール村 】
サンポール村については何の前知識もなく、「サンポール」と聞いて頭に浮かんだのはトイレの洗剤でした。
行ってみると、細い石畳の坂道が入り組んだ、なかなか味わいのある所で、小さいながらも古い城塞都市だそうです。
小路の両側にはブティックやカフェ、土産物屋に混じって小さな工房などもあります。
泥で作った建物のミニチュアが名物らしく、どのショーウィンドーにも飾ってありますし、土産物屋では沢山売っています。 -
【 サンポール村 】
歩き始めてすぐにガイドさんとはぐれた私たちは、それをいいことに狭い路地を選んで探検気分でしたが、たちまち方角が分からなくなりました。
なにしろ空が見えないし、建物の隙間に入り込んでいるので、目印になる塔も山も全然見えないのです。 -
【 サンポール村 】
とにかく狭い方へ狭い方へ。 土産物屋の並ぶメインストリートは、日本の観光地の“売らんかな”という雰囲気とは違うものの、やはりなにか商業主義の匂いがしますので、本当の空気は居住区にあるだろうと勝手に思い込んでのことです。
そのせいで、ますます方角が分からなくなりましたが、ガイドさんから村の一番高い所に墓地があると聞いていたので、とりあえず坂を登ることだけ考えていればなんとかなるだろうという思いはありました。 -
【 墓地 】
ありました、墓地です。 外国で墓地を見ると、なにか特別な場所を見たような気がするのはなぜでしょう?
山頂にあるせいか、さして広くはなく、墓の数も多くはありませんが、その中にシャガールの墓もあります。 むき出しの石棺をただ置いただけの質素なもので、これがあのシャガールの墓か、と拍子抜けします。 あとでガイドさんに聞くと、シャガールはユダヤ教徒で、墓には花を供えず、お参りした人が石棺の上に小石を置く習わしだとか。
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【 城壁 】
サンポールは昔、要塞としての機能ももっていたそうで、今でも中世の城壁が残っています。
今見る私たちにとっては、城壁は心躍る観光対象ですが、当時の人々にとっては、そんなもので守らなければならない日常というのは、心安らぐことのない厳しいものだったのでしょうね。 -
【 城壁 】
サンポールはまた「鷹の巣村」と呼ばれていたとのことで、その名のとおり小高い丘の上にありますから、城壁からは周囲が一望できます。
私たちはその景色に喜んでいますが、これも当時の人々にとっては、攻めてくる敵を見張る緊張で楽しむどころではなかっただろうと思います。 -
【 ルノアールのアトリエ 】
村はずれのレストランで昼食をとったあと、ルノアールの家に行きました。
ルノアールが車椅子で製作をしていたというアトリエがそのまま残っていますが、壁に代表作の複製が飾ってあったりして、どこかわざとらしい作為が感じられます。 -
【 勝利のヴィーナス 】
アトリエを見ても「ふーん」としか感じなかった私は、ルノアール談義に盛り上がる他のメンバーと離れ、勝手に庭に出ました。
そこにルノアールの代表的彫刻『勝利のヴィーナス』があるのを見て、またしても不自然さを感じました。 美術にまったく知識がない私でも、さすがにその作品は知っています。 それが公共の場所ではなく、作者の私庭にあるというのはいかにも不自然で、これはレプリカだろうと思いましたが、考えてみれば彫刻はみなレプリカみたいなもので、この作品も世界中に十数体あるそうですから、レプリカをけしからんと考えるのはどうなのだろうとも思います。
ちょっと長くなりますが、次のエピソードを皆さんはどう思いますか?
