はまちゃんさんのクチコミ(123ページ)全8,702件
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投稿日 2016年04月11日
総合評価:4.0
国道331号線のひめゆりの塔から300mほど東に進み、県道223号線に入って1?ほど行くと米須霊域があります。その米須霊域への入り口道路沿いに「沖縄菩提樹苑」があります。
第二次世界大戦で亡くなったすべての戦没者の慰霊のため、ブッダ(釈迦)がその下で悟りをひらいたと言われるブッダゆかりの“聖なる菩提樹”の分け樹が植えられています。
“聖なる菩提樹”の分け樹がインド国外に植樹されるのは紀元前3世紀以来という極めてまれな事だそうです。
菩提樹を囲むように塀があり、鍵がかかっていて、隙間やガラス越しにしか見ることができませんが、大きく育っている様子は外からでもうかがうことができました。
ダライ・ラマ14世もここを訪れたそうで、法王が植樹された娑羅双樹や法王の足型、メッセージなどを見ることができました。
付近一帯は戦跡が集中するところで、沖縄県で最初に建立された慰霊碑である“魂魄の塔”や十余りの“県の慰霊塔”、“有川中将以下将兵自決の壕の碑”などがあります。観光気分で訪れるようなところではありませんが、先の大戦で戦火に散り、犠牲になられたたくさんの人々の御霊のもとに今の平和が築かれていることを感謝し参拝させて頂きました。なお、霊域には駐車場やトイレが整備されています。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月09日
総合評価:4.0
観光客で賑わうひめゆりの塔から国道331号線を西に600mほど走ると左手に“ひめゆりクリニック”があり、その向かいにある間道を150mほど上ると左手に「琉風之碑」があります。
沖縄戦で動員され、軍の作戦に協力した沖縄気象台職員を慰霊するもので、犠牲となった沖縄気象台長ほか関連の職員が祀られています。
太平洋戦争当時、特攻などの精度を高めるために気象情報を命がけで観測していた人たちがいたのです。兵士でない方が、任務を全うする中で犠牲になられたことを知り、尊崇の念を持って御霊安らかにお眠りくださいととお祈り申し上げました。場所がわかりにくいこともあって、近くにあるひめゆりの塔と違い、訪れる人はほとんどいないようです。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月09日
総合評価:4.0
ひめゆりの塔の東側、大きなお土産物屋の駐車場の奥に「梯梧之塔」があります。
沖縄戦で私立沖縄昭和女学校の生徒が看護教育をうけ、従軍看護婦要員として動員され命を落とした生徒と職員が祀られています。そばにある、碑文や歌碑を見て、当時、どのような思いで彼女らが従軍していたのかを考えながら、御霊安らかにとお祈り申し上げました。
有名なひめゆりの塔のそばにあるだけあって、献花や千羽鶴が供えられきれいに管理されていましたが、それでも、参拝中に訪れる人を見かけることはありませんでした。ひめゆりの塔を訪れたなら、是非、足をのばしていただきたいと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月09日
総合評価:4.0
国道331号線のひめゆりの塔から300mほど東に進み、県道223号線に入って1?ほど行くと米須霊域があります。この米須霊域入り口近くから西北に延びる畑の中の道を進んでいくと、途中で非舗装の砂利道になりますがさらに道なりに進み、突き当たったあたりに「沖縄陸軍病院之塔」があります。
沖縄線末期、ここで傷病兵の治療にあたった沖縄陸軍病院勤務の関係者43名を祀る慰霊塔です。慰霊塔の横には、『春くると ひたすら待ちし 若草の 萌え立ついのち 君は捧げぬ』 『水汲みに 行きし看護師 死ににけり 患者の水筒 四つ持ちしまま』と刻まれた歌碑があり、当時の様子が偲ばれて胸に来るものがありました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月08日
総合評価:4.0
国道331号線のひめゆりの塔から300mほど東に進み、県道223号線に入って1?ほど行くと米須霊域にあります。この米須霊域には、北海道、東京都、奈良県などの慰霊碑の他に開南健児の塔や魂魄の塔があり、魂魄の塔の西北の方向に延びる道を100メートルほど進んだ突き当たりに、「有川中将以下将兵自決の壕」と刻まれた石碑が立てられています。
石碑は昭和56年(1981年)6月に建立されたもので、石碑の横には石灰岩が陥没してできた天然の壕があります。
