はまちゃんさんのクチコミ(119ページ)全8,702件
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投稿日 2016年06月02日
総合評価:3.5
世界遺産のひとつ、“玉陵”のすぐ近く、寒川通り(県道50号線)に面する“琉染”と言う染物屋さんの入り口に「中山門跡」の石標が建っています。
石標には、古い中山門の写真とともに、『中山門は王都首里の第一の坊門(ぼうもん)で、綾門大道(アイジョーウフミチ)の西端に建っていた。別名「下の綾門(シムヌアイジョー)」、「下の鳥居(シムントゥイ)」。1428年の創建とされ、当初は建国門(けんこくもん)と呼ばれていた。中国の牌楼式(はいろうしき)の門で、1681年に板葺から瓦葺に改められた。中山門の名称は、尚巴志(しょうはし)王の冊封使柴山(さいざん)(1425年来琉)が献じた「中山」の文字を、後に扁額(へんがく)に仕立てて掲げたことによる。1959年に復元された守礼門と同型同大。1879年の廃藩置県後、老朽化が進み、1908年5月に払い下げられ、撤去された。』と表記されています。
沖縄のシンボルである「守礼の門」の400m西に類似した門が100年程前にあったことに驚きました。現在は、残念ながらその遺構は何も残っていませんが、守礼門と同じように復元されたらよいのにと思いました。
周辺には、古都首里の遺跡がたくさんあります。私は、首里城公園管理センターで頂いた“首里城首里巡り”という絵図マップを参考に散策しました。首里の歴史に興味ある方は、首里城を訪れたら、絵図マップを入手して散策されると良いと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年05月30日
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投稿日 2016年05月30日
総合評価:3.5
首里の人気観光スポットである“金城石畳道”の南の入り口、“金城橋”の橋の北側には、“重修金城橋碑文の石碑”が建立されています。そして、そのすぐそばに「金城橋と識名平」の石標が立っています。石標には、次の通り表示されています。
【石標の表記内容】
『金城橋(カナグスクバシ)は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋。橋の創建年は不明であるが、1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文(カナグスクバシひぶん)」建立)。1809年の洪水により損壊したが、翌年、橋は元の位置から少し下流で再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文(じゅうしゅうカナグスクバシひぶん)」の碑が建立された。1945年(昭和20)の沖縄戦により、橋も碑も破壊された。現在残っている碑の残欠は、1985年(昭和60)、金城橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。
識名平(シチナンダ)は、金城橋から識名に至る坂のこと。呼称は方言の「シチナノヒラ」が転訛(てんか)して「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加えて「シチナンダビラ」ともいう。かつては、松並木の続く石畳の坂道であり、王家の別邸「識名園(しきなえん)」に通じ、また、首里から島尻(しまじり)方面に至る幹線道路の一部でもあった。』
王府時代は南に抜ける主要な街道(真珠道)であった識名坂を金城橋から見ると、道は、狭くてかなりの急坂です。周辺は住宅地となっていて昔の街道の趣はありませんが、石碑の説明板を見て、琉球王国時代に思いをはせることができました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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島田叡知事と荒井退造警察部長ほか戦没した458人の県庁職員を合祀
投稿日 2016年05月29日
総合評価:4.0
「島守の塔」は、平和祈念公園内の霊域ゾーンにあります。沖縄県最後の官選知事であった島田叡知事と荒井退造警察部長ほか戦没した458人の県庁職員を合祀した塔です。
島田知事は昭和20年1月、米軍上陸の予想が確定している沖縄県へ知事として、大阪府内政部長より赴任、その島田知事と二人三脚で戦時下の県民の救済に当たったのが荒井退造警察部長です。2人が推し進めた疎開政策で沖縄戦を生き延びた沖縄県民は20万人に達すると言われており、2人の行動は沖縄戦の史実の中で、たいへん評価されるべきできごとです。その後、戦局が日々不利となり軍司令部の南部への撤退と共に島田叡知事と荒井退造警察部長がこの地に移動したが、昭和20年6月消息を断ちました。そのため、この地が二人の終焉の地とされており、島守の塔はその壕の前に建立されています。
米軍の沖縄上陸が近いことを知って県外へ逃げた泉知事や職員に代わって、県民の救済に尽力したお二人は当時、島田知事は43歳、荒井部長は44歳という若さでした。お二人をはじめ、最後まで逃げずに職務を全うされた職員の方々の胸の内を思うと、私にはとてもできないことで胸が詰まりました。今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とされた人たちの尊い犠牲の上に築かれていることを忘れてはいけないと考えながら、御霊安らかにとお祈り申し上げました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年05月28日
