ミルさんのクチコミ(28ページ)全1,489件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2017年06月22日
総合評価:3.0
ピラト官邸で有罪判決を受けたキリストが、茨の冠をかぶせられ、十字架を背負って「ゴルゴダの丘」までを歩いた約1kmの道のりをヴィア・ドロローサと言います。出発点はイスラム教徒地区ぶあるローマ総督ピラト官邸から、終着点はキリスト教徒地区のゴルゴダの丘までです。ゴルゴダの丘とされる場所には今は聖墳墓教会が建っています。キリスト教徒は、この道を歩きながら、道の途中途中で、十字架の重みで倒れた場所や、十字架を背負ったイエスを母マリアが出会った場所、ベロニカがイエスの顔を拭いた場所など、聖書に登場する14の場面を思いながら、巡礼します。14の場面の内、10から14までは聖墳墓教会の内部にあります。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年06月22日
降誕教会 (聖誕教会) / イエスの生誕地: ベツレヘムの聖誕教会と巡礼の道 ベツレヘム
総合評価:3.0
マリアがイエスを産んだとされる地に建てられた生誕教会です。1700年の歴史を誇る世界最古の教会のひとつで、今も尚、キリスト教信者が数多く訪れる聖地です。イエスを身ごもっていたマリアは、ローマ皇帝の命令で住民登録を行うため、ヨセフと共にベツレヘムを訪れました。ベツレヘムで宿を確保できなかった二人でしたが、そんな時にマリアが産気づき、近くにあった家畜小屋でイエスが産むことになりなした。時同じくして、東方の東方の三賢人のもとに天使が現れ、救世主が産まれたことを告げると、三人はすぐさまベツレヘムへと向かいました。頭上に輝く星を頼りに、やがて家畜小屋にたどり着いた三賢人は、飼い葉桶に寝かされたイエスに対面し、祝福し、贈り物を捧げました。これがクリスマスの起源であり、クリスマス・ツリーのトップに飾られる「ベツレヘムの星」の由来です。「ナザレのイエス」とも呼ばれているイエスですが、当時の慣習では、その人の生誕地ではなく、その人の実家のある場所を出身地とみなしていたため、幼少期から大人になるまでナザレで暮らしていたイエスはナザレ出身者としてみなされていたということになります。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年06月23日
-
投稿日 2017年06月23日
総合評価:3.0
死海はイスラエルとヨルダンの国境にあり、ヨルダン川を含む7つの川が流れ込んでいます。しかし流れの出る川が無く、乾燥地帯にあるため、入る水より、蒸発量の方が勝り、結果、湖の水は減り、塩分濃度が上がっていくメカニズムとなっています。死海の塩分濃度は約30%。普通の海水が約10倍の濃度です。高濃度のため生物は生息できないため「死海」という名が付けられました。死海は地球上で最も標高が低い海抜マイナス423mにあります。そのため世界中のどこよりも酸素濃度が高い場所でもあります。死海の水には64種類の天然ミネラルが溶け込んでいて古代から健康と美容に良いと言われています。死海の最大の楽しみ方は浮遊体験に尽きます。浮けるのではなく、浮いてしまう感覚は何とも不思議な気分です。楽しさいっぱいの死海ですが、実は死海は今、死にゆく運命にあります。死海の水の蒸発に拍車がかかり、年に1mのスピードで水位が下がっているのです。このままでは干上がってしまうそうで、死海の消滅に危機感を覚えたイスラエルとヨルダン、パレスチナ暫定自治政府は、紅海からパイプラインを敷き海水を死海へと流入することにしました。共同プロジェクトという形でパイプライン建設が進められています。
- 旅行時期
- 2017年06月
-
投稿日 2017年06月23日
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
1838年、アメリカの探検隊によって発掘された紀元前2世紀頃の小さな町跡です。紀元1世紀頃には約1500人の人々が漁業や、オリーブや果物、穀物などを栽培して暮らしていたと考えれています。古代ローマ時代にはローマ軍の駐屯地としても栄えました。またイエス・キリストが、故郷のナザレで迫害に合った後、ここカペナウムへ移り住み、ペテロの実家に寝泊りしながら、ガリラヤ各地で伝道した、宣教の本拠地的存在の場所でもありました。イエスが教えたといわれるシナゴーグも残っています。このことから「The Town of Jesus・イエスの町」とも呼ばれています。11世紀にイスラム勢力によって破壊され、廃墟となっていました。19世紀にはペテロの家と思われる民家の構造体も発掘され、カペナウムはカトリックのフランシスコ会によって巡礼者のオアシスとして保護、保存されるようになりました。発掘は現在も続いています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
ジャイアンツ コーズウェイとコーズウェー海岸 ポートラッシュ
総合評価:3.0
約5000万年?6000万年前に起きた噴火で流出した溶岩が冷えて固まり、形成された世界で十本の指に入る奇岩怪石、奇景です。六角柱をした玄武岩の石柱群が海岸線に沿って全長8キロに連なって埋め尽くしています。ジャイアンツ・コーズウェイは「巨人の土手」という意味で、4万本に及ぶ石柱が整然と並ぶインパクトあふれる壮大な景観は「ジャイアンツ・コーズウェイとコーズウェイ海岸」としてユネスコ世界遺産に登録されています。「巨人のオルガン」、「巨人のブーツ」「巨人の道」「チムニー・トップス」「キャメル」「グラニー」「巨人の門」「巨人のこぶ」「巨人の目」「巨人のハープ」「羊飼いの足跡」「蜂の巣」などなど、特徴的な名を冠した見どころが点在しています。