もう30年以上前になると思いますが、私は美術通を自認するある人に訊きました。
「ロダンの名前を知らず、作品も見たことがないという人が、ある日何の前知識もなく『考える人』を見たら、感動するものだろうか?」
「勿論」
「では、その人が初めて見た『考える人』がレプリカだったらどうだ?』
「感動するわけがないでしょう」
「形も大きさも寸分違わないのに、なぜ?」
「本物じゃないからさ」
「その人は何の前知識もないんだ。本物かどうかという疑問すらない。 そもそも彫刻というのは作者のオリジナル作品を作者の承認のもとでコピーするものらしいじゃないか。 東京の国立西洋美術館にあるやつだって、世界中に20体以上あるって聞いたよ。 それらは職人がコピーするんだろ?」
「それは全部本物だよ。作者の承認を得ているんだから」
「だったら、その職人が作者に無断でコピーしたものだって、無断だと知らなければ見る者に同じ感動を与えるだろう」
「いや、そんなものを見たって感動しないよ」
「なぜ?」
「本物じゃないからさ」 -
【 ルノアール邸の庭 】
ブロンズ像を見ても「ああ、あれか」と思っただけで格別の感動もなかった私は、広い庭をぶらぶら歩き回りました。
そこには、3人や4人が手をつないだぐらいでは囲めないほどの大木が数知れず聳えていましたが、それらはなんとオリーブです。
オリーブは日本でもよく見ますし、ヨーロッパではありふれた木ですが、どれも細く低いものばかりで、ここのような大木は見たことがありません。
これにはあとから出てきた伊藤さんもいたく感じ入ったとみえ、近づいたり離れたり、さらには周りをぐるぐる回ったりしながら、添乗員さんが探しにくるまで眺めていました。 -
【 のみの市のガラクタ 】
翌日はアルルまでの移動です。
まずはアンティーブにあるピカソ美術館へ。 14世紀のナントカという城の一角をピカソがアトリエとして使い、それを美術館として残しているのだそうです。
画集などでよく目にするピカソの作品が並んでいましたが、私にはピカソの絵のどこが良いのか、さっぱり分かりません。 キュビズムとか言われても、なぜ前から見た顔と横から見た顔をまぜこぜに描くのか、そう描くことによって一方向から見て描いたものより良いことがあるのか、などなど、とにかくとんと分かりません。
伊藤さんに訊いてみましたが、ツアーも9日目となるともう、伊藤さんは何も分からない私の相手をすることにうんざりしていたとみえ、「空気だよ」となおさら分からないことを言うばかりで、教えてくれません。
見て回るうちに、ピカソの写実的な絵が並ぶところにきました。
「なんだ、ちゃんと描けるじゃねぇか」
伊藤さんは、呆れたような顔をするばかりで、返事もしません。
地中海を一望するテラスに出たとき、「ジャコメッティだ!」と伊藤さんが叫びました。
そんな言葉は聞いたこともないので、一回では聞き取れず、えっ?と訊き返した私に伊藤さんは「ジャコメッティ」と一言。
テラスに並んだへんちくりんな彫刻がジャコメッティという彫刻家の作品らしいのです。
ミイラがさらに干乾びたような体形の人物像を見て、私がまったく感動しなかったのは言うまでもありません。
ですが、なぜか私はこのジャコメッティという名前が記憶に残り、数年前に伊藤さんと平塚美術館に行ったときに、今度は私が「ジャコメッティだ!」と叫んだりしました。
と、まあせっかくのピカソ美術館をとくにどうということもなく見て回ったあと、アンティーブの街を少しだけ散策しました。 ちょうどノミの市が開かれており、真鍮の馬車が気に入ったので、長男への土産として買いました。 値段は忘れましたが、むろん二束三文のガラクラ市ですから、知れたものです。
ちなみに伊藤さんはこの旅行で、女性用のアクセサリーを買いました。 値段ははっきり覚えています。18万円でした。 27年前の18万円ですから、大変なものです。
アクセサリー? ええ、具体的には書かないでおきましょう。 もしかして奥さんではない女性へのお土産だったとしたら大変ですから。 -
【 アルルの円形闘技場 】
エクサン・プロバンスという町でセザンヌの家というのを見学したあと、アルルに向かいました。
セザンヌは描く対象を徹底的に観察し、リンゴなどは筆をとる前に腐ってしまったということですが、アトリエにはイーゼルのわきに腐ったリンゴが置いてありました。 ルノアールのアトリエ同様、わざとらしさだけを感じて退散です。
アルルではまず円形闘技場に行きました。 ローマのコロッセオより古いそうですが、驚いたことに今でも使われており、とくに闘牛が人気だそうです。 -
【 レビュブリック広場 】
アルルは城壁に囲まれた小さな町で、シーザーがポンペイウスと対立したときにはシーザー側についたとか。 そんな歴史を踏まえてか、私たちが泊まったホテルは「ホテル・ジュリアス・シーザー」という名でした。
荷物を置いて伊藤さんと街の散策に出ます。