総合評価:4.0
沖縄の伝統的な染物である紅型やサンゴ染めの工房です。一階には、暖簾やタペストリー、Tシャツ、スカーフなどのフアッション・小物商品を展示販売されています。高価なものが多いですが、財布や名刺入れ、手ぬぐいなどお土産になりそうな比較的手ごろなものもあります。二階が琉球漆器や陶器など古美術品を展示販売するスペースのほか、サンゴ染め体験ができるようになっていました。このお店の場所は、守礼門より古く建てられた中山門という坊門があったところで、お店の前に大きな扁額と説明板があります。合わせてご覧になればよいでしょう。
- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.0
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投稿日 2016年05月28日
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投稿日 2016年05月27日
総合評価:3.0
ゆいレールの首里駅から歩いて5分足らず。県道82号線に面するラスオンズマンションの入り口近く、シーサーの前に「儀保殿内跡」の説明碑があります。
尚真王代(1477~1526年)琉球王国の国王を守護し、国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願した高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼」の神殿及び住居跡です。「儀保殿内跡」は大正初期には敷地・建物ともに払い下げられ民有地となり、現在はマンションが建ち、その遺構は全く残されていません。
沖縄の古都である首里周辺には史跡がたくさん点在しています。首里城公園管理センターで頂ける“首里城 首里巡り”という観光マップに散策コースが掲載されていますので、それを入手・参考して散策されると良いでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年05月27日
総合評価:3.5
地元の人が利用する、いわゆる“沖縄の食堂”という感じのお店です。“三枚肉のにんにく煮”が美味しいという記事がネットに上がっていたので、13時頃、お店に入ったが残念ながら売り切れていた。仕方なく、“ゆし豆腐定食 650円”と“煮付け 650円”をオーダー、どちらもボリュームがあって安いし美味しかったです。お昼は、近くで働く人が利用して混むので、少し時間をずらして行くのが良いと思います。次回は、早めに入って人気の“三枚肉のにんにく煮”を食べたいと思いました。那覇の観光スポットから離れていて、車でないと行きにくいところで、駐車スペースは2台分ぐらいで狭いです。
- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.5
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投稿日 2016年05月27日
総合評価:3.5
繁多川中央通りの繁多川バス停から間道(識名宮の西の道)を北に少し入ったところにあります。
昔から利用されてきた水が湧き出す共同の井戸で、“ボージガー”と読み、現地にある説明板には、『ボージガーの名称は、近くにあった神応寺や識名宮にちなんだものといわれている。また、「琉球国由来記」(1713年)には「御穀泉」(オコクガー)と記されており、「乳のような泉・善い泉」を意味したようである。ボージガーの水はとくに美味しく、繁多川豆腐づくりに大いに利用された』とありました。
この辺り一帯は湧水が豊富で、豆腐店は戦後50数軒あったが、現在では3店ほどとなっているそうです。
マンションに囲まれた小さな史跡で、現在の水はそれほどきれいなものではありませんが、それなりに雰囲気があります。近くにはハンタガー(繁多川)やウフカー(大川)など自然の湧き水を利用した共同の井戸(ガー)があるので、“湧水巡り”をされるのも良いでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年05月26日
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投稿日 2016年05月26日
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投稿日 2016年05月26日
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投稿日 2016年05月26日
総合評価:3.5
首里城公園内の“円鑑池”のそばにあります。
円鑑池の中島にある弁財天堂に架けられた天女橋を1744年(乾9)に改修した記念に建立された石碑です。もともと設置された石碑は倒壊や沖縄戦での破壊があったので、現在、設置されているものは碑の一部や拓本・写真等をもとに復元したものです。なお、石碑の一部が沖縄県立博物館に残されているそうです。
石碑の表裏面には、漢文で王府が実施した天女橋の修理に至る経緯や工事の組織体制・経費などが刻まれています。詳細については、現地にあった説明板の写真を添付しますので参照ください。
円鑑池や石碑の周りは緑も多く、アヒルがたくさんいて癒されました。首里城公園を訪れたら散策されると良いでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2016年05月25日