- 旅行時期
- 2017年07月
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
1592年創立、400年以上の歴史を誇るアイルランド最古の国立大学です。英国女王エリザベス1世によって創立されました。この大学をひときわ有名にしているのは図書館にある国宝の装飾写本『ケルズの書』です。図書館自体も18世紀の美しい建物で、20万冊の古書が整然と並ぶ光景は圧巻です。「スターウォーズ・エピソード2」に登場するジェダイ・アーカイブは、この図書館をモチーフにして描かれたシーンだそうです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
1912年に起きた豪華客船タイタニック号の沈没事故から、ちょうど100年後、船の建造地である北アイルランドのベルファストにオープンしたタイタニックに関する大型展示館です。1911年にベルファストで建造されたタイタニック号が、イギリスのサウサンプトン港からニューヨークに向けた処女航海に出航したのは1912年4月10日。その4日後の深夜、氷山に接触して沈没してしまった出来事がジェームズ・キャメロン監督・脚本による映画「タイタニック」によって世界中の人々に知れ渡りました。タイタニック・ベルファストは9つのギャラリーで構成されており、客室の様子や、誕生から悲劇の沈没までのタイタニックの一生が紹介されています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
ドネガル広場にあるシティホールは、ベルファストのランドマーク的存在として市民の憩いの場として親しまれています。1906年に建てられた建物で、館内には無料で入ることができます。建物裏手にはタイタニックの悲劇で命を落とした人々を追悼したメモリアル・ガーデンにもなっています。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
ゲール語で「大きな島」という意味のイニシュモア島は3つの島からなるアラン諸島最大の島です。現在ゲール語を使う人の数は、アイルランド人の僅か2%と言われています。アラン諸島はそのゲール語の数少ない使用地域でもあります。イニシュモア島の人口は800人ほど。医者、看護婦、警察官が各1人、神父さんはアラン諸島3島で1人だそうです。人々は岩だらけの不毛の地で僅かな農業と漁業を営んで暮らしています。観光も主産業の一つです。島の特産品に「アランセーター」というのがあります。独特の縄目模様を施したフィッシャーマンズセーターです。猟で遭難し、遺体が浜に打ち上げられたとき、身元を判別できるようにしやすくするため、柄はそれぞれの家系によって変えていたそうです。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
アイルランドには2つの世界遺産があり、その一つがこの海に浮かぶ標高218mの急峻な岩山からなる孤島「スケリッグ・マイケル」です。フランスのモンサンミッシェルが「ミカエルの山」という意味なのに対し、スケリッグ・マイケルは「ミカエルの岩」という意味です。西暦6?7世紀頃、島の垂直に切り立った崖の下に、ケルト人修道士達が石を積み上げて小屋を作って、過酷な環境下で修行生活を送っていました。バイキング襲来にも耐えつつ、やがて聖ミカエルを祀る修道院となりました。その後、島は放棄され、無人島になってしまいましたが西暦1500年頃から巡礼者が訪れるようになり、無人の巡礼島として復活、1996年には世界遺産にも登録されました。映画「スター・ウォーズ」の「フォースの覚醒」、そして「エピソード8」のロケ地となり、スクリーンにも登場しています。島の周りを周遊するボートツアーの他、上陸するツアーも催行されています。
- 旅行時期
- 2017年06月
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
クロンマクノイズはアイルランド最大の初期キリスト教の修道院跡です。大聖堂、寺院、ハイクロス、ランドタワーが残されています。アイルランドにキリスト教が入ってきた際、ケルトの土着信仰と融合する形でキリスト教が広まってゆきました。ケルトとキリスト教の融合はアイルランドのみで見られる「ハイクロス」と呼ばれる“ケルトの十字架”に象徴されます。8世紀から12世紀にアイルランド各地で造られたハイクロスは、十字の部分に太陽崇拝を取り入れた日輪が組み込まれているのが特徴です。また文字を持たなかったケルトの民は、ケルト紋様とともに聖書のエピソードを十字架にレリーフとして刻み、伝承しました。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
総合評価:3.0