レビュブリック広場というのがあり、真ん中になぜかオベリスクが建っています。 美術研修のツアーで伊藤さんに馬鹿にされっ放しの私ですが、一つだけ、古代エジプト文明についての勉強では負けない自信がありました。
その私は一瞥して、これはインチキだと思いました。 台座がとんでもない形をしていますし、塔本体も頭部が異様に細く、古代エジプトのものとは似ても似つきません。
帰ってから調べてみても、アルルのものは来歴も曖昧ですし、石材の種類や産地に異説があり、要するにある時代に単なる飾りとして作られたということのようでした。
後方の建物は「サントロフィーム教会」というそうですが、見学もしませんでした。
それより、この広場の一角で中国の天安門事件の写真展が行われており、そちらに気を奪われてしまったのです。 漢字で「六月四日、北京的虐殺」と書かれていたのが記憶にあります。
私たちの行ったのが1989年の夏、天安門事件はその2か月前でした。 -
【 アルルの跳ね橋 】
翌日は、午前中が市内観光でした。
観光といっても、一応美術巡りのツアーですから、ゴッホの足跡を訪ねるという趣向になっています。
ゴッホは30代の半ばに1年あまりこのアルルに住んでいたそうで、代表作の多くがここで描かれています。
その1枚が『アルルの跳ね橋』で、ツアーは当然この橋に行きます。 ラングロア橋というのがその名で、レンガ積みの橋の中央が跳ね上がるようになっています。 この絵は教科書にも載っていたもので、細部はともかく、大まかな形は頭にありました。
ですが、どうも違います。 どこがどうとは言えないものの、私が思っていた絵とは違うのです。 写真に撮って、家に帰ってから画集と比べてみると、やはり違います。
ゴッホの絵では、両岸から張り出したレンガ橋が中央で切れていて、そこに木製の跳ね橋がついています。
写真のものは狭い水路の両岸がコンクリートの平場になっていて、そこから直接跳ね橋が架かっています。
絵では草地になっている土手も、今はオリーブなどの低木で覆われています。
まあ、ゴッホが描いたのは百年前ですから、木造の橋は当然架け替えられているし、レンガの部分が崩れて、そこにコンクリートの土留めを兼ねた平場ができていたとしても、文句を言う筋合いではありません。
と無理に自分を納得させようと思っていたら、別の本にがっかりすることが書いてありました。 ゴッホの描いた橋は第二次世界大戦で破壊されてしまい、別の場所に復元されたというのです。 つまり、今観光客が見るものは、場所も橋も別物なのです。
だったら、なにもわざわざ見に行くこともないのではないでしょうか。
そうとは知らず、なんとなく絵のイメージとのずれを感じながらも、ゴッホが写生をした場所を見たつもりになっていた自分が滑稽に思えてなりません。 -
【 診療所中庭 】
次は、ゴッホが精神を病んで入院したという診療所の見学です。
診療所としてはこの旅行の3年ほど前に閉鎖されたそうで、見学したのは中庭だけです。 なんでもゴッホが『アルルの病院の中庭』という絵を描いたそうで、その絵と同じに整備されているということらしいのですが、そういう絵があることを知らない私にとっては、ごくありふれた庭にしか見えませんでした。
帰ってから画集で見ると、なるほどこんな感じだったなと思いましたが、ただそれだけのことで、特段の感動はありません。
どうも私は「美術を巡る」というようなツアーでは皆さんのお荷物になっただけで、申し訳ない限りです。 -
【 ドーデの祭り 】
昼過ぎ、バスでアルルを出発し、プロヴァンスに向かいます。
プロヴァンス地方はミストラルという強風が吹き、その風を利用する風車があちこちにあり、アルフォンヌ・ドーデの『風車小屋便り』もここで書かれたそうです。
と書くと、いかにも私がその『風車小屋便り』を愛読しているようですが、実は一度も読んだことがありません。 なんでもフランスの小説家ドーデがプロバンスに住んでいたとき、ここからパリの読者に宛てて手紙を書くという設定で出した短編集がそれらしいのですが、これもあとで知ったことです。
そのドーデの祭りというのが開かれていました。 丘の上の風車の下に民族衣装を着た男女が大勢集まっているので、見に行ってみます。
馬に乗った男たちは格好良かったのですが、どうも次々とおエライさんが挨拶に立ち、いつまでも続いているので飽きてしまいました。 -
【 妖艶な美女 】
それでなくてもフランス語が解らないのに、だらだらと続く挨拶を聞いていられるわけもなく、辺りを見回していると、妖艶な美女が目につきました。
女盛りという言葉を具現したような妖しい色香も漂い・・・。
となりにいるサングラスの男は亭主でしょうか。チクショー! -
【 母娘? 姉妹? 】
おっと! こちらには可愛い女の子が。
面倒を見ているのはお母さんでしょうか、それともお姉さんでしょうか。 西洋人の年齢は分かりにくいですね。
右側の2人は姉妹、左の女性はその若い母親だということにしましょう。
まあ、どうでもいいことですが、空気の読めないおエライさんの長い挨拶よりこちらの方がいいのは言うまでもありません。 -