有川中将は歩兵第64旅団長として首里方面防衛の矢面に立ち奮戦していましたが、圧倒的な米軍戦力により旅団は玉砕し、昭和20年6月21日の未明に、有川中将以下、一部の将兵と共にこの壕で自決された。壕は薄暗く、足場は悪いですが柵もないので入れないことはありませんが、部外者が入るべきところではないと考え、外から尊崇の念を込めて御霊安かれとお祈り申し上げました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月08日
総合評価:4.0
県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って間道を進み、“白梅の塔”を右手に見てさらに100mほど進むとその先に「歩兵第三十二連隊終焉の地碑」があります。向かいには、「山形の塔」があります。
この地は、沖縄戦の末期、主に山形県出身者で編成されていた歩兵第三十二連隊が、敵の手に渡ることを防ぐため軍旗を奉焼した由緒ある地(終焉の地)で、向かいには、「山形の塔」もあります。碑は平成17年(2005年)8月に歩兵第三十二連隊で生き残った隊員の方々が建立したものです。祖国防衛のために命をかけて戦われた先人をしのび、戦没された英霊のご冥福をお祈り申し上げました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月08日
総合評価:4.0
西原町の静かな住宅街にあり、沖縄の標準的なそば屋の外観とはかなり異なったモダンな外観ですが、けっして敷居が高いという雰囲気はありません。店内はそれほど広くはなく、3人~6人用のテーブル席が二卓とカウンター席が6席で最大15席ほどです。お茶はセルフサービスで温・冷を選べるのが沖縄の食堂らしいところ。
メニューの冒頭には、お客さんに“食”を十分愉しんで頂きたいということから、麺は生麺、具材は別皿で提供するという方式で、メニューを“作品”と表現するなど御主人の麺に対するこだわりが表記されています。
お店の看板メニューの一つである“炙りソーキそば 1100円”をオーダー。待つことしばし、『そばの最初の一口は、そのまま味わってください』という御主人の説明とともに、麺の入った器と薬味の小皿、大きな炙りソーキが到着。県産ブランド豚2種類と鶏ガラ、鰹、昆布などを1日以上極弱火で煮出し、完成後は更に冷蔵・冷凍庫で寝かせて熟成させているというスープはあっさりしているが旨味が強くてとても美味しかった。また、スープに合わせて作っているという太めの縮れの生麺も、プリッとして歯ごたえもよくおいしかった。
炙りソーキはホロホロと崩れるほど柔らかく、肉にはそれほどしっかりと味がついているわけではないが、炙っている分、香ばしくて、添えられている山葵をつけて食べたが、沖縄の食堂の標準的なソーキとは一味違った美味しさを楽しむことができました。
沖縄そばにしては値段がちょっと高めですが、ご主人の“食”に対するこだわりと手間を考えれば納得できるものでした。コッテリを好む人には物足りないと思いますが、あっさり系スープや生麺が好きな方にはオススメのお店です。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2016年04月06日
総合評価:4.0
八重瀬町字仲座、県道15号線沿いにあります。琉球在来種のアグー豚を使った料理をリーズナブルにいただけるお店です。お店は広くて、山小屋風の店内は高い吹き抜けで開放的な雰囲気で、利用はしませんでしたが二階席やテラス席もありました。
メニューは、“アグーそば”や“アグーカツ定食”、“アグーカツカレー”、“アグーチーズバーガー”、“アグーかつ丼”、“餃子”などアグー豚専門店らいしラインナップ。
家内が、“ソーキそば 850円”、私が“アグーカツカレー大 750円”をオーダーすると、お店のお姉さんが『“大”で大丈夫ですか?』と、聞いてくれましたが、おなかがペコぺコだったので、“大”に挑戦しました。
待つことしばし、到着した“アグーカツカレー大”は、見た目たいしたボリュームはないと思いましたが、カレールーの下にもカツが一枚分入っていてトータル二枚分のカツがあって、ボリュームたっぷりでたいへん食べごたえがありました。これまで、いろんなお店でたくさんカツカレーを食べてきましたが、 750円でカツが二枚も乗ったカレーは見たこともなく、ましてや“アグーのカツ”と言えば、それだけでも少なくても千数百円するお店が多いので、本当にリーズナブルなお店だと思いました。敷地内に併設されている?自社専用飼育場”でアグー豚を育てているため、安価で美味しいものを提供できるのだそうです。