モナスターボイスは5世紀の末に、聖パトリックの弟子である聖ブイトによって創設された修道院の遺構です。修道院を中心に文化都市として学問、文化のを学ぶ為、ヨーロッパ大陸から多くの人々が訪れていました。やがてバイキングが次々と襲来するようになると、石造りのラウンドタワーを建てて、襲撃に備えました。アイルランドの初期キリスト教の遺跡、遺構には必ずといって良いほど、こうした円柱形の建造物であるラウンドタワーが建っています。敵が攻めてきた時の避難場所として、見張りの為の塔として、遠くからでも目立つランドマークとして、経典や貴重品を保管する貯蔵庫として、などなど建物が作られた目的には諸説あります。アイルランドにあるラウンドタワーの殆どは先端が破壊されています。原因の殆どは落雷と考えれています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月28日
-
投稿日 2017年07月31日
総合評価:3.0
アイベラ半島の絶景を満喫できる一周約180kmの周遊ドライブコースをケリー周遊路(Ring of Kerry)と呼びます。キラーニー国立公園沿いから複雑に入り組んだ半島を一周するように円を描くコースとなっています。田園地帯、森、砂浜、ビーチ、渓流など変化に富んだ景観が続き、飽きることなく、アイルランドを実感できます。コース後半に待っているハイライトは貴婦人の眺め(レディース・ビュー)です。英国のヴィクトリア女王が1860年代にアイルランドを訪問した際、この眺めに見て賞賛したことに因んで「Ladies' View・貴婦人の眺め」という栄誉なる名称が授けられました。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 半日
-
投稿日 2017年07月31日
-
投稿日 2017年07月31日
総合評価:3.0
1960年代以降、30年間にわたってベルファストではカトリックとプロテスタントの争いが続き、4000人もの人が命を落としました。ベルファストの西側には今もカトリック地区とプロテスタント地区を隔てる分離壁があります。有刺鉄線やフェンス、厳めしいゲート、窓が鉄板で塞がれた建物など、まるで刑務所のような雰囲気を漂わせています。カトリックとプロテスタントという宗教問題、アイルランド統一とイギリスへの帰属という思想の違い、領土問題、これらが複雑に絡み合い、ややこしい状況に拍車をかけてきました。北アイルランドでは今もなお、プロテスタントによるカトリック教徒への差別が存在しています。1998年にIRAとイギリス政府が和平合意してから紛争は激減したものの、分離壁の撤去を求める地域住民が少ない事実を考えると、如何に両者の確執が根深いものかを実感させられます。そんな壁の名称が「平和の壁」というのは、あまりに皮肉過ぎます。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2017年07月31日
総合評価:3.0
ダブリンを訪ねる観光客が必ず、向かう場所と言ったら、先ずはテンプルバーエリアでしょう。ダブリンを北南に分けるように流れるリフィ側の南側にある歓楽街がテンプルバーです。かつては修道院だった場所でしたが、ヘンリー8世の宗教改革て修道院は閉鎖され、英国人のテンプル家の土地となりました。これがテンプルバーという名称の由来です。これ以降、ダブリンの中心地として栄えましたが、やがてスラム化が進み、誰もが敬遠する土地になってしましました。1991年から再開発が始まり、現在は芸術・文化の発信地として、多くの若者が集まるスポットになっています。狭い道に数多くのバーやレストランが軒を連ね、ミニシアターや映画学校、ギャラリーなどもあり、さらに週末には古本市、フードマーケットが催されるなど、常に賑やかなエリアとなっています。パブの前を通り過ぎると中からアイリッシュミュージックの生演奏が聞こえてきたりするあたりもテンプルバーの楽しいところです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アイルランド国立博物館 (考古学館) National Museum of Ireland - Archaeology
投稿日 2017年07月29日
総合評価:3.0
国立図書館の隣にあるのが国会議事堂「レンスター・ハウス」。そしてその議事堂の隣にあるのがアイルランド国立博物館 (考古学館)です。紀元前7000年の先史時代から青銅器時代、そしてケルト文化を中心に展示している博物館です。なんと言ってもこの博物館のすばらしいところは、入場料が無料という点です。定休日の月曜日以外は誰でも自由に出入りすることができます。日曜日だけは午後の数時間のみのオープンとなります。必見物はアーダの聖杯とタラのブローチですが、それ以外にも数々の興味深い展示品を持っています。アイルランドと地中海地方との交易の事実を記したパピルス、1123 年に作られたコングの十字架、ヴァイキング時代のスカンジナビアの銀製品、古代エジプトの品々、ゴールウェイで発見されたヨーロッパ最長の15.25mもあるカヌー、泥炭ミイラなどなど見どころいっぱいです。泥炭は想定外の展示品です。泥炭ミイラはエジプトのミイラとは違い自然に出来た産物です。多くの場合、生贄として捧げられた人は沼地に埋葬されました。紀元前400から200年の鉄器時代のことです。泥の内部は酸素の含有率が低く、酸性の性質を持つことから、微生物の活動が抑止され、結果として保存状態の良いミイラが自然に出来てしまったということです。かなり、リアルなミイラなのでインパクト大なので、覚悟してご覧ください。
- 旅行時期
- 2017年07月






























































