【 妖精 】
あまりに可愛いので、別の角度からもう1枚。
ロリコンの変態オヤジだと思われるといけないので、人々の隙間から隠し撮りです。
この子も今ごろは並みいる男たちを手玉に取り・・・、おっと! やっぱり不純な目で見てしまいました。 -
【 ひまわり 】
アビニョンへの途中に、ひまわり畑が広がっていました。
ひまわりはゴッホが好んで描いた題材だということで、伊藤さんが写真を撮りたいと言い出し、添乗員さんに頼んでバスを停めてもらいました。 なにせ添乗員さんを含めても8人という団体ですから、その辺は融通が利きます。
ただし、観光バスがそういう場所で停まるのは禁じられているということで、もしパトカーが見えたら車外の客を残したまま出発すると脅かされました。
私はとくに興味があったわけではありませんが、バスの中で待っているのもつまらないので、伊藤さんに続きます。 パトカーが現れる前に戻らなければということで猛ダッシュで畑に入り、何枚かの写真を撮ってまたダッシュ。
ほかには下りる人がなく、息を切らせながらバスに戻った私たちは冷たい視線を浴びることに・・・。
私自身の感想も、日本のひまわりと同じじゃねぇか、というものでした。 -
【 アビニョンの教皇庁 】
アビニョンに着きました。 歴史的に重要な場所らしいのですが、どう重要なのか分かりません。 フランス王フィリップ4世がカトリック教会の権威を利用するために教皇をローマからアビニョンに移したというような説明がありましたが、それが歴史を動かすような出来事だったのか、どうもよく分かりません。
ともあれ栄えた時代があったようで、城壁に囲まれた歴史地区では繁栄の名残が随所に見られます。 -
【 ストリート・ミュージシャン 】
その教皇庁の前で、ペルーあたりから来たのでしょうか、5~6人の若者がアンデスの音楽を演奏していました。 ギターケースに小銭と何枚かの札が入っていましたが、誰かが入れたものか、自分たちで予め入れておいたものかは分かりません。
伊藤さんがカセットテープを買いました。
私はといえば、別のグループが売っていたデビルスティックを買いました。 初めて見たものだから欲しくなったのですが、あとになって、それがわざわざフランスから買って帰らなくても、日本で簡単に買えるものだと分かりました。 -
【 ストリート・ミュージシャン 】
こちらはまた、やる気があるのかないのか。
ハーモニカにマイクが結びつけられているのに笑ってしまいます。
観客に媚びない、投げやりな態度に心をくすぐられ、小銭を入れました。 -
【 メリーゴーランド 】
この日は何かの日で、人出も多く、広い道路にメリーゴーランドが出ていました。 何の日だったかは、すっかり忘れましたし、当時のメモを見ても書いてありません。 私自身がちゃんと聞いていなかったのだと思います。 -
【 サン・ベネゼ橋 】
この町の歴史については何の知識もなかった私ですが、アビニョンと聞けばやはり『アビニョンの橋の上で』という歌が浮かんできます。
アビニョンの橋の上で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋の上で 輪になって 組んで・・・
そこまでしか思い出せませんが、たぶん小学校で習ったと思います。
そのアビニョンの橋、実際はサン・ベネゼ橋というそうですが、川の中ほどまでしかない姿が有名で、写真では何度も見ています。
行ってみると、当たり前ですがなるほど写真と同じです。 石造りの重厚なアーチ橋ですが、それが川の中ほどでぷっつりと切れ、その先がありません。 架橋工事が途中でストップしてそのまま放置されたような按配です。
本当の理由は無論そうではなく、800年前の完成時には920mの堂々たる橋であったのが、ルイ8世の侵攻や洪水で度々破壊され、とうとうそのまま放棄されてしまったのだそうです。
それにしても、壊れて放置されている橋が、ちゃんとした現役の橋より人気があるというのですから、何が幸いするか分からないものですね。 -
【 アビニョン駅 】
夕方、アビニョン駅からフランス新幹線TGVに乗りました。
TGVは日本の新幹線と張り合う超高速列車だというふれこみでしたが、乗ってみるとシートは狭く、おまけにビニール張りで、少々みすぼらしいものでした。 日本の新幹線はシートが回転可能ですが、TGVはそれもできません。 犬を連れて乗っている人もいたりして、なんだか田舎の列車という感じでした。
窓外の景色を見ていても、新幹線のようなスピード感はなく、大きな走行音と揺ればかりが気になります。 -
【 リヨン駅 】
夜8時前、パリのリヨン駅に着きました。
正面に女性だか女神だかのレリーフがありますが、なぜ裸なのでしょう? ニースの海岸でトップレスの女性をじっくり見られなかった私としては気になるところですが、残念ながら彫刻では心が弾みません。
まだ昼間のような明るさですが、そのままホテルに直行します。 -
【 シャイヨー宮 】
