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有川中将以下将兵自決の壕

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有川中将以下将兵自決の壕 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~4件(全4件中)

  • 有川中将だけが特別ではないんですけどね

    • 3.0
    • 旅行時期:2024/07(約1年前)
    • 1

    有川中将以下将兵自決の壕は、平和創造の森公園の東側に隣接する米須霊域の中ですが、各県の慰霊塔が集まる場所からは少し離れた場...  続きを読む所。
    1945年6月21日、石第64旅団長であった有川圭一中将と竹下勇大尉以下の将兵らが自決したという壕の横に石碑が建っていました。民間人でも手りゅう弾で自決していた沖縄戦ですから、有川中将だけが特別ではないんですけどね。鹿児島県沖縄戦歿者慰霊会が建てたものです。  閉じる

    投稿日:2025/01/04

  • 凄い勢いで自然に帰ろうとしています。

    • 5.0
    • 旅行時期:2019/10(約6年前)
    • 9

    米須霊域の少し外れにある有川中将以下将兵自決之壕の碑。有川主一(ありかわもりかず)歩兵第64旅団長が沖縄戦末期の昭和20(...  続きを読む1945)年6月21日に幕僚と共に自決した壕(ドリーネ)の脇に建立されている比較的新しい石碑です。

    日本軍の組織的抵抗が終焉を迎える頃、この地は海から陸から米軍の攻撃に晒された激戦地帯となり、軍民問わず多くの犠牲者を出し、その遺体もそのまま放置されているまさしく地獄絵図の様相を呈していました。そんな中で縦穴の下部にあったガマの中で高級副官竹下勇大尉ら旅団司令部幕僚と共に自決し、第62師団隷下の歩兵旅団のひとつが終わりを告げました。

    戦後米軍の統治下で集められた住民達が、土地を耕すと数限りなく出てくる遺骨を祀るために建立した〝魂魄之塔〟があり、軍関係の慰霊碑を建立するのは難しかったのであろうと想像します。碑の建立は昭和56(1981)年6月になってのこと。鹿児島県沖縄戦没者慰霊会建立と書かれていますが、その他有川中将の娘さんの名前が刻まれていたように記憶しています。

    理由はどうあれ〝軍〟という組織が戦争をおっ始め、戦場になった沖縄で多くの住民が犠牲になったのは事実です。しかし〝軍〟という組織を悪く言うのは仕方がないにしろ、軍を構成している〝軍人〟を十把一絡げに悪く言うのは筋道違いではないかと思えてなりません。たとえそれが旅団長と言う軍のトップであったにせよ、家族にとっては良い父親だったことも間違いないことでしょう。

    善悪の問題で人の価値を判断するのは浅はかなことだと私は常々考えています。70余年前に旅団長を含め将兵の最後の地となった場所は、今猛烈な勢いで自然に帰ろうとしています。時の流れには逆らえない事実もありますが、その形跡が例えなくなったにしてもこの場所であったことを後世に伝える碑であり続けて貰いたいと私は思います。
      閉じる

    投稿日:2019/10/30

  • 石灰岩が陥没してできた天然の壕

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/04(約10年前)
    • 1

    国道331号線のひめゆりの塔から300mほど東に進み、県道223号線に入って1?ほど行くと米須霊域にあります。この米須霊域...  続きを読むには、北海道、東京都、奈良県などの慰霊碑の他に開南健児の塔や魂魄の塔があり、魂魄の塔の西北の方向に延びる道を100メートルほど進んだ突き当たりに、「有川中将以下将兵自決の壕」と刻まれた石碑が立てられています。
    石碑は昭和56年(1981年)6月に建立されたもので、石碑の横には石灰岩が陥没してできた天然の壕があります。

    有川中将は歩兵第64旅団長として首里方面防衛の矢面に立ち奮戦していましたが、圧倒的な米軍戦力により旅団は玉砕し、昭和20年6月21日の未明に、有川中将以下、一部の将兵と共にこの壕で自決された。壕は薄暗く、足場は悪いですが柵もないので入れないことはありませんが、部外者が入るべきところではないと考え、外から尊崇の念を込めて御霊安かれとお祈り申し上げました。
      閉じる

    投稿日:2016/04/08

  • ?魂魄之塔?を取り巻くように建つ?慰霊碑群?からは少し外れた場所にあり、小さな広場に?有川中将以下将兵自決の壕?と書かれた...  続きを読む石碑が建立されています。昭和20年6月30日、独立歩兵第64旅団長有川主一(ありかわもりかず)少将(戦死:中将に昇進)が配下将兵数名と自決をされた場所である?壕?が碑の脇にあります。自決をされた数日後に捕虜となった日本軍兵士を伴っての米軍の?査察?が入り、有川旅団長の遺体を確認した上で?掃討作戦?の終了を宣言したとされています。

    ?ドリーネ?と呼ばれる縦穴を伴った天然の鍾乳洞に横穴を掘って?急造の壕?を作ったもののようですが、上から見た限りではそのままの状態で残っているように見えました。手すりはあるものの降りて行くことはできるようにも見えましたが、やはり外部の人間が踏み込むところではないと思い自重しました。ただ残念ながら他の史跡同様?ゴミ?の投棄が多々見受けられることは遠目からでも確認できました。負の遺産でのひとつではありますが、それを後世に伝えていくことの必要性を改めて感じました。
      閉じる

    投稿日:2015/07/02

1件目~4件目を表示(全4件中)

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基本情報(地図・住所)

施設名
有川中将以下将兵自決の壕
住所
  • 沖縄県糸満市米須 米須霊域内
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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