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萬魂之塔

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萬魂之塔 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11607603

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施設情報

施設名
萬魂之塔
住所
  • 沖縄県糸満市国吉
アクセス
白梅之塔から徒歩すぐ
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(4件)

糸満・ひめゆり 観光 満足度ランキング 77位
3.23
アクセス:
4.83
白梅之塔の隣にあります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
5.00
萬魂之塔のみを訪れる方は多くはありません。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
4.00
足元は未舗装です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
5.00
建立背景を知ると偉大さがわかります。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 白梅之塔とともに花が手向けられていました。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 10

    糸満市国吉台にある萬魂之塔。白梅之塔隣にある歴史を感じる慰霊塔は、戦後熾烈な戦いがあった国吉台付近で野ざらしになっていた遺...  続きを読む骨4,000柱を国吉集落の民が集めて、付近の壕に収めていたものを、昭和30(1955)5月に〝萬魂之塔〟を建立し、集めた遺骨を納めたことに始まっています。

    この〝萬魂之塔〟の特徴は、民間の手による軍関係者の遺骨収集でもありました。国吉台の戦いは、沖縄戦末期の熾烈な戦いが行われた場所のひとつとして知られている場所であり、この地で戦死した第24師団隷下の第22連隊・第32連隊・第89連隊の将兵の遺骨が多くを占めていたとされています。

    白梅学徒も解散命令が出された後〝白梅自決之壕〟をはじめとした付近の壕に籠ったものの、軍属・民間問わず行われていた米軍の〝馬乗り攻撃〟によって多くの犠牲者を出した場所でもあります。

    付近一帯には日米軍属の慰霊碑が建立されており、そのことが〝許せない〟と言う者もいるようですが、果たしてそうなのでしょうか?確かに学徒隊として徴兵された〝白梅学徒〟の慰霊碑の周りに軍属の慰霊塔を建立することは、理解し難いところもあるかも知れません。

    しかし何度も言うようですが、軍を構成する〝軍人全て〟が悪人だったわけではありません。最近では逆にそうではない〝実話〟の証言も多く明らかにされており、十把一絡げに〝違和感〟を呈することは、無知から出てくる愚かな判断となるように思えてなりません。

    この地で戦没死した兵士の遺骨は萬魂之塔に収められたと考えられており、それが慰霊塔周辺に建立された〝個人の墓標〟の建立に繋がっていると聞いたことがあります。萬魂之塔後方に建つ小さな墓標には、『陸軍軍曹 矢野次郎』・『海軍二等軍曹 矢野大三郎』と刻まれていますが、この次郎氏は白梅学徒隊の生存者に〝歌〟を聞かせていたという証言が書くれています。最後は学徒隊を先に逝かせる訳には行かないと壕の上で自決をされたらしいのですが、その〝思い出〟として語られる兵士が悪者だったと言えるのか?そう思えて仕方がありません。

    戦後73年を迎えた今年平成30(2018)年、戦争を実際に経験された方々も多くが亡くなっており、語られることのなかった〝真実〟もそのままになってしまうことが多い中で、反面年数が経過した故に得られる〝証言〟も増えてきたようにも思えます。何でもかんでも不快感を表すのは簡単ですが、その背景も踏まえた上で〝軍という組織〟と〝兵士という個人〟の違いは考えなければならないと改めて思った白梅之塔慰霊祭の日に再訪した〝萬魂之塔〟でした。  閉じる

    投稿日:2018/07/13

  • 白梅とともに

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/09(約8年前)
    • 3

    白梅の塔と同じ敷地にあります。
    激烈な沖縄戦後、周辺に放置されていた遺骨を、国吉部落の住民が拾い集め、納骨堂として建てた...  続きを読む慰霊碑です。
    もちろんその遺骨とは全て身元不明のもので、その数4000柱と言われています。
    「敵味方関係なく、純粋に真摯に、戦没者を弔う」という精神の下に建てられたものです。

    白梅の塔も、学徒だけでなく教職員が合祀されており、主旨は同じと言えるでしょう。

    それを考えると、この萬魂の塔の隣に建てられた墓碑は、陸軍大尉〇〇の碑というのは、誠に身勝手かつ無遠慮なものと言わざるを得ません。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 無名戦士4,000余名をお祀つりする

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/04(約8年前)
    • 1

    県道250号線の国吉の集落付近から分かれて県道54号線に入り300mほど南下して、右手にある“白梅の塔”の案内板に従って進...  続きを読むむと“白梅の塔”と同じ敷地内に「萬魂之塔」があります。
    塔の立つ糸満市国吉部落一帯は日本軍と米軍が激しい戦闘を繰り広げたところで、戦後、国吉部落民が各地に散らばった遺骨を集めて洞窟に納め、1955年(昭和30年)5月にコンクリート製の塔を建立し、無名戦士4,000余名をお祀つりしているものです。無名戦士の慰霊塔だけに、記名などない納骨堂だけの簡素なものですが花が手向けられ、大切に守られているいる様子に感銘を受けました。沖縄戦と戦後の平和を考えながら、日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとお祈り致しました。  閉じる

    投稿日:2016/04/06

  • 沖縄戦末期に米軍と日本軍が熾烈な戦いを繰り広げた沖縄島南部。その中のひとつの場所である国吉集落に建立された萬魂之塔は、戦後...  続きを読む付近一帯に散乱していた戦没者の遺骨が住人の手によって集められ付近の壕に納められた後、昭和30(1955)年5月に現在の萬魂之塔が完成し遷骨されて現在に至っています。

    4,000余柱の遺骨は多くはこの地で最期を遂げた第24師団隷下の第22連隊・第32連隊・第89連隊の将兵のものだったそうです。民間が建立した軍属の慰霊塔の数少ないもののひとつです。十把一絡げに軍部を悪く言うだけなら簡単なのかも知れません。しかしそれでは説明がつかないことが多すぎる現実に、やはり一般論=真実の答えにはなっていないことを再認識する必要性を萬魂之塔を訪ねて改めてそう思いました。
      閉じる

    投稿日:2016/04/04

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