翌日は終日自由行動ということでしたので、まずはエッフェル塔撮影の場所として知られるシャイヨー宮のテラスに行ってみました。
確かにエッフェル塔が正面に見えて良い場所なのですが、物売りが多く、観光客と見れば声をかけてくるので、落ち着いて景色など見てはいられません。
「フランス、オシャレ。コレ、オシャレ」
「カノジョ、ウレシイヨ」
誰が教えたのか、そこだけ日本語です。
売っているものはネックレスやブレスレットなどの装飾品が多く、むろんどれもガラクタ同然の粗悪品で、全然売れないのですが、それでも商売になるのでしょうか。 -
【 ミロのヴィーナス 】
ヨーロッパの美術を巡るナントカというツアーなのに、ルーブル美術館は行程に入っていません。
これは大変良いことで、以前ルーブルに団体で行ったときにはガイドについて次から次へと“名画”を渡り歩き、さながらラリーのようでしたから、今回のように「行きたければ行け」とばかり放り出されるというのは何よりです。
カメラを構えているのは伊藤さんです。 膝ぐらいの高さにアクリル板の囲いがついています。 前回はモールでした。その前に行ったときは何もなく、触ろうと思えば触れました。 ミロのヴィーナスが一番汚れているのは体のどの部分でしょうか、などというクイズがあったくらいです。
触りこそしませんでしたが、2歳になったばかりの息子を抱いた妻がヴィーナスの脇に立っている写真が今でもあります。
フランスに限らず、観光客の集まる所では年々こういう野暮な囲いが増えていますね。
まあ、そうしなければどこかの国の団体客が触ったり抱きついたりして、たちまち壊れてしまうでしょうから、仕方がないでしょうか。 -
【 メデュース号の筏 】
これこれ、これです!
前にツアーで来たときにこの絵を初めて見て、美術音痴の私が衝撃を受けた絵です。
ガイドの「はい、行きましょー」という号令で後ろ髪を引かれる思いでこの絵をあとにしましたが、帰ってからこの絵と作者のジェリコーについてはずいぶん勉強しました。
今回は伊藤さんに説明してもらいながら、たっぷりと時間をかけ、心ゆくまで堪能しました。
前述のとおり写真が劣化していますので、色が悪くて申し訳ありません。 -
【 書記像 】
さて、私が古代エジプト文明についてだけは多少勉強している、ということは既に述べました。
ルーブル美術館には古代エジプト美術部門があって、世界有数のコレクションを誇っていますから、私にとってそこは眷恋の場所なのですが、これまで行ったことがありませんでした。なにしろツアーばかりでしたし、ツアーでは『モナ・リザ』はじめ絵画を中心とする定番のコースができていますので。
今回は伊藤さんさえ承知してくれればどこを回ろうと自由ですから、当然私の我儘をきいてもらいます。
これは古代エジプト美術の中でも最も有名なものの一つ、『書記像』です。
これについて説明するととてもこの記事が終わりませんし、ペダンティックのそしりを受けることにもなりましょうから、やめておきます。
初めて現物を目にした私は、前後左右から何枚もの写真を撮り、帰ってから実物大の複製を作りました。その時はいい気になっていましたが、年を経るごとにその出来栄えの悪さが気になってきて、とうとう自分で壊しました。 -
【 ファラオ頭部のレプリカ 】
伊藤さんは辛抱づよく付き合ってくれましたが、私はまだまだ見たいので伊藤さんと別れ、長時間をここで過ごしたあと、ミュージアムショップに行ってファラオ像の頭部のレプリカを買いました。(右側の黒いもの)
強化樹脂で作られたもので、高さが37cm、重さが3.8kgあります。私にとっては清水の舞台から飛び降りるような決心が必要な値段でしたが、今も私のお宝になっています。
機内預けなどという粗末な扱いはできませんから、帰りは南回りの長時間フライトにも拘わらず、ずっと膝に抱いていました。
左側の茶色いものはその数年後に行って買ったもので、これも膝に抱いて帰りました。
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【 オランジュリー美術館 】
レプリカは緩衝材入りの大きな箱に入っていて、とても抱えたまま観光などはできませんから、いったんホテルに戻って、昼食を済ませてからオランジュリー美術館に向かいます。
伊藤さんとは館内で落ち合う約束になっています。
言わずと知れたモネの『睡蓮』展示場で、シンプルな上にもシンプルで広々とした構成です。
私は床にあぐらをかいていましたが、ほかには床に寝そべっている人もいて、皆さん絵を観るというよりは空間を楽しんでいるような按配でした。 -
【 本物! 】
オランジュリー美術館を出て、目と鼻の先にあるコンコルド広場に行きます。
お目当ては勿論これ、オベリスクです。
アルルでインチキ臭いオベリスクにシラケた私ですが、ここにあるものは正真正銘、古代エジプトのオベリスク、それもルクソール神殿の正面に対で建っていたものの1本ですから、掛け値なしの本物です。