お店では、持ち帰りや発送用としてアグーのバラ肉やロース肉、南国餃子なども販売されていました。
帰りに、お店の方に声をかけて、敷地内で飼育されているアグー豚やポニー、ヤギ、アヒルを見学させてもらいました。
沖縄南部を旅行されるときに、是非、オススメしたいお店です。食事したついでに子供たちにアグー豚やポニーを見せるのもよいと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 4.0
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投稿日 2016年04月06日
総合評価:4.0
県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って間道を進み、“白梅の塔”を右手に見てさらに100mほど進むとその先に「山形の塔」の入り口があり、山形の塔の脇を奥に進むと「真山の塔」があります。
(財)沖縄遺族連合会が1967年(昭和42年)5月に建てたもで、第24師団隷下の各部隊の戦死者100柱がお祀りされています。現地にある石碑には、『怒濤の南進を続ける米軍に対し 第24師団隸下の各部隊は最後の拠点として真栄里地区に陣地を構築し勇戦奮闘敵の心胆を寒からしめたるも ついに昭和20年 6月17日この附近の壕内において玉砕せり ここに南方同胞援護会の助成を得て塔を建て地下に眠る幾多の英霊を慰め永くその慰烈を伝う 昭和42年 3月 沖縄県遺族連合会』と刻まれています。
第24師団隷下に山形の歩兵第32連隊があったことから「山形の塔」と並んで設置されたものだと思われます。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月06日
総合評価:4.0
県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って間道を進み、“白梅の塔”を右手に見てさらに進むとその先に「山形の塔」があります。
沖縄をはじめ海外諸地域において戦没された山形県出身者四万余柱の霊がお祀りされています。現地にある説明版には『この塔は、沖縄(776柱)をはじめ海外諸地域において戦没された山形県出身者四万余柱の諸霊を祀ってあります。1965年2月に山形県民の総意と誠心による碑石、台座を県から運び建立したもので、この聖地は歩兵第三十二連隊が、軍旗を奉持勇戦奮闘し、1945年8月にこの壕内で奉焼した由緒ある丘であります。』
敷地内には、観音堂や豪(立ち入り禁止)があります。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月06日
総合評価:4.0
県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って進むと“白梅の塔”と同じ敷地内に「萬魂之塔」があります。
塔の立つ糸満市国吉部落一帯は日本軍と米軍が激しい戦闘を繰り広げたところで、戦後、国吉部落民が各地に散らばった遺骨を集めて洞窟に納め、1955年(昭和30年)5月にコンクリート製の塔を建立し、無名戦士4,000余名をお祀つりしているものです。無名戦士の慰霊塔だけに、記名などない納骨堂だけの簡素なものですが花が手向けられ、大切に守られているいる様子に感銘を受けました。沖縄戦と戦後の平和を考えながら、日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとお祈り致しました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月04日
総合評価:4.0
県道25号線と県道7号線の交差点(新垣交差点)から、県道7号線を北に200mほど上がり、右側の間道を入った先にあります。
昭和32年3月、新垣部落の有志が、この地で戦い戦死された将兵並びに戦闘に協力した住民の遺骨約1万柱を納めて建立されたものを昭和42年3月、南方同胞援護会の助成によって改修したものだそうです。
新垣という小さな集落周辺だけで1万柱という大変な戦死者があったという事実を知るにつれ、いかに過酷な戦争だったか改めて考えさせられ、安らかにお眠りされるよう手を合わせました。
この場所が少し判りづらいということもあってほとんど人が訪れている様子がありませんが、地元の人々によって大切に祀られているようで浄魂之塔の周りはきれいに管理されていました。観光気分で行くようなところではありません。静かにお参りしましょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年04月04日