総合評価:3.5
儀保十字路から南に歩いて3分ほどの住宅街にあります。少し分かりにくいですが、“当蔵保育園”のすぐ横にあるので、それを目安に行けば簡単に見つけられます。
「安谷井御嶽」は、1977年に那覇市指定有形民族文化財に指定されています。
琉球石灰岩で造られた立派なアーチ門があり、門の外側の庭は石畳になっていて、左右に石碑があります。アーチ門は閉まっていますが、左側からはいれるようになっていて、奥にはU字型に配置された香炉があります。周囲をマンションに囲まれていますが、樹木が茂っていて御嶽の雰囲気が漂っていました。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年05月25日
総合評価:4.0
かって琉球王朝御用達で、創業160年以上になる老舗の味噌工場です。食品添加物や化学調味料を使わず、昔ながらの製法で作っておられるそうです。購入した“王朝みそ 864円”を味噌汁やサバの味噌煮で使用しました。味噌は黒っぽい茶色で見かけは塩辛そうに見えましたが旨みが濃くて美味しかったです。なお、このお店は、琉球王国時代の士族・仲田家の屋敷跡【仲田殿内(なかだどぅんち)】だそうで、お店を囲む立派な石垣がとてもよい雰囲気です。首里を散策されるときに立ち寄られることをオススメします。現地にある説明板の写真を添付しますので参照ください。
- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
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投稿日 2016年05月24日
総合評価:3.0
モノレール儀保駅より南へ歩いて3分ほどのところにあります。現地にある説明板には、『宜湾朝保は、琉球王国末期の著名な政治家で歌人。1862年三司官となり尚泰王を補佐。1868年に明治政府が成立すると、1871年に維新慶賀使の副使として上京、尚泰王を琉球藩王にするとの命を受け、喜んで帰国するも、親清国派から「売国奴」と非難されて、1875年に琉球処分が具体化しはじめると、維新慶賀使の責任として世の非難を浴び三司官を辞任。翌年失意の内に54歳の生涯を閉じた。』と記載されています。詳細は説明版の写真を添付しますので参照ください。なお、生家跡は、マンションになっていて往時の面影はまったくありません。
- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年05月24日
総合評価:3.0
ゆいレール儀保駅より南東へ歩いて5分ほど、静かな住宅街の一角にあります。
蔡温は1682年生まれ、中国で儒学などを学び、帰国後、尚敬王の学問の師匠となり、羽地大川の改修などの治水・治山を行い、琉球王国の政治経済についての提言書など多くの書物を残した近世琉球王国を代表する政治家で1761年に享年80歳で死去した。
この旧宅跡は、1729年に尚敬王の王妃が、蔡温の長男の翼(よく)に嫁ぐことになり、国王より賜った邸宅の跡で、現在は駐車場となっていて、当時の石垣がわずかに残されているだけです。詳細については、現地にあった説明板の添付写真を参照ください。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年05月24日
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投稿日 2016年05月23日
総合評価:3.0
阪急電車の河原町駅から歩いて5分ほど、アーケードがかかる新京極通りの中ほど近くにあります。倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれている、古い由緒をもつお寺さんです。入口横にある由緒書きには、『ご本尊を作る際、台座がどうしても壊れるので、蓮華の台座を逆さにしたところ、無事完成した。これは、女人は業が深く、心の蓮華が逆さになっていて極楽浄土に往生できないので、それを救うためにわざと蓮華を逆さにした』とあります(詳細は添付写真を参照ください)。鉄筋コンクリート造りの建物にあって、一階部分に北向地蔵尊が祀られています。ご本尊は二階にある本堂に安置されていて、ガラス戸の外から拝むことになります。お寺さんらしくない建物で参拝しにくいですが、女性を救う阿弥陀如来として信仰されているそうなので、興味のある女性に参拝をオススメします。
- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年05月23日
総合評価:3.5
阪急電車の河原町駅から歩いて5分ほど、アーケードがかかる新京極通りの中ほどにあります。正式には永福寺という名前だそうで、蛸薬師という名前は諸説あるようですが、かつてこの寺にいた親孝行な僧が病身の母の求めで「タコ」を買ったが見とがめられ、進退窮まった僧が日頃信仰する薬師如来に祈念したところ、タコは薬師経に変わり、また母の病が癒えたというの説が一番有名だそうです。詳細は添付写真の駒札を参照ください。
本堂脇には、通称「なで蛸」と呼ばれている木彫りの蛸が鎮座されています。このなで蛸を、病気平癒を祈願して左手で撫でるとその病が治ると云われています。小さなお寺さんですが、京都一の繁華街のアーケドがかかる商店街にあって、とても存在感があります。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5




























