でも、おかげで今ルクソール神殿は対の片方がない、なんとも情けない姿になっています。
移築は今から200年近く前のことですが、フランスが略奪したということではなく、交渉で譲ってもらったものだとか。 今では信じられない話ですが、当時のエジプトでは文化財に対する意識が低かったのか、あるいは巨額の金が動いたのか、いずれにしてもフランスがでかい顔をして首都の広場に飾っておくべきものでは本来ありません。 -
【 ノートルダム大聖堂のガーゴイル 】
セーヌ川沿いにぶらぶらと歩いてシテ島のノートルダム寺院にやって来ました。
ゴシック建築の代表のように言われますが、正面からの景観だけ見ればケルン大聖堂やミラノのドゥオーモのような「これぞゴシック」という感じではありません。
ゴシック建築らしさを感じるには、斜め後ろに回って外壁を支える飛梁や尖塔を眺めた方がいいと思います。
バラ窓やステンドグラスの美しさはつとに有名で、むろん写真を撮りましたが、何度もいうとおりそれらの写真は退色しており、折角の美しさを伝えられないので、ここには載せません。
写真はエッチラコッチラ登った北塔のガーゴイルです。ガーゴイルはなにもノートルダム大聖堂だけにあるわけではありませんが、ここのものは造形も出色で、パリ市街を睥睨するように並ぶ異形の像からは妖気さえ漂うようです。
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【 ミレーの家 】
さて美術研修も最終日。朝からルソーの家を見学・・・したと記録にあり、何枚かの写真もありますが、まったく覚えていません。
そのあとバルビゾンに向かい、ミレーの家を見学します。といっても、入ってすぐの所に売店があって、『落穂ひろい』の複製画や絵葉書を売っていたということ以外、まったく覚えていません。
そもそもミレーの絵そのものに、私はほとんど興味がないのです。学校でおそらく一番最初に教えられる絵であろう『落穂ひろい』をオルセー美術館で見ても、ただ「教科書で見た絵」というだけしか感じませんでした。
ちなみにルーブルの至宝と言われるダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を見たときも、「小せえな」としか思わなかったのです。 -
【 フォンテーヌブローの森 】
ことほど左様に美術鑑賞が似合わない私は、それよりもフォンテーヌブローの森が気に入りました。
かつては王族の狩猟場だったそうで、今はパリっ子たちが週末を楽しむ場になっているようです。
ツアーの皆さんはバルビゾン村のカフェか何かに入ったようですが、私は添乗員さんに断って森に入ります。
ほどよく手入れされた森には優しく木漏れ日が差し、知らずしらず深呼吸している自分に気がつきます。
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【 オルセー美術館外周の彫刻 】
ホテルに戻ったあとは、翌日の帰国準備があるからということで午後が自由行動になりました。
帰国準備といったところで何もありませんから、伊藤さんの希望でオルセー美術館に行きます。
美術館をぐるっと囲むように行列ができており、ともあれ最後尾につきます。
ゆっくりゆっくり前進する間、いろいろな動物の巨像が目を楽しませてくれます。
象の下にゴリラ。どういう意味があるのでしょうか? -
【 オルセー美術館外周の彫刻 】
今度はサイです。
こういう作品は大きくて迫力があって、行列の退屈さはかなり紛れますが、さて誰の何という作品なのかはさっぱり分かりません。
単なる飾りなのか、それともしかるべき人のしかるべき作品として展示しているのか、それも分かりません。 -
【 6体の女性像 】
そしてこれは、6体の女性像です。
それぞれが大陸を表しているのだそうで、そういえば持っている物や着ている物が各大陸の風俗に合わせてあるようです。たとえば北米大陸はインディアンの女性、オセアニア大陸は傍らにカンガルー、アジア大陸は着物を着た女性といった具合いですが、すべての女性が胸を大きくはだけているのはなぜでしょう? 大陸を表現するのに裸の胸が必要だとも思えませんが。
考えてみると、今回のフランスはニースのトップレスに始まり、彫刻、絵画とも女性の裸ばかり見ていたような気がします。
まあ結構な話ではありますが。 -
【 草上の昼食 】
そしてこれ。館内には私のような美術オンチでも教科書や画集ですっかりお馴染みになっている絵画や彫刻が目白押しですが、その多くに裸の女性が描かれています。
有名なマネの『草上の昼食』の前で伊藤さんに訊きました。
「なんで弁当食うのに女が裸になるの?」
「そういう理屈は要らないんだよ」
「俺には芸術というより煽情画に見えるけどなぁ」
「それでいいんだよ」
伊藤さんは2週間近くも私の見当違いな質問攻めに合って、すっかり嫌気が差しているらしく、ほとんどまともに答えてくれなくなっていました。 -
【 ストリートミュージシャン 】