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投稿日 2016年04月03日
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投稿日 2016年04月03日
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投稿日 2016年03月23日
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投稿日 2016年03月23日
総合評価:4.0
JR新青森駅のあおもり旬味館一階にあります。お土産に“ラブリーバイ4個入り 710円”を購入しました。カスタードと蜜漬けしたリンゴをパイ生地で包んだお菓子で、しっとりしたパイの食感、りんごの酸味とカスタードの甘さのバランスが絶妙でとても美味しかったです。子供の手のひらサイズの大きさで、りんごを輪切りにしたような形で見栄えもよいのでお土産としてオススメです。
- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2016年03月23日
総合評価:4.0
海辺の露天風呂が最高に良かったです。宿の建物から海岸に向かって数10メートルの歩道があって、その先、海のすぐそばに露天風呂があります。海に向かって左側が混浴、右側が女性専用になっていて、日の出から日没まで利用できます。天気が良くて、夕陽を見ながら混浴側に入ることができましたが、20人ほどのお客さんでいっぱいでした。なお、露天風呂へのカメラの持ち込みは禁じられていますので、注意が必要です。
- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 12,500円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 4.0
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投稿日 2016年03月15日
総合評価:4.0
深浦町の中心部にほど近い所、国道101号線を走っていると「大岩入口」というバス停があり、国道を挟んで海岸沿いに小さな神社(恵比寿神社)があります。神社は、真っ赤に塗られた鳥居の向こうに建つ木造平屋建、桁行2間ほどの小さな造りで、海上安全と大漁祈願の神として周辺住民から信仰されていると由緒書き(添付写真参照)にありました。
神社から約200mほどの沖合いまで細い遊歩道が整備されていてその先に大きな岩があります。大岩には大人の人が1人通れる位の洞穴があり、そこを抜け階段の上ると岩の上の展望台に行きつくことが出来ます。展望台からは白神山地や前面に広がる日本海などが一望出来ます。
遊歩道や展望台が整備されているのに、私たち以外に観光客を見ることはありませんでした。深浦を訪れて、天気がよければ、是非、訪れられることをオススメします。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2016年03月15日
総合評価:3.5
深浦町の森山海岸の小さな岬に「森山城跡 (茶右衛門館) 」があります。JR十二湖駅から車で2~3分国道101号線を北に走り、国道からそれて五能線を超えてしばらく走ると岬の根元に「町指定史跡森山城跡」の説明版があります。説明版には、『松前藩の歴史書「新羅之記録」によれば、ここを本拠地としていた森山飛騨守季定は、安東氏宗家に叛いたため、天文15年(1546)に桧山の安東尋季と舜季の父子、松前の蠣崎季広に滅ぼされたと言われています。その後、津軽為信の家臣である小野茶右衛門の居城となったことから、茶右衛門館とも呼ばれています。その小野茶右衛門も、二代藩主信牧の時に、大間越の笹森勘解由左衛門らにより滅ぼされたと伝えられています。』と記載されています。
城跡と言っても建物などは存在せず、土塁などの遺構がわずかに確認できる程度で、丘陵上にある物見跡からは男鹿半島も望むことができます。周辺には「賽の河原」や「ガンガラ穴」などの見所もあるので、合わせてご覧になられればよいでしょう。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5




















































