オルセー美術館見学の感想は一言で言うと「疲れた」ということでした。
それぞれの作品の前では「あ、これ知ってる」「これ教科書に出てた」ということばかり思っており、作品そのものに見とれるとか感動するということは殆どありませんでした。
初めて見るアンリ・ルソーの奇怪な絵やアレキサンドル・カバネルの肌色も鮮やかなヴィーナスには「へーっ!」と思いましたが、それとてもただ「へーっ!」というだけで、それ以上の感慨はありません。
それよりも、館外に出たときに見た写真の女性の方が強く記憶に残っています。
入場待ちの行列の脇でフルートを吹くこの女性、髪もほつれていて、服装もなんだかよれよれ。おそらく芸大の学生なのでしょう。学費を稼ぐためにこうして観光客の前に立っているのでしょうが、見ていてなんだか切なくなってきました。
あれから27年。今では立派な奏者になって活躍していると信じたいです。
こうして、美術オンチの美術研修は終わりました。 オランダ、スペイン、フランスと名だたる美術館を巡り至宝の数々を目にしましたが、伊藤さんから見れば「豚に真珠、猫に小判」と舌打ちをしたい気分だったことでしょう。
それでも私がジャコメッティなどという名を口にしたり、ジャン・ジャック・ルソー以外のルソーを知ったりしたのですから、私は私のレベルの中で成長したと思うのです。
あれからずっと、そしてこれからもずっと、伊藤さんへの感謝の念は消えません。
そして今、こんなお粗末な記事を最後まで読んでくださった方に、改めてお詫びとお礼を申し上げます。 これに懲りず、またお暇な折に私のブログをご訪問いただければありがたい限りです。
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この旅行記へのコメント (5)
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- mistralさん 2023/01/29 13:26:06
- 美術館巡りの旅
- ねんきん老人さん
遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
いつもmistral の古い旅行記を発掘して下さりありがとうございます。
ねんきん老人さんの旅行記は、まずタイトルを拝見しただけで興味を
惹かれるものがたくさんおありですが、今回は我慢して
古いものを辿ろうと思い、この旅行記まで遡りました。
私の好きな南仏、(mistralはその一帯に吹きまくる季節風から取りました、
流石に風の勢いは衰えてきておりますが。)それも美術館巡りの旅ともあれば
興味津々でした。
伊藤先生とおっしゃる美術の先生との2人旅、何やら楽しそうでした。
ねんきん老人さんは美術には詳しくない、とのスタンスを貫かれておられますが
いやいや、どうして、世の中を見ておられる眼差しには、
いつも審美眼がおありになることを、私は感じております。
アルルのオベリスクは偽物なんですか!
エジプト関連の歴史にお詳しいという方がおっしゃるので、なんとなく納得。
台座部分がちょっとばかり奇妙なんですね。
パリのノートルダムの塔の上のキマイラたち、
あの火災の前に塔に上がり、対面を果たしてきたキマイラたちが塔に復帰した
あかつきには、再会したいとおもっています。
それにしても、たくさんの美術館を廻られたんですね。
その当時のお写真が残っておられることにまず驚きました。
変色しかかった写真を、一部分のカラーを残して、しかもポイントとして
強調されながら残されるには、どんなテクニックを駆使されたのやら、
色々な興味が湧き上がりました。
それと、いつもながら文章が秀逸で、読んでいても飽きさせません。
楽しませていただきました。
今年もたくさんの旅をされて、楽しい旅行記をお待ちしております。
mistral
- ねんきん老人さん からの返信 2023/01/29 16:51:07
- エセ美術研修で恥ずかしい限りです。
- mistral さん、こんにちは。 そして明けましておめでとうございます。
だらだらと長いばかりの旅行記にお付き合いくださって、ありがとうございました。
私は、これはと思った方の旅行記は、読み落としては勿体ないと思って既読メモをしてありますので、mistral さんの古いものも読ませていただいていますが、自分のものとなると今さら人様に読んでいただけるとは思っていませんでした。
今回、mistral さんが書き込みをしてくださったことで逆に心配になり、読み返してみました。 いかに美術音痴とはいえ、もう少しまともな研修はできなかったのかと、今さらながら恥ずかしさだけが募ります。
でも、フランスといえばパリとその近郊の観光地しか行ったことがない私が南仏と呼ばれる地域を回れたのはとても良かったと思いますし、今となってみると、もしあの旅行がなかったら mistral さんが南仏を好きになられた理由も分からないままで終わっていたと思います。
私はもう外国旅行に行くお金がありませんので、このあとは思い出だけが頼りですが、mistral さんのおかげで久々に昔の旅行を思い出せたのは嬉しい限りです。
私が意中の方の古い旅行記を読ませていただいているのは、旅は終生の財産だと思うからです。 家や車、衣服など形あるものは年月とともに価値も下がり、形そのものもゼロになることが多いのですが、旅での見聞は火事でも地震でも消えませんし、生きていく上での知識という大きな力にもなってくれます。
明日出かける旅行でのホテル情報などは新しい方がいいでしょうが、私がフォートラの皆様の旅行記に期待しているのはそういうことではありませんので、mistral さんの古い旅行記もたいへん貴重で、力や勇気、刺激をいただいています。
車で1時間足らずの場所にお住まいのmistral さんが私の30年も前の経験に目をとめてくださったということにも不思議なご縁を感じています。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。 ( まあ、長くはないですが )
ねんきん老人
- mistralさん からの返信 2023/01/29 19:25:29
- Re: 美術館巡りの旅
- ねんきん老人さん
「旅は終生の財産」
とっても素敵な言葉ですね。
一度きりのかけがえのない体験、ですね。
古い旅行記も、ねんきん老人さんが大切に読んで下さっていて、
感謝しかありません。
どうぞ、これからも末長~く
よろしくお願いします。
mistral
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- olive kenjiさん 2017/01/24 15:35:53
- 素晴らしきレトロ風写真の数々
- ねんきん老人さん 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
昨年この記事を読みコメント書こうと思っていましたが、年末の慌ただしさに負けたというか億劫になり、今になったこと失礼しました。
何が美術音痴でしょうか、美術に関しても博学であり何より美術創作センスがあります。
変な事を聞きますが、この写真は先輩が全部撮ったのですか?どこかでお買い求めたとか。
セピア色を部分的に使ったレトロな仕上がり。まさにポストカードとして店先にあってもおかしくない代物です。
特にドーテの祭りと妖艶な美女は戦前のポストカードかと思ったほどです。
ルノアール邸の庭はまるで絵画のごとき何ともいえないセピア色の美しさ。
先輩がもし庭先でお土産用にこの写真を販売していたら、即買っていたでしょう。
書記像という彫刻の複製を写真から作り上げる。並大抵のことではないと思います。
それを惜しげもなく気に入らなくなったからと破壊する。まさに常人ではない芸術家のような振る舞い。おそれ多いこと、びっくりぽんでした。
先輩は文学、文章に卓越なる才能をお持ちになっていると思っていましたが、ここに美術の才能をお持ちなっていることを新たに認識した次第です。
本年もカンフル剤与えて頂きたく候、よろしくお願い申し上げます。
- ねんきん老人さん からの返信 2017/01/24 20:18:30
- いやはや・・・穴があったら・・・
- olive kenjiさん、明けましておめでとうございます。
過分な上にも過分なコメントをいただき、汗顔三斗の思いです。
ここは本当のことを白状しなければ、あとの負担になりますので、幻滅されるのを覚悟の上で申し上げます。
写真はすべて私が撮ったものです。ピントが合っていないし、色は薄汚く劣化していますので、人様のお目に晒すのはおおいに躊躇うところですが、なにしろすべての写真がそうなので、選ぶことすらできなかった次第です。
そこで、退色した写真をいっそのこと白黒にしてしまおうと操作をしたのですが、その過程で、人物を中心に一部の色をそのまま残す方が自らの「恥かき旅行」のザマを強調できるのではないかと思い、手を加えてみたというわけなのです。
当然この記事をご訪問くださった方々は数枚を見た段階で「閉じるボタン」をクリックされるものと思っておりましたのに、olive kenjiさんは最後まで読んでくださり、良い方へ良い方へと解釈してくださったわけで、私としては身の置き所もありません。
穴があったら入りたいとはまさに今の私の心境ですが、たとえ穴が無くても、スコップでも素手でも、とにかく穴を掘ってでも隠れたいと思います。
こんな調子ですから、今年もまた恥の上に恥を重ねて思いつきを書いてゆくことになると思います。
どうかお見捨てなく、お付き合いくださるよう、勝手なお願いをいたします。
olive kenjiさんの、軽快でひねりの効いた旅行記を楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
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